SAO外伝 血の盟約の下に   作:佐藤 黎曜

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 キャーディアベルサーン

 




悪魔の囁き

 ことの起こりは二時間前。よし、まずは得物(えもの)の調達だと、表通りの、人でごった返した武器屋の品(ぞろ)えと、値段設定を確認して、僕の中にひとつの直感が働いた。

 

 あ、これ()りだ。

 

 僕は現実の故郷を思い出す。

 

 宿泊施設や観光地にほど近い大通りに(のき)(つら)ねる土産物(みやげもの)屋は、罠だ。トラップだ。ほとんどぼったくりだ。根気強く歩き回り、裏路地をいくつも(また)いで通り抜け、あるボーダーを超えると、小物も食事も、突然値段が三分の一ほどになる。本当に安く良質な()り出し物は、地元の人間の生活に根づいたところ、そう簡単には見つからないところにある。

 

 よし、探索(たんさく)だ!

 

 公式ホームページによると、このゲームの舞台である空飛ぶ鉄の城アインクラッドは、全部で百枚の円盤が支柱に支えられて重なった、巨大な先細りの円錐(えんすい)形をしている。なので、一番下の基部フロアである第一層が最も広い。

 

 その南端(なんたん)に半円を描くように、城壁に囲われた町がある。ゲーム開始地点、【はじまりの街】だ。

 

 全面石畳(いしだたみ)で、建物の多くも重厚(じゅうこう)な石造り。いかにもファンタジー然としたこの街は、先ほど僕が降り立った中央広場から放射状に道が広がっているという、一見してわかりやすい造りになっている。でもなにしろすっごい広いし、この世界に存在し()るあらゆる施設がゴッチャリ詰まっているし、細く暗い小路(こうじ)もずいぶんあってアミダみたいになってるし、狭い道の建物はどれも同じような石造りで景色に変わり()えがないし、要するにあれだ。

 

「……迷った?」

 

 迷ったのならマップを見ればいいじゃない、という発想は、このときの僕にはまだなかった。

 

 不安のせいか、なんだか足元も(おぼ)つかない。立っていても歩いていても奇妙な浮遊感がつきまとう。何もない平地で何度か蹴躓(けつまづ)いてしまった。

 

 どうしよう、と、僕は暗くて狭くて人通りのない小路を見回す。

 

 一度どこかの大通りに出れば、この町のシンボルである大きな黒光りする宮殿が目に入るので、そこを目指して歩けば中央広場には戻れるはずだ。仕切り直すか。

 

「ふう……」

 

 肉体的な疲労(ひろう)はないはずだけれど、慣れない仮想の身体(からだ)に入って歩き回ったせいか、なんだか気怠(けだる)い。気持ちを入れ替えたくて、その場で屈伸(くっしん)運動でも始めてみようかと、その場に(ひざ)を折ってしゃがみ込んだ。「ういっちに、さん、」「いらっしゃい」「しゃいっ?!」

 

 突如(とつじょ)として横合(よこあ)いからかかる声に、僕は思いっきり飛び退()いて反対側の(へい)に背中から着弾した。もうわけもわからず構え。腰を落として拳を造って臨戦(りんせん)態勢。なに!? 誰さ?!

 

 話しかけてきたのは、地べたに座り込んで敷物(しきもの)を広げる、くたびれた商人らしき人間だった。薄汚れたフードを目深(まぶか)(かぶ)ったせいで、顔が見えない。注視を続けると、その頭上に多角錐(たかくすい)型のカーソルが浮かび上がった。色は黄色。黄色は確か、NPCを表す色で、要はこの人は簡素(かんそ)な人工知能に制動されたノンプレイヤーキャラクターだ。パッと見た感じ、プレイヤーと区別はつかない。いや、この人いつからここにいたの? ずっと? だとしたら僕は自らの注意力散漫(さんまん)を深く恥じねばならない。いくらなんでも(ほう)けすぎだろう。

 

 その(そば)(おそ)るおそる、もう一度しゃがみ込んでみると、商人はいらっしゃい、と、繰り返し挨拶(あいさつ)してくれた。改めて聞いてみるとその声は存外(ぞんがい)透き通って高く、フードのから覗いた(あご)輪郭(りんかく)(やわ)く、(ほお)は張りがあって白く、ぞっとするほど(あか)(くちびる)は小ぶりだけれど肉厚。女の人だ。

 

 敷物の上にある品は、たったの一つきりだった。古ぼけた短剣一丁(いっちょう)。値札はない。

 

 システム上のカテゴリは短剣なのだろうけど、剣というよりナイフといった風情(ふぜい)で、片刃(かたば)で、刃渡りは30センチほど。白銀(はくぎん)(かがや)く短い(やいば)はけれど、()っとくて()り返っていて、ノコギリみたいにギザギザの凹凸(おうとつ)を持っている。深いミルク色のグリップには、半円形のハンドガードが付いていて、刃と同じく、外に向けてトゲトゲしていた。歯車みたいに。

 

 ええと、これいくらだろう? それに、素人目には良し()しがわからない。表通りの店にはこんなの置いてなかったのは確かだけれど。

 

「Youそれ買っちゃいなYO」

 

「うわあっ!?」

 

 ほとんど密着距離、背後から突然響いた声に、僕は条件反射で足首から腰に(ひね)りを()かせて立ち上がり伸び上がりながら、右の拳を(にぎ)()め、その甲を音源に見舞ってしまった。裏拳(うらけん)、いわゆるバックナックルである。

 

 バアン、という派手(はで)な効果音を響かせて、拳の着弾点からちょっとぎょっとするくらい大きく(まばゆ)く紫色の閃光が咲いた。これは確か、街中での対人攻撃を防止するためのシステム障壁(しょうへき)だ。なんとかかんとかコードというやつだ。いやそうじゃない。ヤバい、やっちゃった。ただ話しかけてきただけの人にいきなり裏拳かましてしまった!?

 

 弾けた光が(まぶ)しさに反してほんの一瞬で晴れてしまうと、(つや)めいた長髪の人が、打たれた顔面を片手で押さえて、一歩二歩と後ずさるところだった。じ、女性の(かた)……?

 

 僕が恐るおそるその姿を注視すると、頭の上に浮かび上がったカーソルは、緑色。プレイヤー、の方ですね……、すみません……。

 

 僕がブン(なぐ)ってしまったプレイヤーは、しばらく自分の顔を押さえたまま、頭を()れて肩を(ふる)わせ、肩口から覗いた剣の(つか)をカチャカチャいわせていたけれど、やがてゆっくりと手を退()かせて、顔を上げた。

 

 男だった。キレイで怖いお兄さんだった。

 

 落ち(くぼ)んだ()が、ギラついた光を放って上目(うわめ)にこちらを(にら)んでいた。

 

「失礼しましたぁーーーーーーーーーッ!!」全力で謝罪。

 

 両の(かかと)(そろ)えて直立。脇を締めて両(てのひら)を腰に()え、背筋(せすじ)を伸ばしたままキッチリ90度、腰を折った。すみませんホントすみません!

 

 やがて、クツクツと、奇怪な音が耳に届いた。笑い声だった。

 

 僕が顔を上げようとすると、シュルリ、と細い腕が首に巻きついてきた。そのままバンバンと背中を平手(ひらて)で叩かれる。許して! 殺さないで!

 

「お前すっげえなあっ!」

 

 ハスキーな声音(こわね)で、耳元に怒鳴(どな)られた。

 

「すみませんっした! すみませんっした! ……はい?」

 

 するり、と()()なく腕が離れた。

 

 男は、カカカ、と嬉しそうに笑っている。あの、それは哀れな獲物(えもの)を見つけた(けもの)の笑みではなくて…?

 

「あンだよ今の! システムアシストなかったろ?! ああクソぉ、障壁()しだったってのに、ノックバックだけでクラックラくんぞ!! 初期ステの素手(すで)でその威力ねえよ?!」

 

「す、すみませんでした……、つい……」

 

 もう一度、頭を下げておく。けれど、そんなに怒ってはいない、ようだ。

 

「イイってイイってイイってことよ。俺もちっとニュービーおどかしてやろうなんて悪戯(いたずら)心ぉ出しちまって、悪かったな」

 

 ひらひらと手を振ってくる。よかった、怒ってない。

 

 それで、ニュービー、というのは、ゲームで新人を表わす俗語(ぞくご)、だったと思う。ん?

 

「どうして僕が新人だって……」βテスターじゃないってわかったんだろう。

 

「歩き方でな。わかるぜ。慣れてねえだろ」

 

 すごいな。そんなことわかるものなのか。どうやって見分けるのか詳しく聞きたかったけど、僕が質問するより早くに彼は大声を上げた。

 

「それよりお前、その武器だよ武器。ダガー!」

 

 男は例のギザギザした短剣を指差した。これだけ大声で騒いでいるのに売り子のお姉さんは今の今まで静かに座っていただけだった。うわあ、商売人。

 

「あの、あれがどうかしたんですか……?」

 

 ()いてみると、男は声を低くして、

 

「買いだな。(そく)買いだ。(げき)レアだぜ。最初の街のブツとは思えねえ。刀身(とうしん)の深みが違うだろうよ。そら、手に取ってみな」

 

「ええと」いいのかな。勝手に持っちゃマズいよね。僕はおっかなびっくり腰を落とし、あの短剣を指差して、静かに(たたず)むNPCのお姉さんに質問してみる。

 

「持ってみてもいいですか?」

 

 ()くと、彼女はこくり、とひとつ(うなづ)き、

 

「どうぞ……」

 

 許可をもらった。「その敷物(しきもの)から大きく離れなきゃあ大丈夫だよ」と、後ろから彼も声をかけてくる。離れるとどうなるのかはちょっと怖くて()けなかった。友人の話を思い出したのだ。

 

 あるゲームで、レンタル屋から装備を持ち逃げすると、次から店に入る度に店主に瞬殺(しゅんさつ)されて即ゲームオーバーとなり、二度とその店は利用できず、それからエンディングまでずっと、ヒロインのお姫様に「泥棒(どろぼう)さん」呼ばわりされるのだと。

 

 ゲーム制作会社から、子供たちへの教訓だと思うけど、インチキすると、システム的な罰則(ばっそく)を喰らったり、作中のキャラクターに文句をいわれるというのは割とよくある話だそうだ。

 

 ズルはすまい、と心に(ちか)いつつ、右手でミルク色の(つか)(つか)んだ。冷たくて、手の平に吸いつくように馴染(なじ)んだ。目の前にかざして見ると、なるほど、表通りの品より、刃の色が深い。

 

「ほら、ボサっと見てねえでプロパティチェック」

 

「はい? ええと、どうするんですか?」

 

「タップだよタップ」

 

「え、ギブアップですか?」

 

 自分で言ってから、それは違うだろうと思った。案の(じょう)、彼からツッコミをもらう。

 

(ちげ)え。こうすんだよ」

 

 と、彼は中空(ちゅうくう)を指先でポンと叩いた。そうだ、これゲームだった。画面を出して、性能を確認しろということだ。

 

 人差し指で恐るおそる品をポンとつつくと、ウィンドウが開いた。うわあ、英語と数字が、いっぱいだ。

 

 名前は、【Antique Gear Edge】。

 

 読めない。アンティキュウ……? 英語、自信ないのだ。

 

 とりあえず性能に目を移す。けど、目の前の画面と記憶にある電子マニュアルを照らし合わせて、攻撃力や攻撃速度らしき数値を見ても、武器の性能をこうして見るのは初めてで、他の物と比べられないから基準がわからない。

 

「なんちゃらストレンゼンニングってのを見ろ。いくつになってる」

 

 と、僕が途方(とほう)に暮れたのを感じ取ったのか、また彼が後ろから話しかけてくれた。

 

「ええと、7です。これって、何回鍛冶(かじ)屋で強化できるかっていう……」

 

「正確には、失敗も含めて、何回強化を試せるかだ。その数字で大まかなスペックがわかる。表通りで売ってる一番安いヤツはたったの1回。この層のモンスターから百分の一くれえの確立でドロップするブツでも大体5、6回。一つ二つ先の村で、報酬(ほうしゅう)に武器がもらえる、えれぇ面倒なクエストがいくつかあって、その得物(えもの)でも8回だ。いいか、7回ってのはこの街で手に入る中じゃあ間違(まちげ)ぇなく最強だぜ」

 

 その言葉にぎょっとした。そんなにイイものなの?

 

「でも、貴方(あなた)は買わないんですか?」

 

「もう買った。コイツだ」

 

 ポンポン、と、背負った剣の(つか)を後ろ手に叩いてみせてくる。なるほど。

 

「おいくらでした? それは」

 

「その短剣と一緒だよ。テメェでオネーサンに()いてみな。腰抜かすぜ」

 

「は、はあ……」

 

 ええと、普通に訊けばいいのかな? 「これ、おいくらですか?」

 

「四千、八百コルになります……」

 

 よ、んせ?!

 

 プレイヤーに与えられた初期資金は五千コル。その九割強が吹っ飛んでしまう。要はこれを買ってしまうと、他の装備や回復ポーションの(たぐ)いがほとんど買えなくなるのだ。なんていやらしい値段設定だろう。慌てて手の内にあるソレを敷物の上に戻してしまう。

 

「ビビるか? やっぱビビるよな。それ持ってフィールド出て、万が一にも落としちまったら、このゲーム詰むぜ? だからさ」

 

 彼は背後から再び耳元に口を寄せてきて、

 

「今それ買うのは、それ一本で、生き抜ける自信のあるヤツだけだ」

 

 どくん、と心臓が()ねた。

 

「まぁそういうこったからさ、さっきはああいったけどな、無理にゃあ(すす)めねえよ。でもなあ」

 

 ふいっ、と彼はまた僕の背から離れた。僕が背後を振り(あお)ぐと彼は、腕を組み、(まゆ)をしかめ、切実な声でもう一度、でもなあ、と繰り返した。

 

「ボサっとしてっと、他のプレイヤーに取られちまうぜ? それ」

 

「え?」

 

 と、思わず声が出た。

 

「もうないんですか?」

 

「ああ。オレが来たとき、そのネーチャンは三本の得物(えもの)を売ってた。オレが背負ってるコイツと、片手(おの)と、その短剣だ。オレがコイツを買った後で、えらく無愛想(ぶあいそう)なヤツが手斧(ておの)も持っていったが、剣も斧も、買われた後で補充はなかった。見ての通りだ」

 

 彼は売り子のお姉さんを(あご)でしゃくった。敷物には、短剣一丁(いっちょう)を残すのみ。

 

「だからそりゃあ、もしかしたらユニーク品かもしれねえぞ」

 

「ユニーク品?」

 

「このゲームサーバ全体に、ひとつしかねえ超レアもんだよ。この世界に来たばっかで、こんな代物(シロモン)に出会える確率は一体どんなモンだろぉな。たったひとりのオマエが、たった一本きりのソイツを見つけたのは、もう運命だろ」

 

「運命……」

 

 僕が(ほう)けて繰り返すと、彼が三度(みたび)近づいてきて、正面に回り込み、(かが)んで僕と視線を(そろ)え、両手で僕の両肩を、細くしなやかな指で、(やわ)く、けれどしっかりと(つか)んだ。

 

「ソイツぁ鍛冶(かじ)屋で強化繰り返しゃあ三層までもつ。(つえ)ぇよ。とんでもなく強ぇよ。そんで、オマエも強ぇ。βで一月(ひとつき)、戦いまくったオレがいうんだ。間違いねえ。最初のバックナックル、効いたぜ。オマエは強い。その剣も強い。オレぁ正直、ソイツで戦うオマエが見てえ」

 

 (あお)られている。これは挑発だ。

 

 テストプレイヤーでありこの世界の先人(せんじん)である彼は、僕を(そののか)して、どうするつもりなのか。警戒心がふと()いた。

 

 けれど彼は、ほとんど抱きつくようにして再び僕の肩に両腕を(から)めて、悪魔みたいに最後の一言を(ささや)く。

 

「戦士なら、その運命を(つか)めよ新人。逃げんのか?」

 

 それで、警戒(けいかい)を、もう病的といっていい凶悪な高揚(こうよう)が上回った。乗せられている、と自覚しつつも、僕はこういうとき、逃げるということを知らず、それを(ほこ)りに生きてきた。

 

 長らく忘れていたその気持ちを、思い出した。

 

 僕はお姉さんに向き直って、いった。

 

「すみません、それ買います」

 

「ええ、四千八百コルになります……」

 

 丁寧(ていねい)にさっきと同じセリフを繰り返してくれるお姉さんに、僕はメニューを開いて操作して、ストレージからほとんど全財産を現物としてオブジェクト化し、手渡した。彼女はそれと引き換えに、黒く(つや)(びか)りした(さや)に剣を収めると、差し出してくる。

 

 僕は片膝(かたひざ)をつき、(こうべ)()れて、両手で(ささげ)げ持つようそれを拝領(はいりょう)した。

 

押忍(おす)、ありがとうございます」

 

 立ち上がり、(こぶし)(わき)に引きつけて、再び、礼。

 

 返事を期待しての挨拶(あいさつ)ではなかったけれど、お姉さんはそれから、ほんの少し顔を上げて、こんなふうに話しだした。

 

「それが最後の一品(ひとしな)よ。ありがとう。これでもう、思い残すことはなにもないわ。だけれど、願わくば……、」

 

 そこで口をつぐんでしまう。フードに隠れて表情は判然としないが、とても悲しそうな様子だ。僕はもう、彼女が人間でないことを忘れて、続きを(うなが)した。

 

「どうしたんですか?」

 

 訊くと、奇妙なことが起こった。彼女の頭上に、金色に輝く【!】マークが浮かび上がって、点滅を始めたのだ。背後で、長髪の彼が息を()む気配がした。

 

 彼女は首を横に振ると。

 

「いいえ、今やもう、(せん)()きこと。でも、そうね……」

 

 夢見るように、歌うように。

 

「旅の剣士さん。あなたがもしも戦い続けて、これから強くなったなら、いずれ再び巡り合うとき、きっとそのとき、力になってね」

 

 ふと、視界の左上でなにかが点滅した気がしたけれど、敷物が燐光(りんこう)を発して消えるのに目を奪われてよくわからなかった。

 

 彼女は言葉を終えると、立ち上がって(きびす)を返し、背を向け、幽霊みたいな足取りで僕らから離れていったのだ。

 

 離れていった。

 

「あの……!」

 

 得体の知れない焦燥(しょうそう)に駆られて、僕は走り出した。

 

 でも三歩目で蹴躓(けつまづ)いてしまい、僕はいよいよ本格的に転んでしまった。体の前面を思い切り石畳(いしだたみ)に擦りつけてしまう。いや、そんな、平地(へいち)で?!

 

 顔を上げると、彼女はすぐそこの路地を曲がるところだった。

 

 立ち上がり、今度こそ追う。全力で走って、角を曲がった。

 

 いない。そんな、たった今曲がったばかりなのに。

 

 僕が呆然と立ちすくんでいると、

 

「うっはぁああああああああああああああああああああああっ!!」

 

「うわあ!?」

 

 背後からの奇声に、またも同じような反応を返してしまう。彼だった。両手で自分の顔を押さえて、ほとんどブリッジするみたいに強烈に仰け反って(もだ)えている。僕が、わあ、アバターってあんな動きができるんだぁ、と感心していると、突然、グリン、と身体(からだ)を起こして、犯罪防止コードが発動するんじゃないかという物(すご)い力で僕の喉笛(のどぶえ)をグワシと(つか)んだ。なんだろう、ひどく興奮しているようだけど。

 

「隠しクエだ! なあクエだ今の! クエだよ!! クエ受けたろオマエ!?」

 

「く、くえ……っ、くえ……っ、チョコボール?」

 

 首を()められて動転したせいで、変なボケをかましてしまった。

 

(ちげ)ぇ! ちっとクエストログ見せろや!」

 

「あ、はい……」

 

 ウィンドウを開くと、やっと彼の手が離れた。えーと、なんだっけ? どこ?

 

可視(かし)モード。左下」「はい」

 

 メニューウィンドウというのは、普通は開いた本人にしか見えない。覗き見防止の措置(そち)だ。他のプレイヤーにこれを見せるには、ウィンドウ左下の可視、不可視切り替えボタンをタップする必要がある。だから、そう簡単に見せていいものではないだろうけど、今のところ、彼になにか隠すべきことは思い当たらない。だってこのゲーム始めたばっかりだし、目新(めあたら)しい物なんて、別に……。

 

 彼にいわれるまま、いくつかのボタンにタップを繰り返すと、どうやら目的の小窓が開いた。【Quest Rog】の(らん)に、記された文章を見て彼が(うな)る。

 

【Under  Execution 

 Campaign Quest 骨董(こっとう)売りの娘 

 1st Mission  また会う日まで

 For Attaining ???】

 

 凝視(ぎょうし)。意味がわからない。僕の身になにが起こってるの?

 

「……すげえ」

 

 彼は深く長く息を吐いてから、吐息(といき)混じりの声で、(つぶや)いた。

 

 すげえ。と、もう一度呟いてから、彼はいう。

 

「最後の一本を買うのがトリガーだったんだ……」

 

「どういうことですか?」

 

「クエストだ。これ、受けたのオマエが最初だぜ。βンときはこんなイベなかったもんよ……、ああチクショウ! オマエが買うのを待ってから、自分の剣を買っときゃよかった!!」

 

 まだわからない。

 

「クエストって、イベントですよね? 言われたモンスターを倒したり、品物を持ってきたり、それで、報酬に経験値とかアイテムがもらえるっていう……」

 

「そうだよ。しかもこれ、キャンペーンクエだぜ!」

 

「普通のクエストとは違うんですか?」

 

 (たず)ねると彼は人差し指を僕に突きつけた。

 

「ああ、層をまたいで続くんだよ。いくつもイベントこなしながら、ずっとずっとストーリーを追っかけてくんだ。βンときに見つかった最初のヤツは、三層で始まって、終わんのが九層だった」

 

 九層。僕が驚愕(きょうがく)すると、彼は中指も立てる。

 

「それと受け直しが効かねえ。一人につきワンチャンこっきりだ。後から同じクエ受けたヤツのパーティに混ぜてもらえば、繰り返しプレイはできるが、主人公は自分じゃなくなる。受けたプレイヤーが物語のキーなんだよ。そんで、極めつけが……」

 

 彼は薬指まで伸ばして、

 

「シナリオ分岐(ぶんき)があって、エンディングが分かれる。まあ最後までイケなけりゃあ大概(たいがい)バッドエンドだが、プレイヤーの選択次第で、ハナシが全然変わっちまうんだ。つまりな」

 

 最後に彼は、人差し指で、僕の左胸を突いた。

 

「たった一度きり、オマエだけの物語がここで始まったのさ」

 

 どくん、と心臓が跳ねた。この人は、よくよく人を(あお)るのがうまい。ドキドキしてしまう。

 

 けれど彼はそれから腕を組んで思案(しあん)げにこんなことをつけ加えた。

 

「ああそうだ、このクエ、隠した方がいいな。訊かれても答えんなよ」

 

「え、どうしてですか?」

 

 楽しみは共有した方がいいんじゃないの? 仲間も誘えるし。

 

「あのな、多分もうしばらくすりゃあ、この町のどっかにあのネーチャンがもう一人出てきて、また商売はじめるんだろうが、クエを受けられんのは最後の一本を買ったヤツだけだ。()めるぜ、こりゃあ……」

 

「揉める、ですか」

 

「オマエ先買えよ、とか、それはオレのだ、とか、買い占めすんな、とか、転売でぼったくる、とか、ふざけんなオレが先に受ける、とか」

 

「……」

 

 僕は言葉を失ってしまう。ゲームだからってナメていたかもしれない。戦う覚悟はあっても、そんなギスギスした修羅場(しゅらば)を進んで引き起こす自信はない。ネットゲーマーって、大和人(やまとんちゅ)ってみんなそうなの? 怖いの?

 

「まあそんだけなら先行してるオマエにゃ他人事で済むけどよ、追いつかれちまったら、ミッションの内容次第(しだい)でカチ合っちまう。あのモンスターを何体倒せ、とか、あのアイテムをいくつ持ってこい、とかいうヤツな。ココぁオレの狩り場だどきやがれ、デュエルすっかデュエル、おお? みてぇな奪い合いも、そりゃあそれで楽しいかもしれねえが、進行のペースは落ちるわな」

 

「楽しい、ですか。奪い合いが?」

 

「ああ。醍醐味(だいごみ)だろぉよ」

 

 と、彼は笑みを深くした。

 

「どいつもこいつもオレの獲物(えもの)だ。出し抜いて、ぶっ飛ばして、他の誰よりも強くなんのさ」

 

 言って、拳で僕の胸を、ドン、とどついた。もう何度目だろう、激しく気持ちが高鳴るのを感じる。僕はほとんど彼に()れてしまっていた。

 

 この人は、強い。その()り方、このゲームにかける姿勢が。

 

 やってやる、と思った。

 

 出し抜く、というのは僕には難しそうだけれど、ぶっ飛ばすのは専門だ。デュエル上等じゃないか。誰よりも強くなってやるのだ。

 

 あれ? でもちょっと待って。

 

「僕、あのお姉さんから、なんの指示も受けていないんですけれど。それに、この、フォー、アテイニング、ていうのが、はてなマークになってますが……」

 

「クエスト達成条件だ。不明ってこったろ。先は長そうだな」

 

 彼はクツクツと笑って、またポンポンと僕の肩を叩いた。

 

 それで、どっと力が抜けてしまった。

 

 ううん、なにをすればいいのかわからないっていうのは、なんだかモヤモヤするけど、そういうことなら仕方ない。僕は開きっぱなしのウィンドウを閉じた。

 

「――おい」

 

 と、彼が突然、真剣な声で(すご)むので、僕はぎょっとしてしまう。背筋(せすじ)を正す。

 

「はい! なんでしょう……?」

 

 なにか、しでかしてしまったろうか。

 

「ウィンドウは不可視モードに戻しとけ。不用心だぜ」

 

「はい! すみませんでしたっ!!」

 

 そうだ。可視、不可視が設定されているということは、そういう仕様にする必要があったということだ。どうしてかまでは、わからないけど、先人の言葉は真摯(しんし)に受け止めなければならないだろう。

 

 慌てて操作すると、彼はひとつ(うなづ)いた。

 

「よし、気ぃつけろよ」

 

押忍(オス)

 

 僕がつい習慣で、そんな風に返してしまうと、彼はクツクツ笑い出した。

 

「オマエ、体育会系か。なにやってた」

 

「はい。空手です」

 

「そうか……」

 

 笑み。なんだろう。

 

「これからどぉする。あのネーチャン探すのか」

 

 僕は少し考えてから、答える。

 

「いえ。レベル上げにいこうと思ってます。お姉さんは、戦い続けて、強くなったら、って、いってましたから」

 

「そぉか、強くか」

 

 彼は例の、(すご)みのある笑みを今までで一番深くして、いった。

 

「強くなりてえなら、ついてきな。ちょいとレクチャーしてやんよ」

 




 次回、とんでもバトル。
 
 掲載用に改稿中。お楽しみに。
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