SAO外伝 血の盟約の下に   作:佐藤 黎曜

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出逢い

 深い青色の毛皮をもった(いのしし)が、ドタドタと上下しながら突進してきた。頭上には、明るい赤のカーソルと、HPバー、それから、【Frenzy Boar】の名前が見える。モンスターだ。つまりは敵で、金とアイテムと経験値だ。よし、狩るぞ。

 

 人型や獣人型のモンスターは今のところ見ていない。さっきから僕が狩り続けているのは、もっぱらこの、体長1メートルほどの猪だった。動きは単調だけれど、低くて小さくてそこそこ速いので、人を相手にするのと勝手が違い、慣れるまで思ったより手間取ってしまった。僕が習ってきた格闘技というのは基本的に、人が人と戦うための技術なのだ。

 

 これで三十匹目なので、いい加減に慣れたけれど。

 

 自分の(あご)(わき)に構えた右手の手首を軽く返すと、逆手(さかて)に握った食事用ナイフの刀身が青い光に輝く。猪の頭が僕の腹に食い込んで直撃するひと呼吸前、タイミングを計って、発動。

 

 ナイフを握った手が、身体(からだ)の内側から引っ張られるような感覚に逆らわず、腰を()じり落としながら振り下ろす。青い燐光(りんこう)が尾を引いて走った。

 

 ズドン、というサウンドと、重い手応えと共に刃の切っ先が猪の眉間(みけん)を正確に刺し貫いた。

 

 短剣スキル、基本単発技、【スタブ・フォール】。

 

 手刀で(かわら)を割る動きに似ている。低い敵を上から突き下ろすための技だ。

 

 眉間に(つか)までナイフで突き刺され、ぶるりと震えて小さく跳び上がる猪だけど、これでまだ敵のHPは半分残っている上、なおも僕を押し込もうと前進してくる。

 

 僕は突き刺さったままの得物(えもの)を自ら手放すと、右に転がって突進を避けた。

 

 立ち上がる。向き直る。頭にナイフを突き立てたままの猪も、同時にくるりとこちらを向く。

 

 もう一度【スタブ・フォール】が使えれば楽だろうけど、あいにく同種のソードスキルは連発できない。視界右下に、再び使用可になるまでの残り時間を示す、クーリングアイコンがピコピコと点灯中だ。

 

 猪突猛進(ちょとつもうしん)一直線、再び突っ込んでくる猪に対し、僕は肩からタスキ()けしたベルトから、両手でそれぞれナイフを引き抜く。二本とも逆手(さかて)持ちだ。

 

 距離を慎重(しんちょう)(はか)り、タイミングを合わせる。

 

 システムアシストは使わない。この手に握った二本のナイフを、敵の両のこめかみに目がけ、太鼓(たいこ)へ打ち込むイメージで、ひと息に二打(にだ)、突き刺した。

 

 ゾゾン! という連続音と、猪の動きが空間に()い留められるみたいに静止したのは同時。

 

 一瞬の(のち)、モンスター、【フレンズィボール】は、薄黄色のポリゴン片となって爆散(ばくさん)した。これが、この世界の死。死体も残さず、素っ気ないものだ。

 

 視界に、獲得(かくとく)した経験値とお金が表示されて、すぐ消えた。

 

 中空(ちゅうくう)からポトリと地に落ちたナイフを拾い上げ、三本ともホルダーに戻す。

 

 それから、意外にも長く空間に残留して、キラキラと光って立ち昇る猪の欠片(かけら)を目で追い、視線を上げた。

 

 町の北門から出た城壁の外。世界は広かった。

 

 見渡す限り広がる青々(あおあお)とした草原が、自然の息吹(いぶき)にそよいでいる。

 

 遠く、ところどころに見える、途方もない大きさのキノコみたいななにかは、全部巨大な台地(だいち)だった。金属質な(ふち)に、キラキラと光を反射している。驚いたことに、(かさ)の上に城や湖を有するものまであった。サブダンジョン、だろうか。どうやって登るんだろう。

 

 左前方、北西のずっと向こうに鬱蒼(うっそう)とした森が見える。

 

 右前方、北東には勾配(こうばい)があって、遠くまで見通せない。

 

 正面、北。土がむき出しの、細い道が緩やかに曲がりながら、(はる)彼方(かなた)へ続いている。

 

 ずっとずっと向こう、天蓋(てんがい)と地上の狭間(はざま)から、黄金色(こがねいろ)夕空(ゆうぞら)がどこまでも水平に広がっている。どこまでも水平に広がる空に、白雲と、森の向こう、東の端っこに、太陽なのか月なのか、淡く輝く星がふたつ、組み合わさって見えている。ひとつは小さな真円。それを抱え込むようにして、ぽっかり穴の空いた下弦(かげん)の三日月。

 

 彼方。逆光を背負って、天地を結ぶ、細長い塔が見える。あれが迷宮区だろう。

 

「広いなぁ……」(つぶや)く。

 

 この層には未だに一万人近いプレイヤーがいるはずだけれど、誰も見当たらない。武器を見繕(みつくろ)ったり、彼と決闘したりするので、ずいぶんと出遅れてしまった。彼は多分、テストプレイ時の知識を元に、猛烈(もうれつ)なスタートダッシュをキメたはずで、僕が訓練用のカカシを相手にソードスキルを練習したり、コツコツと猪を狩ったりしているうちに、もう一つか二つ、先の村に進んだのだろう。大見得(おおみえ)切ってしまったけれど、追いつくのは遠い未来のことになりそうだ。

 

 僕が感傷(かんしょう)に浸っていると、ふと、悲鳴が聞こえた気がした。

 

 悲鳴が近づいてくる気がした。

 

 目を()らすと、地平の果てに、うねって続く道の上を丁寧(ていねい)になぞりながら走ってくる人影が見えた。青系の衣服で、髪が長い、長身の人影。

 

 ディアベル? まさか。彼の声は、なんというか……、

 

「……ァ―――――ァア―――――――ッ」

 

 こんなに高く響かないだろう。

 

 これは女性の声だ。

 

 人影はどんどん近づいてくる。長身で長髪の、女性のようだ。

 

 なにをそんなに全力疾走しているのかと、じっと目を()らし続けていると、どうやらなにかに追われているらしいことがわかった。彼女と同じ群青(ぐんじょう)色の(かたまり)は、さっきまで僕が散々(さんざん)相手をしてきた猪くんだ。ステータスの問題なのか、どうも彼女と猪の速力はピッタリ拮抗(きっこう)していて、突き離せないまま遥か遠くから逃げてきたらしい。思い切って横に跳んでしまえば、あの突進は割と簡単に()けられるのだけど、遠目にもパニックとわかる彼女にはいうだけ無駄だろう。どうしようか、まだ遠いな。

 

「ィ――――――アァアァ―――――――――――――ッ!」

 

 それにしても長い悲鳴だ。よく息が続くものだ。この世界の身体は酸素で動いてるわけじゃないから、肺活量(はいかつりょう)とか関係ないのかもしれない。

 

「うん、よし」

 

 やってみよう。仮にも女性が襲われているのだ。武士(プサー)としては見過ごせない。

 

 僕は彼女が几帳面(きちょうめん)に緩く曲がった道の上をなぞって走っていることを確認すると、僕自身は道から外れて、草地に出た。助走距離は、うん、こんなものでいいだろう。

 

 重要なのは、向きと、速度と、タイミング。

 

 道に向かって斜めに向き直る。

 

「キャアァ――――――――アァア―――ァア―――――――――――ッ!!」

 

「よーい……」

 

 両手を三つ指で地につけて、前傾(ぜんけい)姿勢でお尻を上げて構えた。クラウチング。

 

 彼女と猪が近づいてくる。100メートル、80メートル、60メートル……、

 

「キャアァアアアアアアアアアアアアァアアアアァァアアアアアアアアアアアッ!!」

 

「―――――――どん」

 

 ロケットスタート。

 

 両の蹴り足で超加速。道と、鋭角の×字に交わる軌道で、全力疾走。

 

 彼女が、シャープな印象のえらく美しい顔を更なる驚愕(きょうがく)に歪めた。猪から必死に逃げてきたら、今度は見知らぬ男が正面衝突の軌道で突進してくるのだから当然だろう。だいじょうぶ、当たらないよ、と心の中でいうだけいっておく。いや、伝わるはずもないけれど。

 

「―――シッ!!」

 

 地を蹴って低く跳ぶ。

 

 彼女の脇をすり抜ける。

 

 滞空。

 

 宙で身を倒し、両足を(そろ)えて全身を丸める。

 

 ディアベル戦で明らかになった通り、軸足(じくあし)を支点に体幹(たいかん)(ひね)って射放(いはな)つ蹴りには、上手く重さが乗せられない。バランス感覚が現実と異なるからだ。力学的に複雑な動きを求められる蹴りは、ただでさえ突き技より習得が難しい。

 

 だから、速さと重さにモノをいわしめることにしたのだ。

 

「セイヤァ!!」

 

 超低空、ドロップキック。

 

 猛烈な相対速度に生み出された衝撃荷重(かじゅう)が猪の顎を鋭く捉えた。

 

 紙でも蹴ったのか、というくらい、意外に軽い足応(あしごた)えをそのまま蹴り抜くと、ズカァン、と大げさなサウンドが響いて、あろうことか哀れな猪は思い切り吹き飛んでたっぷり十メートルほどゴロゴロ転がっていった。うわあ、これ思ったより威力でるなあ。(すき)が大きいので対人戦じゃ使えそうにないけれど。

 

 で、蹴った方の僕は、下が草地なので柔道式の、地を叩く受け身をとってから起き上がって、ベルトから一番ヘタっているナイフを抜いた。これはもういいだろう。投げよう。

 

 つまむように持ち、手首を反らして軽く振り(かぶ)ると、キイン、という音と共に刃が光を帯びた。よし、もうちょっと近づいてこようか猪くん。

 

 ぶもお、と怒りを(あら)わに突進してくる猪に狙いをつける。もうHPが赤の危険域に入っているせいか、さっきまでより速い。でも相変わらず一直線に突っ込んでくるだけなので、対処は簡単だった。いくぞ、三十一匹目!

 

 投げた。投剣スキル、【シングルシュート】。

 

 白銀の尾を引いて走ったナイフは、サクッと猪の眉間(みけん)に突き刺さり、残りHPを消し飛ばす。システムアシストというのは便利なもので、投げナイフの経験なんかない僕でも、しっかり敵のカーソルを視界に収めてターゲットすれば、ほらこの通り。例によって猪は、キラキラした破片となって散った。ナイフも耐久値が限界に達したらしく、一緒に破片になって爆散。夕景に還ってゆく光の(つぶ)をなんとなく目で追う。キレイだなあ。

 

 僕も死ぬときは、あんな風に潔く消えたいものだと、しみじみと思った。

 

「あ……、うぅ……」

 

 と、後ろからの声に振り向いて見下ろす。

 

 黒髪をロングにして垂らしたキレイな女の人が、腰を抜かしてへたり込んでいる。キレイな顔、なのだけれど、なんだかキレイすぎて印象が薄い。僕と同じく、【作った】顔だろう。

 

 右の目尻の泣きボクロが、やけに気になった。特徴らしい特徴はそこだけだ。

 

 左手に、長槍(ながやり)を一本、持っている。この様子だと、役には立たなかったのだろうけど。

 

 HPバーは満タン近かったけれど、精神的に(こた)えているようで、動かない。

 

「えっと、だいじょうぶですか?」

 

 僕はその場に(かが)み込んで目線を(そろ)えてから()いてみた。いや、とてもだいじょうぶではなさそうだったけど、こういうときは、ひとまずこう訊いてみるものだ。

 

「あ……、うん、はい、だいじょうぶ、です……」

 

 こう答えたなら、もうだいじょうぶだ。例え強がりでも。どうして強がりとわかったかというと、彼女がだいじょうぶと答えながらぼろぼろ泣き出してしまったからだ。この世界の感情表現はどうも多少、大げさらしく、すごい勢いで涙が(あふ)れている。ほとんど(たき)だ。

 

 泣いている女の人を放ったまま、

 

『じゃあ僕レベル上げ行きますんでこれで』

 

 とかいっていなくなるのはさすがにちょっと気が引けたので、もう少し会話を続けてみることにした。

 

「猪、怖かったですね。もうやっつけちゃったからだいじょうぶですよ。立てます?」

 

 訊くと、彼女はぎこちなく足をくねくね動かしながら両腕をわたわた振った。ダメらしい。

 

 涙も全然、止まらない。

 

「お隣、いいですか?」と(たず)ねる。

 

 この角度だと、ミニスカから覗いている、白くて細くて長い足が目に毒だったのだ。

 

 彼女が小さく(うなず)くのを確かめてから、右隣に腰を下ろした。西日に照らされて暖かくなっている草がさわさわして、座り心地はそんなに悪くない。

 

「ほら、息吐いてください。短く吸って、長くゆっくり吐くんです」

 

 彼女は実直に、僕のいうことを実践(じっせん)しようとする。すっ、はぁーー。すっ、はぁーー。まだちょっと硬い。

 

「ほら、もうちょっとゆっくり」

 

 僕は手本を見せるべく、いつもの息吹(いぶき)を実践してみせた。型の終わりによくやる呼吸法だ。せえの、「コォー、ホォー……。【ルーク、私がお前の父親だ】」「ぶふっ?!」

 

 よしウケた。これがフォースの力だ。もうちょっとでダークサイドに堕ちる。はい次。

 

 僕は立ち上がって、大げさに構えてみせる。

 

「コォー……、ホアァタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタッ、ホワタァ!!」

 

「ぶ、ぶふっ! く、くすくす……」

 

 僕のモノマネは確実に彼女の秘孔(ツボ)を突いたようだ。ウケてよかった。やってしまってからなんだけど、通じなかったら寒いことになっていた。

 

 ひとしきり百烈拳(ひゃくれつけん)を終えて、さらに持ちネタをいくつか披露(ひろう)してから、もう一度、彼女の隣に腰を下ろした。

 

「モノマネ芸人なの?」

 

 涙の気配を引っ込めた彼女に、クスクス笑いながら訊かれたので、

 

「いや、しがない格闘家ですよ」

 

 と、答えておいた。

 

「世紀末の?」

 

 と、僕は彼女と少し笑ってから、

 

「いえ、空手です」

 

 一応は。我流と独学で色々混じってるけど。

 

「ふぅん……。戦うの、好きなの?」

 

「どうだろう……、好きとか嫌いとか、考えたことありませんでした」

 

「……? でも、そういうのって、好きだからするものじゃないの?」

 

「一回始めたら、退()くに退けなくなっちゃって。辞めるのがなんだか悪いことに思えちゃって。痛いし、(つら)いし、どっちかっていうと嫌いだったかも」

 

 今日の僕はなんだかよく喋る。こんなこと、現実で誰にもいったことなかったけど。

 

「男の意地、ってやつ?」

 

「…そんなところです」

 

「私にはよくわからないな……。嫌ならやめてもよかったんじゃない?」

 

「うーん……」

 

 訊かれて、詰まってしまう。

 

 確かに、辞めてもよかったはずだ。

 

 本当に、僕はどうして、あんなにも懸命に戦っていたのだろう。

 

 答えはついに、見つからなかったのだ。

 

 それでもなにか返すべき言葉を探す僕の思考は、けれど彼女の声に(さえぎ)られた。

 

「あ、ごめんなさい。メッセージみたい」

 

「メッセージ?」

 

「うん、フレンドから」

 

「ああ、どうぞ」

 

 僕が促すと、彼女はメニューを開いた。

 

 基本は不可視モードなので、僕には無地の窓にしか見えないけれど。

 

 フレンド登録したプレイヤーは、メッセージを送り合えると、マニュアルにあった。メールみたいなものだ。

 

 ああ、ディアベルとフレンドになっておけばよかったかな、と思ってから、それは違うか、とすぐに思い直した。

 

 彼と交わすのは、きっと剣だけでいい。

 

 僕が彼に追いついて、いつかどこかで会ったとき、そのときは、黙ってデュエル申請しよう。

 

 きっと彼もそうするはずだ。

 

「……ばか」

 

「へ?」

 

 突然の彼女の呟きにぎょっとしてしまう。彼女は慌てたように、

 

「あ、違うの。君じゃなくて。パーティメンバーだよ」

 

 びっくり。ディアベルにずいぶんとバカにされた後だったので、つい反応してしまったのだ。

 

「うちの男の子たちは、戦うの好きみたい。もうちょっと向こうで狩りしてるって」

 

「君、放置?」

 

「私、放置……」

 

「ひどいなあ」

 

「そうなの、ひどいの」

 

 しょげてしまった。どうしよう。

 

 なにか話題になるものはないか、と(あた)りを見回してみると、遠く、草原の上でゴツゴツした黄色いなにかが組み上がるのが見えた。ゴツゴツは間もなく形が整って……、 

 

「……あ、猪」「えっ?!」

 

 僕の呟きに、彼女はちょっと気の毒なくらいに怯えた。僕の服の(すそ)をぎゅっと両手で握り()めて、(せわ)しなくキョロキョロと辺りを見回す。

 

「どこっ? イノシシどこっ?!」

 

「だいじょうぶですよ、まだ遠くです。ほら」

 

 僕がその方向を指差すと、けれど彼女はとても機敏(きびん)な動きで僕の後ろに回り込んだ。

 

 50メートルほど前方、今しがた出現した猪が、のっそりと歩き出すところだった。なんだがすっかりくつろいで忘れてしまっていたけれど、ここフィールドだ。街の外なのだ。いつモンスターが()いて出てもおかしくなかったのだ。まあ、最初の町から出たばかりの、初心者用の場所なので、出現率は低いのだろうけど。

 

(おそ)ってこない……?」

 

 おずおずと僕の背から顔を出してあちらを(うかが)う。

 

「だいじょうぶですよ。……あ、こっち向いた」

 

「襲ってこないっ? 襲ってこない?!」

 

「いや、ほら、近づいてじっと見つめるか、直接攻撃しなきゃ向こうからは襲ってこないはず……でしたよね?」

 

「自信もってよ?!」

 

「大丈夫ですよ、来たらやっつけちゃいますから」

 

「だってあれ、怖いもん……」

 

「でも、ひょうきんでけっこう可愛げがある顔してますよ? こんなん」「ぶっ……!?」

 

 僕がずっと昔、妹によくやってみせたシーサーの顔真似をすると、また彼女は吹き出した。

 

「あの、ねえ、君、絶対、芸人さんでしょ……。それで地方の人でしょ」

 

「へっ? なんでですか?」

 

「だって(なま)ってるもん」

 

「えー……?」

 

 ちょっと傷ついた。ちゃんと喋れてると思ったんだけど。

 

「気にしてる?」

 

「ちょっと。……あ、来ちゃった」

 

「え?」

 

「猪」

 

「いやぁああああああああああああああああああ?!」

 

 およそ三分後。

 

 なぜか彼女ばかりを追いかけてゆく猪を投げナイフで引きつけてどうにか倒して、いつの間にかどこかに隠れてしまった彼女に呼びかける。

 

「やっつけましたよー?」

 

「もういない……?」

 

 低い草むらに()せって気配を殺していた彼女がもぞもぞ上体を起こした。

 

「もういない、もういない」

 

「なんであれ、私ばっかり追っかけてくるの……?」

 

「美人さんだから?」

 

「嬉しくない……。なんでそんなアルゴリズムがAIに入ってるの……?」

 

 彼女はまた、その場にへたり込んだ。追っかけ回されたのがよっぽど(こた)えているらしい。

 

 僕も再び腰を下ろす。

 

「でも確かにあれ、リアルだし、大っきいし、すごい勢いで突っ込んでくるから怖いですよね。女の人には、やっぱり厳しいのかな」

 

「うん、そう。そうなのっ!」

 

 訊いてみると、彼女はこちらを向いて、意外にも強く食いついてきた。なまじ美人なので、すごい迫力だった。女の怖さを見た気がした。僕は微笑みが引きつらないように注意しなければならなかった。

 

「もうっ、私怖いっていってるのに、だいじょうぶだいじょうぶって笑って前に出そうとするんだからっ、あのばかっ!」

 

「それはひどいなぁ」と、とりあえずまた、いっておく。いや、ばかって誰のことだかわからないけれど、こういうときは、ひとまず合わせてみるものだ。

 

 彼女は、そうなの、ひどいの、あのばか、と、小さく呟いて、ぶう、とむくれた。大人っぽい顔立ちに、その幼い仕草(しぐさ)が、合っていなくて妙におかしい。

 

 さて、この口ぶりだと、どうやら彼女のパーティメンバーは、現実の友達らしい。それも、男で、親しいとみた。ばか、の二文字にどことなく親しみがある。

 

「その、ばかっていうのは、現実の知り合いなんですか?」

 

「うん……、学校の同好会の人なの」

 

「つき合い、長いんですか?」

 

「うん」

 

「でも、ずっとばかなんだ」

 

 いうと、彼女はクスリと笑ってから、

 

「そうなの、ずっとばかなの」

 

 そのときの彼女が少し(さみ)しそうだったので、僕は少しだけムキになった。

 

「そのばかの名前は、なんていうんです?」

 

 彼女は一瞬、キョトンとしてから、

 

「……ケイタ」

 

 (ささや)くような声音(こわね)。そして、一瞬の後、ぷ、プレイヤーネームだよ? と慌ててつけ加えた。うん、ケイタ君ね。本名をそのまま使ってるとみて間違いない。

 

 僕は、すっく、と立ち上がった。ひとつ頷く。両手を口の前で三角にして()える。

 

 そして、夕空へ向かって叫ぶのだ。

 

 

「ケイタのばかやろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 

 

「ちょちょちょ、ちょっとぉ?!」と、彼女はすごい勢いで立ち上がった。

 

 並んで立つと、彼女の方が背が高い。彼女は槍を持ったままで、胸元で変なふうに両手で握り締めるから、切っ先が僕の喉笛を向いて、「危ない危ない、刺さるって!」

 

 見下ろされると、ディアベルとは別種の怖さがあった。まずい、調子に乗りすぎたかな。

 

「な、な、なにいうのっ、いきなりっ!」

 

「いや、ちゃんと伝えた方がいいと思って」

 

「よくないよっバカじゃないの?!」

 

 ああ、今のバカ、は僕に向けたバカだ。なんだか勝った気分になる。でも、響きが硬い。ただ怒らせちゃっただけか。これはマズかった。

 

 僕は自分の喉笛に刺さろうとする槍の穂先(ほさき)近くを、何度も繰り返し(てのひら)で払いながら、いう。

 

「ごめんごめん、でも、いわなきゃ伝わらないよ? 君も叫んでみたら?」

 

「叫ばないもん!」

 

「じゃあ、さっきのメッセージ、ばかって返事してみたら?」

 

「う……、そんなの……、できないもん……」

 

 ようやく槍が引っ込んだ。元気も引っ込んでしまった。

 

 これは、本当にマズかったかな。どうしよう。

 

「ひゃ?!」

 

 と、突然彼女が声を上げて、慌ててウィンドウを開く。

 

「メッセージ?」

 

「ううん、違くて、あのね、この時間にアラームセットしておいたの。その、ログアウトして、夕飯の支度(したく)しなくちゃだから……、ごめんね?」

 

「いや……」

 

 謝られたことに、なんでかショックを受けてしまった。どうしたんだろう僕。

 

「そっか。あれ? 今、何時(なんじ)? 何分?」

 

「五時、十五分……、十六分?」

 

「うわ……、僕も帰らなきゃ……」

 

 五時間以上も仮想世界に潜りっぱなしだった自分に驚きだ。これはハマってしまうと、とてもマズい。現実の身体(からだ)(なま)ってしまう。それに、そろそろ僕も夕飯の時間だ。

 

 僕が衝撃を受けていると、彼女はクスリと笑った。

 

「どうしたの?」

 

「帰らなきゃ、ってなんだかおかしくて。だってお家からログインしてるんでしょ?」

 

「ああ」

 

 確かに、僕たちの身体(からだ)はどこにも行っていないのだから、帰るというのはおかしかったかもしれない。でも、出会ったばかりの人と剣を交えたり、こんなふうに話したりして……。

 

「すっかり遠くに来た気分でしたけど」

 

「ね? ここすごいよね? もう、モンスターなんかいなくても、ただキレイな景色をみんなで眺めて歩くだけでもよかったのに」

 

「ええ、猪がいなければ最高でしたね?」

 

「うぅ……、そうなんだよ……」

 

 少しの、()があった。

 

「でも、そっか。お別れか」僕がいう。

 

「うん。バイバイ、だね」彼女が答える。顔を()せている。

 

 互いに家路(いえじ)につくこともなく、ログアウトしたら、そこはもう自分の家で、さよならか。

 

 ああ、(さみ)しいな、と。

 

 (がら)にもなく、そんな風に感じてしまった。

 

 でも、一期一会(いちごいちえ)だ。きっとこういうものだろう。

 

 ややあって、僕は口を開く。

 

「じゃあ、僕はこれで」

 

「うん、じゃあね。助けてくれてありがとう」

 

 彼女が、手を振って、それからメニューを開いた。

 

「どういたしまして」

 

 僕は軽く頭を下げて、それからメニューを開いた。

 

 ここで、何事もなく別れられていれば、僕の物語は始まらず、彼女の物語が終わってしまうことも、またなかっただろう。

 

 けれど僕の知らないところで、世界は変わってしまっていたのだ。

 

 トップメニューの一覧をじっと眺め、僕はようやく、それに気づいた。

 

 ……あれ? どうするんだっけ? と。

 

「あの、すみません」

 

「うん?」

 

 メニューを操作していた彼女が、僕の呼びかけに手を止めた。

 

「ログアウトボタンって、どこでしたっけ……?」

 

「トップメニューの一番下だよ?」

 

「ないんですけど……」

 

「え? ……ほんとだ」

 

 彼女もないらしい。僕の見間違いや勘違いではないわけだ。

 

「どういうことですかね……?」

 

「バグ、だと思うけど……、えっと、GM、呼んでみるね」

 

 GM、ゲームマスター、つまりこの世界を管理運営する人たち。

 

 現実のパソコンでここの様子を見ていたり、ゲーム内部に常駐(じょうちゅう)したりしているスタッフだ。

 

 この世界の支配者といっていい。

 

「GMコールってボタンですよね? 僕も押した方がいいですか?」

 

「うん、お願い」

 

 ボタンを押すと、CALLINGアイコンが点滅して、スタッフの呼び出し中であることを示した。示しただけだった。なんの音沙汰(おとざた)もないまま、しばらく時間が過ぎた。

 

「あの……、ログアウトの方法って、他にないんですか?」ふと思いついて訊いてみる。

 

「外にいる誰かが、リアルの誰かが、ナーヴギアを外してくれればいいんだけど……」

 

「自分からは、できない?」

 

「……うん。ログアウトするには、メニューを開いて、ログアウトボタンを押す以外の方法は、なかったはずだよ。マニュアルは全部読んだけど、緊急切断の方法は、なかったよ」

 

「GM、来ませんね……」

 

「うん、来ないね……」

 

「夕飯、おあずけですね?」

 

「…うん」

 

「お腹、すきましたね……?」

 

「……うん」

 

 名状しがたい沈黙があった。

 

 三分か、五分かの後、彼女が口を開いた。

 

 ひどく不安そうな、震える声で。

 

「あのね、今ね、メッセージが来たんだけど……」

 

「GMですか?」そうでないことは彼女の様子から明らかだったけれど、つい訊いてしまった。結局というかなんというか、彼女から語られたのはこの異常をむしろ、裏づける情報だ。

 

「ううん、友達。次の村に着いたら、ひどい騒ぎになってたって。やっぱり、誰のメニューにもログアウトボタンがないって。けっこう前から、みんな騒いでるみたいって。誰にも、なんのアナウンスもないって。これ、変だよね……? 絶対変だよね……?」

 

「あの、つまり、今、僕たち……」

 

 僕は慎重に、言葉を探した。この状況をできるだけ正確に表す言葉を選んだ。

 

 結局、ひどく単純でバカらしいセリフしか出てこなかった。こんな一言だ。

 

「……ゲームの中から、出られない?」

 

「……うん」

 

 そんなまさか、という言葉は、しかし胸の内でぐちゃぐちゃに(から)まって、口に出せなかった。

 

 彼女は、もうそれがクセになっているのか、長槍を胸の前で、不安そうに両手で握り締めている。()(いだ)くように、ぎゅっと。

 

 彼女があんまり不安そうだから、僕はこんなことをいってみた。

 

 とにかく彼女を元気づけたかった。

 

「あの、僕、ティジクンです」

 

「……え?」

 

 と、やや呆気(あっけ)に取られたように彼女。

 

「僕のプレイヤーネーム、ティジクンです。君の名前を、まだ聞いてない。ケイタ君の名前は聞いたのに」

 

「あ、そっか。そうだよね」

 

 彼女の声から、不安の色が落ちたことにほっとして、けれどその名を僕が聞く前に。

 

 

 ―――リンゴォン……

      リンゴォン……

 

 

 遠く、重苦しい鐘の音が聞こえた。

 

 何度も何度も響いている。

 

 直後、僕と彼女は、鮮やかな青の光に包まれた。彼女が小さく悲鳴を上げた。

 

 青い光の向こう側で、黄金色の草原が薄らいで、遠のいてゆく。

 

 ドクン、と鼓動するように大きく光が瞬いて、広がって、僕の視界を(おお)い尽くした。

 

 光の中で、天使の声を聞いた気がした。

 

 

 ―――これからこの世界で、すごく大変なことが起こるの。

    辛いこと、悲しいことが、たくさん、いっぱい、あるかもしれない。

 

 

 そして、世界はその()りようを、永久に変えた。

 




【予告】
 
 突如としてふたりを包み込んだ謎の光。

 ワープした先は、一万人の群衆がひしめくはじまりの街だった。

 そこで待っていた空飛ぶ巨人の非情な宣告に、ティジクンはなにを思うのか。

 次回、【神の宣告】

 
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