「どういうことだフレイヤ!」
バベル上層部。いつもは『神会』が開催される会議室に設置された『戦争遊戯』の神用観戦室において。ロキ・ファミリア側の救援として現れたフレイヤの眷属を見てアポロンは怒鳴り声を挙げた。話が違うと全身で主張する男神の怒りを、美の女神はどこ吹く風と受け流す。
「貴方とロキだったらロキを取るというだけの話よ。こう見えても私は、友誼を大事にするの」
フレイヤの隣のロキは『どの口で……』と内心で毒づく。
それでもフレイヤの言う友誼が続いているのはそれなりにウマが合っていることの証明でもあるんやろなぁとも思うがそれはともかく。フレイヤははっきりと信用のならない女神ではあるが、子供へ向ける愛だけは良くも悪くも本物だ。
その愛故に、他神の子供であると認識していても手を出すことはしばしばある。それでもアポロンほど問題が表沙汰になっていないのは、これも彼女の愛故のことだ。取られる主神や外から見れば無理筋かもしれないが、フレイヤに改宗した子供はフレイヤに心酔している。加えて男神に多い傾向であるが、主神そのものがフレイヤに心酔しているケースも多い。
その分、女神の中にはフレイヤを蛇蝎のごとく嫌っている者もいる。オラリオの歓楽街を仕切っているイシュタルなどがその筆頭だが、彼女でさえ精々『神会』で嫌味を言い合う程度で表だって喧嘩を吹っ掛けたりはしない。
眷属の力量差があることも勿論理由の一つであるが、同時にフレイヤはやる時は躊躇いなくやるというのが神々の共通認識であるからだ。あまりに彼女を怒らせると『こういうこと』になる。今回のことはそれを改めて知らしめる良い機会になったはずだ。
最悪、あれと戦うことになっていたかもしれないと思うと、楽天的なロキでさえぞっとする。その現実を回避できたことを考えれば、仲介役を担ってくれたヘルメスには感謝をしなければならなかった。最低のコウモリ野郎と欠片も彼のことを信用していないロキだが、働きには相応の報酬があるべきだと考えている。フィンたちに怪我人は出なかったし、ベルの修行場への送り迎えをしてくれたのはアスフィだ。
今回の騒動で、最も懐を傷めずに多くを得たのは彼だろう。無論、話がこじれた責任をフレイヤから追及されるだろうが、神を相手にコウモリできるだけあって彼のバランス能力はオラリオの神々の中でも屈指のものだ。最終的には一番美味しい思いをすることだろう。それだけは忌々しいが、それ以上の喜びがロキの胸中を支配していた。
謀が成功しその被害者が目の前で悔しがっているのだ。悪趣味と言われようとこれで心が躍らない訳がない。フレイヤの眷属が味方したことで既に勝敗は決した。ヒュアキントスとの格付けだけはベルが行わねばならず、この内容には厳しいものが予想されるものの、実の所最終的な勝敗にその決着はあまり関係がない。
ベルが勝つならばそれで良し。勝てないならば、リューなり椿なりがトドメを刺せば良いだけのことだ。ベルの面目は丸つぶれだし、何よりロキ本神がベルの勝利を願っているが、負ければ規定の通りにベルが改宗してしまうのだ。名誉など後で回収すれば良い。ベルにはそれだけの才能があるし、それを支えてくれるだけの仲間がいる。
唯一足りないものがあるとすれば時間だが、それは文字通り時間が解決してくれる。今回は窮地を乗り越えることができたのだ。全ては終わったことと考えられることの何と幸せなことだろう。これだけ心が躍るのは大昔にヤンチャをしていた頃、トールが仲間のはずの緑のデカブツと戦いボコボコにされた時以来である。
アポロンはフレイヤに言いたいことが山ほどあったようだが、顔を真っ赤にしながらもそれを口にはしなかった。今回の絵図を描いたのはフレイヤで、アポロンはそれに乗っかったに過ぎない。確かにベルは彼の好みだろうが、元々執着している訳ではなかった。フレイヤに唆されたと言えばそうなのだろうが、ロキが問題にするのは何をしたかであって、何故したかは関係がない。やったことへの落とし前はつけさせる。ただそれだけのことである。
それにアポロンは元々、強引な引き抜き工作で『神会』での評判も決して良いものではなかった。神々の力関係は眷属の数と強さで決定されるオラリオとは言え、この地に集った神々には本来、地上において定められた程の立場の優劣は存在しない。
弱小ファミリアの主神と大手ファミリアの主神が、天界では同等以上の戦いをするというのは良くある話である。長い神生だ。オラリオにいる間は縛りプレイを楽しむということで、この境遇について面と向かって文句を言う神はいないが、それは内心まで納得しているということではない。
アポロンへの恨みは神々の心中で燻っていた。最終的にフレイヤがケツを持つとは言え恨みを買うかもしれないことを承知の上でロキを巻きこむことに神々が同意したのは、偏に彼の日ごろの行いのせいである。フレイヤの眷属が直接的に介入したことで神々の溜飲も大分下がった。アポロン・ファミリアの敗北は既に決したのだ。であるならば、後はどれだけアポロンから毟り取るかの勝負だ。
たった一柱と残り全員。二週間前と全く同じ構図であるが、槍玉にあげられている神は異なる。流れは今はっきりと変わった。その認識をこの場に集った全ての神が共有していた。
攻城戦は元来、守り手に有利な『種目』とされる。ファミリアの規模や実力に差があったとしても、劣る側が守り手であれば、ある程度の勝負にはなるのだ。逆に言えば攻め手を任されれば目も当てられない訳だが、一方的な勝負は観客が最も嫌う。そうならないための配慮は『神会』もするが、バランス調整をしてもどうにもならない展開というのが存在する。
普通、それほど実力差があるファミリアの間に『戦争遊戯』は発生しない。実力に勝るファミリアの立場になれば『種目』によっては敗北を喫することもある『戦争遊戯』を行うよりも、手を回して相手を黙らせる方が簡単だからだ。
最大手のファミリアであるフレイヤ・ファミリアにとってそれは常套手段である。元よりフレイヤのファンは神にも子供たちの中にも大勢いる。彼女が一つ微笑みを浮かべれば、大抵の物事は解決してしまうのだ。故に、フレイヤ・ファミリアの『戦争遊戯』のカードは、めったに組まれることはない。
ライバルであるところのロキ・ファミリアと同様、探索系ファミリアであり、現状オラリオ最強の冒険者である『猛者』オッタルを有する最大手の一角である。どの程度強いのか、どんな戦い方をするのか。他のファミリアと共同で探索に当たることも少ないため、その実力の全容を知るものは少ない。
彼ら彼女らが戦うのを、特にオラリオの市民たちは心待ちにしていた。それが劣勢と思われるファミリアの救援に、しかも全軍で現れたのだ。戦いの行方を見守っていた市民たちは女神フレイヤの眷属たちの登場に大いに沸いた。心情的にロキ・ファミリアに味方するものがほとんどだったのに、それに最強のファミリアが味方についたのだ。もはや勝利は疑いない。逆にアポロン・ファミリアの勝利に大金を突っ込んだ連中は既にお通夜ムードになったが、それも一過性のこと。沈んだ気分でフレイヤ・ファミリアの戦いを見るなど、冒険者のすることではない。ヤケ酒を注文し、浴びるように飲みながらも、素寒貧になった連中でさえモニタを食い入るように見つめていた。
オラリオ全市民の視線を集めるフレイヤの眷属たちは、モニタの中で神アポロンの眷属たちを蹂躙していた。それは間違っても戦闘ではなかった。古城周辺を囲んでいた神アポロンの眷属は『女神の戦車』アレン・フローメルの槍でまとめて吹っ飛ばされた。本来であれば一番槍を任された連中である。アポロン・ファミリアの中でも腕の立つ者が選ばれたのだが、流石にレベル6の一級冒険者である。集団でもレベル2以下では話にならない。
まとめて吹っ飛ばされた冒険者が、地面に落ちるのすら待たず空いたスペースに突っ込んだのはレベル7『猛者』オッタルである。元より堅牢な作りであった城門は、神アポロンの眷属によって諸々の工作が施された。そこそこに堅牢な作りであり、これがベルたちだけであれば破壊するのにも多少は難儀したことだろう。
その城門を、オッタルは腕の一振りで破壊した。戦士のように雄叫びをあげることも、気合を入れることも全くしていない。彼にとって城門は障害物でも何でもなかった。粉砕された城門の破片が舞う中、手柄を求めて神フレイヤの眷属たちが駆けこんでいく。一級冒険者たちは元より、所属する団員全てが意気軒高。老いも若きも人もエルフも獣人も小人も並々ならぬ熱意でもって駆けていく。
これはアポロン・ファミリアとロキ・ファミリアの戦いで、彼らには本来関係のない話だ。主神同士が知己とは言え、神ロキのために神フレイヤの眷属たちが武者働きをする理由は何一つない。眷属たちは神フレイヤに熱をあげている面々であるからして、神ロキは容姿が優れていることを認めるのに吝かではないものの、はっきりと対象外である。
なのにここまで熱意をもって取り組んでいるのはどういうことか。それはこれが神フレイヤの勅命ではなく彼女からの『お願い』だからだ。神フレイヤが自らの眷属を集めて行った『お願い』には、かの女神手ずからのご褒美があるのだ。決して神フレイヤは払いが渋い訳ではない。働いた子供にはそれ相応の報酬を与えるが、ご褒美となると勝手が違う。
一体何が行われるのか! 冒険者として一応彼らは敵対する神アポロンの眷属たちを見ていたが、頭の中は神フレイヤからの『ご褒美』で一杯だった。自分が自分がと誰もが敵を求めて動いているのはそのためである。
雄叫びをあげて彷徨う神フレイヤの眷属たちの後をついていくベルたちは、反対に不景気な面をしている。楽に話が進んでいるのは本来喜ぶべきことであるはずなものの、先ほどまで自分たちこそが主役だと思っていた面々がその座から引き下ろされたのだから、その気分は複雑だった。
倒すべき敵はいるのに、振るうべき刃はない。武器を構えるまでもなく、敵は吹っ飛ばされて意識を失うからだ。倒された連中は邪魔にならないよう神フレイヤの眷属たちが古城の外まで引っ張っていく。後に残るのは古城のガレキ。進む道の先には雄叫びと敵方の悲鳴が聞こえている。もはや自分たちで行うはずだったことの九割は完了していた。
オッタルの言ったことが事実であれば、大将首――アポロン・ファミリア団長であるヒュアキントス・クリオは残しておいてくれるらしいが、この分ではついうっかり吹っ飛ばしてしまう、ということにもなりかねない。
第一目標は勝利だったはずだが、このままでは見せ場がなく終わってしまう。英雄志望の少年にはそれはいかにも寂しいことだった。自然と早足になるベルに合わせて、椿とリューも足を速める。彼を追い抜くようなことはしない。主役は彼で自分たちは脇役である。
ベルの露払いをするために協力を申し出た彼女らは、神フレイヤの眷属によってそれが達成されつつある今、仕事のほとんどが終わってしまった。椿もリューも立場がある。見せ場を潰されたことに思うところがないではないが、ベル程に英雄願望がある訳でもない。楽に仕事が済むならばそれに越したことはないと、割り切って歩みを進めている。
だがベルがヒュアキントスに負けるようなことがあれば、代わりに彼を討ち取らなければならない。ベルの名誉の戦いとは言え、これは同時にファミリア同士の戦いでもある。この『戦争遊戯』での敗北即ち、ロキ・ファミリアの敗北であり、事前の取り決めによりベルは強制的に改宗させられることになる。
それだけは避けねばならない。取り巻きがいる。攻城戦であるというハンデ込みであれば、ベルたちが負けるということも考えられないではなかったが、取り巻きが全滅するのは時間の問題であり、古城の防衛機能はもはや役目を果たしてはいなかった。
相手がヒュアキントス・クリオ一人であれば、もはや負ける道理はない。人数が少なければ少ない程、レベルの差というのは如実に出る。レベル2のベルがレベル3のヒュアキントスに挑むのは大仕事であるものの、それはヒュアキントスがレベル4のリューやレベル5の椿に挑むのでも同じことが言える。
ルールが決まった時、アポロン・ファミリアの面々は勝って当然くらいに思っていたはずだが、その気持ちは今やリューと椿の物になっていた。もはやベルの肩にファミリアとしての敗北はない。後はベルがヒュアキントスを倒すだけだったが、彼にとってはそれが一番の問題だった。
できるだけのことはした。ベル・クラネルという高い才能を持つ冒険者に、考えうる限り最悪の方法で戦闘技術を叩きこんだ。ステイタスもロキの協力を得て更新されている。レベルこそ上がらなかったが、二週間前と比べてベルの力量は別人と思えるくらいに進化した。
それでも、レベルに差があるという事実に変わりはない。ヒュアキントスとの対決に勝てる確率は一割もあれば良い方だろう。ベルほどの才能をもってしても、レベル差というのは容易に覆せるものではないのだ。
その事実をオラリオにいる冒険者の中で、肌身に染みて感じているのはベルかもしれない。この二週間、彼は自分より二つも三つもレベルが高い冒険者に骨を折られ続けてきた。今日戦う相手とのレベル差は一つとは言え、強敵であることに変わりはない。
ファミリアの看板を背負っているという事情がなければ、自分よりもレベルの高い冒険者と戦うのは間違いなく罰ゲームだ。戦闘が回避できなくなった時点で考えるべきことは、自分以外の要素でどれだけ戦力差を埋められるかということだ。魔剣などの装備を使うなり、援軍を頼む形である。そも、ソロで戦うということそのものが正気ではない。
これが英雄の資質と言えばそうなのかもしれない。ベルは歩みを進める度に、戦いに向けて気持ちが入っていく。下手をすれば死ぬかもしれない。そういう戦いを前に、それを避けようとする気配がリューの目から見ても全く感じられなかった。
恐怖に背を向けないということは、冒険者にとって大事なことだ。それは自らの、そして仲間の窮地を救う力となるものだが、同時に冒険者を窮地に追い詰めるものでもある。この精神性がどうか彼自身の首を絞める結果にならなければ良いと祈りながら歩いていると、ベルたちは終点についた。
謁見の間、と言えば良いのだろうか。ヒュアキントスたちが『旗』を置く場所として設定した、最終戦場である。そこからぞろぞろとアポロンの眷属を抱えたフレイヤの眷属たちが出てくる。最後尾を歩くのはオッタルだ。団長である彼は団員たちに指示を飛ばすと、ベルに歩み寄ってくる。彼自身、武器を振るい戦ったはずであるが、汗の一つもかいていない。アポロン・ファミリアも決して雑魚ではないはずなのだが、最強の冒険者である彼にとってはまさに、ものの数ではなかったのだろう。
「約束の通り、大将首は残しておいた。存分に戦え」
言って、ベルの返答も待たずに歩いて行く。残されたベルは、一度、リューと椿を見た。戦うのはベル一人。それは何度も打ち合わせをしたことであるが、それの最終確認である。できれば助けてほしい、という後ろ向きな視線ではない。この未熟者にぜひとも手を貸さないでくれと強く視線で訴えかけてくる『白兎』に、椿は笑みを浮かべて鷹揚に頷き、リューは小さく目を真っすぐに見返して頷きを返した。
「存分に戦ってくると良い。骨は拾ってやる」
「勝利を祈ります」
「はい! ご助力、ありがとうございました! 勝ってきます!」
ベルはそれが当然とばかりに宣言して、踵を返した。その物言いに、リューは僅かに違和感を覚える。ここまで強気に出る少年だっただろうか。心根はまっすぐで正義感の強い少年であるが、それは必ずしも強気とは繋がらないものである。
リューの抱くベル・クラネルという少年の印象は、そういう心の強さを持ちながらも少年らしい初心さを持った年齢相応の純朴なものだった。そういう少年であると判断したからこそ、オラリオにきたばかりの彼に手を貸そうと思ったのだ。少なくともリュー本人はその認識である。
そんな純朴な少年の背中に、歴戦の冒険者であるところのリューは僅かではあるが頼もしさを憶えていた。確かに修行は酷いものだったが、それでもたった二週間でここまで変わるものだろうか。自分の感情と理性的な部分に折り合いが付けられないリューを見て、逆に既に全てを受け入れている椿はからからと笑う。
「男子三日会わざれば……というのは古代の格言であったかな。あれを男と言うにはまだまだ抵抗があるが、少なくとも男を張ろうとしているのだ。それを黙って見守るのが、女の役目というものだろう。お互いこういう稼業をしているのに、性別を持ち出すのもおかしな話ではあると思うが……」
「おかしな話という部分には個人的には同意できますが、同僚に言わせると冒険者であるということは、女という性別を忘れても良い理由にはならないとのことです」
「ほう? かの『疾風』も冒険者である前に一人の女であったという訳か」
「貴女まで同僚のようなことを言わないでください……」
フードで視線を遮り、リューは椿から目を逸らし口を閉ざした。本心を全て曝け出してしまうと、自分が負けてしまうことが解っていたからだ。椿自身、決して色恋に強い訳ではないが、堅物であると見たリューの態度からベルに対する微妙な心情を察した彼女は、何も言わずにリューの肩を軽く叩いた。
そんな仲間たちを背に、ベルは一人戦意を胸に歩みを進める。
謁見の間。本来玉座があるべき場所に、その『旗』はあった。アポロン・ファミリアのシンボルが刻まれたそれはかのファミリアの団旗であり、それは本来ファミリアの『本拠地』に掲げられているべきものである。『戦争遊戯』における『攻城戦』のために、『神会』の権限で用意させたものだ。これを手にすることがベルにとっての勝利条件である。
その『旗』の前に一人の男が座っていた。アポロン・ファミリア団長。レベル3、『太陽の光寵童』ヒュアキントス・クリオは『旗』の前で項垂れていた。周囲に仲間はいない。いたはずだが、全て先ほどすれ違ったフレイヤ・ファミリアの面々が担ぎ出していった。
それをヒュアキントスが黙って見ていたはずはない。現に彼は戦闘の匂いを感じさせる程度には薄汚れていたが、怪我と呼べるほどのものはなかった。相手にされなかったのだ、ということはベルほどの駆け出しでも想像に難くない。それが彼にとってどれほどの屈辱であるのかも理解できたベルは他人の、それも敵である彼に酷く同情を覚えたがそれをすぐに打ち消した。
年若いベルをしても、それが哀れみにしかならないことは理解できた。ヒュアキントスもまた、こういう感情を抱かれることを好ましくは思わないだろう。これは同じ冒険者としての流儀である。そう強く思いなおしたベルは表情を引き締め、ヒュアキントスの前に立った。
「私を笑いに来たか、『白兎』よ」
「いいえ。僕は貴方と決着をつけにきました」
「お前にとって、もはや勝敗は決したも同然ではないか? この上何を望むのだ?」
「貴方からの勝利を。貴方が勝つことをまだ諦めていないように、僕もまだ勝ったとは思っていません」
「強欲な男だ……」
自嘲気味な笑みを浮かべて、ヒュアキントスは立ち上がった。大剣を握った手にはまだ力が籠っていた。歩みは力強く、ベルを見つめる視線にも、一歩、また一歩と歩く度に、力が甦っていく。
「確かに、私はまだ勝利を諦めていない。お前を倒し、お前の仲間を倒し、フレイヤ・ファミリアの全団員を倒す。大仕事だ。お前に関わっている時間などないのだよ」
明らかな大言壮語であるが、ヒュアキントスの言葉を笑う者はこの場にはいなかった。相手にとって不足なしとベルの心でも闘志が燃える。眼前の敵は自らが戦うに値する。ヒュアキントス・クリオという男を打倒することは自らを高めるに足る行いである。
好敵手なるものが自分にあるとすれば、それは彼のような人間のことを言うのだろう。主義主張は異なり、仰ぎ見る旗は違っても、今はお互いを倒すことしか頭にない。ベルの顔に笑みが浮かぶ。それは普段多くの揶揄を込めてうさぎさんと呼ばれる彼にしては酷く獰猛で、太々しい笑みだった。
「それでも、お付き合い願います。僕は貴方を倒し、僕の仲間と神様に勝利を捧げる」
ベルのその言葉が、戦いの開始を告げる合図となった。ヒュアキントスは大剣を掲げるとベルに向け、天に届けとばかりに大音声をあげる。
「私はアポロン・ファミリア団長! 『太陽の光寵童』ヒュアキントス・クリオ!! 我が前に立ちふさがる愚かなる者よ! 己が信ずる神に恥じ入る所がないならば、名を名乗るが良い!」
「僕はロキ・ファミリア! 『白兎』のベル・クラネル!! 我が主神の名の下に、ヒュアキントス・クリオ、貴方に決闘を申し込む!」
「受けて立とう『白兎』よ。我が大剣の切れ味、その身で味わうが良い!」