英雄よりも騎士になりたいと思うのは間違っているだろうか 作:琉千茉
「……ん……」
ゆっくりと浮上してきた意識に、そっと空色の瞳を開けば、そこには見慣れない天井が広がっていた。
覚醒しきれない頭でココはと考える。だが、浮かび上がってきたのは今現在自分がいる場所の事ではなく、抱きしめられながら彼に説き伏せられた時の事。
「!」
思い出したリューは、勢い良く起き上がった。
だが、同時に全身に激痛が走る。
突然の事に油断していたリューは、その細い体を丸めて身悶える。
そこで気付いた。ベッドに寝かされていた事と、服を脱がされ全身に包帯が巻かれている事に。
すると、ちょうどタイミング良くこの部屋に一つだけある扉がノックされて開いた。
無意識に体が強張り警戒する。
だが、その警戒心はすぐに薄れた。
「あ! 目を覚ましたんですね、よかった」
「え……あ、はい……」
入ってきたのは、光沢に乏しい薄鈍色の髪は後頭部でお団子にまとめ、そこからぴょんと一本の尻尾が垂れていて、髪と同色の瞳は純真そうで可愛らしい女性のヒューマン。
白いブラウスと膝下まで丈のある若草色のジャンパースカートに、その上から長目のサロンエプロンという格好は、どこかのお店の制服だろうかと思わせる。
彼女が手に持っているトレイの上には、小さな桶とタオル、そして包帯が置かれている。
それをリューのベッドの傍らにある小さな台へと置く。そして、リューへとニコッと微笑んだ。
「私はシル・フローヴァです。気を失っていたあなたを連れているチヒロさんに偶々出会って、勝手ながらあなたの傷の手当てをさせてもらいました。三日間も眠っていましたが体調はどうですか?」
「みっ……」
目の前の女性――シルの説明を受けて、リューは微かに目を見開いて驚く。あれから三日も経っているのかと。そして、彼女に三日もお世話になったのかと。
「……ご迷惑をかけてしまって申し訳ありません」
リューが軽く頭を下げれば、シルはキョトンと首を傾げた。
それにリューも微かに首を傾げる。
「ご迷惑も何も、私がやりたくてやった事だから、謝る必要はありませんよ」
「ですが……」
まだ食い下がるリューに、シルは少しだけ上を見つめながらうーんと考える。そして、何かを思いついたようにうんと頷いてリューに可愛らしい笑みを向ける。
「では、謝罪の言葉ではなくお礼の言葉の方が嬉しいです。あと、お名前を教えて貰えたらもっと嬉しいです」
リューは少しだけ戸惑う表情を見せる。
お礼の言葉を言うのは人として当たり前なので、そこはいいとして。名前を言ってもいいのだろうかと。
敵対ファミリアを一人で壊滅させた自分の名を、少なからず彼女が耳にしている可能性はある。
だが、ふと思い出したのはチヒロ。
――俺が全部終わらせる。
最後に聞いた彼の言葉が頭を過ぎる。
今ココに居ない彼がどこで何をやっているのかは分からないが、あの彼が自分を任せた人物だ。下手に警戒する必要はないだろうと。
何よりも目の前で微笑んでいる彼女がそう思わせた。
「……失礼しました。私の名はリュー・リオン。治療して頂きありがとうございます」
「どういたしまして」
ニコッと微笑んだ彼女だが、「あ、でも……」と言葉を続けて持ってきた包帯を手に取る。
「まだ完治はしてないから、完治するまでお世話させてもらうね」
「い、いえ、もう十分……!!」
「ほらほら、怪我人なんだから大人しくする!」
いつの間にか口調が変わったシルの手が、リューの体に巻かれている包帯へと伸びる。
抵抗するが体が痛んで、上手くいかない。そして、抵抗も虚しく包帯を解かれた。
包帯を解かれた事で露わになったリューの真っ白な裸体。リューは慌てて胸をその腕で隠す。
そんなリューを気にする事なく、シルは持ってきた桶に入った水に、同じく持ってきたタオルを浸して絞る。
そして笑顔で言い切った。
「体拭くからその手退けてもらっていいかな?」
『認めた相手でなければ肌の接触を許さない』という特質を持っているからか、エルフは極力肌を人目に晒さないようにしている。
だからという訳ではないが、同性だとしても羞恥心はある。
「そ、それぐらいなら自分で……」
「大人しくする!」
「ちょっ、待っ……!!」
胸を隠している手を無理矢理解こうとするシルに、リューは必死に抵抗する。
包帯を解かれる時よりも必死だ。
そんな時、部屋の扉が開いた。
「シル、リューの様子はどう……」
「「……」」
真っ黒なローブに身を包んだ黒髪に空色の瞳を持った男――チヒロは、目の前の光景に固まった。
ベッドの上にほぼ裸の状態で横になっているエルフとそのエルフの上に跨っているヒューマン。
色々と突っ込みどころ満載だが、何よりも目に飛び込んできたのはエルフの雪のような真っ白な肌。
チヒロの顔が徐々に赤くなっていく。すると、そんな彼の後ろから呆れたような声が聞こえてくる。
「おい、チヒロ。いつまで扉の前に立ってるつもりだ。俺様の邪魔だぞ」
「!」
後ろから掛けられた声によって、ハッと我に返ったのか、勢い良く扉を閉めた。
「あ? 何閉めてんだよ」
「い、いや、あの……と、とにかく今はダメだ!!」
「……何顔赤くしてんだよ?」
「な、ななな、べ、べべ別に……!!」
何やら扉越しに聞こえてくるが、シルはそれを無視して顔を真っ赤にして固まっているリューに告げる。
「ささっと終わらせちゃおっか」
◆◆◆
「本っっっっ当にすみませんでした!!」
謝罪の言葉と同時に、ゴンという鈍い音が部屋に響く。
ベッドに腰掛ける形で座っているリューは、目の前で床に頭を打ってまで謝罪するチヒロに、少しだけ困ったように眉を下げる。
今は、包帯も替え終えて、シルから渡された服を身につけている為、問題はない。ちなみにシルは水や替えた包帯を片付ける為に部屋から出て行った為、この部屋に居るのはリューとチヒロ、そして小さな男の子の三人だ。
腰まである長い黒髪をポニーテールにしている小さな男の子は、普段なら威圧感を感じる黒のツリ目を半月にしてニヤニヤと端正な顔を破顔させている。
「いやー、エルフの裸を見られるなんてなー、ホント羨ましいぜ、ラッキースケベ君」
「ク、クロは黙ってろ!!」
クロと呼ばれた男の子は、「はいはい」と言いつつその顔は止めない。
そんな彼をギロッと睨むが効果が無い事は分かっている為、チヒロは再びリューへと向き直る。
「……本当にすまなかった」
「あ、いえ、あなたになら――って、そうではなく!!」
自分が無意識に口にしていた言葉に、リューは慌てて両手を真っ赤な顔の前に持ってきて、首を横に振る。
それにクロが尚更ニヤニヤ顔を深めたが、それに構っている暇はない。
「先程のは不可抗力ですので、そこまでお気になさらず……」
「いや、ノックをしなかった俺が悪かったというか……」
お互いにお互いを庇いあって、あちらこちらと泳いでいた目が合うと顔を真っ赤にして俯く。全く話が進まない。
さすがに見飽きたというように、そんな二人にクロが声をかける。
「それで? リオンちゃん、体の調子はどうよ?」
「もう大丈夫です」
「はい、嘘!」
「……まだ少しだけ痛みます」
嘘をいとも簡単に見抜かれて、リューは渋々答える。現に今も体は痛いし、そのせいでシルにも抵抗出来なかったのだから。
「結構無茶したらしいじゃねぇか。まぁ、俺様の眷属をあんま心配させないでくれよ?」
そう言って未だに床に跪いているチヒロの黒髪を、クロはガシガシとグチャグチャにする。
そうすれば、チヒロが止めろとその手を叩いてくる。
チヒロを眷属と言ったように彼はチヒロのファミリア――クロノス・ファミリアの主神クロノス。
クロノスは、どさっとベッドの横にあった椅子に腰掛ける。
「んじゃ、そろそろ本題に入ろうぜ、チヒロ」
その言葉にチヒロの表情が変わった。
真剣な表情の彼にリューが思い出すのは、三日前の事。
「……これ」
「……!」
チヒロが差し出してきた紙の束を、リューは受け取って目を通す。
そこに書かれていた内容に、微かにその空色の瞳を見開く。
「あのファミリアに関係する人物達の一覧とその処罰に関して。処罰内容はギルドが決めた事だけど……」
「ギルド職員まで……」
その中には、ギルドにとっては身内である職員まで入っていた。
まさか、ギルドがそれを認めるとは思っていなかった為、こうして身内にまで処罰を与えている事に驚きを隠せない。
すると、チヒロが歯切れ悪くする。
「まぁ、その、何だ……あんな事言ったけど、その……」
「?」
リューから顔を逸らして頬を掻く彼は、どこか不満そうな表情をしている。
すると、静観していたクロノスがどこか楽しそうに口を開く。
「リオンちゃんに『俺に任せろ』って言ったのに、俺様が殆どやった後だったから拗ねてんだよ、そいつ」
「え?」
「ク、クロ!!」
再びニヤニヤと笑っているクロノスに、チヒロが顔を真っ赤にして慌てる。
そんなチヒロを横目で見ながら、クロノスは更に言葉を続ける。
「緊急
「いや、もう脅迫って言えよ」
「まぁ、こいつがやったのはせいぜい逃げ出した奴らを捕まえたくらいだ。『俺が全部終わらせる』なんてカッコつけたくせに、恥ずかしい奴、ぷぷっ」
「……阿修羅の錆にしてやろうか」
右手で口元を押さえながら、頬を膨らませて吹き出したクロノスに、チヒロは腰に差していた阿修羅を抜刀する。
クロノスは横から襲いかかてくる刀身を、パッと軽い身のこなしで飛んで避ける。そして、そのまま扉の前に着地する。
「でもまぁ、俺様達が出来るのはここまでだ。今後どうするかはリオンちゃんが自分で決めるんだな」
そう言ってクロノスは扉へと手をかける。そんな彼をリューが呼び止める。
「クロノス様、どうしてそこまで私にしてくれるのですか? 少なくとも私の知っているあなたは赤の他人にここまでするような方では……」
「
「……?」
「ま、後は若いお二人で話すんだな」
意味深な言葉を残しつつ、ニッと口角を上げて得意気に笑ったクロノスは部屋を出て行った。
残されたのはチヒロとリューの二人。
「……」
「……」
静寂に包まれた空間に、二人はどこか居心地悪そうに目を泳がせる。
だが、いつまでも黙っている訳にはいかないと、チヒロは歯切れ悪くではあるが口を開く。
「その……クロが言ったのは本当の事だ。あんな事言っておきながら、殆ど俺は何もしてない……悪いな」
「……謝るのは私の方です」
「え?」
微かに驚いたように目を見開いたチヒロは、リューへと顔を向ける。
申し訳なさそうな空色の瞳と目が合った。だが、すぐにそれは逸らされて彼女は目を伏せる。
「冷静さに欠けていたとはいえ、あなたに牙を向けました……」
「自分の邪魔をするのがいたらそうなるのも仕方ない事だ。俺は気にしていない」
「それでも……」
尚も食い下がるリューは、ギュッと膝の上で両手を握り締める。
目の前に立ち塞がる彼があの時は邪魔で邪魔で仕方が無かった。
でも、冷静になった今なら考えられる。彼とはLv.の差があるとは言え、下手をしたら彼を殺していたかもしれないと。
そう考えただけでゾッとする。もしかしたら、この手は仇だけではなく、彼の血にも塗れたかもしれないと。
すると、微かに震えていた手が優しく包まれた。
驚いて顔を上げる。そこには優しく微笑んでいる彼がいて、自分の手を優しく両手で包んでいた。
「俺は大丈夫だ」
「チヒロ……」
「それに俺に止められた事をもし後悔してないんだったら、俺は謝られるより、お礼を言われた方が嬉しいな」
「!」
――謝罪の言葉ではなくお礼の言葉の方が嬉しいです。
目の前の彼が、先程まで自分を治療してくれていたシルと重なる。
短時間で同じことを言われた事に、少しおかしく思いながらも、リューは微笑む。
「……止めてくれてありがとうございます、チヒロ」
◆◆◆
「くすっ……」
買い出しから戻ってきて、開店準備をしているリューは、あの時のチヒロの珍しく年相応の嬉しそうな顔を思い出して、小さな笑みを浮かべる。
「……? どうしたの? リュー。何だか嬉しそうだね?」
「シル……少し昔を思い出してました」
同じように開店準備をしていたシルに声をかけられて、リューは彼女へと顔を向ける。
冒険者の地位はチヒロとクロノスのおかげで剥奪される事は無かったが、敵対ファミリアを一人で壊滅させた事と、あのクロノス・ファミリアが庇った冒険者として、リューの二つ名である『疾風』の名は、悪名とまでは言わないが、あまりいい意味ではなくオラリオ中に広まっていた。
唯一の救いだったのは、チヒロ以外の者からは『リオン』と呼ばれていた――チヒロも他の者がいる時はなるべく『リオン』と呼んでいた――ので、本名は知られておらず、普段から覆面を被っていた彼女の素性を知る者がいなかった事だ。
そして、チヒロやシル達と話し合って、リューは『豊饒の女主人』で住み込みで働く事になった。
その際に、女将のミアに誰よりも彼女の事を頼み込んだのは、今目の前にいるシルだ。
今こうして自分が居るのは、復讐者になり果てた自分を止めてくれた彼のおかげであり、色々と裏で手を回してくれた神様のおかげであり、こうして自分に居場所をくれた彼女のおかげだ。
「……ありがとうございます、シル」
「と、突然どうしたのリュー? 私お礼言われるような事したっけ?」
「何となく言いたくなっただけです」
困ったように首を傾げる彼女に笑みを返す。
そうすれば、手が止まっている二人にミアの怒声が飛んでくる。
同時に肩を揺らした二人は、ササッと素早くそれぞれの仕事に戻る。
「(……彼ならどんな反応をするだろうか)」
突然自分にお礼を言われて眉を顰めるチヒロを想像して、リューは誰にも見つからないようにもう一度くすっと笑みを浮かべた。
今回でリューさん過去編終了です。
原作と違ってリューさんは冒険者の地位も剥奪されていなく、ギルドのブラックリストにも載っていないという設定になります。
そして何気にクロノス初登場です!
ご意見、ご感想お待ちしています!