英雄になりたいと少年は思った   作:DICEK

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強くなるために③

 

 

 

 

 ヘファイストス・ファミリアホーム。鍛冶師のファミリアだけあり、所属する団員には個別の鍛冶場が与えられ、彼らはそこで日々鎚を振るい腕を磨いている。

 

 その鍛冶場で、椿は自ら鍛え上げた小太刀を眺め、満足そうに頷いた。打ち始めてから一週間。不眠不休の作業によって、依頼の品はついに完成した。

 

 後は上等な拵えの鞘を……と行きたい所だったが、鞘まで作るには椿の腕を持ってしても時間が足りない。鍛冶場に籠る時点で既に、『戦争遊戯』の日程についてその大まかなところは決まっていた。『神会』の日からきっちり二週間後、というのが彼らの主張するところである。

 

 延期される可能性もないではないが、前倒しになる可能性はほとんどないため、最初に区切られた期限内であれば、日程も組みやすい。小太刀を作るのに一週間。この小太刀の出来を考えればそれでも、製作期間は異常に短いと言えるが、これに合わせた鞘を一から作るとなれば、やはり小太刀と同等の時間がかかる。

 

 当日まではまだ時間があるが、ベルにはこれを持たせて修行もさせなければならない。その時間を考えるとやはり、鞘まで作っている時間はなかった。

 

 小太刀が一品物であるならば、鞘だってそうでなければならない。一品物の鞘が現時点でできていない以上、それまでは仮の鞘を宛がわなければならないが、背に腹は代えられない。鍛冶師として、これ程恥ずかしいこともないが、一体としての武器の完成を優先して、ベルが最も武器を必要とする時に間に合わないのでは意味がない。

 

 全ては己の未熟故。納期に間に合わなかったのであれば、それは全て作り手が悪いのだ。この羞恥心は、いずれ己の糧になる。そう自分を慰めて、椿は手早く小太刀を組み立て、出立の準備を整えた。後はベルに届けるだけ。善は急げと鍛冶場を飛び出そうとした椿は、ふと自分の姿を見下ろした。

 

 一週間、不眠不休で小太刀を打ち続けた椿は当然、汗と煤に塗れている。鍛冶師としてそれは当然の環境であるのだが、鍛冶師以外が相手となればその理屈も通じはしまい。

 

 ましてこれから会うのは人間の、それも思春期の少年である。きっと女を知らぬ純朴な少年は、まだ異性に対して幻想を抱いていることだろう。

 

 これからあの小僧がどういう女と番になるのか知れないが、前途洋々たる若者の未来に水を差すのも、人生の先達としては忍びない。せめて身ぎれいにはしていくべきか、と思い直した椿は、鍛冶場の隅に設えられた水場に向かいながら、身につけていたものを脱いでいく。

 

 褐色の肌に健康的な肉付きに、豊満な胸。オラリオにあってそれはアマゾネスの種族的な特徴であるが、これだけアマゾネスっぽい特徴を備えていて、椿の身体にアマゾネスの血は一滴も流れていない。椿の両親は人間とドワーフだ。この世界の医学ではその二人から生まれた子供を『人間にドワーフの血が混じった』と解釈するため、種族分類ではハーフ・ヒューマンではなくハーフ・ドワーフとなる。

 

 圧倒的な遺伝的優位性を持っているアマゾネスを別勘定とすると、あらゆる種族と混血を作れるのは人間だ。大体の場合、その子供には人間でない方の特徴が薄められて遺伝する。男性女性に関わらず、ドワーフというのはずんぐりむっくりとした体型で、基本的に手足が短く背も小さい。見事な髭を生やした男性ドワーフは、大抵は酒に強いことから、歩く上に喋る酒樽などと揶揄されることもある。

 

 椿も本来であれば、その酒樽の特徴を強く受け継いで生まれるはずだったのだが、運命を差配する神にどういう気まぐれがあったのか、椿にドワーフの特徴はほとんど現れなかった。確かに小柄な部類には入るのだろうが、それは人間として十分に常識の範囲内である。

 

 加えて女のドワーフは貧相であることが多いのだが、それに反してその裸体は女性的な魅力に溢れていた。歓楽街を取り仕切るイシュタル・ファミリアのアマゾネスたちに混じっても、その美貌は見劣りしないだろう。どこか危うい気配のある戦闘娼婦と異なり、椿の性格は豪放磊落。加えて風雅を愛でる感性を持ち合わせた彼女には、友人もファンも多い。

 

 それ故に、専属契約を結びたいという誘いも多いのだが、椿はその全てを断っていた。何かに縛られて武器を打ちたくないという気持ちもあるが、誰の誘いでも今一つぴんと来なかったのだ。

 

 そんな中、現れたのがベル・クラネルである。今まで誘いを掛けてきた冒険者の中では文句なく一番弱っちい少年だが、椿の感性にどこか訴えかけるものがあった。あの少年の希望に沿ってやりたい。椿のその強い思いが、打った小太刀にも良く現れている。

 

 間違いなく、近年打った中では最高傑作だろう。ベルのためだけに自分が打った、最高の小太刀がここにある。ベルがこれを振るい、戦う様を想像しただけで胸がときめいた。武器を打った直後というのもあるだろうが、ここまで興奮したのは久しぶりのことだった。

 

 その興奮を振り払うため、頭から勢いよく水を被る。仕事が立て込んでいる時は鍛冶場で寝泊まりできるようにしてある。そのためここには酒も寝具もあるのだ。これからベルに武器を届けようという時に、勢いでいかがわしい行為に及んだのでは、流石にバツが悪い。

 

 邪念も振り払うためにいつもより入念に身を清めて、着物に袖を通す。普段であればサラシに袴とラフにも程がある恰好を好む椿だが、時と場所を弁えるだけの分はあるし、お洒落を全くしない訳ではない。黒い髪を器用に結い、控えめな色の簪を差す。ついでにアクセント程度に香水も付ける。お洒落をしたな、と他人に思われない程度に着飾るのが椿のお洒落である。

 

 姿見の前で自分の立ち姿をチェックする。小太刀を小脇に抱えて、一回転。束ねた黒い髪が宙に舞う様を他の団員が見れば、何というだろうか。想像するだけで気恥ずかしい。やはり洒落た恰好は他人に見せるものではないなと姿見の前で苦笑を浮かべた椿は、ベルの元に向かうべく鍛冶場を出て――

 

 そして、ホームを揺るがす程の轟音を聞いた。すわ敵襲かと椿は身構えたが、近くを歩く団員たちは誰もその轟音を気にした様子がない。既にこの轟音は、彼らの日常の一部となっているのだ。それはそれで危険なような気もするが、オラリオで最も権威ある鍛冶師のファミリアに、爆発物を投げ込む命知らずもいまいと思いなおした椿は適当に団員を捕まえて事情を問い正した。

 

 団員は椿の剣幕よりも、まず彼女が軽いお洒落をしていることに驚いたが、椿・コルブランドとて女である。お洒落をしたい時もあるだろうと、それを口にすることはなかった。

 

「クロッゾの奴が魔剣の試作をしてるらしいですよ。何でも、全く新しい魔剣を作って、ロキ・ファミリアの『白兎』にくれてやるんだとか」

「あの小僧が魔剣を?」

 

 椿の返答にもやはり、色々な感情がないまぜになる。ヘファイストス・ファミリアの団長である椿は、ヴェルフ・クロッゾの事情を、主神であるヘファイストスから聞いて、良く知っていた。

 

 魔剣貴族クロッゾ。鍛冶師でなくとも、その名前は広く知られている。祖先が精霊から力を授かり、絶大な威力を持った魔剣を打つに至った人間の一族である。その魔剣は最高品質とされ、かつては城が一つ買える程の値段でオラリオでも取引されたことがあるのだが、今ではその現物を見ることはまずなくなっている。 

 

 かつて、クロッゾの打った魔剣は山を割り海を燃やすとさえ言われていたが、その魔剣でもって精霊の怒りを買った彼らは今、その伝説的な力を失っている。かつての勢いは失ったが、それでもまだラキア王国ではそれなりの位置にある。

 

 失われたとは言え、伝説的な能力を有していたのだ。神の恩恵を受ければ、いずれその子孫に能力が開花するかもしれないという、淡い期待の元に飼い殺されているとも言える。彼らの主神も、そも彼ら自身すらもかつての力は望めまいと諦めていた矢先、彼らの末裔として、ヴェルフ・クロッゾは生を受けた。

 

 神の眷属となった彼に、魔剣作成のスキルが宿ったのだ。クロッゾの一族が、もう一度返り咲くことを夢見たことは言うまでもない。彼にかけられる一族の期待は、それはもう想像を絶するものであったのだろうが、その期待をあっさりと裏切ったヴェルフは国を出てオラリオにたどり着き、神ヘファイストスの眷属となった。

 

 現状、クロッゾの一族で唯一の魔剣鍛冶師である彼は、持ち主を置いて滅んでしまう魔剣の運命を嘆き、魔剣を打つまいと心に決めていた。オラリオに来て打った魔剣は、打たねば眷属としないとまで主神に言われて渋々打った一振りのみで、それ以降は誰に何と言われても頑なに打とうとしなかった。

 

 その主義主張は、椿からすれば随分と滑稽なものだったが、口に出して笑うようなことはしなかった。血統に宿るその力は、彼にとって生まれた時から備わっていたものだ。才能という言葉を軽々しく人は使うのだろうが、最初からあったその力は、彼にとっては自分の一部のようなものである。

 

 それを封印してまで武器を作る。その覚悟と誓いは、並大抵のものではない。きっと、彼には自分には見えないものが見えて、自分には感じられないものを感じて生きてきたのだ。その感性が生み出す武器はなるほど、己の一部を封印して作っただけあって、椿の目から見ても粗削りも良い所だったが、鍛冶狂の集まるヘファイストス・ファミリアの中にあっても、武器に対する情熱は見落とりしていない。

 

 そのヴェルフが、どういう訳かその気持ちに折り合いをつけたのだ。きっと、良い武器を作るだろうという確信があるが、それがいつまでに実を結ぶかは椿の目を以ってしても見通すことができない。如何に魔剣貴族のクロッゾといっても、今までにない全く新しい魔剣を打つとなれば、一筋縄では行くまい。

 

 ましてヴェルフは鍛冶師としての腕はまだまだ未熟も良いところだ。今も精々試行錯誤を繰り返しているのだろうが、さて、どのようなものが、いつ出来上がるのか……後輩の発奮が、椿は楽しみでならない。

 

 そしてそれは、他の団員たちも同じなのだろう。嫉妬と羨望と、クロッゾの血について鍛冶師として色々と思うところのある団員は多く、魔剣を打たないというヴェルフのスタンスから、団員たちから距離を置かれていた彼であるが、今、ヴェルフのことを語る団員に嫌悪感はない。

 

 あの魔剣貴族が新しい魔剣を作るというのである。これで心が躍らなければ、鍛冶師ではない。ヴェルフに限らず、ヘファイストス・ファミリアの団員は例外なく、炉の炎の熱と、槌が金属を打つ音に魅せられた大馬鹿者だ。

 

 だが今は、自らの顧客のことだ。ヴェルフが『戦争遊戯』に間に合うか知れないが、自分は宣言通りに間に合わせて見せた。これが実力の差よな、と満面の笑みを浮かべた椿は、足取りも軽くホームを後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 神から『恩恵』を受けた時点で、地上の子供は神の眷属となる。オラリオで言えばそれは冒険者になるということと同義だ。『恩恵』によって基礎能力が上昇した冒険者は、そうでない子供とは明確に能力の面で差が出る。無論のこと、全ての冒険者が全てのそうでない子供よりも優れているという訳ではないが、こと身体能力という点では、ちょっとやそっとでは覆せない程の明確な差が出てしまう。

 

 それ故に、オラリオでは冒険者は特別な身分とされている。法により様々な恩恵を受けることができるようになっているが、その分、犯罪を起こした時の罰則であったり、納めるべき税金であったりと、そうでない子供とは別の義務も発生している。特別なのは神だけで、その恩恵を受けただけの子供ではない、ということの証左でもあった。

 

 さてその恩恵だが、子供が積んだ経験を神が手続きを踏んで更新し、その後に反映されるというシステムになっている。それ故に、どれだけ経験を積んでも神の手を経ない限り、明確な力として子供には反映されない。ベルはリューの手を借りて修行を積んでいる訳だが、それを明確に彼の力とするには、『戦争遊戯』までの間に最低でも一度、彼の主神であるロキの手を借りなければならない訳だ。

 

 『恩恵』は子供にとっては外付けの力であるため、馴染むまでにある程度の時間がかかる。欲を言えば即時更新が望ましいのだが、今は『戦争遊戯』の準備期間であり、オラリオもきな臭くなっている。神ロキが頻繁に行方を晦ませるような事態は、ロキ・ファミリアもできることならば避けたいはず。

 

 事情を理解していたリューはベルの即時更新をほとんど期待していなかったのだが、その期待をあっさりと裏切って、神ロキはアスフィに連れられて、リューの隠れ家へとやってきた。ベルと修行を初めて三日目の朝のことである。

 

 早速と言った様子でベルのステイタスを更新しようとするロキを前に、リューは冒険者の礼儀として席を外そうとした。どのようなスキルを持っているのか、また現在のステイタスがどのようになっているのか。それは冒険者にとってできることなら隠しておきたいことの一つである。

 

 同じファミリアである、同じパーティに属している、というのならばいざ知らず、リューとベルはともに修行をしているだけの仲である。流石に背中のステイタスを見る程の深い関係ではないだろうと思ったのだが、さりげなく席を外そうとするリューの歩みを止めたのは、彼の主神であるロキの言葉だった。

 

「リューたん、見ていかんのか?」

「私が見るべきとは思いませんので」

「そか? 当日も一緒にベルと戦ってくれんねやろ? 面倒みてもらっとる恩もあるし、知っておいてもろうた方が、今後の修行もやりやすい思うんや」

「それはそうですが……」

「まぁ、これもベルの勝利のためや思って、主義を曲げてくれんか? ウチからのお願いや!」

 

 頼むわー、とロキは軽い口調で手を合わせるが、それは地上の子供にとって、特にいずれかの神の眷属である冒険者にとって、命令に近いものだった。ロキはリューの主神ではないが、神には違いなく、今面倒を見ているベルの主神でもある。別にリュー自身に困ることはない。彼女が良いというのであれば、良いのだろう。

 

 異性の裸の背中を見るということに抵抗はあったが、それはそれだ。決して顔には出さないように注意しながら――ロキの目から見れば、緊張しているのはバレバレだったのだが――リューはステイタス更新中のベルの背中を見て、そして絶句した。

 

 神血によって、ベルの背中には滑稽な笑みを浮かべる道化師の紋章が浮かんでいる。オラリオ最大ファミリアの一つであるロキ・ファミリアの紋章だ。ロキの眷属の背中には例外なく刻まれているものだが、問題はそこではない。

 

 神聖文字の知識はあるが、問題なく解読できる程深くはないリューの手には、共通語に翻訳されたベルの更新したばかりのステイタスがある。背中の紋章を見て、改めて羊皮紙を確かめる。間違いはない。そのステイタスの伸びは、何というか異常だった。

 

 確かにベルは過酷な修行に耐えた。一度組み合えば大怪我をし、その度にポーションで回復してはまた大怪我をする。その繰り返しの末に溜った経験は普通の範疇に収まるものではなく、またレベル2という、修行相手であるリューに比べて二つもレベルが下であることから、ステイタスの大きな向上をリューは見込んでいた。

 

 二日の修行で各基本アビリティが20も増えてくれれば……というのが希望的観測込みのリューの願望だった。それでも十分に出来過ぎではあったのだが、これだけベルが過酷な修行に耐えているのである。それくらいの見返りはあってもと羊皮紙を見れば、現実はリューの想像を大きく越えていた。

 

 全てのステイタスが、200以上上昇している。特に耐久と敏捷は300を越えていた。見間違いではない。リューの願望を桁一つ越えた成長を、ベルは普通にしていた。それに驚いた様子は、ベルにもロキにもない。ベルはこんなに上がったんですね、と陽気に喜び、ロキは喜ぶベルを見てうんうんと大きく頷いている。

 

 この場にアスフィがいれば意見を聞けたのだろうが、別に仕事がある彼女は、ぶつくさ文句を言いながら飛んでいってしまった。消耗品のポーションをロキと一緒に運ぶことはできなかったのだろう。消耗品の運搬など『万能者』にさせる仕事ではないが、彼女以上に適任はいないのだから仕方がない。

 

 今度店に来た時に、何かサービスをしようと心に決めて、リューは再び羊皮紙に視線を落とした。

 

 ロキが態々エルフの古語で記載し説明してくれたところに寄れば、彼のスキルは『獲得する経験値が増大し、戦闘中、ステイタスに補正がかかる』スキルだという。後半のスキルはそれ程珍しいものでもないが、前半の記述がベルのスキルを希少なものとしている。常識外れの速度でのランクアップも、このスキル故なのだろう。

 

 前半のスキルがぶっ飛んでいるだけで、後半のスキルも詳細を見れば希少であることに違いはない。ステイタスが変動するとのことだが、その時点での総量を変えずに、基本アビリティを再分配できるのだという。任意に変動させることも可能なようだが、それは現状、ロキやフィンたちの判断で封印されているという。

 

 それが賢明だとリューも思う。ベルはそれ程器用な性質ではない。明らかに実地で学んで行くタイプで、経験の蓄積が彼を強くしている。スキルによって経験値を稼ぎ、急激にステイタスが上昇しているが、ステイタスを任意で補正するとなると、そこには経験から来る判断が必要になる。

 

 そして、短期間で急激に成長したベルには、その経験が圧倒的に足りない。一歩一歩、着実に成長した冒険者ならば当たり前のように備わっている、こういう時にはこうするべき、という経験が欠落しているのだ。

 

 どれだけ強かったとしても、これでは安心できるはずもない。羊皮紙を見る前よりも明らかに、リューはベルのことが放っておけなくなってしまった。

 

 おそらくこれが、ロキの狙いの一つなのだろう。リュー・リオンの性質を理解した上で、ロキ・ファミリアの中でも秘中の秘であるはずのベルのスキルを開示した。これでリューからベルを裏切る理由が一つ消え、今後ベルに付き合う理由が一つ増えた。

 

 リューはこの修行を最初で最後のつもりで引き受けたのだが、どうやらロキは末永い付き合いを望んでいるらしい。

 

 オラリオにあって、リューの立場は特殊である。ブラックリストにおける重要度こそ過去に比べれば下がっただろうが、それでも大手を振って冒険者として表を歩ける程ではない。冒険者としては死んでいるも同然だが、その死人は戦いもすれば考えもする、極めて特殊な死人である。

 

 特殊な死人には、それ故に使いどころがある。『豊穣の女主人亭』がどこの所属かを考えればロキもおいそれと依頼を出してくることなどできないだろうが、一つ依頼をし、ミアが了承する形で依頼を引き受けたという実績は残るのだ。

 

 加えてリューは今、ロキ・ファミリアの持つ秘密を共有させられた。そこにロキの強い意思を感じる。

 

 ミアの許可がいるとは言え、一番肝心なのはリューの意思だ。リューがやると言えば、ミアはその意思を尊重してくれるだろう。今まで仕事をしていなかったのは、仕事を頼む酔狂な存在がいなかったこともあるが、リュー自身にその意思がなかったことも大きい。

 

 冒険者だった頃、リューにとってファミリアの仲間と、彼らと共に標榜する正義が全てだった。今やその正義は都市を去り、仲間は全て死んでしまった。刃を振るう意味はない。そう考えていたはずなのに、今はベルを鍛えるために刃を振るい、彼のために戦おうとしている。リュー・リオンが刃を振るう理由の一つに、ベル・クラネルがなろうとしている。

 

 確かに彼は、自分が抵抗なく触れることのできる特殊な存在だ。今回の境遇にも同情できる余地はあり、そのために戦うというのも異論はないが、そこに今後は含まれない。

 

 考えれば考えるほど、彼の今後に関わっていきたいと思っている自分を見つける。そんなに、ベルが大事なのだろうか。かつての仲間と同じ程に、かつての正義と同じように。 

 

 自問しながらも、ベルとの修行は続いていく。

 

 ベルのスキルを知ってからでも、特にリューの修行方針は変わらなかった。戦いを挑ませ、叩きのめし、ポーションで回復。それを延々と繰り返す。闘争心は養われ、痛みに対する抵抗力も上がり、格上の敵を相手にする際の思考力も上がってきている。

 

 急激に伸びる基本アビリティも見過ごすことはできない。ロキが来るのは二日に一度である。全て200以上伸びたのは最初だけだったが、それでも常識では考えられない速度でベルは成長していく。そのせいで、上昇したステイタスが身体に馴染むのが、追いついていない程だ。急激に上昇した分のステイタスを、ベル自身が持て余している気さえする。

 

 基礎アビリティが戦闘中に変動するスキルを生み出す程である。臨機応変に戦う力はそれなりにあるのだろうが、その素質を持ってしても、成長スピードに身体と感覚が置いついていない。

 

 アポロン・ファミリアの団長はレベル3と聞いている。このまま修行を続けてステイタスを挙げたとしても、レベルで並ぶことはできないだろうが、その差は凄まじい勢いで縮まっている。あれは明らかにヒュアキントスの想定を超えているだろう。

 

 修行を始める前のベルと今のベルは、全く別の生き物と言っても差し支えないくらいに、変わっている。後は本番までにどれだけ仕上げることができるかだ。それは修行の面倒を見るリューの手腕にかかっていると言っても良いことだったが、戦力の向上という点でもう一つ見過ごせない要素が一つある。

 

 その要素がやってきたのは、ベルが修行を始めてから一週間の後。待ちに待ったその来訪者は、『万能者』に連れられて空からやってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おおよそ一週間ぶりか。久しいなベル坊」

「椿さん!」

 

 ヘファイストス・ファミリア団長、椿・コルブランドは、例によってアスフィに連れられて空からやってきた。ロキと荷物を運び、この日はアスフィはもう一往復している。自分の仕事が何なのか解らなくなるとぼやいている彼女が、今回の『戦争遊戯』における影の功労者ということになるのだろうか。

 

 どうせならば本番も一緒に戦ってくれるとありがたいと思うリューだったが、アスフィはヘルメス・ファミリアの所属であり、しかも団長である。神の伝令として、常にふらふらとしていてオラリオにもいないことが多いという噂のヘルメスであるが、ゼウス、ヘラの両神が去ったオラリオにあっては、特にフレイヤと昵懇である。

 

 本来であればこうして協力していることも、神ヘルメスの立場を考えれば不味いのだ。透明になり、空を飛ぶこともできる。アスフィが安全な移動手段を確保しているおかげで、リューたちは安全に修行をすることができるのだ。これ以上を望んだら、流石に罰が降る。

 

 さて、表の功労者の一人であるところの椿は、小脇に袱紗を持っていた。東方で伝わる、刀剣を運搬する際に用いる袋である。元より椿は鍛冶師。金に糸目はつけないという破格の条件で、ベルの武器を打つことを請け負ったという。『戦争遊戯』までに完成するのか未知数ではあったが、椿のことだから間に合わせるだろうとロキが言っていた通り、彼女はしっかりと期日に余裕を持ってここに現れた。

 

「主のために打った、主のための武器だ。受け取るが良い」

 

 差し出された袱紗を、ベルは両手で受け取る。ずっしりと、手に重い。生まれて初めて持った、自分だけの剣である。本来であれば、冒険者としてもっと上の位になってから持つはずの、自分専用の剣である。それも打ったのは、オラリオ最高の鍛冶師と名高い、ヘファイストス・ファミリア団長、椿・コルブランドである。

 

 刀剣の中では小さい部類に入る小太刀だが、小さいからと言って予算がかかっていないとは限るまい。少なく見ても五千万から六千万。下手をすれば一億ヴァリスを超える予算がかかっていてもおかしくはない。無論のこと、それは駆け出しの冒険者が持つような武器ではないのだが、武器も冒険者の力の内の一つである。

 

 本人の力量を上げるのにも限界がある。優れた武器というのは、共に戦うリューとしても何とも欲しいものだった。

 

 ベルはそれを鞘から抜き放った。

 

 片刃の刀身は、薄い紅色である。装飾はない。実用のために作った武器であることは見て解るのに、ただそこにあるだけで優美さを感じさせた。実用の極致が生み出した美しさが、そこにはあった。装飾のない鞘拵えも、それを際立たせている。ヘファイストス・ファミリアの団長が打った、今代の最上業物。

 

 それが今、ベルの手に渡った。

 

 感嘆の溜息を漏らすベルに、言葉はない。小太刀に見入っているベルに、椿は大きめに咳払いをした。豪放磊落を絵に描いたような彼女に、落ち着きがない。何か言い難いが言いたいことがあるのだろうが、自分の武器に夢中なベルは椿の様子に気づいた風もない。

 

 業を煮やした椿は、ベルの額を一思いに指で突く。痛みに慣れてきたベルだが、レベル5の不意打ちは流石に痛い。小さな悲鳴を挙げたベルは目を白黒させて椿を見る。ようやく望みの人間の視線を得た椿は、今度こそ、勿体ぶって咳払いをする。

 

「……実はな、昔から手前には決まり事があるのだ。刀を打った時は必ず、手前の名前をつけてやるのだとな」

「じゃあ、この小太刀の名前はコルブランド?」

 

 ベルの言葉に、後ろで聞いていたロキが思わず噴き出した。リューとアスフィは吹き出すことはどうにか堪えたが、肩を振るわせて椿の顔を見ないようにしている。直視してしまうと、声を挙げて笑わずにいる自信がなかったからだ。オラリオに名高いあの『単眼の巨師』が、年端もいかない少年を前に、酷く間抜けな顔をしているのだから、笑わずにはいられない。

 

 鍛冶師が自分の名前を付けると言ったのだ。まぁ、コルブランドと付けることもないではないのだろうが、この話の流れでそれはなかろう。特に、ベルは英雄譚を好んで読むと聞いている。その感性でもって少し考えれば解ると思うのだが、ベルはそれがさも当然という風にコルブランドと口にした。

 

 そうではないだろう、とベル以外の全員が思ったが、ロキは笑うだけで何も言わない。リューもアスフィもここが違うと指摘することはできたが、それをすると椿の立つ瀬が完全になくなることも理解できた。この悪い空気を打破するには、椿が自ら動くしかない。

 

 不思議そうな顔をしているベルに、椿はこれ以上ないというくらいの仏頂面だ。

 

 その表情を見て、流石に自分が何か、空気の読めないことを言ったのだとベルも理解できた。小太刀をもってしゅんとするベルに、椿は深々と溜息を吐く。この小僧はこう、どうして肝心な時に空気を読まないのか……

 

「それは家名であって、手前の名ではない。手前の名前が何か、ベル坊、言ってみよ」

「椿・コルブランド……椿さんです」

「その通りだ。それからお前はもう少し、風情とかそういうものを学ぶようにな……」

「すいません……」

 

 二人のやり取りに、ついにロキは声を上げて笑いだした。かっこよく武器の名前を言う場面だったのに、役者二人が揃って不景気な面をしているのだから、面白くて仕方がない。笑うロキに椿ははっきりとイライラを募らせていたが、ここで声を荒らげると恥の上塗りになると我慢する。

 

「ああ、くそ。ベル坊のせいで妙な空気になってしまったではないか……」

 

 ここで名前を告げるのはあまりにもあんまりだが、告げないではお話にならない。これも全てベル坊のせいだと

心中で念じながら、椿は用意していた名前を口にした。

 

「その小太刀の銘は紅い椿で、紅椿(くれないつばき)とした。手前の名を冠したのだ。負けは許さんからな、心して戦いに臨むが良い」

「はい!」

 

 元気よく返事をしたベルは小太刀を鞘に納め、自分の剣帯に刺しこんだ。そこには既にリューから借りた小太刀があるので、小太刀の二刀流である。かっこよく二本の小太刀を振り回す自分を想像したベルは、頬が緩むのを止められないでいたが、それに即座にリューが釘を刺した。

 

「不測の事態もありえます。武器を二本携帯するのは悪いとは言いませんが、一度に使うのは一本です。その夢を追いかけるのは、『戦争遊戯』が終わってからにしてください」

 

 一瞬で夢を打ち砕かれ、しょんぼりとするベルを見て、椿は笑い声を挙げる。少年は夢を追ってこそだ。それでこそ協力のし甲斐があると、持ってきた大太刀を担ぎ上げた。

 

「さて、これから約一週間か。手前もお前の修行に付き合ってやろう。『疾風』1人でも十分に贅沢な話ではあるが、なに、頭数が増えた所で困りはしまい。幸い、回復薬は腐るほどあるようだからな。多少の大怪我をしたところで死にはしないだろうよ」

 

 椿の大太刀は彼女自ら生み出した、ベルの紅椿に勝るとも劣らない最上業物である。リューの立ち姿も十分に強そうではあったが、装備の迫力で勝る椿はその比ではなかった。

 

 加えて彼女のレベルは5であり、リューよりも一つ上。ロキ・ファミリアで言うとティオナに匹敵する。膂力にも速度にも優れるティオナの攻撃を、ベルはいまだ受け切ったことがない。

 

 そも、一つ下のリューと戦ってすら、一々大怪我をしているのだ。レベルが一つ上がったらどうなってしまうのだろうという恐怖を、無理矢理闘争心に変換する。ここで立ち向かった分だけ、勝利が近づくと思えば我慢もできるが、痛いものは痛いのである。

 

 やる気の椿が大太刀で素振りをすると、突風がベルの頬を叩いた。その一振りで大木もへし折れそうな程に力強い。あれをこれから喰らうのか、と思うと気分の滅入るベルだったが、窮地とは乗り越えてこそである。その痛みの先に勝利があるのだと思えば気分も紛れたが、それも一瞬のこと。

 

 獰猛に笑う椿を見て、ベルは今日、百度は死にかけることを覚悟した。

 


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