SIDE Nick
「ーーあら? こんな時間にこんな場所で出会うだなんて......私に何か用かしら?」
SIDE Lily
私は、昔から運がない方だと思う。
巡り合わせが悪いと言った方が正しいかもしれない。
現実世界ではこれと言って特徴の無い......強いて言うのであれば少しお金持ちな家系なことぐらいが私の特徴。そんな薄っぺらい存在が、私だった。
元々、薄志弱行な気質で自分に自信の欠片もない私。そんな典型的な日本人と言える私は典型的なまま今まで育ってきた。
そこにコウキさんの過去のような特筆すべき点はない。小学校に入学して、小学校を卒業して、中学校に入学して。ごくごく当たり前な日常を当たり前に過ごしてきた。
そんなある日だった。ゲーム好きな私の父親が、ソードアート・オンラインを買ってきたのは。
父は手広い商品を扱っているお店を自営業していた。その商品は食料品、衣類、医薬品、そしてゲームと本当に手広い。デパートとまではいかないが、お店も中々の大きさを誇っていたと思う。
その繋がりから、ソードアート・オンラインを入手して、一人娘である私にプレゼントしてきたんだ。
父さんと一緒にゲームをしよう。そう言ってきたのをまだ覚えている。
なんで父が急にそんなことを言ってきたのかは分からない。もしかしたら単純に私を溺愛していた父が私と一緒に遊びたかっただけなのかもしれないし、中学に入ってからあまり笑わなくなった私に新しい世界を見せたかったのかもしれないし......どちらにせよ、今はもうその真実は闇のなか、父しか知らないことだ。
特別親嫌いでもない私は素直にこのゲームの中に入る。それが悪夢の始まりなんて知らないままに。
実際、ダイブ直後の私のテンションの上がりようはすごかった。
見るもの、触るもの、知るもの、全てがきらきらと素晴らしいものに見えたんだ。当たり前な私が、その枠を壊して外側にいけたような、そんな全能感、幸福感に包まれていた。
この世界でなら私は新しい私に変われる。典型的も当たり前も越えることができる、そう思った。
でも、現実はやはり、現実でしかなかった。
突如始まってしまったデスゲーム。その時からこの世界のきらきらとした物は全てが禍々しくてどろどろとした別のなにかに変貌してしまった。まるで今まできらきらしていたぶんだけ汚染されていったかのように。
周りは狂乱の嵐に陥った。
この世界の毒々しさに耐えられなくなった人からどんどん死んでいく。自らその命を絶った人なんて軽く二桁は見てきた。
そんな中でも、私はまだ良い方だった。なんと言っても、自らの肉親が、頼れる存在が傍にいてくれたのだから。だからこそ、心の弱い私でもこの世界の最初の辛さを乗り越えることができた。
私たち父娘は、無理に前線には出ずに、中層と呼ばれる場所で安全に、確実に生き残ることを選んだ。
それは間違っていない選択だったと今でも思う。当たり前で典型的な私には、本当にお似合いで、正しい選択だ。だって私はその時、本当に救われていたから。こんなにも安心していられるのは
......だから多分、間違っていたとするなら、それは私の巡り合わせだろう。
この世界にも慣れてきて、小金稼ぎに父と二人森のなかを歩いていたときだったーーその時、私は出会ってしまった。この世界の三人の悪魔達に。
その悪魔たちは各々が黒を基調にしたような、いわゆる見つかりにくい格好をしていた。しかも三人とも頭の上にあるカーソルはオレンジ。
その頃はまだあまり浸透していなかった言葉だけど、今で言う殺人プレイヤーと呼ばれるプレイヤー達だった。
私がそれを認識する頃には、私も父も、地面に叩きつけられていた。
それが力技だったのか、憎たらしいあの男の麻痺毒だったのかは、混乱していたこともあって覚えていないけど、これだけははっきり覚えている。
ーー私の父は、私の目の前で、惨たらしく、でも呆気なく、その首を跳ねられ殺されたことを。
その時の感情は、今でもよくわからない。
悲しかったのか、悔しかったのか、憎かったのか。きっと大きすぎる負の感情に心が耐えきれなくなっておかしくなってしまったのかもしれない。
肉親が目の前で殺されたんだから当然だ。心が耐えきれなくなっても何もおかしくはない。そんな経験があったからこそ、コウキさんの過去の話には、私も強く憤りを覚えたんだから。
......それでも、私の心はおかしくなりきることはなかった。
あまりの非現実さのせいなのか、ギリギリのところで私の心は理性を残してしまった。ここで理性を失ってはダメだと、私の典型的な部分が歯止めを利かせてしまった。
ここで前後不覚になるぐらいにおかしくなってしまった方が、私は楽になっただろうに。
このまま私も殺されることを覚悟していると、私たちを襲った三人組は何やら相談を始め、それが終わったかと思えば三人組のうちの一人が私の首を鷲掴みにして持ち上げた。
そうして私の瞳を覗き込むようにしてその人物は口元を歪める。
「Oh......こいつはいいな」
「っ......?」
ぞくり、と。瞳を覗かれただけで背筋が泡立つのを感じた。
この人はまずい。何があっても、何を差し置いてでも逆らってはダメな人物だ。
私自身はまだ何もされていないはずなのに、それでも恐怖を刻み込まれる。それだけその人物にはカリスマ的な恐怖が自然と身に付いていた。
「えー? なんだよヘッドー? そんな女が好みなのかよぉってうわぁお!? よく見たらめちゃくちゃ可愛いじゃーん!?」
「少し、黙れ。お前の、声は、無駄に、でかい」
「あぁ!? なんだよなんだよなんですかぁ!? 俺ばっか悪者にすんなよなぁあ?」
言葉そのものは喧嘩じみているが、その場に流れる空気はどこか間の抜けた、まるでこれが日常と言うような温い空気だった。
人を一人殺しておいて、しかも今も首をへし折らんばかりに鷲掴みにしているのに。その上でこんな空気が流れる。そのアンバランスさが私にはどこまで恐怖だった。
私が体を震わせ始めれば、私からもう興味を失ったのかヘッドと呼ばれた男は私の首から手を離し、重力にしたがって私の体は地面に崩れ落ちる。
「ふん、俺はこいつの全てを諦めたような目が気に入っただけさ......気に入ったんなら、お前がこの女を使えよ、ジョニー」
「マジで? いいのいいの? やっふー!」
私の扱いが何の滞りもなく決まっていく。今日の晩御飯は何にしようというような適当さで。私と言う個人の尊厳や体からは自由が奪われていった。
逃げよう、とは思わなかった。そんなことをしても私には行く先がないし、逃げ出そうなんて少しでも考えてしまえばその瞬間に殺されてしまうことがわかったから。
そう、私は自分の父親を殺した敵を目の前にしても、自分の保身を優先したんだ。怒りなんかを覚えるよりも先に、自分の体の心配をした。感情的になることもなく、ただただ理性的に。
その選択は、父と中層で生き残ることを決めた時と同じように、間違っていない。今でもそう思う。当たり前で典型的な私には、本当にお似合いな選択だ。
そのはずなのに、父と決めたあの選択とは違って、私の心には何の救いも光もなかった。
それから、私の生活は激変した。
今までの生活が本当に恵まれたものだったことが分かる。分かってしまうほどに、地獄のような日々だ。
私は狂気的な殺人者三人の
元々そういった方向に才能があったのか、それとも指南役の三人が殺人者として優れすぎているからか、私は彼らの性質に引っ張られるようにどんどんその性質を殺人者に変えられていった。
誰かを傷つけることを躊躇うな、楽しめ。自分の快楽となるほどにそれを染み込ませろ。決して心は殺すな、心を生かし、殺すその瞬間の感覚に身を投じろ。
そんなことを毎日毎日毎日毎日毎日毎日。ずっと言われ続けた。
VRという世界、医療観点から多いに関心を得ているという話を聞いたことがある。
どんな美しい光景も、どんな憩い空間もデータ次第でいくらでも構成可能なこの世界は、患者のメンタルケアに非常に強く効果がある、可能性があると言われている。
それは、この世界はある意味では、心と心が真っ向から向かい合える空間だからだと思う。体がないからこそ、隠し事なんて不可能。心のあるがままに他人と接する、だからそれは最高のメンタルケアに繋がる、かもしれないらしい。
つまりこの世界は、心に直接影響を与える可能性を秘めているんだ。いい意味でも、悪い意味でも。
三人組のリーダーーーPohが私に行ったのは、その悪い意味。
心を改変してしまうまでに至る洗脳だ。
Pohはその実力だけでなく、知能も優れている。その膨大な知識のなかには人の心にある方向性を与えるような洗脳技術まであったんだ。
日常的に目の前で人が死に、時には私自身の手が加わることもあった。
最初こそそれに拒否感、忌避感があったはずなのに、日を追うごとにそんな感覚は薄れていき、わずかにだが、本当に快感を覚え始めている自分がいた。本当に少しずつ、少しずつと回ってくる毒のように、悪魔たちの思考、技術は私を蝕んでいった。
......ある意味、私と殺人というのは相性がよかった。
当たり前で典型的な自分自身を壊したかった私には新鮮な空気を与えられて、そのせいで私自身活性化してしまったのかもしれない。
そんな考えが脳裏をよぎって、自分が分からなくなって、自分が消えてしまいそうで怖くなった。
その恐怖を消し去るには、新しい感覚ーー快感が必要だった。その快感を求めて、私はまた殺人に身を投じていく。
殺人を否定したいから殺人を犯す。それに矛盾を欠片も覚えないほどに、むしろ快感を覚えてしまうほどに、その時の私は壊れてしまっていた。
そんな、半分壊れてしまっている私のその当時の殺人方法は、私が一人フィールドで助けを呼び、駆けつけたプレイヤーを待ち伏せていた殺人プレイヤーで取り囲み殺すと言う方法だった。
その頃には私と三人だけではなくさらにメンバーが増えていて、私自身部下のようなものができていた。
私が囮になって、殺すのは他のメンバー。それがいつもの殺人の流れ。
......もしかしたら、まだぎりぎりのところで、私は自分の手が汚れるのを躊躇っていたのかもしれない。くだらない、私の両手はもう取り返しがつかないぐらいに汚れきっているのに、そんなときになっても私はまだ自分の体裁を気にして、しかも誰かが助けてくれるかもそれないなんて、淡い期待をしていたんだ。
だから、その日の殺人で区切りをつけようと考えていた。
私自身の手でプレイヤーを直接殺して、全てを
この世界に優しさもなければ
ある二人組のパーティを見つけ、今回の目標はあれにしようと決める。
そのプレイヤーたちの先回りをすれば、私は部下に指示を飛ばし、部下たちはいつでも囲って襲えるように茂みに隠れ、私は一人フィールドに取り残されてしまったかわいそうなプレイヤーを演じる。
あとはそのパーティを待つだけ。これでプレイヤーたちが進行方向を変えてしまったり、他の道を行ってしまったらお笑い草だけど、この道はほとんど一本道だ。だから私たちは待っているだけでよかった。
しかし、その日はイレギュラーなことが起こってしまう。
何かのトラップだったのか、それともただの偶然か、一人迷っているふりをしていた私の回りにmobが連続ポップしてしまった。その数は、とでもじゃないけど私一人では対処できるものじゃない。
思わぬ出来事にまだ残っていた私の当たり前の部分が恐怖し、悲鳴をあげる。こんな私でも、いやこんな私だからこそ、死への恐怖は誰よりも強かった。
すぐさま待ち伏せをしている部下に助けるよう命令しようとして、すぐに諦める。トップの方針として、自分の危険は自分でなんとかしろというものがある、弱肉強食ということだ。だから今ここで助けを呼んだところで意味はない。
......結局、こういうことなんだ。この世界に、優しさなんて存在しない。あったとしてもいとも簡単に摘み取られてしまう。それにこんなに汚れて黒くて人間のくずと言っても過言じゃない私を助けようだなんて、神様でもしないだろう。
ここが当たり前で典型的な私の終着点。勇気をひとつも絞らずに、ただ楽な方へ流され続けた私の終わり。
これもまた、私にはお似合いだと思った。
でも、私の物語はまだ終わらない。
何故なら、私の前に本物の
先程まで狙っていたプレイヤーーーコウキさんとミウさんが私をmobの凶刃から救ってくれた。
そこからは二人の英雄の大立ち回り。襲ってくる次々とmobたちを隙なく倒していく。
「君、転移結晶は!?」
そのなか、コウキさんが私に声をかける。もしものことを考えてn私に逃げるよう言いたかったのだろう。
コウキさんの姿に見惚れてしまっていた私はようやくそこから思考が回り始める。だけどそのせいで、ついいつも通りの返事をしてしまう。
「......あ、あの、転移結晶が使えなくて.......」
この返事は、私がプレイヤーを釣るときに使う定型文だ。使えるかどうかなんて試していない。
頭が回っていないときに聞かれてしまったため口に馴染んだ台詞が出てきてしまった。
そのまま間違った状況に納得してしまった二人は、どうしようもない私を助けるために奮闘する。
その結果、そう苦労した様子もなく二人はmobの群れを撃退する。
強い、と思った。おそらくこの強さは最前線クラスのプレイヤーであることをすぐに理解した私は、離れた位置に待ち伏せている部下に間違っても襲わないよう指示を出そうとしてーー唖然とする。
こんな、命を助けてもらった相手に対してまで、私はそんな思考しかできないのかと。自分の恐ろしいまでに汚くなってしまっている思考に、怒りよりも空しさを覚えてしまう。
「そのローブ取ってくれないかな?」
そんなときに、ミウさんにそう言われる。
私は今隠密性能の高いローブを纏っている。それは殺人ギルドの一員としてあまり人に見つかりたくない、顔を覚えられたくないと思っての装備だった。
この二人にも下手に顔を覚えられると、自分や他のメンバーが動きにくくなるかもしれない。それまでの私なら間違いなくそう考えていた。
でもなぜだろうか。その時、その瞬間に限っては、この二人に顔を覚えてもらいたい。名前を知りたい。名前を知ってもらいたいーー関わりたい、と、あの三人に拾われたあのときからは考えなくなっていたような、そんな考えが浮かんできた。
それは今考えれば、少しずつと私の心に限界が来ていたのだろう。助けてほしくてもそれを言えなくて。ずっとずっと溜まり続けていた声が、行動として現れてしまった。
そうして私は、自分の顔を、名前を二人に明かす。
必死に、光に手を伸ばすように。助けてと、二人に行動で伝えるように。
それが、私の物語の中で、最も
それから、私は全てを黙ったまま、コウキさんたちと行動を共にした。
私は甘えていたんだ。コウキさんたちが本当に底無しの優しさを、暖かさを私にくれるから、あの場所が居心地よくて、すぐに離れないといけないと分かってるのに、どうしてもできなくて。
そんな私が、コウキさんのことを好きになるのには時間はかからなかった。もしかしたら出会ったあの瞬間から、もう私はコウキさんを好きになっていたのかもしれない。
私がコウキさんたちと行動をし始めてから、コウキさんたちには手を出しにくいのか、ギルドからの連絡や接触は完全になくなった。それも手伝って、私はいつからかずっとコウキさんたちと一緒にいられる、そんなことを考え始めてしまっていたんだ。
もちろん、そんなことはない。そんなのは、私の妄想だ。
しばらくすれば、またギルドからの私にコンタクトがあった。内容は、コウキさんたちの同行を伝えろというもの。
なんで今さらまた私に関わってくるのか。もう放っておいて、私はあんな場所に二度と戻りたくない。そんな強い怒りは、一瞬しか沸いてこなかった。
すぐに私の思考を支配したのは、あの思考も肉体も何もかもを縛られてしまうかのような、抗いようのない恐怖。
それに負けた私は言われた通りコウキさんたちの同行を逐一報告するしかできなかった。
それからはとにかく罪悪感と不安感にさいなまれる日々。コウキさんたちを裏切りたくなくて、でもギルドに逆らうこともできなくて、どうにかしようと考えても答えが出ないまま、私は無為に日々を過ごしてしまった。
そうして、私の『罪』は、ついに具現化する。
私が考える限り最悪と言えるほどに、残酷で凄惨な形で。
その日ーー昨日の早朝、私にひとつのメッセが送られてくる。ここ最近恒例となっていた情報交換、私の『持ち主』に当たるジョニー・ブラックからのものだ。
また私の精神を抉るような言葉が並べられているのだろうか、と気を重くしながらウィンドウを開けば、やはり想像通り、しかし想像以上の文章が私の目に飛び込んできた。
メッセの内容は、コウキさんを殺す手段とその手順。
一瞬、本当に息が詰まった。
脳が理解を拒むが、それよりも早く心が納得してしまった。
あぁ、これが私への罰なのかと。
私は目の前が真っ暗になるのを感じながら、自分のあまりの滑稽さと間抜けさに一人笑いだしてしまう。
だって、そうじゃないか? あのギルドがコウキさんたちの同行を気にすることから、コウキさんたちを狙っているのは明らかだ。それを怖いからと言う理由で私は情報を与え続けて、いつかこうなるのは誰だって分かる。その事実から目をそらして、バカにもほどがある。
ふざけるな。何がコウキさんを殺す方法だ。そんなものを私にしろっていうの!?
怒りが沸々と、マグマがせりあがってくるみたいに沸いてくる。
でも、それも心だけ。体はやはり恐怖のあまり言うことを聞いてくれない。
体が恐怖で震える。それに呼応するように怒りで熱くなっていた心もどんどんその温度を落としていき、最後には体と同じで震えてしまった。
それが、私がすべてに負けてしまった瞬間だった。
それから、私は打てる手はすべて打った。
このままギルドの思う通りになんてさせないために、コウキさんを呼び止めたり、指示されたコウキさんを殺す方法から逆算して色々な可能性を考えてトラップを仕掛けておいたり。
もちろん、私自身がコウキさんに剣を向けないよう努力した。震え上がってしまった心と体に鞭打って、決して負けないように固く固く壁をつくって。
それでも......ダメだった。
私は守護モンスターとの戦闘中、ジョニー・ブラックの姿を視界の隅で確認しただけで、いとも簡単に手のひらを返して、コウキさんに剣を突き刺した。
私は、何をしているんだろう? 私は、コウキさんたちにあれほど優しさをもらったのに、それに対して私は何をしてしまったんだろう?
やっと守りたくて大切な居場所ができたのに、私は誰でもない私自身の手でそれを壊してしまった。自分の心の弱さを言い訳に、全てを壊してしまった。
今でも、私に刺されたときのコウキさんの表情が頭に染み付いて消えない。あんな表情が見たいんじゃない。一緒に小さな笑顔を浮かべるくらいの、ささやかな幸せを望んでいたはずなのに。私がたどり着いたのはこんな暗闇。
これが、ここが私という救いようのない惨めな人間の終着点。当たり前で典型的、それ以下の、ただのクズの終わりーーーー
ーーーーそして、時間は『今』に戻る。
視界に映るのは茶色や黄土色ばかり、見渡す限りの岩場だ。時おり見つける緑もほとんどが岩の隙間や隅に生えている苔のようなものだけ。それもそのはず、ここは高い崖に挟まれた峡谷だから。
切り立った崖に潰されるように挟まれた底にある道は、感じる雰囲気よりも広く、私以外にも何人もギルドのメンバーがいる。それでも動くのには不都合はない。
でも、私だけはそんな自由を得られない。
「リーリちゃん?」
軽快な.....いや、もはやおちゃらけたと言った方がいい声と共に、私の肩に馴れ馴れしく腕が回される。
それだけ、ただ、それだけのことだけれど、私の身体は恐怖に凍ってしまう。
そんな相手は、この世界で一人しかいない。私の『持ち主』であるジョニー・ブラックだ。
「こうやって絡むのも久し振りだな~? 勝手にどっか行っちゃうから寂しかったんだぜ?」
「そう、ですか......」
この声、この雰囲気、この人が発する全てのものに私の心が削られていく。ラフコフと一緒に行動していた数ヵ月で、私の心はこうまでも調教されてしまっていた。今考えてみれば、私がヨウトさんのことが苦手なのはどことなくジョニーと雰囲気が似ていたせいかもしれない。しかし、それが今わかったところでなんの意味もない。
このまま、恐怖に負けて全部放り出してしまいたい。全部楽な方向流れて、作られた感情に身を任せてしまいたい。
「でもさぁ? リリちゃんが一緒にいたからどんな奴かと思えば、あんな甘ちゃんかよ、ちょっとがっかりだぜ。ぷははっ、覚えてるかよ? リリちゃんが刺した時のあいつの顔。今年の爆笑ランキングトップに入るよあの顔は」
「......相変わらず、趣味が悪いですね」
それでも、諦めるわけにはいかない。
私がコウキさんに出したメッセはジョニーに言われて出したものだ。守護モンスターを使ってコウキさんをPKできなかったから、方針を変えたらしい。
コウキさんはとても優しい人だ。それと同時にとても合理的な考え方をする人だ。だからあんなメッセを見てわざわざリスクを犯してまで私を助けに来たりはしないだろう。そしてそれはヨウトさんにも同じことが言える。
でも、ミウさんだけは別。ミウさんは損得勘定なんて一切考えずに私を助けに来る可能性がある。
「まぁまぁまぁ! そう言うなってリリちゃん。俺もちょーーっとは反省してんだよぉ? まさかリリちゃんがあんなに頭の中ぐちゃぐちゃになっちゃうなんて思わなかったからさ?」
「......私自身が手を加えることはあまり......なかったですから」
これ以上コウキさんたちを巻き込むわけにはいかない。だから、私は諦めたりしてはいけない。
私があの場所に帰れるだなんて甘い考えは持っていない。それでも、私はあの場所を守りたい。これ以上余計なものなんて絶対に加えさせない。
でも私にできることなんて、たかが知れている。そんな私ができる最善手は何か。それを考え続け、考えたそれを最高のタイミングで実行しなくてはならない。
その結果、私自身が死ぬようなことになっても......コウキさんたちのためならばそれも本望。それぐらいの覚悟はとうにできている。
「ジョニーさん!! 目標来ました!!」
偵察をしていた部下が一人報告にやってくる。それを聞いたジョニーはにやにやと楽しそうに笑う。自分の思惑通り話が進んでいるのが楽しくてしかたがないのだろう。
「人数は?」
「二人です。他に潜んでる奴はいないみたいです」
この峡谷は基本的に一本道だ。だから見張る方向は二方向のみでいい。
挟撃されれば苦しい状況になる地形だけど、私たちがここにいることはコウキさんたちしかいないし、挟撃するための必要な人員を集めさせないためにジョニーはコウキさんたちに時間を与えなかった。
そして、ここに来たのは二人......一人はミウさんだとして、もう一人はコウキさんだろうか? ミウさんに押しきられる形で私を助けに来てくれた?
いや、誰だって構わない。誰であろうと、こんな悪魔の巣窟のような場所に飛び込んでしまえばただでは済まない。
せめて、ミウさんたちが逃げれるよう場をかき乱さないといけない。
恐怖なんてどうだっていい。感情なんてすべて捨てろ。今動かなければ、私は本当の意味であの暖かい場所を失うことになる。あの場所以外は、どうなったって構わないーー!
「あぁぁあああああああ!!!!」
私は絶叫する。なけなしの勇気を、張りぼての覚悟に変えるために。
私は震える手で短剣を掴みとり、至近距離からジョニーに振るった。
その攻撃はいつもの私からは考えられなほどに練度の低い、単調でキレのない攻撃。それでもこの距離だ。最低でもジョニーや周りの部下の意識を私に向けるぐらいはできるはずーー!!
「......おいおい、リリちゃん? そのナイフテク、教えてやったのは誰だと思ってんの? 俺にそんなの当たるわけないじゃん」
「え、あ、う......くぁっ、ぐぅう!!」
しかし、私の淡い光は、簡単にかき消される。ジョニーは私の攻撃を身を捻るだけでかわせば、そのまま私を組み敷き地面に叩きつけた。
上からの急な圧迫に肺から息が押し出される。現実の私の身体には何も変化がないはずなのに、酸素が回らないで体が強張るような感覚を覚える。
殺意が込められたジョニーの目が近づき私の心は完全に、折れる。死への恐怖、殺される恐怖、独りであることの恐怖多くのものが駆け巡る。恐怖という闇に思考が包まれ、思考に収まりきらない恐怖が涙や体の震えという形で出力されていく。
体の芯が冷えていき、脳の中心が変にしびれていくような感覚に、本当にもう完全に折れてしまったことを自覚する。
そんな私のなかに最後に残ったのは、分かりやすい後悔だった。
「さーって、リリちゃんはどうしようかーなー? また前みたいにリリちゃんの反応がなくなるまで切り刻むのも楽しいだろうし」
ーーなんで、あんなことしてしまったんだろう。
恐怖に負けたから、私が弱いから。そんな理由から、私はコウキさんを刺した......いや、殺そうとした。
大好きで大切で、絶対に失いたくない。そんな場所を、壊してしまった。
「いやいや、そもそもあいつらを呼べたのならリリちゃんはもう用済みか? それなら今日こそ殺してみるのもいいかも。はははっ、高まってきたよぉ? どこを切られたい? 腹か? 顔か? それとも胸? 首?」
そんなこと、もう不可能だ。分かっている、期待なんてしていない。
世の中は、この世界はそんなに甘くなんてない。
それでも、どうしても、考えてしまう。走馬灯のようにその光景が浮かんでしまう。
もう一度、名前を呼んでほしい、もう一度、笑いかけてほしい、もう一度......頭を撫でてほしい。
「そーだ! 目標が来た時に合わせて殺してやることにしよう! だったら今はまた顔ぐちゃぐちゃになるまでなぶってやるか」
ジョニーが自らの短剣を振り上げた瞬間、震えた空気しか漏らせなかった私の口から声が響き渡る。
この期に及んで、都合が良いことは分かっている、それでも、私は叫ぶ、助けを、
「コウキさんーー!!」
「リリぃぃいいいいいいいい!!!!!」
ーーそして、全ての条件を無視して、
私の叫び声をかき消すほど大きなその声と共に、峡谷にさらに大きな金属音が鳴り響きジョニーの剣が大きく弾かれた。
恐怖のなか、もうどうにかなってしまいそうだったけれど、目だけは閉じなかった。だから、私にはこのありえない現状が正しく理解できていた。
どうして、なんで来たのか。こんな私のことなんて放っておけばいいのに、こんな私のことなんて忘れてしまえばいいのに。
その人がやっていることは、10人いれば10人が馬鹿だと評する愚行だろう。私だってそう思う。こんなことをしてもなんの意味も価値もないのに。
それでも、私はもう一度呼ぶ。今度は嬉しさのあまり震えてしまう声で、私の大好きな人の名前を。
「コ、ウキさん......っ」
「おう、待たせて悪い、リリ」
コウキさんは笑う。いつものように、私がしたことなんてなかったかのように。
ーーここから本当の意味で始まる、私の物語。その予兆を感じ取って、そして願い続けていたその笑顔の前に私は嗚咽を止めることができなかった。
ーーそうして、少年は新しいステージに上がる。確かな力と、強固な精神を携え、物語の主人公へとーー