英雄よりも騎士になりたいと思うのは間違っているだろうか 作:琉千茉
「師匠に初めて会った時みたいに数匹のコボルトと遭遇したんですけど、そこを……」
「……見ない間も頑張ってるんだな」
「えへへ。あ、それから……」
主神抜きでの夕飯を『豊饒の女主人』で食べているチヒロとベルは、出された料理を食べながら、ベルが今日あった事をチヒロに話していた。それをチヒロは酒を飲みつつ、ご飯を食べつつ聞いている。
すると、そこに忍び寄る一つの影。
「楽しんでますか?」
「あ、シルさん! はい、すっごく!」
給仕の手を止めてそこへやってきたシルは、少し前まで自分の事を恨めしそうに見ていた少年が、満面の笑みで返事をした事にキョトンとする。だが、すぐに隣の彼がそうさせたのかと理解する。
そっとチヒロの耳元に口を寄せる。
「ありがとうございます、チヒロさん。今日の私のお給金、期待出来そうです」
もちろん半眼で返された。
そんな彼に微笑み、壁際に置いてあった丸椅子を持って、ベルとは逆になるチヒロの隣に陣取る。
「……仕事はいいのか?」
「キッチンは忙しいですけど、給仕の方は十分に間に合ってますので。今は余裕もありますし」
いいですよね? とシルがミアに視線を送れば、ミアも口を吊り上げながらくいっと顎を上げて許しを出してきた。
それにほら、大丈夫ですというようにチヒロに微笑んでくる。
小さな溜息をつくチヒロ。正直ダメだと言って欲しかった。
「……お二人は知り合いだったんですか?」
そんな二人のやり取りに、ずっと気になっていた事をベルは訊ねる。
それに答えようとしたのは、胸の前で手を可愛く合わて、微かに頬を赤く染めながら笑顔を浮かべたシル。
「お付き合いして――」
「ないからな」
即答で否定された。
絶叫しそうになったベルも、それにガクッと椅子から落ちる。
一瞬だけではあるが、自身の憧れであるベストカップル――チヒロとアイズ――に大きな亀裂が入った。それを何とか保つことが出来たベルは、椅子に座り直してホッとする。
「即答で否定しなくてもいいじゃないですか」
「余計な嘘はつくな。後々面倒なのは俺なんだからな」
何を思い出したのか、空色の瞳が少しだけげんなりしたように見えて、ベルは思う。モテる男は辛いって本当だったんだと。
チヒロの返答に少し納得していない表情を浮かべながらも、シルはベルに顔を向ける。
「チヒロさんはうちのお得意様なんです。チヒロさんの前主神クロノス様がこのお店をいたく気に入っていらっしゃって、よくチヒロさんを連れて来られていたんです。それでチヒロさんとはその時に運命の出会いを……」
「席に案内してもらっただけだ」
頬を微かに赤らめながら照れているシルと無表情のチヒロ。温度差の激しい二人に、ベルは苦笑する。
そんな彼の中で、ふとある疑問が浮かぶ。
「そういえば、その師匠の前の神様って、どんな神様だったんですか?」
「!」
チヒロの冷たい態度にむーっと頬を膨らませていたシルが、その何気ない質問にハッとして微かに表情を暗くする。それにベルは、慌てて手を横に振る。
オラリオから少し離れた田舎に住んでいたベルだが、チヒロのファミリアやその主神の話は知っている。
色んな意味で名を轟かせていた主神とその眷属であるチヒロ。もちろん、冒険者にその名を知らない者はいない。冒険者に憧れる者達の中でも知らない者が少ないのではないだろうか。
それぐらいにチヒロとその主神クロノスの名は有名だった。そして、一年前にそのファミリアが消滅したという事も。
「あ、えっと! その、不躾に聞いてしまってすみません! 言えないような事でしたら――」
「……チビで俺様」
「……へ?」
最後まで言うことが出来ずに終わったベルは、間抜けな声を出す。
自分の言葉を遮った人物を見れば、自分とシルの間で酒を仰いでいた。そして、全て飲み干してそのジョッキをカウンターの上に置く。
普段通りの彼は、普段通りの口調で話し出す。
「長い黒髪に黒色のつり目。身長はヘスティアより少し大きぐらいのチビ。だけど、態度はめちゃくちゃデカイ。『俺様最強!』なんて馬鹿言ってるような神様だ」
だが、その空色の瞳はどこか懐かしそうで。どこか悲しそうだった。
「チヒロさん……」
チヒロが彼の事を口にした事に、シルは微かに目を見開いている。
彼女が知っている限りで、再会してからチヒロが彼の話をするのは今日が初めてだった。
「何というか……また個性的な神様だったんですね」
「他の神からは【異端の神】なんて呼ばれて畏れられてたな」
聞いただけで圧倒される神クロノスに、ベルは苦笑する。そこで気づく。チヒロの二つ名の事を。
「あれ? それってもしかして、師匠の二つ名もそこからきてるんですか?」
「それもあるな」
他にも理由はあるが、チヒロの二つ名【異端児】は、異端の神の子だから異端児なんて意味もある。
チヒロ本人は正直二つ名など興味は無かったが、「俺様と一緒だぞ! 喜べ!」なんて言うクロノスがあまりにも嬉しそうだったから、理由はどうあれこの二つ名を気に入っている。
「知人からは『クロ』って呼ばれる事が多いな」
「師匠はどうやってそのクロノス様と出会ったんですか? 僕と同じように冒険者に憧れてオラリオに来てとか……?」
その質問にチヒロの空色の瞳に微かに影が差す。だがそれは一瞬だけで、気づいている者はいない。
「いや、クロと出会ったのはクロが旅をしている途中にだ。倒れていた俺をクロが拾ってくれたんだ」
「え? 倒れていた?」
「まぁ、色々な……」
そう言葉を濁して、シルが注いでくれた酒を飲む。
ベルはそんなチヒロを見ながら、それ以上は追求しない。
正直、知りたいという思いはあるが、きっとこれ以上は話してくれないと思った。
何よりも深く追求して彼に嫌われでもしたら、ベルは立ち直れる気がしない。
ファミリアに加入して約半月。焦る必要はない。これから彼の
「クロノス様と言えば、『ハーレムは男の浪漫!』とか、よく変なこと言ってた事もあって、一部の人からは変神とも呼ばれていましたよね?」
笑顔でなんて事を言うんだ、この女性はと思ったベルだが、ハッとする。
チヒロを見れば、サッと目を逸らされた。
「シルさん! その話もっと詳しく――」
「ダメだ。これ以上お前の頭がピンクになられたらこっちが堪ったもんじゃない」
彼は教えてくれないと判断したベルがシルに問えば、その彼から拒絶の言葉が飛んできた。
昨日アイズとの事を追求された事が、相当嫌だったのだろう、その空色の瞳はげんなりとしている。
だが、ここで引いていいものかと悩む。もしかしたら、彼がハーレム属性を得たヒントがあるのではないか。ダンジョンで
「少しだけ!」
「ダメ」
「ちょっとだけでいいんで!」
「ダメ」
「ホントちょこっとだけ!」
「ダメ」
どんなにお願いしても断られて、ベルはガクッと肩を落とす。そんなベルを横目にチヒロは酒を仰ぎ、二人のやり取りに自分は何か不味い事を言ってしまったのだろうかとシルは苦笑している。
ちょうどその時、どっと十数人規模の団体が酒場に入店してきた。
その団体――ファミリアの主神を筆頭に小人族、アマゾネス、狼人、エルフ、ドワーフ、ヒューマンと他種族同士が案内された席へと歩いていく。
チヒロの顔が思いっきり引き攣った。
誰かに何かを言われるよりも早く、チヒロはカウンター席の下に隠れる。気配も全て消す。
「チヒロさん? どうして隠れるんですか?」
「……俺に話しかけるな。色々と事情があるんだ」
隠れたチヒロに、シルが一応小声で声をかければ、チヒロが余計な事はするなよというような目を向けながら、小声でそう返してきた。
チヒロはチラッと先程まで落ち込んでいたベルを見る。いつの間にか顔を赤く染めながらある一点を見て惚けている。
その一点とは、触れれば壊れてしまいそうな細い輪郭は精緻かつ美しく、よくできた人形というよりも、精霊や妖精、天使、女神なんて方がずっとしっくりくる彼女。
砂金のごとき輝きを帯びた金の髪、大きく際立つ金色の瞳、整った眉を微動だにせず、案内された席へと足を運ぶ彼女は、チヒロが見間違えるはずもなく、少し前まで一緒に行動を共にしていたアイズ・ヴァレンシュタインその人だ。
つまり、今彼女と一緒に入ってきた団体はオラリオ最強の一角【ロキ・ファミリア】。
今更ながらに思い出す、遠征の後に盛大な祝宴を開くのがロキ・ファミリアの習慣だったこと。
そして、その主神が『豊饒の女主人』を気に入っていることを。
「……おい」
「おお、えれえ上玉ッ」
「馬鹿、ちげえよ。エンブレムを見ろ」
「……げっ」
「あれが」
「……巨人殺しのファミリア」
「第一級冒険者のオールスターじゃねえか」
「どれが噂の【剣姫】だ」
周囲の客も彼らがロキ・ファミリアだということに気付いた途端、これまでとは異なったざわめきを広げていく。
「し、師匠! ヴァレンシュタインさんですよ! ヴァレンシュタインさん!」
我に返ったベルが、どこか興奮気味に、でもちゃんと小声でチヒロに声をかけてくる。
そんなベルにチヒロは俺に話かけるなと手でシッシッとやる。
「よっしゃあ、ダンジョン遠征みんなごくろうさん! 今日は宴や! 飲めぇ!!」
主神ロキの音頭を取る声の後に、一斉にジョッキをぶつける音が聞こえる。
シルから受け取った料理を口に運びながら、チヒロはこれからどうするかと思案する。
逃げるにしても位置が近い。例えバレずに外に出れたとしても、テラスにもロキ・ファミリアの団員達がいる。
今日宴に来ているのは、きっと遠征に出ていた団員達。全員がチヒロの顔をしっかりと覚えているのだ。
捕まらない自信はあるが、アイズ達に自分がいるとバレない自信はない。
捕まってしまえばなんて、一番最悪な事を考えて顔が微かに青ざめる。アイズのご飯の誘いを断った手前、もし居ることがバレれば、彼女をお気に入りとしているあの女神に何されるか分かったものではない。
「(……あいつらが帰るまで大人しくしてるか)」
一つ溜息をついて、今度は渡された酒を飲む。自分が食べたい時に、飲みたい時にそれを渡してくるシルは流石だと違う事も考えつつ。
耳に届くのは、ロキ・ファミリアの楽しそうな宴。
「団長、つぎます。どうぞ」
「ああ、ありがとう、ティオネ。だけどさっきから、僕は尋常じゃないペースでお酒を飲まされているんだけどね。酔い潰した後、僕をどうするつもりだい?」
「ふふ、他意なんてありません。さっ、もう一杯」
「本当にぶれねえな、この女……」
「うおーっ、ガレスー!? うちと飲み比べで勝負やー!」
「ふんっ、いいじゃろう、返り討ちにしてやるわい」
「ちなみに買った方はリヴェリアのおっぱいを自由に出来る権利付きやァッ!」
「じっ、自分もやるっす!?」
「俺もおおお!」
「俺もだ!!」
「私もっ!」
「ヒック。あ、じゃあ、僕も」
「団長ーっ!?」
「リ、リヴェリア様……」
「言わせておけ……」
盛り上がる宴に、チヒロは微かに笑みを浮かべる。こいつらは本当に変わらないなと。
今の自分が昔はクロノスに連れられて、あの中に居たなんて嘘みたいだ。
――クロ! 飲み比べで勝負やー! うちが勝ったらチヒロはもらうで!
――あぁ? ふざけんのはそのぺったん胸だけにしろよ、ロキ。チヒロは俺様が唯一認めた眷属だぞ! 渡さねーよ!!
忘れることのない、懐かしい声が聞こえる。
毎回馬鹿みたいに自分を景品にロキと飲み比べで勝負して、酔い潰れたロキを尻目に今日も勝ったぞー! なんて、酒臭い顔を近付けて抱き着いてきた主神。
酒臭いと文句を言いつつも、それが何だか嬉しくて、引き剥がす事は出来なくて。馬鹿みたいに楽しかった。
昔の事を思い出して感傷に浸っていたチヒロは、聞こえてきた声にハッとする。
「あ……あの、アイズさん」
「オ……僕達と一献! していただけませんか!?」
「え……えと……私は」
「どうか一杯だけ!」
隠れている為、それを確認する事は出来ないが、普段は一歩遠慮している後輩の団員達がここぞとばかりにアイズにお酒を勧めているのが会話で分かる。
「(やめろ! アイズに酒はダメだ! 絶対にダメだ!!)」
大声で制止したいが、出て行く事が出来ないため、願うように心の中でチヒロは叫ぶ。
すると、その願いが通じたのか、リヴェリアがそれを止めてくれた。それにチヒロはホッと息を吐く。
「……あれ、アイズさん、お酒は飲めないんでしたっけ?」
「アイズにお酒を飲ませると面倒なんだよ、ねー?」
「……」
「えっ、どういうことですか?」
「下戸っていうか、悪酔いなんて目じゃないっていうか……ロキが殺されかけたっていうか。チヒロに襲いかかったっていうかぁ」
「ティオナ、その話は……」
「あははっ! アイズ、顔赤~い!」
そんな会話を聞きながら、チヒロも思う。頼むからその話だけは止めてくれと。
「(思い出しただけで……)」
一気に自分の顔が熱くなるのを感じる。
「……酔った勢いで何されたんですか?」
「……頼む、聞かないでくれ」
しっかり彼女達の会話はベルの耳にも届いていたようで、こちらを興味津々と覗いてきた深紅の瞳から逃げるように、チヒロは体を丸めて膝に顔を埋める。その顔は真っ赤だ。
とりあえず、そんな彼の反応に襲われたっと言っても、攻撃の類ではない事を悟る。
「シルさんは何か――」
「何か?」
「ナンデモナイデス」
黒いオーラ全開のシルからサッと目を逸らす。そして再び悟った。
女性特有の揉め事が起こるような男にとってのビッグイベントがその時に起こったのだと。
今回チヒロ君の前主神の事をちょっとだけ書きました。
今まで呼称として使用していた『クロ』というのは愛称であり、正式には『クロノス』になります。
今後、彼の事もどんどん書いていこうと思います。