1、
「ファイたん、ちょっと話があるねんけど」
会議が始まる少し前、見知った後姿を見かけたロキは軽い気持ちで声をかけた。癖のある赤毛にパンツルック。右目を覆う黒い眼帯をした鍛冶の神は、ロキの姿を見て首を傾げた。
「貴女が改まって話なんて、珍しいわね。どういう要件かしら?」
「実はな、うちの子に武器を作ってほしいんや」
「貴女の子って言うと、噂のベル・クラネルかしら」
「せや。うちもそうやけど、リヴェリアが結構入れ込んでてな。予算はいくらかかっても構わんから、すぐに武器を作ってほしいやけど、どない?」
最大手ファミリアの一つであるロキ・ファミリアの冒険者用の武器、それも主神からの依頼である。加えていくら予算を使っても良いとなれば、如何にヘファイストスと言えども断る理由はないのだが、鍛冶の神から返ってきたのは、ロキの望むものとは違う返答だった。
「貴女の頼みだし、私も彼には興味があるから引き受けてあげたいけど、その条件ならお断りするしかないわね」
「……どういうことや?」
「既に大口の依頼を受けているの。明日から仕事に取り掛かって二週間はかかりきりになると思うから、すぐにというリクエストにはお応えできないわね。その後からでも良ければ請け負っても良いけど、そこまでは待てないんでしょう?」
「……間が悪いなぁ、一体どこのどいつやねんな、その空気読めんのは」
「ウラノスよ。祭具をいくつか注文を受けているの」
あぁ、とロキは心底悔しそうな溜息を漏らした。相手がギルドを率いるウラノスというのもあるが、依頼したのが祭具となると、オラリオに腰を落ち着ける神としては、口を挟む訳にもいかない。
「どうしてもすぐに、ということなら椿に話を通しておくわ。当面はそれで構わない?」
「まぁ、すぐに必要や言うたのはこっちやからなぁ。すまんな、気ぃ使わせて」
「こっちこそ。要望に応えられなくて申し訳ないわね。いずれ必ず作ると、リヴェリアにも伝えておいてもらえる? その時は可能な限り、リクエストには応えるから」
「ありがとな。楽しみにしてるで」
2、
『神会』
オラリオの実質的な意思決定機関であり、冒険者を統括するギルドや神々個々の勢力であるファミリアと並んでオラリオで最も権威ある機関の一つである。
定期的な召集は三ヶ月に一度。ガネーシャ以外の神の中から適当に議事進行役が選ばれると、三か月の間に山積した議題を処理し、軽い情報交換をした後に、レベル2にランクアップした子供たちへの命名式が行われる。
取り立てて、差し迫った危険のなかった今回は、議題は極めて適当に処理をされ、かつてない程の早さで命名式へと移った。『暁の聖竜騎士』『美尾爛手』『絶†影』など神々の優れた感性によって痛い名前が子供たちに次々と付けられていく中、今回、最も神々の注目を集めた子供の命名へと場は進む。
「最後はうちのベルやなー」
非常に軽い口調と共にロキは居並んだ神々を見渡した。それまで自由闊達に痛い名前を提案していた神々が、その一睨みで押し黙ってしまう。『神会』において、神の発言力は率いる子供の数と強さで決まる。最大規模のファミリアを保有するロキの発言力は、フレイヤと並んでトップクラスのものだ。この場においてロキに意見できる神は少なく、また子供にとっては一生ものである二つ名について、痛い名前を提案できるほど勇気のある神もいなかった。
ロキ・ファミリアの子供が二つ名をもらう時には、大抵こんな空気になる。他の有力ファミリアの場合、例えばヘファイストスやガネーシャなどは痛くない名前という前提で他の神から候補を募るのだが、ロキの場合は彼女が自分で考えた名前を付けることが多い。
レベル1から2への最短記録の大幅更新というイレギュラー中のイレギュラーであるベルの二つ名であるが、今回もそれは同様だった。自分で考えた名前を提案し、それを形だけの承認で締めくくる。今回もその作業だけでベルの命名は終了するはずだったのが、一柱だけ、ロキの眼光を受け止めた女神がいた。
それが旧知の存在であったことに、ロキは眉を顰める。自分に意見をするとしたら、こいつしかいないという程、ロキからすれば因縁めいた相手だった。『神会』においてロキが高い発言力を有するのと同様に、彼女もまた、ロキと同等の発言力を持っている。いかにロキでも、彼女を無視ことはできなかった。
その旧知の存在――女神フレイヤは、わざとらしく居並んだ神々を見回した。
「誰もいないのかしら? それなら、私から良いかしらロキ」
にこにこと、機嫌良さそうに微笑んでいるフレイヤに、ロキを含めた神々は不吉なものを覚えた。言葉の内容も問題である。彼女はそもそも会合には参加しないことが多く、しても意見を言うことは非常に少ない。
それが戦力として拮抗しており、神話の時代からの友人であるロキの子供の二つ名命名に意見をするのだから、これにきな臭さを感じるなというのは無理な話だ。地元を同じくする二柱の神に、その二柱以外の神々は、さっと視線を交わし合う。
最近、この二人に何かトラブルはあっただろうか。
それについては全員が否と感じたが、一部の神はフレイヤが今回、声を挙げた理由について思い当たっていた。今まさに二つ名をつけられようとしているベル・クラネルというロキの子供の動向を、逐一報告するようにと依頼を受けていたからだ。
決して他言するなと厳命されていたため、最も信頼のおける子供――言い換えればフレイヤのファンである子供を使ってベルの調査に当った。吸い上げた情報は全て隠すことなくフレイヤに伝えられたが、その過程でベルの情報を見た神々は、彼が異常な速度で成長していることを、オラリオにミノタウロス撃破の情報が広まるよりも先に掴んでいた。その成長速度を考えれば、フレイヤが執心するのも頷ける。
そして、フレイヤは執心した子供を他の神から過去にも何度か奪ったことがある。それによるトラブルも後を断たず、ギルドから勧告を受けたことも一度や二度ではないが、対抗派閥であるロキ・ファミリアから奪ったことは一度もなかった。
理由は簡単だ。他のファミリアであれば例え『戦争遊戯』を行う事態になったとしても余裕を持って勝つことができるが、同等の戦力を有するロキ・ファミリアが相手では勝敗が不明瞭になるどころか、最悪負けることも考えなければならないからだ。
フレイヤも謀に優れた女神であるが、かつて『トリックスター』とまで呼ばれたロキはそれと同等以上の悪知恵を持っている。それを運よく完全に出し抜き、仮に勝てたとしても、ファミリアが大ダメージを受けることは想像に難くない。
如何にフレイヤ・ファミリアが猛者揃いと言っても、ロキ・ファミリアと全力で戦った後に抗争をけしかけられればなす術はないだろう。子供の件で方々に良く思われていないということもあるし、ただでさえ男神にモテるフレイヤは色々な女神からやっかみを受けている。
特に、歓楽街を取り仕切っているイシュタルとは、イシュタルからの一方的なものではあるが犬猿の仲である。彼女ならばフレイヤがロキとの戦いで消耗したとなれば、喜んで抗争を仕掛けるだろう。ロキ、フレイヤ両ファミリアには劣るものの、イシュタル・ファミリアも大手の一角で雑魚ではない。フレイヤ・ファミリアとて大打撃を食らうだろうが、そうなると彼女のファンである男神も黙ってはいないだろうし、それが面白くない女神も黙ってはいない。
最終的に多くの神を巻き込んだ大規模な闘争になる可能性を、この二柱の女神の衝突ははらんでいるのだ。特に片方がフレイヤというのが問題をややこしくしている。生来の性格から打算で動くことのできるロキはフレイヤと本格的に喧嘩をすればどういうことになるか良く理解しているが、快楽主義的なところにあるフレイヤはやると言ったらやる。
全ての男性を恋に落とす魅力的な笑顔を浮かべているフレイヤを他所に、居並んだ神々は一抹の不安と微かな興奮を覚えていた。その先に破滅しか待っていなかったとしても、闘争は神々の好奇心を刺激するのである。あのロキとフレイヤが衝突すればどういうことになるのか。気にせずにはいられない。
「……なんや、フレイヤが発言するなんて珍しいな」
「たまには私も参加しないと、忘れられてしまうかもしれないでしょう? それにせっかく参加したのだもの。楽しまなくちゃ勿体ないわ。それで、私もいくつか二つ名を考えてみたの。聞いてもらえるかしら」
「まぁ、昔の好や。言うだけ言うてみい」
「ありがとう。貴女のそういう優しいところ好きよ」
本音を言えば、さっさと自分で考えた名前を付けて閉幕させたいところだが、フレイヤの発言である。ロキと言えども無視することはできない。にこにこ笑う昔馴染みに先を促すと、フレイヤは機嫌良さそうに言った。
「あの子、かわいい顔をしているし。 『
「なんでやねん!!」
神話の時代からの付き合いだから何を言いそうというのは顔を見た段階で予想できていたが、案の定だ。まるで自分の子供であるかの名前の付け方に、元々気の長い方ではないロキは一瞬でキレた。
ちなみにヴァナディースというのは女神フレイヤの別名であり、間違っても男性に付けるような名前ではないのだが、ロキがこだわったのは女性用であることよりも、フレイヤ寄りであることだった。
「あら、お気に召さない?」
「当たり前やろ! ベルはうちの子やぞ!」
「それならこういうのはどう? 『
「せーやーかーらー! 何でお前の子供みたいな名前になっとんねん! いい加減にせんとドタマかち割るぞ!」
テーブルを挟んで向こう側にいるフレイヤにロキは吠えるが、フレイヤは柔和な微笑みを崩さない。いつも通りと言えばいつも通りのやり取りである。特に付き合いの長いロキとは、からかいの度合いは一段と強い。
しかし、いつものフレイヤならばこの辺りでからかうのを止め、話を先に進めている。調子こそいつもと同じなのに、いつにも増して強硬な姿勢だ。二つ名についても冗談である風を装っているが、ロキに怒鳴られても一歩も退かない辺り、本気で言っているのだろう。笑顔のフレイヤとキレるロキ。いつも通りの風景であるが、いつも以上に『神会』の空気は緊迫していた。
これはいよいよヤバいかもしれない。ロキの忍耐にも限界がある。これでロキがきれてフレイヤに手を挙げるようなことがあれば、ファミリア間の抗争は避けることはできない。そうなれば、オラリオ全域を巻き込んだ大規模な『戦争遊戯』に発展しかねなかった。
居並んだ神々のほとんどが、『そろそろ止めた方が良いんじゃないか』と思っていたが、ロキとフレイヤの口喧嘩である。巻き込まれたらと思うと、二の足を踏まざるを得ない。これに割って入れるとしたら、それはよっぽど考え無しのお馬鹿さんか、正義感にあふれたアホか、ただ単純に良い奴かのどれかだろう。
そして――
「もうその辺にしておいたらどうだ?」
ついに二柱の神に割って入ったのは、その三番目。単純に良い奴であるミアハだった。当たり前のように仲裁に入ったミアハに、普段は対立しているディアンケヒトでさえ内心で喝采を送っていた。誰も彼も、大手の戦争に巻き込まれるのは御免なのである。
「子供の二つ名に熱心になるのは悪いことではないが、それで我々が争っていては意味がない。二つ名を付けられる子も、争った末にそうなったと知れば心を痛めるだろう。聞けば、このベル・クラネルという子供は大変に性根真っ直ぐな子供だということだが、どうなのだ?」
ミアハの視線がロキに向く。自分の子供のことだ。ここに居並んだ神々の誰よりも、ベルのことを知っているという自負がロキにはあった。子供だって、ケチのついた二つ名を付けられたら嫌だろう。ベルのことを引き合いに出されたら、ロキも怒りを引っ込めざるを得なかった。
「すまんな、フレイヤ。うちもちょっと熱くなってもうたわ」
素直に謝罪の言葉を述べたロキに、神々の視線がフレイヤに向く。如何にフレイヤでも、その場の空気というものを無視することはできない。神心を操ることに才能を発揮しているフレイヤであるが、それは女神フレイヤというキャラクターの上に成り立っている部分も大きい。
ベルの二つ名はフレイヤにとっても譲れない物ではあったが、ここで更に食い下がって空気の読めない女神と思われるのは、フレイヤとしても避けたいところだった。ミアハの仲裁と周囲の視線。本気でベルの二つ名に干渉するつもりだったフレイヤは、それで折れた。
「……そうね、私も言い過ぎたわ。ごめんなさいね、ロキ。貴女の子供なのに」
フレイヤからも謝罪の言葉が出たことで、神々からも安堵の溜息が漏れた。ところが、一つの問題が解決したところで、また新たに問題が持ち上がった。
「さて、このベル・クラネルの二つ名をどうするかということだが……」
ミアハの言葉は、神々全員の疑問だった。ミアハが仲裁に立ってロキとフレイヤが争いを止めた以上、慣習に従うならばロキに命名権が移るのが当然なのだが、一応争いが収束したとは言えそれではフレイヤの面目が一方的に潰れてしまう。
波風立てずに収束させるならば、ロキにも命名を諦めてもらうのが良い。親である彼女にとっては業腹だろうが、無難に収束させるためにはこれしかなかった。
「……無難なところを僕らで考えようか」
ミアハの問いを引き継いだヘルメスの提案によって、神々はいつになく真面目に、ベルの二つ名を考え始めた。普段ふざけているせいで、最初から無難というテーマが決まっていると中々決まらない。二つ名を決めるに当たり、神々が費やした最長記録を更新し、ようやくベルに与えられた二つ名は、オラリオの歴史に残る無難オブ無難な二つ名となった。
ロキ・ファミリア所属、冒険者ベル・クラネル。与えられた二つ名は『
本来ヘファイストス製の武器だけ買うはずだったのが、椿製の武器まで買うことになったので、ヘファイストス・ファミリアの収入は地味に増えています。
ベルくんにはナイト・クローラーとかクイック・シルバーとかかっこいい二つ名を付けたかったのですが、フレイヤ様が自分で付けたがったという話の都合上、原作と変わった上に無難なものとなりました。小人の四人組? 知らない人たちですね。
『ベル・クラネル? あぁ……ミノタウロスに襲われてた。可哀想に。残念だよ、惜しい奴を亡くした。あんなトマト野郎でもいないと寂しいもんだな』
次回、武器を作ろう回です。