この主人公、全然筆者のいうこと聞かない(泣)
――――セミの声が聞こえる。
日に焼けたアスファルトの熱を背中と後頭部に感じる。ブルーの水性絵の具をぶちまけたみたいな空に太陽。眩しくて目を細めた。
ふと、光が遮られる。
「だいじょうぶっ? わたしのいってることわかるっ? 返事して!」
白いワンピース姿の女性だった。彼女は、ええと、誰だったっけ。きれいな顔をとても恐ろしげに歪めて、必死にこちらに呼びかけてくる。
「……うん」と、とりあえず返す。
僕はどうしてこんなところに横たわっているのだろうか。
ふと、別のシルエットが近づいてきた。それから、その子が、その子が、いきなり上から降ってきて、と、ひどく
「君、
轢かれた。そうだ、車。坂から転げ落ちて、それで、跳ね飛ばされたのだ。その事実に思い当たって、
「どうしたのっ? どこか痛い?!」
問われてはじめて、急に、ずきん、と。その痛みに思い当たった。
「いたい……」
「痛いの!? どこ?!」
「かた……」
「頭はだいじょうぶ? へいき?」
なんで頭の心配なんかするんだろう。痛いのは肩だ。
「ひだり、かた、いたい……」
「そう、肩が痛いのね? それで、頭は? 打たなかった?」
「あたま……、わかんない……」ぼうっとする。現実感がない。
また、男の人の声。住所が、住所が、わからなくて、「電柱ッ!!」再び彼女が叫ぶ。また、こっちに声をかけてくる。
「どこか
「うん……、でも、かたいたいの……」
「そっか……」と、彼女はひとまず安心したように息を
泣きそうな僕を、でも彼女はこういって励ました。
「生きてる証拠よ、なんくるないさ」
そっと僕の
「そっちじゃないよ、ネエネェ……」
「こっちじゃないの? 違う?」彼女は
違う。そうだ。
急速に頭が
「ごめんなさい。僕、いかないと」
「どうしたの? まだ寝てないと……」
僕が上体を起こすと、彼女はびっくりしたように身を引いた。同時にあたりを包んでいた熱気が薄らぎ、景色は
「……そっか、君、生きてるんだね」彼女は軽く目を伏せって、小さく笑った。
「はい、まだ一応。だから今、思い出の中で死ぬわけにはいかないんです。……ほんとに死んじゃったら、また来ます」
「うん、気長に待ってる。いってらっしゃい」
「ええ、いってきます」彼女に背を向けた。
開けた木々の向こうの空はそのまま映画のスクリーンのように、跳ね飛ばされて回転しながら空を舞う僕の姿を、千分の一倍速のスローで映していた。
僕は走り、地を蹴って、その空へ飛び込んだ。
そして時が動きだす。世界が回りだす。ほんとうに回っていた。
ぐるぐる回転する世界をひどくゆっくりと感じる。ぐる。遥か遠くに、円を描いて廻るイノシシたち。ぐる。真下に僕を跳ね飛ばした親玉。今更だけど、ほんとうにデカい。まずササマル君が、それから何匹ものイノシシが順番にその両の脇腹へと突っ込んでいった。ぐるり。親玉はボディを打たれて悶絶したのか、四つの足を折って腹で地を裂くように滑ってゆく。土煙が吹き上がる。ぐるん。様々な角度で回転しながらひっくり返ってゆくイノシシたち。ぐるん。吹き飛ばされるササマル君が地表に対して斜めに錐揉み回転しながら、ゆっくりと放物線を描いて落下しようとしているのが確かめられた。ぐるり。ゆっくりと回る世界の中で、HPバーだけが視界の左上でかっちりと固定されていて、極めて遅々とした速度で減少を続けている。攻撃を受けてから、実際に受けたダメージ分の数値がなくなりきるまでには、どうやら
あらゆる音は消えている。が、なにか叫んだ気がする。
地表に対して真横に倒れたまま回転する身体。背中越しに、右の足裏を地に叩きつけた。だがそれだけで勢いを殺しきれない。右足を地に残し、再び上体を右に返す。さらに左に返す。その反作用で、めいっぱい開いた左足をつま先で大きな円を描くように廻し込んで、地に叩きつける。背中を
着地、完了。真っ向を見据える。こちらに背を向けて腰をついているササマル君を確認。すぐには起きられそうにない。彼に向かって突進し飛びかかろうとするイノシシが一体。黒いやつだ。が、
左、右、と、
続けて三匹。右から迫る青いやつを、
僕はさらにその場に留まり、全方位から飛びかかってくるイノシシを殺し続けた。転身、刺す、転身、突く、転身、投げて転がして突き下ろす、転身、投げたナイフを追いかけて突っ込んで突く。転身、逸らして他のやつにぶつけて二本同時に突き下ろしてまとめて殺す。転身、殺す。転身、殺す。転身、殺す。転身、殺す。転身、殺す。転身、殺す、転身、殺す、転身殺す転身殺す転身殺す。転身。見た。やつだ。
彼我の距離は10メートル、真っ
僕に向けて
――――そんなわけなかった。
このときの僕はどうかしていた。奇跡の時間は唐突に終わる。遠くで親玉が前足で地を
重力が完全におかしかった。実際におかしいのは僕の頭の中なんだろうけど、ええと、これ、どうすればいいんだろう。このまま寝てたら寝違えそうな角度で曲がった首。右頬は土に押し付けられている。うつ伏せに倒れた僕の身体の全面を圧迫している地面は、まるでそり立つ壁のように感じられた。90度、傾いでしまった世界で、そり立つ壁をすごく大きな影が駆けてきているのが暗い視界に映った。あれ、なんだっけ。僕はなにをしようとしていたんだっけ。このままだと、あの大きいの、僕のところにくるな。そうすると……、どうなるんだろう。
まあ、いいや。なんかもう眠いよ。
ゆっくりと
あれ、なんだろう。流れ星みたいにきれいだな。
目を凝らそうとしたそのとき、視界が塞がれた。目を閉じたからじゃなく、そんな平穏な理由じゃなく、僕はごしゅごしゅと顔面で地を擦っていた。なんでそんなことになってるのかというと、僕はどうやら両足を何者かに引っ張られて引きずられているらしかった。「ごふっ、ごふっ!? ごっ?!」腹から滑って落ちる。ガサガサとたくさんのなにかが擦れる音。一瞬の浮遊感。足が底について、重力が戻る。我に返る。僕は枯れ草のたくさん詰まった穴倉のような場所に引きずり込まれたらしかった。身体の前面が温かい。柔らかい。互いの鼻がくっつく距離で、
「ナァ、いちゃこいてるとこ悪いんだが、上向け、カンフーマスター」鼻にかかった女の声が降ってくる。なんとなく上を向く。「んごっ?!」硬くて長くて冷たいなにかを口に突っ込まれて、その先端から喉に苦々しい液体が流れ込んでくる。飲んでしまう。
「回復potナ。後でお代にここのクエ情報もらうヨ。で、それ飲みながら聞け。ここはイノシシの寝床って設定らしい。一時的な退避エリアとして使える。近くであのデカブツがボディプレスかますと崩れちまうんだが、お仲間がみんなしてタゲ取ってっカラ、まあだいじょうぶダロ。しっかり回復シロ」
僕は彼女を抱いた両手を上手いこと放せないまま、回復ポーションを踊り食い……、否、踊り飲みしつつ、彼女の話を聞いていた。暗いし、引き下げられたフードのせいで顔がよく見えないが、頬に左右三本ずつ、ネズミみたいなヒゲのペイントがあるのがわかった。それから、肩からわずかに覗く、金の巻き毛。
「お前さんが助けに入った槍遣いナラ、回復済ませて復帰シタ。オレッチのおかげでな」
そうだった。そもそもが僕はササマル君を助けに入ったのだ。なんだか前後の記憶が
「で、HP真っ赤にしたまま無茶な戦い方を続けるお前さんから、なんとかザコどものタゲを取り返して、回復する隙を作ろうとお仲間、だいぶ
彼女は彼女じゃないんだけど。あれ? 禅問答みたいになってしまった。勝手に恋人にされて怒ってないかな、と視線を下にやるが、彼女は僕の肩口に頭を
ひとまず飲み終わった。空ビンを上に吐き出す。
「ぷはっ。それは、どうも、ありがとうございます。……ヘイトってなんでしたっけ」
「憎悪値。プログラムに組み込まれた
「すんません、なんかボウっとしちゃって。それで、仲間はみんな無事なんですね? ええと……」
「ああ。ランサーと、メイサーと、スタッファーと、ナイファーと、……オイオイ、なんダあの女、すげーナ」
ケイタ君とテツオ君もきてる。でも……
「女、ですか?」彼女はここだ。
「仲間じゃないのカ? アイツいなかったら、お前さんの離脱、失敗したかも知れんゾ? 」
「それじゃ、お礼がてら、助けに入んないと」
登ろうとする。視界左上、HPゲージはほぼ満タンになっていた。
「マァ待てヨ」頭を押し戻される。「まず作戦だ。お前さん、あの親玉の攻略法に心当たりないカ?」
「攻略法っていっても、ええと、トレインしてぶつけるやつ。さっき横腹にぶつけたときは……」
「却下ダ。タイミングがシビア過ぎる。さっきお前らがやったあれは偶然ダ。少なくとも運営が想定した攻略法じゃナイ。あのときあのデカブツ、スッ転んでからたったの二秒ぽっちでもう元気に動いてやがったゾ。リスクとリターンが釣り合わん」
「えっと、じゃあ雑魚同士をぶつけるのは? 雑魚が大勢転がってるときは、あのデカいの、気を遣って突っ込んでこないみたいなんです」
「根本的な解決にならんナ。雑魚が転がってるときは、親玉は気を遣って突っ込んでこナイようだから、ブレイクポイントぐらいにはなるが、連中どうやら無限湧きダ。潰したところでキリねぇゾ」
「えっと、デカいやつ、攻撃の前後に、隙とかありませんか」
「確認できナイ。突進は躱すとそのまま後ろまで走り抜けちまう。あの大きさ、速さ、カラーカーソルの色合いから見て、正面からソードスキルでの迎撃は不可能ダ。それからボディプレスはな、潰されっともちろんヤバいが、一瞬、土煙で視界が塞がる上に、近くで衝撃を喰らうと、
「えっと、他に、牙が光る攻撃ありませんでした?」
「牙の突き上げダナ。確かに、首を上に振り抜いたあと、技後硬直があった。ほんの2秒くらい。ただその隙突いてアタックしても、ダメージ量のタカは知れてる。短い隙に無理してしかけても、かえって危ない。アイツちょっとやそっとじゃ
「弱点とかですか」
「ああ、あのテのデカブツには普通、技の前後に大きな
「えっと……、取り囲んで、交代で気を引きながら、横とか後ろからとかちょっとずつ攻撃できませんか」
「ああそうダナ、どうやら正面に密着すると牙の突き上げをカマしてくる確率が高いみたいだカラ、オマエのお仲間もさっきからそうして、短い隙を突いてギリギリのところでダメージ
「……なら、なんとか今の条件で頑張るしかないんじゃないんですか」
「危なすぎる。女フェンサーはかなりの
「な、なんですか」
「いわんこっちゃネェ、親玉の攻撃パターンが変わっタ!!」
僕は穴倉から飛び出した。
お、終わらない……、パンティ……(錯乱)