夢の中にて現に還り、夢から覚めては夢の中。
逆転したリアルの皮肉を想いつつ、顔面いっぱいに降り注ぐ朝の気配に目を開くと、視界の七割ほどを占拠する円形の暗い洞が上に見える。それは僕が三人ほど集まって腕を回しても端まで届かないくらい直径がある大鐘で、なんでそんなものが寝起きの頭上に浮かんでいるかというと、ここが教会の鐘楼だからだ。ちなみにこの大鐘、毎日きっちり正午と午後七時に鳴り響き、この場所でうっかり昼まで寝こけていたり、夕方にちょっと遅めの昼寝をしたりすると、頭痛を催すほどの大音声で大脳聴覚野にダイレクトアタックしてくれる。だったらNPC神父にお金を払って借り受けている本棟の部屋で眠ればいいのだけど、システム的にほとんどの外部音声を遮断してしまう個室は、どうにも静かすぎて落ち着かない。だから僕は索敵スキルの警報をしっかりセットした上で、見晴らしがよくて朝の空気が心地いい、誰でも入れるこの塔の天辺で寝起きしている。それならNPCにお金なんか払うことないじゃないかと思われるかもしれないが、そこはアレだ。義理人情だ。NPCだって生きている。
どうせこのゲームがクリアされるか、残り七千弱ほどのプレイヤーが全滅するか、外の人間がゲームマスターをとっ捕まえるかすれば、この世界は丸ごとデリートされるに決まっているので、そのとき跡形もなく消滅するであろう人工知能の皆様方には、僕はでき得る限りリスペクトを払うことにしている。いつも支えてくれてありがとう。そのうち皆殺しちゃいますけどありがとう。きっと茅場のクソ野郎はぶち殺します。
眼球を動かし、視界左上を注視する。緑色の棒線が映った。寝起きにまずこれを確認するのがすっかりクセになっている。
HPバー。この、デコピン一発でポッキリ逝ってしまいそうな頼りない棒線の中身がゼロになれば、僕は死ぬ。
寝袋から腕を伸ばし、目の前に手をかざす。手の甲、手の平、手の甲、手の平、何度ひっくり返して確認してみても、デフォルメされた手には、毛穴も産毛も血管も、指紋も掌紋も見当たらず、当然拳頭が異様に膨らんでいたり、皮がゴツゴツと厚くなったりもしていない。小指から順番に丁寧に関節を折り曲げ、爪を指のつけ根に食い込ませ、最後に親指の腹でがっちりと中指と人差し指をホールドしてみる。レベル1のころからちっとも変わらないその拳が、やっぱり寂しい。数秒の感傷に浸った後、拳を開いて中指と人差し指を伸ばして揃え、上から下へと走らせてオープンセサミ。チリリン、と軽い音がしてメニューウィンドウが開かれた。
年月日表示を確認。ただいま2024年6月15日。現在時刻は午前5時32分。この世界に閉じ込められて、およそ一年と半年。彼女の命日まで、あと一週間。
もぞもぞと這い出して、今まで寝ていたシェラフを指先でポンポンとタップ。中空に現れたウィンドウの収納ボタンに触れると、安物の寝袋はポッと燐光を残して消えてしまった。アイテムストレージに格納したのだ。こういうときこの世界は便利。
鐘の縁に頭をぶつけないように立ち上がる。素足なので、石造りの床がひたひたと冷たい。寝起き用の薄手の衣服に、朝の外気が沁み入ってゆく。今日もいい目覚め。
この塔は下から見上げた雰囲気よりだいぶ広くて、小学校の教室くらいの床面積を備えている。屋根の中央からはおあつらえ向きのでっかいイモータルオブジェクトもぶら下がっていて、朝の稽古にはもってこいだ。まずはストレッチから。腕、肩、首、胸、腰回りと股関節は特に入念に。のびーるのびーるストップ! 大きな声で数を数えてみよーう。
この世界に柔軟値ステータスなんて隠しパラメータが存在するかどうかは知らないけれど、少なくとも僕の実感として、この仮想の肉体を頭の天辺から爪先まで思うがままに制動する上で、ひとつひとつの稼働部位を丁寧に確かめていくこの儀式は、極めて重要だ。戦闘時の動きのキレにかなり響いてくる。
片足立ちになって、もう一方の足を真上に思い切り蹴り上げる。背筋は伸ばしたまま、足先を頭の上に! 蹴り足を両手で押さえ、百八十度開脚の姿勢でたっぷり10秒。体操メダリストもびっくりの柔軟性とバランス感覚。ここまでやれるようになるまで1年かかった。長かったようで、短かったようで、やっぱり長…、いや短い。現実では3年もかかったのだ。いつかこのゲームがクリアされて、現実に帰還することになったら、僕の体はどうなっているだろう。十年かけて丹念に鍛え上げた肉体はガリガリに痩せ細っていることだろう。うわ、やだなあ。鍛え直すの大変そうだなあ。でも僕きっと鍛えるんだろうなあ。筋肉ないと落ち着かないし。
そんな取り留めもないことを考えつつ、30分後。ストレッチパワーが溜まってきたところで、型に入りたい気持ちをグッと抑えて、焦らず、まずは息吹から。
両の拳を握る。手の甲を上に、両手首を胸の前でクロス。背筋を伸ばす。鼻からゆっくりと、朝の冷気を吸い込みながら、拳を返し、ゆっくりと両脇に引きつける。引きつけ切り、胸元が目一杯空気に満たされたところで、再び拳を返す。両の正拳をゆっくりゆっくりと下段に突き出しつつ、今度は腹の底から息を吐く。最後、体内の空気を全て鋭く吐き出し、両腕を伸ばし切る。イメージはあれだ、ちょっとエキサイトしたダースベイダー。コォオ~~~~~、ホッ!!
敵の攻撃を弾き飛ばし、あるいは受け流し、また全身の運動エネルギーを余すことなく両の手足に伝導するための完璧なバランス感覚、いわゆる正中線を身に着けるために、この、息を吸い込んだときに膨らんだ横隔膜が周辺の筋肉と連動して肋骨を押し上げる感覚と、息を吐き出したときにヘソの下の奥の奥に熱を孕む感覚がとても重要なのだが、残念なことに、この架空の肉体の呼吸に関する知覚はかなりざっくりと省かれていて、息を吸ったり吐いたりしても、空気がなんとなく体の中を動く感覚はあるものの、胸もお腹も膨らまないしヘコまない。当然繊細な深層筋肉の動きを再現できているはずもなく、だからこれはもう完璧に僕の気分なのだけれど、無駄ではない。これを毎朝やりながら、僕はこのゲームの恐らくは最強プレイヤーであるギルドの団長の言葉を思い出す。
『この、アバターというのは存外繊細なのだよ。【外】の世界の生身の肉体でも、姿勢が悪いと、徐々に骨格が歪んでいってあちらこちらに無理が生じるだろう? 同じようにこの世界の身体で偏った姿勢を長時間続けると、脳から発せられる運動命令が恒常化して、バランスを崩す。そうなると体を支えるのに余計な筋力値ステータスを消費して、全体の動きを阻害してしまう』
そして彼は多くのプレイヤーを惹きつけてやまない静かな笑みを湛えて、こう続けた。
『その点、君の立ち姿は理想的といえるだろう。実に無駄がない』
僕は他人から褒められたり叱られたりしたことはなるべく忘れないようにするタチだけれど、その中でも彼の言葉は特別に嬉しかった。それから常に、正しい姿勢を心がけた訓練を積んでいる。現実とやや勝手の違うこのバランス感覚を完全にモノにするのにずいぶんかかった。
強く重心を意識したところで、さて、お待ちかねの型稽古だ。
重心移動の繊細な歩み足と、足払いによる重心の傾きを意識し、ガードとカウンターが特徴的な内歩進初段の型。全方位から打ちかかる敵との間合いを強く意識し、攻撃を弾き飛ばす旋転と打ち上げに払い落としを重視した燕飛の型。攻防自在の手刀打ちに、敵の意表を突く諸手突き、要塞をも打ち抜く勢いの抜塞大の型。
注意することがある。
この世界で戦う者は、皆が皆、大小様々な武器を手にしている。
この世界で戦う者は、皆が皆、現実を遥かに凌駕する身体の性能を有している。
システムアシストを得た斬撃はときに剣尖からビームサーベルめいた光線を放って1メートルも2メートルもリーチを伸ばし、レベルを追うごとに積み上げられていく敏捷パラメータは、ワイヤーアクションじみたアクロバットやコマ落としのような高速ステップを可能にし、攻略組のトッププレイヤーともなれば3、4メートルの距離などあってないようなもので、熟練のプレイヤーの放つ加速された突進系ソードスキルに至っては、コンマ5秒で10メートルを疾走し、対象へと一息に正確無比の重攻撃を叩き込む。
その間合いは、深く遠い。
故に、僕もその流儀、その法則、その術理に従って己の【拳】を叩き込まねばならない。
だから型稽古も、自然とこうなる。
地を滑る足捌きはそのままに、五体を巡る力の流れをそのままに、一足一足のストライドを三倍に拡張し、疾る身体は風の如く。閃く手足は光の如く。世界空手道選手権大会で披露すれば優勝間違いなし。ブーツも履かない生足と、平たい一枚岩の床との間の、あってないような摩擦値で、気狂いめいた超速度を完璧に制動するのは相変わらず難しい。こなすけど。
団長に、『バグを疑ったぞ』といわしめた僕の体捌きは、自分でいうのもなんだが尋常ではない。中層あたりのプレイヤーにはテレポートにしか見えないそうだ。
それでもその団長の【聖騎士】には、剣と対になったバカでかい盾に弾き飛ばされるし、先輩であり現在の副団長である【閃光】にはかなり正確に見切られて、神速の突き技で撃ち貫かれる。【閃光】相手の圏内模擬戦では、五本も粘って一本取れればいい方だったし、【聖騎士】が相手だと僕は今の今まで終ぞ一本も取れなかった。稽古や試合というのは本当にいいもので、何度負けても次がある。勝ち負けという仮想の生き死にの只中にあって、何度でも彼らの技を死に覚えることができた。実戦ならば、僕は累計三百回はオダブツしている。
今はどうだろう。
最後に彼らと模擬戦をしてからずいぶん経つ。
かつての仲間を、一人ひとり、思い出してみる。
【聖騎士】ヒースクリフ。
【旋風】のロラン。
【城塞】のフォート。
【鮮血】のアスラ。
【錬金】のアヴローラ。
【貫徹】のランチア。
【閃光】のアスナ。
【暗闇】のレイラ。
【静寂】のハサン。
【斬鉄】のミツルギ。
【刈穫】のリュカ。
【空拳】のティジクン。僕だ。
以上、血盟騎士団初期メンバー、【はじまりの12人】。
今の僕なら当時の彼らに後れを取ることは絶対ないが、それは向こうだって同じだろう。
特に【閃光】は、後輩の面倒をみながら自身も苛烈なレベリングを行っているはずで、団長などは、僕が最前線にいた当時から、ふらっとどこかへ消えてしまうことがたまにあった。やはり、無茶なレベル上げをしているのだろう。
今となっては、無意味な仮定ではあるけれど。
【閃光】も【聖騎士】も、今やトッププレイヤーとしての地位を完全に確たるものとし、大勢居る後輩と、自分のレベリングに手一杯で、ひとりひとりに稽古をつけたり、簡単に模擬戦やデュエルなんか受けたりすることもないだろうし、残りの初期メンバーは――――
前線を退くか、あるいは死んでしまったのだ。
事情は、詳しく知らない。
僕は団長が直接声をかけて勧誘した初期メンバーの最後のひとりであり、前線を抜けた最初のひとりでもあった。傭兵みたいに何度か作戦を手伝うことはあったけれど、籍は抜いたままだし、本部に顔を出す機会もそうそうなかった。だから、あそこでほんとうはなにが起きていたのかよくは知らない。
ことによると、全貌を理解している奴なんて一人もいないのかもしれない。
フレンドリストは連絡不能を示すグレーに変色するか解消されて、団長にも副団長にも情報屋にも訊ねてはみたが、その最期も行方も判然としない者が多い。
たった12人でこのゲームをクリアできるとまで謳われた最強メンバーを失ったギルドを今支えているのは、大パーティの高効率レベリングと厳しい規律で、その重圧を一身に引き受けているのは副団長の【閃光】で、あの細い背中にそんな大層なものを押し付けてしまったことにはやはり罪悪感を覚える。僕は事情につきギルドを除名処分となっているので、モンスターをいくら倒しても、獲得したお金をギルドに収めることはできない。副団長も、会計のダイゼンさんも、生のお金を直接受け取ってはくれないし。
というかそもそも、今あそこに必要なのはお金だろうか。
少し前に、前線近くのモンスター多出地帯でレベル上げをしているパーティを見たけれど、統制はとれていて、ステータスも高い。けれど、個々の技能はやはり、当時の初期メンバーや副団長に、遥か遠く及ばないようだった。
決めた。潮時だ。
彼女の命日までに目的を果たせなければ、僕は最前線に戻って、己の責を果たそう。最強ギルドなんて呼ばれてふやけている後輩一人ひとりを模擬戦で叩き直すのだ。
けれど、やっぱり目的は果たせた方がいい。胸を張って凱旋できる方がいいに決まっている。
ここらで気合を入れ直そう。
さっきから何十回と繰り返している高速型稽古を終える。物思いに耽ったからといって技のキレが落ちることはないが、同じ動きを惰性で繰り返しても、その先には進めない。修練は、より速く、より強く、より柔軟になるためのものだ。いけない、いけない。
稽古の最後の仕上げに入るべく、僕は鐘楼の中央にぶら下がる大鐘に向き合った。
風鳴り。どこか遠くで水車の水音。鍛冶屋が鎚を打っている。名も知らない鳥が一声鳴いた。
「百六十二の型―――」
正面に構え。
やや内股、膝を落とし、三戦立ち。
息を吐く。ツ、ツ、ツ、ツゥ~~~―――………ッ
大鐘にドン、と、ひとつ正拳打ち。打った場所のすぐ上に紫色のシステムタグが現れる。
曰く、【Immortal Object】。
システム的不死。どれだけ打っても壊れません、という、ありがたい進言。
「始めェ!!」
瞬間、音が消える。光が奔る。
大鐘の表面が紫色のシステムタグに埋め尽くされる。
両の腕を翻し、体を捻って旋転し、巴の軌跡で回り込み、四方八方から打ち掛かる。正拳、裏拳、縦拳、手刀、背刀、横打ち斜め打ち。順突き逆突き上中下段上中下段。裏突き裏突き下下下。崩拳、頂肘、体当たり。上下左右の諸手突き。目突き、耳打ち、顎を砕かん掌底打ち上げ、喉笛目掛けて貫手突き。内腕刀、翻って外腕刀、エルボーエルボーラリアット!
「シャア!!」
前蹴り横蹴り後ろ蹴り、上中下段の飛燕脚、廻し蹴り、胴廻し回転蹴り、縦回転踵落とし、後ろ廻し回転蹴り……ッ!!
「ラァア――――――――――――――――ッ!!」
とどめ。両の手刀に光が灯る。ソードスキルのライトエフェクト。鞭の如くしなる面打ち、翻る手刀四連打、下、上、中段の三段突き、懐深くに入り込んでの垂直肘打ちから、上下同時の掌底諸手突き。槍の如くの捻じり横蹴り……!!
【体術】スキル奥義、11連撃。
【狼牙爪連殺法】。
最後の横蹴りを捻じ込んで、コンマ三秒ほどの技後硬直。絶対破壊不可能の物体に、五体を駆使して繰り出した絶技の反動で、全身がビリビリと痺れている。
僕自身のシステム外体術を合わせて、テンポよく162連撃を叩き込めた。いい調子だ。
やっぱり、全身痛い。僕の脳味噌は本当に働き者だ。幻の痛みが与える生きている実感に、うち震える。
蹴りを放ってそのままだった足を降ろす。
警告タグに埋め尽くされてグロテスクに変色した大鐘が、元の姿を取り戻してゆくのを確認してから、踵を合わせて直立。両手を重ねて下腹部まで降ろし、正面に礼。
「ありがとうございました」
背筋を伸ばしたまま腰を折り、二秒ほどかけてきっちり頭を下げる。
大鐘に背を向けて、鐘楼の外縁部に歩み寄り、手摺りに身を乗り出した。
見上げた空、薄雲に白く霞む向こうに、しかし澄み渡るような青はどこにもなく、くすんだ岩石質な灰色の天蓋が全天を覆っている。
遥か遠く、赤茶けた街の城壁の緩やかな曲面のずっと向こう、地面と天蓋の隙間から、オレンジ色の陽光が放射状に広がっている。
城壁のほど近くで、NPCらしい女性が石橋の傍の河原で洗濯をしている。もう少し視線を落とすと、土と石と木と草とがひしめいている。レンガの赤茶、樹木と土の茶と緑、石畳の灰色。まばらに立ち並ぶ自然と調和した色合いの三角屋根。地面に敷物を広げた商人プレイヤーと戦士職の女性がなにか話している。宿屋を出入りするパーティ。これから狩りに出る人たちと、フィールドから帰ってきた人たち。四十八層主街区【リンダース】は、今日ものどかだ。前線はもう、ずいぶん上だもんな。
メニューウィンドウを開く。時刻表示はちょうど六時を指している。
フレンドリストを確認。やはり、灰色が目立つ。僕のアドレス帳はもう死人でいっぱいだ。友達は死んでも友達だけれど、二度と会えない、というのはやっぱり寂しい。彼らはもう戦えないのだ。だから僕は戦い続けなければ。
再びトップメニューへ。
装備フィギュアを操作すると、一瞬光に包まれて、服装がチェンジ。変身ヒーローみたい。
僕はいかにもフィールドになんか出たことありませんといった風情の安っぽい服と靴を装備して武器防具は身に着けず、高さ二十メートルほどの鐘楼の天辺からスカイダイブした。
アイ、キャン、フラーイ!
風。流線と化す風景。迫る石畳。
激突のジャスト一秒前、尖塔の壁面を思いっ切り蹴り飛ばす。
前転。回り受け身。その勢いでそのまま立ち上がる。
刹那、視界左上のHPバーを確認。点滅していない。
成功だ。圏外で同じことをしても落下ダメージは受けない。コンマゼロ一秒単位の精密な身体操作が衝撃を滑らかに分散した。
僕の人生にも今みたいな加速度が欲しい、と思う。
落ちるように、走るように。ひとつの無駄もなく、ひとつの過ちもなく、ただ、この世界を駆け抜けたい。
でも、それは無理だ。人は過ちと痛みの中でしか学べない。今の受け身だって、毎朝毎朝、同じことを繰り返して失敗しながら覚えたのだ。まだ五回に一回しか成功しない。僕はこれからあと何度過つのだろう、これまで何度過ってきたのだろう。
失ってからじゃないと、その大切さに気づけない。
そして失われてしまった大切な人に、今、僕が、できることがあるとするならば。
彼女の命日まで、あと一週間。それまでにどうにかして復讐を遂げたい。
あと一週間で、サチの仇をブチ殺す。
けれどこの一年間、レベリングを続け、システム外のプレイヤースキルを磨きながら、各層の情報屋に聞き込んだものの、未だに殺すべき相手の尻尾は掴めていない。
気持ちを入れ替え、情報と想い出を整理して、新たな手掛かりを得るために、ここらで初心に還らなければならない。あそこに行ってみよう。彼女と出会った、全てが終わって始まった、あの街に。
広場の中央に設置された、幅五メートルほどの石積みアーチは転移スポットだ。扉も格子もない代わりに、淡いブルーの神秘的な光に満たされている。駆け寄り、その水面に触れ、発声。
「転移、はじまりの街」
転移エフェクトの青白い光に包まれながら、僕は思い出す。
僕が弱かったころ。
まだ、彼女と笑えていたころ。