今回も皆さんに読んでいただけるような文章を心がけて行きたいと思うので、よろしくお願いします。
翌日はかおりとの待ち合わせ場所に向かった。
昨日は結局かおりと帰ることが出来なかったので、今日はかおりと話がしたかった。
……だからといって珠洲と付き合いだしたことを伝えるつもりは無い。俺も人並みのデリカシーは持ち合わせているので、かおりの気持ちを考えると、そのことがいかに人を傷つけるのかは想像に難くない――今の自分があるのは、幼い頃に犯した過ちが関わっているのだが、それは今度の機会に話そうと思う。
待ち合わせ場所にやってきた俺は、早速かおりを見つけた――公園の片隅、ブランコに座って足を揺らしている彼女は、さながら彼氏の到着を待つ彼女のようだ。
「ようかおり、待たせたな」
「本当だよ全く。妹さんの送り迎えお疲れさま」
「うん……じゃあ行こうか」
「うん、学校遅れちゃうしね」
時折はらはらと舞う花びらを観賞しながら、歩いていくとやがて駅に出る。
駅前ロータリーからから高校への一本道が伸び、この時間帯は多くの生徒が通行している。音楽を聞きながら自転車で快走する者、友人数人で固まり談笑しながら歩いていく者、参考書片手に黙々と歩く者など、実に多種多様な生徒がいて、朝の暇な時間の人間観察にはもってこいな環境だ。
隣のかおりが何気なく話を振ってきた。
「そういえば昨日転校してきた咲野珠洲さんって人、ものすごい美人さんだったね」
「……ああ、そうだな」
咲野珠洲は、今は俺の彼女なのだが……当然そんな事も言えずに口ごもっていると、かおりはさして気にした様子も無く、先を続ける。
「席に着く時に芯と目が一瞬あったみたいだったけど、彼女と何かあったの?」
「――――実は昨日の朝、彼女とぶつかったんだよ、駅近の十字路で」
「ええっ嘘!! 芯と彼女、そんなことがあったんだ。そういえば放課後、一人で教室を出て行ったけど……」
「あれは、朝の件で俺が彼女を呼び出したんだよ、謝るために」
「なあんだ。てっきり私は、咲野さんと芯が付き合いだしたのかと思ったよ」
「!?」
思わず俺は吹き出してしまった。あながち間違っていない|憶測≪おくそく≫に動揺していると、それを不審に捉えたか、かおりが疑惑のこもった眼差しで見つめてくる。
「……もしかして……」
「いやいやいやいや、そんなことは絶対無いって!! 俺はかおりのことをいつも第一に考えているし、まず他の女の子に惚れるなんてこと、まず無いから」
「――まあいいや。芯の言葉を疑っても仕方がないし、この話は終わり。……ほら、早くしないと置いていっちゃうよ!?」
かおりはそう言い、先に駆けだして行ってしまう。
昔からかおりはこうして気持ちが昂るとどんどん進んでいく癖があるのだ。その性格に何度振り回されたことか……かおりがこちらを振り返り「早く早く!」と催促してくるので、俺も彼女の後を追うことにするのだった。
教室に入ると開口一番珠洲に声を掛けられた。まだ進級してから二日目のため人間関係もまともに出来ていないなか、クラスの中では俺と珠洲だけが確固たる関係を築いているためか、クラスメイトからの視線がぐさぐさと刺さる。
特に男子は、どうしてあんなやつが、という顔をしている。実に下心丸見えな輩だ。
俺だって珠洲とお近づきになれて、それ以上に彼氏彼女になれたことには、未だ驚きを隠せないのである――これで何らかの理由により、俺と彼女が『幼馴染み』なんかだったら、本当に驚くのだが……まあ考えるだけ無駄だし、第一この現実世界では、そのような二次元的現象はあり得ないのだ。期待するだけ無駄だ。
二週間後の試験最終日。俺と珠洲は放課後に待ち合わせをし、先日訪れた喫茶店でお昼を食べることにした。
何でも今日は珠洲のお目当てのものがあるらしいので、彼女の買い物に付き添うことになったのだ。
土曜日のお昼時だからかそれなりに混雑している駅ナカは、どこか慌ただしささえ感じる。
エレベーターで十三階へ上がり、喫茶店前に置かれている、名前を書きこむ用紙を確認する。二~三人の順番があり、店員によると、おそよ十分くらいの待ち時間だという。
そういう理由で、俺と珠洲は店先のベンチで待機することに。
「……そういえば、芯くんとここに来たのも、どれくらい前かな」
「いやいや。そんな前じゃなったはずだけど――確か、三週間前くらだったか」
「あの時は私が芯くんと仲直りした日だったよね」
「ああ。珠洲に何かあったんじゃないかって……俺のせいで珠洲との関係がぎくしゃくしていることに、本当に心配だった。
だって、珠洲がいきなり素っ気なくなってしまうから、俺に愛想を尽かしたんじゃないかって……」
珠洲は俺の顔をのぞきこんで、ふっと微笑みを浮かべる。
「うん。だからあの時は心配かけてごめんね……私もどうしていいか分からなくて、自然と芯くんとも距離を置きたくなっちゃって……」
きゅっと握られた左手からは、珠洲の温もりがひしひしと伝わってくる。
そうして甘酸っぱい時間を過ごしていると、いつのまにか俺たちの順番が巡ってきた。
俺の名前を呼びあげた店員の、なんとも微笑ましそうなものを見る表情は、まるで「何て初々しそうなのかしら……」とでも言いたげだった――実際付き合って二か月弱だから反論の余地が無いのだが……。
俺たちは、この間来店したときと同じ席に通された。そしてまたまた偶然が起きる。
「いらっしゃいませ、ご注文がお決まりでしたら、近くの店員をお呼びください」
そう言って深々とお辞儀をしてみせた女性が、この間応対してくれた人だからだ。
俺と珠洲は彼女の顔を見るなり、思わず驚きの声を上げてしまう。
「あなたは、あの時の……」
「はい。あの時、あなた方の接客を担当した『中村 一華』と申します。その後お二人はいかがでしょうか?」
中村さんにそう問われ、俺は慌てて答える。
「お、おかげさまで、珠洲とは今でもお付き合いさせてもらっています。
その頃は知り合って間もない時期だったので、このような落ち着いた場所で、互いに話し合えたことは本当に良かったと思っています。その節はどうもお世話になりました」
俺の隣に座る珠洲も、こくこくと頷き、同意の意を示している。……顔が真っ赤なのは、きっと照れているからに違いなかった。
俺たちのそんな様子を見てか、中村さんはこれぞ大人の余裕といえる非常に美しい笑顔を浮かべる。
「それは良かったです。それではごゆっくり」
そう言って一礼すると、中村さんは奥へ下がっていった。
彼女を見送り、俺たちは顔を見合わせ、
「…………あの人――中村さんが、まさかあの時の人だったなんて」
「全く驚きだよな」
「おまけに、あの時に私たちが話していた内容が聞かれていたと思うと、物凄く恥ずかしいな……」
珠洲は両手をあて、くねくねと体をよじる。……正直言ってその仕草はとても愛嬌があって、今すぐにでも抱きしめてやりたかったが、何とかそれを抑え込み、珠洲にメニューを見せる。
「……照れるのもそれくらいにしておいて。ほら、珠洲は何が食べたい?」
「……ん。私はこのランチセットがいいかな」
珠洲のいうランチセットとは、トーストにサラダとコーヒーかミルクがついてくるものだ。
確かに、女の子がお昼に食べるものとしては、お手軽と言えるのかも知れない。
「結構良さそうじゃん。それじゃあ俺は、このハンバーガーのセットにしようかな」
「芯くん結構食べるんだね」
「うん。今朝しっかり食べて来なかったから、余計お腹が空いてさ。危うく試験中寝るところだった」
「ちゃんと試験は受けなくちゃいけないよ?」
珠洲が唇を尖らせて頬をぱんぱんに膨らませるものだから、俺は珠洲の可愛らしさに耐え切れず、頭を思わず撫でてしまう。
突然の事に驚きを隠しきれていない珠洲で、きょとんと俺を見ていたが、やがてもじもじと体をよじらせると、上目遣いを俺に向けてくる。
「……芯くん、どうしたのいきなり。私結構びっくりしちゃったんだけど……」
「あ、ごめん!!」
俺は慌てて珠洲の頭から手を離す。
彼女の艶やかな髪の感触が、未だ手のひらから消えることが無く、何だか気まずくなってそっぽを向くと、珠洲が言った。
「……芯くんったら、恥ずかしいよぉ」
それから俺と珠洲は、甘酸っぱい時間を(以下略)。
翌日、俺と珠洲は、埼玉県にある『鉄道博物館』へ向かっていた。
俺たちの最寄り駅からは約一時間半と若干遠距離ながらも、俺が無類の鉄道好きで、是非と勧めた所快く承諾してくれたのだ。
というわけで、西武線とJR八高線を経由して、JR中央線の八王子駅に到着する。
ここからJRの大宮駅までの直通列車が出るのだ。
八王子駅を出発した列車は、この先立川駅、武蔵野線新秋津駅などに停車し、在来線と新幹線の乗り継ぎ駅である大宮駅に終着する。
「一本の電車で目的地まで行けるのって、とっても便利だね」
「うん」
そんな会話をしていると、列車がホームに入ってくる。
国鉄時代から走っている『115系』と呼ばれるこの車両は、今度のダイヤ改正で廃止されてしまうようで、この時間帯にも関わらず多くの鉄道ファンが撮影している。
ドアが開き、乗客が乗り込んでいく。俺たちは二人掛けのロングシートに腰掛ける。
『115系』の電車が独特のモーター音を響かせながら発車し、最初の放送が入る。
「本日は『ホリデー快速むさしの号』をご利用いただき、ありがとうございます。この列車は大宮駅行きでございます。中央線立川駅を出ますと、次は武蔵野線の新秋津、東所沢、北朝霞、終点大宮駅の順に停車してまいります。
この列車は中央線三鷹・東京方面へはまいりません、立川から先の、吉祥寺、新宿、東京へは、立川駅でお乗り換えください――――」
放送を聞き流しながら車窓に目を向けていると、珠洲が尋ねてきた。
「この電車って、立川から先武蔵野線に入るって言ってたけど。どうやって?」
「……うーんと、簡単に言えば、中央線の国立駅の先に、武蔵野線と繋がる連絡線みたいなのがあるんだよ。普段は貨物列車とかが使うものなんだけどね。それを借りて運航しているというわけ」
「なるほどねー」
そんな会話をしているとあっという間に立川駅を発車し、列車は国立駅に差し掛かる。
やがて分岐器を通過したため、車体が揺れ、その弾みで珠洲が俺の方にふらついてきた。
「きゃっ」
俺は慌てて珠洲の身体を受け止める。
未だ何度しか抱いた事の無い、珠洲の身体はとても柔らかく、肌はとても滑らかで、女の子だということを実感してしまう。
珠洲は俺の腕の中で顔を赤くしながら、可愛らしく睨みつけてくる。
「……芯くんのえっち」
「――理不尽だよ珠洲……」
そんなやりとりを交わしていると、列車は武蔵野線に合流する。
この『ホリデー快速』は、来たるダイヤ改正の影響で、車両が『113系』から武蔵野線の『205系』へと運用が変更になるのだ。ちょうど今日がその最終日なわけだったのだが。
ホリデー快速は、二つ目の停車駅の新秋津に到着する。
―プシュー―という独特の開閉音とともに、大勢の客が乗り込んでくる。
埼京線の乗り換え駅である武蔵浦和や、京浜東北線との連絡駅である南浦和などに向かわず、直接大宮駅まで直通するところが、この臨時列車の最大の特徴ともいえる。
向かい側に腰掛けた通勤客が、俺たちを興味深そうに見ている。
(高校生のカップル……仲が良さそうだ。初々しい)
と顔にはっきり書いてあったので、俺はさりげなく珠洲の手を握りつつ、それとなく愛し合っている事を示して見せる。その通勤客は笑みだけ返すと、小説を読みだした。
珠洲は俺に手を握られたことに不意を衝かれたようで、手は離さずも「どうして?」と目だけで語る。
珠洲の問いに答えるように、俺は頭を軽く撫でてから言う。
「……最近こういうスキンシップが少なくなってきたから、つい、したくなって……」
「――ん。それは分かるけど……今度は場所を考えてよ?」
珠洲は俺に釘を刺しつつも、俺に体を預けてくる。女の子としての身体の感触が、俺の理性を否応なしにかき乱したため、たまらず、指と指の間で挟むようにして彼女の髪を梳く。
「…………んん。芯くんくすぐったいよぉ」
鉄道博物館に到着したのは午前九時半ごろだった。
駅の改札を抜けた先にあるプロムナードには、既に大勢の客――ざっと百人以上――が並んでおり、今か今かと開館を待ちわびている状況だ。係員に案内され俺たちも列の最後尾に並ぶ。
「珠洲は、まず何がしたい?」
「うん。最初は“シュミレータ”がしたいな」
「……?」
俺は珠洲の言葉で気になるものがあったので、訂正する。
「珠洲、“シュミレータ”じゃなくて、正しくは“シミュレータ”だからな?」
「えっそうなの!?」
「英単語にも『simulate』って単語があるだろ? それと一緒だよ」
「ふむふむ、なるほどね」
「珠洲は鉄道、好きなのか?」
「そこまでってほどでは――いわゆる『鉄ちゃん』とか『鉄子』みたいに呼ばれる人ほどではないけど……でも、電車に乗れば、先頭車両から何となく景色を眺めたりはするかな?」
「まあ確かに。それはファンの人たちに限らず、ってところがあるのかも知れないな。
珠洲は昔ながらの車両と、環境に配慮した電車と、どっちが好き?」
しばらく考える素振りを見せて、
「……それは環境に配慮した電車の方が、地球にも優しいし、何かメリットとか色々あるんじゃないかな?」
「うん。でも俺は必ずしも、古い電車ばかりが悪いとは思わないんだ」
「どういうこと?」
「確かに古いものは古いものなりに理由があって廃止されるのは理解できるんだよ。
でも、特に国鉄と呼ばれる時代から活躍している車両――具体的には、俺たちが、今朝八王子駅から乗ったやつだって、昔から活躍していたんだよ。
中央線では、数年前まで『201系』という電車が引退して、その後を『E231系』が引き継いだ」
「そういえば、今朝、駅でオレンジ色のラインの電車を見たけど、あれがそうなの?
あの電車にはどんなメリットがあるの?」
「うーん……例えば、前のものに比べて、車内が広々している点かな。これは乗車率にも関わって来るんだけど。例えば、前者が十あるスペースのうち七しか有効活用できないとする。しかし、後者の車両の場合だと、十のうち八あるいは九ものスペースを、乗客を乗せるために割けるわけ」
「ほうほう」
「他には、加速や減速する性能とかかな、分かりやすい例で言えば。
例えば、八十キロの時点でブレーキを掛けて三十秒必要なものと、二十秒に短縮できるものだったら、どっちがいい?」
「それは後のほうだよね。だって、何か緊急な事が起こった時、すぐに止まれる方がいいもん」
「要するに、急を要する事態により素早く対処できるように、車両の性能も更新していかないといけないわけなんだ」
「鉄道って、沢山配慮することがあるんだね」
そんな会話をしていると、前の方で列が動き出す。
プロムナードを後にして、パスモで現金支払いと入館手続きを済ませてから、ゲートへと向かう。予め手続きを済ませたパスモをかざすと、ピッという音とともにゲートが開く。この感じは、さながら駅の改札を通るような感覚に近い。
すると珠洲が手を握ってきた。彼女は俺の視線に気がつくと微笑んで、さらに密着してくる。……右腕に柔らかい感触があたって、非常にどぎまぎして(以下略。
早速シミュレータホールに向かう。先乗りした客が随時運転していて、様々な列車のモーター音が響き、どこか賑やかな様子を作り出している。
まずは京浜東北線から運転することにした。
この路線は埼玉県の大宮駅から神奈川県の横浜駅を結ぶ、総延長五十九・一キロの路線で、駅数は三十五である。
順番を待っていると、珠洲が裾をくいくいと引っ張って尋ねてきた。
「芯くんは鉄道好きなの?」
「そうだね。物心ついた時から、電車乗るときは必ず先頭から運転士が運転する様子を見ていたりしたよ。電車=憧れって言っても過言では無いかも知れない」
「それじゃあさ、この鉄道博物館にも、もう何回も来ていたり?」
「うん。二〇〇七年にここが開館してから、月に三回か四回は必ず来てるよ」
「凄!! 芯くんの鉄道愛は半端じゃないね」
やがて、開館して間もないからか、すぐに運転の順番が回って来たので、まずは、珠洲からやることにした。
椅子に座りスタートボタンを押すと、目の前の映像が切り替わり、準備が整う。
「珠洲の向かって左にあるハンドルで、手前に引くと加速して、反対に倒すとブレーキがより強く掛かるよ。
駅に入る時は、ギリギリのところで常用最大を掛けて、停止位置に向けて段々と緩めていくのが鉄則かな」
「ん、分かった」
そこで珠洲はハンドルを一番手前まで引いた。
シミュレータ全体が揺れて、映像が連動して動き出す。珠洲はまるで子供みたいに歓声をあげている。
「すごい、動いたよ、芯くん!!」
「おう。でも運転中は前を見ていないと危ないからな」
運転している大宮~さいたま新都心の区間は、駅間一・六キロ、所要時間二分と短い。
そのため、あっという間に、映像上にさいたま新都心駅が見えてくる。
「俺が合図したら、ハンドルを非常に手前まで倒してな」
「了解だよ」
停止位置までの残り距離が、三百八十――三百七十――三百六十と減っていき……。
「おし、倒して」
ザッというハンドルの倒れる音がして、直後、電車が減速を始める。
残り百メートルになったところで、『B3』位置まで緩める。列車は緩やかに減速していき、ちょうど『0.00m』の地点で停車した。
「おお、なかなか上手いじゃん珠洲」
素直に上手な運転だったので、珠洲の頭を撫でてやると、珠洲はくすぐったそうに身をよじって、
「……ん、ありがとう芯くん」
と言った。
シミュレータでひとしきり遊んだあとは、ヒストリーゾーンで昔ながらの電車を見学し、ラーニングホールで鉄道の基盤を担う様々なシステムについて触れ、時刻はお昼時となった。
今日のこの後の予定を話し合いながら、お昼をどうするか話し合っていると、珠洲が提案してきた。
「私、この『フレンドリートレイン』でお昼食べたいな」
「どれどれ……『国鉄の車両で、走りゆく電車たちを見ながら、鉄道旅している気分を味わうことができます』か――結構良さそうじゃん、ここにしようぜ」
「うん!!」
フレンドリートレイン付近のお店で、駅弁と飲み物とを購入し、車内へ向かう。
時々団体の予約が入るこの休憩場所だが、幸い今日は入っていないらしく、多くの家族連れが楽しいひとときを、思い思いに過ごしている。
「結構人がいるんだねー。どこも埋まってそうだよ」
「もうちょっと奥に行こう」
俺たちは対面式の二人掛けのシートに腰を落ち着けた。ふと窓の外に目を向けると、オレンジと緑のラインが入った電車が、風を切るかの如く走り去って行く。
「あれは何線?」
早々とお弁当の包みを解き、タコさんウィンナーを頬張っている珠洲が問うてきた。
「ん? あれは高崎線だな――通称『湘南新宿ライン』とも言うけど」
俺が答えると、「ふーん」と特に興味も無さげに目を遣る珠洲。その視線の先を、今度は緑色のラインの電車『埼京線』が通過していく。
「……俺もお昼食べよう」
珠洲がどことなくぼーっとしているので、俺はちゃっちゃとお昼を食べることにした。
隣に置いた鞄からお弁当箱を取り出して、顔をあげた時、ふと目の前のシートに座った男女に目がいった。
快活そうな笑顔を浮かべて、二人の女性に応じている男性は、見た目で二十代半ばといったところ。
対して、向かって右側に座った女性――というよりかは、幼さを残す顔立ちの女子は、二十歳直前。
向かって左側の女性は、男性と同じく二十代後半といった雰囲気だが、一目見ただけでも“美人”という形容がぴったりの女性だ。腰まで伸ばした癖一つの無い髪に、目鼻立ちが整い、唇は触れたらとろけてしまいそうな感じ。
「それにしても、美桜が俺と同じ大学に行きたいって言った時は驚いたよ。それまで、パソコンのパの字も言った事の無かった美桜が、ある日突然宣言するんだからさ」
男性のそう言われた『美桜』という女性は、怒ったような口調で返す。
「……そんなこと無いよ。私がその道を考え始めたのも、兄ちゃんが一生懸命に大学の勉強をしているところを見たからなんだよ? 確かに、高校入るまではパソコンには微塵も興味無かったし、兄ちゃんがそれに没頭しているのを見て「何か暗いな……」とさえ思ったもん。
でも、兄ちゃんがそんなに夢中になっているんだったら、私にも理解できるかなって思って始めたのが、きっとそのきっかけかな」
その美桜さんの話を受けて、今度は、向かって左の女性がくすっと笑みを零して言う。
「ふふ。美桜ちゃん、事あるごとに『兄ちゃんと同じ大学に行く!!』って言っていたもんね。最初に聞いたときは、ただ単にブラコンぶりをアピールしているだけかと思ったわ。
でも話を聞いているうちに、秀平くんに触発されて、パソコンの道を目指し始めた事を聞いて、何だか、私まで嬉しくなったの。
――それは多分、私の大切な友達であり……かけがえのない『旦那さん』である秀平くんが、そうやって人に希望を与えていることに対してなのかも知れないわね」
「凜空……」
何だかそっちのテーブルでは、昔話に花が咲いているようで、『凜空さん』という女性は頬を染めて、時折秀平という男性の様子を伺っている。
その様子を見ている美桜という女性は、微笑ましいもを見る眼差しで見守っていて……。
思わずその様子に魅入っていたため、俺の向かいに座った珠洲が不思議そうに尋ねてきた。
「……どうしたの芯くん? さっきからあっちの人たちばかり見てさ、何かあったの?」
「いいや。ただ仲が良さそうだなあと、思っただけだよ」
「へえ――確かに、いかにも何年来の付き合いって感じするよね」
珠洲がその様子を一瞥してから俺に言ってきた。すると珠洲は、俺に聞こえるくらいの声で呟いた。
「――――私たちも、周りから見たら、仲の良いカップルに見えるのかな」
「珠洲……」
その、まるで自分に問いかけるかのような言葉は、あっというまに霧散して……。
珠洲は切なそうな、今にも泣き出してしまいそうな、そんな雰囲気を纏う。
……元々お互いの秘密を共有したことから、関係が始まった俺と珠洲だったのだが、ある事がきっかけで、俺たちはお付き合いをすることになって……だから、今珠洲はこの関係を繋ぎとめているものがただの“秘密を共有している”という事実だけなのではないかと、心配しているわけで……。
俺はテーブル越しに珠洲の頭を撫で、髪を優しく梳いてやり、彼女の瞳を見つめて言う。
「……大丈夫。珠洲は俺のかけがえのない彼女で、俺も珠洲の事をとても愛しているよ。付き合うきっかけがどうであれ、俺たちはお互いを好きあってお付き合いしているんだから、何にも心配することは無い。だからそんな悲しそうな顔するなよ……」
珠洲はこくんと頷くと、おもむろに俺の隣に座り、寄り添うようにもたれかかってくる。
そのおかげで珠洲の様々な女の子としての身体の感触が感じられて、鼓動が早鐘のようだ。たまらず、珠洲の腰に手をまわして抱き寄せると、珠洲が俺の胸に顔をうずめる。
珠洲の頭が目の前にあって、彼女の綺麗な髪からは、シャンプーの香りが漂う。
指と指の間とで挟むように梳いてやると、「芯くんのえっち……」と彼女は言ったが、未だ身を委ねたままだ。
一瞬理性がカムバックしてきたので、ふと横を見ると、先ほどの男女のグループがこちらをまじまじと見つめていて、まるで過去を懐かしむような眼差しを送ってきていた。
「……ふふ。あの子達、とっても仲がいいわね」
「そうだな。――――俺たちも高校生の頃、あんな感じじゃなかったか、凜空」
「そうだね……あの時は秀平くんが突然私の家に来たから、びっくりしちゃった。
挙句の果てに私を抱き締めて、思い返せば恥ずかしいようなことを言うんだもの。あれからお母さんに散々問い詰められたんだからね」
「……うっ、それはマジですまん。あの時は舞い上がっていて、つい自分を忘れていてだな」
「――大丈夫だよ。もう気にしてないから、秀平くんが気に病む必要は無いよ」
何となく雰囲気が甘酸っぱくなってきたので、俺たちはさっさと昼食を完食して、フレンドリートレインを出た。
それからしばらくは先ほどのグループの話題で持ち切りとなり、最終的には、自分たちもあんな風になれるかなと珠洲が呟いた事により、気まずい雰囲気になってしまい……。
時刻は四時半を少し回った頃合で、そろそろ帰宅しようかというタイミング。
大宮から地元の最寄りまでは一時間半かかるため、俺たちは『ニューシャトル』の鉄道博物館駅に向かう。
ホームで列車が到着するのを待っていると、珠洲が自然に俺の方へともたれかかる。
不思議に感じられた俺は、珠洲に尋ねてみる。
「どうした珠洲、疲れたか?」
「うん。ちょっと歩き過ぎたかも知れない……」
珠洲は頭を抑える仕草をする。
彼女の頭をそっと撫でて、右腕で優しく抱き寄せてあげる。
ぴったりと密着しているのでお互いの体温が生で感じられて、とても心地が良い。
「間もなく列車が到着します、危ないですから、黄色い線の内側までおさがり下さい」
アナウンスが流れてから程なくして、ニューシャトルがホームに滑り込む。
乗務員室付近の二人掛けのシートに腰掛けると、珠洲は俺の肩に頭をのせて、すやすやと眠りに入ってしまった。桃色のみずみずしい唇が微かに開き閉じを繰りかえし、彼女の胸が呼吸に合わせて上下している。
そんな姿が愛おしく思えて、俺は彼女の手をそっと握った。
珠洲を見送るため先に彼女の最寄り駅に向かい、到着するや否や、彼女はこう言った。
「そういえば、ママが迎えに来てくれるって、さっきラインで言ってたよ」
「そっか。じゃあ、今日はここで……」
「何言ってるの。芯くんも来るんだよ、私の家に」
「え?」
それは心からの驚きだった。別に珠洲の家に行くのを、反吐が出るほど嫌っているのでも無いし、ましてご両親と不仲であるというわけでもない。
…………ん? 両親?
「……そういえば、まだ珠洲のお父さんと挨拶していなかったな」
「そう。だから、芯くんの目的は、私のパパに挨拶することなんだよ?」
まさかこんな形で、珠洲のお父さんにご挨拶をする事になるとは、夢にも思っていなかった。
いや、確かにご両親に挨拶を済ませるのはマナーなので、それをとやかく言わないが、何というか……心の準備が出来ていない。
そんなやりとりをしていると、一台の乗用車が俺たちの横に停車した。
案の定、中から珠洲のお母さんが降りてきて、手を振りながら近づいて来る。
「お帰り珠洲と芯くん。今日のデートがどうだった?」
その問いに真っ先に珠洲が答える――頬を赤く染めて。
「……とても楽しかった。今まで鉄道をこうしてまじまじと見たのは無かったし――芯くんが色々鉄道のことについて話してくれたから、飽きることは無かった。
……また行こうね芯くん?」
そう言って、珠洲は『恋人繋ぎ』で俺の手を握る。
その様子を見た珠洲のお母さんは「本当に仲良いわね……若いっていいわよね」と呟き、
「さあさあ二人とも、車に乗ってね」
俺もお言葉に甘えて車に乗せていただく。
発車してから、俺は断りを入れて、母さんに遅くなることをラインで伝える。
するとノーウェイトで『りょうかーい。楽しんできてね……別に珠洲ちゃんの家が良かったら、そのままお泊りしてもいいのよ?』と返信が来た。
――珠洲の家に止まれるかはひとまず脇に置いておき、俺はスマホをしまう。
隣に座った珠洲が俺の顔をのぞきこむ。
「芯くんのママ、何だって?」
「ひとまず、俺が珠洲の家に行く事は了承してくれた。
……あと、珠洲の家にお泊りしてきても良いって言ってたけど――それはとりあえず無しの方向で」
「えーどうしてさ」
俺の予想と反して、珠洲は唇を尖らせて、頬を膨らませる。
「そんなの分かんないじゃん、ねえ、ママ?」
すると、ずっとハンドルを握っていた珠洲のお母さんが、信号で一時停止したところでこちらを振り向いた。
「少なくとも私は良いわよ。むしろ芯くんなら大歓迎……あ、さすがに部屋は別になるけけど」
「当たり前ですよ……」
嘘か本当かは分からないが、とりあえず珠洲のお母さんは前向きのようだ。いずれにしろ、お泊りさせていただくとすれば珠洲のお父さんの許可が必要になる。
車で十分ほど揺られて、いよいよ珠洲の自宅に到着した。
夕時とあって、徐々に日が伸びてきているため、辺りは茜色に染まりつつあり、付近の街道は車の往来が激しい。
珠洲のお母さんに玄関を開けてもらい、中に入れていただく。
見慣れた、整理整頓の行き届いている廊下を抜け、リビングに入る。
そして俺は、居間に置かれたソファに悠然と座り新聞を読む、珠洲のお父さんらしき人物を見つけた。お父さんは人が入って来たことに気づき、後ろを向くと、俺と視線を合わせて訝しげな表情になる。
「……その男の子は、誰だ?」
すると珠洲がきっぱりと答える。
「パパ、この人が私の彼氏だよ!!」
「……」
珠洲のお父さんは、それを聞いて、呆然とした表情で固まってしまった……どうやら本格的に、娘が彼氏を連れてきたことに対して茫然自失のようだ。
珠洲のお母さんが呼び掛けると、それに手を振り「……大丈夫だ」と返し、再び俺に向き直る。
「――――とりあえず自己紹介をしてもらってもいいか……?」
「は、はい……珠洲さんと同じ『2年C組』の斎藤芯です。二年生になってから、珠洲さんとはお付き合いをさせていただいています。よろしくお願いします」
俺が一礼すると、何回か瞬きをしてから、ふっと優しい笑顔になり、俺に言葉を掛けてくれた。
「そうか。……珠洲の彼氏が、こんな優しくてまじめで誠実な男の子で、私は安心したよ。これからも、珠洲をよろしく頼むよ」
「は、はい。こちらこそ、珠洲さんを幸せにします」
そう俺が言った瞬間、隣から「ぐるるるるる……」と洒落にならない声がしたので、予想はしつつも、そちらを向くと珠洲が真っ赤になって俺を可愛らしく睨んでいた。
「芯!! 幸せにしますって……結婚するんわけじゃないんだから大げさよ…………」
「あっ……」
言われた、俺は段々とその言葉の意味が分かってきて、突如俺の顔が赤くなるのを自覚した。珠洲は何故か俺の手を恋人繋ぎしてくる。
そんな俺たちの様子を先ほどから面白そうに見物している、珠洲のご両親は、互いに目を見合わせた後、お母さんが台所に向かい、お父さんは再び新聞を読み始めた。
何事も無かったかのように扱われ、俺たちは更に恥ずかしくなり、手近なソファに隣り合って腰かけることにした。
今日一日の疲れからか、珠洲は座るや否や、俺の肩を枕にして寝息を立て始めてしまった。
両親が作業をしているのを見計らって、俺は珠洲の寝顔をそっと見た。
神様が与えたのだと思うような綺麗な目鼻立ちに、つぶらな瞳に被さる睫毛が、どこか女性らしさを感じさせる。
……こうして珠洲と触れ合っている時の癖が無意識に出てしまい、俺は、珠洲の髪をさらさらと梳いていた。
気持ち良いのか、珠洲は軽くみじろぎして、さらに俺に抱きついてきた。俺の左腕で圧迫されその形を変えているふくらみが、ふよふよとしていて気持ち良く……どぎまぎしながら、(一方的な)触れ合いを楽しんでいると、珠洲のお母さんがお盆にお茶などを載せて戻ってきた。
それを置きながら、俺たちに言う。
「あらあら。本当に珠洲は芯くんに甘えているみたいね。まるで親と子のようね」
「そんなこと無いですよ。こうやって珠洲が俺に好意を寄せてくれているのはとても嬉しいですし、僕たちにはこれくらいの距離感がちょうどいいんですよ」
「二人が幸せそうでなによりね。……珠洲ったら芯くんに抱きついちゃって。ごめんねんさいね本当に」
珠洲のお母さんは本当に申し訳なさそうに謝って来るので、俺は慌ててそれを否定する。
「いえいえとんでもないです。僕は珠洲さんの事が大好きですし、こうやって珠洲に甘えてもらえるのは、僕自身嬉しいですから。気にしなくて大丈夫ですよ」
「そうね」
珠洲のお母さんはそう言って微笑み、隣で眠る珠洲の頭をそっと、愛おしげに撫でる。
その後はご両親と談笑して時間が過ぎてゆき、気づけば、時刻が六時半を回っていた。
このまま居座るのも失礼なので、俺は帰宅することにした。
「珠洲さんのお母さん、あの……」
「私のことは、涼夏でいいわ」
「涼夏さん、僕そろそろ家に帰ろうと思うのですが」
すると珠洲のお母さん改め涼夏さんは、きょとんとした表情で、俺に言った。
「あら、泊まっていかないの?」
「……さすがにもうすぐ夕食でしょうし、そこまでお世話になるのも悪いですし……」
「芯くんなら、私は夕飯ご馳走するし、泊まってもいいわ。問題は――」
「俺も特に異論はないさ」
珠洲のお父さんが新聞から顔をあげて俺の泊りに賛成し、そして、未だ俺の肩を枕にして眠る珠洲が、しがみつきながら「帰っちゃだめ……」と呟くので、俺はとうとう追い込まれてしまう。
「――――今日はよろしくお願いします……」
その後夕飯をご馳走になり、お風呂の後にリビングでくつろいでいると、お風呂上がりの珠洲が俺のもとまで真っ先にやって来た。
濡れた髪をタオルで拭う姿や、火照った肌などが、珠洲の家にいるという事実と相まってとても色っぽく感じられる。
寄り添うように座った珠洲は、テレビに視線を向けながら、尋ねてきた。
「ねえ芯くん、これからどうしようか?」
「これからって――――ああ、あれのことか」
「うん。そろそろ調べ始めないと、やばいんじゃないかなあって」
「何ヶ月か前に都市伝説研究会に話を聞いてから、全くと言っていいほど言っていないからな……先延ばしには出来ないよな、珠洲にとっても俺にとっても」
「そうだね……こうやって、私と芯くんが一緒になれたのも、何かの縁だと思うし」
珠洲は俺の肩にもたれかかり読書を始めた。こうなっては何をしようと反応しない珠洲なので、俺は適当にスマホをいじりながら時間を潰す。
どこかからか「二人は仲がいいな」とか「本当よね」などと会話が聞こえてくるが、最近疲れていて空耳でも聞いているのだと思うことにして、俺もスマホをいじろうとし……ふと隣をみやると、珠洲は本に目線を固定したまま、耳朶まで赤くしていた。どうやら本人的にはもの凄く恥ずかしかったみたいである。
珠洲が船を漕ぎ始めた頃、涼夏さんが俺に尋ねてくる。
「芯くん、明日の事なんだけど、どうするのかしら?」
「はい。明日はこちらを早く出て、自宅から学校に行きたいと思います」
「じゃあ、朝に車で送るわね。恐らく電車も本数少ないでしょうし」
「お言葉に甘えさせていただきます」
明日の予定がまとまったところで、俺や咲野家の人たちは寝ることにした。
用意して頂いた部屋は、珠洲の部屋の隣にある客間。
軽く見渡してみれば過ごす分には全く不自由は無さそうで、特に、ベッドに関しては二人なら入りそうな広さのもので、珠洲のご両親がどれだけ苦労しているかが分かる。
軽く荷物整理などをして布団に潜りこみ、携帯をいじっていると、不意に扉がノックされる。
扉の向こうで待っていたのは珠洲。ブルーと赤のチェックのパジャマに身を包み、眠たそうな目で俺を見ていた。
「どうしたんだ珠洲、こんな時間に。寝られなかったのか?」
「……うん。芯くんが隣にいると思うとね…………」
「お、おう……」
珠洲が眠たそうな目をこすりながら、俺にぽすんと体を預けてくる。
抱き留めた体から感じる珠洲の温かさ、洗い立ての肌の香りやシャンプーの匂い、全身で珠洲の身体の柔らかさを受け止める恰好で、俺の鼓動が早まる一方だ。
とりあえずベッドの縁に腰掛けると、先ほどみたいにもたれかかってくる。しかし既に船を漕ぎ始めている珠洲に、俺は提案する。
「……寝るか?」
――まさか、俺に甘えるためだけに、ここを訪れたわけでは無いはずだ。
すると珠洲はいやいやをするように、
「…………芯くんと一緒にねるうぅ………」
珠洲が先に布団に潜り、俺が後から布団に入る。
すると、珠洲がまるでぬいぐるみを抱くかのように俺にしがみつくので、押し付けられた珠洲の様々な身体の部分がとても柔らかく、何だか気分が舞い上がってきたので、俺はさっさと睡魔に意識を売り渡すことにした――――。(6・10(金))
翌日。凛とした鳥のさえずりに目を覚ました俺は、ここが珠洲の家で、今自分は咲野家に泊めていただいていることを思い出し――一気に眠気が吹っ飛んでいった。
……起きようとすると、俺にしっかりと抱き付いて離れない珠洲が、離されまいとさらにしがみつてくるので、(その可愛さも相まって)なかなかベッドを出られない。
時間は六時頃。今から支度をしていけば、学校には十分間に合う。
電車を経由して通う珠洲もそろそろ起きないといけないので、肩をゆすぶってやる。
「珠洲、学校遅れるぞ。俺もそろそろ出ないといけない」
彼女の長い髪を耳にかけささやくと、目をひとしきりこすり、ぼーっとした瞳で見てきて、
「……芯くん、おはよう」
ふにゃっとした笑顔に、彼女に抱き付きたい衝動を抑えて、ぶっきらぼうに答える。
「寝ぼけてないで……早く顔とか洗ったら?」
「……ん、そうする。芯くん連れて行って?」
「……お姫様抱っことかしないからな、一人で行けよ?」
「芯くんのいじわる……」
洗面などを済ませたら、俺はいよいよ咲野家を辞することになり――。
自宅に到着して車を降りると、涼夏さんがにっこりと微笑みながら、
「芯くん、また家に遊びにきてちょうだいね。いつでも歓迎するわ」
「はい。その時は、またよろしくお願いします」
涼夏さんは再度微笑みを返してくれると、助手席に座り船を漕いでいる珠洲を見やって苦笑する。
「……全くこの子ったら。今朝、あんなに芯くんを送ると言って張り切っていたのにね」
「本当に、そうですね……まあ、この後学校で会うので」
「そうね……じゃあ、またね」
涼夏さんはシートベルトを装着し、サイドブレーキを解除して車を発進させ、いよいよその姿は見えなくなった。
朝食を食べ終え、身支度を済ませてリビングに向かうと、ソファでごろごろする莉緒がいた。
ソファにうつ伏せの形でねそべり、足をぱたぱたさせて、何やら雑誌を読んでいるようだ。
近づいてみると、それが小学生の女の子達に人気のあるある有名な一冊だった。
「莉緒、何読んでるんだ?」
「あ、お兄ちゃん。これ面白いんだよ。何でも、小学生でも馴染めるようなファッションが紹介されていて、そのテクとかが載ってるの」
差し出された雑誌を受け取り、ぱらぱらとめくってみると、なるほど確かに流行をきちんと押さえて、写真や図などを使い分かりやすく説明してあるようだ。
「確かにこれは良さそうだな。莉緒はいつもお洒落さんだから、さらに可愛くなったら、お兄ちゃん嬉しいかもな」
俺の言葉に莉緒は軽く頬を染めて、しがみついてくる。
「……ん、ありがとうお兄ちゃん」
その後は二人で談笑をした後、俺は学校に向かった。
学校に続く一本道を歩いていると、背後から思いっきり肩を叩かれた。
「痛え。誰だよ――」
そう思い振り返ってみると、そこにはかおりの姿があった。五月に相応しい明るい笑顔を浮かべている。
「おはよう芯、何だか久しぶりな気がするね」
「バカ言え。教室で毎日会ってるだろうが」
「それもそうだね。――ところでさ、最近、咲野さんと一緒にいることが多いみたいだけど、どうかしたの?」
……そう。最近俺と珠洲が何かと一緒にいるのを噂する者が絶えないのだ。
俺は追及されるたび『何もない』として、何とかかわしていたのだが、事実が明るみに出てしまうのは時間の問題といえた。
だから、かおりには曖昧に事を伝えることにした。
「……咲野がさ、転校してからまだ学校とかクラスに馴染めていないって悩んでいて、席が隣同士になった俺に頼んできたんだよな」
「まあそれはそれとして……最初のホームルームで、咲野さんと見つめ合っていたけど、何かあったの?」
「それはだな――朝登校していたら、目の前から咲野が飛び出してきてぶかってしまって、その彼女が偶然同じクラスだったから、互いに顔を覚えていたわけ」
「なるほどね……“朝急いで登校したら、街中で女子高生とぶつかる”イベントか……まるで漫画とかアニメみたい…………」
ふと、珠洲が何か呟いた気がしたが、声が小さすぎて聞き取れなかった。
「今、何て言ったんだ?」
「何でもないよー。……ほら、もうすぐで着くよ、急ごう!!」
その後しばらく俺の脳内に引っかかっていたそれは、放課後にはすっかり頭の中から消えていたのだった。
俺と珠洲は、放課後部室に向かった。
いつも通り、思わず鳥肌が立ってしまいそうなデザインの扉を開けると、中にはいつものメンバーが揃っていた。
佐木乃先輩は、俺たちが席につくのを確認して口を開いた。
「さて今日も芯君の『フラグ体質』について話し合おうではないか」
部員全員が頷き、佐木乃先輩が続ける。
「それで、最近芯君の体質の方はどうかな?」
「最近は、鳴りを潜めている感じですかね――珠洲の体質の方も含めて」
「ちなみに私の方も、ここ数か月は特に変わった様子は無いですね、雄介先輩」
珠洲に名前で呼ばれたことで一瞬の驚きを見せた佐木乃先輩だったが、すぐに平静を装うと、眼鏡を指で押し上げてから言った。
「……ふむ。どうやら君たちの体質には一定の周期があるようだね――具体的には、それが頻発する『A』の時期と、潜伏期間とも呼ぶべき『B』の期間があるような感じさ」
「ということは、今僕たちはその『B』の時期にあると言うんですか?」
「状況を整理するに、そういうことになるだろう。芯君や咲野さんは、今まで何か心当りはあるかい?」
佐木乃先輩にそう問われ、俺たちはしばらく考え込む。
俺が必死に脳内の記憶を辿っていると、珠洲が真っ先に口を開いた。
「――私の『人がどんなことを考えているのか』が見える体質を自覚したのは……あれは確か小学校に入ってからだったと思います」
それはこの間珠洲が話してくれたことだ。友達と仲たがいの状態になり、偶発的にその友人氏の考えている事を知ってしまったとか。
「小学校の間は、何日かに一回は必ず起こっていました。どんなに間隔が長くても、一週間開く事はなかったと記憶しています。
中学校に入ってからは何十日に一度くらいに落ち着いて、高校では何ヶ月かに一度だったのですが――高校二年生になるにあたってこの高校に転校してきて、その時ふと勘付いたんです。転校先の高校で、私の運命を変える様な人と巡り合うって……」
珠洲は目を若干伏せる。その表情はどこか切なげで、一瞬にして、部室に決して軽く無い雰囲気が漂う。
そのことを敏感に察知したのだろうか、佐木乃先輩は珠洲に質問した。
「……どうしてそうだと気づいたんだい?」
「…………分かりません。ただ、町に引っ越してきた時から、そういう感覚……いや、ある種“予感”が強くなっていったのは確かです。
今思えば、その時だけ、どうして芯くんの体質に似たような事が私にも起きたのか、全く分からないんですよね……」
珠洲は目の前に置かれた湯呑の一点を見つめながら、ただぽつりぽつりと語った。
珠洲がそれ以上の事を語らないのを見て、俺も口を開く。
「――僕が自分の体質をはっきりと認識したのは、やはり小学校の頃でした。
ある時期から学校を休みがちになった友人がいたんです……当然どうしたのかなって心配しますよね? だから僕は彼の家を訪ねる事にしたんです。
彼は至って元気そうで、もうすぐ治るから、そうしたら学校に行けるようになると言いました。俺はその言葉を信じることにしたんです。子供だから楽観視していた面もありました。
しかし、一週間しても彼は学校に戻ってこないんです。不安に耐え切れなくなって、僕は彼の家に電話しました。でも誰も出なくて……その瞬間、僕の頭の中に何かのメッセージのようなものが出てきたんです。
――この先、あなたの友人は交通事故により亡くなります。それを変えるためには次の行動のどれかを選択してください。なお、何もしない場合はこのメッセージを無視してください。
一、学校に問い合わせてみる
二、付近の病院を手当たり次第に回ってみる
三、母親に聞いてみる
四、その他――
何の事か分からなかった僕は、何かの冗談だろうと思い、そのメッセージを無視して……
一週間後、“友人が交通事故により亡くなった“と母親から知らされました。
…………僕は深く後悔しました。どうして目の前に『友人の死』という重大な出来事が迫っていたのに、見殺しにしてしまったのか。
そんな僕の様子を見た家族や親戚、さらには先生やクラスメイトまで、僕のせいでは無いと慰めてくれました――――でも、それは間違っているんです。
“全力を尽くして、それでもなお結果が悪いものになった”ことと、“最初から何もしないまま悪い結果になってしまった”こととでは、全く違うんですよ!!
友人の未来が俺に託されていたのに、俺はそれを台無しにしてしまった……」
俺の様子を感じ取ったのか、珠洲がそっと手を握ってくれて、そっともたれかかる。
女の子の柔らかさと体温が、今の俺にはとても心地良い。
「…………芯君は、彼を助けてやれなかったことに責任感を持っているという事か……」
それっきり佐木乃先輩は黙ってしまった。
そこから数分、互いに黙り合ったまま、湯呑に口をつけたりなどして過ごす。
やがて珠洲が口を開いた。
「でも、私がこの体質になったこととしては、決して悪い面ばかりでは無いんです」
珠洲の言葉に部室の面々がそちらに顔を向け驚いたような表情を浮かべる。もちろん俺も珠洲がそんな事を言うとは思わなかったので、思わず珠洲をみやる。
視線を意に介した様子も無さげに、珠洲は続ける。
「私がその体質を自覚するまでは、割とやんちゃな性格で、周りの事なんか顧みない、そんな女の子だったんです。
でも『他人の心が見える』という体質のおかげで、容易に心の機微が分かるようになりましたし、人間関係も円滑に行くようになりました。
確かに、私たちを縛める体質は厄介で邪魔なものかも知れないですが、一方で、私たちにある面では福を成すこともあるのだということです――――でも私は体質に頼る事無く、友達と楽しく喋ったり、お出かけしたりして、毎日を送りたい……だから、私はこの体質を解消させたいんです」
そのように語った珠洲の目は決然としていて、そのオーラが部室全体に染み渡り、部員全員の表情が優しくなった気がした。
佐木乃先輩はいっそう表情を和らげてから、珠洲に言った。
「そうか……咲野さんは強い人なんだな。普通、そこまで何かに苦しめられる人は、そこから何が何でも抜け出そうとあらぬ力を振り絞って、最終的には――――変な話だが、自殺する人だっているんだからな……そうして体質と闘いながら、妥協点を作る点でいえば、君は本当に立派な人間だと私は思う」
その言葉に珠洲は驚いたように目を見開いて、やがて目に大粒の涙を浮かべ始めた。
突然の部室一同が慌てふためく。まあ当然のことというか……途端に女の涙を見せられては、そこいらの男性はたじたじになるのも無理もないというものだ。
そうした周囲の様子もお構いなしに、珠洲はぼろぼろと涙を流して、嗚咽を漏らす。
未だ珠洲の過去に何があったのかは知らないが――でも、この涙が彼女の体験してきたことの壮絶さをありありと表しているに違いないかった。
心の底から自分を取り巻く環境を変えることを望んで、人間関係をも上手く行えるようになりたいと欲して、ゆくゆくは自分の力で歩んでいこうとさえする彼女が、今までどのような苦労をしたかは、この涙に隠されている気がしてならない。
俺はそっとハンカチを取り出して、彼女の目元にあててやる。
たちまちハンカチの片面、約四分の一程度が濡れたところで珠洲は泣き止んだのだが、突然「寝る」と言いだして、ゼロ距離まで近づいて俺にもたれかかると、すぐに寝息を立て始めてしまった。
やれやれと思いつつも、彼女の頭を撫でたり髪を梳いたりしてみて、改めて俺の彼女は芯がある強い女の子なのだと実感する。目元に零れたしずくがきらりと光る。俺はそれをそっと拭う――――温かく、まるで珠洲の意思の強さを物語っているようで……。
「…………今日の部活はここまでにしておこう。今日の咲野さんは何だか、とても疲れているようだし、後の事は彼氏である芯君に任せるとしよう」
そう言うなり、身支度を瞬く間に済ませてしまった都市伝説研究会の面々は、これまた一瞬の間に部室を去っていった。
残されたのは、ふたりっきりの静寂と規則正しい珠洲の寝息だけ――――。
彼女の寝顔を見やる。あれだけの意志表示をしたおかげか、表情はとても可愛いげのあるものだ。思わず見惚れてしまいそうになってしまうが、女の子の寝顔をまじまじと見るのもデリカシーが無さすぎるので、彼女の唇にそっとキスをする。
その後下校し、珠洲と駅前で別れる。なお、珠洲にこっそりキスをしたことを打ち明けたところ、顔を真っ赤にしてたいそうお怒りになられた……キスするなら起こした直後にしてほしかったとか、もっとムードを大事にしてほしかったとか――珠洲をあえて起こさずにキスした理由は可愛かったから……などとは口が裂けても言えないので、黙っておくことにする。言ったら再び面倒事になりそうだからな。
なんやかんやあって家に帰宅すると、妹の莉緒が、俺が玄関に入ったタイミングを見計らって抱き付いてきた。
妹のすべすべの肌の感触を感じながら、頭を撫でて言う。
「ただいま莉緒」
「うんお兄ちゃん、おかえりなさい。お風呂入ろう!!」
「……ったく。分かったよ。いくらダメって言っても莉緒が聞かない事、お兄ちゃんも良く理解したから」
「うん。ありがとうお兄ちゃん」
莉緒は満面の笑みを浮かべ、俺にさらに抱き付いてくる。小学五年生でありながら、平均より成長している胸の感触とかが柔らかくて、触れ合った肌の温かさとかに、俺はどぎまぎせざるを得ない。
自室から着替えなどを持ってくると、俺は莉緒の手を引いて脱衣所に向かうのだった。
その日の夜。俺はパソコンで、とある大学を調べていた。名前は『北浜大学』。
詳しいことは分からないが、この大学に、世の中のありとあらゆる特異的な体質を研究している先生がいると、この間部室で貸していただいた本に書いてあった。
実質的に自分たちの体験談しかなく、行き詰まっている状況にあるなか、この場所は事態の打開に繋がるのではないかと期待もしている。
その先生――石北教授を紹介しているホームページをチェックしてみると、確かにその中に、様々な体質について研究している旨の記載があり、一般の人も相談に訪れているそうだ。そのまま記事に目を通していくと、やがて『面会をご希望の方はこちらから』というリンクを見つけたのでクリック。
次に、様々な情報を入力する画面が出てきた。その画面を一通り確認した後、珠洲にLI
NEでメッセージを送る。
すぐに返信が帰って来たので、さらに返す。
『咲野珠洲:それで、北浜大学がどうかしたの?』
『斎藤芯:この間部室で読んだ雑誌にこの大学の教授の記事が載っていてさ。そのついでにホームページ見てみたら、割と本格的に研究しているみたいで、ひとまず話を聞きに行ってもいいんじゃないかなと思って』
『咲野珠洲:まあそれはそれでいいけど……いつ行くの?』
『斎藤芯:三週間後には試験だからなあ……極端に言って明日とか?』
『咲野珠洲:無理言わないで。明日は友達と原宿に買い物に行く予定が入ってるから無理よ』
『斎藤芯:マジか。そうすると、来週の金曜日とかは、体育大会の振り替え休日だけど、どう?』
しばらくした後返信がきた。
『咲野珠洲:ごめんお風呂入ってた……そうね。その日なら私も予定入ってないから、外出できそうね』
その後は当日の予定を軽く話し合ってお休みを言って、就寝した。|如何≪いか≫にもわくわくしていますという顔で言ってきた。
「ねえねえ芯くん、お願いがあるんだけど」
「何だ、お願いって?」
すると珠洲はスカートのポケットから二枚の紙切れを取り出して、俺に見せてくるので文面に目を落とす。
「『ディズニーペアご招待券』?」
「この間商店街の福引で、偶然これが当たったの。でも行く相手がいなくて、私の友人もダメだって言うから……どう、かな?」
珠洲は上目遣いに俺に頼んでくる。その表情は男子が惚れるツボを見事に抑えており、こんな彼女の仕草も可愛いなと思ってしまう。何より彼女である珠洲のお願いだ、断れる理由も無い。
「いいぞ。今度都合の付く日にでも行くか?」
「!! うん、じゃあ詳しい時間とかはまたメールするね、バイバイ」
そう言って珠洲は自分の席に戻って行った。
そういえば、先ほどの珠洲の口調は、クラスメイトの前にも関わらず砕けたそれだった。どのような理由があるのか、彼女は、クラスメイトの前では落ち着き払ったクールな彼女である一方、心の距離を全く感じさせないフランクな彼女。
そうやって俺に心を開いてくれていることに悪い気はしないので、それはそれで良しとする事にする。
「お昼を食べようよ」
「――そうだな。確かにその方がいいかも知れない、それでどこへ行くんだ?」
「屋上とかいいんじゃない? あまり人気がなさそうだし」
「よし、じゃあ行くか」
そんなわけで俺たちは屋上を目指すことに。
階段を上がり、屋上への扉を開けると、春の日差しがこれでもかと差し込んでくる。
珠洲が思わず腕で影を作り「眩し……」と呟く。
街を一望できる位置に俺たちは腰を下ろし、お弁当の包みを解く。珠洲のお弁当の完成度に俺は目を見開く他なかった。
「珠洲のお弁当凄いな。野菜とか肉とかのバランスよくあって、しかもちゃんと栄養バランスまで考えてある」
「えへへ、ありがとう。芯くんって料理とかはしたりしないの?」
「まあ、生活に必要最低限な範囲でやってるよ。お母さんが朝早くに出るとか、用事で遅く帰ってくる日なんかは、お弁当作ったりしてる」
珠洲はタコさんウィンナーをもぐもぐとしながら、
「そうなんだ。そのお弁当も自分で作ったんでしょ」
「まあな、好きでやってることだし、今更それを苦に思うような事は無いかな」
「いいなあ。今度芯くんの料理も食べてみたいな」
「ああ、いいぜ」
珠洲と楽しい昼食の時間を過ごし、俺たちは下校することにした。
今頃は部活の時間帯で、校舎内に聞こえるトランペットの独特の音色や、グラウンドから聞こえてくる威勢の良い掛け声などが聞こえてくる。
俺たちが昇降口から出ようとしたところで、ポケットの中で携帯が震えた。何だと思い確認してみると、佐木乃先輩からのメールだった。何でもこれから部活をやるから、至急繰ることとのお達しだった。文面を読了した俺たちは互いに顔を見合わせ、どちらからともなく肩を竦めてみせ、上履きに履き替える。
昇降口から歩くこと数分、ようやく部室棟に到着した。
中から出てきた生徒が俺と珠洲を交互に見比べ、珠洲に対しては下心丸出しな視線、俺には嫉妬の目線をくれてから去って行った……これだから運動系の部活連中は感じが悪いんだ。しかし今の出来事を俺以上に快く思わない女がここにいた。
「……うわ何アレ気持ち悪。こっちじろじろ見てきてマジであり得ない」
……至って普通の、今どきのJKといった口調で|嫌悪感≪けんおかん≫を露わにする珠洲。もはやいつもの明るくてフランクな彼女はどこへいったのかだけでは済まされない、むしろ猫を被っていると言った方が正しい気がする。
空気を察したのかどうか分からないが、珠洲は俺の方を向くと、ばつが悪そうに舌をちろっと出してみせた。
「ごめんね芯くん、つい素の自分が出ちゃって……」
「あ、ああ――こう言っちゃなんだが、さっきの珠洲はめっちゃ怖かった」
「あはは。昔から私って、猫を被ってるって言われる事、多いんだよね」
「やっぱり……」
「うん。それでね、私がいつも明るく振舞うところに惚れた男子から告白を受けることも何度もあってさ、それで私、クラスメイトの前では落ち着いたクールなキャラを演じようって思ったわけ」
「なるほどな。つまり珠洲のその態度というのは、男子の告白から逃れるためのものだったわけだ」
「まあ、端的に言えばそうなるかな。あ、でもだからといって男子を敵視しているわけじゃないよ? ただ単にそうやって積極的に迫ってこられるのがうざくて、面倒くさいだけだから」
あえて珠洲は明るく笑って見せるが、俺にはその言葉がちっともそのようなものには聞こえず、改めて女って怖いなと思った。
二階に上がり『都市伝説研究会』の扉を開けると、既に何名かの先輩方が着席していて、何か作業をしていた……相変わらず降霊術なぞをやっている先輩もいたが。
しかし、どんなに見回しても佐木乃先輩の姿が見当たらず、俺はそのうちの一人の三年生に尋ねた。
「そういえば佐木乃先輩はどちらにいらっしゃるんですか?」
「ああ、彼なら職員室に荷物を取りに行ったよ」
「職員室に荷物……?」
それが今日、緊急に集まった目的なのだろうか。いまいちピンと来ないのだが。
手近なパイプ椅子に腰かけて、珠洲と談笑していると、ようやく佐木乃先輩が姿を現した。
その手には一つの段ボール箱が抱えられている。佐木乃先輩はそれを机の上に置いてから、室内を見渡して言った。
「いきなり集まってもらって悪い。今日は、そこにいる芯くんと咲野さんの依頼である『彼の特異体質』について話し合う時間にしたいと思う」
そう言って部長は段ボール箱を開けて、徐にいくつもの本を取り出していく。中には、図鑑のような厚さのものまであり、俺と珠洲が目を白黒させていると、部長は得意げに胸を張って言った。
「先日君たちがこの部室を訪れた後、私のツテを辿って、芯くんの体質に関すると思われる書籍や資料を探してもらったのだよ」
「ちょっと待ってください」
俺は思わず口を挟んでしまう。
「先日って、つい昨日のことじゃないですか。それもこんなに沢山、一体どこから持ってきたんですか、これを?」
「――――いわゆる“企業秘密”というやつだよ、芯くん」
「……うわ、何アレ」
珠洲が割と引いた目で部長を見ていた。思うのだが、珠洲は結構人への価値観が人一倍厳しいようだ。
さて。そんなところで、部長が適当に本を一人一冊配っていく。
受け取った本の題名は『世の中の不思議な現象~ピンからキリまで~』というもの。
大いに信ぴょう性が危ういとは思うのだが、部長の友人が送ってくれたそうなので、それなりに期待は出来るだろうと思い、ページを捲ってみる。
本の著者の『最初に』の欄、『目次』と続き、その次からあらゆる現象についての解説が載っているようだ。ぱらぱらとめくっていくと、お目当てのページは見つかった。
――――『フラグ体質』
……あまりにもそのまんまなネーミングセンスに若干辟易しつつ、まずは解説の部分を黙読してみる。本の内容は次の通りだ。
この体質は、その身にあらゆる災いをもたらします。ごく稀に本人にとって幸福なことが発生しますが、その場合についてはここでは例外として、後述します。
さて、そもそもフラグ体質が初めて世の中に認知されたのは、今からおよそ数年前のことになります。
ある男子高校生が、通学している最中に激しい頭痛に見舞われ、立っていられない状態に陥りました。その後何とか回復した高校生は、すぐに異変に気がつきます。
それは“一見しただけで、多くの情報が入ってくること”でした。
男子高校生は慌てて周囲を見渡します。すると彼に分かった事は、道行く人にこれから振って掛かるであろう不幸なことや、その人がどういう行動をとればどんな結果を生むか、というものでした。
男子高校生は、学校に遅れるわけにはいかないと、急いで最寄り駅を目指します。
しかし、電車は朝頃に起きた人身事故の影響で、運転再開のめどが立たないとの事。
男子高校生が半ば学校を休もうかと考えた時でした。彼の頭の中に、いくつかの選択肢が浮かびあがったのです。無論それは彼が能動的にどうしようかと考えたわけでなく、どこかからか、まるで狙いすましたように降って来たものでした。
何が何やら分からない男子高校生でしたが、ひとまずその選択肢を眺め――彼は『歩いて学校に行く』を選びます。
少しばかり遠いかと考える彼でしたが、距離的にも今から急げばぎりぎりのところでしたし、彼自身が陸上部に所属していた節もあったため、彼は駅を後にします。
学校まで残り一キロくらいのところで、彼は時間を確認します。すると時刻は、学校の始業時間前あと十分というところだったのです。
どんなに急いでも、百メートルにつき一分の速さを、常に全力疾走で走るスタミナは、彼に残されていません。彼の状況は絶望的です――その時、一台の車が彼の横に止まりました。
不審車両かと見構える彼に、車内から声を掛けたのは、なんと同級生の母親でした。
どうやら普段使っている路線が運転見合わせに陥っているのを事前に把握し、車で送り届けようとしているところのようでした。
彼はその女性の車に乗せてもらい、間一髪学校に到着することが出来ました―――――。
このケースでは、朝の登校時に電車がストップしている→歩いていく→途中で同級生の車に同乗する、という流れでした。
このように『ある一つの行動を選択するとその先の未来が一つのものに変化する』、その現象及び選択の事を一般に『フラグ』と呼ぶのです。
しかしこの『フラグ』については解明されていない領域が多く、未だその実態はつかめていないのが現状です。
私自身もこれまで多くの『フラグ患者』を見てきましたが、その数は延べ一千人以上、『フラグ体質』から完全に解き放された方は僅か一パーセントにも満たないのです。
逆に解き放された方々で言えば、それまでの事が嘘のように消えてしまった例や、誰かに解いてもらったというものまで様々な例があり、その消失条件は様々なようです。
最後に。
先ほども述べたように、この分野は未発見領域が多く、未だ謎多きところとなっています。一部の研究機関ではこの症例について研究や調査が行われていますが、有用な仮説が立っておりません。
もしこの症状でお悩みの方がいましたら、是非【北浜大学】の石北のところまでお越しください。
……この文献が何かのお役に立てることを祈りつつ。
そう文章は締めくくられていた。どうやらこの本は、様々な専門家があらゆる不思議現象についてまとめたもののようである。他にめぼしい記事は見当たらず本を閉じた。
すると隣で黙々と読み込んでいた珠洲と目が合い、どちらからともなく照れまじりの笑みが込み上げてしまう。今更にこの綺麗で美人な珠洲が俺の彼女であることを噛みしめていると、先輩方から生温かい視線が注がれているのに気がつき、お互いそっぽを向く。そんな様子を微笑ましく思っているであろう部長は、笑いを噛み殺しながら、聞いてきた。
「どうだ、何か有益な情報はあったか?」
その後意見交換が行われ、とりあえず今後へ向けた方針と対策を練って、今日の臨時部活は終わった。
珠洲と手を繋ぎながら――いわゆる指と指とを絡める恋人繋ぎというやつ――歩いていると、クラスメイトの男子連中が向こうから歩いて来るのが確認できた。
珠洲はあからさまに身を強張らせると、俺の制服の裾をきゅっとにぎってくる。
しかも俺の腕に縋るように抱き付いてくるものだから、女の子特有の柔らかい膨らみが押し付けられて、何だか心地よく、その柔らかさを堪能したい気持ちもあるのだが、それを押さえつけてから、珠洲の頭を撫でてやる。
珠洲はびくっと見上げる。大丈夫だとでも言うように、もう一回優しく頭を撫で、歩を進める。
俺と珠洲が並んで歩き、しかも寄り添い合っているのだから、当然それを追及して来ようとするわけで。向かって左端の――確か大宮と名乗っていた男子が言った。
「浦和と咲野さんは今帰り? どうしたのそんなに寄り添っちゃって」
「……ああ。部活帰りなんだけど、咲野さんが体調崩したから家まで送るところ」
「へえそりゃご苦労なことで。じゃあな」
「ああ、大宮達も気を付けてな」
彼らはやがて校舎に入って行き、姿が見えなくなった。珠洲はそれを確認するとほっと胸を撫で下ろして、俺にもたれかかってくる。
「大丈夫か珠洲?」
「……うん、何とかね。普段はああゆう風に振舞っているけど、こうして男子と教室以外で会うと、案外緊張するんだね……」
珠洲の身体を支えてやると、彼女は「ありがとう」と言い、立ち上がると、おもむろにつま先立ちになり――そのままキスをしてきた。
「……なっ!! 何してるんだよ珠洲」
「――何って、私の彼氏にキスをしたんだけど?」
「そんなこと分かってるって。どうしてこのタイミングなんだよ!?」
突然のキスに俺の脳の処理が追いつかない。おまけにしっとりとしていてやけに熱っぽかった珠洲の唇の感触が、俺の理性をかき乱していた。
俺の問いに可愛らしく唇を尖らせた珠洲は、頬を真っ赤にしながら言ってきた。
「……むぅ。本当だったらこんな事言わないけど、鈍感で朴念仁な芯くんに、あえて言ってあげる――――それは、私のことを守ってくれて、安心させようと、必死に私のために動いてくれたからなんだよ…………っ」
最後まで言い終るが同時、珠洲はついに顔を俯けてしまう。耳朶まで染め上げてしまい、まともに顔を見ようともしない。
……どうにも女の子の気持ちというものは分からない。
でも、そうして珠洲が思ってくれているのならば、彼氏としてこれ以上の幸せや喜びは無い。
「……ありがとう珠洲。――帰ろうか」
空は、既に茜色に染まり、辺り一帯を染め上げていて、夕日により引き伸ばされた二つの影が、寄り添うようにして歩いていく……。
玄関を開けてリビングに顔を出すと、莉緒が相変わらず小学校の課題をやっていた。
莉緒のこの勤勉さのおかげで、学校のテストでは常に上位に食い込むことができていると、母さんや本人から聞かされている。とても将来が楽しみだ。
隣に座り、莉緒の頭を優しく撫で、髪を|梳≪す≫く。
莉緒ははっとしたように俺を見て、そして胸をなでおろす。そして俺にもたれかかってくるとこう言った。
「……お父さんにされているのかと思って、一瞬怖かったじゃん。お兄ちゃんはわたしと接する時には、いつも頭撫でて髪触ってくるね」
「うっ……ごめん、莉緒」
すると莉緒はお腹を抱えて笑い出してしまう。訳が分からない俺は、莉緒の顔をまじまじと見つめる。その視線に気づいた莉緒は、
「だって、莉緒まだ何も『嫌だ』とか『気持ち悪い』とか言っていないのに謝ってるお兄ちゃんが、何か可笑しかったんだもん……」
挙句の果てには目の端に涙さえ浮かべる様だ。これだから莉緒みたいな性格をした女の子は苦手なんだよなあ。
それから一か月が経ち、あれから『フラグ体質』について調べていくにも関わらず、特にめぼしい情報を発見する事ができなかった。
だが、ようやくスタートラインに立ったばかりなので、焦らずじっくりと情報取集をしていく方が賢明なのだ。
一方、珠洲との交際も順調で、週末にはショッピングや遠出をして映画を観たり、水族館にも行ったりした。
珠洲はショッピングには並々ならぬ情熱を燃やす女の子のようで、実際にデーとする時なんかも、そのためか、とてもファッションが大人びているというか流行に則っているのだ。なおかつ、彼女のイメージにぴったりはまる服を選んでいるのだから、本当に凄いと思う。精々ユニクロで買うことしかない俺みたいなのとは段違いである。
珠洲とのデート中、服の相談に答えることもあるのだが、なかなかどうして難しいものだろうか。お気に召さなければ「他のにする」と言われて手に持っているものを下げてしまうこともしばしば……どっちも可愛いからそこまでしなくても――と思うのだが、しかし、珠洲がそれだけファッションに凝っているのは重々承知しているので、あえて何も言わないでいる。……加えて、俺自身ももっと女性のファッションというものに、理解を深めていけたらなと思ってもいる。
そしてあの日珠洲とキスをして以来、お預けとなってしまっている。
良い雰囲気になってしようとしても「今はダメ」とか、学校の帰り際頭を撫でてあげようとしたら「そういうのはもうちょっとしたらね」と言われてしまったり……とにかく何かと釘を刺されて、一線を踏み越えられないのだ。俺からしてみれば“生殺し”もいいところで、デートしている最中もそれだけに考えが行ってしまうことが多く、時折珠洲に「芯くん目が怖い……」と本気で引かれたことだってある位に、今の俺は欲求不満に陥っていた。
しかし、だからといって手を出してしまうほど、俺は軽率では無い……と思いたい。
それに最近彼女の様子がおかしいのだ。
ここ一週間、こちらから一緒に帰ろうと提案すると、「あ、ごめん用事あるからまた今度ね」と言われてしまったり、お弁当を食べようと誘ったら「友達と食べるから」と断られたり――最近そんなことばかりが続いて、珠洲の感情が全く読めない……まさか、これも何か『フラグ』に関係しているのだろうか?
でも、人間の感情と『フラグ』は別物――――そう俺は思っている。
何故かと言えば、世の中にケンカしている真っ只中のカップルがいたとする。そして彼らがそこで破局したとしても、彼らは様々な理由――価値観の違いとか、性格の向き不向きなどなど――が原因で、“別れるという選択”をしているのだから。
『フラグ』とは、あくまである未来に至るまでの一連の流れを指すものであって、決して“今こうであるから未来は絶対こうなる”という断定的なものでは無いのだ。
これは、以前俺が述べた“特定の言動をすることにより、ある一つの決まりきった未来がやって来てしまう”という説明と矛盾する点は出てくると思う。
しかし、両者の違いというのは、それが『今・現時点に予想されているもの』なのか、それとも『既に一連の出来事が起こり、それを眺めて“こういうことが起こっているから、こんなことが起こるんだね”』といった形で認識されたものであるのか――ということである。
つまり『フラグ』とは、遅かれ早かれの問題ではあるのだが、“後か先か”が非常に重要になってくるものなのである。
――――大分逸れてしまったが、話を戻したいと思う。
珠洲の態度の異変に心当たりが見つからない俺は、彼女に直接聞く前に、まずあ学校のスクールカウンセラーの人に聞くことにした。
(スクールカウンセラーとは、都内の各高校に配置されている、生徒の悩みを聞く専門家の人だ。主に臨床心理士と呼ばれる資格を持った人が、その職務にあたる事が多い)。
というわけで俺は、放課後に相談室へと向かった。部屋のプレートが【在室】になっていて、その隣に相談可能を示す○のマークがあるのを確認し、ノックをしてから入室する。
「あら、こんにちは斎藤君」
応対してくれたのは、五十代半ばのベテランの風格を漂わせる女性だ。
実際この方と話をさせて頂いて分かった事なのだが、企業を幾つも渡り歩き、そこでは主に人材育成の役目を担っていたのだという。なるほどと、と頷ける話であった。
先生に勧められ席に着くと、目の前にゆずの香りのするお茶が用意された。
「どうぞ飲んでください冷めないうちに」
「あ、どうも」
――――一息吐いたところで、俺は本題を切り出すことにした。
「それで、今日は僕の彼女の態度について、ご相談したいのですが」
「あら、斎藤君にも遂に彼女が出来たんですか!?」
先生は心底驚いたと言わんばかりだ……正直言って余計なお世話だ、放っておいてくれ。
「……余計なお世話です。僕にも素敵な彼女ぐらいいますって」
「うふふ、これは失敬」
そんな軽口を挟みつつ、再び話題を切り出す。
「――最近彼女の様子がおかしいんですよ」
「というと?」
「なんというか……以前までは、一緒に下校したり昼食食べたり、それにデートしている最中も何か考え事をしている感じで、声を掛けても反応しない時があるし……以前に比べて、彼女との間に距離を感じるようになったというか、素っ気ないというか……」
先生はただ黙って、ふむふむと相槌を打つ。
「――最近彼女の気持ちが分からないんですよ。付き合ってからまだ一か月くらいですから、当然といえば当然なのかも知れないですけど、それにしても、彼女の態度に違和感があるというか……そんな感じです」
俺の話を聞き終え、先生は「ふうむ」と唸ってから、こう切り出した。
「……なるほどね。その君の彼女さんは、恐らく何か悩み事でも抱えているんだと思いますよ」
「悩み事……」
「女の子って、何かと悩んでしまう事が多いのよ。――友達付き合いだったり、体調の事だったり、家族との接し方だったり…………男の子が苦労してないとは言わない。だけど、女の子もそれくらいに苦労というのも絶えないものなのよね」
「そうなんですか」
「ええ。デートしている最中とか、彼女と話している時、何か気づいて欲しそうなそそぶりを見せた事は無かった?」
先生にそう言われ、俺は今までの記憶を辿ってみる。すると、やはり珠洲からの視線が妙に熱かった気がした覚えがある……。
「はい、確かにそのようなことは、何度もありました」
「それはどれくらい前から?」
「えーと――――確か、一週間くらいです」
「一週間……」
先生が何か神妙な顔をして、色々と呟いている。不思議に思って俺が尋ねてみると、先生はこう言った。
「……ごめんなさいね、今の独り言は特に関係ないから。――――今週中に、機会を見つけて、彼女さんが、どんな事で悩んでいるのか聞いてあげてください。それは、きっと斎藤君でも相談相手になってあげられることだと思うから。よろしくね」
「はい……それにしても、どうして先生がよろしくね、なんですか?」
一瞬デリカシーの無いことを聞いてしまったかと思ったが、先生は微笑を浮かべて、
「――同じ女性という立場から、『お願いしますね』、なのよ」
この日はそれだけの相談で終わったが、一週間後、その後の経過を話し合うために、再び時間を設けて頂く事に決まった。
俺はとりあえず、珠洲に一体何があったのかをそれとなく探ってみようと決心する……いつまでも暗いままの珠洲を見ていたくは無いからな。明るく笑顔な珠洲が良いに決まっている。
彼女は素っ気ない態度でありつつも、メールなどは返信してくれるし、話そうと思えば会話くらいはできるのだが、やはり表情にかげりが見えるというか何というか……。
そんなことをぼんやりと考えていると、かおりが俺の席までやって来た。
「どうしたの芯、そんな浮かない顔して、何かあったの?」
「――実はさ、最近友達の様子がおかしくてな」
「おかしい?」
珠洲のことは伏せつつ、なるべく伝わるように事情を説明する。かおりはううむと唸ってから口を開いた。
「……その子が男の子か女の子かで大分違ってくるとは思うけど、基本的にはやっぱり何か悩み事があるんじゃないかな」
「そういえば、スクールカウンセラーの人もそんなこと言ってた」
「でしょ? だから、まずはその人の話をよく聞いてあげることが第一だね。
もしその子が女の子だとしたらなおさらだよ? 女の子は時々不安になって、自分を追いつめてしまう子だっているからね。そうしたら、まずはなるべく二人きりになって、落ち着ける環境の中でじっくり話し合った方がいいと思うよ」
「なるほど……参考にするよ。ありがとうかおり」
「どういたしまして。芯のお役に立てたなら嬉しい」
かおりはにこっと微笑む。――――さおりの、こうした人懐っこい笑顔は昔から変わっていない。
しかしそんな友人に嘘をついている事への罪悪感が襲ってきて、俺は、遥か遠くにぷかぷかと浮かぶ雲に目線を漂わせた。
その日の部活帰り、珠洲と久々に帰ることになった。
今日の珠洲はより一層、俺に何か気づいて欲しい雰囲気を発していたので、思い切って一緒に帰ろうと提案したら了承してくれたのである。
珠洲が俺にぴとっと寄り添っている。普段はくっつくにしろ、もう少し離れていたのだが、こうしてゼロ距離にいるということは、何か|淋≪さび≫しさや、彼女たちが言うように悩みを抱えているのかも知れない。
そのままお互い無言で駅まで歩いていく。珠洲は結局何も、一言も発さなかったので、俺はとりあえずどこかに入ろうと提案した。珠洲はこくんと頷く。
とりあえず駅ナカに喫茶店があったので、そこに行く事にする。
人ごみをかき分け、駅ビルの十三階にやって来た。このフロアは外周が一面ガラス張りになっており、特にこの夕方の時間は、晴れていれば遠くに沈む夕日を望むことが出来る、穴場のデートスポットだ。
外の景色に見惚れている珠洲の横顔が、ガラス窓から差し込む光によって照らされ、幻想的に映えている。綺麗な横顔に|見惚≪みと≫れていると、視線に気づいたか、珠洲がこちらを振り向いた。
「……どうしたの、芯くん? 私の顔に何かついてる?」
「ああ、いやそういうことじゃなくて……珠洲って、本当に可愛いし、表情も整っているなあって、そう思っただけだ」
「……!?」
……珠洲さん、一瞬にして顔を真っ赤にしてしまいました。俺はとりあえず何か弁明しようとおどおどしていると、不意に、珠洲が左手を握ってきた。
珠洲が弱々しく微笑む。元気が無い――だからこそ、精一杯明るくいようと頑張っている表情をしている。そして俺にもたれかかってくると、ぽつりと呟いた。
「……芯くんに、話したいことがあるの」
――――一瞬別れ話かと不謹慎な事を想像した俺だったが、予想通り、珠洲はどうやら相談があるようだ。
お目当ての喫茶店に入り、二名であることを告げる。通された席は入り口からは奥まった、なかなか落ち着くことのできそうな座席だった。ボックス席に、俺と珠洲は隣り合って座る。向かい合って座り、万が一珠洲が泣き出したりしたらすぐに慰めてあげられないからだ……。
――――店員にコーヒー二つ、ケーキ二つを注文する。
それから五分くらい経った頃だろか、珠洲がぽつりぽつりと話し始めた。
「ねえ、芯くん……」
「おう、何だ?」
「……その、最近芯くんに変な態度取ってごめんね。芯くんの事が嫌いになったわけじゃないし――今でも大好きだよ。でも、いつからか、胸の中にもやもやが出来るようになってね……どうしたらいいか分からなくなって、芯くんを見たら変に意識して、遠ざけてしまって……。でもこのままだといけないから話すね」
「……ああ、分かった」
そう言って、安心させられればと思い、珠洲の頭を優しく撫でる。
珠洲は気持ちよさそうに俺にもたれかかって来た。程よい女の子の温かさと存在感が肌を通して痛いほどに伝わってくる。
「――――私がその話を聞いたのは、確か、今から一週間くらい前のことだったと思う。
同じクラスの友達がね、話しているのを聞いたんだ。『斎藤君って、早河さんと付き合っているのかな』って……。
私とてもショックだった。あの時、お互いに納得して、好きだって言って、気持ちを確かめ合って今までお付き合いをしてきたはずなのに――それが根本から覆されるような気持で、目が回って、頭が真っ白になって、訳が分からなくなって……思わずその場から逃げ出した。
ありえない、芯くんに限ってそんな事は有り得ないって思ったよ。
実際芯くんは早河さんと幼馴染みだし、クラスでも話しているのを見ているし……。
裏表のある私をきっと嫌いになったんじゃないかって。付き合いだして、一か月もしないうちにこうやって険悪なムードになって、変な態度を取って、きっと愛想を尽かされたんじゃないかって……。本当に私、どうかしちゃいそうだった……。
芯くんに嫌われるのだけは嫌で、どうすればいいか考えて、近いうちに必ず私が考えていることを全部、芯くんに打ち明けようって決めて……でも、その前に、芯くんは気づいてくれて、こうやって私の話を聞いてくれてる。
――――本当に芯くんは、他のどんな男子よりも優しくて、女の子の気持ちも理解してくれて、私が素っ気なくなっても愛想を尽かさないでいてくれて……私の大好きな人だね。
――――もう大丈夫だよ。ありがとう、芯くん」
そう言って、珠洲は誰の目も無いことを確認してから、キスをしてきた。
彼女の唇の感触は……まあ、言うまでもないので、割愛させていただく。
珠洲はすっかり顔を真っ赤にして、俺をちらちらと上目遣いに見つめてくる。
「……ん。珠洲がもう大丈夫なら、それでいいよ。俺もいつまでも落ち込んだ珠洲を見たくはないからさ。でもこれからは、何か不安な事とか悩み事があったら、できるだけ早く相談しよう。それはお互いのためにも、これからのためにも大切なことだからさ」
「……うん、そうだね」
珠洲がそう言って満面の笑みを浮かべたのと同時に、俺たちの注文した品が運ばれてきたのだった。
一週間後の火曜日。俺は生徒相談室へと足を運んでいた。今日は先日の珠洲の意見の経過報告をするためだ。
ノックをしてから入ると、先生はいつもどおりにこやかに応対してくれた。
「どうでしたから、彼女さん」
「ええ。……彼女がどんな風に思っていたのか聞いて、珠洲と話し合うことが出来ました。先週の土曜日にはディズニーでデートもしてきましたよ」
「あら、それは良かったです。彼女さんとしっかりと話し合って、直接悩みを打ち明けてもらえたのなら、それに以上の事は無いですからね」
先生は微笑を浮かべて、そう言ってくれた。
生徒相談室を後にし、珠洲とのいつもの待ち合わせ場所に向かう。
珠洲は昇降口によりかかりながら、携帯を操作していた。俺に気づくと、ふんわりと頬笑んで駆け寄って来る。
「あ、芯くん。今終わったの?」
「ああ、待たせてごめんな」
「ううん、私は大丈夫だよ。それじゃあ行こう」
珠洲が俺の手をきゅっと握ってくる。あれ以来、珠洲はより好意を表に出すようになった。
今回の一件以来、自身の気持ちが原因で気まずい雰囲気になってしまったので、芯くんにもっとアピールして、もっともっと彼女として魅力を感じてもらおう!とは珠洲の言葉である。
夕暮れの道を二人で歩く。夕陽によって浮かび上がった二つの影が、色濃く伸び、そして寄り添うように進んでいく。すると珠洲が話題を振ってきた。
「そういえば、二週間後は中間だね」
「……ああ、そういえばもうそんな時期だったっけ」
「芯くん、まさか忘れていたとか?」
俺は珠洲との件で頭がいっぱいになっていたため、すっかり中間試験のことなんて、抜け落ちていたのだ……かと言って、素直に認めるのも癪なので、俺はつい見栄を張ってしまう。
「――そんなわけないだろ。ちゃんと覚えていたさ。ただ、最近忙しくて一時的に思い出せなくなっていただけだ」
珠洲は半眼を送ってきて、「はあ」とため息を吐く。
「……そういうのを、一般的には『忘れていた』と言うんじゃないかな」
「う、うるせ……それで。この話を持ち出してきたからには、試験勉強を一緒にやりたいんだろ?」
「うん。それでね、その場所なんだけど……」
珠洲が急にもじもじとし始め、頬を染める。珠洲の考えている場所は、そんなに勉強をやるには抵抗があるのだろか。一体どんな場所だよ――と思いつつも、意を決して尋ねてみる。
「それで、その場所というのは?」
「――――私の家…………」
珠洲は遂に顔じゅうを真っ赤にし、俺から視線を外してしまう。
……珠洲の家で勉強、だと……。
勉強するのは、集中できるのであればどこだっていいのだが――――問題は、『珠洲の家に行く』ということと、あともう一つは『珠洲がどうしてそこまで恥ずかしがるのか』だ。
……しかし、この二つはお互いの視点から考えてみれば、答えはおのずとでてくるわけで。
「……そっか。でも、付き合って一か月以上経つわけだし、そろそろ珠洲のご両親にもご挨拶したいと考えてたから―――分かった。試験勉強は珠洲の家でやろうな」
優しく頭を撫でてやると、珠洲は俺を上目遣いに見てきて、そして儚い笑顔を浮かべたのだった。
ある日の学校でのこと。この日の珠洲は用事があるため、かおりと共に昼食を食べる。
机を向かい合わせにくっつけて、お弁当箱を広げる。色とりどりのおかずが並ぶかおりに対して、スタミナが点く様にと肉類が中心の俺のおかずといった感じだ。
肉をせっせとかき込んでいると、かおりが尋ねてきた。
「そういえば、最近芯って放課後どうしてるの? ほとんど姿を見ないけど……用事があるっていつも言っているから、忙しいとか?」
「あ、ああ。いや、それは……」
俺はどもってしまう。
そう。同じクラスの珠洲とお付き合いをしていることは秘密にしているのだ。
どういうわけか、クラスにもそのような話は流れていないのだ――思うに、珠洲が関わっていると思われるのだが……。
ここでかおりに悟られるわけにもいかないので、俺は素知らぬふりで答える。
「んー? 放課後は、仲の良い伊藤たちと一緒に帰ったり、あるいは図書館で勉強したりしていかな――中間試験も近いことだし。
……そんなところだよ。ごめんな心配かけちゃって。試験後には、また元に戻るからさ」
かおりの目を見て告げてやると、刹那――彼女は何か考え事をする仕草を見せたが、すぐに笑顔になり答えた。
「ううん、いいんだよ。芯が昔から勤勉なのはよく知っているし、私だって毎日一緒に帰ることは出来ないからさ。お互い様だよ。……その代わり、試験では良い点取ってよ? 約束だからね」
そう言ってかおりは小指を差し出してくる。これはいわゆる『指切りげんまん』というやつだろうか。幼稚園児とかが、『はり千本、飲~ます』とか言っているあれ。
恥ずかしいことこのうえ無かったのだが、かおりの訴えかけるような瞳と、明らかにこの状況を傍観して楽しんでいる同級生がいることなどにより、すぐの俺は自身の小指を絡める。
「――指きったっ、と……」
かおりは満足そうな笑みを浮かべて、俺と絡めた小指を愛おしそうに見ている。
その光景を見ていると何だかこちらまで恥ずかしくなってしまうので、俺はおかずのブロッコリーをせっせと食べることに集中した。
週末の土曜日。いよいよ珠洲と、彼女の家で試験勉強をする日がやってきた。
待ち合わせはお互いの最寄り駅ということで、何をモチーフにしているのか分からない銅像で待つことにする。
しばらくして、一つの足音が、忙しなく近づいてくる。ふと顔をあげてみると、珠洲がこちらへ必死に走ってきていた。
膝上のひらひらしたミニスカートに、肩を露出するつくりのTシャツを着こなし、高さはあまりないのだがヒールを履いて、いかにも現代の女性と言った装いだ。
というかそんな恰好で走って来たら、絶対……
――案の定、彼女は俺の目の前でつんのめって転びそうになる。
慌てて珠洲の身体を抱き留めると、彼女は俺を見上げて、頬をほんのり染めつつ「ありがとう」と言ってくれる。
軽く服装の乱れを直すと、その場でくるりとターンししてみせる。
「……どうかな、私の服。何か変なところ、無い?」
「……とても似合っていると思うよ。何か、珠洲がより大人っぽく見える、可愛いよ」
「…………ん、ありがとう、芯くん」
珠洲の左手が、俺の右手に重ねられる。じんわりと伝わってくる温かさに、俺は心の内までもが温まっていくようで、意外と女の子の手は小さいながらもとても熱を帯びていることを実感した。
珠洲と共に改札を抜け、ホームに上がる。ここから数駅行った先の駅沿線に、珠洲の家はあるそう。珠洲は電車通学で、おまけに毎朝早くに学校に登校しているため、朝一緒に登校することは出来ない。
でも、こうして二人だけの時間を作ってくれている彼女には、本当に感謝しなくてはならない。
揺られること十数分。珠洲の自宅の最寄り駅に到着した。
学校の事やこれまで珠洲がいた地域の話など、様々な事に花を咲かせているうちに、遂に彼女の家に到着してしまった。
白塗りの、まるで地中海を思わせるような雰囲気の、お洒落な一軒家だ。
表札にご家族と思われる名前が刻まれていて、珠洲の名前の下に『|花梨≪かりん≫』とあるので、恐らく妹さんなのだろうが……。
「そういえば珠洲って、妹さんいたんだな」
「あれ、私の家族のこと、芯くんに話してなかったっけ――私と花梨の姉妹と、パパとママの四人家族なんだよ」
と教えてくれた。
珠洲がインターホンで誰かと会話した後、玄関が開き家の人が顔を出した。
どうやら珠洲のお母さんのようだ。俺を見るなり、何故か意地の悪い――それはまるで、珠洲をからかうことのできる恰好の事実を見つけた、と言わんばかりの笑顔で……。
しかし初めて珠洲のお母さんにお会いするので、俺は緊張しながらも、一礼する。
「――初めまして。珠洲さんとお付き合いさせていただいている、彼女のクラスメイトの斎藤芯です。よろしくお願いします」
すると珠洲のお母さんは、お腹を抱えて笑い出す。訳が分からず俺が呆然とし、珠洲が俺と彼女のお母さんを慌てた様子で見ていると、やっと口を開いた。
「……もう。そんなにかしこまらなくてもいいのよ。珠洲に初めて出来た彼氏さんが、しっかりしていて真面目そうで誠実な人だったから、かえって芯くんが|几帳面≪きちょうめん≫にも挨拶をしてくれて、何かギャップだったのよ」
「ママ余計なこと言わないで――それと芯くんも、意外そうな目で見ないで!!」
「う、うん。分かった……」
「珠洲と芯くんって、本当に仲が良いのね。さあさあ入って、立ち話も何だからね」
珠洲のお母さんを勧められて、俺は咲野家へお邪魔させていただく。
玄関に入り、右手に設えられた棚には、花を入れた花瓶が置いてあり、季節の花が目に鮮やかだ。珠洲の育ちの良さからも分かるように、整理整頓されている辺り、さすが珠洲の家族だなと感じつつ、廊下を進み、リビングに通される。
お母さんにソファを勧められたので、珠洲と隣り合って腰を落ち着ける。
珠洲はぴとっとくっついて、俺の肩に頭をのせ、鼻歌を歌っている。すぐ近くにある整った顔と、汗とシャンプーの混じった香りに理性が暴れそうになった俺は、頭を撫でてみる。
何も言わない珠洲の反応を肯定と受け取った俺は、頭を撫でつつ、髪をちょっと梳いてみる。指の間をすーっとすり抜けていく感触が肌に心地よく、いつまでもやっていたい気分だったが、珠洲がくすぐったそうに身をよじらせていたので、手を止める。
すると珠洲は、その綺麗な表情を、ちょっとばかり不満そうに唇を尖らせて、
「……どうして止めちゃうの?」
「え? 珠洲がくすぐったそうにしているから、てっきりやめた方がいいのかと……」
珠洲は俺の答えに納得できないのか、余計に不機嫌な表情をつくり、半眼を送る。
俺にもたれかかってくると、ぽつりと呟く。
「……私が良いって言うまでやってよね。……その前に、ちょっと抱いて欲しいかな――腰に手をまわして」
「……」
一体これはどうしたものだろうか。珠洲が嫌がるかと思い止めてしまったが、逆に、珠洲はそれをしてほしいって言っているし……俺自身も、珠洲とのスキンシップは大切だと思うけど、でも、女の子の身体にそうして触れていいのか、俺にはいまいちぴんと来ない。
女性は、そういうところはどうなんだろうか……とかなんとか俺がうじうじ迷っていると、いい加減待ちきれないといった切なげな瞳を向けられたので、俺は勇気を振り絞って珠洲の細い腰に腕をまわして抱き寄せる。
そのまま、珠洲の綺麗な髪や、頭を撫でながら、珠洲と俺はお互いに気持ちを共有していく。
女の子の腰をこうして抱き寄せたのは初めての体験で、女の子とこうして触れ合うというのが、俺にはとても新鮮で……どこか、緊張するものだった。
そうして数分くらいお互い抱き合っていて、そっと離れる。
――二人に流れ始めていた甘酸っぱい空気を打ち砕くように、珠洲の母さんがお茶とお菓子を載せたお盆を持ってやって来た。
「二人でらぶらぶなところわるいけど、お茶用意したから飲んでね」
「ありがとうございます」
俺は先ほどまでの気分をリフレッシュするように、コップの麦茶を半分ほど、一気に飲み干す。
冷たいこのえもいわれぬ感覚が、火照った体に効く。隣で麦茶を飲むのに合わせて動く、珠洲の喉がどこか艶めかしいなとか思いつつ、ひと息入れていると、珠洲のお母さんが口を開いた。
「芯くんは、珠洲のどこが好きなの?」
「え?」
それにつられるように、麦茶をちびちびと飲んでいた珠洲もこちらに注目する。何かをものすごく期待している表情だ、ここで下手な事をいう訳にもいかない……自分の、珠洲に対する本当の気持ちを告げる。
「――僕のクラスに、最初に転校してきた珠洲さんを初めて見た時、どこか清楚で落ち着いていて、大人びた印象を受ける女の子だなと感じました」
珠洲の母さんは、俺の言葉を、ただ微笑みを絶やさずに聞いている。
「その後、珠洲さんに、彼女の悩みを打ち明けられて……俺は決めたんです。俺が誰よりも、珠洲さんの力になってあげようと。
こんなに大人びていて、でも明るくて活発な珠洲さんが、落ち込んでいるところなんて見たくないですし……珠洲さんはそういうところがと凄く魅力的な女の子ですから」
長い髪から微かにのぞく頬は、真っ赤なもみじ色に染まり、表情はうかがい知れない。
「お付き合いをさせていただいて、まだ一か月しか経っていない俺たちですけど、珠洲さんと一緒にいるからこそ、これからどんな事があっても乗り越えていける、そんな感じがするんです」
俺は今の珠洲に対する気持ちの全てを、包み隠さず、珠洲や珠洲のお母さんに話した。
珠洲のお母さんは、ただ微笑みを絶やさず、言った。
「――――そこまで愛されているのなら、珠洲も安心して、芯くんに心を許せるわね」
その瞬間、珠洲が物凄い剣幕でお母さんの方を見たが、彼女がウィンクをすると、珠洲は恥かしそうに顔を伏せてしまった。
「――珠洲を、どうか末永くよろしくお願いします」
「……いえいえ、こちらこそ」
珠洲は俺に再びもたれかかってくると、耳もとで俺にしか聞こえない声で「……ばか」と言った。
……しかし、“末永く”とはどういう意味だろうか。いまいちぴんと来ないのだが……。
その後、軽い雑談もしてから、珠洲の部屋で試験勉強をするため移動する。
二階に上がり、ちょうど階段の真ん前が珠洲の部屋だ。一旦飲み物とかお菓子を取りに行くという珠洲に言われて、俺は部屋で待たされることに。
珠洲の部屋の内装に思わず感嘆していると、しばらくして、珠洲がお盆を抱えて戻って来た。
ひとまずお茶を机に置き、残りを脇に備えておく。珠洲は俺と視線を合わせてにっこりと微笑むと、隣に座り、密着してきた。何というか、先ほどの感触が鮮烈に残っているので、珠洲の体温がやけに熱く感じられる。
「芯くん、凄くどきどきしてるね、心臓」
「……そりゃあ珠洲がそばにいて、嬉しくないわけがないだろ」
「ん。それもそうだね……私は芯くんの彼女なんだし、芯くんにありったけの愛情を注いであげないと、鈍感で朴念仁な芯くんには分かってもらえないよね」
「その言葉どこかで聞いたことがあるような……おまけに、俺は鈍感でもなければ朴念仁でもないし」
俺の言葉に対して、珠洲は何かからかうような視線を向けて、さらに言う。
「いやいやいや。二年生の初日、私が名前で呼んでほしいとお願いした時、芯くん何て言ったっけ?」
「ええと、確か――『どうしてだ?』とかだったかな」
「そう、それが、女の子からしてみれば“鈍感”で“朴念仁”と言うんだよ」
俺は流石に理不尽なものを感じざるを得ず、ぶっきらぼうながら、珠洲に問う。
「…………どうしてそれが、そう言われる理由になるんだよ」
珠洲は人差し指を俺の口元に添えて、そっと、優しく笑みをこぼす。何か妙に優しげだけど、俺、何か変な事言ったかな……。
「――もう、芯くんったら。そうやっていちいち女の子の行動とか言動とかに、理由を求めるところが“鈍感”で“朴念仁”なんだよ。いい加減分かってよね」
彼女の言葉自体は、どこか怒っているようにも見えるが、しかし、彼女の口調や表情は、むしろ優しさそのものだ――それは、母親が子供を諭すかのような。
さすがにこれ以上の追及は、彼女の機嫌をいよいよ損ねるかも知れないし、おまけに墓穴を掘ることにもなりかねないので、俺は珠洲の頭をそっと撫でながら言った。
「分かった、珠洲」
「……ん、それでいいの」
珠洲は何も言わないが、気持ちよさそうに目を閉じて、やがて俺にもたれかかってくる。
彼女の汗とシャンプーとが混じった香りに、俺の理性は沸騰し、我慢できずに珠洲の腰を抱き寄せて、抱きしめてしまう。
珠洲がびくっとこちらを見る。目は見開かれ、突然の事に頭が追いついていない様子。
俺はじっと珠洲の瞳を見つめる――そして、珠洲も、ふるふると睫毛を揺らめかせながら、瞼をそっと閉じる。
そして、俺と珠洲は、ごくわずかな時間だけ、甘酸っぱい時間を過ごし――結局、その日は勉強など手につくはずもなかったのだ。
今回は比較的芯君と珠洲のイチャイチャ要素を多めに執筆しました。
そして次回は、もしかしたら少なからず転機が訪れるかも知れません。