皆さんは縁の下には何がいると思いますか?
ネズミと答える人がほとんどでしょう、ですが僕はそうは思いません。
縁の下には何がいるのか、何が眠っているのか、はたまたどこかへつながる道があるのかもしれません。隙間、空間とはそういうものです。普段は人に見られない空間であってもその空間にある物体、気体にとってはすごく開放感のある場所であり、何しろそこがそのものたちにとっての故郷なのです。故郷が汚い埃まみれの場所であっても住めば都です。
パリッ
何やら割れる音がした
「なんだ?」
俺は思った。また主人がアイスのクランチをこぼしているに違いない。子供とはそういうものだ
グシャ
「ふんじゃった・・・」
ピトッとピトッと
「つめたっ!」
落ちたアイスをそのまま踏んだのだろう、その汁が下に垂れてきた。
そしてその汁は土へとしみていった。
「また土に迷惑をかけてしまった・・・済まないな」
俺は縁側、しっかりと人や下に物が落ちないように支えないといけない。なのに・・・失態、これは失態だ。縁側が下に汁をたらすということは雨漏りと一緒・・・そう、天井と同じ扱いになるというわけだ。それは嫌だ、あんな奴と一緒なんて御免だぜ。
だが今回は防げなかった。次だ・・・次を待とう
翌日
俺はいつものように日向ぼっこをしていた。
そして主人が来た。今日は友達を連れている。シャボン玉で遊ぶようだ
「たろーう!いっくぞー!」
「来いよこらー」
何が始まるんだ?そう思い見ていると
「くらえー!」バッシャーン!!
「お、おい・・・」
マジか、そう思った時には遅かった。
縁側一面にシャボン玉の液体が広がった。その液体は次第に畳の部屋へとも浸透していく
止められるもんなら止めてみろと言いたいくらいの大量の液体だった。
塗れたところが日にあたり虹色に光っている。それに対してご主人たちは目を輝かせ
「もう1回やろうぜ!!なっ!」
「よし!準備だ準備!!」
溜息をつきたくてもついたら下に液体がこぼれてしまう。ここで止めねば、天井なんかのように脆くはなりたくない。あいつはそういうやつだ、自分のせいになろうとしたことを屋根のせいにする。自分より上にいるやつのせいにする。最悪だ
そこへ母が来た
「コラ!なにしてんの!またこの子は~」
そういいながらも雑巾を片手に掃除を始める
優しいお母さんだ。
「もうっ!全然落ちないじゃないの!」
怒られている、ドンマイケルジャクソンだぜ。でも人はこういう小さな罪の繰り返しで成長するし大人になるんだよな、そういうところを見れるのもいい体験かもしれない。
しかしお母さんは優しいな、息子が何をしようとも後片付けや後始末をするんだから・・・
「今度は油を入れてやってみようぜ!」
飽きることのない人間は人生楽しく生きていけそうだがその反面常識という壁にぶち当たり苦労はするだろう、そうしたとき人はどうするのだろうか。壁に当たっても何度も何度もあきらめず立ち向かうのだろうか?それとも難しいと思ったことにはすぐ降参してしまうのだろうか?それはその人自身の決断だ
少年たちはまた濡らしていた。だが、その行動は必ずしも同じ場所ではない。少年たちも小さいながらも頭は回るようだ、彼らは何をしたのか?お母さんの思っていることを感じ取ったのだろうか?それともそういう面は心が通じ合っているのだろうか
玄関のドアを開け灰色の部分にぶちまけた。
例えるならまるで大雨洪水警報が出た時の群馬県のとある民家の玄関みたく、べったり、ギトギトした液体が大雨の代わりに玄関にぶちまけられている。
「ランラン・ランラン・ラランララランラン・ラララララララララランララン」
「元気だな」
この子の年はまだ10歳もいっていない小学3年生、能天気なやつだ
もう一人の少年はいつもご主人と一緒にいる男の子、同じクラスらしい
二人はいつも一緒に遊び、一緒に登校し、一緒に下校
2人が遊んでいるところを見るとホッとする、別に温まるほうのホットじゃないからな。俺はそんなおやじじゃない、みんな忘れていると思うが俺は縁側だ。俺はただ下からでしか皆を見ることしかできない、だが俺はそれだけでも毎日の生活が楽しい。辛いと思うことなんてただ一つ、何だと思う?
それはな天候だ。
縁側には窓のついている縁側もある。が、俺のいるこの一軒家はない。でもあまり雨や雪の降る確率が高いわけではないためそういう面は楽だ。だが降った時は災難だ 降ってほしくなり、いや、降らないでほしいと願うがそれはただの言い訳に過ぎない。「言い訳していいわけ?」というダジャレがあるが普通に聞いたら「なんだ、こいつおやじかよ」「さみぃ~」と思うかもしれない。でも大人からしてみればいい言葉に聞こえる。言い訳なんてしていいわけがない。言い訳するくらいなら体を動かし人の指令に従っていればいいのに。
濡れたら縁側や木は曲がったり腐ったりする。それが一番嫌だ、たまったもんじゃない。理由は曲がりものになんかなりたくないだけだ。人間もそうまがりものと書いて「曲者」人間は人口が多い、それでも動物や植物の数よりは少ない。多かったら今頃人間は生きていられないだろう
曲がってしまっては使いようにならない。使われるのは嬉しいけど使われないのは嬉しいことではない。俺は使われるようになるため縁側に生まれた。今の日本には縁側や和風が消えつつあるがこの家はそういう面では好きだ、和風を残しつつあるが汚しつつある。汚すことについては同意や納得はしていない。全てはこの家の大黒柱のせいだ。それかこの家を作った建築士のせいだ。日本なら日本風に和風の分かを家に取り入れろよ。日本人・大和民族は畳が好きなはずだ。嫌いな人がいるわけがない。椅子に座っているだけの生活なんてつまらないだろう、畳にお尻をつけたり寝転がるという行為に大和民族は心の癒しを手に入れるはずだ。それほど大和民族は畳や和風を愛しているのだ。
玄関は稲やぐさではない、石だ。もしぐさであったら数分前と同じ現象が起きてお母さんがまた怒鳴りにくるだろう。ぐさでなくてよかったですね、お母さん
「あ~あ、汚くなっちった、どうする?」
「水混ぜようぜ?」
何がしたいんだ、この少年。そういう面は少年らしいなと思った。
少年たちは庭にあるホースを蛇口につなぎ水を大量にバケツに入れていた。
作品制作の都合上連載になることをお許しください。
2000と少しずつで投稿か否かは気分しだいになります。