英雄になりたいと少年は思った   作:DICEK

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『戦争遊戯』 その後②

 

 

 街中大騒ぎだった『戦争遊戯』にも一区切りがつき、オラリオにも日常が戻って――は来なかった。非日常というのは日常を押しのけて存在する訳で、その間に押しのけられたものは、なかったことにはならない。

 

 つまるところ、その間に処理されるべきだった先送りされた物は当然その未来において、処理すべきだった者の所に舞い戻ってくる。

 

 それは全ての職種、全ての種族に共通するものだった。とりわけ、日々業務が多岐に渡るギルドは大わらわである。彼らの主な職務は冒険者の対応であるが、その冒険者たちが曲者だ。彼らの中にはまだ『戦争遊戯』の熱気が残っているのだ。

 

 冒険をしてやるぜ! とテンションの上がった冒険者たちがひっきりなしにギルドを訪れ、テンションの上がった状態のままギルド職員と折衝をしたり、同業者と衝突したり、挙句ギルド内で乱闘騒ぎを起こしていた。乱闘が起こっているのはギルドに限った話ではなく、オラリオ全域でのことらしい。

 

 その辺りの対処のために、一部の冒険者に依頼が出る程だ。いつにも増して忙しいというか、エイナが職員となってから一番忙しい日々が続いているが、この熱気をエイナは悪くないと思っていた。

 

 何しろ憎からず思っている少年の大活躍の結果なのだ。まぁ、彼の『運命のエルフ』としてその筋には評判のリオン某との色々が、オラリオ中に広まってしまった訳だがそれはそれだ。リオン某は純血のエルフであるが、その血はエイナにも流れている。あれは自分にも通ずるものだと無理矢理思えば気分も悪くない。

 

 具体的にベルに対して何をしたいとか思い詰めている訳ではないものの、エイナとて年頃の女性である。自分の将来について、考えたことがないでもないのだった。

 

 結婚するならどんな男性が良いのだろう。厳つい、いかにも冒険者らしい筋骨隆々とした男性は威圧的に感じてしまってあまり好ましくない。リードはしてほしいという思いもあるが、できることなら自分が面倒を見てみたい、というのがエイナの偽らざる欲求だった。

 

 身長はあるに越したことはないが、自分と並んで歩けるくらいがちょうどいいと思う。それを考えると小人族やドワーフというのは自分の男性観としてはあまり好ましくない。

 

 愚者であれば困りもするが、賢者である必要はない。学識こそ全てと考える者はどの種族にもいるが、生きていくに十分な知恵を持っていればそれで良い。

 

 別に養ってくれなくても良い。慎ましくも幸せに、手を取り合って日々を生きていけたらそれで良い。

 

 できれば年下で童顔が良いなーと、仕事をしながら自分の将来に思いを馳せていると、不意にギルドの喧噪が不自然に途切れる。その一瞬はエイナの思考を引き戻すには十分なものだった。資料から視線をあげて見た入り口には、オラリオで最も有名で高貴なエルフがいた。

 

 かつて英雄譚にも登場した存在に連なる血筋であり、本物の姫にして高位の冒険者。ロキ・ファミリア副団長にしてレベル6。オラリオ最高の魔術師と名高い『九魔姫』リヴェリア・リヨス・アールヴ。病に臥せっているエイナの母アイナが今も変わらず忠誠を誓っている存在であり、人間である父との仲も取り持ってくれた、色々な意味でエイナにとって頭の上がらない存在だ。

 

 そのリヴェリアがまっすぐ、エイナに向かって歩いてくる。多忙な日だ。当然、エイナのカウンターの前にも他の冒険者たちが列を作っていたのだが、リヴェリアはその最後尾に並んだ。レベル6の冒険者にしては律儀なことであるが、ギルドからの召喚命令などの何らかの理由で予約でもしていない限り、順番は守れというのは冒険者の上から下までの鉄則である。

 

 かの『九魔姫』であっても例外ではない。他に並んでいるのがどこの誰であろうと順番を譲る理由にはならないのだが、実力主義の冒険者の世界にあって力による序列というのは絶対だ。エルフ世界の事情を全く加味しないとしても、リヴェリアのレベルは6。オラリオに存在するほとんどの冒険者よりも高位であるというその事実は、特にレベル1、2の駆け出しに毛が生えたレベルの冒険者たちからすれば、敬意と恐れを持つには十分だった。その『九魔姫』が急いでいる様子であれば猶更である。

 

 示し合わせた訳でもなく、一人また一人と列を抜けると、リヴェリアの前には誰もいなくなった。考え事をしている間に自分が列の先頭になっていることに気づいたリヴェリアは、周囲を見回し視線で問うた。良いのか? 良いに決まっているのだ。順番を譲った冒険者たちがばらばらの仕草で先を促すに至ると、すまんな、と小さく言葉を漏らし、リヴェリアはカウンターに手をついた。

 

 翡翠色の長い髪がさらりと流れる。美しさも磨かなければ光らないと言うが、凡人がいくら磨いた所で到達しえない美というものがそこにあった。女神も嫉妬するという美貌を前に、エイナは思わず立ち上がる。

 

「エイナ・チュール。お前はアイナから一通りの技術を伝授されたと聞いているが、それはどの程度だ?」

「思い上がられても困るが、これだけできるのであれば助手としてなら使ってやると言われました。ギルドに就職する、少し前の話です」

「結構。本来であれば我が親友である所のアイナを、寝所から引きずりだしてでも頼むのが筋というものなのだが、ことは急を要する。今この街において、お前だけが頼りなのだ。どうか力を貸してほしい」

 

 返事はもちろんイエスだ。アイナから忠節について、恩義について幼い頃から説かれていたエイナにとってリヴェリアの頼みを断るという選択肢はない。それでも即答を躊躇ったのは、ギルドが今ご覧の有様だからだ。ギルドには沢山の職員がいる。自分一人が抜けた所で、減少する総合力などたかが知れているが、猫の手も借りたい状況というのは今この時のことを言うのだ。

 

 務めてまだ短い組織ではあるが、愛着はあるし義理もある。仕事に忙殺される同僚を放って、個人的事情で席を立つことは、若いエイナには躊躇われた。

 

 そしてそれを察せないリヴェリアではない。

 

「昨晩の内に人を飛ばした。神ウラノスには話は通っている。個人的事情でエイナ・チュールを借り受けるとな。返答は是ではあったが、ギリギリまで仕事をさせてくれというのでやってくるのがこんな時間になってしまった訳だ」

 

 冒険者が自分の都合でギルドの職員を動かすのだ。可能か不可能かで言えば可能であろうが、当然、ギルドからも他の冒険者からも良い顔はされない。ギルドの理念は公正であり公平。いかに高位の冒険者であるとは言え、一個人の頼みを一々職員が受けていたら、組織さえ回らなくなる。

 

 公平公正がギルド職員の理念であるならば、独立独歩が冒険者の信条である。上に行けば行くほど、組織のしがらみというものを理解し、そういう行いをしなくなるものだ。団長であるフィンと共に、ファミリアの頭脳労働を担っている者として、リヴェリアはそれを熟知しているはずだ。

 

 それが、その上でなのだ。彼女の状況がどれだけ逼迫しているのか、エイナには手に取るように理解できた。これで協力しないとなれば女が廃るというものだ。エルフの宮廷儀礼は、幼い頃から母に仕込まれた。母はよりによって姫を連れて国を出てきた身である。どの面を下げて故郷に戻るのかという話であるが、それでも備えというのはしておくものだと頑として譲らなかった。

 

 子供の頃はそれを本気で疎ましく思ったものの、そういう厳しい躾を経て今の自分があるのだと思うと、母への尊敬の念も強まるのである。

 

 昔からの従者であるように。母を真似てエルフの古典礼でもって、リヴェリアに頭を下げる。

 

「アイナ・チュールの娘、エイナ。御意にお応えします」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 冒険者歴どころかオラリオ歴の短いベルにとって、宴と言えば宴会であり、その会場は主神ロキのお気にである『豊穣の女主人亭』か『黄昏の館』のどちらかである。なのでロキに宴やでと誘われた時は皆が賑やかにやるものだと思ったのだが、まずドレスコードがあるということに驚き、ロキ持ちで一張羅を仕立てることになって更に驚き、仕立て屋さんのお姉さんにあーでもないこーでもないと身体を触られて色々な意味で驚いた。

 

 驚き続きで目の回る中、それでも時間は流れていく。会場であるバベルの前まで立派な馬車で連れられた時には、見事に服に着られた一匹の『白兎』が出来上がっていた。

 

 田舎暮らしのベルにも、この服が良い物だというのは解る。何しろ自分が普段着ている平服とは肌触りからして違うのだ。高貴な生まれのリヴェリアなどは平服もこういう素材ばかりと聞くが、根が庶民であるベルはそれを想像すると気分が滅入るばかりである。

 

 そんな高価な服を着ていては気が休まらないはずだ。きっと、今の自分のように……

 

「まぁ、そこまで固くなる必要はないっすよ。ベルは今回の主賓っすからね。取って食われるようなことはないっす」

 

 今日も今日とて御者をしていたラウルが、ベルにそっと囁く。会場に入らない御者役の彼も今日は一張羅だ。物語の騎士というよりは兵士という風貌の彼であるが、流石にベルよりも年期があるせいか一張羅も着慣れている風である。良い意味での緊張感のなさはいまだに田舎者気分が抜けないベルの見習うべき所だった。

 

「今から休むという訳にはいかないでしょうか。何だか気持ち悪くなってきました……」

「慣れておいた方が良いっすよ。これから何度もこういうとこには来るんすから」

 

 からからと笑うラウルは完全に他人事である。

 

「それじゃ、俺は馬車で待機してますから、帰る段になったら呼んでください」

「おおきになー」

 

 ラウルは馬車と共に消えてバベルの影に消えていく。塔そのものが大きすぎて影裏手と言ってもかなりの距離がある。人の流れもあり、馬車がそれに乗って行くのを見送りながら、ベルは疑問を口にした。

 

「ラウルさんは一体どこへ?」

「馬車の駐輪場があっちにあってな。御者は連れてきたもんが帰るまでそこで待機や」

「……寂しくないですか?」

 

 自分たちは華やかな会場でパーティ。方やラウルは駐輪場で待機だ。主賓として招かれている身ではあるものの、気の良い先輩のラウルが寂しい思いをするとあっては、ベルとしても気が気ではない。

 

「この街の御者っちゅーんはそういうもんや。その分お小遣い渡しとるし、御者は御者でそれなりの給仕(サーブ)受けられるしな。案外楽しんどるんやないか?」

 

 言われてみれば確かに、馬車にからころ揺られるラウルに寂しそうな気配はなかった。慣れからくる強がりかと思っていたのだが、ロキの言うように別に楽しみがあるのなら、気にしすぎなのかもしれない。

 

 何より今は他人よりも自分のことだ。着慣れない服を着てキラキラした建物の前に立つのは、武器を持たずにダンジョンに入るよりも緊張する。事実、今の緊張感は数日前『戦争遊戯』に臨まんとしていた時に匹敵する。がちがちに緊張したベルを見て、ロキは柔らかく微笑んだ。いつもはヘソだしスパッツの彼女も、今日は鮮やかな赤のドレスである。

 

「ま、今日はベルが主役やさかいな。堂々としとき」

「そんなことを言われても……」

 

 言われて堂々とできたら苦労はしない。おろおろするベルを見て、ロキは母性本能をくすぐられていた。親としては何とかしてあげるべきなのだろうが、こういう困った様子のベルを眺めるのも中々オツなものだ。

 

(ウチの子はなんちゅーかこう、初々しい子はあまりおらんからなぁ……)

 

 手がかからないというのもそれはそれで問題なのだ。かわいい子ばかりであるが、ベルほど初々しいのは過去まで遡っても一人もいない。そのベルが一際優秀なのだから、世の中解らないものだ。

 

 悪い意味で神々の注目を集めるのはロキをしてもあまり良くないことと言わざるを得ないが、英雄の道というのは得てして困難が伴うものである。

 

 そのための主神、そのための眷属、そのための家族であり、そのための仲間だ。ベルが道に迷っているのであればその手を引いてあげれば良い。打ちひしがれた時には励まし、挫けた時には共に戦う。正しく、彼は今一人ではないのだ。

 

 自己弁護は済んだ。つまりは何かあった時にケツを持つのは自分たちなのだから、泣かない程度に存分にからかってかわいがったれというのがロキの主義である。女性の多いロキ・ファミリアだ。きっと多くの団員がこの意見に賛同してくれるだろう。

 

 ロキにからかわれながら、ベルはバベルを上る。エレベーターに驚き、すれ違う人のきらびやかさに驚き、ハイソな雰囲気に更に驚き、見るもの聞くもの感じるもの全てに驚くベルに、ロキのテンションも最高潮に達しようとしていた。楽しい。常にそうあるべきと考えているロキであるが、今は最高に楽しい。

 

 この瞬間をつかむために色々と不愉快なこともあったが、ベルのこの姿を見れたことを考えればおつりがくるくらいだった。不安そうなベルの手を握り、彼がぎゅっと握り返してきた時など、興奮で叫びそうになるのを堪えるのに苦労した程だ。

 

 後で絶対フレイヤに自慢したる。穏やかな笑みを浮かべながら内心、嫉妬で怒り狂うだろう古い友神の姿を考えていることをいつもの笑みに隠しながら、ロキはベルの手を引いたまま、従者役の冒険者に大広間の扉を開かせた。

 

 きらびやかな世界。着飾った人々。一柱の神に一人の眷属。そのルールを考えれば給仕を除いて、ここにいる半分は神様である。ほとんどの冒険者にとって、馴染みがある神というのは自分の所の主神くらいで、他の神とはあまり交流があるものではない。ベルとて名前を知っている神様は大勢いるが、それと顔が一致するのはロキくらいのものだ。

 

 ちなみにその彼ら彼女らは既にパーティを楽しんでいた。招待されるのも神々なだけあって、最低限の格式は求められるものの、その実は自由である。主催者から招待さえされれば、いつ来ても構わず、参加さえすればいつ帰っても良い。

 

 主賓主催がやってくる前にパーティが始まっているのも、そういう理由である。進行の事実上唯一のルールは、主催者と主賓が帰る前にパーティを終えてはいけないというものだけ。開始時間も終了時間も決められていない、中々混沌とした催し物なのである。

 

「まぁ、これを機に顔を売っとくのもえーやろ。ウチは謙虚で寛大な神様やから? 大抵のことは許したるでー」

「そうですね。ありがとうございます。神様」

 

 ベルの考えでは、ロキの言に異論はない。彼女は謙虚で寛大だ。それが偽らざるベルの本心だったのだが、ロキは自分がそうではないことをはっきりと認識している。自分の子供のキラキラとした視線を受けると、自分がそれだけ汚れた存在であるような気がして背中のかゆくなるロキだった。

 

「…………あー、あれや。まずは今回世話になった連中にご挨拶やな」

 

 微妙に動きがぎこちなくなったロキが最初に紹介したのは、髪の長い穏やかな表情の男神だった。その正装はベルの思い浮かべる理想の紳士然としていて、同性であるにも関わらず思わず視線を奪われた。物腰穏やかで女性に優しい。それがベルの思う男性の理想である。

 

 男神はロキを見て、深い笑みを浮かべた。ロキも気安そうに歩み寄り、その身体をバシバシと叩く。

 

「ミアハ。ウチの子のベルや」

「会えて光栄だ、『白兎』」

「今回大量に使うたポーションはな、八割くらいミアハのとこが用意してくれたんやで?」

「そうだったんですね。ありがとうございます!」

 

 バケツポーションには世話になった。具体的には、なければ千回は死んでいたというくらいに世話になった。その提供者であるならせめて沢山の感謝の言葉と感想を送りたかったのだが、口から摂取した時には血の味しかしなく、そもそも提供されたポーションは浴びることで摂取した。

 

 その分、誰より効果を体感していたが、果たしてこのようなコメントを薬屋さんが求めているのかどうか……

 

 何と言ったものかと百面相をしているベルを見て、ミアハは穏やかに笑った。彼からすれば自分たちの作った薬品が誰かの助けになっただけで十分だった。なのにこの少年は、ただの製作者に過ぎない自分たちに心を砕こうとしている。過分な対応に、仇敵に嫌みを言われたばかりで微妙にささくれ立っていたミアハの気持ちは穏やかになっていた。

 

「なに。今回の大量発注のおかげで珍しく儲けさせてもらった。これからも贔屓にしてくれたら幸いだよ。ナァーザ、お前もご挨拶なさい」

 

 ミアハの隣にいた獣人の少女が、ぺこりと頭を下げる。遠目にミアハと会話しているのを見た時は表情豊かに思えたのだが、今は固い。信用されていないと言われているようで地味に傷ついたベルだったが、初対面ならばこんなものだろうと努めて笑みを浮かべて、自分から手を差し出した。

 

「ベル・クラネルです。今回はお世話になりました」

「ナァーザ・エイスリス。今後とも青の薬舗をよろしく」

「もう少し気安くて構わないのではないか? 年も近いようだし、私としては彼女の友人になってくれると嬉しいのだ。この子も優秀で優しくはあるのだが、私の力不足のせいで、どうにも外と交流を持たなくてね」

「ミアハ様……」

 

 ベルと握手をしたまま、ナァーザは困惑した表情をミアハに向けた。眷属にとって神命は絶対だが、その絶対っぷりには個人差がある。ベルは神ロキの眷属なだけあって、比較的緩い雰囲気の中で過ごしているし、本人もそのつもりでいるが、他の神と眷属の関係が自分たちと異なることがあるということは理解しているつもりだ。

 

 その知識で考えてみるとナァーザは、例えば神命は絶対であり全てであるらしいフレイヤ・ファミリアよりも、自分たちロキ・ファミリアに近い感性を持っているように思えた。ただ、視線の種類にはフレイヤ・ファミリアの眷属たちに近いものが少しだけ見える。何というのか……恋をしている少女のようだ。

 

 ならばあまり、意中の相手の前で触れ合うのも具合が悪いだろう。さっと手を放したベルに、ナァーザは訝し気な視線を向けた。ベルは曖昧な笑みを浮かべてナァーザではなくミアハを見る。視線の意味に気づかないミアハは首を傾げるばかりだが、敏いナァーザはすぐに気づいた。

 

 余計な気を回して……と思ったナァーザだったが、久しくそういう配慮をされていなかったこともあって、照れを隠すように無理やり笑みを浮かべる。

 

「神命、だけでなく……貴方とは友人になっておきたい」

「ナァーザさんが良いなら、僕も喜んで」

「よろしく、ベル。私のことはナァーザって呼んで」

「よろしくね、ナァーザ」

 

 小さく手を振ると、ナァーザも小さく手を振り返してくれる。これだけ近い距離にいるのにおかしなことだ。顔を向けあい微笑みあっていると、ロキが肘で突いてくる。

 

「ほんならなー。パーティ楽しんでや! ウチが金出した訳ではないけどな!!」

 

 からからとロキは愉快そうに笑った。正確にはロキ・ファミリアが主催であるが、資金を供出したのは敗者であるアポロン・ファミリアである。書類の上では共催ということになるのだろうが、ここに集まった者は皆、ロキが主催したと思っているはずだ。

 

 とは言え神々は気安いものだ。主催者だからと言って態々挨拶に来たりはしない。神々のパワーバランスは常に決まっており、よほどのことがない限りは変動しない。今更ロキに取り入ろうとする神がいるならば、この時を待たずに行っている。行えないなら地上においてはその立場にないということだ。

 

 ロキに限らず、神々というのは自由な生き物だが、地上においては眷属の質と数がその神の力となる。特にここはオラリオだ。その傾向は顕著であり、ロキの機嫌を損ねることは如何にも不味いということは神々の共通認識である。

 

 『白兎』を目で追いつつも、ロキの邪魔はしない。ロキのことは怖くなくても、地上にいられなくなることは神々にとって重大事なのだ。

 

「で、こっちがディアンケヒトや」

 

 ミアハと別れたロキが次に案内したのは、気難しそうな白髪の老人だった。姿だけはベルも見ていた。ミアハと話している時に、不機嫌なのを隠そうともせずに佇んでいたのがこの神だった。不機嫌の理由はベルには全く分からなかったものの、それでも、立ち去りもせずにそこに佇んでいたのは自分たちに用事があるのだということくらいは理解できた。

 

 神だけあって身なりは良く、髪の色から服の色まで白で纏められている。ここまで白ければ穏やか、高貴な印象を受けてもよさそうなものだったが、ベルが感じたのは冬眠前の熊のような印象である。はっきり言って近づくのも怖いくらいだ。穏やかな印象を受けたミアハとは対象的だ。

 

 当然会ったことのない御仁であるが、ディアンケヒトの名前と少々の悪評はベルも聞き覚えがあった。

 

 装備は自分に合ったものを、ということで例えばロキ・ファミリアではアイズやティオナなどはゴブニュ・ファミリアに。ベートや当のベルなどはヘファイストス・ファミリアと本人の望むものや、鍛冶師の得意なもので依頼先が異なる。

 

 反対に誰が使っても効果が一定である薬や、素材の引き受け先などは一か所に絞ることが多い。個人とファミリアよりは、ファミリア同士の方が色々と融通が利くためであり、基本、ロキ・ファミリアが薬品を依頼する時にはディアンケヒト・ファミリアに依頼をすることが多いと聞いている。

 

 値段はお高めだが高品質のポーションを大量に用意できるというのがその理由だが、ロキが最初にベルに紹介したのはミアハだった。何か事情があったのだろうか、と首を傾げるベルに、ロキが耳打ちする。

 

「あるだけ大量に、いう依頼やったから対応できんかったんや。それはそれで信頼できる仕事やと思うけどもな。出せんいうもんは仕方ないし」

「在庫を全て放出しますと、他のお客様に対応できなくなってしまうもので……」

 

 ロキの言葉を引き継いだのは、ディアンケヒトの横に立つ白髪の女性だった。

 

「ディアンケヒト・ファミリア団長、『戦場の聖女(デア・セイント)』アミッド・テアサナーレです。此度の活躍、お祝い申し上げます。『白兎』」

「こちらこそご丁寧に。お名前は聞いています。オラリオでも最も高位の治癒魔法の使い手であるとか」

 

 最高の魔法使いということであれば『九魔姫』リヴェリアの名前を誰もが挙げるだろうが、こと治癒魔法に限ってであれば、アミッドは他の追随を許さない。エリクサーを凌ぐと言われるその手腕は数多のファミリアから重宝され、高品質な薬品の取り扱いも相まって、個人としても一目も二目も置かれる存在である。

 

 決して評判の良くないディアンケヒトの振る舞いにも関わらず、そのファミリアが機能しているのはアミッドの公平無私な人格に寄る所が大きいとも、ベルの耳にさえ入ってくる。

 

 ならば何故、そんなディアンケヒトの恩恵を受けるに至ったのか。素敵な神様に巡り合えたベルとしては疑問は尽きないが、公平無私だからこそかもね、と思い直した。人格的にも能力的にも非常に尊敬できる冒険者だ。しかも美人さんであるなら、敬意を払わない理由はない。

 

 多大な尊敬と少しばかりの下心をもってベルが差し出した手を、アミッドは無感動に握り返した。自分ではきりっとした表情を作っているつもりなのだろうが、微妙に間が抜けている。特に女にはその内面は手に取る様に見透かされてしまうだろう。

 

 悪く言えば単純、良く言えば純粋な彼の態度はアミッド個人としては好ましいものだった。彼のような人好きのする年下は多くの先達が構うものである。アミッドの目から見てもベル・クラネルというのは人気者の資質がある。

 

 人となりを知って行けば行く程味の出るタイプだ。最初からソロで行動していれば味が出る前に埋もれてしまった可能性もあるが、そこは大所帯のロキ・ファミリアだ。彼に目をかける者は大勢いるし、既に名前も売れている。

 

 そして人気者というのは、商売人にとって何より優先すべき上得意となる可能性を持っている。彼一人を狙い撃てば回りの人間もついてくるのだ。これほど楽で美味しい存在もない。既にロキ・ファミリアは上得意と言っても良いが『運命のエルフ』や椿・コルブランドのように、オラリオにやってきて半年にも満たないにも関わらず、ファミリアをまたいで付き合いがあるのは稀有なことだ。

 

 個人的にも打算的にも縁は切ってはならない相手。ならばもう少し愛想を良くしても良いのではと自分でも思うが、努力はしているものの未だそれが実を結ぶ気配はない。

 

 笑みを浮かべる白髪の少年をアミッドは眺める。彼が売り子をしてくれたら、それだけで売り上げが伸びそうなものだが……才能と願望と環境がかみ合わないということは往々にして存在する。彼の見た目と印象を考えれば、決して冒険者などの荒事などに向いているとは思えないのだが、その実は最速記録を塗り替え続けるレコードホルダーだ。

 

 周囲の視線に気づかない程鈍いということもないはずだが、自分の実績を鼻にかけるということもない。自制心があり、愛嬌があり、能力があり、将来性もある。『九魔姫』が熱をあげるのも解るなと薄く笑みを浮かべたアミッドは、彼女のお気に入りに手を出していると思われないよう、自分の好みとは切り離し、極めて事務的に対応した。

 

 それでも、普段の彼女と比べれば格段に愛想は良かったのだが、アミッドと初めて会うベルは去って行く彼女の背中を見つめながら、ぽつりと呟いた。

 

「何か失礼をしてしまったんでしょうか……」

「そか? ウチはそないな気はせんかったけどなぁ。ま、女の子の扱いは難しいから、気になるんやったら後で改めてポーションでも買いに行ってやり」

「そうします」

 

 思えば自分でポーションを買いに行くのも初めてのことだ。今日一日で薬屋さんと二人も知り合ってしまった訳だが、さてどちらに最初に買いに行こう。うんうん悩むベルに、ロキが紹介したのは燃えるような赤毛の女性である。

 

 その目には眼帯があり、それを見たベルは椿を連想した。ベルの視線が自分の赤毛、眼帯と移り、その後に解りやすい理解の色を浮かべたことに、ヘファイストスは小さく笑みを浮かべた。これはまた随分と椿が好みそうな性質の少年である。

 

「会うのは初めてね、ヘファイストスよ。うちの椿が世話になったわね」

「いえ、僕の方こそ椿さんにはお世話になりっぱなしで……」

「是非聞きたいわね。あの娘、結構やりすぎることがあるんだけど、具体的には何をしたの?」

「百回は骨を折られました!」

 

 ベルの笑顔に、神の中では比較的良心的な感性をしているヘファイストスの笑みが若干曇る。特殊な成長をしているベルにとっての普通は、平均的な冒険者の普通と比べると大分乖離している。予算がかかるからめったなことではできないとバケツポーション作戦のことを説明されたが、彼はそれを予算があれば皆がやりたがるものだと解釈していた。

 

 先輩は後輩の上達のためには容赦なく骨くらいは折るものなのだという『普通』がベルの中でできあがりつつある。これは矯正の必要あるなーと内心で思いつつ、このまま話が続くとベルの性癖が歪んでしまうと判断したロキは、ベルに見えないように、ヘファイストスに向かってベルを示し、『武器』と仕草で示した。察しの良いヘファイストスはそれだけでロキの意図に気付いた。

 

「あー、そう言えばまだ実物を見てないんだけど、椿のことだから良い仕事をしたでしょ? 小太刀を作ったんですって? あの娘が珍しく自分の名前を付けたんだって、うちの子たちの間で評判になったのよ」

「そうなんです!! 今回の『戦争遊戯』で勝てたのは、椿さんのおかげです!」

 

 鍛冶師からすれば大上段、最上級の評価である。弟子であり眷属でもある椿の仕事についてはヘファイストスも信頼していたが、それにしても素直に褒めるものだ。眷属のことながら自分のことのように嬉しくなるヘファイストスは、深い笑みを浮かべながらベルではなく、ベルの背後を見た。

 

「そこまで言ってもらえると私も主神として鼻が高いわ。直接伝えてあげると、あの子も喜ぶと思う」

 

 そう言えば椿さんは……と此度の恩人の姿を探そうとしたベルの背中を、暴力的なまでの柔らかな感触が襲った。健康的な褐色の腕が背中から回されることで、彼は本能的に誰が何を行ったのかを察したが、あまりの事に完全にフリーズしてしまう。

 

 これまた初心な反応に、背後からの襲撃者――今回の『戦争遊戯』勝利の功労者の一人である椿・コルブランドは喉の奥で小さく笑った。

 

 その装いも普段の彼女を知る者ならば驚くものである。東国出身であり、ハーフ・ドワーフという種族の坩堝であるオラリオでもあまり見ない肩書を持つ彼女は、鍛冶師という職業も相まってあまり女性らしい装いにほとんど興味を払わない。

 

 身なりについて気を使うことと言えば精々清潔にすることくらいのもので、基本、鍛冶場かダンジョンで過ごす彼女は、袴に薄手の羽織、後はサラシのみというラフ極まりない恰好で過ごすことが公私共に多い。女らしい装いをしている所など見たことがない、というのが椿を知る者のほとんどの認識なのだが、その認識に反して、今宵の椿は実に華やかだった。

 

 褐色の肌に、主神と色を揃えた真っ赤なドレスが映えている。性格を表すように収まりの悪い黒髪はその癖を活かすように結われ、身体の向きを変えればその健康的な項が覗いて見える。何より目を引くのはその見事な胸部だろう。零れ落ちるのではないかというボリュームと、その柔らかさを正に実体験していたベルは彼方にやっていた意識をようやく取り戻し、椿の腕の中でじたばたと暴れ出す。

 

 時の人である『白兎』であるが、まだレベルは2である。今回の功績で3に上がる見込みであっても、椿のレベルが5だ。戦闘の結果はレベルが全てではない、ということを目下証明し続けているベルであるが、単純な数値の勝負ではどうしようもない。レベルが3も上の冒険者に組み付かれたら、その時点で逃げる術など存在しないのだ。

 

 それでも、諦めきれるものではない。男としての本能はこのままでいたいと激しく訴えかけてくるが、このままでいることはベルの少年としての羞恥心が許さなかった。

 

 椿の本心として、このままいつまでもベルを抱きしめていたかったのだが、とうとう叫び声でも挙げそうな段になってくると、そっとベルを離した。名残惜しいが仕方ない。

 

 耳まで真っ赤にしてはぁはぁ息を吐くベルに、会場の女神たちの熱い視線が注がれていたが、それは言わない方が良いのだろう。椿とて人目がなければ、ベルが主賓でなければその場で襲い掛かっていたのだろうが、自重しなさいという主神の視線を受けて踏みとどまっていた。

 

 胸の中の燻ぶるような情熱を、椿は悪くないと思っていた。まさか異性に少しでも心を傾ける日が来るとはな、と思う。『運命のエルフ』のように純粋ではなく、肉欲的で即物的な不純なものであるが、本能の欲求に従うことに正直な椿は、その情熱を持てますこともなく、正直に、ベルへとぶつけた。

 

「噂の『白兎』殿は、どんな情熱的な言葉でダンスに誘ってくれるのだろうな?」

 

 女の方からダンスに誘うのはみっともないこととされ、いかに容姿に恵まれ立場のある椿でも、それは例外ではない。何よりベルは今回の主賓であり、彼と踊りたいと思っている者は神の中にも同伴する眷属の中にも少なからず存在する。

 

 そんな面々が礼節を守って前に出ないでいるのに、女神を差し置いて椿がそれを口にしたことで会場には僅かに緊迫した空気が漂い始めた。それは椿を責めるようなものではない。

 

 ルールを守るという体の側であっても、要するに誰が最初に口火を切るかという話でしかなかったのだ。

 

 女性に関しては奥手であるとベルの性格は広く知られている。全てを自由意志に任せていては、幾柱もの女神が余ることになり、それはそれで面白くない。口火は既に切られたのだ。ならば誰に遠慮することもない。

 

 会場の雰囲気を察し、自分の子の奔放な振るまいにヘファイストスは額を押さえるが、そんな様子も椿を愉快な気分にするばかりだった。

 

「最低限は押さえているつもりだぞ、主神様よ。元より作法などとは縁遠い育ち故な。()()の不作法は大目に見てほしいものだ。手前とて女だからな。自分でも忘れがちになることではあるのだが」

 

 懲りた様子のない眷属に、ヘファイストスは小言を諦めた。波乱の種となりベルは苦労するだろうが、椿の行いそのものは大っぴらには責められないだろうし、ロキもこれを気にしないだろう。ダンスを覚え経験を積む機会と思えば悪いものでもない。

 

 これからのし上がっていくのであれば、こういう付き合いは無視できるものではない。いつもまでも田舎者、新人気分のままでは済まないのだ。ロキや椿がそこまで考えているとはどうしても思えないヘファイストスだったが、当事者であるベルに必要なことであるのなら、これも『試練』だと口をつぐんだ。

 

 良識者としてオラリオでは知られているが、ヘファイストスとて神である。子供とはまた、感性が異なるのだった。

 

「ところで、ロキ。貴女、眷属は連れてこなかったの? ベルは主賓なんだから、他にも一人連れてこれたでしょう?」

「ん? 今は別行動しとるだけで声はかけてあるで。街を歩いとったらめっちゃかわいい娘見かけたんで、パーティ行かへん? て誘ったらオッケーしてもろうたんや」

 

 話題変更と、適当なことを聞いたつもりだったが、あまりに予想外な返答のために絶句する。他神と競合しない限り、神が誰を眷属とするかはその神の自由であり、この手のバベルで行われるイベントにおいて、神が連れてくるのは一人と書面で明記されているが、実は眷属を連れてこなければならない、とは明記されていない。

 

 むしろ重要なのは一人という人数の方で、これがないと色々な神が彼も彼女もと子供たちを沢山つれてくるためだ。

 

 それでも眷属を連れてくるというのが神々の暗黙の了解であったのだが、身元のはっきりしない者を連れてくることを危惧することはあれど、誰であれ神がその名において誘ったのであれば、その者がどういう不始末を起こしても、その神の責任となる。

 

 それが理解できているのであれば、他神も面と向かって文句などあるはずもないが、それにしてもロキの行いは前代未聞だった。

 

 当然ベルは他に同行者がいるなど聞いていないし、それが眷属でないということも当然聞いていない。神一柱につき眷属一人というルールは知っている。その一人は自分だと思っていたベルは、ファミリアからの出席者は自分一人だと思っていた。誰なんですかと視線で問うと、ロキは細い目を更に細めて笑みを浮かべた。

 

 その視線が大扉の方に向く。給仕による、来場を告げる声が広間に響いた。

 

 大扉が開く。そこにいた者を見て、神も子も等しく言葉を失った。

 

 普段は無造作に流している髪は丁寧に結われアップにされている。エルフの王族として育った彼女は、人前で肌を晒すことを由としていない。ベルが見たことがあるのは顔と手くらいで、普段は上から下まで隠されたその肌が、今は肩までではあるが露出している。

 

 女神も嫉妬する美貌。『九魔姫』のリヴェリア・リヨス・アールヴ。オラリオに来てから母親のように接してくれていた女性だ。常に美人だと思っていた。その美貌に見とれたことも数えきれないくらいある。だが、言葉を失う程に目を奪われたのはこれが初めてだった。

 

 全ての存在の視線を集め、その中を堂々と歩いたいつもより少しだけ幼く見えるリヴェリアは、ベルの前に立つと小さく可憐に微笑み。膝を折って礼をした。

 

「神ロキのご厚意により、言祝ぎの機会を得ました。『白兎』ベル・クラネル様。此度のご活躍、おめでとうございます」

 

 




ギャルゲーやエロゲーで複数のヒロインが集まる場所にいった時、誰に話しかけるかという選択肢が出て全員と話さない理由が解りました。
本当は他にも数組いたんですが削りました。長い……

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