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ああクソ、ホントありえねー。どの世界にタゲの取れない壁役がいるってのよ。あそこの誘い込みがうまくいかなかったら倒せるボスも倒せるわけないから。メンバーに恵まれる恵まれないもMMORPGの醍醐味だってのは認めるけれども、ハズレ引かされた直後に笑ってこれもまた経験のひとつだよね、なんて笑えるような聖人みたいな精神構造をアタシはしていない。所詮ゲームとか言われてもこちとら年単位でガチってたわけで、そんな趣味がそうそう身から抜けていくわけもないので。今でこそくま先輩に誘われた結果ボーダーなんて組織でオペレーターなんて大層な肩書をもらっているけれども、中身はただの引きこもり系女子だ。ロクなもんじゃねえと言われれば否定要素は挙げられない。先輩たちの前でなければ、特に脳内とかネット上では口も悪いし。
猛烈に苛立っていたアタシはPCの電源を落として外に出る準備を整え始めた。このクソ寒い季節に引きこもりのアタシが外に出ようとする理由は、このまま部屋にいたらなにか後悔するようなことをしてしまうような予感がしたからだ。目的地は決まっている。ボーダー本部にある我らが那須隊の隊室だ。那須先輩がそもそもあまり来られないこともあって、隊室の一部は半ばアタシの城になりかけている。ランク戦みたいにみんなが集まるか、あるいは那須先輩の体調が良いときに集まって遊んだりする以外は誰かが隊室にいる確率は低い。他の隊はうちより隊室への依存度が高いみたいだけど、アタシたちは作戦会議を那須先輩の家でやるくらいだし、それくらいの差は当然だと思う。自室よりも自分の城感が強いのは自分でも正直どうかと思うけれど。
荷物だなんだの準備を終えて最後に洗面所の鏡で見た目のチェックをする。女子として最低限の身だしなみくらいはしなさいとの命令をくま先輩から受けている。けれども本当のことを言うとアタシは最低限のラインがわかっていないから鏡の前に立つのは義理の側面が強い。反射してそこに映っているのはいかにも不健康そうな顔だ。目つきも悪けりゃ肌は青白い。片目は髪で見えない。うぐいす色をした無骨なアウターの女子要素と言えばファーが首周りについていることくらいだろうか。まあ、服装についてはあまり触れたくない。名称がわからないからだ。
昼だってのに冷蔵庫なんかよりも寒い外気にアタシはため息をつく。ほんの短いあいだだけ白い息が空気中に漂って、さっと透明に溶けていった。ここのところ青空を見た記憶がないけど、今日もその例に漏れないらしい。虚弱系のアタシにとっては薄曇りはベストと言っていい天気だ。とはいってもアタシの体は冬に強い仕様ではないから首と肩を竦めたままで歩くことになる。
ずびずび鼻をすすりながら移動している様子は、まあ、たぶんみっともないものだろう。それならボーダー用の地下通路を使えばいいじゃないかと思わないでもないけど、あれは一本道だから他に誰かがその通路を使っていたときに気まずい感じになるからイヤなのだ。市街地ゾーンなら人を見かけても道を変えればそいつに会わずに済む。こう考えてしまうのは陰キャラの宿命だと思う。つーかボーダーの連中は基本的に社交能力が高いのが多いような気がする。知り合いが少ないから断言はできないけど、アタシと同じ陰キャラ属性なんて一人もいないんじゃあないか。
なんだか泣きたくなるような自虐をしながら基地を目指してとぼとぼと歩く。普段から姿勢が悪いのだから別に誰も私の歩き方の変化には気付かないはずだ。そもそも運のいいことに基地に入るまで誰にも会わずに来ることができたから考える必要のないことだけど。でもここからは、まあ、誰かしらに出会うのは避けられないからその辺りは覚悟しておく必要がある。とりあえずは更衣室に向かわねばならない。変な探りを入れられないようにオペレーターの制服に着替えるのが基地に一人で来たときの最初のミッションだからだ。
基地に入ってすぐに左に折れて、突き当りを右に曲がってちょっと行ったところにアタシたちオペレーター用の更衣室がある。ある意味あたり前だけど、ボーダーの基地なんて隊員でもない限り中がどうなってるかなんて知りようもないわけで、有り体に言ってしまえばかなりデカい。建物の中での移動で十分とか平気でオーバーするとなると、やっぱり基地なんだなと変なため息が出る。言い換えれば更衣室までも意外と時間がかかる。廊下とか内部はわかりやすく無機質で、このソリッドな感じはむしろ悪くないとアタシは思うけどきっと大半の女子隊員には評判が悪いのだろう。機能美という美観は普通にアリだろ、なんて考えながらやっと曲がり角までたどり着いて、いざその角の向こうにあった光景が信じられなくてアタシは即座に身を引いた。たぶん本能とかそういうレベルでの反応だっと思う。
なんか名状しがたい人が名状しがたいポーズをとって廊下の真ん中を占拠している。
パッと見た限り、パッと見た限りの話だ。すぐに顔を引っ込めたから一瞬しか見ていないけど、前衛芸術みたいなポーズだったと思う。たしかにアタシは前衛芸術なんてまるで理解していないしするつもりもないけれど、あるいは前衛芸術に対して失礼になるかもしれないけどそう表現するしかない。まずは落ち着く必要がある。だから一つずつ丁寧に思い出してみることにしよう。アタシ自身が混乱してないことを確かめるためにも。まずアタシが見たのは背面だった。これは間違いない。顔はこっちを向いていなかった。二本の腕を絡ませて上に突き出していたことも確かなはずだ。指先は覚えていない。下半身は準備体操の伸脚を途中で止めたような感じだった。
言葉にして改めて思うけど、アホなのか。こんなの人に言ったところで誰が信じてくれるというのか。それも基地の廊下のド真ん中とか迷惑極まりない。アタシはアレを突破しないと更衣室にたどり着けないのだという事実に気が付いた瞬間には眩暈を起こしそうになった。昼日中にホラーとか心の底から勘弁してほしい。なんでこういう時に限って他に誰もいてくれないのか。他人の存在がこんなにも尊いと思ったのは記憶にない。というか考えてみたらポーズ以上にヤバい要素がいくつかなかったか、さっきのヤツ。
ヤバい。ちょっとずつ頭が落ち着いてきて思い出せるようになってくるとそのヤバさがどんどん浮き彫りになっていく。両肩につけてる変な輪っかと髪型はどういうことなんだよ。見たことないブツと見たことない髪型の共演がこれほどまでに恐怖を与えるものだとは知らなかった。いや、正確には似たような髪型なら見たことがあるけど、でもそれは漫画であって現実じゃない。花〇院があんな感じだった。でもアイツは〇京院よりも前に垂らす髪のボリュームが段違いに多かった。どうやってセットしてんだあれ。
寒い寒いと心の中で文句を言いつつここまで来たはずだったのに、気が付けばどっと汗が噴き出ているのが自分でもわかる。肉体が警告を発しているってことだ。それこそちょっと前にあった大規模侵攻でもこんなことにはならなかった。まあアタシはオペレーターだから前線に立ってたわけじゃないし、それは当然かもしれないけど。
後になって考えると、このとき冷静になって帰るっていう発想が出なかったことがその異常性をよく表していたのだと思う。誰だって不測の事態に出くわしたら正しい判断を下すなんてことはできないものだ。
アタシは更衣室に行くためにもう一度だけ曲がり角の向こうを覗かなきゃならなかった。覗いてその後どうするかなんてことは正直言って考えてない。でも何もしないわけにはいかなかった。心臓の音が妙に大きい。アタシは小声で落ち着け、と何度も何度も繰り返す。呼吸は浅い。汗の滴が首を伝う。普段は半目で目つきが悪いと言われてる目を、そのときばかりは全開にして、アタシは角の向こうにちょっとだけ顔を出した。
いない。
何もいない。
そうかそういうことか。アタシは単に疲れが溜まっていただけだったのか。バカらしい。そうだよ、冷静に考えてみれば哲学的舞台芸術のモブがやっていそうなポーズで廊下のど真ん中に構えている人間なんているわけがないんだ。きっと白昼夢でも見たんだ。ゲームのやりすぎかな、ちょっとくらいは自重することも考えよう。
変な緊張から解放されて気管の通りがすっと良くなったような感じがあった。汗が冷たいものから今度は生温かいものに変わったことがはっきりわかる。ずいぶん現金な代謝機能だ。すこしだけ力の入りにくい足元に意識をやって、もう一度歩き出すために軽く息を吐く。そうして自分を落ち着かせるためにまた小声でつぶやいた。
「バカかっつーの」
「まったく、明日はホームランだな!」
「えっ?」
「ん?」
「ひぎゃあああああああ!!!」
なんで、どうして後ろにいるんだ。アタシは角の向こうを窺って、何もいないのを確認した。その隙に当該人物が移動して後ろに控えてるなんてどう考えてもおかしいじゃないか、物理的にだ。足音どころか空気が動いた覚えさえないのに。ああ、前から見ると余計にやばい。花京〇プラスアルファ過ぎるだろ。なんだこれ、はは、逆に笑えてきた。今日死ぬのかアタシは。
「ところで君はセクシーコマンドーに興味はあるかい?」
「は?」
何を言ってるんだこいつは。つーかなんで肌着なんだ。
「どうなんだい? ステファニー」
「あ、あおっ、あの、興味なっ、ないです。あと、そ、その、ステファニーじゃないです」
「おや、そうなのかい? 今なら特典で牛脂をプレゼントしているよ?」
「あ、は、はい。けっこうです……」
アタシの意思を確認すると、その〇京院プラスアルファは、やっぱり洗剤のほうがよかったかなァ、とか今ひとつ意味のわからない言葉を呟きながら歩いて行った。ときおり腰のキレを確認するように妙なステップが入ってたけど、そこは考えてはいけないことなんだろう。アタシはもうちょっと人にやさしくしたり、友達を増やそうとかそんなことを考えていた。隊室でひと眠りして、アタシは何もすることなく家に帰った。
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後日くま先輩にこの恐怖体験を話すと、むちゃくちゃ心配そうな目で見られた。