英雄になりたいと少年は思った   作:DICEK

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『戦争遊戯』④

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「死ぬかと思った!」

 

 ガレキを押しのけるようにしてベルは勢いよく立ち上がった。全身煤に塗れており無事な所など一か所もないが声は挙げられるし身体は動く。軽く点検してみるが、当面命に別状はないと判断する。

 

 魔剣攻撃のバックファイアである。攻撃された方よりはマシとは言え、それでもベルも決して小さくないダメージを受けた。懐から取り出し口に放り込むのは最高級のポーションに漬け込んだ芋茎を乾燥させ丸めたものだ。液体で飲むよりも遥かに効率は落ちるが薬草を直接齧るよりはマシな回復量という、ベルでさえこれは売れないと確信が持てる代物だ。

 

 アミッド・テアサナーレが団長になるよりも随分昔にディアンケヒト・ファミリアで開発された商品らしいが、全く売れなかったために倉庫で塩漬けにされていたものを何の因果か椿が捨て値でまとめ買いしたものだ。

 

 良薬口に苦しというのは世界共通の原則であるが、これは回復量がイマイチな癖に絶妙に不味い。時間をかけてこんなものを作るくらいならどうして頑丈な容器を作ろうと思わなかったのか理解に苦しむ。椿も安いというただ一点の理由で買ったものの、処分に困ってベルに押しつけたのだ。

 

 破損を気にせず携行できるという開発目的以外は全て置き去りにしたその回復薬によって、体内から傷を癒される生命として慣れない感覚に悩まされながらも、ベルはゆっくりと呼吸をし気分を落ち着かせた。

 

 魔剣の攻撃により、屋内は屋外へと姿を変えていた。かつて出入り口であったところには耐火マントで難を逃れたリューたちが平然と突っ立っている。ヒュアキントスは少し離れた所でガレキに埋もれていた。全身程良く火傷を負っているがまだ動いている。少なくとも現時点で死んではいないことに、ベルは無理やり安堵した。

 

 レベル3であればまぁ死なないだろうという椿のふわっとした保証がなければ、いくらベルでも魔剣による攻撃を躊躇っただろう。その保証の通り生きてはいるようだが、戦闘を続行できるかは彼の気力がどれだけ残っているかによる。

 

 この『戦争遊戯』でベルにとっての勝利条件は相手の団旗を奪うことだ。既にアポロン・ファミリアの団員はヒュアキントス以外フレイヤ・ファミリアの団員たちによって連れ出されていた。最後に残ったヒュアキントスが意識不明となれば自動的にまだ動けるベルの勝利が確定する。

 

 今すぐ団旗に駆けだせば勝利を掴むことはできるのだが、そういう決着をベルは望んでいなかったし、この戦を見ている神々も、オラリオの住民たちもそれでは興ざめだろう。身体は心底休息したいと訴えていたが、ベルはそれを無視した。

 

 アポロン・ファミリアの団旗に背を向け、倒れているヒュアキントスに向かって声を張り上げる。

 

「僕はまだ立っているぞ! 僕はまだ戦える!」

 

 意識不明の相手を煽り始めたベルに、遠く離れたオラリオでは喝采があがった。一方的な蹂躙劇もそれはそれで胸のすく戦いではあったが、観客が見たいのはやはり手に汗握る激闘なのだ。

 

 声が聞こえたのか、倒れたヒュアキントスの指がぴくりと動いた。後一押しと悟ったベルは、更に言葉を続ける。

 

「ヒュアキントス・クリオ、貴方はどうだ! 貴方の忠義はそんなものか!」

「……この、小僧が!」

 

 膝をつき立ち上がったヒュアキントスの姿は酷いものだった。防御は最低限しか間に合わなかったのだろう。防具は全て吹っ飛び、上半身は二度の火傷に覆われている。全身血と煤で汚れフランベルジュはどこかに消えた。ふらふらとした足取りには力強さなどなく、冒険者でなくても押せば倒れるような頼りなさだ。

 

 しかし、その眼だ。ベルを睨みつけるヒュアキントスの目には、はっきりとした意思の力が宿っていた。ベルの挑発に憤り、戦いはまだ終わっていないと自分を叱咤し歩み寄るヒュアキントスの姿に、バベルの中では血気盛んな神々も喝采を挙げた。

 

 一歩一歩距離を詰め、お互い腕を伸ばせば触れられるくらいの距離になる。

 

 ヒュアキントスも薄汚れているが、ベルも負けてはいない。直撃こそ避けたものの首から上と手に軽い火傷がある。回復薬を使ったがそれでも折れたアバラ骨がしくしくと痛んでいた。足にも違和感がある。最初の時のように高い機動力に任せた戦いは、もうできないだろう。

 

 中身を使いきってしまった『不滅ノ炎』を放り投げる。紅椿はガレキの下だ。武器は唯一、剣帯に差しこまれたリューから借りた小太刀であるが、ベルはそれを剣帯ごと外して床に落とした。

 

「私は、アポロン・ファミリア団長、ヒュアキントス・クリオ! 我が忠義はこんなことで燃え尽きたりはせんのだ! 戦える私を前に勝利気分など片腹痛いわ!!」

 

 大音声を合図にしたように、ヒュアキントスが拳を放つ。ベルはそれを顔で受けた。口の中に広がる血の味にそれでも歯を食いしばりながら踏ん張る。足に腕に力を込めながら雄叫びを上げ、渾身の拳をヒュアキントスの腹に叩き込んだ。

 

 ベルの拳で、ヒュアキントスの身体がくの字に折れ曲がる。上背のあるヒュアキントスの顔が下がったのを見て、右を引き戻したベルはその勢いを利用してアッパーを放った。身体が僅かに浮き上がるが吹っ飛びはしない。堪えたヒュアキントスは頭上で両手を組み動きの止まったベルの頭に叩き込んだ。

 

 脳がシェイクされるような衝撃に意識が一瞬飛んだベルの腹に、ヒュアキントスの膝が叩きこまれた。回復しかけたアバラ骨がまた砕ける感触に呻き声があがりそうになるが、ベルはそれを気合で堪えた。この二週間ずっと味わってきた痛みだ。ヒュアキントスの蹴りは確かに鋭いが、リュー程ではない。

 

 彼女の白い膝は一瞬でベルの骨を砕き、容赦なく内臓にまでダメージを与えた。想像するだけで背筋が凍るような痛みを思い出したベルの意識は、ヒュアキントスに集中する。アバラ骨を砕かれながらもベルはヒュアキントスの足を掴む。思わぬ抵抗にヒュアンキントスの身体が強張るが、既に遅い。

 

 ヒュアキントスの足を掴んだまま床に倒れ込むようにして体重をかけると、バランスを崩したヒュアキントスも一緒に床に倒れこんだ。両者共に受け身も取れずに倒れたが、ベルの方が動きだしが僅かに早い。

 

 足から手を離したベルはそのままヒュアキントスに馬乗りになった。怒りに歪んだ顔に拳を叩き込む。殴る場所など気にしない。拳を握って力任せに振り下ろす。まるで子供の喧嘩であるがベル・クラネルはレベル2の冒険者だ。男性にしては華奢な体格をしているとは言え、その腕力は一般人との比ではないが、

 

「調子に乗るな小僧が!!」

 

 同様にヒュアキントス・クリオはレベル3の冒険者だった。レベル差以上に解りやすいベルとヒュアキントスの差が身長の差である。まだ身体的な成長期のベルとそうではないヒュアキントスでは体格に大きな差があり、当然リーチにも差が出てくる。馬乗り殴打の最中、背中に膝が叩き込まれるとベルの呼吸と連打も止まった。

 

 その一瞬の間にヒュアキントスはベルを振り落として立ち上がる。咳き込むベルは自分の顔を蹴り飛ばそうとしている足に気づいて慌てて床を転がった。そのまま追いかけては……来ない。その場でベルを睨んだまま、ヒュアキントスは荒い呼吸を整えていた。対するベルも飛びかかったりはしない。同じく呼吸を整え、ヒュアキントスの一挙手一投足を観察する。

 

 怪我の具合は最初に観察した通りだ。その後幾度の交戦で多少酷くなっているはずだが意気軒高。まだまだやる気に満ち溢れていた。対戦するベルが引くくらいの士気の高さである。

 

 普通に考えればネガティブな観察結果であるが、まずそれが目につくということはそれだけ身体にきている証拠でもあった。ヒュアキントスは気力で立っているような状態だった。エリクサーのような完全回復する手段を隠し持ってでもいない限り、この不利は容易に覆せるものではない。

 

 であればこそ、ここまでに攻め切るべきだったと思う者もいた。

 

「関節の極め方の一つでも教えておいた方が良かったのでしょうか」

「生兵法は怪我の元だ。あの『白兎』めは筋は良いが物覚えはよろしくない。一度にいくつも教えても身につかんだろうさ」

 

 冒険者とはダンジョンに潜り、そこで怪物と戦うことを主な仕事にしている。そのためその戦闘技術も怪物と戦うために洗練されたものが中心となっているが、怪物としか戦ったことのない神の眷属など圧倒的少数だ。

 

 実際にはそこそこの頻度で同業者とも戦うのが冒険者の常である。故に同業者相手の戦闘方法を修めるが常道であり、リューと椿が二週間かけてベルに教え込んだのはそういう戦い方だ。普段リヴェリアたちが教え込んでいるダンジョンで生き残るための戦い方とはまるで種類が違うものである。神が地上に降りてくる前から存在した、子供が子供を殺すために編み出した泥臭い戦い方なのだ。

 

 田舎の山育ちであったために身体こそ背丈の割に頑丈だったが、武術の類は何も修めていなかったベルである。武器の持ち方、武装しての歩き方さえ本格的に学んだのは神ロキの眷属となってからだ。

 

 ベル本人は決してもの覚えの良い方ではない。憶えたことを実践する力は目を見張る物があっても、そこに至るまでが長い。椿やリューからすればそれは物足りなさを覚えるレベルであるが、この二週間のベルはそれを試行回数でカバーした。

 

 大怪我をしてはポーションで回復し、また大怪我をして技術を一つ一つ身に着けていく。言葉にすればそれだけで済むことだが、ポーションは感じた痛みまで忘れさせてはくれない。また大怪我をすると解っていてもそれに立ち向かえるだけの精神的な強さを持った者がどれだけいるだろう。

 

 強くなるということについて、ベル・クラネルは果てしなく貪欲だった。その貪欲さがレベルで勝るヒュアキントスに食らいつくという結果を生み出しているのだと思うと、教えたリューも椿も感慨深い。

 

 睨み合いから先に踏み込んできたのはヒュアキントスだった。自分の方がより時間がないことは自覚しているのだろう。これ以上時間をかけてはいられないと最後の力を振り絞って猛攻を始める。ベルがヒュアキントスに明らかに勝っているのはその俊敏さだったが、ダメージの蓄積によってその『足』は失われていた。万全の状態であれば避けるなりしていた攻撃も、足を止めて受けざるを得ない。

 

 ベルのステイタスの向上による耐久の上昇はレベル2にしては目を見張るものがあったが、ヒュアキントスの攻撃を受け続けていられるほどに頑丈な訳ではない。リューよりは下と言っても自分よりは上なのだ。元より単純な戦闘技術では冒険者歴の長いヒュアキントスの方に軍配が上がる。お互いダメージによって力が均されれば最後に物を言うのは地力の高さだ。

 

 初めは防御できていたベルも次第に手が回らなくなっていく。ヒュアキントスの拳を顔で身体で受ける度に意識が飛びそうになるのを気合で堪える。リューの拳はもっと速く鋭かった。椿の拳はもっとずっと重かった。痛みに耐えそれを乗り越えた経験がベルの意識を繋ぎとめていた。

 

 自分はまだ戦える。まだ負けていない。最後に勝つべく攻撃を耐えていたベルを、ヒュアキントスの拳がついに吹き飛ばした。ガレキの中を転がり止まったその先でベルの右手が何かを掴んだ。

 

 それはベルが自分で手放した『不滅ノ炎』だった。一度の放出で中身は空になっている。真紅に染まっていた刀身は中身を示すように透き通っていた。文言を唱えても炎が出ないことは明らかだったが、その仕組みを正確に理解しているのはベルたちのみだ。ヒュアキントスは当然、それを知らない。

 

 ベルが手にしているものが自分を酷い目に合わせた魔剣だということは、その形状から理解することができた。

泥臭い殴り合いを繰り広げてこそいたが、それは明文化されていた訳ではなく本人たちが自主的に行っていたものである。これから先も殴り合いを続けなければいけないという強制力はなく、先程ベルが魔剣を使ったように今まさに魔剣を使ったとしても、それを非難する権利はヒュアキントスにはない。

 

 そしてそれ以前の問題として、次に同じ攻撃を食らったらおしまいだということはヒュアキントス本人が良く理解していた。被害者の当然の対応として、一気に距離を離して防御態勢に入る。魔剣を拾って自分に向けた以上、すぐにぶっ放すのは明らかだと判断したからだ。

 

 しかし、ベルはヒュアキントスの予想とは全く違う行動を取った。『不滅ノの炎』を握ったまま、後退したヒュアキントスを上回る速度で距離を詰めたのだ。魔剣の攻撃が来ると思っているヒュアキントスの前でベルは『不滅ノ炎』を放り投げ、拳を握りしめた。速度で勝るベルが追い付く。一歩、二歩。ヒュアキントスの前で強く踏み込んで、身体を捻る。

 

 雄叫びを上げ、真っすぐに突きだされたベルの拳はヒュアキントスの腹に突き刺さった。ベルの拳とヒュアキントスのアバラが砕ける音が重なる。拳を引こうとしたベルは、砕けた拳の痛みに思わず足を縺れさせた。今しがた殴ったばかりのヒュアキントスに肩口から倒れ込んでしまう。

 

 腹部への一撃と勢い余ったベルの体当たり。加えて受け身も取れずに倒れ込んだことは、激闘を経たヒュアキントスにトドメを刺すには十分だった。床に思いきり頭を打ち付けたヒュアキントスは今度こそ意識を失った。起き上がったベルが身体をゆすってもぴくりともしない。

 

 これでアポロン・ファミリアには戦う者がいなくなった。ロキ・ファミリアの勝利だ。勝利ではあるのだが……ベルは釈然としない面持ちで、ゆっくり立ち上がった。

 

 ベルの視線の先にはアポロン・ファミリアの団旗がある。それを取ることを阻む敵は今度こそ存在しない。望んでいた勝利なのだ。二週間の苦労が実を結ぶ瞬間なのだ。リュー達に骨を折られながらおぼろげに夢見ていた瞬間が目の前に迫っているのにベルの心には高揚はなかった。

 

 このまま勝って良いのか。ベルの心中を一つの疑問が渦巻く。

 

「旗を取るのだ、ベル・クラネル」

 

 それを促したのは、それまで黙って観戦していた椿だった。やめておけ、とリューが視線で訴えるが椿は言葉を止めない。

 

「抵抗があるのは解るが、それはお前の義務だ。お前はお前の名誉だけを賭けて戦った訳ではない。それを忘れるな」

 

 戦う者こそ神の眷属である子供たちだが、『戦争遊戯』は神の名代として行われるもの。言わば彼らの代理戦争だ。神の意志で実行されるそれを、子供の意思で捻じ曲げるようなことがあってはならない。それは神に対する反逆であり、冒険者にとって忌避すべきものだ。

 

「此度のことはお前の弱さが招いたことだ。お前が一人でアポロン・ファミリアを平らげられるならば手前たちが協力することもなかったろう。お前が一人でヒュアキントス・クリオを倒せるならば魔剣を使うこともなかったろう。誰憚ることなく胸を張れる勝利が欲しかったのだろうがそれは無理な相談だ。それができないくらいにお前が弱いからこそこうなったのだからな。一人では勝利できなかったお前に、勝利の形に注文を付ける権利などないのだ」

 

「だが思い出せ。何が何でも勝ちたかったのはお前自身のためだけか? 手前たちに骨を折られている時に、仲間の顔が一度も過らなかったというのであれば前言の全てを撤回するが、お前はそのような薄情な人間ではないな?」

 

「であれば、その苦しみと痛みは全て仲間のためと心得ろ。言いたいことも沢山あるだろうが、今はそれを飲みこんで旗を取って胸を張れ。全てはそれからだ。仮にお前の勝利にケチを付ける者がいたとしても手前だけは――」

 

 と、リューの拳が椿の後ろ頭に振り下ろされる。ごちん、と目の覚めるような音が響いた。僅かに涙を浮かべて睨みやるが、下手人のエルフは口笛を吹くようにして視線を逸らしている。自分は何も悪くないという態度にハーフ・ドワーフの鍛冶師の頭に血が上るが、元より配慮の足りない真似をしたのは自分の方であると文句を飲みこんだ。

 

「手前たちだけは、それを称えてやろう。同じ釜の飯を食った仲だ。これから弱さと向き合うのであれば、その手助けもしてやる。足りない強さはこれから補えば良いのだ。だから今は自分の弱さも痛みも全て飲みこんで胸を張れ。どういう事情であれ、お前が勝ったことに違いはないのだからな」

 

 さぁ、と椿が団旗を示す。不満と不安はまだベルの心の中で燻っていたが、今度はその歩みを止めなかった。

 

 ベルの手が、アポロン・ファミリアの真紅の団旗を手にする。その瞬間、バベルの中に、そしてオラリオ中に歓声が響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 


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