英雄になりたいと少年は思った   作:DICEK

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その頃、道化師の眷属たちは②

 

 

 

 

 

 ダンジョンを急ぎ足で駆けていく集団がある。ロキ・ファミリアの大幹部『重傑』ガレスの率いる一団である。

 

 こういう時期であるが、生活の全てをダンジョンにかけている冒険者たちの辞書に『開店休業』という文字はない。世の中がどういう事情であろうと、特にランクの低い冒険者は命を切り売りしなければ生活することもままならないのだ。

 

 そんな、どちらかと言えば食い詰めている冒険者とも、中層から浅層に来るまでの間にすれ違ったが、彼らは誰もガレスたちに声をかけたりはしなかった。

 

 『戦争遊戯』はオラリオの一大イベントである。開催が決定された段階で、どういう経緯で開催されるに至ったのか、その事情も『神会』の名の下に公表される。冒険者であれば、一般には布告されない事情についても、知る機会はあった。

 

 開催されるに至った経緯を知っている冒険者たちの中では、ロキ・ファミリアを支持する者が多数である。ベルがやったことを甘っちょろいと笑う者も多いが、それ以上にアポロンが相手というのが問題となっていた。

 

 アポロン・ファミリアはその強引な引き抜きによって多数のファミリアから恨みを買っている。

 

 引き抜きについてはフレイヤも似たようなものだが、彼女の場合は入念な根回しを神々に行っている。冒険者を引き抜かれることになる神が心底納得しているかはまた別の問題であるが、少なくとも表だってフレイヤを非難する神は、イシュタルを始めとした少数である。半面、アポロンに対しては公然と非難する神が相当数存在する。要するに神々の間で、アポロンというのは神気がないのだ。

 

 そして、アポロンの相手をするのは『あの』ロキである。かの神がここまで舐めた真似をされて、黙って引き下がるなどありえない。絶対に何かする。オラリオは恐れと共にそれを期待していた。

 

 その期待の視線を感じながら、雌伏の時を過ごすこと約2週間。ついにガレスたちは動きだしたのである。

 

 ダンジョンを出て、アポロン・ファミリアの本拠地を襲撃する。フィン班、リヴェリア班と協力して流動的に動き、結果、最も狙いやすい班が神アポロンの首を取る、というのがガレス班の筋書きだ。

 

 こういう場合、目立たぬよう有事の際までは分散している方が良いものなのだが、頭に血が上った連中は特に、ガレスの案に異論を挟むようなことはなかった。ダンジョンに籠るとガレスが言いだした時も、黙って従い現在に至っている。

 

 考えても見てほしい。これからカチコミに行くぞという集団が、いくら腕に自信があるとは言え、公には出口が一つしか確認されていないような場所に全員で居座るなんてことは、考えるまでもなく正気の沙汰ではない。何かの間違いで外に出られなくなってしまったら、その時点で計画に参加することもできなくなってしまうのだ。そういう意味で、待機場所がダンジョンというのは、他の二班と比べても条件が悪いと言わざるを得ないのだが、こと行動を起こすに至るまで、誰もそれを疑問として口にしなかった。

 

 こんなことで良いのだろうかと逆に不安になるガレスである。

 

 だが、ここに集まった面々の仕事は主に戦うことであって、中長期的な視点で物を考えることではない。ファミリアが結成された時からそういう頭脳労働は、フィンやリヴェリアの仕事だった。ガレスも大幹部ではあるが、深く物を考えることは今でも苦手としている。

 

 腕っぷしが強く、最終的に生き残ることができれば良い。彼らの考えは実にシンプルで、ガレスとしてはそれが最高に頼もしくもあるのだが、リヴェリアを信奉する『こまっしゃくれた』エルフ連中からは『脳筋軍団』と距離を置かれてもいる。

 

 この良さはエルフには解るまい……団を結成したばかりの頃の、種族的な偏見を思い出し自嘲気味に笑うと、広間に出た。後は道をまっすぐ。ほどなくして出口に到着。後はアポロン・ファミリアの本拠地を目指すだけ、という段になって、ガレスは足を止めた。

 

 後続の面々が早速文句を言うが、視線を先にやり、ガレスがどうして足を止めたのか理解すると、一様に沈黙した。

 

 そこには一人の男がいた。

 

 獣人の中でも一際大柄で知られる猪人である。分類としては同じ獣人であるベートも、同年代の人間種族と比べると十分に大柄で上背もあるのだが、彼はそのベートが子供に見えるくらいに大きい。強さとは筋肉だと言わんばかりに張り出した腕は筋骨隆々としており、赤銅色に焼けたその肌からは白い煙が立ち上っているのが見えた。

 

 軽い運動でもしていたのだろう。彼の周囲にあるものは、その悉くが粉砕されていた。素手か、あるいはその辺りに転がっているミノタウロスすらペシャンコにできそうな岩でも使ったのか。

 

 いずれにせよ、彼が臨戦態勢にあるのは、誰の目にも明らかだった。

 

 その男の名前を、オラリオに住む者皆が知っている。

 

 フレイヤ・ファミリア現団長。レベル7の冒険者『猛者』オッタル。全ての冒険者が目指すべき存在が、今、ガレスたちの前に立ちふさがっていた。

 

 事情が事情である。自分たちの前に彼が立ちふさがったことの意味が分からないロキ・ファミリアの面々ではない。『猛者』オッタルは明確に戦う意思を持って、ここに立っている。

 

 あの『猛者』が、目の前にいるのだ。ここはダンジョンだ。地上の法の及ばない、冒険者たちの聖地。ここでは冒険者としての流儀が全てに優先し、力こそが正義という野蛮な理論すらまかり通る。最低限の守るべき法はあるが、地上で生み出された法は、ダンジョンの怪物から冒険者を守ってはくれない。

 

 強い者が生き、弱い者は死ぬ。ダンジョンとはそういう場所であり、強さが全てのその場所でオラリオ最強の冒険者は、ガレスたちに相対していた。

 

 『猛者』が一歩、前に出る。これに退く者は誰もいない。じわりじわりと、最強の冒険者の熱気が感染したかのように、ロキ・ファミリアの冒険者たちに熱気が広がっていく。

 

 部屋の中央で、オッタルは足を止めた。身体を半身にし、彼にしては妙に芝居がかった仕草で腕を上げると立てた指を揃えて、手前に三度。指を深く傾けて見せた。

 

 かかってこい。

 

 それ以上、彼らに言葉は不要だった。

 

「上等だオラぁっ!!!」

 

 血気盛んなガレス班の中でも、更に血気盛んで気の短いベートが、我先にと飛び出していく。元より強さに固執することにかけて、ロキ・ファミリアの中でも彼の右に出る者はそういない。最強の冒険者からの『お誘い』に我慢ができるはずもなかった。

 

 蹴り殺す。明確な殺意を漲らせたベートは、強靭なその意志を乗せて加速していく。身体能力に優れた狼人の、その中でも更に敏捷に特化したベートである。速さにおいて、同じレベル帯の中では彼と並ぶ者はいないだろう。

 

 彼は自分の足に絶対の自信をもって駆ける。

 

 しかし、である。ベートの足が『絶対』であるのなら、オッタルの『絶対』はベートを遥かに凌駕していた。レベル一つ違えば世界が違う。それが二つ、まして相手は最強の冒険者である『猛者』だ。故にベートに油断は一切ない。殺すつもりでかかるのは、そうでもしなければ勝負にならないと理解していたからだ。加速し、フェイントを入れ、オッタルの前でベートは消える。

 

 戦いを見守っていたほとんどの冒険者には、そう見えた。次の瞬間、ベートはオッタルの死角にいた。十分に身体を捻り、力を溜め、加速の乗った足を手加減なく、オッタルの後頭部に叩き込む。

 

 人の形をしているならば、ダンジョンの怪物を含め、大抵の生物の弱点であるとされる頭部である。これが潰れればいかに冒険者といえども死ぬしかない。神速でその場に至ったベートの蹴りは、閃光の如く放たれた。

 

 仮に採点をするのであれば、彼にとって今までの生の中で最高の一撃であったと言えるだろう。もしかしたら、あの『猛者』に一太刀入れられるのでは。見た目にそぐわぬ現実主義者であるベート本人にさえ、淡い期待を抱かせる程の一撃はしかし、オッタルの固い頭蓋に防がれ、力を失った。

 

 轟音がする。オッタルの身体がぶれる。だが、それだけだ。ベートの渾身の蹴りが後頭部に直撃しても、オッタルの身体はビクともしなかった。蹴りを放った姿勢のまま、ベートの動きが止まる。疑問はある。怒りはある。だが戦闘中に動きを止めることは、冒険者が最もしてはいけないことの1つだった。

 

 ベートとて第一級冒険者である。動きを止めたことが冒険者としての落ち度であれば、彼が動きだしたのは生物としての本能だった。動きを止めていたのはほんの一瞬であるが、しかし、最強の冒険者にとってそれは絶対的な隙だった。

 

 足を引き、離れようとした時には既に、ベートの足はオッタルに掴まれていた。視線が一瞬、交錯する。ベートの目には燃えるような怒りがあったが、オッタルの目には何もない。彼にとって敵というのは主神の名の下に打ち滅ぼすべきもので、そこに彼自身の感慨はない。

 

 ただ淡々とオッタルは掴んだベートの足を、無造作に放り投げた。砲弾のようにすっ飛んだベートが、ダンジョンの壁を粉砕する。ただの人間であれば、今しがた破壊された壁と同じように、粉みじんになって死んでいたろうが、腐っても冒険者、彼はベート・ローガである。仲間の声に、うるせぇ! と応えた彼は、何事もなかった風を装って立ち上がった。

 

 ダメージがないではないが、それをおくびにも出さない。弱気は敗北に繋がる。元より相手は格上、オラリオ最強の冒険者である。ここで気持ちでまで負けてしまっては、勝ち目もなくなってしまう。

 

 最強の冒険者を相手に、彼らは戦い、そして勝たなければならないのだ。仲間の名誉のために、彼らは神を殺すことさえ覚悟を決めた。最強の冒険者くらい、何ということはない。たった今、第一級冒険者がなす術もなく投げ飛ばされたのを見ても、闘志が萎えたものは一人もいなかった。

 

 それどころか、これ以上ないというくらいの闘志を漲らせ、全ての冒険者が武器を取る。

 

 その狂奔に乗っかり武器を構えながら、ガレスはそっと注文通りの展開になったと安心していた。

 

 『戦争遊戯』までの二週間。ガレス班は地上全ての情報を断ち、ダンジョンに籠った。敵対ファミリアに動きを捕捉されないためである。他の二班が地上で睨みを利かせ、それまで目立っていなかったが故に、遊撃的に動けるように。我らこそが主攻であると言って、仲間を納得させた形だ。

 

 実際は、『敵対勢力』に最も捕捉され易い形を取ったに過ぎないのだが。ダンジョンへの入り口はバベルの一つしかない…………と言われている。実際には他にもあると固く信じられているのだが、公式にそれが詳らかにされたことは今のところない。

 

 ともあれ、入り口が一つしかないということは、地上に戻る際のルートが限定されるということでもある。広大なダンジョンに潜った冒険者を捕捉するのは困難を極めるが、そこから地上へ戻る冒険者を捕捉するのは、ただ帰り道で待っているだけで良い。もうすぐ地上。それくらいの場所に、必ず通る広い場所がある。

 

 例えば、最強の冒険者と最強のファミリアが戦うのにはうってつけ、そんな場所だ。彼らの他に人はいない。おそらく、オッタルが最初から手を回していたのだろう。『戦争遊戯』までにロキ・ファミリアが事を起こすだろうことは、オラリオの住民全員が知っている。

 

 その敵対勢力筆頭であるフレイヤ・ファミリアの団長が、これから一仕事しますという風でダンジョンに潜れば、誰もが道を譲り、口を閉ざし、そして関わらないことを選ぶだろう。

 

 ここは誰もが通る道。地上に近すぎて怪物などは現れない場所で戦闘があるとすれば、それは冒険者たちの小競り合いに違いない。この状況、この場所で冒険者が小競り合いとなれば、何処と何処が戦っているのかは自明の理だ。

 

 そして、まともな神経をしていたらその争いには関わってこないだろう。オラリオで最も大きい二つのファミリアが、己の名誉をかけて激突しているのだ。関わって良いはずはないし、関わりたいとも思わない。

 

 まさに注文通りの戦いだ。他者の邪魔が入らず当事者同士で戦うことができる。例え尋常でない被害が出るとしても、二つのファミリアだけで完結することができる。『戦争遊戯』が如何に出来レースであるとは言え、それまでにかかる出費は無視できるものではない。

 

 神アポロンの目を欺くために、既に多くの金銭的な犠牲を支払っている。アポロン・ファミリアから毟り取ったとしても、その全てを回収できるものではないだろう。他のファミリアを巻きこんで支出を増やすことは防ぎたいところだ。

 

 こういうそろばん勘定は本来ガレスの得意とするところではないのだが、ファミリアを預かる者の一人として考えない訳にはいかない。事情を知っているのは、ロキ以外にはガレスたち三人のみだ。いい加減、誰か一人くらいは気づいても良さそうなものだが、脳筋ばかりを集めたガレス班の冒険者たちは、喜々として『猛者』オッタルへと襲い掛かり、吹っ飛ばされている。

 

 彼が武器を持っていたらそれこそ大虐殺の現場となっていたのだろうが、彼の手に武器はない。手加減されているのが解るだけに、ベートを初めロキ・ファミリアの冒険者たちの腕にも力が籠る。武器を持つまでもない相手である。ベート達にはそう見えるのだろうが、実際には違う。

 

 フレイヤ・ファミリアとて資金が無限にある訳ではない。ましてオッタルは団を預かる身である。班の財政を考えるのも彼の大事な仕事の一つである。ロキ・ファミリアを相手になるべく被害を出さないようにという、涙ぐましい配慮であることは、同じく大幹部であるガレスには痛い程解った。

 

 全くどうしてこんな面倒なことをしなければならないのか。地上の子供の一人として、ロキ・ファミリアの大幹部として、一人の冒険者としてガレスは切に思ったが、そういう問いに関する答えはオラリオでは一つしかない。

 

 全ては神の思し召しである。己が主神が決めたことに、その眷属は従うのみだ。この都市は、この世界は、神の意思に寄って回っている。そこに子供が口を挟む余地は何処にもない。

 

 ただ、今回のことに良いところがあるとすれば、高慢ちきなあの神アポロンに、一泡吹かせることができる。その瞬間に立ち会うことができることが、ガレスにとっての救いだった。『猛者』と戦うことに、胸がときめかない訳ではないのだが。

 

 兜を深く被りなおし、ガレスはのしのしと歩く。レベル6、エルガルムの二つ名を持つ第一級冒険者である。最強の冒険者の座はオッタルに譲らざるを得ないとしても、これが出来レースであると知っていても、彼に背を向けて良い理由にはならない。

 

 元よりガレスも冒険者である。そしてベートを始め、喧嘩っ早い冒険者たちを率いるだけあって、戦そのものを忌避する訳ではない。彼はドワーフである。酒を浴びるように飲み、きらめく宝石や金属を愛で、太い指に似合わぬ器用さを持った、豪放磊落な種族(ドワーフ)である。

 

 目の前に最強の冒険者がいる。戦って良い建前まである。ならば挑まぬ理由などありはしない。心の底からガレスは吠えた。立場を得てから久しく発していなかった戦士としての咆哮である。ダンジョンの空気を震わせ、味方を鼓舞するドワーフの咆哮に、同じく出来レースを理解し、仕事としてここにいるはずのオッタルも笑みを浮かべた。

 

 信ずる神は違えども、彼も冒険者という道を選んだ存在である。先のガレスの咆哮に対する返礼とばかりに、彼も心の底から雄叫びを上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 本格的な衝突を避けつつもその『本格的な衝突』を演出するため、旧友であるフレイヤとの協議の結果、ロキは自分の眷属を三隊に分けることにした。戦力を分けることで相手に対応され易くし、戦力を偏らせることでそれをより先鋭化させた。会議を開いてすぐにファミリアを分散させたのは、誰がどこにいるのかを把握し易くするためだ。

 

 ダンジョンに入るには多くの者に目撃される必要があるため、目撃者の情報を収集すればガレス班の陣容は割れる。リヴェリア班も『学区』に移動してからは決行日まで動かないため、調べる気になればすぐに、メンバーは割れるだろう。

 

 残りは『黄昏の館』にこもりっぱなしになるフィン班であるが、これは引き算ができれば何とかなる。後は離散集合に気を配っていれば、その陣容に変化はない。関係のない者が調べても解る陣容である。これが詳細が伝わっているフレイヤ・ファミリアであるなら、対応策を練るのは容易い。

 

 まして準備期間が約二週間もあるのだ。戦う相手と場所が解っており、そのための編制を練る時間も十分に取ることができる。こと、『戦争遊戯』前の戦いに限って言えば、最初からフレイヤ・ファミリア有利に仕組まれていたのだ。ロキ・ファミリアが恐れているのは、フレイヤ・ファミリアの団員に大怪我を負わせた挙句、アポロン・ファミリアにまで手が届いてしまうことだ。

 

 三隊の一つ。『学区』のリヴェリア隊、ダンジョンのガレス隊に続く三隊目。ロキ・ファミリア本拠地である『黄昏の館』から動かなかったフィン隊である。種族の偏りがあるリヴェリア隊、血の気の多い連中を集めたガレス隊に比べると、比較的穏やかで質の高い戦力が集まっていると言える。

 

 三隊の内どこが主攻かと冒険者たちに予想させれば、多くの者がフィン隊こそが主攻であると考える。そうであるが故に、『黄昏の館』に過剰に敵対戦力が集中したとしても何ら不思議ではない。『黄昏の館』にはダンジョンに向かったオッタルと、リヴェリア班を抑えるために『学区』に向かった面々を除いた、全てのフレイヤ・ファミリアの団員が集合していた。

 

 人数、質ともにロキ・ファミリアに匹敵するフレイヤ・ファミリアである。ほぼ均等にファミリアを三つに分けたロキ・ファミリアと異なり、フレイヤ・ファミリアは戦力の一つをオッタル一人で賄ったため、『黄昏の館』に投入した団員は、現状、籠城せざるを得なくなっているロキ・ファミリアの団員よりも大分多い。

 

 人的優位に立っているフレイヤ・ファミリアであるが、しかし、『黄昏の館』を包囲はしていない。彼らは『黄金の四戦士』を先頭に『黄昏の館』正門周辺に集結していた。そこだけを見ればロキ・ファミリアの進路を完璧に妨害していると言えなくもないのだが、『黄昏の館』の出口は正門だけではない。裏門やら秘密の隠し通路やら、出口は他にも色々とあり、その存在は全ての団員が知っている。

 

 そこを使って脱出しようという意見が団員から持ち上がってくるのは、当然の帰結ではあった。普段であれば即座にそれを採用しただろう。目的が明確であるのだから、何も無理に『黄昏の館』に留まっている必要はない。臨機応変な指示を出し、ファミリアに勝利をもたらす。

 

 それこそが『勇者』フィン・ディムナの真骨頂であるのだが、フィンと他の団員たちで明確に目的が異なる現状では、団員たちの目的達成イコール、ファミリアの破滅である。全力で戦っているというのはふりだけで、本当に戦ってはいけないのだ。

 

「僕らは名誉のために戦うんだ。正門を出て大路を行き、敵を打倒して仲間を助ける。そのために裏門からこそこそ出ていくなんて、あってはならないことだよ」

 

 綺麗ごとでフィンが斬り返すと、それきり団員たちは脱出論を口にしなくなった。神殺しを視野に入れているのに名誉も何もないものだが、これが正義の戦いであると標榜する以上、勝ち方には拘らなくてはならない。

 

 それに、フィンは最初から今回の作戦が失敗しても、次の作戦を考えてあると、自分に付き従っている団員たちに伝えていた。他の二班に比べると、更に精神的に余裕がある。ダンジョンや『学区』は少なからず人目に触れるが、流石にファミリアの本拠地ともなれば、その心配もない。

 

 情報が漏れないのであれば、作戦の全てを打ち明けてもと一瞬考えたフィンであったが、待機する面々の雰囲気まで弛緩するのは困るのだ。緊張感というのは他人にも伝わる。神フレイヤは今回の事情を全て知っているが、彼女の眷属全てがその事情を共有しているとは限らない。

 

 フレイヤ・ファミリアの団員が見ているということは即ち、アポロン・ファミリアの団員が見ている可能性もないではないし、見物していた冒険者からアポロン・ファミリアに情報が届くかもしれない。僅かな違和感もあってはならないのだ。

 

 今日がその最終日である。ヘルメス・ファミリアからの情報によれば、アポロン・ファミリアに動きはない。今日を乗り切り日付が変われば、その時点で神アポロンの身柄は『神会』の預かりとなり、逃げることも『戦争遊戯』を回避することもできなくなる。

 

 全力で作戦を考え、その通りに団員が動けば神アポロンの首の十や二十は簡単に取れるのだが、実際に取ってしまってはいよいよもってオラリオを出ていかなければならなくなってしまう。それはフィンの野望ともかみ合わないし、ベルの理想とも程遠い展開だろう。

 

 彼らにはダンジョンが必要で、オラリオを出ていく訳にはいかないのだ。そのためには、団員も騙すし、オラリオの民も騙す。全ては勝利のために。と言えば聞こえは良いが、そのために団員を騙すというのは気分の良いものではない。

 

 あぁ、癒しが欲しいとフィンは心の中で一人黄昏る。誰にも秘密を打ち明けることができないというのは、想像するよりも遥かにストレスが溜る。この作戦を打ち明けることができる仲間は、ガレスとリヴェリア、それに主神であるロキだけであるが、その二名と一柱とは作戦が動きだしてから連絡を断っているため愚痴ることさえできない。

 

 正門に動きがあることを、物見の塔からぼーっと眺めながら、フィンは今回の事の発端となった小人の少女のことを思い出していた。かわいらしい少女ではあると思う。ソーマ・ファミリアで、小人で、サポーターなのだ。さぞかし酷い扱いを受けてきたのだろう。

 

 ロキの調査では非常に手癖が悪いということではあるが、それは環境に寄るものが大きかったのだと信じたいところだ。この戦いが終われば、晴れて自由の身…………になるかは解らないことに、フィンは恐らく、オラリオで初めて気がついた。

 

 ロキとアポロンが『神会』の仲介で取り決めた『戦争遊戯』の概要に、あの小人の少女に関する項目は一切なかった。そもそも少女の所属はソーマ・ファミリアであるため、『戦争遊戯』に勝利し、ベルが好き放題に要求を通したとしても、少女の身柄を引き受けるということは、原理上できない。

 

 状況から見て、ソーマ・ファミリアの一部とアポロン・ファミリアが繋がっている可能性は高いのだが、ここで首を突っ込んでこない以上、その関係を公に立証することは難しいだろうが……まぁ、ロキにとっては大した問題ではあるまい。

 

 ソーマ・ファミリア所属の少女が引き起こしたことが原因で、ロキ・ファミリアは神アポロンに因縁を付けられ『戦争遊戯』までする羽目になったのだ。これをどうしてくれる、とロキが難癖をつければ、少女一人の身柄くらい、いかようにもしてください、としかソーマ・ファミリアは言えなくなる。

 

 仮に少女にどれほどの価値があったとしても、よろしいでは戦争だとロキが言いだしたら、今度はソーマ・ファミリアがアポロン・ファミリアの二の舞になる。酒類の販売でそれなりに羽振りが良いファミリアであるが、それだけに、腕の立つ冒険者はあまり多くはない。

 

 かのファミリアの内情に詳しいフィンではないが、おそらくラウル一人を支援なしで素手で突っ込ませても勝てるだろう。幹部以上が出ることになればそれだけで勝利は固い。戦いになればそれだけで負けてしまうのだ。アポロン・ファミリアがロキ・ファミリアとの『戦争遊戯』に踏み切ったのは、特殊な事情がある。自分のところにまでそんな幸運が――あくまで現時点の大多数の認識では、という話ではあるが――舞い込むとは如何にソーマ・ファミリアの酔っ払いどもでも思えないだろう。

 

 この『戦争遊戯』におけるロキ・ファミリアの勝利すなわち、小人の少女のソーマ・ファミリアからの解放を意味する。そのようにロキには既に話を通してある。少女のしたことは褒められたものではないが、誰にだって悔い改める機会は必要だろう。小人族のために戦うフィンにとって、小人の少女の行く末は他人事ではない。

 

 少女の可憐さに目が眩んだ、と言われては反論する術を持たない。如何に『勇者』フィン・ディムナと言えども私心が全くなかったと言えば嘘になるからだ。

 

 フィンにとっては既に少女の安全は確定したことであるのだが、大多数の者にとってはそうではない。まずは目の前の戦闘を片付ける。面倒この上ない仕事であるが、それはあちらも同じだろう。他の者を配置することもできたはずだが、『黄金の四戦士』のガリバー兄弟をよこしてきた辺りに、神フレイヤの配慮が窺える。

 

 種族が同じだからと言って、フィンと彼らが仲良しな訳ではないが、元々この『戦争遊戯』は出来レースである。違う種族の者が戦い、つまらぬ諍いに発展するのであれば、同じ種族の者で争い内輪の問題として処理する方がまだ平和だろう。配慮というよりは、損得の問題でもあるのだが。

 

 

 一団から進み出たガリバー兄弟は、四人で輪になり、歌いながら踊り始めた。その歌を聞いた誰もが、目を細めて首を傾げる。オラリオで使われている共通言語ではない、馴染みのない言葉である。ロキ・ファミリアにも様々な種族の眷属がいたが、ガリバー兄弟の歌を理解できたのは、フィンただ一人だった。

 

 生まれた土地、種族によって使っている言語が異なることは侭ある。酷い時には近くの森に棲んでいるエルフ同士でさえ、普段使いの言葉だと意味が全く通じないということもあるくらいだ。

 

 その問題を解決するために、神々はバベルを建てると同時に共通言語を生み出した。地上の子供たちは異種族間で意思疎通を図る時にはそれを用いるようになり、同時に世界の公用語となった。よほど単一の種族、地方の生まれで集まったのでもない限り、オラリオではこの共通語が用いられることになる。

 

 ガリバー兄弟が使っているのは、共通言語が生まれる前から小人族が使っている、小人族特有の言語、それもフィンの生まれた土地固有のものだった。フィンとガリバー兄弟は生まれが異なるから、彼らがわざわざこの日のために習得したのだろう。

 

 頭の下がる思いであるが、問題はその内容だ。節を付けて民族的な歌に仕上げているが、その内容はオラリオにおける現状報告である。ガレス班にはオッタルが向かい交戦中、リヴェリア班にはエルフたちが向かい、残りがここにきた。作戦は予定通り。味方に被害を出したくないから、四対一での戦いを望むのだが、そちらの意思はどうか。

 

 彼らが歌に乗せて伝えてきたのはそんなところだ。実に堂々とした情報のやり取りであるが、この場に集った二つのファミリアの中にフィンと同郷の小人族か言語学者でもいなければ、情報が漏れる心配はない。外から観察してる者がいれば問題だが、相手はフレイヤ・ファミリアである。その程度の対策は魔法使いの誰かがやっているだろう。

 

「団長、あいつらは何て?」

「ロキ・ファミリアの団長は玉無しの臆病者だってさ」

「そうですか。それじゃあ、私は今からあいつら全員玉なしにしてきますので、少し時間をください」

「まぁ待ちなよ。侮辱されたのは僕だ。恥辱を雪ぐ機会を奪うというのかい? それはちょっといただけないな」

 

 落ち着いた様子で、フィンはティオネを制止する。理性的に戦う今のスタイルよりも、怒りに任せて戦った方がティオネの攻撃は鋭い。理性的と野性的。どちらが強いのかは議論の余地があるが、理性ある敵を相手にするならば怒りに任せて動くアマゾネスというのは、なるべくならば戦いたくない相手と言える。

 

 フレイヤ・ファミリアの『黄金の四戦士』と言えば、連携の巧みさで有名である。全員がレベル5の第一級冒険者である上に、その巧みな連携でレベル6を相手にしても引けを取らない。全員まとめて相手にするのであれば、確かにティオネが劣勢であるが、ティオネのようなタイプは怒りで戦闘力を向上させる。

 

 普通は必ず持っている怪我を避けようとする動きを、ティオネは全くしなくなる。ロキ・ファミリアともなればエリクサーも常備している。よほどの致命傷でない限り治療は可能であるが、冒険者であっても、いずれ治ると解っていても、痛いものは痛いし、怖いものは怖い。

 

 総じてアマゾネスは怒りで戦闘力が向上する傾向にあるが、ティオネは更にそれが強かった。自分のことであればあっさりと沸点を突破することを、フィンはよく知っている。

 

 番狂わせは現状、フィンが最も危惧するものだ。フレイヤ・ファミリアとはいつか雌雄を決する時が来るのかもしれないが、それは今ではない。本気で戦っているという風を装わなければならない。当然、手を抜いていると思われてはならない。ロキ・ファミリアとフレイヤ・ファミリアの対決の構図ができあがった時点で、神アポロンもまさか自分が出来レースを仕掛けられているとは考えもしないだろうが、彼の身柄が『神会』に移されるまでは、念には念を入れなければならない。

 

 にこりと微笑むと、ティオネは大人しく引き下がった。大抵の場合、彼女は言うことを聞いてくれる。ティオネと団員たちの視線に見送られ、愛用の鑓を持ったフィンが歩み出る。違うファミリアの本拠地には、マナーとして中からの招待がないと入ることはできない。

 

 その主神や団員の許可なく本拠地に踏み入ることは、実質的な宣戦布告であり、諸々の事情関係なく看過することができなくなる。律儀に外で待っていた『黄金の四戦士』を、フィンは団長の権限で招き入れた。彼らに続こうとするフレイヤ・ファミリアの団員たちは、視線で制する。入って良いのは『黄金の四戦士』だけだ。大規模な戦いは、お互いの好む所ではない。

 

『おまたせ。苦労するね、お互い』

『全ては我らが女神のためである』

 

 小人語でのやり取りの後に、お互いに苦笑を浮かべた。自分の感性とは別の所での戦いであるが、種族が同じ者同士、思うところがないではない。仲間の名誉だとか主神の命令であるとか全く関係なく、フィンもガリバー兄弟も、この戦いが楽しみで仕方がなかった。

 

 出来レースの添え物であっても、お互いに被害をなるべく出さないようにと制限があっても、戦いは戦いだ。自らの心にともった炎に、フィンは鑓を振るい、滅多にやらない名乗りを挙げる。

 

 

 

 

 

「ロキ・ファミリア団長、『勇者』のフィン・ディムナが君たちに勇気を問おう! 僕の鑓の冴え、試す勇気があるならかかってくるがいい!」

 

 

 


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