英雄よりも騎士になりたいと思うのは間違っているだろうか 作:琉千茉
「そうだ、アイズ! お前のあの話を聞かせてやれよ!」
「あの話……?」
それは突然だった。
「あれだって、帰る途中で何匹か逃がしたミノタウロス! 最後の一匹、お前が5階層で始末しただろ!? そんで、ほれ、あん時いたトマト野郎の!」
チヒロはハッとして顔を上げる。目に入ったのは、表情を強ばらせたベルの姿。
「ミノタウロスって、17階層で襲いかかってきて返り討ちにしたら、すぐ集団で逃げ出していった?」
「それそれ! 奇跡みてぇにどんどん上層に上がっていきやがってよっ、俺達が泡食って追いかけていったやつ! こっちは帰りの途中で疲れていたってのによ~」
ジョッキが卓に叩きつけられる音が響く。
普段より声の調子が上がっているベートに、チヒロは眉を顰める。グッと握り締める手に力が入り、その空色の瞳は普段とは違う色を宿していた。
もちろん、チヒロが居るなんて知らないベートは、尚も話し続ける。
「それでよ、いたんだよ、いかにも駆け出しっていうようなひょろくせえ
ベートの言った『ひょろくせえ
下から見る形のチヒロには、その表情が見て取れた。
「抱腹もんだったぜ、兎みたいに壁際へ追い込まれちまってよぉ! 可哀想なくらい震え上がっちまって、頬を引き攣らせてやんの!」
「ふむぅ? それで、その冒険者どうしたん? 助かったん?」
「アイズが間一髪のところでミノを細切れにしてやったんだよ、なっ?」
「……」
アイズに問いかけるが、何も答えない。見えない彼女が今の状況をよく思っていないのは容易に分かる。
それに更にチヒロの手を握り締める力が強くなる。
「それでそいつ、あのくっせー牛の血を全身に浴びて……真っ赤なトマトになっちまったんだよ! くくくっ、ひーっ、腹痛ぇ……!」
「うわぁ……」
「アイズ、あれ狙ったんだよな? そうだよな? 頼むからそう言ってくれ……!」
「……そんなこと、ないです」
声だけでべートが目尻に涙を溜めながら笑いを堪えているのが分かる。他のメンバーの失笑。別のテーブルでその話を聞いている部外者達の釣られて出る笑みを必死に噛み殺す声。
全てがチヒロの耳に入ってくる。
「それにだぜ? そのトマト野郎、叫びながらどっか行っちまってっ……ぶくくっ! うちのお姫様、助けた相手に逃げられてやんのおっ!」
「……くっ」
「アハハハハハッ! そりゃ傑作やぁー! 冒険者怖がらせてまうアイズたんマジ萌えー!!」
「ふ、ふふっ……ご、ごめんなさい、アイズっ、流石に我慢できない……!」
どっと周囲が笑い声に包まれる。誰もが堪えきれずに笑声を上げた。
「……」
「ああぁん、ほら、そんな怖い目しないの! 可愛い顔が台無しだぞー?」
笑いは収まる事はなく、まだ話題は尽きないぞと言わんばかりに、ベートは喋り続ける。
「しかしまぁ、久々にあんな情けねえヤツを目にしちまって、胸糞悪くなったな。野郎のくせに、泣くわ泣くわ。しかも、そいつあのチヒロの仲間らしくてよー!」
べートがチヒロの名前を出した瞬間、ベルが微かにビクッと揺れた。
シルが心配そうに自分に顔を向けてくるが、チヒロはそんなベルをじっと見つめている。
「【異端児】なんて呼ばれる孤高の冒険者の仲間がだぜ!? しかも、チヒロのこと師匠だってよ!! あいつ、腕は確かでも見る目はねえんだな!!」
ギュゥウウッとベルが強く膝に置いている手を握り締めた。その表情は悔しさで一杯で。
「泣き喚く冒険者が仲間なんざ、あいつも落ちたもんだよな。なぁアイズ?」
俺の事は何を言われたって構わない。
「ああいうヤツがいるから俺達の品位が下がるっていうかよ、勘弁して欲しいぜ」
だけど、俺の大切な
「いい加減そのうるさい口を閉じろ、ベート。ミノタウロスを逃がしたのは我々の不手際だ。巻き込んでしまったその少年に謝罪することはあれ、酒の肴にする権利などない。チヒロの事も同様だ。恥を知れ」
体を動かそうとしていたチヒロは、そのべートを制止する声により、動きを止める。この手の話題を彼女が不快感に思わないはずがない。
他の団員達は彼女――リヴェリアの非難の声により、口を閉じる。
だが、べートだけは止まらなかった。
「おーおー、流石エルフ様、誇り高いこって。でもよ、そんな救えねえヤツ擁護して何になるってんだ? それはてめえの失敗をてめえで誤魔化すための、ただの自己満足だろ? ゴミをゴミと言って何が悪い」
「これ、やめえ。べートもリヴェリアも。酒が不味くなるわ」
主神であるロキが嗜めるが、それでもベートは止まらず、リヴェリアからアイズへと対象を返る。
「アイズはどう思うよ? 自分の目の前で震え上がるだけの情けねえ野郎を。あれが俺達と同じ冒険者を名乗ってるんだぜ?」
「……あの状況じゃあ、しょうがなかったと思います」
アイズの言葉は正論だ。
ベルはまだ冒険者になって半月。駆け出しも、駆け出しだ。
Lv.1のベルがLv.2のミノタウロスに情けなくやられてしまうのは仕方の無い事なのだ。
そしてそれは、誰だって最初に通ってきた道だ。アイズやベート、ロキ・ファミリアのメンバーを含むこの世界にいる冒険者達全員が。
「何だよ、いい子ちゃんぶっちまって。……じゃあ、質問を変えるぜ? あのガキと俺、ツガイにするならどっちがいい?」
「……ベート、君、酔ってるの?」
その強引な問いに、軽く驚きながらフィンが問う。どう考えても今のベートは酔っぱらいの悪絡みだ。
だが、フィンの問いかけをベートは一蹴して、尚もアイズに食い下がる。
「うるせえ。ほら、アイズ、選べよ。雌のお前はどっちの雄に尻尾を振って、どっちの雄に滅茶苦茶にされてえんだ?」
チヒロの頭にカッと血が上る。ベルを罵倒された時とは、また違った感情。
「……私は、そんなことを言うベートさんとだけは、ごめんです」
「無様だな」
「黙れババアッ……じゃあ何か、お前はあのガキに好きだの愛してるだの目の前で抜かされたら、受け入れるってのか?」
「……っ」
アイズが言葉に詰まるのを感じた。
チヒロは知っている。
アイズには弱者を顧みる余裕がない事を。
遥か後方にいる者のために、足を止めることは出来ない事を。
アイズの目は常に前に、高みに向けられている事を。
その先に叶えなければならない願望がある事を。
「はっ、そんな筈ねえよなぁ。自分より弱くて、軟弱で、救えない、気持ちだけが空回りしてる雑魚野郎に、お前の隣に立つ資格なんてありはしねえ。他ならないお前がそれを認めねえ」
アイズは何も言い返さない。
「チヒロの事だってそうだ。アイツは負けたんだよ! 自分とこの神すら守れねえ雑魚野郎だよ、アイツもな!!」
そうだ、その通りだ。
俺は守れなかった。
俺は何一つ守れた事なんてない。
俺は強くなった気でいただけで、弱いままだ。
でも、そんなこと今はどうだっていいんだ。
俺の事なんてどうだっていい。
何て言われようと構わない。
でもな、他はダメだ。
「雑魚じゃあ、アイズ・ヴァレンシュタインには釣り合わねえ」
何も知らないくせにベルの事をとやかく言うな――。
嘲笑うように言い放った次の瞬間、べートの顔が卓の上に叩きつけられた。誰もがそれに驚愕する。
卓が割れて、料理が床に滑り落ち、お皿が割れる音がその場に響く。
ゆらりと動く白い影。
「おい、糞犬。俺の家族を馬鹿にして、タダで済むと思うなよ」
「チヒロ……?」
アイズの驚いたような声がチヒロの耳に届くが、チヒロは見向きもせず、蹲っているベートを見下ろしている。
すると、聞こえた勢い良く椅子が倒れる音。チヒロはそれにハッとする。
目に見えたのは、自分と同じ白髪が店を飛び出していく姿。
「ベルさん!?」
「ベル!!」
チヒロは、慌ててベルを追いかける。だが、店の外に出た時には、ダンジョンのある都市の中心、白亜の巨塔――摩天楼施設『バベル』に向かって走っていくベルの遠い背中が見えた。
それに一つ溜息をつく。彼が今からどこに行くのか、それだけで分かってしまう。
「チヒロさん、あのっ……」
「……大丈夫。あとで連れ戻す」
チヒロ同様、ベルを追いかけたシルが、心配そうにベルの背中を見て、チヒロを見た。
そんな二人の後ろに、遅れて店を出てきたアイズが近づいてくる。
「チヒロ……あの……」
何かを言おうとしているアイズをチラッと見て、チヒロは彼女の横を通り過ぎる。それにアイズが顔を俯かせる。
だが、今相手にするのは彼女ではない。
煮えくり返っている腹の底。それはアイズに向けるものではない。
「おい、糞犬。表出ろ」
「……ふざけんじゃねえぞ、糞異端児が」
卓にぶつけられた顔を押さえている手の隙間から、怒りに満ちた目がチヒロへと向けられる。
だが、それはチヒロとて同じだ。珍しく怒りに満ちた空色の瞳がベートを睨んでいた。
◆◆◆
ベートは言われたように外へと出て、チヒロと対峙するように立つ。
その周りには、いつの間にか野次馬が殺到している。酒場で喧嘩など日常茶飯事ではあるが、Lv.6とLv.5の喧嘩なんて早々あるものではないのだ。
皆が皆、どうなるのかと野次馬根性全開だ。
「……いいのかい? ロキ。あの感じだとベート半殺しにされちゃうよ?」
その中には、ロキ・ファミリアの団長であるフィンと主神ロキの姿もある。
ロキは、酒を飲みながら笑みを浮かべる。
「ま、ええんちゃうか? べートが蒔いた種やし。何よりあんな怒っとる【異端児】を止める事が出来る奴なんて、この中にはおらへんやろ」
「まぁ、確かにね」
主神の言葉に、フィンは肩を竦めて対峙している彼らを見る。
「言っとくが、てめえ相手に手加減なんざしねえぞ」
「なら、俺はしてやる」
そう言ってチヒロが腰に差していた阿修羅を、地面に置く。それにピクリとベートは眉を動かす。
「……舐めてんのかてめえ」
「無手の俺に負けたら、お前にはベルとアイズに謝罪してもらう」
「はっ! いいぜ。なら、お前が負けた時は――」
チヒロに向かって駆け出す。だが、すぐにその姿がパッと消える。
「てめえの仲間の雑魚野郎に謝罪してもらおうか!! 『雑魚なのに身の程知らずでごめんなさい』ってなあっ!!」
一瞬でチヒロの背後へと回って、右から顔に向けて繰り出される蹴り。誰もが当たると思ったそれ。
だが、それはチヒロに届くことはなかった。
「なっ!?」
逆手で掴まれた足。そのままグイっと引っ張られる感覚。
強い重力を感じた直後、ベートの背中に激痛が走った。
肺から全ての空気が吐き出る。だが、まだ終わってはいない。
掴まれたままの足が再び強い力により引っ張られる。
そして目の前には強く握られた右拳。ベートの端正な顔に、それがめり込む。
「ガハッ」
殴り飛ばされたべートが地面に蹲りながら血反吐を吐く。
ザッとすぐそこから聞こえた音に、顔を歪めながらも音を見上げる。
「もう一度聞こう……俺が負けたらどうするって?」
「糞がァ……!!」
再びベートがチヒロへと駆け出した。
盛り上がっていた野次馬達は、その場の光景にどんどん静まり返っていく。
目の前で行われているのは、一方的な暴力。理不尽とすら思える力の差。
Lv.6とLv.5の差は確かにあるが、チヒロは己の愛刀を使用せず、慣れない無手のはずなのだ。
だが、目の前ではそんな彼が自分へと向ってくる狼人を軽く射なし、何度も殴り飛ばし、蹴り飛ばしている。
「くそ、がっ……」
何度目かのダウンから立ち上がろうとしたベートだが、すぐに倒れ込む。その体は既にボロボロで、そんな彼の横にチヒロが立つ。
「お前が言ったように俺は弱い。それは認めてやる。だけど、アイツは違う」
チヒロの脳裏に過るのは、ダンジョンへと駆けていった白髪の少年の後ろ姿。
「アイツは強くなる。お前よりも……俺よりも」
「あの雑魚野郎がだと……?」
「ああ」
「……っ」
真っ直ぐ向けられた空色の瞳に、ベートは顔を歪める。
だが、すぐに逸らしてフラつく足で何とか立ち上がってチヒロへと背を向ける。
「……てめえの目はやっぱり節穴だ。泣き喚くことしか出来ねえ雑魚に構ってなんになる」
「!」
その言葉に、チヒロの脳裏に幼き頃の自分の姿が過ぎる。
「……別に構ってるつもりはない」
「あ?」
後ろから小さく呟かれた言葉。それにベートは振り返る。
見えたのは白髪。表情は顔を俯かせている事で見えない。
「只、似てたんだ……だから、気になったんだ。アイツがどんな道に進んでいくのか」
初めて出会ったのはダンジョン。そこで白兎のような少年は複数のモンスターに囲まれて蹲っていた。その姿がチヒロには同じに見えた。幼き頃の自分と。
「力がない内は、誰だって弱いし、怖いし……泣くに決まってる……」
今よりもずっと弱い自分。
只々泣くことしか出来なかった幼い自分。
そんな自分を何度も助けてくれた
そして、手を伸ばしてくれた
「惨めでも、無様でも、周りに笑われたって構わない……生きて帰って来る事が大事なんだ。生きて生きて……生きて帰ってきた奴が強くなれるんだ!!」
――強くなりてえなら、まずは帰って来い。生きて帰って来なきゃ強くなんて一生なれねーからな。
珍しく声を荒らげたチヒロに、ベートは驚いたように目を見開き、周りも微かに驚いた表情を浮かべている。
チヒロの頭に響いたのはクロノスの声。その声にチヒロの顔が一瞬だけ悲しみに歪んだが、それを払い除けるように白髪の髪を掻き乱した。
「……アイズにはちゃんと謝っとけよ。女性に対して言うような事じゃなかった」
チヒロのその言葉に従うように、ベートはアイズの前へとフラフラの足で歩いていく。
それを横目に見ながら、地面に置いた阿修羅を腰に差し直し、店内へと足を踏み入れる。
チヒロが入れば、唯一店の中に残っていたミアが、こちらをチラッと見た。そんな彼女にチヒロは頭を下げる。
「すみませんでした」
「……今度店の中荒らしたらタダじゃおかないよ」
「以後気をつけます」
金貨の入った布袋をカウンターに置く。お代だけにしては多い、それ。
「……修理代も。ベルは後日連れてきて謝らせるから」
もういいよというように、ミアはクイッと顎で扉の方を指す。早く追いかけてやりなとその目が言っている。
それにチヒロはもう一度頭を下げて、踵を返す。
だが、すぐに朱色の髪を持った糸目の女神――ロキ・ファミリアの主神ロキに前を塞がれた。
「なんや、久しぶりに会ったちゅーのに、うちに挨拶はなしか?」
「……ロキ」
チヒロは、そんな彼女に頭を軽く下げる。
「すまない。お前のとこの眷属に怪我させた」
「まぁ、それはべートの自業自得やから今回は何も言わんとく」
そう言ってロキは、チヒロの横を通り過ぎる際に、ポンと肩を叩いた。
「クロ以外の家族出来たんやな」
「!」
それだけを告げて、ファミリアの所に歩いていく。
「仕切り直しや! 飲むでー!! あ、ベートは反省の為に縛っといてなー!」なんて事を言っている女神の背中を少しだけ見つめて、チヒロは今度こそと店の外へと出る。
「……」
「……」
外へ出れば、まるで待っていたと言わんばかりに、目の前に立っている金髪金眼の少女。
何かを言おうと少女は口を開くが、言葉が見つからなくて、再び閉じる。金色の瞳がスッと地面に落とされる。
チヒロはそんなアイズを少しだけ見つめた後、その横を通り過ぎる。
「……迷惑かけたな」
「!」
かけられた言葉に、アイズはハッと顔を上げる。
既に背を向けて歩き出している彼に、慌てて手を伸ばす。だが、それは虚しくも空を切った。
「……今はごめん」
それだけ告げて走り出した彼の背中を、アイズは追いかける事も、呼び止める事も出来ず、その場に一人立ち尽くしていた。
すみません、今回物凄くグダグダになってしまった気がします。
次回はチヒロ君とベル君の出会いのお話です。
感想など、是非お待ちしています!