英雄になりたいと少年は思った   作:DICEK

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迷宮都市に着いて

 『迷宮都市』オラリオ。

 

 この世界で唯一のダンジョンを有するこの街に、夢を持って足を踏み入れる人間は多い。

 

 その夢は地位であったり、名誉であったり、あるいは金であったり女であったり、その姿は人によって様々であるが、それぞれがそれぞれの大望をもって神の家族となり、冒険者となり―ーそして、志半ばにして命を落としていく。

 

 その数は決して少ないものではない。

 

 それでもオラリオを目指し、冒険者になりたいという若者が後を絶たないのは、多くの偉業をなして羨望を集める、数少ない成功者がいるからだ。自分もあんな風になってみたいと思う人間を、誰が止めることができるだろうか。

 

 唯一の親類であった祖父を亡くし、天涯孤独の身となった少年も、そんな大望をもってオラリオにやってきた人間の一人だった。

 

 少年の名前は、ベル・クラネル。14歳の人間種族である。

 

 このベル・クラネル、いかにも冒険者といったいかつい風貌をしている訳でも、腕っぷしに自信がある訳でもない。人と違うところと言えば、誰にどうやって育てられればこうなるのかというくらいの純朴で素直な内面と、ともすれば少女に見えてしまう線の細さくらいである。

 

 彼を見て冒険者に向いているという者はいないに違いなく、ベル本人ですら薄々とではあるが自分の不向きを感じ取っていた。放っておけば気持ちが細ってしまうと思ったベルは、そんな迷いを振り払うかのように生まれ育った地を離れ、オラリオに向かうことを決意した。

 

 そうしてやってきたオラリオである。なけなしの路銀片手に、はるばる時間をかけてやってきたオラリオは、ベルを圧倒した。

 

 ダンジョンを目指して冒険者が集まり、冒険者を目当てに人が集まる。当代、最先端都市の一つに数えられるオラリオのあまりの大きさに、田舎者のベルは飲まれてしまっていた。

 

 目の前の道を行きかう人々を数えるだけで、今まで生きてきた中で出会った人の数を余裕で越えてしまうほどの、人の多さ。人の喧噪は耳にうるさいくらいに聞こえている。今は夕刻。田舎では帰り支度を始めて家に戻る時間なのに、今日の日はこれからとばかりに、人々は皆生き生きとしていた。

 

 亡くなった祖父とその周辺くらいしか世界を知らなかったベルには、オラリオで見る物のすべてが新鮮に見えた。ただ、周囲を眺め立ち尽くすベルははっきりと通行人の邪魔になっていたが、田舎者がそうなることはよくあることである。人口の割合で言えば、オラリオ生まれでない人間の方が圧倒的に多い。かつては自分もああだったと思うと、邪険にできないのが人情というものであるが、世の中、人情だけで回っている訳でもない。

 

 一目で田舎者と解るベルの立ち姿は、ある種の人間にとってはまさに『カモ』だった。ベルはどう見ても金目の物を持っているようには見えないが、人が金を生み出す方法などいくらでもある。そういう輩にとってまずするべきことはカモの身柄を確保することだった。都市が大きくなればなるほど、悪い連中も集まるようになってくる。今このカモに目をつけているのも、自分だけではないかもしれないと、彼らは虎視眈々と、狩人のようにベルとの距離をゆっくりと縮めていったが、

 

「失礼。少しよろしいですか?」

 

 悪い人がいれば、良い人もいる。オラリオでベルに最初に声をかけたのは、ベルから見てとても良い人だった。オラリオの全てに見とれていたベルは、自分に向けられたらしい声に慌てて振り向き――その声の容貌に絶句した。

 

 白い肌に青い目。金色の髪からは、人間のものではない長い耳が覗いている。それは一目で森の妖精、エルフだと解った。お話の中では何度も聞いたことのあるその種族に出会うのは、ベルの短い人生の中でも本当に久しぶりのことだった。思わずじ~っと見つめてしまうベルに、エルフの女性は少しだけ不快そうに、身じろぎをした。

 

「……エルフが珍しいですか?」

「はい! あ、いえ、その……ごめんなさい!」

 

 ベルの正直は長年、彼を知る少ない人間には彼の美徳とされてきたものだったが、全ての人にそうである訳ではない。まして、物珍しいからという理由でぶしつけな視線を女性に向けてしまったのだ。まだ十四歳の子供とは言え、ベルとて男性である。しゅんとなって項垂れるベルに、しかし、エルフの女性は小さく笑みを漏らした。

 

「……正直で誠実なその言葉で、不躾な視線については許します。あまりお気になさらず。ところで、差し出がましいようですが貴方はオラリオは初めてですね? どこか、地方から出てきて今さっき着いたと見受けましたが、どうでしょうか?」

「はい、その通りです。でも、どうして?」

 

 本気で不思議がっているベルに、エルフの女性は沈黙で返した。田舎者が田舎者なことはオラリオで暮らす者ならば誰でも解るのだが、それを直接、しかも本人に向かって口にすることは、やはり憚られる。

 

 しかも相手は見たところ人間の少年である。色々と多感なその時期に、心無い言葉で心に傷を負わせてしまったらと思うと、不用意な言葉は使えないが、女性も決して弁が立つ方ではない。これが自分を救ってくれた人間の友人ならばと、今は職場にいる少女のことを思いながら、女性はベルを傷つけないよう、当たり障りのない言葉を選んだ。

 

「ここに来たばかりの私も、貴方と同じような行動をしていたものですから、気になって声をかけてしまったんです」

「そうなんですか。ご親切にありがとうございます」

 

 にこにこと微笑むベルは、女性の言葉をそのまま受け入れている。その笑顔を見て、エルフの女性ははっきりと悟った。この少年は放っておくと、悪い連中にいくらでも騙されるタイプの人間だ。世間知らずということではこの都市に来た頃の自分も似たようなものだったが、その時の自分には人を疑うだけの猜疑心があった。それは時々女性を傷つけもしたが、同時に守ってもくれた。ベルには必要最低限のそれすら、感じられない。

 

 それを不憫には思うが、今日出会ったばかりの人間の世話をあれこれ焼くのも違う気はする。ベルの年齢と背格好、軽装の旅支度に健康そうな雰囲気からして、冒険者の志望であることは、女性にも察しはついた。

 

 冒険者ならば最低限、自分の身くらいは自分で守るべきである。正義の天秤のエンブレムの下、日々使命に燃えていた頃の女性ならば、今日とはまた違った行動をしたのだろうが、今の彼女はしがない労働者だった。武器を持って戦い、ダンジョンに挑む冒険者ではない。

 

「都会は物騒ですから、注意してください」

「ありがとうございます!」

 

 お礼ばかりを言うベルの笑顔は、女性には酷く眩しく見えた。その笑顔から逃げるように、女性はもう一度小さく頭を下げ、職場に向かって足を向け――

 

「あ、すいません!」

 

 思い出したように声を挙げたベルに、その手を取られ呼び止められた。

 

「その、どうすれば冒険者になれるのか、僕何も知らなくて。良ければ、教えてくれそうな人を教えてくれませんか?」

 

 ベルにすれば至極当然の疑問だった。彼にあったのは冒険者になるという目標だけで、そのための手段については何も知らなかった。唯一、この地に降りた神様と契約しその眷属になることで力を得ると聞いてはいるが、その神様がどこにいるのか全く見当がつかない。この広い都市で神様を探すところから始めなければならないとしたら、田舎者のベルにはお手上げである。

 

 ベルの切羽詰まった声に、しかし女性は彼の顔も見ていなかった。女性の視線はベルが握った自分の手に向けられている。

 

 心を許した人間にしか触れないし、触れさせない。それはどこの集落で生まれ、どんな身分で育ったとしても、エルフならば大なり小なり備わっている習慣のようなものだ。中でも女性のそれは病的と言えるほどで、気心の知れた女性相手でさえ、抵抗なく触れられるようになるには大抵の場合、時間がかかる。男性の場合は言うまでもなく、職場で女性に触れようと絡んできた酔客は、例外なく殴られ投げ飛ばされ、店の外に放り出されてきた。

 

 今まで女性が出会った者の中で、初対面で触れることのできたのは二人だけ。いずれも女性で、男性はいない。眼前の少年は線こそ細いが、誰が見ても男性と解った。今日初めて出会った名前さえ知らない男性に手を握られ、それを振りほどかない自分がいる。それは女性にとって驚天動地のことだったが、握られた自分の手を見ている女性の視線を、ベルは別の意味に解釈した。

 

 慌てて離れるベルに見向きもせず、女性はベルの体温の残る手に視線を落とした。

 

 胸の高鳴りはない。少年に特に好意を感じたりもしない。ましてこの少年が、生涯を添い遂げるべき運命の相手とは、どうしても思えなかった。

 

 自分の意思ではない、言い知れない力を思わずにはいられない。『絶対に逃がしてはダメ』という、今は亡き親友の声が聞こえた気がした。

 

 運命の相手とは思わない。それでも、この縁を逃してはならないと、女性自身も思った。職場に向いていたその女性の足は、気づけばベルに向き直っていた。

 

「ギルドという、冒険者の管理をしている組織があります。今現在何も知らないのであれば、今後どのファミリアに所属するにしても、まずはそこで話を聞くのが良いでしょう。ですが、今の時間では新規の人間は相手をしてもらえないかもしれません。まずは宿を探して、明日出直すのが良いと思いますよ」

「何から何まで――」

「何も親切で言ってるのではありませんよ? 等価交換というのが、世の原則らしいですからね。ですので、私は今の情報の対価を貴方に要求させてもらいます。実は私は、とある酒場に勤めています。今日の食事を何にするか、まだ決まっていないのであれば売上に貢献していただきましょうか」

「それくらいなら……」

 

 それも、エルフの女性の親切と解釈したベルは、笑顔でその要請に応じることにした。

 

 ちなみに。ベルも女性も気づいていなかったが、二人のやり取りを見守っていた『悪い人』たちは、『やるな……』とか『やはりエルフか……』などと呟いて三々五々散っていった。彼らは女性を、自分たちと同じ側だと解釈したのである。親近感を覚える話題を振ってから、自分のテリトリーに引っ張り込む。これでぼったくった料金を請求するのが、田舎者を騙す定番だったからだ。女性が善人で、さらにその職場が真っ当な店であったことは、ベルにとっても幸運なことだった。

 

「では、私もお使いの途中なので早速案内しましょう。私が作る訳ではありませんが、料理は絶品ですので楽しみにしていてください」

 

 地味に都会の料理を楽しみにしていたベルの腹が、大きな音を立てた。溜らず恥ずかしさで顔を真っ赤にするベルに、エルフの女性は穏やかな笑みを漏らした。

 

「自己紹介がまだでしたね。私の名前はリュー・リオン。種族は見ての通りエルフで、『ただの』ウェイトレスです。どうぞ、よろしくお願いします」

 

 

 


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