英雄になりたいと少年は思った   作:DICEK

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『戦争遊戯』⑤

 

 

 

 

 

「これは一体どうしたら……」

 

 アポロン・ファミリアの団旗を手にし自らの勝利を確定させたベルだったが、その後はというと途方に暮れていた。耳目を集める時の人と言っても、その実は十代の少年であり冒険者になってまだ日も浅い。『戦争遊戯』に参加するのは無論初めてであり、そも巻き込まれるまで存在も知らなかった程である。

 

 加えてこの二週間は仲間のエルフとハーフドワーフに全身の骨を砕かれ続けていた。理解していたのは自分が戦うこと、それに勝たなければならないことまでで、その後にどうするのかという段取りは全く聞かされていなかったのだ。

 

 これは共に時間を過ごした椿とリューにも落ち度がある。オラリオ歴の長い彼女らからすれば、『戦争遊戯』の勝利者が()()()()()振る舞うことなど当然のことだったのだ。おほん、とすました咳払いをした椿がリューに先んじて一歩前に出る。

 

「旗は元の場所に置け。身一つで外に出るぞ。主役は勝ったお前であり、旗ではないからな」

 

 勝者を目立たせるという意味合いもあるが、団旗は本来そのファミリアに帰属するもので、翻って言えばそれは神の所有物である。『戦争遊戯』が発生した経緯とベルが勝者であることを加味すれば多少雑な扱いをした所でそこまで大事にはなるまいが、オラリオが神を中心に回っている以上、子供の神に対する無法が衆目に晒されてしまうと、それを処分しないという訳にはいかない。

 

 その辺りの機微を理解している訳ではあるまいが、ベルは自分の持っている旗が他人のものであることには考えが回っており、それが大事なものであることも理解していた。自分が戦った相手に、それなりの敬意を払っている様子に椿は内心で感心する。

 

 とかく、冒険者というのは粗野な者が多い。冒険者の流儀ということで、彼ら彼女らは時間をかけて身体で慣習やら何やらを理解する訳だが、ベルのように最初から行儀が良い人間というのは少数派だ。自分がそうでなかったからこそ、ベルの振る舞いは椿には好ましく思えた。

 

「ヒュアキントスさんたちは……」

「負傷者の回収は対戦相手の仕事ではない。それ専門のスタッフがおるからそれに任せよ。勝者はまず己の主神の所へ勝利の報告へ行かねばならんのだ」

「そうだったんですか……」

 

 細かな違いはあるのだが、特別な取り決めがない場合は慣例としてそうすることになっているのだ。これはベルには知らされていないことだが、今回の『戦争遊戯』の裁定はロキとアポロンの取り決めにより、ベルが行うことになっている。ベルがどう思うかに関わらず、彼がアポロンの前に行かない限り今回の『戦争遊戯』そのものが完結しない。ベルのオラリオへの早急な移動は参戦者である椿とリューにとっても義務と言えた。

 

「歩けるか? 辛いようであれば肩を貸してやるぞ……そこなエルフが」

「そこは自分が肩を貸す、というべきところでは?」

「ポイントを稼ぐ機会を譲ってやろうというのだ。接吻までした仲だろう? 今さら恥ずかしがることはないぞ」

 

 カカカ、と笑う椿に、ベルとリューは一瞬で顔を真っ赤に染めた。人間にしてもエルフにしても、二人はどちらも奥手であり、どういう意図があるにしても、公衆の面前で唇を重ねたという事実は二人にとって羞恥心を大いに刺激するものだった。

 

 穴があれば入りたい心境だったが、リュー・リオンというのはとりわけ責任感の強いエルフだった。己の神のため仲間のため辛い修行に耐えて勝利を勝ち取った人間の少年に、何かをしてあげたいというのは当然のこと。『辛い修行』の際、そのベルの骨を折り続けたという負い目もある。肩を貸すくらい何ということはない。たとえ先ほど唇を重ねた相手であろうとも、彼のために何かをしてあげるのは当然のことだ。

 

 自責と羞恥と理性と好奇心と、その他色々な感情がない混ぜになり、自分を納得させる理屈をくみ上げるまでの僅かな間に、エルフの美女よりも先に初心な少年が先に羞恥に負けた。

 

「いえ! 大丈夫ですので!」

 

 そうベルに言われた時のリューの僅かな表情の変化を見ることができたのは、椿だけだった。思っていた以上に脈ありなエルフに、内心でほくそ笑む。

 

ドワーフとエルフが仲が悪いというのは有名な俗説である。関係とは種族ではなく個人同士で結ぶもの。特に種族のるつぼであるオラリオではその傾向が強く、この種族同士だからというのはあまり当てはまらないのだが、数ある俗説の中でいまだ残り続ける程度には、それを補強する事例が存在する。

 

 かく言うドワーフの血を半分だけ引く椿も、こまっしゃくれたエルフというのは好んで付き合おうと思うタイプではないのだが、生真面目潔癖金髪碧眼とテンプレートな特徴ばかりを持ったこのエルフのことが好きになっていた。そこな『白兎』のことを好いているのであれば応援してやりたいとも思うが……ただでくれてやるのはもったいないとも思うのだ。

 

 それでは共にパーティを組もうと言えれば話は早かったが、リューは事情が複雑であるし、ロキの眷属であるベルの所には異なる神の眷属が入り込む余地は少ない。

 

 ふむ、とそっと旗を元の場所に戻すベルを眺めながら椿は小さく息を吐いた。

 

 柄にもなく興奮した二週間だったが、鍛冶師としての本分を忘れるつもりもない。元よりヘファイストス・ファミリアはロキ・ファミリアと友好関係にある。しばらくはベルの専属ということになるであろうし、それで満足するとしようと自分を納得させた椿は、地味に不貞腐れている様子のリューの背中を小突いた。

 

 むっとした表情を見せるリューだったが、すぐに何故自分が小突かれたのかに気づく。白い両の頬に手をやりながら椿に視線を向け、小さく首を傾げる。『そんなに解りやすかったですか?』というリューの問いに椿は笑みを浮かべながら、体越しのベルを指し首を横に振る。『あいつ以外ならな』という椿の切り返しに、リューは渋面を作った。運命のエルフは運命のエルフで事情が複雑なようである。

 

 戻してきました! というベルは妙に肩肘を張りながら先立つようにして歩き出した。肩を貸してもらわなくても大丈夫、という彼なりのアピールであるらしい。そう強調されると逆に構ってやりたくなるのだが。椿はからかい倒してやりたい衝動を無理やり抑え込んだ。

 

 自分が調子に乗っていることは自覚している。ベルの面倒を見るためということでこの一週間は好き放題にやってきたが、既にロキ・ファミリアの勝利が確定した以上、椿の重要度は当初よりも大分薄くなっている。具体的にはそろそろ母親役のリヴェリアから苦情が入ってきそうな気配であるのだ。

 

 『神会』の仕切りである『戦争遊戯』はオラリオ中に中継されており、その中には当然リューがベルの唇を奪った所も含まれているはずである。問い詰められれば実行犯はリューだけだと仲間を売り渡して逃げるつもりではあるものの、はいそうですかと納得してくれるとは思えない。その後に唇にではないとはいえ、椿も似たようなことをしているのだ。同罪であるとリヴェリアから沙汰が下れば面白くないことになる。

 

 ロキ・ファミリアに対し――より具体的にはリヴェリアに対し恩を売っている立場ではあるが相殺して余りあるとなれば、今後ベルとの接触を制限されることにもなりかねない。リューの口づけが問題にあるのだとすれば既に手遅れである気もするが、何もマイナスを好んで重ねることもない。椿の頭の中では既にこの勝利を軸に、今後どうやってベルと付き合っていくかのシミュレートが行われていた。

 

 豪放磊落を絵に描いたような椿だが、理屈で動くべき所は理屈で動く。多分に感性と技術で成り立つ鍛冶の世界であるが、それだけでは集団の長にはなれない。少なくとも集団を率いるだけの手腕があると神ヘファイストスに見込まれたからこそ、椿・コルブランドはヘファイストス・ファミリアの団長なのだ。

 

 椿とリューを引き連れて――内心はどうあれ、対外的にはそういう構図になる――ベルが外に出ると、そこにはずらりとフレイヤ・ファミリアの団員たちが整列していた。先頭には『猛者』オッタル。その後ろには『女神の戦車』アレン・フローメルを始め、高位の冒険者たちが並んでいる。

 

 種族も多種多様だ。鍛冶系のファミリアにはドワーフが多くエルフが少ないとか、イシュタル・ファミリアはアマゾネスが多数を占めるなどいくつかの例外はあるが、これは基本的には探索系のファミリアには広く当てはまる特徴である。男女比率は男性の方が高いだろうか。この辺りは女性に大分偏っているロキ・ファミリアと大きな違いだ。

 

 最強の評価をロキ・ファミリアと二分する精鋭たちの視線がベルに集中している。彼らの目的が自分であるのはベルにも解ったが、彼に解ったのはそこまでだった。心当たりがないではないが、眷属全てが残る合理的な理由がベルには解らない。

 

 目を白黒させているベルとは対象的に、同行者であるリューと椿はフレイヤ・ファミリアの事情が理解できていた。

 

 彼らはベルを待っていたが、ベル本人に思う所がある訳ではない。彼らは女神フレイヤの命令を受けて参戦した。彼らにとってはそれが全てである。そこに感謝を向けられても向けられなくても、彼らにとっては大した問題ではない。

 

 彼らにとって重要なのは主神フレイヤから命令が下されたことと、自分たちがそれを果たしおおせたことだ。極論を言ってしまえば、ベルの生き死ににさえ彼らは大した興味はない。むしろ最近、主神の寵愛を集めている『白兎』のことを忌々しく思っている者さえフレイヤ・ファミリアにはいた。

 

 だが、手を出したり絡んだりするような者はいない。忌々しいというのは子供の感情である。主神が寵愛を向けているというのであれば、眷属にとってはそれが最も重視すべきことだ。『白兎』の身に何かあってフレイヤが心を痛めるようなことがあるとなれば、彼らは全力をもって『白兎』を守るだろうが、フレイヤの愛は深くともまっすぐではないということは眷属全てが知る所である。

 

 神の考えは子供に計り知れることではない。守れと言われれば守るが、特に何も言われなければ干渉することもない。勝手な判断でフレイヤの不興を買うようなことがあれば、それこそ眷属にとっては大損である。

 

 そんな彼らがベルを待っていたのは、これもやはり女神と、そして自分たちのためだ。

 

 主命が全てである彼らは、己が主神にアピールする機会を貪欲に欲している。この中継はフレイヤもバベルで見ているはずで、現在、近くに『白兎』がいる。自分たちの振る舞いを見てもらえる、まさに絶好の機会なのだ。フレイヤ・ファミリアがそういう集団だというのは、オラリオにいれば解ることで、これがベル以外のロキ・ファミリアの面々であれば、その意図を組んで行動することができただろう。

 

 冒険者の流儀とでもいえば良いのだろうか。その暗黙の了解が、ベルにはまだ理解できていない。この場の主役はベルであるから、フレイヤの眷属たちもそれを無視することはできない。主役あっての脇役なのだ。美をつかさどる女神は己の眷属がその領分を破ることを由とはしない。ベルが行動しない限り、フレイヤの眷属たちも動けないのだ。

 

 右往左往するベルを見てみたくはあったが、これではいつまで経っても話が先に進まない。リューにこの手の仕事を任せるのもコトであるし、ここは手前が一肌脱ぐか、と考えた椿はベルを追い越し先頭に立った。どうしたものかと途方に暮れていたフレイヤの眷属たちは椿の登場に、これでやっと先に進めると顔には出さずに色めき立つ。

 

 そんな冒険者たちを前に、ヘファイストイス・ファミリア団長である椿・コルブランドは大音声を挙げた。

 

「偉大なる我らが先達にして、オラリオ最強の冒険者。フレイヤ・ファミリア団長『猛者』オッタル殿に申し上げる! そこなベル・クラネルは田舎生まれの粗忽者故、冒険者の作法というものを存じ上げない! どうかオラリオの冒険者の流儀というものを、この者に見せてやってはくださらぬか!」

 

 芝居がかった椿の口上に、待っていましたとオッタルが、フレイヤの眷属たちが歩み出る。肯定を行動で示した彼らを前に、椿は深い笑みを浮かべて一歩退いた。ここから先は、しばし彼らが主役である。多種多様な種族、年齢で構成された一団が一つの目的のために一糸乱れぬ行動をする様は流石に壮観だった。

 

「今日、卑小なる我らの一人が英雄の階に足をかけた! かの者の名は、ベル・クラネル!」

 

 オッタルに続き、フレイヤの眷属たちが三度ベルの名を連呼する。一度名前を呼ばれる度に、ベルは自分の中で心が燃え立つのを感じた。倒すべき敵を倒し、果たすべきことを果たしたことで消えようとしていたものが再び燃え上がってくる。

 

 彼らは皆冒険者。それもベルよりも遥か先を行っている者達である。信じる神も異なり、彼らから見れば実力も下。普通に考えれば誉め称えるような義理はない彼らが自分の名前を連呼することに、初心なベルは素直に感動していた。

 

 そんなベルの背中をリューと椿は生暖かい目で見守っていた。冒険者歴の長い二人は、フレイヤの眷属たちが純粋にベルのことを思ってやっている訳ではないことが良く解っていた。

 

 信じる神の異なる者たちが、どういう事情であれ劣勢である者の加勢にきてその勝利に貢献した。対外的にこれは大きな貸しである。自分たちの存在をアピールすることで、貸しを忘れるなと念を押しているのだ。これはベルに対してというよりも、主神であるロキに対してのもの。フレイヤの指示かどうかまでは解らないが、いずれにせよ『戦争遊戯』が終わればロキは何らかの対価をフレイヤに支払うことになるだろう。

 

 これがフレイヤが仕込み、加勢することになったのはたまたまだったとしても、加勢したという事実に代わりはなく、ベルとロキの勝利に貢献したことは疑いようがない。勝利した側のロキの心情は複雑なものがあるだろうが神々の関係というのは地上の子供たちが考えるよりも遥かに複雑なものだ。地上の子供であれば絶縁するようなことでも、彼らは笑った許したりもする。そもそもの感性が子供たちとは異なるのだ。

 

(それでもロキは、この有様を見て地団駄を踏んでいるのだろうが……)

 

 熱しやすい糸目の神を想像し、椿は苦笑を浮かべる。椿も貸しを回収する側であるだけに、ロキの怒りは想像するに余りあるが、それはまだしばらくは先の話で、子供が考えるべきことでもない。先達の放つ大音声に興奮しきった『白兎』の背中を、椿はそっと叩いた。

 

「勝ち名乗りでも挙げると良い。それがお前の権利であり、義務だ」

「でも、どうやって……」

「何も考えずに吠えれば良い。後は勝手に奴らが盛り上げてくれよう」

 

 ほら、と背中を押されてベルは前に出た。大音声の余韻冷めやらぬ場の空気を前に、ベルの興奮と緊張は頂点に達する。

 

 自然と、彼は腕を振り上げていた。何を叫んだのか、後から振り返ってみても覚えていない。ただベルは、腹の底から、心の底から吠えていた。

 

 そうして、自分が勝ったのだということを理解した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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