「あそこだ……!」呟く。
「なんだって?! どこだ?!」
並走するケイタ君からすぐさま問いが返る。
僕らは街の東の大門を出て、真夜中の草原を北東方向へぶっちぎっていた。
「例の
「なんの?!」
「イノシシ! 黒いの! デカいの!! ハナシ聞いた感じ、ひとりで勝てる相手じゃないッ!!」
「……ササマル! マップ追跡どうなってる!?」
気が
「たぶん間違いない! 沼地に向かってる! アイツ
間に合わない。間に合わないと、どうなるのか。
「みんなッ! 後ろからなにか来てる!!」
僕が最悪の想像を巡らせかけたとき、後続のテツオ君が叫んだ。
振り返る。鬼火のような赤い光が、小刻みに上下しながら迫ってくる。五体の怪物の放つ五対の目だった。
遠目の影はイノシシのように見える。ただ、フレンジーボアはあんなに速くないし、自分から人を襲ったりしないはずだった。
「あいつら、こんなに離れてるのに、僕らのことを追ってくるのか……?!」
僕が疑問を
「振り切れないぞ! どうする?!」「……僕とお前で抑える!! ティジクン、ササマル! 先にいけ!!」
「……わかった!」叫び返して駆け、無言でスピードを上げるササマル君に並ぶ。
けれどもやがて、風を切る音に混じって、重くリズミカルな足音が迫ってくるのを聞いた。速度を落とさず
四時の方角。イノシシが二匹。そしてまた別の方角からまた一匹、合流して一団となって追ってくる。いつものフレンジーボアだが、様子が違う。レベル1の彼女でも拮抗できる程度の速さのはずなのに、今のあいつらは、現在レベル3でボーナスを敏捷値にもバランスよく割り振った僕より速い。赤い目が
「あいつら、あのふたりの脇を抜けてきた……?!」思わず、疑問が口を
「……!! こいつらダッカーのところにいくつもりなんだ!」
「なんだって?!」
「このクエ完全に地雷だ! フラグ踏んだんだよダッカーが!! たぶんフィールド中から親玉のとこにイノシシが集まってる!!」
そしてその道中、巣へと向かう者がいれば襲いかかるということか。
「今アイツが何匹相手にしてるのかわかんないけど増えたらマズいよひとりじゃあ!!」
「迎え討つッ?!」
「ボクはこいつらをやってからいく! 先いって! 君が一番強いから!!」
「……わかった!」
イノシシとの距離が詰まっている。5メートル、4メートル、3メートル……、僕はタスキ
前傾。加速。
前にも後ろにも隣にも、もう誰もいなかった。視界左上のHPバーは、仲間と別れるたびに本数を減らして、今は僕自身の一本きりだ。けれども孤独はない。きっとこの背に願いを受けたからだ。この役を果たすべく、前へ前へ前へ前へ。
足場の感触が柔らかさと湿り気を増してゆく。草の背が高くなり視界の果てが
どこだ。確かこの辺りだ。もっと東か……?!
昼間と違って、草地とむき出しの土の色が判別できない。前は草の隙間から暗い茶色が大きく広がっているのが見えたのだが、こうも暗いとどうしようもない。どうする。僕はダッカー君とフレンド登録を済ませていない。マップじゃ追えない。
そのとき再び、
駆ける。追う。
けれども遠くを走っていたイノシシの影が二匹、続けざまに突然消えた。
見間違い? 草が風で揺れているだけだった? まさか。
疑問を確かめるべく、奴らが消えた方へとそのまま駆けた。速度を落とせば、それだけダッカー君の
「なんだ……?! ど、こぉおおおおおおおおおおおおおおおおお?!」
そして突然、足場が消えた。
飛んでいる。宙に投げ出されて風を切って、凄まじい勢いで飛翔している。いや、落ちているのか。大きくへこんだ窪地の外周から知らず、飛び降りてしまったのだと悟る。斜めの傾斜を滑空している。すぐ下にある柔い土がむき出しの地面はけれど、とんでもない速さで後ろに流れてゆくばかりで、いつまで経っても足が着かない。落ち着け、下を見るな、全体を広く見通せ。宙に投げ出されたまま状況の把握に努める。地形は? 敵の数は? そしてダッカー君と、老婆の息子を
隕石直撃後のクレーターのみたいな、円い窪地だ。直径は100と50メートルほど。外周から中心に向かって凹んでいる。ところどころにある草の
また足音がする。僕の左右を一匹ずつ駆けているのは、牙が
僕の視線を敵意と取ったか、両脇から距離を詰めて順番に突進してくる。
同時、僕の足が地に着いた。角度が急なのは縁の近くだけだったらしい。三段跳びの要領で、タン、タン、と地面を蹴り飛ばし、加速。両サイドから僕に向けて斜めに突進してきた二匹を
ようやく状況が掴めてきた。このフィールドは、やばすぎる。目についただけで50匹はいる。そしてそのうち三割ほどが、ただのボアより高い能力を備えた黒いやつだ。そこいらじゅうを走っていて、しかも時折、外周からさらに駆け下りてきて、着実に数を増やしている。そして、中心に向けて走る僕から見て10時方向、外周近くでそれは起こっていた。なにかの儀式のように輪になって走り、直径25メートルほどの円を描くイノシシの一団があった。駆け寄ってきたイノシシが輪に加わってゆき、その円周はどんどん広がっているようだった。そして中心に、観光客送迎用のワゴン車みたいに馬鹿でかい影がある。アレだ。
斜め前から順繰りに突進してくる三匹をタイミングを計って跳んで躱し、正面から突っ込んでくる奴の
「ダッカァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァアアアアアッ!!」
奇跡のタイミング。同じことをもう一度やれといわれたら絶対不可能な一撃だった。彼の背に衝突寸前のそいつの首元に、
ただのボアとは違うとばかりの重たい足応えを、それでも思い切り蹴り抜くと、黒いのは
「ウォオオオオッ!!」と、
どっずうん……!! と、すぐ後ろから。
腹に響いて背筋を凍らせる爆音と共に、特撮のスタントみたいに吹き上がってきた土砂が一瞬、視界を覆った。
土煙を抜けると、ダッカー君はもうずっと向こうの方を走っていた。ずっと向こうの方から、彼は叫んだ。
「逃げろ、バカァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」
「ハァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?」
獣たちの環の内側をふたりでグルグルグルグル駆け回りながら叫び合う。イノシシは環から僕らに向けてピンボールかなんかみたいにポンポン飛び出てきて突進をしかけてきては、再び環に還ってゆく。絶え間なく突っ込んでくるのをとにかく走りながら躱す躱す躱す。バカでもわかる。足を止めたら死ぬ。全方位からこられるからだ。直線軌道で真後ろから追われるのもまずい。背中に目はついていないのだ。緩いカーブを描きながら走って、追い込まれないように避け続けなければならない。跳びかかってくる瞬間に合わせて上手くこちらも跳ばないと、躱し損ねてえらいことになるのは目に見えていた。このタイミングがまたシビアである。こっちが早く跳ぶと向こうは進路を変更して着地の瞬間を狙ってくる。跳ぶのが遅れるとそのままズドンだ。正面からの一対一なら余裕で見切れる突進も、こんなふうに全力疾走しながらあちこちからくるのを連続で躱し続ける自信は正直ない。そして一度でも直撃を喰らえば、後続に死ぬまで連続で
「テメェのステだと、こいつら避けンのギリギリだろォがーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」
いやその通りだけどサァ! なんで偉そうなのあいつ!!
「知るかヨォ?! ひとりで先走ってなにしてくれてんだ逃げるぞ早ぁーーーーーーーーくっ!!」
「逃げらンねェーンだよォーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーオッ!!」
「なんでサァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーあっ!?」
「周りのッ!! ぐるぐる走ってるヤツ!! オレに合わせて動きやがんだよォッ!! 抜けらンねェえええええええええーーーーーーーーッ!!」
「草地まで戻れないのぉーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ?!」
「上ッ!! 見ろォーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーオ!!」
走りながらちらりと流し見た。窪地の
「どーすんのサこれぇーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーえっ?!」
「だからテメェ逃げろッつッてンだろォーーーーーーーーーーーーーーーーーオッ?!」
「逃げられっかバカぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
「ンアんでだよォオーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」
僕と彼の走る軌道が交差した。ちょうど環の中心あたり。このままだと正面衝突。僕は多数のイノシシを引き連れている。彼は多数のイノシシを引き連れている。「右に跳べ右ィ!!」「ちょ、うぉおおお?!」空中。ほんとにスレスレで擦れ違う。
瞬間、いくつもの重たい衝突音と、イノシシの鳴き声が重なった。
僕とダッカー君がそれぞれ引き連れてきたイノシシが、ぐっちゃぐちゃの軌道で互いにぶつかり合ってひっくり返っていた。十数匹が
それが災いした。
しっかり電子の世界に再現されたニュートン力学は、宙での方向転換を許さず、僕の
「ヤァーーーーーーーーーーーーーーッ!!」
牙に突き上げられるまさにその刹那、気勢と共にどん、と真横から衝撃。地に叩きつけられてもう一度衝撃。そのまま何者かに抱きすくめられながら転がる。地面、空、地面、空、地面、空、止まった。ササマル君だ。「ごめん、待った?」「待ってた! あ、ヤバい起きて起きて起きて走って!!」
さっきと同じだ。親玉が突っ込んでくる。駆け出した直後、背後から爆音。ササマル君の敏捷値はどうやら僕と同じかやや低い程度で、無理なく併走できた。僕は後ろを気にしながら、戦いで得た情報を伝えるべく叫んだ。
「環からっ! 飛び出してくるやつに気を取られて!! 足を止めると親玉が突っ込んでくるッ!!」
「そっか! ねえ、タゲがダッカーから君と僕に移ったんじゃない?!」ササマル君は笑った。
「タゲってなんだっけ?!」
「ターゲット!! 標的!!」
確認。巨大な影が、僕らを正面に捉え続けるよう、身体をゆっくりとその場で回転させているのが見えた。
「……それ喜んでいいの?! ってヤバい、せーので
僕は右に、ササマル君は指示に従って左に跳んだ。後ろでイノシシが互いに衝突して転がるのが音と鳴き声でわかった。
「ところでダッカー君はっ?」
「ここだよォ!」後ろから追い上げてきた彼が、距離をおいて僕の右に並んだ。「お前らなにしてんだよ! 親玉にタゲられたら逃げらンねェの! バカなの?! 死ぬの?!」「死にそうだったのお前じゃないサネ?!」「オレがトチったからオレが死ぬンだ!! お前らだけなら逃げられたのに!!」「やっほーダッカー元気そうでなにより!!」「ササマルテメェもなにノンキに挨拶して―――、おいお前ら後ろ後ろ!」わかってる。跳んで
「ドロボーーーーーーーーーーーーーーー?!」僕は叫び、「アハッハハッハハハハハハ!!」どういうわけかササマル君が笑った。さっきから彼は楽しそうだ。おかしくなってんじゃないの?!
「楽しそうだね君!?」
「ダッカーの無事がわかって嬉しいんだ!」
「無事っていうのかこれ?! ……せーのっ!」跳んだ。
「っと! 見てよアレ! ダッカー! 元気そうだ! HPも減ってないし!!」
彼方。彼が走りながら親玉に向けてさっそく一本、投げつけるのが見えた。銀の尾を引いて巨大な影の鼻面へと向かったナイフは、けれども頭部から生えた
「ほら、せーのっ」「うおっ?!」ササマル君の声に、慌てて跳んだ。それからもう一度ダッカー君と親玉の方を見る。どんな攻撃があったのかわかりかねるけれど、とにかく
「あの感じならダッカーはだいじょうぶ! プレイヤーが増えてタゲが散ってるんだよ! ひとりに一度に襲いかかってくる数が減ってるんだ!」
「でもこれからどうするのサ?! あの親玉どうやって倒すの?!」
「ぷっ――――あははは!」
「なんか僕おかしいこといった?!」
「倒せると思う?!」
「まあ、倒せるようにはできてるんじゃないの?! 倒さないと出られないんだから! ……二匹ずつくるよっ。せーの、いち、にっ!」
「アイサッサっと! ……ねえ、さっきイノシシがいっぱいひっくり返ってたのどうやったの?!」
「僕とダッカー君がすれ違ったとき、それぞれ引き連れてたのがぶつかったんだよ! ドカドカって!!」
「トレインして誘導するってことでいいの?!」
「えっと、たぶんそう!」
「ボクと、君とで! もう一回できる?!」
確認。環は、その輪郭を形作る獣が数を増やしたせいか、それとも中にいるプレイヤーが増えたせいか、その大きさはもう倍以上にも膨れ上がっていた。これなら、内側を無理なく全速で走れそうだ。
「……やってみよう! 環の真ん中でぶつける! 別れるよっ!」
「アイサ!」
僕は後ろからくる突進を二度続けて躱してから、靴底で柔い土をごしゅうぅう、と削りながら急ブレーキ、「よーい……」しつつ180度の転身。直後、正面から突っ込んでくる三匹をギリのギリまで引きつけて、「どんっ!!」ジグザグのスタートダッシュを決めて躱す。そして右回りに回る獣たちの環の内周を、その回転に対して瞬間的に逆走した。
環から飛び出してきて、ほとんど正面衝突に近い軌道で突っ込んでくる獣たちを寸で見切って跳んで躱し、僕の足が最高速に達する前、再び急カーブでUターン。「こっちだよっ!」もう一度、右回り。今度こそ全力で加速。
多数のイノシシを引き連れて疾走する。環の反対側をササマル君が同じように走っているのが見えた。よし、7、8匹ずつ連れていける!
「ササマル! いっくぞぉーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
「アイッ、アイッ、サァーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
右に全力でカーブ、弧を描いて交わる軌道。「せーのでいくぞっ!」僕らの距離が急速に近づく。いける。「せーー……」、異変。視界左から、あの馬鹿でかいのが突っ込んでくる。「NOォオオオオオオオオオォオオオオオオオオオオ?!」90度、直角に軌道が交差し、衝突する絶妙のタイミング。
前にもこんなことがあったなあと思った。すべてはスローに感じられた。左半身を、その丸太みたいな鼻先から乗り上げ、客船のアンカーみたいな右の牙に後頭部をぶつけ、額までを転がって、宙に浮き上がりざま、左の肩を棒状のなにかに打ちつけた。そのまま全身で
ゆっくりと回転する天地。視界の左上で右端から中身を減らしてゆく緑の棒線が、二本。それぞれ【Tigikun】と【Sasamaru】の名前を冠している。減る、減る、中身が減る。水が土にゆっくりと
あ、これ、死――――
死ぬ。(筆者が)
なにもかもダッカーのせいだ……!