東方物部録   作:COM7M

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初めてですよ。ここまで私を喜ばせてくれたおバカさんは。
改めてありがとうございます。まさかこれほどの方に見てもらえるとは思いませんでした。嬉しい反面、今回の話は見る人を選ぶかもしれないので少し不安です。


追記)冬の井戸水が冷たいとか世間知らずな事を書いておりました。恥ずかしいです。


天才布都 逆転の発想

父上の修業を受けてから早くも半年が経っていた。騒いでおった蝉達を含め、虫達や一部の動物達は土の中に潜り、赤や黄色に変色していた美しい落葉も片づけられ、我が家の豪華な庭もどこか切ない雰囲気が出ていた。夏は心地よかった風が今は肌に痛く、毎晩保温性の低い布団に悩まされ、木製の廊下は冷気を帯びており履物無しには歩くのが辛い、そんな飛鳥時代の冬。

 

冬になろうと我の日課は変わらなかった。いや、いい方向に変わってはいた。朝起きると、最初より10週増えた敷地内40周の走り込み。それが終わると、母上が買って下さった我の体格に合った鉄製の直刀で500回の素振りをする。これらが終わると一旦休憩。

この時に毎日同じ召使の者が、季節にあった温度の水を持ってきてくれる。冬に入ると最初は熱い湯を持ってきてくれたが我は猫舌で、それに運動後の一杯は冬でも冷たいのが飲みたいと伝えると、二つの椀に半分ずつ入った冷たい水と熱い湯を両方持ってきてくれるようになった。これで運動後の一杯は冷たい水で喉を潤し、二杯目のお湯で冷えた体の中を暖める。

因みに井戸水は地下10m程にある為気温の変化が少なく、一年中一定の温度の水が飲めるが、運動後の我はキンキンに冷えた水と熱々の水の両方が飲みたいので、冷たい水は暫く放置して用意し、熱い湯は火を焚いて温めてくれる。我ながら我儘な奴だ。

そして気力があれば弓の練習を行う。弓もコツが分かって来て30m先の的まで刺さるようになったが、それ以上遠くから放っても筋力が足りずに刺さらないと分かったので、最近は召使に軽めの的を投げさせたり、我自ら横に走りながら的を射たりと工夫しておる。どうやら我は剣の才能は普通のようだが、弓は明らかに人とは違う才を持っていると自分でも分かった。通常の構えの状態からは勿論、上記のような動く的や自ら動いて放つ時も、多少のバラつきはあるものの不思議と的の中心近くに当たる。風の強さや流れ、弓の撓り具合や弦の強さ。それらが理屈ではなく、直感で理解できるのだ。

 

耳元でシュンと弦が空を切る音が鳴るとすぐ、ストンと矢が的に突き刺さる。今日も召使が投げてくれた動く的だったが、我の放った弓は見事中心を射抜いておった。自分の心・技・体を使って一本の矢を放ち的へと当てる。我はそんな弓をする時間が一番好きであった。

 

「お見事です布都様。今日も絶好調でございますね」

 

「うむ。いつも手伝ってくれて助かっておる、礼を言う」

 

「滅相もございません。私も布都様の並外れた弓の才を見るのが楽しゅうございます」

 

的を投げてくれた召使の女に軽く頭を下げると、女は我より深く頭を下げる。

 

「ふふ、そうであろうそうであろう!…じゃが、本当に助かっておる。おぬしが手伝ってくれんかったら弓の鍛錬はつまらんからの」

 

改めて感謝の言葉を述べ、もう一度頭を下げる。

偉そうな口調を使っておきながらこのような事を思うのも皮肉かもしれんが、我のような小娘に大人が深々と頭を下げる光景を見る度に、改めて身分制度の強さを思い知る。生まれながらの家で格の全てが決まってしまう残酷な世界。時には豊臣秀吉のような例外もおるものの、彼の様に這い上がれるものはほんの一握りだ。

だが我は身分制度に異を唱えようとは思わぬ。確かに低い階級に生まれた者は可哀想だとは思うが、だからと言って我が身投げやってでもこの地位を捨てて革命を起こそうとは思わん。そもそも我は革命より先に滅びゆく物部氏を何とかせねばならぬ。

とはいえだ、だからと言って身分の低い者を貶したり虐めたりは絶対にせぬ。相手が位の下の者でも、感謝する時はしかりと頭を下げて感謝する。それが我が彼等へ送れる小さな応援だ。

 

「…布都様はとても優しいお方ですね。布都様がこの家を継ぐならば、今以上に物部氏を繁栄させることができると思っております」

 

「ほう、中々よい目を持っておるの。なら我がこの家を継いだ暁には、おぬしを我の侍女にしてやろう」

 

「ははー。ありがとうございますー」

 

我のノリが分かってくれたのか、召使の女は棒読みになってわざとらしく頭を深く下げる。ノリの良い召使に小さく笑うと、召使も釣られて一緒に笑ってくれた。

 

吹き出した汗を流すため、先程世話になった召使が用意してくれた湯に浸かって汗を流した。風呂から上がると丁度朝食の時間で、いつもの広間に参ると父上と母上が飯の乗った盆を前に我の到着を待っている状態だった。慌てて我は空いている盆の前に座り、待ってくれていた二人に礼を言うと、三人一緒に朝食を頂いた。そして味の薄い朝食を終えた後、突如木の家を震わせる程の爆音が物部家に襲い掛かった。

 

「父上ぇっ!誠でございますかあーっ!?」

 

物部家の敷地全体に広がる大声に父上と母上は耳を塞ぎ、呆れた目をして我を見た。じゃが二人の視線をお構いなしに我は父上の後ろへ猫の如くそそくさと移動し、父上の足元に広がっておる紙を見る。生前の我なら読めぬ古臭い文字で、確かに先程父上の言葉通りの内容が書かれていた。

 

「明日の午後に神子様とお会いできるのですか!」

 

「ああ、神子様きってのお願いだそうだ。残念ながら儂は呼ばれておらんがの」

 

「あなた、娘を僻むなんてはしたないですよ」

 

天皇家、というより神子様は我にだけ用があるらしく、書物には父上への名は一切書かれておらんかった。分かりやすくガックシと落ち込む父に、それを宥める母。しかし我はそんな二人を尻目に一目散で自分の部屋へと駆ける。神子様に会ってから新しい読んだ書物を手に取ると、机の上で勢いよく広げて流し読みしていく。最近では運動に力を入れていたので書物の内容を結構忘れており、神子様に話すには知識量が不十分だった。自らでも驚くスピードで(流し読みだから当然だが)部屋に置いていた書物を次々と片づけていく。

 

そして翌日の朝になると、召使数人に頼んでせっせと美しい着物へ着替える。因みにこの時代の着物はまだ、成人式などで見る振袖ではなく、ダボダボした唐や隋から伝わったものだ。我はこの着物に美しさを感じる事ができず余り好きではない。せっかく過去に転生したのじゃから、もっと綺麗な着物を羽織いたいのだが、我が望む着物は鎌倉時代にある。どこまで文化水準が低いのだ飛鳥時代は。

おっと、分かっておったがいよいよ思考だけでなく感性まで女子のものになってきておるの、別に構わぬが。

 

「はい、布都様、準備できましたよ」

 

「助かったぞ皆の衆。では行って参る!」

 

 

 

 

天皇がおられる都は勿論の今の京都にある…のではなく、今の奈良におられる。確かに平城京や平安京など、無駄にスケールの大きい都を作っておったが、それ以外にも主に大阪・京都・滋賀の辺りを点々としておられるらしい。これは蛇足であるが、徳川家康の建てた江戸城の天守閣も、二代目の秀忠によって一度壊されて立て直されており、その秀忠の天守閣も家光によって再建されておる。理由は先代よりも大きな天守閣を作る事で自分の力を見せるためだったか。天皇が都を点々としているのと徳川将軍の二人の考えが一緒なのかは分からんが、なんであれ権力者の元には都をポンポンと作れるほど金が集まるのだ。

因みに我が家は大和国十市郡、今の奈良県の上の方にあり、物部氏はそこを拠点としておる。宮とはそれなりに離れてはいるもののかなり近場にある。恐ろしく遅い牛車でも一時間も掛からない。

それでもガタゴトと揺れる牛車は退屈なもので、いい加減暇で寝そうになっていた頃、ようやく神子様がおられる宮にたどり着くことができた。牛馬使いに礼を言って降りると、初めてここに来た時に案内してくれた召使が立っていた。

 

「長旅お疲れさまです、物部布都様。豊聡耳様の遣いの者でございます」

 

「うむ、そなたの事は覚えておるぞ。案内を頼む」

 

「覚えて頂きありがとうございます。ではこちらに」

 

仮にも物部家の娘として来ておるので堂々とせねばならぬが、神子様に会えると思うと顔がにやけてしまう。最後に神子様と会ってから八つの月が流れた。我の神子様に対する不思議な感情は留まることなく、また彼女に会いたいとこの八か月ずっと思っていた。

神子様とは一時間程しか話しておらず、我は神子様の事をほとんど知らないが、彼女の放つ魅力に我はすっかりやられていた。それを誰かに話せば、恋だと言うであろうが恋とはちょっと違う。我自身も上手く説明できぬ神子様への謎の忠誠心がひっそりと、だが根強くあった。

牛車に乗っていた時間よりも長く感じられた案内も終わり、豪華な飾りのされた扉の前で召使は止まる。召使と我は廊下に座った。

 

「豊聡耳様、物部布都様をお連れしました」

 

「ご苦労、下がってよい。布都は中へ入ってきなさい」

 

「はい!」

 

久しぶりに聞いた神子様の声。初めてお会いした時は六歳であられたが、子供らしい滑舌の悪さは当時から見当たられない、可愛らしく美しい声。興奮の余り少々乱暴に扉を開けると、ニッコリと笑みを浮かべる神子様が座られていた。

 

「神子様!お久しゅうございます!」

 

「ええ、久しぶりですね布都。遣いを出すのが遅くなって申し訳ありません。こう見えても結構肩身の狭いもので」

 

我は神子様の前に座って一礼する。

 

「とんでもございません。こうして再び神子様とお話できるのを心からお待ちしておりました。昨日は興奮のして中々寝付けぬ程でしたぞ」

 

すると神子様はキョトンと目をパチクリさせて笑顔の我を見る。そして人差し指をこめかみ部分に当て、小さく喉を鳴らした。

 

「え~と布都、あなたの好意はとても嬉しいのですが、私はあなたに何かしましたでしょうか?私にはあなたの喜びが少々大げさに見えますが」

 

「実は我にもよく分かりませぬ!」

 

「え?」

 

我も何故神子様に対してここまで好意的なのかは分からん。それはさっきここに来る途中、いや、八か月前から考えておったが上手く説明できぬ。でも我は神子様が好きなのだ。

 

「気迫、覇気、優しさ、賢さ、聡明さ、気高さ、気品、声、愛らしさ、凛々しさ、美しさ。我があなたのどれに魅了されたのか、自分自身にも見当がつきませぬ。ですが我は確かに、神子様、あなたの事をお慕いしておりまする」

 

敬意を示すつもりが、もはや告白となった言葉に神子様は少々恥ずかしそうに、軽く赤くなった頬を掻く。我も神子様以外にはこのような事は堂々と言えぬであろう。元より他の誰かに言うつもりもないが。

しかしこの時代、男性への直接的な告白ははしたないと思われておる。我の思う限り神子様は女性であられるが、我がその事に気付いておるとは知らぬので、神子様は今男性として我と対峙しておられる。

 

「その、一応申しておきますが、これは告白ではなく忠誠の言葉として受け取って下さい。勿論神子様は魅力的なお方で、お慕いする方であります」

 

恥ずかしがっておられたが我の本心には気づいていたようで、神子様は分かっていますよと優しく返してくれた。いったいこの方はどこまで聡明なのであろう。前世の記憶を持つ我と同じ、いや、それ以上に大人びておる。

 

「なるほど、ではよく分かりませんが私は布都を魅了できたと。我ながらよくやったと自分を褒めたいものです」

 

妙に客観的で自慢染みた台詞回しが、また彼女の落ち着いた物腰を出しており、我もそれに合わせて軽いノリで返す。

 

「ふふっ。神子様の命あらば、東の大蛇を剣で引き裂き、西の虎の脳天に矢をお見舞いしましょうぞ」

 

「それは頼もしい。聞きましたよ、女子の身でありながら、毎日走り込みをして剣を振って矢を放っていると。それを聞いた時、何故か布都なら確かにやりそうだなと驚きませんでしたが」

 

「え゛っ?」

 

神子様はクスクスと大人っぽい笑みを浮かべられた。

わ、我の日課は物部家の者しか知らないと思っていたが、まさか宮に広まっていたとは思わなんだ。我は毎日敷地内でしか訓練はやらぬし、客人が来た時ははしたないと思われたらいかぬので訓練はしておらん。一体誰が話を広めておるのだ? う~んと首を傾げると、察してくれた神子様が答えを教えてくれた。

 

「あなたの父が自慢しているそうです。儂の娘は才能の塊だ。書物をいくつも読んでおり、女子でありながら毎日の走り込みをかかさん。剣の振りも確実に成長しており、何より弓はこれらのどれよりも才に恵まれておると。尾興殿と仲が良いのですね」

 

父上が広めておったのか! 家では、女子が男子の真似事をするなどはしたないので口外するなと言われていた筈なのだが…。ひょっとすれば酒の席で()自慢が止まらなくなってしまい、そのままあれやこれやと話したのかもしれん。

やれやれと父上に呆れながらも、神子様の優しい言葉に笑みを浮かべて返す。

 

「はい。父上は女子という理由で我を縛る事無く、鍛錬を許してくれました。父上には感謝してもしきれませぬ」

 

「いいお父上の元で産まれましたね…。布都が少し羨ましいです。って、私が言っても皮肉にしか聞こえませんね」

 

表面上は美しい笑みを浮かべる神子様だったが、我は年不相応の魅力的な笑みよりも、どこか暗く沈んだ声の方に意識が行った。確かに天皇の子供として生まれながら、格下の我が羨ましいと言っても普通ならば皮肉にしか聞こえない。生まれながらにして我以上の勝ち組なのだから。

しかし神子様の事情を察することができた我は、軽い世辞を言ったりはせず、ゆっくりと首を横に振って神子様の言葉を否定した。

 

「神子様のお悩みがなんであれ、あなたが我のような者を羨むと申される程のお悩み。我に打ち明けてとは申せません。ですがどうでしょう?せっかくこうしてお会いすることができたのです。我の私生活や書物の話だけではなく、神子様のお話も聞きとうぞんじます」

 

「布都…。分かりました。なら少し、私の話を聞いてくれますか?」

 

「喜んで」

 

 

 

 

私、豊聡耳神子が初めて物部布都と会ったのは今から八カ月前の春。

いつも書物庫に籠っている私を父が珍しく尋ねに来た。本来なら大王である父がその足を動かして人に会いに来ることなど、美しい女性以外にはなかった。女好きの我が父、用明天皇は、近い内に物部尾興とその娘が来る。お前と同じ才児の様だから話の馬が合うかもしれんと伝えてくれた。

私と同じ才児と聞いたとき、思わず吹き出しそうになった。周りは私の事を天才や聡明だと言って褒めるが、ハッキリ言おう、凡人の尺で私を図るなと。私と話の合う子供がこの世界のどこにいるのかとおかしかったのだ。

私は並々ならぬ才を持っていた。大量に保管してある書物は八カ月前には全て読破しており、布都と会った時には二週目に入っていた。わざわざ二回も同じ書物を読むのは読書が好きというのもあるが、一々同い年の子供や、頭の悪い侍女達の相手をするのが面倒だったのが大きい。

今思うとなんて浅はかな考えだったのだろうか。他人を自らの尺で図っていたのは私の方だった。その事を教えてくれたのが物部布都、目の前に座っている銀髪の少女。初めて布都を見た時の印象を口にすると怒られるだろう。私が彼女に抱いた印象は、いかにも馬鹿っぽい子供。故に私は彼女に何の興味も持たなかった。私が読んでいる書物について彼女が話すまでは。

 

「唐の文化に興味がおありなのですか?」

 

布都の台詞は八カ月経った今でも鮮明に覚えている。

当時の私は驚いたものの、私に媚を売る為に両親が家にある書物の内容を無理やり覚えさせたのではないかと疑った。現に私に挨拶しに来た子供の中に何人かそういう輩がいた。彼女もその一人だろうと思ったのだが、布都の話しぶりから書物の内容を理解しているのが分かったし、それについて自分の意見も述べていた。

 

それだけで私の布都に対する印象はこれ以上ないくらいよかった。だが布都はそれだけでは収まらず、私の話について聞こうとしてきた。まるで私の秘密に気づいているかの様子だった。ただ書物を理解するだけではなく、人への見方も普通の子供とは違った。だから私は、わざと分かりやすく動揺を見せ、こちらに来る足音の主が扉を開ける時を狙って秘密を打ち明かそうとした。

これが八カ月前の私と布都の出会い。そして八カ月経った今、布都はやはり私の秘密、嘘の性別を見破ってくれた。

以上が布都と初めて会った時の私の心境である。これらの事を掻い摘んで伝えると、布都は口を大きく開いていた。

 

「なっ!?わ、我が神子様には秘密があると疑っていたのを、神子様は気付いていたのですか!?し、しかもわざと秘密があると匂わせる口ぶりをしていたと」

 

「ええ」

 

布都の視線は真っ直ぐと私を見ているが、その眼には意識が宿っていないのが分かる。どうやら私の方が布都より一枚上手だったらしく、彼女は呆然としており、時折ブツブツとまさに天才じゃと聞こえてくる。天才の彼女に褒められるのは中々嬉しいものだ。

 

「まだ話は終わっていませんよ。ここからが私の悩みなのですから」

 

「は、はい!」

 

私の声を聞いて我に返った布都は、首をブンブンと横に振って再び意識を集中させた。普段話のかみ合わない子供の相手をするのが面倒な私だが、見た目相応の子供らしい言動が微笑ましく感じられた。

 

私の悩みの原因を言うならやはり仏教だ。仏教、唐から伝わった宗教の一つだが、この日の本にはまだ大きく広まっていない。理由としては、まさに私の前に座っている布都が持つ氏、物部の力によるものだ。物部氏は全てのものには神が宿ると考える神道を崇拝しており、今の日の本はそちらの方が有名だ。

しかし私の父は神道ではなく仏教を崇拝している。崇拝よりも好きと言った方がいいのかもしれない。勿論父は宗教的に仏教を崇拝しているが、それとは別に仏教を学び、仏像を集めたりして楽しんでいる。噛み砕くと趣味の一環か。

そんな仏教は女性差別的考えが強かった。女は男をたぶらかす、または芯の弱いため邪の道に落ちると考えられ、女性を寄せ付けなかった。仏教を好む父の第一児の私が女と分かった時の父の顔は容易に想像できる。

だが父も生まれてすぐ私を男として育てた訳ではない。そうするようにしたのは三歳の物心ついた頃、まあ細かい年などはいい。要は私の才能に周りが気づいてからだ。私の才が只者ではないと気づいた父はその頃から私を男子として育て始め、将来有望な宗教家、あるいは政治家にするのが目的らしい。

 

「中々下らない理由とは思いませんか?父上もですが、女が邪の道に落ちると決めつける仏教の思想が」

 

「ええっと…その、確かに仏教は異教徒ですが、我はさほど宗教に関して強く言えない性格でして…。ただそれを実行する大王の考えはいかがなものかと」

 

やはり変わった女子だと思った。異教徒である仏教を悪く言わず、あろうことか大王である父の意がおかしいと口にした。布都は私と同じくらい、それ以上にこの世界への見方や考え方が違う。

話を中断した事を軽く謝ると、再び話を続ける。

 

こうやって私は男として育てられるようになった。当時は男女の違いについてよく分からなかった為何とも思わなかったが、日に日に知識を溜めるにつれて私は辛かった。どんなに男として育てられても私は女。花を見れば美しいと感心し、愛らしい動物を愛でたいと思い、女物の着物を羽織りたかった。だが私が女であると知られてはならぬと、真実を知っている周りの者の教育は度を越えていた。私がポツリと花を美しいと言えば花を燃やし、動物が可愛いと言えばそれを惨殺し、常に私は男の着物のみが出された。女の感性を根こそぎ取ろうとしたのだ。

今思えば私が同年代の子供と話したくなかったのはこれらも影響があるかもしれない。もし男に惚れでもすれば惚れた相手が殺され、女に羨ましいと言えば躾が待っていると、心のどこかで思っていたのかもしれない。

 

「これが私の悩み。下らないと笑うなら笑っても不問にします…よ?」

 

「うっうぅっ……神子様ぁっー!」

 

我ながら下らない贅沢な悩みだと思い、自虐染みた口調で言うが、布都の反応は私の予想を反していた。突然涙を流しながら私に抱き付いてきて、耳元で泣き喚いた。突然の事態に私は反応ができずに呆然としてしまう。

 

「うぅっ、さぞお辛かったでしょう。無理やり自らを騙すよう育てられ、身分の高すぎる故に打ち明けられる者がいない。うぅっ、我は自分が恥ずかしゅうございます。神子様がこれ程悩んでおられたというのに、自分の話ばかりをして…神子さまぁっー!」

 

一度言い終えるとまた耳元で泣き喚いた。耳の良い私には少々五月蠅すぎるが不快感は無かった。何故か相談したはずの私が布都を宥める形で抱きしめる。布都の体を抱きしめると初めて、彼女の体が自分のただ柔らかい体と違い、鍛えられていると分かった。

よしよしとサラサラとした銀髪の髪を優しく撫でて慰める。私自身、私がここまで他人に優しくできるとは思わず、また布都が私の事で泣いてくれ事が嬉しく、自然と頬が緩む。

五分後、ようやく落ち着いた布都は自らの行動がどれほど無礼であったかと気づいたらしく、何度も何度も頭を下げた。第三者が見たら天皇の息子である私に抱き付くなど無礼極まりないと激怒するだろうが、私は心臓の高まりが分かるほど嬉しかったので責めたりはしない。

 

「ほら布都、もう気にしないで下さい。私は嬉しかったのですから」

 

「も、もうしわけ…いえ、ありがとうございまする。さて、なら次は神子様の出番ですぞ!」

 

そう言って私の方へバッと両手を広げる布都。やはりこの子の思考はよく分からない。そこが彼女の魅力の一つであるのだが。何がしたいのかと首を傾げると、布都はやれやれと溜息を吐く。

 

「神子様が泣く番に決まっておりましょうぞ。我は存分に泣かせて頂きました。次は神子様の番です」

 

「…断ります」

 

「な、何故ですか!?泣けば気分もスッキリしますぞ!」

 

なるほど、布都の事がまた少し分かった。私が最初彼女に、馬鹿な子だと印象を持った事は決して外れてはいないらしい。しかし馬鹿は馬鹿でも布都は優しくて場を和ませてくれる馬鹿だ。

 

「確かに私は性別の事で悩んではいますが、私は相談したいのであって慰めて欲しい訳ではありません。それにもう涙は私の代わりに布都が流してくれました。私はそれで十分ですよ」

 

「むぅ…分かりました。ですがそうなると、私は何をすればよいのでしょうか?神子様を男子にすることも、仏教の女性差別の思想も我は変えられませぬぞ」

 

「流石にそこまで望んでいませんよ。ただです、やはり私の秘密を知っている者の私を見る目は、前提として男子に化けている女子に過ぎません。故に少しでも化けの皮が剥がれそうになると、強引な手を使ってでも皮を被せようとしてきます。私はその行き過ぎた周りの反応を何とかできないかと思いまして」

 

すると布都は露骨なまでに呆れた表情に変わり、きめ細かな白雪の様な頬には最初からそれを言えと書かれているようだった。しかし相手が大王の娘である私というのもあり、布都は崩した表情を真剣なものへと戻す。

 

「う~む…要するに仮に女性らしい反応をしても、咎められないようにすればよいのですね?」

 

「その通りです。私も自分が女性らしい方とは思いませんが、何かと縛られるのは堪えます」

 

これが中々現実的な案が思い浮かばなかった。布都が先程言った通り私自身が男になるか、仏教の男尊女卑の思想を変えるなどは非現実的だし、そこまでしようとも思わない。布都は腕を組んでう~んと唸り始める。彼女の悩み声は途切れることなく既に一分もの時間が過ぎており、私が打開策を考えるよりも布都の肺活量に感心していた頃、布都はポンと手の平を叩いた。

 

「逆転の発想ですぞ神子様!むしろ神子様が男装生活を心から楽しんでいると周りの者に分かれば、多少ボロが出ても問題ないかと思います」

 

「な、なるほど!私も気付きませんでした」

 

や、やはり天才…。確かに事実を知っている者は、私が男装生活を苦に思っていると見ているだろう。現に私は、男子として扱われる利点も多いと思いながらも、やはりありのままの自分で暮らしたいと思っている。しかし私が男装生活を楽しんでいると周りに見えれば、多少は奇異な目で見られるかもしれないが、男らしくしろと強く言って来ないはず。

 

「で、具体的にはどうすればよいのですか?」

 

「え、えーと……」

 

何だこの子は…。天才なのか馬鹿なのかがまるで分からん。いや、並々ならぬ知識と武術の才がある、天才のはずだろう。きっと、多分…。しかし待てよ。今まで私は馬鹿と天才を、対をなすものとして見ていたが布都を見る限りそうとも言えない。むしろ今の逆転の発想も、見方を変えれば馬鹿の戯言に過ぎない。そう考えるとこの両者は決して相反するものではなく、天才とは馬鹿との紙一重の非常に危うい立ち位置にいる存在なのかもしれない。私は断じて自分を馬鹿だと思わないが。

私の思考はいつの間にか自分の性別についてではなく掴み所の無い布都へと切り替わっており、自分の事は全く考えていなかった。するとまたまた布都はポンと手を叩く。可愛らしい行動だが、彼女の満足げな笑みはどこか不安を感じさせる。

 

「神子様が女性を口説けばよいのです!」

 

「…えっ?す、すいません布都。私、耳はよい方かと思っていたのですが聞き取れなかったようで、もう一度お願いします」

 

「ですから、神子様が女性を口説けば傍から見れば女好きの皇子として見られます。神子様の名声は留まるところを知らぬのです。女好きの評価が入ったところで、神子様の偉大さは少しも揺るぎませぬ」

 

何故だろう。ここまで驚きと関心と呆れが混ざった感情は今までになかった。布都の言おうとせんことは分かる。私も女好きの父上の様に、男子の格好をしているのを良い事に女性を口説いていたら、男装を楽しんでいると見えるだろう。しかし、一応現実に反映可能な策ではあるが、様々なものを捨てている気がする。

 

「大丈夫ですぞ!神子様は美しいですが、中性的で凛々しくもあります。瞳には見た者を魅了する力がありますし、声は心地よい歌声の様で、とても聡明であられます。神子様が口説けばそこらの女などイチコロです」

 

心を許した布都に褒められているが全く嬉しくない。決め顔は崩さぬまま、布都は私の美点を他にも言ってくれるが、その声は耳に入るとすぐに反対の耳から出て行ってしまう。私が女性を口説くのは色々と駄目でしょうに…。

能天気に話す布都の案に呆れ返ったその時、突如私にまるで落雷が落ちたかのような衝撃が走った。

 

「いやっ…。悪くないのかもしれませんね…」

 

布都の言う通り、今時権力者が女好きであろうとそうでなかろうと、ある程度の節度を持ち、しかりと国を治める事ができれば問題ない。女性を口説く程度なら私の心構え次第では今すぐにでも可能で現実的である。また、今まで私が会って来た中にも布都の様に私の性別に疑問を抱く輩もいたが、女性を口説いていたらその疑問も消えるだろう。確かに改めて考えると非常に効率的な案であった、私が出来ればの話だが。

ものは試し、女は度胸。私は少し意識して笑顔を作ると、布都の手を握る。

 

「ありがとう、布都。最初は驚いたけど素晴らしい案だと思いますよ」

 

「喜んで頂けたのなら何よりです」

 

返ってきたのは純粋無垢な笑顔。やはりただ手を握るだけでは駄目か。考えてみれば、私もただ手を握るだけで口説いているとは思わない。もう少し積極的に試してみようと、今度はもう片方の手を持って布都の瞳をジッと見る。すると布都の余裕のある雰囲気が途端に崩れ去り、どこか落ち着かない物腰になる。

 

「あ、あのう…神子様?」

 

「流石天才と呼ばれているだけあります。私が考えもしなかった視点から布都は物事を考えた。並大抵のものには出来ぬはずです」

 

「そ、そんな事ありませぬ。たまたま、ですぞ?」

 

私の手の平に包まれた両手を気にしているのか布都はチラチラとそちらに視線を反らす。ひょっとしたら引かれているのかもしれないが、相手は私を慕ってくれる布都だ。後で弁解すればきっと許してくれるだろうと、私は更に追い込む。

 

「布都の手は温かいですね」

 

「そ、そうでしょうか?」

 

「ええ、あなたの温もりが私の心まで温めてくれるようです」

 

我ながら何をやっているのだと呆れながらも、ニコッと笑みを浮かべる。てっきり呆れた視線が帰って来ると思ったが、意外に効果があったようで布都は途端に顔を真っ赤にして口をパクパク開く。

これは布都が私を慕ってくれているからか、それとも私に女を口説く才があるのか。後者なら父に差し出せば飛び跳ねて喜ぶだろう下らない才能だが、何にせよそろそろ止めておいた方が良いかと手を放す。

 

「どうでしたか?」

 

「…えっ?な、なにが、ですか?」

 

「何って口説き文句ですよ。試しにやってみましたがどうです?」

 

先程までの私の奇行の意味を説明すると、一度収まった布都の顔がまた首から上へと真っ赤になっていく。それから一瞬キリッと涙目になって私を睨んでくるが、優しく笑顔で返すと怒りは収まったようで、今度はどこか残念そうに溜息を吐く。

 

「ハァ…。言いだしっぺは我ですから今回は強く言いませんが、いきなり口説かないで下さい…。その…心臓に悪うございます」

 

「今からあなたを口説きますねと言って口説く輩はいないでしょう。しかし布都には好評みたいですね」

 

「ななっ!?むぅ~ッ!」

 

少しからかい過ぎてしまったのか布都は頬を膨らましてそっぽを向いた。

布都ならてっきり私の意図を読んでくれるかと思ったので布都で試させてもらったのが、布都の心境を考えると私を慕う彼女を口説いたのは逆効果だったかもしれない。今後は注意しながら少しずつ、相手が本気にしない程度で口説いていこうと思い定めた私は、そっぽを向いている布都のご機嫌取りを始める事にした。

 




エロミミズク 爆 誕 !

神子が女性を口説いているのは全部布都ちゃんって奴の仕業なんだ!


はい、少々真面目な話に移ります。

まずは感想にて色々と飛鳥時代について教えて頂きました。この場を使い改めてお礼申し上げます。教えて頂いたのは以下のこと。

○女性も正座をせずに胡坐をかいていたこと。
○天皇とは呼ばず大王と呼んでいたこと。
○そして一番大きかったのは男尊女卑の思考がさほど強くなかった事ですね。ただ作中で書いていますが、仏教が男尊女卑の思考が強いのは確かだと思います。聖徳太子女性説の理由の一つの様です。

上記はどれも私の知識不足故のものです。申し訳ありませんでした。一番目と二番目は修正できたのですが、三つ目の価値観を変えると今までの文をかなり変更しないといけないので、あえてこのままでいかせてもらいます。この話以降そこまで男尊女卑に関する展開は考えてないので、今後はそこまで重要ではないかもしれません。


このような、文化的なものや飛鳥時代の人の価値観、概念というのはハッキリ言いますと一々調べられません。ですので、わざわざ感想で教えて頂き非常に助かっております。おかげさまで自己評価ではありますが、私の拙い文でも飛鳥らしさが少しは出せている気がします。
ただ史実に関しては大雑把ですが一応調べております。人物の年齢、年代、関係などはオリジナリティを出すために改変しているのもあります。


長々と失礼しました。

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