SAO外伝 血の盟約の下に   作:佐藤 黎曜

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 凛ちゃんの苗字は星空っていうんですよッ!!(迫真)


絶対ダメだ

 (さわ)やかな電子音楽が鳴っている。目を開くと、小窓が04:30の時刻表示を点滅させている。指でつついて閉じると、音が止む。アラームはつつがなく機能したようだ。

 

 尻が冷たい。ベッドに背を預けて、床に座り込んだまま眠ってしまったらしい。

 

 立ち上がろうとすると、「おっ……?」奥襟(おくえり)を引っ張られて尻餅(しりもち)をついてしまう。

 

 首だけで振り返って見てみれば、ベッドに横たわり胎児(たいじ)のように体を丸めて、僕の襟を掴んだまま眠る彼女の姿がある。

 

 そういえば、昨日は彼女を寝かしつけたのだっけ。彼女が眠ったら自室に帰るつもりだったのだけれど、一緒に眠ってしまったらしい。

 

 僕は両手を首の後ろに回して、彼女の指を一本一本、慎重に外して、その手をシーツの内側に差し入れてから、ゆっくりと立ち上がって、「もう少しおやすみ……」小さく声をかけた。彼女は、「マツダ君、それお父さんの下着だよ……」と寝言で返事してくれた。どんな夢だろう。

 

 部屋を出た。

 

 もう一時間もすれば彼女はまた、ろくでもない現実と相対(あいたい)することになる。

 

 せめて夢の中でくらい穏やかにあってほしかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝早くに宿を抜け出した僕は、武器を新調することにした。さすがにデスゲームで食事用のナイフは不味いと思ったのだ。

 

 (さいわ)いにして、残りのお金でギリギリ、一番安い短剣を一丁、裏手の武器屋で買うことができた。

 

 集合時間までにまだ間があったので、気分を落ち着けるために町を歩く。人が少ない。みんな宿屋に(こも)っているのだろう。たまに見かけるプレイヤーもみんな覇気(はき)のない顔で道端(みちばた)に座り込んでいる。

 

 反して、露店のNPC商人は元気だった。本物の人間よりよっぽど生き生きとした様子で、僕が前を通る度に熱心に呼び込みをかけてくる。兄さん、ボアの焼串、一本10コル、10コルだよ。戦士の門出だ、うちの武器を見ていかないか。危ない旅に、お守りはいかがかえ? よく効くよ、幸運を呼ぶよ……

 

 なんだか、いたたまれなくなる。

 

 静かなところにいきたくて、裏へ裏へと歩いてゆく。

 

 たどり着いたのは、ほとんど隙間(すきま)みたいな細い小路(こうじ)の中ほどに入口を有する、古ぼけた小さな店だった。

 

 薄暗くて、狭くて、(ほこり)っぽい店内に、なんだか呪術的な雰囲気の仮面や、置物や、首輪に腕輪、猪のはく製なんかが並んでいる。

 

 なんだか心()かれるモノがあって、ついゆっくりと眺めてしまう。

 

 ふと、ひと(きわ)、凝った造りの、牙をあしらったと思しき首飾りに僕は目を留めた。

 

 深みのある白色の、人の指ほどの大きさの小さな牙が数珠(じゅず)繋ぎになっている。触れてみる。

 

「……気に入ったかえ?」店の奥から、声。

 

 カウンター。話しかけてきたのは、店主と思しき老婆だった。

 

「ええ、上等なものですね。おいくらですか?」

 

 訊いてみてから、まずったかな、と思った。

 

 いくらって聞いても、今の僕は短剣を新調するので手持ちを使い切ってスッカラカンだ。

 

 けれども彼女は、悩ましげに首を横に振ると、「それは売り物じゃあないんだよ。死んだ息子が初めて狩った猪の牙であつらえた、記念の品でねえ……」なんて話し出した。

 

 いい終わると同時、その頭上に金色の【!】マークがパチンと立ち上がって点滅を始めた。

 

 ……お? 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 奥にいるNPCの演奏隊が、弦楽(げんがく)の陽気なBGMを響かせている。

 

 壁やテーブルに消えずに灯る燭台(しょくだい)が、(すす)けた空気を揺らめかして、かき回して、テーブルの木目(もくめ)と、ボアの焼き肉の(すじ)に不思議な陰影(いんえい)()えていた。

 

 場末(ばすえ)の居酒屋といった風情(ふぜい)のNPCレストランのテーブル席に、六人()け。配置はいつもの通り。ケイタ君が音頭(おんど)を取った。

 

「もうあの、妙な味つけの安っぽいパンとはおさらばだ!」

 

 イエーイ! とみんなで声を上げる。

 

「もう二人部屋で縮こまって眠らなくていいんだ!」

 

 イエーイ! と再び声。

 

「もう寝ぼけたダッカーに抱きつかれなくていいんだ! キスされなくていいんだ!!」

 

「え、オレそんなことしてた?!」

 

 ダッカー君の叫び声。みんなの笑い声。

 

「みんなのおかげで、はじめての狩りを生き残れました! ありがとう!!」

 

 ケイタ君が木製のでっかいジョッキを高々(たかだか)(かか)げた。

 

「初! クエスト達成を祝して!!」

 

 かんぱぁい!! と、唱和(しょうわ)して、ジョッキを打ち合わせると、ココン、と()の抜けた音がした。この世界、ガラスはないのだろうか。

 

 グイ、と(あお)ってみる。

 

 (のど)から胸をどくどくと苦みが通る。舌の上で弾ける炭酸が鼻の奥を突き抜けて()()えと脳天を(つらぬ)く。ジョッキそのものの木々(もくもく)しい風味と合わさって、独特の味わいだった。

 

 うめえ、とダッカー君が息を()き、にがぁい、と彼女が舌を出して笑った。黒エールという、真っ黒で苦々しい炭酸飲料だった。ビール、に似ていなくもない。本当にアルコールを()っているわけではないので、この世界では酔わないそうだけど。

 

 皿の上で香ばしく焼きあがって肉汁を垂らす猪の切り身を、フォークで刺して口に運ぶ。塩が効いてる。肉質は硬く筋張(すじば)っているが、()めば噛むほど旨味(うまみ)が出た。

 

 口の中が塩味(しおみ)油味(あぶらみ)でいっぱいになったら、エールの苦みと炭酸が助けてくれた。

 

 贅沢(ぜいたく)をいえば、本当は海ブドウか鶏皮(とりかわ)()げをツマミにオリオンビールが飲みたい。

 

 けどまあ、仕方ない。これも悪くない。

 

 その日の夜のことだ。

 

 街に帰って各々(おのおの)、仮眠を取ったり買い物に出たりしてから、今日のうちに打ち上げをしようという話になったのだ。

「これなんか恥ずかしい……」

 

 彼女は今、深い藍色(あいいろ)の、モコモコした毛皮のベストを羽織(はお)っている。これが服屋の報酬だった。青は、なんとなく彼女に似合うからいいけれど。

 

「僕も、もらっちゃったけど……、いいの?」

 

 僕も同じベストをアイテム(らん)に寝かせてある。毛皮と肉は多めに手に入ったので、服屋と肉屋クエストは二度続けて達成できたのだ。肉屋がくれたのは僕が今朝方新調したのと同じダガーナイフで、これも同じくアイテム欄に。あと胸元には、牙の首飾りがしっかりかかっている。筋力と敏捷(びんしょう)を1ポイントずつ上昇させてくれる優れものだ。

 

 お金と経験値はパーティに均等に割り振られたけれど、メインの報酬は僕が3つとも頂いてしまった形になる。

 

「ま、気にすんなや」

 

 ダッカー君がいった。

 

「似合うぜ、サチ。これでお前も立派なイノシシ女だ」

 

「嬉しくない?!」

 

 彼女は叫ぶ。それから、ぶう、と猪みたいにむくれる。

 

「君も着なよ、このベスト。私ひとりで恥ずかしいでしょ?」

 

「ふたりで着る方が恥ずかしいんじゃないの……」

 

「ぶうー」

 

 なんか(にら)まれた。

 

「ティジクンも。ダガーならオレももらったし、クエに使ったの、ほとんどお前のアイテムじゃんか。それにあれだよ、あの骨董屋(こっとうや)クエ!」

 

 そうなのだ。あの骨董屋はクエスト開始の起点だった。

 

 (いわ)く、今まで息子が狩ってきた猪の牙を用いた飾りが、細々と商いを行ってきたこの店の売れ筋だったのだが、先日その息子が亡くなってしまった。だから素材を用意できない。それが欲しいなら、剣士さんが自分で猪の牙を持ってきてくれるしかない。 

 

 普通、クエストを受注させてくれるNPCの頭上には、それとわかるようにあらかじめ【!】マークが浮いてるものらしいのだけれど、今回、店主のお婆ちゃんの話を聞いてみるまでこれが隠されていた。受けてみて初めてクエストとわかる、いわゆる隠しクエだ。

 

 ディアベルの手に渡ったあのダガーを売ってくれたお姉さんといい、僕はどうも隠されたイベントによほど(えん)があるらしかった。

 

「あんなんフツー絶対わかんねーって。お手柄(てがら)じゃ、褒めて(つか)わす」

 

「……どういたしまして」

 

「このクエは、しばらく毎日続けて受けようと思うんだ」

 

 ケイタ君が話を戻した。 

 

「初心者救済の措置(そち)なんだろうな。3つのクエストを同時に進行すると、効率が凄くいい。ベストはそこそこ防御力があるみたいだし、首飾りもいいものだ。全員分用意したい。ダガーは、今ティジクンとダッカーが二本ずつ持ってるヤツと被るんで、次から売って食費に()てよう」

 

 おう、賛成、と声が続いたけれど、うん、という彼女の返事は少し小さかった。

 

 僕は今日の狩りの様子を思い出す……

 

 

 

 

 

 ――――街の東側のフィールドは閑散(かんさん)としていた。地上と天蓋(てんがい)隙間(すきま)から差し込む朝日に照らされた一面の草原が風にそよいで、揺れているだけ。(いのしし)がぽつぽつ歩いているだけ。

 

 ケイタ君の狙い通り、他のプレイヤーとの争いは()けられたわけだ。

 

「よし、囲い込むぞ。サチ、ササマル。残りのみんなは周辺警戒」

 

 そして彼は慎重だった。

 

 パーティの中で、両手持ちの長柄(ながえ)武器三人――両手(こん)の自分と、両手(やり)の彼女とササマル君で、三方向から猪を囲い込み、遠間(とおま)からつつき殺したのだ。なにもできずに爆散(ばくさん)してゆく猪君が、ちょっぴり哀れに思えていた。

 

 なにかあったらすぐに助けに入ってくれ、という僕への指示はしかし、彼女を安心させるためのポーズだ。まったくその必要はなさそうだった。

 

 物足りない、という想いも、正直あった。

 

 僕と、テツオ君と、ダッカー君は、狩りをする三人の周りに三角を描くように配置されている。いつでも入れ替われるよう、いつでも周りの脅威(きょうい)に対抗できるよう。けれども結局、出番はなかった。

 

 パーティで戦闘をこなしているので、後ろで待機しているだけの僕にも、お金と経験値が加算されていくのがちょっと心苦しくもあった。だけども、昨晩の彼女の様子を(かんが)みれば、まさか、もっと強いヤツ探しに行こうぜぇ! とか叫び出すわけにもいかない。彼女が、懸命にケイタ君の指示に従って戦えていたのは、ある種の奇蹟だろう。

 

 彼女は何度も振り返ってこっちを見るので、その度に僕はだいじょうぶ、と(うなず)いてみせた。

 

 僕が守るといった手前、後ろで見ているだけというのは気が引けたけど、これがパーティ全体にとって最大の安全策だ。文句はいえなかった。

 

 

 

 

 

 ……彼女は一日でずいぶん狩りに慣れたようだったけど、きっとまだ怖いのだ。たぶんこれからも怖がり続けるのだろう。そういう性分(しょうぶん)なのだ。僕らでなんとか(はげ)ましながら、どうにかやってもらうしか、ない。

 

「サチ、だいじょうぶだよ」

 

 僕は彼女にかける言葉を探したけれど、先に口を開いたのはケイタ君だった。

 

「全然なんともなかったろ? そこの猪キラーもついててくれるし」

 

 そうだけどさ、と彼女は当たり前みたいに頷いていたけど、急に指を差されて僕は動転した。え、なに? 猪キラー?

 

殺し屋(キラー)っていうかぁ、殺戮者(ジェノサイダー)だよねぇ?」

 

 テツオ君まで、細い目をさらに(すが)めて妙なことをいう。ジェノ……、なんだって?

 

「ボク、イノシシがちょっとかわいそうになった……」

 

「いくらなんでも殺しすぎだよなー」

 

「モンスターのPopが()れ果てるんじゃないかと思ったよ」

 

 みんな口々に僕を見て(あき)れ顔になる。え、僕、そんなに殺した?

 

「確かに心強いけど……、君はちょっとはしゃぎすぎなの」

 

 彼女までが、ぶう、と(ほお)(ふく)らませて敵に回ってしまった。

 

「すぐ街に戻るって話だったのにさ、結局ひとりで何匹狩っちゃったの?」

 

「え、えーと……」

 

 僕が答えに窮していると、ササマル君が挙手した。

 

「ボク、数えてた。五十六匹」

 

「いや数えなくていいよ?!」

 

 みんなが一様(いちよう)に、うわぁ、という顔をするものだから、僕はなんだか追い詰められた気分だ。

 

 (いのしし)非好戦(ノンアクティブ)モンスターというやつで、襲われたり、近くから(にら)まれたりしない限り自分からプレイヤーを襲うことはないので無視してもよかったのだけれど、当初の予定ではそのはずだったのだけれど、なにしろ帰り道の先々(さきざき)にいるものだから、逃すのがもったいない気がして、結局ケイタ君に頼んできれいに狩らせてもらったのだ。

 

 けれど他にも理由はある。僕はいいわけした。

 

「その、最初の一匹を刺したとき、変な感じがしたから、ちゃんと確かめたくて……」

 

「変な感じ?」

 

 ケイタ君が怪訝そうに訊ねた。

 

「えっと、なんか力が上手く刃先(はさき)まで(とお)らないっていうか、散ってるっていうか……」

 

「でもお前……、んぐっんぐっ……」

 

 ダッカー君が肉を(のど)に詰まらせた。

 

 ササマル君が彼にジョッキを寄せてあげた。

 

 飲む。

 

「んぐっ、ぷはぁ! よくわかんねーけど、ちゃんと倒せてんだからいいだろ。オレ、レベル2になってっけど、それでも一撃で殺し損ねるぜ? お前、レベルいくつよ」

 

「クエストのボーナス経験値と合わせて、2に上がったけど……、あ、でも違和感があったときはまだ1だったよ」

 

「狙いか……? それとも重さか……? なんでオレ、うまくいかねんだろな……」

 

 ダッカー君もあれから十匹ほどひとりで狩っていたけれど、一撃で倒せたのは最初の一度だけだった。それも、僕が投げナイフで(けず)ったダメージと合わせての一撃だ。そのまま腕組みして思案に(ふけ)ってしまう彼を、まあ、飲もうよ、とササマル君が(はげ)ました。

 

「ティジクンはぁ、リアルで格闘家だったから、向こうの感覚が尾を引いて、まだアバターに慣れてないだけだよ、きっと。それより気になったんだけど、あのNPC、クエスト達成のときさ……」

 

「ああ、そういえば変なこといってたね」

 

 話題が()らせそうだったので、僕はテツオ君の話に少し大げさに食いついた。

 

「黒い猪がどうとか」

 

「ボク覚えてる。肉屋のおっちゃんは、『黒いヤツは油がノッててうまいんだがなあ、さすがに見つからねえか』で、服屋のお姉さんは、『そろそろ黒猪の毛皮もほしいんだけど、珍しいのよねえ』って」

 

 ササマル君が妙に似ているモノマネで再現してくれた。

 

「僕もその話、クエスト受けるときに骨董屋のお婆ちゃんに聞いたんだ。なんでも、息子さんを殺したのがまさにその、一帯の(ぬし)の黒猪なんだって」

 

「でもクエストそのものは達成できてるんだよねぇ、報酬ももらえたし」

 

「連続クエならわかっけど、単発できっちり終わったしなー」

 

「黒猪のぉ、肉と毛皮があるかどうかで、報酬の内容が違うのかな」

 

「でも黒いのなんて見たことねーぞ? レア敵か?」

 

「特殊な出現条件があるのかもねえ。場所とか、時間とか……。ティジクン、お婆ちゃんから他になにか聞いてない?」

 

「えっと、特には……、あ、待って。そういえば息子さんが最期に狩りに出たのは真夜中だっていってた。夜行性なのかも」

 

「じゃあさ」

 

 と、前にのめって食いついたのはダッカー君だ。

 

「今度は夜に狩りに出てみよ…」

 

 どごん、という重く(かわ)いた打撃音が言葉を(さえぎ)った。

 

 ケイタ君が、ジョッキの底をテーブルに打ちつける音だった。

 

「ダメだ」

 

 僕らを()()めて固めたその声が、彼のものだとは信じられなかった。

 

「絶対ダメだ」

 

 ギラついた彼の目が、時間を射貫(いつらぬ)いて止めた。

 

 誰も動けなかった。縮み上がって変なリズムで鼓動(こどう)する心臓だけがかろうじて時を刻んでいて、あとはなにもかも静止していた。

 

 一瞬か、数分か。

 

 ともかく、再び時間を動かしたのは、「ご、ごめん……」と、我に返ったらしいケイタ君の、彼自身の声だった。彼は急に肩を丸めて頭を()せて、(おび)えたようにこちらを上目に(うかが)った。

 

 僕は昨晩の彼女を思い出した。幼馴染ってこんなところまで似るものなのか。

 

 ごめん、とケイタ君はもう一度小さな声で、謝罪を繰り返した。

 

「あ、いや、悪ィ……、悪かったよ……」

 

 ダッカー君が返した。

 

「別に危ないことしようなんて思ってねーから、でぇじょーぶだよ。ちゃんとみんなで相談して決めるし、お前がダメだっていうなら無茶しねーし。もっとレベルが上がって、装備もよくして、余裕が出てきたらって話。それに、別に黒猪(くろいのしし)にこだわらなくてもよくって、ただ、生き残るにしてもさ、目標みたいなのが、あった方がいいんじゃねーのかって……」

 

 ひと呼吸挟んで、ダッカー君はやや(うつむ)き、テーブルに言葉を落とした。

 

「その、いつまでこの世界にいるのか、わかんねーんだしさ……」

 

 いつまで。

 

 それは僕らにとって、切実な問題であるはずだった。

 

 なんだかもう当たり前みたいに宿で眠って、飯を食って、狩りにいって、今じゃ酒まで飲んでいるけど、僕にも彼らにも、ここに来るまでにそれぞれの生活があった。学校、仕事、将来、家族に友人。全部を向こうに置き去って、いつまで宙ぶらりんでいればいいのか。

 

 このままではデジタルの猪と酒だけが僕らのすべてになってしまう。

 

 仮初の世界を生きるための、()って立つ(しるべ)があるべきなのかもしれない。

 

「目標、か。そうだな……」

 

 重苦しい空気の中、ケイタ君がそんな言葉を(しぼ)り出した。

 

「あった方が、いいかもな……」

 

絶対(ぜって)ぇそうだよ。な、オレたちならなんとかなるって。そんなナーバスになることねーよ。つーわけで、目標! なんか目標みんなで考えようぜ。あ、もちろん危ないのはナシな」

 

 パンパン、とダッカー君が手を叩いて、みんなを見渡すと、空気が軽くなった。遠ざかっていた陽気な店内BGMが、また意識に届くようになる。

 

 みんな口々に己が目標らしきものを口にする。

 

「んぅー、この酒場のメニューを制覇してみるとか、かなぁ」「制覇してどうすんだよ」「やり遂げたぁ、て感じにならない?」「おいしい」「いやおいしいけどさ……」「みんなで貯金しない?」「パーティ共通の財布があればいいんだけど、ギルド組まないとちょっとな……、結成クエはまだ先だろたぶん」「そっか……」「この街のマップ、歩き回って全部()める」「もうほとんど埋まってんじゃん? 昨日と一昨日(おとつい)の情報収集でさ」「マップデータみんなで交換してみようか」「……埋まったな。あっさり」「正拳突き、一日千本とか」「なんで?!」「鍛錬(たんれん)?」「なんの?!」「稽古は切に、克己(こっき)の道……突け、巻き(わら)を突け!!」「知らねーよ!?」「じゃあボク、イッキします」「それ目標ちがうだろ宴会(えんかい)芸だろ」「もういいだろ飲め飲め!!」

 

 やんややんやで(うたげ)もたけなわ。なんだかだんだん、誰がなにをいってるのかわからなくなる。アルコールも入ってないのにすっかりみんな、空気に酔ってる。目標の話はいつの間にやら、エールの(あわ)と弾けて消えた。

 

 結局、僕は彼女の強い希望で猪ベストを並んで着て、その上、チュートリアル前に見せた、ボアの顔真似も披露(ひろう)させられた。ウケたからいいけどさ。

 

 正直、とても楽しかった。先行きは不安だけれど、今はこれでいい気がした。

 

 けれども、みんなで宿に帰ろうと、連れ立って店を出るその瞬間、僕はそれを見てしまう。

 

 嫌な胸騒ぎを感じて、出入口を出ようとする前、店内を振り返ったのだ。

 

 悪魔か死神。そう見えた。

 

 カウンター席の(すみ)っこで、闇の(かたまり)が燃えていた。燭台(しょくだい)の火に(つや)めく、雨合羽(あまがっぱ)めいた真っ黒い不気味な衣装に身を包んだ何者かが、こちらに背を向けて座っていた。僕の視線に気づいたか、そいつはゆっくり振り返り、すっぽり(かぶ)ったフードの下から、その顔を――――

 

「ねえ、どうしたの?」

 

 傍らの彼女に声をかけられて我に返った。

 

 他のみんなはもう店を出ている。

 

「ああ、いや、ちょっとぼうっとしてて……」

 

「寝不足、だもんね? 今日は早めに寝た方がいいよ。君、その……、あれから眠ってないんでしょ? 私はちょっと、宿に帰ってからお昼寝しちゃったけど」

 

「そうだね……、そうするよ」

 

 彼女に(そで)を引かれて今度こそ店を出る前、もう一度、振り返った。

 

 いない。

 

 

 

 

「あのさ……」

 

 帰りの道すがら、ふと、彼女に呼びかける。

 

 他のみんなは、にぎやかに騒ぎながらずいぶん先を歩いている。

 

「なあに?」

 

「今日、寝るときさ、子守唄お願いしていい……?」

 

「へっ? あ……うん……」

 

 彼女は俯く。

 

「いいけど、急にどうしたの……?」

 

「うなされそうなんだ」

 

 空を(あお)ぐ。

 

 闇に浮かぶ岩石の天蓋(てんがい)が、僕らの未来を(さえぎ)っていた。

 

 僕らが腹の奥底に沈めた不安は、どろどろぐねぐね()り固まって、そのうち、確かな実態と脅威(きょうい)をとって、いつかその姿を現す。そんな気がしてならなかった。

 




 かなり増改稿が入ってますにゃー。

 ここからほとんど書き下ろしのホヤホヤにゃー。 

 いつも読んでくれてありがとにゃー (>_<)/☆
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