英雄になりたいと少年は思った   作:DICEK

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豊穣の女主人亭

「ただいま戻りました」

「リュー、おかえりニャー」

 

 「豊穣の女主人亭」に入ったベルとリューを出迎えた猫人の少女は、同僚のリューに連れがいたことに驚き、それが男性であったことに更に驚いた。くるくると動く大きな目に好色の色が宿ったのを見て、リューはしまったと思ったが、その制止の声は一瞬だけ間に合わなかった。

 

「皆、大変ニャ! リューが男を連れて戻ってきたニャ!!」

 

 猫人の大音声に、なんだどうしたとウェイトレスたちが仕事の手を止めて寄ってくる。人種、年齢もまちまちであるが揃いも揃って見目麗しい女性の集団に軽くパニックになっているベルの横で、リューは深々と溜息を吐いていた。集まってきた面々の中に、「豊穣の女主人亭」の女将であるミアの姿もあったからだ。

 

 そのミアが、一歩前に出てベルをじろりと見下ろす。大柄で結構な強面の彼女がそうするのを見て、リューは頭に思い浮かんだ『オークに襲われる人間の女性』の図を、軽く頭を振って振り払った。

 

「ウサギみたいな小僧っ子だね。その辺で拾ってきたのかい?」

「右も左も解らないようだったので、連れてきました。冒険者志望のようです。名前は――」

「ベ、ベル・クラネルです!!」

「冒険者ねぇ……」

 

 自己紹介を受けたミアの目が、ベルに向く。

 

 彼女はドワーフであるが、身長はまだ少年とは言え、ヒューマンであるベルよりも頭一つ以上高く、横幅はその三倍くらいある。今は食堂の仕事着を着ているが、これで武装でもしてたらその迫力は凄まじいものになっていただろう。

 

 自分よりも高い位置からじろりと見下ろす強面の女将の姿に、彼女と初対面のベルは思い切り腰が引けていた。それも無理のないことである。同僚で部下であり、ミアの人となりを良く知っているウェイトレスたちでさえ、酔客相手に凄むミアにはびびる時がある。ベルの気持ちがよく理解できたウェイトレスの一部がベルの行動にうんうんと訳知り顔で頷いていたが、ミアは背中に目でもついているかのように振り返り、ベルに向けていた以上の迫力をウェイトレスにぶつけた。

 

 猫人のウェイトレスは耳を逆立て、身震いすると、

 

「……仕事に戻るニャー」

 

 仲間を連れ、言葉の通り仕事に戻った。とは言え、全員がそれに従った訳ではない。一人残ったウェイトレスは、変わらず興味深そうに、ベルのことを眺めていた。耳は普通、尻尾もないことから、ベルには彼女が人間と解った。

 

「……そんなに良いもんじゃないと思うけどねぇ、冒険者なんて。まぁ、リューが声をかけたのも何かの縁だ。あんたの郷里じゃ食えないようなもんを使って、料理を拵えてやるよ。小兎、あんたどこの出だい?」

 

 ベルの告げた地名に、ミアは心当たりがなかった。オラリオでの暮らしは長いが、周辺の地理にまで通じている訳ではない。そこで彼女はベルにオラリオまでかかった日数とやってきた方角、それから住んでいた場所の周辺の状況などを聞き、大体あの辺り、という当たりをつけた。ついでにベルが、一定以上の読み書きと計算ができることも理解する。

 

「山育ちか。なら、魚料理でも出してやろうかね。だが、今は仕込みの最中だ。店が開くまでまだ時間はあるから、その間にこいつと一緒に待ってな」

 

 そう言って、ミアがベルに押しつけたのはテーブルの脇に置いてあったモップだった。食事をしに来たのに、掃除用具を渡されると思っていなかったベルは、モップを手に目を瞬かせる。

 

「あの、これは?」

「あんたの郷里じゃどう呼ぶのか知らないが、オラリオじゃそいつをモップって呼ぶんだよ。渡した意味は、働かざるもの食うべからずってことさ。さあ、働いた! 働いた!! ただ座ってるだけで飯が食えるのは、牢屋の罪人と神様だけだよ!」

 

 ミアの号令で、モップを手にしたベルは店の清掃に就いた。何だろう、何かが違う気がすると心の中で思ったが、あのミアに意見をする勇気はベルにはなかった。初めて会った人たちに、慣れない環境。掃除の手際も決しててきぱきとしていたものではないが、ミアの仕込みが全て終わり、他の準備がすべて整う頃には、ベルとリューと、もう一人人間のウェイトレスの受け持ちだった店内の掃除は、ちゃんと終了した。

 

 そうして、開店である。

 

 夕食時ということもあって、店内はすぐに人で溢れてしまったが、店の隅ではあるものの、ベルの席はしっかりと確保されていた。ちなみにミアの料理はまだ届いていない。他の客の注文と並行して作っているらしいが、果たして無事に届くのだろうか。もともと降ってわいた幸福である。食べられなかったところで、誰に文句を言うものでもないが、期待が高まっている身への肩すかしは、ダメージが大きい。

 

 まだかな、まだかな、と遠目に厨房の方を見ながら、お腹を空かせるベルのところに、仕事の合間を縫ったリューがやってくる。

 

「お疲れ様です。クラネルさん」

「リューさんも、お疲れ様です」

「まずは謝罪を。食事をしてもらうために呼んだのに、掃除をさせられては話が違うと言われても仕方がありません。ここの費用は私が――」

 

 元より、誘ったのはリュー自身である。適当な理由をつけて勘定は持つつもりでいたのだが、ベルがミアに掃除を押し付けられたことは、その良い口実になった。押しに弱そうなベルのことだ。そういう理由で、金銭ではなく現物でならば謝罪の気持ちと一緒に受け取ってくれるだろう。決して懐事情は良くないはずのベルは、リューの言葉に一瞬喜色を浮かべたが、男子としてのプライドか初対面の礼儀か、すぐに表情を引き締めて否定の言葉を続けようとした。しかし、

 

「年端もいかない小僧に店の手伝いまでさせて、この上金まで取るなんて、そんなケチくさい真似、私はしないよ」

 

 皿一杯の料理を持ってやってきたミアが、二人の言葉を遮った。食欲をそそる良い匂いに、思わずベルのお腹が大きく鳴る。恥ずかしくなって俯くベルに、ミアはにやりと豪快に笑うと、彼の前に皿を置いた。

 

 宣言の通り魚料理である。皿の真ん中には油で煮込まれた魚が丸ごと一匹。その周りには貝や野菜が下品でない程度に添えられている。ミアの見た目からもっと豪快な物を想像していたベルだったが、細かな考えはこの匂いの前には無意味だった。フォークを持ち、魚の身を崩す。良い感じに油の載った身を口に運んだベルの口から、思わず出た言葉は、

 

「美味しいです!」

 

 その一言だった。黙々とフォークを進めるベルに、ミアは満足そうに頷く。元々美味いと言わせる自信はあったが、実際に皿を舐めるようにしてがっついているのを見ると料理人冥利に尽きるというものである。目は口ほどに物を言うが、態度はそれ以上だ。全身で美味いと主張しているベルに、ミアは確かに自分の勝利を感じ取っていた。

 

「そうだろうとも、そうだろうとも。おっと、ただ食うだけで終わるんじゃないよ。その料理にはこいつが合うんだ」

 

 木製の杯には、液体が注がれている。魚料理の匂いに支配されていたベルだったが、わずかにアルコールの匂いを感じ取っていた。度は弱いようだが、間違いなく酒の仲間である。オラリオにも飲酒に関する法律は一応あり、14歳であるベルはそれに照らし合わせるとアウトなのだが、都市の慣例として、冒険者であるならば何となく許しても良いかな、という風潮はあった。風紀を取り締まる人間も、態々酒場の中に入ってまで文句を言ってはこない。

 

「幸い、そんなに強いもんでもない。これくらいなら、小兎にも飲めるだろ」

「でも、タダにしてもらった上に、ここまでしてもらう訳には……」

「小兎。お前、私の傑作を酒も飲まずに食おうってのかい? こういうのを、オラリオじゃサービスって言うんだよ。私が私の店で良いって言ってんだから、黙って飲み食いしときな!」

 

 ミアのあまりの迫力に、ベルはこくこくとうなずくばかりだった。小兎は自分の言う通りになったことに満足したミアは、のしのしと歩いて厨房に戻っていく。その勇ましい後姿を見送ったベルは、とりあえず杯に口をつけた。酒である。一瞬で軽い酔いが回ってくるが、その後に口に運んだ魚はまさに絶品だった。さっきまでも十分に美味しかったのに、この一口はそれ以上である。

 

 この料理にはこの酒が合う、というミアの言葉の意味が解った気がした。お酒一つで料理が美味しくなるなんて、ベルには目から鱗である。

 

「ご満足いただけたようで何よりでした」

「こんなおいしいお店を紹介していただいて、ありがとうございます」

「どういたしまして。これに懲りなかったら、またいらしてください。聊か料金は高めですが、味は保証しますから」

 

 それでは、とリューはぱたぱたと仕事に戻っていく。料理を楽しみながら、ベルは何となくその後姿を追ってみた。エルフらしい、整った顔立ちをしているリューのスカートが、彼女が動く度にひらひらと舞っているのを見ると、何だかそれだけで幸せな気分になってくるから不思議だった。このままいつまでも見ていたい気に駆られるベルだったが、口が留守になるとそれだけ、料理も冷めてしまう。

 

 料理は温かい内が一番美味しいというのは、ベルでも知っている常識である。せっかくの料理を冷ましてしまったら、ミアに何を言われるか解ったものではない。小さく身震いをして、食事を再開する。美味しいなぁ、と心の中で喝采を挙げながら、一人でもそもそと食事を続けるベルの背後に、今度は別のウェイトレスが立った。

 

「おつかれさまです」

 

 声に振り向くと、そこにいたのはモップを渡される時、最後までベルを眺めていた人間のウェイトレスだった。彼女はベルの顔を見てにっこりとほほ笑むと、小さく頭を下げる。

 

「私はシル・フローヴァ。人間です。どうぞシルと呼んでください」

「ベル・クラネルです。今日は、色々とありがとうございました」

「ベルさんを連れてきたのはリューですし、お料理を作ったのは女将さんです。私の手柄は何一つありませんよ?」

 

 くすくすと笑うシルに、ベルは俯いて頬を真っ赤に染める。軽い酔いが回っているせいか、小さなことでもとてつもない恥ずかしいことに思えた。目の前に立つシルの顔をまともに見ることもできないでいると、シルはベルの反応に、小さく小首を傾げていた。

 

 確かに女慣れしていなそうな少年であるが、言葉一つでここまでとは初心過ぎはしないだろうか。視線を動かすと、料理の皿の横に杯があった。中に注がれているのは酒だろう。シルの位置からでは匂いも感じ取れないが、ベルが今使っているのは酒用の杯なのだから間違いはない。

 

 シルはちら、と厨房の方を見た、ミアは忙しそうに厨房を動き回り、調理担当のスタッフにあれこれ指示を飛ばしている。ミアは良い人ではあるのだが、義理人情や倫理に反しないならば、平気で法律や規則を飛び越える豪快な人でもある。少年に酒というのもあまり感心しないことではあるが、料理については妥協しない人だ。おそらくその料理に合うからということで、一緒に酒を出したのだろう。初めて食べたのならば、料理の味が何倍にも感じられているに違いない。

 

 料理と酒の多幸感から赤くなっていると考えると、シルの女性としてのプライドが聊か傷つけられた気分であるが、それはそれだ。リューが男性を連れてくるという奇妙な縁で知り合うことになったこのベルを、シルはどういう訳か気に入っていた。周囲を見回して、一番最初に目があった同僚に、ぱぱっと手で『お願い』を伝える。

 

『五分 もたせて ください』

『ふざけん ニャ 三分 以上は 待たない ニャ』

 

 この忙しい時間である。お互い様ということで、なるべく時間は稼いでくれるようだが、それにしても限度があった。この忙しい時間に、いつまでも油は売っていられない。シルは自分の直感にしたがって、一気に勝負をかけることにした。

 

「どこのファミリアって、ベルさんはもう決めてるんですか?」

「それが全く。明日、ギルドに行って話を聞いてからって思ってるんですけど……」

 

 しめた、とシルの目がきらりと輝いた。さりげなくベルと距離を詰め、耳元に顔を寄せる。内緒話に、シルの心も踊ったが、女性に顔を近づけられたベルは、気が気ではない。どきどきしているベルに更に気分を良くしたシルは、用意していた言葉をつづけ、

 

「実はですね、ベルさん。私、さる神様と懇意にさせていただいて――」

「お~っすシル、久しぶりやなぁ」

 

 そうして、突然の来訪者に一瞬で台無しにされた。

 

 舌打ちをしなかったのは一重に、客商売で身に着けた習性故だった。シルはとびきり余所行きの笑顔を浮かべて振り返るが、先の声の主はもうそこにはいなかった。

 

「自分、見ん顔やなぁ。名前は何ていうん?」

「ベル・クラネルといいます」

「そか。ウチはロキ――・ファミリアのフェンリルや。これでも冒険者なんやで?」

「そうなんですか? 偶然ですね。僕、冒険者になりたくて、この街に来たばかりなんですよ」

 

 その言葉に、シルはあぁ、と小さく息を吐き、フェンリルはほぉ、と小さく声を漏らした。二人の表情は対照的である。

 

「ほぉ~、それは面白い縁やなぁ。それやったら、今ここでうちの入団試験でも受けてみぃひん?」

「良いんですか!?」

 

 ベルの立場からすれば、フェンリルの申し出は渡りに船だった。どういう手順を経てファミリアに入るのかも解らない有様なのだ。どこに、という拘りがなければ、声をかけてくれたところを優先するのは、当然のことである。

 

 ただ問題は、声をかけたのはフェンリルが初めてではないということだった。ベルは困ったように、シルを見る。ベルが何を考えているのか、顔を見れば解った。本音を言えばここで受けたいのだろうが、声をかけたのが先だからという理由で、彼にとっての良い話をふいにしようとしている。根が良い人なのだろう。普通ならば、こちらを気にするよりも先に、二つ返事で頷いている。

 

「良いお話じゃありませんか。私のことは、お気になさらずに」

 

 ここで恩着せがましく引き留めるのは、女のすることではない。そうした方が良いと判断したシルは、内心を強引に押し込めて笑みを浮かべた。それでもベルは気おくれしていたが、今この場でという欲求には抗えず、結局はフェンリルの提案を飲むことにした。

 

「そか。じゃあ、あっちに仲間がおるから、移動してな」

 

 残された料理に後ろ髪を引かれながらも、うきうきと移動するベルについて移動しようとしたフェンリルの背に、そっと近づいたシルは、ベルの時以上に顔を寄せて囁いた。

 

「神ロキ――・ファミリアのフェンリルさん。あまりあの子に、いじわるしたらダメですからね?」

「なんや、えらく乗り気やないかシル。そんなにあの子はめっけもんなん?」

「そういう訳じゃありませんけど、何か気になるじゃありませんか」

「シルがそこまで言うとはなぁ、ウチはウチで、ますます興味が湧いたわ。しっかり審査したるから、安心して見たってや」

「残念ですが、仕事がありますので」

 

 べーっと小さく舌を出して、シルは仕事に戻った。テーブルから皿を下げ、厨房の近くまで来ると、そこでリューとすれ違う。

 

「あれで良いのですか?」

「どこのファミリアに入るか決めるのは、私ではなくてベルさんですからね」

 

 あっさりしたシルの物言いに、リューは眉根を寄せた。シルの性格ならばもっと食い下がると思っていたのだ。それが横目で見た限りでは、随分あっさりと引き下がったものである。それに違和感を感じたリューは質問を重ねようとしたが、それを察したシルはそれよりも早く、別の質問をリューにぶつけた。

 

「リューこそ、こんなに早くベルさんがファミリア入りを決めるなんて、予想外だったんじゃありませんか?」

「縁ある人がチャンスを得たのですから、それは喜ぶべきことです」

 

 痛いところを突かれた形になったリューは、シルへの質問を諦め、そそくさと仕事に戻る。自分の気持ちではなく一般論を口にしたリューに、シルは苦笑を浮かべていた。燻った気持ちを抱えているのは、彼女も一緒なのだ。

 

 そして、リューはリューで自分の気持ちを持て余していた。

 

 ベルにチャンスが訪れたことは、喜ぶべきことである。それは間違いない事実だが、あれこれと世話を焼く予定が狂ってしまったのも、また事実だった。手をかけなくても良くなったのだからそれも喜ぶべきことであるのだが……

 

 何となく、本当に何となく、リューはベルのロキ・ファミリア入りが面白くなかった。

 

 




皆さんお気づきではないかもしれませんが、フェンリルというのは偽名です。

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