英雄になりたいと少年は思った   作:DICEK

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ベル・クラネルの長い一日④

 

 

 

 

 

 

 

 エリクサーによる応急処置が完了したベルは、そのまま地上へと運びだされた。大事を取って、ティオナによるお姫様だっこのオマケ付きである。これには仮にも男子であるベルは強く抵抗したが、他全員の賛成に無理やり却下されてしまった。

 

 多数決+女の強権を振りかざしているようにも見えるが、実のところそうではない。

 

 エリクサーは傷を治してくれるが、失ったものを補充してくれる訳ではなかった。例えば腕を千切られ、その腕が完膚なきまでに破損してしまった場合、身体の負傷個所にエリクサーを振りかけても、腕は生えてこない。同様に、大量に失った血液は如何にエリクサーで傷が治癒されても、戻ってはこないのだ。今のベルは完全に血が足りていない状態である。冒険者の常識に照らし合わせれば、絶対安静の状態だ。血の足りない人間を、無事なアマゾネスが運ぶのは当然のことだった。

 

「リヴェリア様!!」

 

 駆けだしたリヴェリアたちを見送り、その場で処理に当たっていたエイナが駆け寄ってくる。

 

「エイナか。済まないが、ベルはこのまま黄昏の館に連れていくぞ」

「細かいところは、私の方で処理しておきます。ミノタウロスが出たポイントは?」

 

 エイナが広げた一層の地図の一点をリヴェリアが示す。浅い階層については地理の把握は進んでおり、ギルドもその地図を保有している。エイナが持っているのは、ギルドの職員ならば携帯を許されている簡易版だ。

 

「了解です。それでは、よろしくお願いします!」

 

 エイナの言葉を受けて、完全武装の冒険者数名が隊伍を組んでダンジョンに向かって歩き出す。第一層にミノタウロス出現という知らせを受けて、ギルドは緊急の依頼を発した。彼らはその依頼を受けて編成された討伐隊である。件のミノタウロスはベルが撃破したが、一匹見たら他にもいると疑ってかかるのが冒険者として当然の判断である。

 

 一度発見された以上、調査の手が入り安全と判断されるまで、レベル1の冒険者はダンジョンに入ることもできない。彼らは討伐の他に、安全確認も兼ねていた。

 

 討伐隊の冒険者は、ティオナに抱えられたベルに笑いかけるとすれ違い様に肩を強く叩いていった。冒険者歴の浅いベルは、彼らの行動の意味が解らずぽかんとしてしまう。ベルの疑問に応えたのは、お姫様だっこをしているティオナだった。

 

「よくやったな、ってことだよ」

「僕、あの人たちに会ったことないんですが」

「そんなの関係ないよ。すごいことをしたら、皆で大騒ぎする。冒険者なら当然だよ。一緒に喜ばなくちゃ!」

 

 そも、冒険者として褒められたことのないベルには、こういう時にどうするのが普通なのか、という知識もない。他人が偉業を達成した時、周りの者がどうしているのか。そういう体験を経て大抵の冒険者は、冒険者の流儀というものを学ぶのだが、ベルにはそれが欠如していた。

 

 本人の意図しないところで、レベル1の冒険者であるロキ・ファミリアの某がミノタウロスを撃破したという噂は、この間にもオラリオ中に広がり始めていた。その偉業からすればランクアップは間違いない。その内、二つ名と共に、ギルドから布告があるだろうが、ここに集まった面々はそれを待たずに詳報を知る権利を得た幸運な連中である。

 

 白髪に赤目の人間という、中々印象深い容姿のこの少年が、ミノタウロスを撃破したのだ。既に飛び回っている無責任な噂に、彼らの目撃談が加わるのも、そう遠くない未来の話であるが、今は今の話だ。

 

 そこに集まっていた面々はそのほとんどがベルのことを知らなかったし、ベルも彼らのことを知らなかった。人間もいれば、エルフもドワーフもいる。年齢も性別も様々、共通点と言えばダンジョンに関わっているというくらいで、ギルドの職員をはじめ、冒険者でない者も大勢いる。

 

 そんな彼ら彼女らは、少女に抱えられたままの、あまりかっこいい状態とは言えないベルに、惜しみない拍手を送った。レベルで勝るモンスターに単独で挑むことの恐怖を、冒険者は良く知っている。偉業をなした者を褒め称えることを、渋る者はここにはいなかった。

 

 自分に拍手が向けられるなど、夢にも思っていなかったベルは、変わらずぽかんとしている。普通はここで拍手に対する返礼の一つもするものだが、その辺りの作法をベルはまだ理解していなかった。

 

「すまないが、これは負傷している。正式な発表はその内ギルドからあるだろうから、そちらを参照してもらいたい」

 

 助け船を出したのは、リヴェリアだった。オラリオに名高い『九魔姫』の言葉は、全ての冒険者に瞬く間に染み渡った。拍手に区切りをつけた冒険者たちは三々五々、その場から散っていく。一部は討伐隊を追って、我先にとダンジョンに突撃していく。依頼を受けたのは先の討伐隊の面々だけだが、その手伝いをしたということでも報酬はもらえるだろう。何か明確な実績を出す必要があるが、ミノタウロスを問題なく撃破できるレベルであれば、討伐隊に乗っかるのはそれなりに美味しい案件だった。

 

 何しろただ撃破しただけで、その行為に報酬が付くのだ。おまけにギルドに恩を売れるとなれば、手を出さない理由はなかった。

 

 リヴェリアの言葉に納得した冒険者たちの間を縫って、ベルたちは黄昏の館ホームに戻る。黄昏の館に残っていた団員にも、ギルドから事のあらましは伝わっており、ティオナに抱えられたベルについても、特に質問をされることはなかったが、

 

「ルートたちは?」

「全員医務室に。沙汰はこれから、団長たちが話し合って決まると既に神ロキから布告が」

「解った。要らぬ情報が拡散しないよう、留意するように」

 

 緊急時である。ルートたちの行動は全体としても見れば最適だったのかもしれないが、新人一人に殿を押し付けたという負い目は消えない。血気盛んな連中もいる。そういう連中から袋叩きにされる可能性を、リヴェリアは危惧していた。噂が広まる前に黄昏の館で確保できたのは、彼らにとってもファミリアにとっても幸運だった。

 

 その後、守衛に簡単な指示を出して、リヴェリアたちは男子塔にあるベルの部屋に直行する。訓練は訓練場で、座学はリヴェリアの部屋で行うため、ベル以外はこの部屋に入る機会はとても少ない。この中ではリヴェリアが一度入ったことがあるくらいだ。

 

 根本的に物が少ないという理由で、整理整頓されているように見える殺風景な部屋だ。寝台と文机がある以外には、ほとんど物がない。実家から持ち出してきた英雄譚と、身の回りのもの。それ以外はリヴェリアがこの部屋に置いていった、鏡があるくらいである。

 

 ここがベルの部屋、ということを思ったレフィーヤの身に緊張が走った。男性の部屋に入るなど、記憶にある限りでは実家で父の部屋に入って以来である。

 

 一人どきどきするレフィーヤを余所に、ティオナはベルを寝台に寝かしつけた。ダンジョンの入口でベルの危機を知って以来、リヴェリア達は漸く一息ついた。ベルを含めて誰も死んでいない。ファミリアとしても個人としても上々の結果である。

 

「まずは、良くやった。お前の偉業を、私は誇らしく思う」

 

 レベル1の冒険者が、単独でミノタウロスを撃破したのだ。レベル2以上の冒険者は数いれど、ベル以上の功績をレベル1の時に成し遂げたものは少ない。ロキ・ファミリアの中でも、フィンやアイズくらいのものだろう。今では名を馳せている面々でも、自分よりレベルの高いモンスターに単独で挑むなど、そうできるものではない。

 

 リヴェリアからの直球の褒め言葉に、ベルは照れ笑いを浮かべるが、そんなベルにリヴェリアは手を振りぬいた。乾いた音が部屋に響く。笑顔から一転。頬の痛みに、ベルは混乱していた。彼には自分が何故怒られたのか理解できなかった。

 

 これは本来ならば、もっと早くに教えておかなければならなかったことだ。ベルの信じられない程の成長速度にリヴェリアも手順を失念していた。

 

「状況から察するに、お前は仲間の撤退を援護するために一人で殿を務めた。レベル1の冒険者複数でミノタウロスを撃破することが現実的でない以上、誰かが残って足止めをするというのは、『より多く』が生き残るためには現実的な選択だ」

 

「私が問題にしているのはな、ベル。お前があくまでもミノタウロスの撃破にこだわったことだ。撃破することができれば無論、撤退のためにこの上ない援護になることだろう。しかし、お前自身もレベル1であることを、まさか忘れていた訳ではあるまいな」

 

 何故、怒られているのか理解できると、ベルは意気消沈した。言われてみれば、当たり前の話である。冒険者は冒険してはいけない。ギルドではエイナにも、日々言われていることだ。自分の身も守れないようでは、他人の命を預かることなどできるはずもない。

 

「身命を賭すことを悪いとは言わない。冒険をしていれば、そうしなければならない時もあるだろう。だが、そうでない時、我々は最大限、生き残ることを考えなければならない。私をはじめ、今のお前には沢山の家族がいる。死んだり、傷ついたりすれば、悲しむ者がいることを忘れないようにな」

「…………はい、絶対に忘れません」

「結構。ならば、わたしから言うことは何もない。繰り返すが、よく頑張ったな。私はお前のことを、とても誇りに思うよ」

 

 優しい声音に戻ったリヴェリアは、ベルを抱きとめた。物心ついた時から、母のいないベルである。リヴェリアの抱擁は、見たことのない母親を思い起こさせた。そのままであれば声を挙げて泣いていただろう。その気配を何故か察知することのできたリヴェリアは、ベルの背中を軽く叩くと彼から離れた。名残惜しくはあったが、これから副団長としての仕事がある。

 

「レフィーヤ、今日はベルについてやれ。また勝手にミノタウロスに突撃しないよう、しっかりと見張れよ?」

「あの、流石に誰か見舞いに来ると思うんですが……」

「誰であろうと叩きだせ。何だったら私の名前を出しても構わない」

 

 何時にない力強い言葉に、レフィーヤも苦笑を浮かべる。

 

「私はロキに事の顛末を報告してくる。ティオナ、お前はティオネとベートと、それからアイズを見つけて『ロキの部屋まで来い』と伝言を頼む」

「ティオネは街にいると思うけど、アイズとベートはダンジョンなんじゃないかな……」

「私は見つけて伝言を頼むと言ったぞ?」

 

 リヴェリアの声音には、有無を言わせない迫力があった。ダンジョンから出てきたと思ったら、またダンジョンにトンボ返りだ。水浴びをしたいという理由で18層までふらっと行けるだけの力のあるティオナだが、あの広いダンジョンで特定の存在を見つけることは一苦労だった。

 

 リヴェリアも、それは良く解っている。それでもなお、ティオナにいつ終わるのか解らないような指示を出したのは、レフィーヤにベルと2人きりになる時間を作ってやるためだった。ティオナもそういう配慮だというのは解っていたが、理性と感情は別である。面倒くさいものは、いついかなる時でも面倒くさいものだ。

 

 如何に面倒くさくても、副団長としての指示ならば団員の一人として従わない訳にはいかない。渋々と行った様子で部屋を出るティオナに次いで、リヴェリアも部屋から出ていく。部屋に残されたのはベルとレフィーヤの二人になった。

 

「……私が言いたかったことは、全てリヴェリア様が仰ってくださいました。ですので、私から言うことは一つだけです。ベルが死んだら、私は泣きますからね? 良く覚えておいてください」

「解りました」

 

 言い難いことは、全てリヴェリアが言ってくれた。お誂え向きに、ここはベルの部屋で二人きり。誰か見舞いに来るともしれないし、邪魔をされずに誉めるのは今しかない。

 

「責めてばかりでは何ですから、私からミノタウロス単独撃破のご褒美をあげます。何か、リクエストはありますか? 私がきける範囲のことなら、きいてあげますよ?」

「ほんとですか!?」

「――あんまり、無茶なことは言わないでくださいね?」

 

 ベルの食いつきの良さに、レフィーヤも及び腰になる。自分は女でベルは男だということを、今さらながらに思い出したのだ。もし卑猥なことを要求されたらどうしよう、と身を固くするが、そうなってから言ったことを反故にするのはどうなのだろうかと思わなくもない。

 

 思わせぶりなことを言ったのは自分で、既にベルは期待を持っている。ベルの期待を言った傍から裏切るのは、レフィーヤとしては忍びない……

 

 ベルがミノタウロスを単独撃破したのは、冒険者として褒めたたえられるべき偉業である。頑張っているベルを、褒めてあげたいとも常々思っていた。レフィーヤにとっても、これは良い機会と言える。ベルだって節度くらいは弁えているだろうから、卑猥なことでも『多少』ならば、きいてあげても良いかもしれない。

 

 一体何を言われるんだろう。どきどきしながら言葉を待つレフィーヤに、ベルは言った。

 

「レフィーヤの耳を触らせてもらえませんか!」

「…………耳ですか?」

「はい、耳ですっ!」

 

 ベルの力強い言葉を聞いたレフィーヤは、何だか自分が果てしないバカに思えてきた。散々期待を持たせておいて、耳である。こうなると、一人で悶々としていたことがとても恥ずかしい。

 

 とにもかくにも、たかが耳だ。用もないのにぺたぺた触られまくるのも困るが、それくらいならばご褒美枠を使うまでもないことだ。レフィーヤはベルに背を向け、髪をかきあげた。意図せず曝け出された普段は髪で隠されている真っ白な項に、逆にベルの方がどきどきしてしまう。

 

「どうぞ、好きなだけ触ってください」

 

 レフィーヤとて、エルフである。他人に、それも異種族の異性に肌を触られることに、抵抗がない訳ではないが、ベルなら良いか、という思いの方が強かった。

 

「それでは……」

 

 とベルはそっとレフィーヤの耳に触れる。エルフの耳、というと特に人間の男性はそれに神聖性を求める傾向が強いのだが、生物学的にはエルフの耳は、人間のそれと大差ない。違うところと言えば形くらいのもので、特別固かったり柔らかかったり、まして人間の男性が好んで購入する猥本のように、性感帯だったりすることはないのである。

 

 なので、レフィーヤにとってこの行いは『耳を触られている』以上のことではなかった。少しくすぐったく、他人の触れられている非日常感こそあるが、それだけだった。僅かに頬が朱に染まっているのは、異性に――ベルに耳を触られることが、思っていた以上にくすぐったかっただけである。それ以上の意味はない。

 

「ありがとうございました」

 

 一頻り触って満足したベルは、笑顔で指を引っ込めた。エルフの耳を触ることは彼にとって一つの夢だったのだが、それが叶った瞬間である。

 

「楽しんでもらえたようで、良かったです。さ、今日は疲れたでしょうからもう休んでください。対応は、私がやっておきますから」

「あの、レフィーヤ」

 

 食堂からお茶でも持って来ようかと席を立ったレフィーヤを、ベルが呼び止めた。

 

「……ただ触らせてもらっただけじゃ、やっぱり悪いです。何かお返しにしてほしいことはありませんか?」

 

 この子は本当に、ご褒美という言葉を理解しているのだろうかと不安になるレフィーヤだった。そんなものはいらないというのが姉貴分としての正しい行いなのだろう。レフィーヤはご褒美のつもりでベルのリクエストをきいた。その傍から返礼を受け取っていては、ご褒美の意味がない。

 

 だが、してほしいこと、とベルに言われるとレフィーヤの欲も刺激された。禁欲的であると言われるエルフであっても、レフィーヤとて年頃の少女である。してほしいこと、してほしいこと、と反芻したレフィーヤの脳裏に最初に思い浮かんだのは、

 

「それじゃあ、私の呼び方を変えてもらえますか?」

「レフィーヤと呼ぶのは、もしかして失礼だったでしょうか……」

「そうじゃありません。もっと親しみを込めて呼ぶようにしてください。昔、家族は私のことを『レフィ』と短く呼んでました」

 

 呼べとは言わない。あくまで事実を伝えるだけでも、ベルはレフィーヤの言いたいことを十分に理解できた。

 

「わかりました。じゃあ…………レフィ」

 

 しん、と部屋が静まり返った。

 

 名前を縮めて呼ばれただけだが、それが思いの他心地よかったことにレフィーヤは驚いていた。不満があるとすれば、ベルが随分あっさりと女性のあだ名を口にしたことだ。女性の名前を呼ぶことに、抵抗がないのだろう。もう少し初心な反応をしてくれても良さそうなものなのに、という気持ちはあるが、これからレフィと呼び続けてくれるならば、それも良いかと許せるように思えた。

 

 レフィーヤが知る限り、ベルが女性をあだ名で呼んだことはない。少なくとも、このオラリオにはいないはずだ。オラリオで一人だけ。そう思うと、自然と頬が緩んでしまう。

 

「お茶をもらってきます。ベルは寝ていてください」

 

 宣言して、ベルの返事を待たずに部屋を出ていく。振り返ると、閉めた戸にはこう書いてあった。これならば誰も入って来れないだろう。足取り軽く、食堂へと歩き出した。

 

 

 

『白兎の安寧を妨げるべからず。面会謝絶。我が名はアールヴ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




気づいたらレフィーヤ回になっていました。
スキル詳細は次回になりますごめんなさい。

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