小話をどうぞ   作:カミノマ

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タイトルからして、なんの捻りもないお話です。
まあ最初ですし。


河童と人魚

 ふと目を覚ました河童にとりがまず目にしたのは、青空に浮かぶ牧歌的な夏の雲だった。仰向けになって見る空は、普段見上げる空よりも幾分か高さを増して見えた。

 次に、にとりは自分が穏やかな河の流れに流されていることに気がついた。背中の防水加工済みリュックが眠り続ける彼女を浮かしてくれいていた。

 しばらくの間、にとりはのんびりした雲を目で追い、体を流されるがままにしていた。絶えず、水流やツクツクボウシの鳴く声が聞こえた。

「そうだ、そうだ」

 にとりはなぜ自分が水面を滑りながら眠りこけていたかを思い出した。

 先日知人の天狗から譲り受けた外の世界の道具、それをバラしたりくっつけたりして遊んでいるうちに、彼女は夜をまるまる研究所で更かしてしまっていた。河童特有の好奇心の暴走である。

 そのまま瞼を擦り擦りにとりは棲みかを目指すため水流に飛び込んだのだが、眠気と疲労に加え、ゆらゆらと心地よく揺れる流れに負け、水面で仰向けに眠り込んでしまったのだった。

「いやしかし、いい休息になったよ」

 うんうんと彼女は頷き、自分を慰めた。事実、眠気と疲労は綺麗に消え去っていた。

 しかし見なければならない現実があった。

「…随分流されてしまったみたいだぞ」

 仰向けの体勢を崩さず首を左右に振ってにとりは周囲の景色を眺めた。

 妖怪の山とは到底思えなかった。流れはとても穏やかで、川幅は広い。山の川だったらもっと急に流れて川幅も狭いはずだった。

 にとりは山の麓まで流されてしまったようである。

「これから逆流して上流まで帰らないといけないわけか。いや、歩いた方が早いか?」

 どっちにせよにとりにとっては苦痛だった。流れに逆らっての水泳が辛いことを河童はよく知っていたし、長時間の陸上での運動もきついものがある。しかし、どちらかをとらなければ帰ることができない。

 にとりは深くため息をついた。

 その直後、彼女は異変に気づく。

「おや」

 最初はゴミでも入ったかと思い掌で両目を擦ったにとりだったが、視界の端から広がりだした白いモヤモヤは消えなかった。

 それは濃度と勢いを増し青空をかすませた。

 にとりは慌てて周囲に目を走らせると流されていく方向から霧が迫ってきているのが分かった。麓とは思えない量である。

「一体…」

 今や水流もほとんど無くなっていた。蝉の声もいつのまにか遠くなってしまっている。

 どうやら彼女は静かな湖に流れ着いていたようだった。

 しかし濃霧のなか、にとりは無邪気に遊ぶ子供たちの気配と湖畔にそびえる建造物の威圧感を感じた。

 

「おーおー、随分立派な館なこって」

 湖のそばに立つその館は、周囲の森林や湖と真っ向から対立して見えた。青空のもと緑に囲まれて真っ赤な館は弁護しようがないほど異彩を放っているのだ。

 ここが音に聞く紅魔館であろうとにとりは推察した。

 館の門前で日傘の少女が散歩をしているのが見えた。にとりがそれを眺めていると、少女は浅瀬に上半身を覗かせる河童に気づいたらしく、指を指して笑った。

 にとりはふん、と鼻を鳴らすとトプンと水面に倒れこみ湖の中に戻っていった。「河童が湖まで流されてら」とでも言われたと思ったのだ。

 水は流されていたときより幾分か冷たく感じた。真昼だというのに水上の霧は収まることを知らない。

「ここは霧の湖だね」

 一日中霧立つ湖であるこの不思議な場所は、間抜けな河童がうっかり流されてしまう場所として河童たちに知られている。にとりは明日から己もその間抜け河童の一人として囁かれることを覚悟した。

 冷たい水を掻きながら周囲を観察したにとりは、湖が聞いてたほどのところではないと判断した。

 水は凍えるほど冷たく、陰気で、生き物の気配がまるでない、というのが彼女が聞いていた霧の湖だった。しかし実際は少し肌寒い程度の水温だし、霧で日光は届きにくいものの湖底では水草がこんもりと揺れており、小魚の群れも確認できた。

 それどころか、湖の主ではないかと思われる巨大な魚影が見えたときは、にとりは縮みあがって反対方向へ遁走した。なにせ人間サイズくらいなら丸飲みしてしまえそうな迫力だったのである。

 湖上では濃い霧が立っていながらも妖精たちがはしゃいぐ声が聞こえた。彼女たちは水面に顔を出したにとりを見つけると挨拶がわりにつむじ風や氷塊を飛ばしてくるので、にとりもお返しに高水圧水鉄砲を応射して逃げるのだった。

 

 どこからともなく歌声が聞こえてきたのは、にとりが散策に飽きて帰宅を考え出した頃だった。水中でも心地よく響くその声に、にとりは驚いた。

「この湖には人魚でもいるのかね」

 指に水掻きを伸ばし、にとりは歌声の源を目指した。

 歌は湖の中心から聞こえてくるようだった。水深は徐々に深くなり、陽光もその明るさを失う。

 やがてにとりは薄暗い水底を歩き出した。ヘンテコな形をした石ころが辺りを転がっていた。

 歌は童謡のような節だった。囁くような声なのだが、はっきりと水を震わせて届いてくるのが不思議だった。

 

 にとりが発見したものは、湖底で蠢く人影だった。

それはにとりに背を向けて座り、周囲の石ころを拾い上げては吟味して放り出し、拾い上げては吟味して放り出しているのだった。

 にとりが近づいても影はルンルン気分で歌っていて気づいていないらしく、作業の手を止めない。

 近づいてみると人影の下半身が魚のそれのように見え、にとりは思わず足を止めた。そして、その背中に呼び掛けた。

「あのう、すみません」

 それを聞いた人影の反応速度たるや、凄まじいものがあった。

 おそらく誰も自身の歌を聞いているとも思わず、いい気分で石を拾い上げていたのだろう。

 人影はビクリと肩を強ばらせたと思うと、目にも止まらぬ速さで跳ね上がり、そのまま縦に半ループしたのである。要するに人影がにとりに向かって逆さまになった。

 和服にフリルを飾り立てた少女、しかしその下半身は間違いなく鱗に覆われた魚の尾びれになっていた。

 河童の目を逆さまの人魚の目が捉えた。

 河童は目の前にいるのが人魚であることに驚愕し、人魚は(おそらく)いつのまにか背後に人がいたことに驚愕し、二人は一瞬固まった。

 にとりは人魚の髪が水草のように広がるのに目を奪われたが、次の瞬間人魚は尾びれを鞭のようにしならせて逃げ出してしまった。

「ちょっ、ちょっと」

 敵意の欠片も持っていないことを知らせようと両手を広げてにとりが大声をあげると、人魚はまたビクリと身を震わせて停止し、不安げに振り向くのだった。

 

「わかさぎ姫って言うの。よろしくね」

 湖畔に座りこんだ人魚はそう言うと手を伸ばした。

 そこは霧が少しばかり薄くなっている場所で、向こう岸の霧の中に浮かぶ館の影が見えた。

「河城にとり。見ての通り河童さ。以後よろしく」

 横で浅瀬に足を投げ出したにとりも手を伸ばし、わかさぎ姫の手を取った。人間の手の感触となんら変わりなかったが、彼女の下半身の尾びれは水にちゃぷりと浸かっている。

「急に逃げてごめんなさいね、湖には魚しかいないと思っていたの」

 わかさぎ姫は実に内気そうな人魚だった。

 ずっと霧の湖で暮らしているらしく、そこが自宅も同然だったようだ。

「ここにはお仲間の人魚はいないのかい?」

わかさぎ姫は髪に絡まった藻を取りながら答えた。

「昔は数人いたんだけどね」

「死んじゃったのか」

「ううん、湖から出ていっちゃった」

 にとりは目を丸くした。

「ねえ河童さん、湖まで下ってきたのよね。山には私のお仲間はいるのかしら?」

 にとりは首を振った。湖から人魚が引っ越してきたことなど聞いたこともない。おそらく湖から出てきた彼らは、川を遡ってからまた別の支流に流れていったのだろう。はたまた、地上で体をビチビチくねらせて移動したか。

「なんで他の人魚は出ていてってしまったの?」

「ずっと湖にいてはつまらない、もっと違う世界を見てみたいってさ」

「へえ」

 人魚というものは案外好奇心に溢れているものなのだな、とにとりは思った。

 目の前の人魚は違うようだったが。

「私?嫌よ。だって山には怖い妖怪がいっぱいいるんでしょう?あ、いや貴女のことを言っているんじゃなくってね。ほら幼子を見ればかっさらわずにはいられない天狗とかさ」

 彼女は大袈裟に水を飛ばして振り付けをしながら捲し立てた。

「私には天狗の知人がいるけど、いきなり人魚をとって食おうとするような奴じゃないよ」

「ほんとう?」

 頬に手を当てて考え込んだ彼女を見ると、どうやら実際に天狗に会ったことはないようである。まだ人間の方が天狗に理解があるかと思われた。

「心配性だね。妖怪の友人はいないのかい」

「狼女が一匹。あとろくろ首を知っているけど、うーん、友人とは言い難いかなあ」

「…ごめんね、失礼なこと言うけど、それだけ?」

「待って待って、私『妖怪草の根ネットワーク』っていうグループに入っているんだけど、そこでの知り合いなら何人かいるし」

 「妖怪草の根ネットワーク」というと、数年前に結成された妖怪グループのことをにとりは思い出した。

 組織に属さず自分の身は自分で守らなければならないという野良妖怪たちが、うまく生きていくために身を寄せあうコミュニティ。しかし野良妖怪がなぜ野良であるかも考えずに連携しようとしても無駄だったようであり、今や只のおしゃべりメンバーとなっているという。

 そりゃこんだけ臆病なやつがいてもなあと、にとりはわかさぎ姫を眺めて思った。

「竹林は一度迷うと出れないって聞くし、私が行こうものなら三日三晩出口を求めて跳ね回ることになるに決まってるわ。人間の里に行ったらいい見世物になるのが目に見えてるし」

 わかさぎ姫は湖の外がいかに人魚にとって生きにくい場所かを語り、さらに自分の語った言葉によって外への疑念をますます深めているようである。

 にとりはこっそりため息をついた。

「そういや君はさっきさ、石を拾っていたようだけど何をしていたんだい?」

 ぶつぶつとぼやくわかさぎ姫を制止するべく、にとりは先程疑問に思ったことを口にしてみた。

 わかさぎ姫はふと我に帰ると、どこに隠していたか、服の裏側に手を入れると何物かを取り出して水際に並べた。それは一見なんの特徴も持たない小石に見えた。

「私ね、石拾いが好きなの」

 なんと地味な趣味なのだとにとりは思った。

 わかさぎ姫は並んだ石からひとつ摘まみ出すと、掌にのけてにとりに差し出した。

「ほら、この石はついさっき拾った石で、ここに緑色の鉱物がついてるでしょう?この種類でここまでのサイズで見ることはそんなにないの」

「むむむ」

 にとりは石ころに付着した鉱物を凝視したが、別段輝くものがあるわけでなく、お世辞にも価値があるとは思えなかった。

 それからしばらくわかさぎ姫のコレクション紹介に付き合うことになった。

 小豆のような金がついた石にはにとりも興味を惹かれたが、そのあとに続く石を見ながらも、熱弁を振るう人魚を観察していた。

「これこれ。只の黒石に見えるだろうけど、見よこのスベスベ具合と平べったさを。加えて満月のように真ん丸しているもんだから、水切りにも鑑賞にも最適なの」

「これは川から流れてきた花崗岩。最初は表面がだいぶ風化していたんだけど、頑張って叩いてみたらほらほら綺麗な割れ目が!」

 わかさぎ姫の石への熱意は勢いを増すばかりだった。

 ずっと湖に引きこもっていたのだから話し相手を見つけて嬉しくなったのだろうとにとりは考え、わかさぎ姫の説明にうんうんと頷いてみせた。

 何より、とうとう専門用語を持ち出して語り出すわかさぎ姫の姿は、よくよく見れば友人を研究所に引きずり込んでは所狭しと並ぶ機械を自慢するにとり自身の姿によく似ていたのである。

 一般人にはいい迷惑でしかない行為をするわかさぎ姫に、にとりは共感を覚えた。

 

「わかさぎ姫さあ」

 一通り石への熱い思いを発散したわかさぎ姫はほくほく顔でにとりを見た。

「今から、山に来ない?」

 しかし予期せぬにとりの提案に彼女は顔色を変えて目を見開くと両手を顔の前で振った。

「いやいや、私は」

「山の妖怪はたしかに強力な奴が多いけど、君を見つけたからって何かしようとするやつなんていないよ。人魚が珍しいのは事実だけど」

 困ったように、わかさぎ姫は右手に石をひとつ握りしめた。

「君きっと河童も隙あらば尻子玉を抜く恐ろしい妖怪だとでも思っていたでしょ。でもどうだい、私はそんなことしたかい」

 わかさぎ姫は少し弁明するように口をパクパクさせたが、

「…だって怖いんだもん」

と半ば拗ねたように呟いた。右手で小石を弄っている。

 にとりはパッと笑顔になった。

「だからさ、私と一緒に行くんだよ。私の研究所に来とくれよ。きっと面白いよ」

 わかさぎ姫は霧の向こうにかすむ妖怪の山の影をちらりと一瞥した。きっといつも湖畔に座り込んでは眺めていたのだろう。好奇心はあるくせに、警戒心も人一倍高いとはなんと面倒なのかとにとりは思った。

「でもお…」

「強情だねえ。私はあんたを気に入ったの。だから遊びに行こうって言ってるの」

 にとりは人魚の腕を掴むとぐいぐいと上流の方向へ引っ張っていった。

「あんただってずっと湖にいたら飽きちゃうでしょ」

「でも上流へ逆流するのは辛いし…」

「私が後ろから押してやるよ」

「帰り道がわからなくなると困るし…」

「私が湖まで送ってやるよ」

「天狗も鬼もいるし…」

「天狗は挑発でもしない限り大丈夫。鬼は滅多に姿を現さないよ」

「にとり以外の河童に絡まれるかも…」

「そんなやついないし、いたら私が追い払うさ」

「でもでもお」

 しんとした湖面で、しばらく人魚と河童の押し問答が続くのだった。

 

 川の幅がだいぶ狭くなりごつごつとした岩が目立ちだした中流で、にとりとわかさぎ姫は岩陰で一息ついた。

 その間もわかさぎ姫は周囲に目を走らせていたが、警戒しているというよりも、初めての光景に興奮しているように見えた。

 川の周りは深緑が並び立ち、蝉の騒がしい合唱が辺りを飛び交う。

 もう少し登ればそこは河童たちの棲みかで、起伏に富んだ地形は見事な滝を作り出し、神々も恋する幻想郷が姿を現すだろう。わかさぎ姫もその光景を気に入ってくれるだろうとにとりは踏んだ。

「にとりさんっ」

 やや傾き始めた太陽を見ていたにとりが振り返ると、わかさぎ姫が近寄ってきて彼女の手を両手で取った。

「私はお分かりの通りの臆病者だけれど、こんな私でも湖の外でうまくやっていけるかしら」

 にとりは直ぐにわかさぎ姫の手を握り返し、「大丈夫さ」と頷いてやった。

「けど、石を語るときの専門用語の雨霰はやめた方がいいね。知識のない人が聞くとなかなかに苦痛だよ」

「え、そんなにつまらなかった?」

「私のラボについたら直ぐに分かるさ…。私もあんたの同類だからね」

 言うが早いか、にとりは川上に向かって泳ぎ出してしまった。

「ちょっと、どういうことなのよお」

 わかさぎ姫も慌ててにとりの後を追うのだった。

 




内気系わかさぎ姫でした。
フライ大好きです。
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