英雄よりも騎士になりたいと思うのは間違っているだろうか 作:琉千茉
迷宮都市オラリオ。
『ダンジョン』と通称される地下迷宮の上に築き上げられた巨大都市。
そこにはチヒロやアイズのような
そして、そんなオラリオの運営を一手に担っているのが『ギルド』だ。
また、ギルドはダンジョンとそれに関わる全ての管理も務めている。
オラリオの住人として一定の地位と権利を約束する冒険者登録から始まり、迷宮から回収される利益を都市発展に反映させるため、ダンジョンの諸知識・情報を冒険者達に進んで公開、更に探索のためのサポートも行っている。迷宮を攻略するにはギルドの協力が不可欠と言ってもいい。
そして、現在新人冒険者のベル・クラネルもギルドに大変お世話になっている。
「ベル君、キミねぇ、返り血を浴びたならシャワーくらい浴びてきなさいよ……」
「すいません……」
チヒロとアイズから逃げるように全身にミノタウロスの血を浴びたままでギルドへとやってきたベルは、現在ギルド本部のロビーに設けられている小さな一室で真向かいの椅子に座っている女性に注意されて項垂れていた。
女性の名はエイナ・チュール。
ほっそりと尖った耳に澄んだ
そんな彼女の役職はギルド職員。ギルドの受付嬢兼冒険者アドバイザーをしていて、現在はベルとチヒロを担当している。
その担当の一人である目の前の彼を見て、エイナはこれみよがしに溜息をつく。
「あんな生臭くてぞっとしない格好のまま、ダンジョンから街を突っ切って来ちゃうなんて、私ちょっとキミの神経疑っちゃうなぁ」
「そ、そんなぁ」
今にも泣きそうな顔をするベルは、すぐにエイナに浴室へと放り投げられて、体を洗ってしっかりとミノタウロスの血を洗い流して、現在はさっぱりとしていた。
「それで……チヒロ君とアイズ・ヴァレンシュタイン氏、の関係だったっけ?」
「そうです! それです!!」
ベルが周りの目も気にせずに、全身返り血だらけでギルドに真っ直ぐやって来た訳は、先程のダンジョンでの出来事が原因だった。
ベルは、目をキラキラさせながら語り出す。
普段通っているダンジョンの2階層から一気に5階層まで下りてみたこと。
足を踏み入れた瞬間いきなりミノタウロスに
追い詰められた所を、師と仰ぐチヒロと【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインの見事な連携プレーで救われたこと。
そして、あの【剣姫】とチヒロが親しげに話していたこと。
「絶対にただならぬ関係ですよね!?」
「とりあえず、落ち着きなさい、ベル君」
挙句には身を乗り出してきたベルに、エイナは頭を抱える。まずは、どこから突っ込んでいいのかと。
「一旦チヒロ君とヴァレンシュタイン氏の話は置いといて……どうしてキミは私の言いつけを守らないの!」
「うっ……」
チヒロとアイズのただならぬ関係に興奮していたベルだが、そのエイナの一言により一瞬で冷めた。
「ただでさえソロでダンジョンに潜ってるんだから、不用意に下層へ行っちゃあダメ! 冒険なんかしちゃいけないっていつも口を酸っぱくして言ってるでしょう!?」
「は、はいぃ……」
先程までの勢いはどうしたのか、ベルの口から情けない返事が返ってくる。
――『冒険者は冒険しちゃいけない』――
それはエイナの口癖だった。
文字だけ見れば矛盾しているように見えるが、つまりエイナが言いたいのは『常に保険をかけて安全を第一に』という事だ。
種族はもとより老若男女も関係なくなれる冒険者であるが、その職業柄、犠牲者は絶えない。
ギルド職員として働いているエイナは、帰ってこなかったという冒険者を数え切れない程見てきたのだ。だから、こうもベルに強く注意を促す。
「で、でも、師匠は初日で18階層まで行ったと……」
「チヒロ君とキミは違うのよ。彼は
溜息混じりのエイナの言葉に、ベルは何も言えなくなる。
正直、何故自分と同じファミリアに所属しているのかと不思議なぐらいに、チヒロは冒険者の中でも最強クラスに入る。
オラリオから少し離れた田舎で農民として暮らしていたベルでも、知っていたぐらいなのだから。
「あの、それで、師匠とヴァレンシュタインさんの関係は――ハグッ!?」
突然上から降ってきた衝撃により、ベルは最後まで言えずに終わった。
ジンジンと痛む頭を両手で抱えながら、目尻に涙を浮かべた状態でバッと後ろを振り返る。
そこに立っていたのは、現在ベルが話に持ち出そうとしていた一人。
「お前は何を聞こうとしている」
「し、師匠!?」
阿修羅の鞘でベルの頭を叩いたチヒロが、呆れたように立っていた。
◆◆◆
「遠征お疲れ様、チヒロ君。今回はどうだった?」
「まぁ、上々」
あれからエイナに促されて、チヒロはベルの横に腰掛けていた。
ベルはベルで、先程逃げ出した事もあり、背筋を正して大量の冷や汗を流している。
「上々と言う割には、荷物が少ないような……?」
普段遠征帰りは大きな荷台に大量の魔石やドロップアイテムを乗せて帰ってくるチヒロだが、今回はそれが見当たらない。
エイナのその疑問に、チヒロはああと納得したように返す。
「荷物はロキ・ファミリアが預かってくれてる」
その言葉にベルがハッとし、エイナはニヤッとする。
「へぇー、ロキ・ファミリアに。それじゃあヴァレンシュタイン氏とも一緒だったのね」
「うん、まぁ……」
「それで? 進展はあったの?」
「やっぱりそういう関係なんですか!?」
目の前にはニヤニヤしているエイナ。
すぐ横には、何故かこういった話が大好きなベル。
チヒロは、一つ溜息をつく。何故こうも自分の周りは色恋沙汰に関する話が好きなのかと。
「進展も何も、別にそういう関係じゃないから」
「でも、昔はよく一緒にダンジョンに潜ってたでしょ?」
「あれはアイズが勝手についてきていただけで……」
「ヴァレンシュタインさんがついてきていた!?」
「でも、冒険者やギルド職員の中では【異端児】と【剣姫】はデキてるってもっぱら噂よ?」
「いや、だから……」
「ヴァレンシュタイン氏がチヒロ君に好意を寄せているのは確実よね……」
「そ、そうなんですか!?」
「ええ、あれは誰が見てても分かるわよ」
下心を持って近寄ってくる異性は軒並み玉砕、あるいは粉砕。
ついこの間にはとうとう千人斬りを達成。
そんな【剣姫】が唯一好意を寄せている異性が【異端児】チヒロ。
なんて話は、冒険者だけでなく、オラリオに住む者達全ての住人が噂している事だ。
「あのヴァレンシュタインさんからなんて、さすが師匠……!!」
エイナの話を聞いて、どこにそんな要素があったのか、ベルはチヒロに対する尊敬の眼差しを浮かべている。
そんな二人に、チヒロは再び溜息をつく。
すると、二人の目がキラーンと光って同時にチヒロに振り向いた。ゾッと悪感がチヒロを襲う。
「それで師匠はどう思ってるんですか!?」
「え?」
「ヴァレンシュタイン氏の事よ、ヴァレンシュタイン氏の!」
「え……」
ほらほら吐け吐けと言わんばかりに詰め寄ってくる二人に、チヒロは冷や汗を流す。
特に目をギラギラさせている自分よりも一つ年上のお姉さんが怖い。
二人からそっと目を逸らして小さな声で答える。
「まぁ、その……嫌い、ではない……」
微かにではあるが、珍しく頬を赤らめているチヒロ。
そんなチヒロを見て、エイナは満足そうに、ベルは何故か憧れるような顔をしている。
「ビックカップルが出来るのも時間の問題って感じね~」
「……って、これ職務と全く関係ないだろ」
チヒロに言われた言葉に、エイナはハッと我に返る。
ついつい、恋話に夢中で職務を忘れていた。
半眼で見てくるチヒロに、エイナはサッと目を逸らす。
「さ、さてベル君。話はここまでにして換金してこよっか」
アハハっと空笑いを浮かべながら、エイナはベルを連れて部屋から出て行く。
チヒロは、何故かダンジョンに潜るよりも疲労感のある身体を持ち上げて、二人の後に続いた。
「うーん、でもファミリアが違う以上、二人がお付き合いするってなったら、何かと難しいわよねー」
「あー、確かにそうですね。でも、そこは愛の力で――いてっ」
「いいから換金してこい」
「は、はいぃ……」
再び鞘で頭を叩かれたベルは、いそいそと換金所へと向かう。
ベルの本日の収穫は1200ヴァリス。
いつもと比べて収入が低い。
それは、チヒロとアイズから逃げ出した事で、普段よりダンジョンに潜る時間が短かったというのが大きな理由だ。自業自得なので仕方がない。
すると、そんなベルの手にズシッと重たい布袋が乗せられる。
片手ではバランスを崩して落ちそうになるそれを、慌てて両手で持つ。
持った時に感じた感触はじゃらじゃらという大量のお金のそれ。
パンパンに膨れている布袋の口を見れば、溢れんばかりの金貨が入っているのが見える。
ベルは、慌ててそれを自分の手に乗せた目の前の人物を見る。
「し、師匠!? こ、これは……!?」
「それだけじゃ足りないか? なら――」
「い、いやいや!! これ師匠が取ってきたお金ですよね!?」
更に追加で渡そうとしてくるチヒロに、ベルは慌てて首を横に振って断る。
それは、チヒロが護衛をしている時に倒したモンスターから取った魔石を換金したお金だった。
他にもあるがそれは現在ロキ・ファミリアに預けている為、換金出来たのは戻る時に倒したモンスターのショルダーバッグに入れられた分だけ。
チヒロの収穫15万6000ヴァリス。
その一部をチヒロはベルに渡したが、ベルは受け取れませんとそれをチヒロに返そうとする。
そんなベルにチヒロは諭すように言う。
「今のお前は生きて帰ってくる事だけを考えていればいい」
「師匠……」
自分の収入だけでやっていくとなると、武器の整備と食事は出来ても、アイテム補充が出来ない。
ダンジョンでは何があるか分からない為、戦闘状態はしっかりとしていたい。
新人冒険者なら尚更だ。
でも、本当に甘えていいのだろうかと複雑な思いもある。
まだ半月しか一緒に居ないが、何かとチヒロにはお世話になってばかりだ。冒険者としての元々の歴が違うのだから、それも仕方のないことではあるのだが。
すると、頭を優しくポンポンと撫でられた。
少し驚いたように顔を上げれば、いつもは殆ど無表情な彼が微かに優しく微笑んでいた。
「同じファミリアに所属する俺達は家族だ。遠慮はするな」
「ぁ……はい! ありがとうございます!!」
チヒロの言葉にベルは顔をパアッと明るくさせて、勢い良く頭を下げた。
そんなチヒロとベルのやり取りを、エイナは微笑ましそうに見ていた。
◆◆◆
「ベル君」
「あっ、はい。何ですか?」
帰り際、出口まで二人の見送りにきたエイナがベルを引き止めた。
それにチヒロも足を止める。
「まぁ、キミとチヒロ君は違うって言ったけど……チヒロ君やヴァレンシュタイン氏のような人に憧れるのなら、めげずに頑張って強くならなきゃね。そしたらチヒロ君みたいに素敵な未来の恋人が――」
「だから違う」
「なにはともあれ、女性はやっぱり強くて頼りがいのある男の人に魅力を感じるから、ベル君も頑張ってね」
エイナのその言葉に、ベルの顔がみるみると笑顔に変わっていく。
そして一言。
「エイナさん、大好きー!!」
「えうっ!?」
「ありがとぉー!」
そう言って街の雑踏へと走っていった。
残されたのは、ベルの不意打ちで顔を真っ赤にしているエイナと何故か置いて行かれたチヒロ。
「モテモテだな」
「ちょっ、からかわないで!!」
珍しくニヤッとした笑みを浮かべたチヒロに、エイナは顔を真っ赤にしながら慌てる。
「エイナさーん、俺も大好きだよー」
「棒読みにも程があるわよ!」
そんなエイナに笑みを浮かべながら、チヒロはじゃあなと手を振ってベルを追いかける為に歩き出した。
そんな彼の後ろ姿にもー!と言いながらも笑みを浮かべる。
どうも昔から一つ年下の彼は、自分をからかう節がある。
他の異性にはそういった事をやっている姿を見た事が無いため、淡い期待が胸の中をじんわりと侵していく。
だけど、思い出すのは昔見たチヒロがアイズと一緒に居る時の姿。
遠目から見ただけだが、自分が見たことのない優しい表情で彼は彼女に向かって笑っていた。
「……ヴァレンシュタイン氏が相手なら諦めもつく、かな」
チヒロの姿が見えなくなって、エイナは誰に言うでもなく、ポツリとそう呟いた
何気にチヒロ君の年齢登場。
エイナさんより一つ年下の18歳です。