SAO外伝 血の盟約の下に   作:佐藤 黎曜

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 本作品は私の書き下ろしであり、【原作の大幅コピー】などしないよう大変に気を遣っており、今話は、風景や心情描写など工夫して原作との差別化を図っておりますが、茅場晶彦の台詞のみ、原作1巻、【アインクラッド】よりそのまま引用させていただいております。

 万一問題がある場合、サイト運営者様には、お手数ですが事前の警告をお願いいたします。今話のみ削除、ないしは編集という形で対応させていただきます。


 それでは失礼します。

 本編をお楽しみください。

 


神の宣告

 

 足場の感触が、硬い。草や土じゃない。

 

 青い光が晴れると、そこはもう黄金色の草原ではなかった。広がるのは見覚えのある石畳だ。

 

 街路樹。中世風の街並み。正面に黒光りする宮殿。

 

 さっきディアベルと戦ったばかりの、はじまりの町、中央広場だ。

 

 鐘の音は、しつこく響き続けている。

 

 辺りで、青い光が(またた)(たび)に、様々な装備に身を包んだ人々が次々に現れる。どうやら、このゲームじゅうのプレイヤーがここに集められているらしい。

 

 全員……たぶん、一万人近いプレイヤーが出現を終えると、ようやく鐘の音が止まった。

 

 人々がざわめき始める。

 

 人々のざわめきが大きくなってゆく。

 

 ざわめきに苛立(いらだ)ちが混じり、そこかしこで怒鳴(どな)り声が上がり始める。

 

 ふざけんな、とか、GM出てこい、とか、早く出せよ、とか。

 

 僕はもう、あんなふうに叫ぶ余裕はなかった。

 

 嫌な予感がした。すごく嫌な予感がしたのだ。

 

「なに……、なんなの……? なんで強制ログアウトさせないの……?」

 

 と、もう泣きそうな声で彼女。僕の(そば)にそのまま転移させられたらしい。

 

「運営から、なにかお知らせがあるんじゃないですかね……」

 

 完全に気休めだった。彼女から反応はなかった。けれどこの言葉は当たっていた。皮肉にも。

 

 誰かが叫んだ。「あっ……上を見ろ!」

 

 見た。

 

 遥か上空、岩のゴツゴツした天蓋(てんがい)を、血のように真っ赤な(はち)の巣状の模様が()め尽くしていた。その内側に交互に表示され、不気味に明滅しているのは、二つの言葉。

 

【Warning】、それから、【System Announcement】。

 

 システム。アナウンス。つまりはゲーム運営者からのお知らせ。

 

 ざわめきが引いてゆく。

 

 ああ、これでようやく文句がいえる。事態を説明してくれる。現実に帰れる。

 

 そんな安心感が、場を包み込もうとする気配がわずかにあった。

 

 僕はちっとも安心できなかった。

 

 ワーニングの単語の意味は忘れてしまっていたが、その、毒々しい演出からなんとなく意図は()み取れる。これは警告だ。決して見逃すな、目を()らすな、という。

 

 やがて、警告文に埋め尽くされた空の一点が、パックリ裂けた。

 

 傷口から血が(したた)るように、そこから(ねば)()のある真っ赤な液体らしきものが垂れ下がって、けれども垂れ落ちることなく大きく(ふく)れ、徐々(じょじょ)に形を成してゆく。

 

「ひっ……」(かたわ)らの彼女が小さく悲鳴を上げた。

 

 無理もない。かなりの恐怖映像だった。

 

 血が()ね上げられるようにしてカタチを成したのは、身の(たけ)二十メートルほどの、真っ赤な、魔術師然とした衣装だった。そして衣装だけだった。(そで)(すそ)のゆったりとした服には中身がない。引き下げられたフードの、裏地(うらじ)()い目も丸見えだった。頭も顔もないのだ。

 

 透明人間の巨人が、遥かな高みから僕らを見下ろしていた。

 

 そこかしこで、遠慮(えんりょ)しがちの(ささや)き声が聞こえる。

 

 なんで顔ないの? とか、怖ぇよ、とか、GM? GMだよね? とか。

 

 囁き声を抑えるように、その右袖が動いた。広がった袖口から、宙に浮かんだ中身が空っぽの白い手袋が覗いた。

 

 次いで、見えざる左手も同じように(かか)げられた。

 

 その、両腕を広げた姿勢から僕が連想したのは、僕が小さい頃の父親だった。父は、飛び込んでくる僕や妹をあんなふうに受け入れて抱き()めたように思う。

 

 透明な巨人は、この世界を、ここにいる人々を、この世界に来た人々を、歓迎し、(いつく)しみ、包み込もうとしているように、そんなふうに僕には見えた。

 

 気味が悪いことこの上ない。

 

 やがて顔のない彼は、歓迎するよう、慈しむよう、見えざる口から最初の一言を発した。

 

 

『プレイヤーの諸君、私の世界へようこそ』

 

 

 低く落ち着いた、よく通る男の声だった。

 

 あのさあ、と。

 

 僕はこのゲームの開発スタッフの一人である内地(ないち)の友人に心の内で呼びかけた。

 

 ねえ、お前これ、だいじょうぶ?

 

 なんか、とんでもないことになってない?

 

 僕の(あき)れと(おそ)れをよそに、巨人は両の腕を下ろして、なおも語る。

 

『私の名前は茅場晶彦(かやばあきひこ)。今やこの世界をコントロールできる唯一の人間だ』

 

 だいじょうぶじゃなかった。とんでもないことになっていた。

 

 僕の友人にも、他の誰にも、この世界はもう制御できないと、彼はそういったのだ。

 

 透明な巨人改め、自称茅場晶彦は、さらに言葉を続ける。

 

 にわかには理解しがたい言葉を続ける。

 

『プレイヤー諸君は、すでにメインメニューからログアウトボタンが消滅していることに気づいていると思う。しかしゲームの不具合ではない。繰り返す。これは不具合ではなく、《ソードアート・オンライン》本来の仕様である』

 

 仕様。不具合ではない。

 

 つまり、そういうふうにこのゲームを作ったのだと、最初から僕らを、プレイヤーの全員を、ログアウトさせる気はなかったと、そういっているのか。なんのために?

 

『諸君は今後、この城の(いただき)(きわ)めるまで、ゲームから自発的にログアウトすることはできない』

 

 城。空飛ぶ鉄の城。浮遊上アインクラッド。

 

 ゲームのパッケージに、マニュアルに、コマーシャルの売り文句に、幾度となく出てきた、その単語。いわば、この世界そのもの。

 

 頂を極めるまで、天辺(てっぺん)に上るまで、ログアウトできない。

 

 まさか、と思った。

 

 けれど僕は、彼のいわんとすることを、彼のしようとしていることを、どうしようもなく、察し始めていた。

 

 察し始めてはいたけれど、見通しは甘かった。

 

『……また、外部の人間の手による、ナーヴギアの停止あるいは解除も有り得ない。もしそれが試みられた場合――』

 

 わずかな、()

 

 ゆっくり、慎重に、誤解の余地なく、次の言葉は発せられた。

 

『――ナーヴギアの信号素子が発する高出力マイクロウェーブが、諸君の脳を破壊し、生命活動を停止させる』

 

 こいつは、なにをいっているんだ。

 

 生命活動を停止させる。

 

 つまり、殺す?

 

 あの、無骨(ぶこつ)なヘルメットの電源を切ったり、また、外そうとしたりすれば、その脳を焼き切ると、被っている人間を殺すと、彼は今そういったのか。

 

 あたりが再びざわつき始める。

 

 けれど人々のほとんどは、今の言葉を信じ切れていないようだ。僕も同じだ。

 

 だって、ゲーム機だ。Wiiやプレステの親戚だ。

 

 それが……、脳を破壊するだって?

 

 遊戯(ゆうぎ)用の玩具(おもちゃ)が人を殺すという気味の悪い発想を、僕はどうしても上手く()み込めなかった。そんなこと本当にできるの?

 

「だって……だって……、そんなの無理だよ……、絶対無理……」

 

 (かたわ)らの彼女がいった。

 

 彼女は槍を握り()めて、無理だよ、と何度も繰り返した。自分にいい聞かせるように、何度も何度も、繰り返した。

 

「無理、なんですか? ハッタリ……?」

 

 僕は()いてみた。訊かなければよかったかもしれない。

 

「原理の上でなら、できるよ……? でも、電源コードを抜いちゃえば、そんな出力は……」

 

 そこで彼女は言葉を区切って、急激に顔を青ざめさせた。

 

 震えている。そして震える唇から、呟く。

 

「バッテリセル……」

 

「バッテリセル?」

 

「バッテリー……、大容量のバッテリー、ナーヴギアは、積んでるの……、だから、だからね、コードを、抜いても、出力は……」

 

 そこまで口にして、彼女はぼろぼろ泣き出してしまった。

 

「わかりました。もういいですから……、考えなくていいですから……」

 

 近くに寄って、声をかける。

 

 彼女の背は僕より高くて、撫でたり抱いたりは上手くできそうになかったから、できるだけ優しく、背中に手を添えて、声をかけるしかなかった。

 

 どこかで叫び声が上がった。

 

 無茶苦茶だろそんなの、瞬間停電でもあったらどうすんだよ、と。

 

 その声に答えるように……、あるいは実際にここの様子を見ているのかもしれないけれど、巨大な彼は、再び語り始めた。

 

 聞き逃すまいと、僕は彼女の背に触れたまま、再び顔を上げた。

 

『より具体的には、十分間の外部電源切断、二時間のネットワーク回線切断、ナーヴギア本体のロック解除または分解または破壊の試み――以上のいずれかの条件によって脳破壊シークエンスが実行される。この条件は、すでに外部世界では当局およびマスコミを通して告知されている。ちなみに現時点で、プレイヤーの家族友人等が警告を無視してナーヴギアの強制除装を試みた例が少なからずあり、その結果』

 

 声は、そこで一呼吸入れた。

 

 続きは正直、聞きたくなかったけど、聞かせたくもなかったけど、なにしろ声はよく響いた。

 

『残念ながら、すでに二百十三名のプレイヤーが、アインクラッド及び現実世界からも永久退場している』

 

 彼女はついに悲鳴を上げて、その場にへたり込んでしまった。カラン、と槍を取り落とし、両手で頭を抱えて、嫌、嫌、と、涙にえずきながら繰り返した。

 

 さっき黄金色の草原でそうしたように、その傍に屈んで彼女を(なぐさ)めたい気持ちはあったけれど、僕はそうしなかった。だって今、しゃがみ込んでしまうと、あの敵と向き合えない。僕の背は低いので、他の、平均身長のかなり高いプレイヤーたちの(かげ)になって、しっかりとあの、僕の前に現れた敵を見据えられない。

 

 だって、この神様気取りのクソ野郎、なんていったんだ。

 

 だってコイツ今、なんつったよ?

 

 二百十三人、殺したと。

 

 自分の商品を買い求めて使用したお客様を、脳味噌焼き切って殺しやがったと。

 

 僕のかけがえのない友人の、ゲームを作って子供たちを楽しませたいんだという夢を、一緒に戦おうという約束を、よりにもよって本物の死で汚しやがったと。

 

 残念ながら? 残念なのはテメエの頭だろ。ふざけんな殺すぞ。

 

 僕の怒りを歯牙(しが)にもかけず、けれども奴は(おごそ)かに続けた。

 

『諸君が、向こう側に置いてきた肉体の心配をする必要はない。現在、あらゆるテレビ、ラジオ、ネットメディアはこの状況を、多数の死者が出ていることも含め、繰り返し報道している。諸君のナーヴギアが強引に除装される危険はすでに低くなっていると言ってよかろう。今後、諸君の現実の体は、ナーヴギアを装着したまま二時間の回線切断猶予(ゆうよ)期間のうちに病院その他の施設へと搬送(はんそう)され、厳重な介護態勢のもとに置かれるはずだ。諸君には、安心して……ゲーム攻略に(はげ)んでほしい』

 

 また、誰かが叫んだ。

 

 ゲームを攻略しろだと。ログアウト不能の状況で、呑気(のんき)に遊べってのか、と。

 

 こんなの、もうゲームでも何でもないだろうが、と。

 

 それを聞いて僕は、「(ちげ)ぇよ」と、小さく呟いた。「もう遊びじゃねえよ……」と。

 

 僕の考えを裏づけるよう、敵は穏やかに宣誓(せんせい)した。

 

『しかし、充分に留意してもらいたい。諸君にとって、《ソードアート・オンライン》 は、すでにただのゲームではない。もう一つの現実と言うべき存在だ。……今後、ゲームにおいて、あらゆる蘇生(そせい)手段は機能しない。ヒットポイントがゼロになった瞬間、諸君のアバターは永久に消滅し、同時に』

 

 この勝負のルールを、宣言した。

 

 

『諸君らの脳は、ナーヴギアによって破壊される』

 

 

 息が荒い。身体(からだ)がおかしい。

 

 この作り物の身体(からだ)は、どこまでも作り物で、歯はどれだけ食い縛っても砕けることはなかったし、少しでも落ち着きを取り戻そうと、腹の底で、胸の奥で、一生懸命に息をしても、周りの筋肉はスカスカでちっとも動かないし、拳をどれだけ握り締めても、二の腕が(ふく)らむ感覚も、爪が肉に食い込んで()がれることも、(てのひら)から血が(したた)ることもなかった。

 

 痛みが、今すぐ痛みが必要だった。

 

 理解があった。怒りがあった。

 

 けれど実感が足りなかった。

 

 腹は立たなかった。胸は痛まなかった。

 

 そして身体(からだ)で感じることのできない怒りは頭にきた。

 

 脳が煮えている。これではナーヴギアにチンされるまでもない。とっくに死にそうだ。いや、違う、死んでる場合じゃない。アイツ殺さないと。

 

 生身の肉体という縛りを失って、僕の中からなにかとんでもない怪物が生まれようとしているのを、僕は必死に抑えつけた。

 

『諸君がこのゲームから解放される条件は、たった一つ。先に述べたとおり、アインクラッド最上部、第百層まで辿り着き、そこに待つ最終ボスを倒してゲームをクリアすればよい。その瞬間、生き残ったプレイヤー全員が安全にログアウトされることを保証しよう』

 

 僕は黙っていた。

 

 怒りを抑えて黙っていたというより、怒りに抑えつけられて黙っていたという方が正しいが。

 

 殺す、あの野郎絶対に殺す。そればかりが思考を()めた。

 

 茅場晶彦。彼については深くは知らない。

 

 量子物理学と、大脳生理学と、電子工学を一人でそれぞれ数世紀単位で進歩させたとんでもない天才で、ナーヴギアと、このゲームの開発者。

 

 雲の上の人。

 

 顔も見たことないし、声も聞いたことはない。

 

 だから、ここで喋っている彼が本物の茅場晶彦であるのか、名前を(かた)る別の何者かであるのかは、正直わかりかねたが、この時点で、ただひとつわかったことがある。

 

 ここまで聞けば嫌でも察する。

 

 こいつ、本気だ。本気で狂っているのだ。

 

 本気で一万人に、そして僕にケンカを売りやがったのだ。だから殺す。

 

 僕が決意を、殺意を固めていると、また誰かが叫んだ。同じあたりから、さっきから何度か叫んでいる奴と同じ声だ。騒がしいヤツもいたものだ。

 

 うるせえなあ、先に殺すぞ、と思いつつ、叫び声の、言葉の内容はなんとか頭に入っていた。

 

 (いわ)く――百層だと、できるわけない、ベータじゃロクに上れなかったと聞いた。

 

 僕は()えた頭でザクッと計算する。ディアベルはなんていっていたっけ。

 

 ベータで見つかった最初のキャンペーンクエストは、三層で始まって、終わるのが九層。

 

 ベータテスト期間は、八月いっぱいだったはず。一ヵ月で、少なくとも九層か、十層までは上れたわけだ。

 

 なら、クリアまで十ヶ月か。

 

 死ぬ気でやって、殺す気でやって、じゃあ、半年くらい?

 

 僕がそんな見通しを立てていると、再び奴は語り始めた。

 

『それでは、最期に、諸君にとってこの世界が唯一の現実であるという証拠を見せよう。諸君のアイテムストレージに、私からのプレゼントが用意してある。確認してくれ(たま)え』

 

 正直うるさかった。

 

 もういいだろ、早く殺しにいかせろ。プレゼント? これ以上なにがあるっていうんだ。

 

 そんなことを思いつつ、周りの人たちがそうしたから仕方なく、僕は右手の中指と人差し指を(そろ)えて、上から下に振った。チリリン、とメニューウィンドウが開く。

 

 こっちこっち、と示すように、あるいはバカにするように、ぴこぴこ鬱陶(うっとう)しく点滅しているアイテム(らん)を指先で叩くと、持っているアイテムの一覧が表示された。今まで狩った猪の、皮とか肉とか牙とか。それで、その一番上で、見知らぬモノが点滅していた。

 

【手鏡】。

 

 僕はそれに触れて、浮き上がった小窓からオブジェクト化のボタンを押した。

 

 目の前、宙がキラキラと光って、平べったい長方形が現れた。

 

 手に取ると、それはまさしく手鏡だった。

 

 中を覗き込んで、あれ? と思った。

 

 ひどく嫌な目つきの美男子がこちらを睨みつけていた。

 

 これ誰だっけ? ああ、僕か。

 

 確かにこんな顔を作った。これがどうしたんだ。

 

 意図を問うべく、僕が奴を睨み上げると、突然、辺りの人々が真っ白い光に包み込まれた。

 

 僕も。

 

 (くら)む視界は、しかしほんの二、三秒で晴れた。

 

 元通りの風景が、はじまりの町の中央広場が、広がっている。

 

 ……いや、違う。なにか違う。

 

 周りの人々の、鮮やかな髪色が、ほとんど黒か、他の地味な色に変化している。

 

 平均身長が、ずいぶん低くなって、視界が(ひら)けた。

 

 女性の数が、ごっそり減っている。代わりに、女性用の可愛らしい服に身を包んで、居心地の悪そうに立ち尽くす、(いか)つい、あるいは頼りない体格の男たちが現れた。

 

 ざわめき。誰だよ、お前こそ誰だよ、お前男だったの、17って嘘かよ、オレの顔、どうして。

 

 ……顔?

 

 予感に打たれて、僕は手元の鏡に目をやった。

 

 予想通りのモノが映っていた。

 

 色素の薄い、柔い質感のくしゃくしゃとした短髪。丸く(ふく)らんだ(ほお)。太めの(まゆ)の下に、垂れた大きな眼窩(がんか)に収まった、けれど相変わらず殺気立って瞳が(ちじ)み上がったままの目があった。

 

 現実の僕の顔だった。

 

 この身体(からだ)が、この作り物の身体が、今は僕らの身体で、僕ら自身なのだと、どうやら奴は、そういっているらしい。

 

 安い演出だった。僕はイラついて手鏡を地面に叩きつけた。あっさり割れて消えた。

 

 たぶん、顔の形はナーヴギアが中身と同じく読み取ってくれたのだろう。体格は……、そういえば初めてアレを装着したとき、セットアップステージとかいって自分の身体をあちこち触らされた。測っていたのだ。もうどうでもいい話だけれど。

 

『諸君は今、なぜ、と思っているだろう』

 

 思わねえよ早くしろ。

 

『なぜ私は――SAO及びナーヴギア開発者の茅場晶彦はこんなことをしたのか? これは大規模なテロなのか? あるいは身代金目的の誘拐事件なのか? と』

 

 そこで、奴の声が、うざったい熱を帯びるのがわかった。

 

 それは悲願を果たした、喜びの声かもしれなかった。

 

『私の目的は、そのどちらでもない。それどころか、今の私は、すでに一切の目的も、理由も持たない。なぜなら……この状況こそが、私にとっての最終的な目的だからだ。この世界を創り出し、観賞するためにのみ私はナーヴギアを、SAOを造った。そして今、全ては達成せしめられた』

 

 僕の殺意はそろそろ限界だった。

 

『……以上で《ソードアート・オンライン》正式サービスのチュートリアルを終了する。プレイヤー諸君の――健闘を祈る』

 

 それがどうやら最期の一言らしかった。

 

 血のように真っ赤な衣装が音もなく上昇してゆき、天蓋にフードから溶けてゆく。肩口が、袖が、広がった裾が、衣装と同じく紅く染まった岩石の天井に吸い込まれて消えてゆく。

 

 最後にひとつ、波紋(はもん)を残して、完全に消滅しようというところで、僕はほとんど無意識に、ベルトからナイフを引き抜いて、天に向かって、奴に向かって投げた。

 

 投剣スキル、【シングルシュート】は、システムアシストの加速に従い、天に向かってか細い白銀の尾を引いて向かってゆき―――キャラ性能の問題か、途中で光を失って、わずかに(きら)めいてから落下してゆくのが確かめられた。気づいた奴はほとんどいなかったろう。クソが!

 

 奴の姿が、ついに完全に消えて、天空を(おおい)い尽くす真っ赤な網目と英文が消えて、本来の、(かす)んだ灰色を取り戻した。

 

 風が吹いた。

 

 町に、白々しく穏やかな環境音楽が戻ってきた。

 

 穏やかな音楽は、けれど直後に……、悲鳴と怒号と絶叫に塗り潰された。

 

 出せ、ここから出せよ、とか、困る、この後約束が、仕事が、とか、嘘だろ、とか、一万人近くの人々からそれぞれ発せられる言葉は、その実、どれも変わり映えしないようだった。

 

 うるせえ。

 

 あの、自称茅場晶彦もムカつくけれど、(わめ)き立てるだけの群集にも苛立った。

 

 彼らは役に立ちそうにない。一人で戦おう。

 

 僕は一人で街の外に出て、フィールドのモンスターを皆殺して、迷宮区のモンスターを皆殺して、各層のフロアボスを全部皆殺して、最上層のラスボスをブチ殺して、現実に戻ってからなんとしてでも茅場晶彦を探し出して本物の、生身の拳骨(げんこつ)で殴り殺すことを決めて、最初の一歩を踏み出して―――「お父さん……」と、弱々しいその声を聞いた。

 

 その声は小さかったけれど、いくつもの叫びの合間(あいま)()って、僕の耳に届いて、僕の足を、止めた。女の子の声だった。近くの、足元から聞こえた。

 

 振り向いて、視線を落とした。

 

 知らない女の子がうずくまっていた。

 

 知らない女の子は、けれど知っている女の子だった。

 

 深い青の衣服にミニスカート。(ひざ)をついてうずくまった姿勢を差し引いても、背は低い。

 

 (つや)やかな黒髪は、肩口で切り(そろ)えられたおかっぱ。

 

 近くに見覚えのある長槍(ながやり)が転がっていた。

 

 うずくまって、顔を()せて、両手で顔を覆って、嗚咽(おえつ)の混じった声で、彼女はお父さん、と繰り返していた。お父さん、助けて、お父さん、と。

 

 外見は変わっていたけれど、さっき黄金色の草原で出会った、彼女だった。

 

 それで、僕はたぶん、正気に返った。

 

 僕は今、どうしていた? なにをしようとしていたんだ。

 

 我を忘れて、彼女を忘れて、いったいなにを考えていたんだ。

 

 奴を殺す。その決意こそ残っていたが、そこに狂的な熱はもうなかった。

 

 例え、この先この世界をずっと戦ってゆくにしても、彼女と出会った意味まで無に還したくはなかったから、僕はその傍に片膝をついて、その肩にそっと手をかけた。

 

 彼女は自分の顔を覆っていた手を()けて、こちらを見た。

 

 涙に()れた頬はさっきよりもいくらか少女らしい丸みを帯びて、涼やかだった目は少し大きくなって、頼りなく垂れて、不安に揺れていた。

 

 右の目尻の泣きぼくろだけがそのままで、なんだかそれが嬉しかった。

 

 声をかけた。

 

 なにしろ周りはすごくうるさかったので、優しく、けれど小さくはなく、できるだけはっきりとした声で、こんな風に声をかけた。

 

「僕が誰だかわかる?」

 

「え……」

 

「ティジクン。僕の名前はティジクンだ。さっき草原で会ったよね」

 

「あ……、え……?」

 

 僕の顔が変わってしまったからか、それともこの異常な状況からか、彼女の反応は(にぶ)かったけれど、僕は構わず話を続けた。

 

「君の名前、自分の名前、いえる? プレイヤーネーム。まだ聞いてないよ」

 

「え……と……サ……チ……です」

 

「サッチ。じゃあ、少し落ち着こうか。息吐いて。ゆっくり。コォ―――……」

 

 彼女はぎこちなく僕の後に続いて、ほぉ、ほぉ、と息を吐いた。

 

「そうそう、ダースベイダーダースベイダー」

 

 いうと、ようやく彼女は弱々しく少しだけ笑った。

 

 僕は彼女の肩に置いていた手を離して、近くに転がっていた槍を拾うと、もう片手を差し出していった。

 

「手を。ここから離れるよ。うるさいからね」

 

 恐るおそる、こちらに伸ばされて触れた手を、しっかりと握り返して、そのまま引き上げて、立ち上がった。

 

 人波を縫って、彼女の手を引いて、早足で歩き出した。

 

 右手同士を繋いでしまったので多少ぎこちなく、左手の長槍を他の人に引っかけないように気をつけながら、僕らは広場を抜けた。

 

 後ろに遠のいてゆくいくつもの叫び声のうちの一つ、ぶっ殺してやる、茅場、という、男の金切(かなぎ)り声が、去り際に僕の背骨を引っかいた。

 

 




【おまけ劇場  茅場くんが見てる】

茅場「よかった、噛まずに喋れたぞ。
   ……どもったりはしていないな? 音声フィルタリングに加えてついシステムのオーバーアシストまで使ってしまった」

  ≪BEEP! BEEP!≫

茅場「……?! 馬鹿なッ! なんだこいつは!?」

   この後アイちゃんとムチャクチャ(ry
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