英雄になりたいと少年は思った   作:DICEK

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武器を作ってもらおう②

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 冒険者の街オラリオでも――いや冒険者の街であるからこそ対外的な催し物を定期的に開催しなければならない。万物は流転するからこそ全体としての形を保っているのであって、外部からの流入が止まってしまうと全てが停滞してしまう。

 

 それは経済のことであり政治のことであり、当然冒険者固有の問題でもある。何しろオラリオの全てを支える冒険者の99%はオラリオの出身ではない。外部へのアピールを怠ってしまうとそもそも『産業』の中心である冒険者の頭数が少なくなってしまうのだ。

 

 故にオラリオは一年を通して細かなイベントに事欠かない。不定期に開催される『戦争遊戯』はオラリオの華として有名であるが、一年のこの日と決められている名物イベントもいくつかある。

 

 有名な所ではアテナ・ファミリアの『銀河戦争(ギャラクシンアン・ウォーズ)』である。年間を通して優秀な成績を残したアテナの聖闘士――団長を教皇と呼ぶようにアテナ個神は自分の眷属のことをそう呼ぶ――たち十名がトーナメント方式で戦いを繰り広げる年間チャンピオンを決める戦いだ。

 

 戦いは階級(レベル)別に分けられておりレベルの低い方から順に試合が開始される。最終節のレベル3の決勝の盛り上がりもさることながら、それさえ前座にするレベル4以上の聖闘士達のエキシビジョンマッチは毎年最高の盛り上がりを見せ、特に前年度のレベル5同士――アテナ・ファミリア教皇アスプロスと教皇補佐イリアスの試合は過去最高の試合として内外に語り継がれている。

 

 世にはどちらかが死ぬまで戦うデスマッチが行われる街もあるが『死人は殴り合いをしないから嫌い』『怪物の戦いにはドラマがない』というアテナの主義により人死が出ることは基本的にはなく、聖闘士同士の純粋な殴りあい一本という世界でも他に類を見ない興行はこれぞオラリオと内外の評判も良く興行的にも毎年大成功を収めている。

 

 不定期に開催される『戦争遊戯』が毎年定期的に開催されていると思えば動く金額の大きさも解るというもので、これに繋がる試合も毎週開催して観戦料を取っているため興行団体としてのアテナ・ファミリアはオラリオでも無視できない程の経済規模となっている。

 

 普通であればその主神であるアテナの政治的な発言力もロキやフレイヤ、ヘファイストスに準ずるくらいにはあるはずなのだが、彼女は良くも悪くも自分の眷属が武器を持たずに殴り合うことにしか興味を示さないため、自分の本拠地である『聖域』から出てこない。

 

 飽きもせずに毎日毎日自分の眷属が訓練している様を眺めている――変わり者ばかりという評判に違わない変神なのだ。

 

 興行的に成功するということがオラリオとして大前提なのであるが『銀河戦争』は血なまぐさいということで、特にカップルには評判がよろしくない。

 

 せめてデートの一時に花を添えるようなイベントはないものか。神たちがああでもないこうでもないと試行錯誤を重ねた結果、現状、その最適解の一つとして愛されているイベントの一つが――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう言えば、もうすぐ『怪物祭』ですね」

 

 モップを休みなく動かしながら、リューがぽつりと呟く。

 

 今は開店前。『豊穣の女主人』亭のスタッフたちは開店準備に大忙しである。と言っても基本的に料理はミアが一人で仕込みも行うため開店前のスタッフの仕事は主にテーブルのセッティングと店内の掃除である。

 

 清潔をこころがけている店内だ。それに加えて他の飲食店よりも少しお高めの値段設定をしていることから『豊穣の女主人』亭の客層は比較的穏やかなはずなのだがあくまで()()()の範疇を出ないし、何より客のほとんどは冒険者であるため総じて振る舞いが荒っぽく、恰好も綺麗でないことが多い。

 

 一日でここまで……とスタッフとしては閉口することもあるが、そういう商売なのだと今では割り切っている。なのでミア以外のスタッフの仕事も事欠かない有様だ。テーブルを磨き床を磨きガラスを磨くが手の他にも口も動くのが年頃の少女というものである。

 

 それで手が止まるようならミアにも雷が落ちるが、手が動いているのならばと文句も出ない。世間話をしながら掃除をするのは『豊穣の女主人』亭では日常的な風景と言えた。

 

「市井では変わった趣向が流行しつつあるようですよ」

「変わった流行?」

「男性が意中の女性を誘う時に赤い花を一輪渡すそうですよ。女性がそれを受ける場合は、祭の時に髪に差して回るのだとか」

「花屋さんがうっはうはだにゃー」

 

 クロエの声音にはからかう色が強い。どの時代どの世代にも似たような習慣や流行はあり、今回はたまたま『それ』になっただけに過ぎない。新興の流行など大抵はそんなものだし、そもそも伝統的などと持ち上げられている慣習でさえ、大本を辿ればきっとそんな始まりであるのだろう。新興の流行と異なることは、それと違って確かめる手段がないことだけである。

 

 大方花屋の組合あたりが仕掛けた流行だろうと察しはつく。リューが口にするくらいなのだから、市民の間にはそれなりに深度で浸透しており、今度の『怪物祭』ではそこかしこに赤い花を差した女性が見られるのだろう。花一輪なら少額とは言え、カップル皆がそうするのであれば一儲けである。

 

 美味いこと考えたものだと感心こそすれ、責めることもない。強いて言うなら香りの強い花は食堂には向いていないからやめてほしいところであるが、女性の髪に差すならば花屋もそれなりに気を使うだろう。

 

 問題があるとすれば花を差していない女性の肩身が微妙に狭くなることであるが、どの道ここにいる面々は全員当日仕事なのだ。休憩時間にちょっと抜け出すことはあっても、基本は終日拘束される。世の流行など文字通り他人事である。

 

「ベルに花を渡されても、断ることになるのは心苦しいですね……」

「そうですねー…………ところでリュー、貴女いつからベルさんのことをベルって呼ぶように?」

「?」

「かわいく首を傾げても私はごまかされませんよっ!」

「ごまかしてなど。私は最初からベルのことはベルと呼んでいましたよ?」

「リューが真顔で嘘を吐く悪い子になりましたよ! 聞きましたか皆――」

 

 当然いると思っていた仕事仲間に順繰りに視線を向けるが最後の一人の姿が見当たらない。今日は全員出勤。そして全員で掃除を言い渡されており、会話こそ挟んではいるもののまだ掃除は終わっていない。職場を空ける理由はないのだが、確かにアーニャの姿は見えなかった。

 

 シルが言葉を切ったことで残りの三人もそれに気づく。シル以外の三人は――ここにいないアーニャを含めると四人だが、全員神の恩恵を受けておりオラリオに存在するほとんどの冒険者よりも強い。他人に対する感度もそれだけ高いのだが、それも同じ程度の力量を持つ冒険者が最初から警戒しているとすると話は変わってくる。

 

 仕事中とは言えここはダンジョンの外であり警戒も緩みもする。こそこそ隠れようと最初から考えられていたら、如何なリュー達でもそれを事前に感知することは難しい。

 

 つまり残った三人に感知されずに出て行ったということは、逆説的にそれだけ疚しいことがあるということだ。

 

「弁当の包み抱えて出てったよ」

 

 シルたちの視線を受けてミアは手元から視線をあげずに答える。その言葉が終わるよりも早く、シルは箒を放り出して裏口に向かって走りだした。それにクロエ、ルノアと続くが一番裏口から遠い所にいたリューは動き出しが遅れてしまう。

 

「誰もいなくなったら誰が掃除するんだい」

 

 底冷えのするミアの言葉にリューは肩を落として観念した。気にならないではないがそもそも自分もシルに追及を受けていた身である。これでうやむやになってくれれば安いもの。

 

 しかも一人で取り残されたことを加味すればアーニャを含めた他の四人に貸しを作ったも同然である。

 

 これでしばらく身は安泰だろう。アーニャとベルのことは気になる。本当に気になるが……流石に自分よりも『深い仲』ということはあるまい、とリューは内心で安堵しようとして失敗する。

 

 椿に乗せられたとは言え公衆の面前で接吻というのはエルフの感性からすると相当に恥ずかしいことであったのだ。数百年前の保守的なエルフの感性で言えばあれを理由に結婚を迫ってもおかしくないくらいの強烈な出来事である。

 

 流石にリューはそこまで保守的ではないが、他人に対して多少の優越感を覚えるくらいは許されるだろう。年頃の人間の男性である。当然異性に興味はとてもあるはずだ。人畜無害そうな『白兎』とは言え胸や尻に視線を感じない訳ではない。

 

 今や彼は時の人だ。もう少し彼に異性に対する積極性があって倫理観が今少し欠けていれば遊び相手の女など選び放題だったのだろうが、リューにとっては幸いなことにベルの女性観はとても初心で保守的である。

 

 それが良いという女も多々いるだろうが、そんな連中よりも自分が先に進んでいるという『事実』はリューの自尊心を暗くくすぐっていた。

 

 ともあれまずは店の掃除だ。黙々とモップを動かすリューの背に、気性の割に穏やかなミアの包丁の音が届いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 休憩時間というのは勿論『豊穣の女主人』亭にも存在するが、それは本当に休憩をするためのものでその時間に外に出るということはあまりない。基本的にはその日出勤した従業員たちが車座になってああでもないこうでもないと益体もない話をするだけの時間なのだが、あまりないというだけでその時間に用事を済ませることもないではない。

 

 ただその場合、休憩時間が終わるまでに店に戻ってこれないと大目玉なので、長時間拘束される可能性がある場合は、閉店後の深夜か休日に済ませることになる。なのに休憩時間に店を、しかもこっそり抜けてまでやらなければならない用事とは『時間はかからずすぐに済むけれど』『アーニャにとってはそれなりに緊急性があり』『かつ同僚には内緒にしておきたい』用事ということである。

 

 本気で行方をくらませるつもりであったのならば見つけるのも骨だろうが、休憩時間が終わるまでに戻らなければいけない縛りはここにいる全員が同じである。アーニャと言えどもそこまで尾行に気を使っていた訳ではないようで、目撃情報はすぐに見つかり、追跡者たちは彼女の姿を見つけるに至った。

 

 待ち合わせに良く利用される噴水の前。お仕着せの猫人の少女がお弁当の包みを抱えてもじもじしている姿は、アーニャの容姿と服装もあって非常に目立っていたが、明らかに待ち人がある様子の少女に声をかける無粋な人間はいなかった。

 

 どの種族の老若男女も非常に緊張した様子のアーニャを微笑ましく眺めながら通り過ぎていく。まさに青春の1ページという有様のアーニャと比べて、自分たちは一体何をしているのだろうとシルは暗澹とした気持ちになっていた。

 

 どういう目的でこっそり抜けだしたのかは、アーニャの姿を見た時点ですぐに解った。今のアーニャはお弁当の包みを見ながらにやにやしたと思えば急に身体を強張らせたり、きょろきょろと辺りを見回してみたり落ち着きがない。考えていることが二転三転しているのが離れていても良く見て取れる。

 

 単純に言えば絶妙に情緒不安定になっていた。悩み事などなさそうな突撃思考のアーニャにしては珍しい振る舞いであり、それも待ち合わせの目的を考えれば納得もいった。通行人の皆さまがアーニャに声をかけないのと同じ理由で、普通に考えればここに留まってのぞき見するのは無粋であることは解ってもいたのだが、特にシルには引けない理由があったし、クロエとルノアは単純に好奇心が勝っていた。

 

 どういう話の流れになろうとも、今日みたことで一週間はアーニャをからかい倒せるとなれば、多少の無理は受け入れる覚悟である。何しろアーニャがああなのだ。相手が誰かも大体予想はついたが、実際にどういうことになるのか見なければ引くに引けない。

 

 果たして、待つことおよそ三分。アーニャの待ち人は遠くから現れた。

 

「アーニャさーん!」

()()!!」

 

 ぱっと、花の咲いたような笑みを浮かべる。お前もか、と暗澹とした気持ちになったシルを他所にアーニャはてて、と小走りに駆け寄るとベルにずい、とお弁当を突き出した。

 

「これ、お弁当作ったニャ。この前のお礼……」

「お礼を言われるようなことしました?」

 

 小首をかわいく傾げるベルにシルも心中で同意する。そもそもベルとアーニャにはそれほど接点もなく、強いて言うなら『豊穣の女主人』亭に食事を来るくらいなのだが、と考えて思い出した。

 

 少し前、お歌を聞かせるのだとベルを連れ出したのだった。アーニャのお歌はシル達にとっては苦行そのものなので、お礼という単語と結びつかなかったのだ。

 

 思えばそのお歌の会から戻ってきてからアーニャの様子がおかしかったようにも思う。いくら優しいベルでもあの苦行である。遠まわしに下手くそとでも言われて流石のアーニャも傷ついたのだろうと仏心から放っておいたのだが、それがまさかこんなことになっているとはシルも思いもしなかった。

 

「とにかく! にゃーのありがとうの気持ちなのニャ! ありがたく受け取っておくのニャ」

「そうですね。ありがたくいただきます」

 

 嬉しいです、とベルは本当にありがたそうだ。人にちゃんと感謝でき、それを態度で示すことができる。喜怒哀楽がはっきりとしているのはベルの特徴の一つであるが、シルはそれを彼の最大の長所と考えていた。

 

 まさに笑顔を向けられているアーニャも同じ考えなのだろう、にゃーにゃー言いつつしどろもどろになりながらも、尻尾はぴょこぴょこ嬉しそうだ。

 

「それはそうとベル、今日は何だか嬉しそうなのにゃ?」

「解りますか! 実は今日の午後に新しい武器が届くんです。ヘファイストス様に会いに行くんですよ」

 

 えへへ、とベルは笑う。本当に嬉しそうだ。見ているものまで嬉しくさせる。アーニャの尻尾も勢いよく振られている。

 

 若人たちの逢瀬である。ここで話の華も咲くのが筋でありお約束でもあるのだが、何分アーニャには時間がなく、冒険者であるベルはこの後ダンジョンに行かねばならない。

 

 ベルのスケジュールは『豊穣の女主人』亭のスタッフには常識だ。『黄昏の館』で朝ごはんをいただいたあと、軽いストレッチと筋トレをした後にダンジョンへ。昼食は基本的にはダンジョンで取り、日が沈む前には『黄昏の館』に戻ってはティオナ・ヒリュテと戦闘訓練を行っているらしい。

 

 そして夕食を取った後、リヴェリア・リヨス・アールヴからの座学となりこれが終わった後に諸々の雑事を済ませて就寝となる。冒険者としてはありえないくらいに規則正しい生活だ。

 

 結構忙しいのだ。暇な時であればまだしも、彼の主神であるロキから申し付けられた強制休暇は終了し普段通りの日常が戻ってきている。相手のアーニャも普段着であればまだしも仕事着である。

 

 ベルとて『豊穣の女主人』亭の忙しさは知っている。抜け出してきていて時間はあまりないというのはベルにも解った。離れていくベルに手をふるアーニャは嬉しそうである。ベルの背中が見えなくなるまで手を振り続けたアーニャは、彼の背中が見えなくなるとにゃふーと満足そうに息を吐いた。

 

 幸せいっぱいと背中に書いてあるアーニャが諸々感づいたのは、下手人たちに確保される直前だった。暴れて逃げようとするも自分と同じレベルの冒険者二人に押さえられた状態ではそれもままならない。

 

 大通りにいては目立ってしまう。なおも抵抗するアーニャを暗がりに連れ込む様はまさに人さらいの所業そのものだったが、全員が同じお仕着せをしてれば見世物かと思いそれが『豊穣の女主人』亭の連中であれば関わり合いにならないようにしよう、と考えるのがオラリオ人にとっての日常だった。

 

 離すのにゃー、と抵抗するアーニャにシルがぐいと顔を近づける。座った眼はなるほど、普段彼女らに熱をあげている客たちが見たら悪夢にうなされそうな座った目つきをしていたが、アーニャとて休業中とは言え冒険者。自分より高位の冒険者や神が相手であればまだしも、()()()()()()()()()()()の視線の圧に臆したりはしないのだ。

 

「貴女、いつからベルさんのことをベルって呼ぶように?」

「何を言っているニャ、シル。にゃーは最初からベルのことはベルと呼んでいたのニャ」

「白髪頭とか呼んでいたの忘れてませんよ私は!」

 

 吠えてもアーニャはどこ吹く風だ。その態度にいらだちも頂点に達したシルは、普段の態度から仕事の姿勢からとにかく文句が口を突いて出てくる。

 

 振り返ってみれば、文句を言うシルもそれを聞くアーニャも、好奇心でついてくることを選んだクロエもルノアも、冷静ではなかったのだろう。

 

 休憩時間を大幅に過ぎてしまったことに気づいた時には後の祭り。かつてない程の雷を落としたミアに延々と説教されることになるのは、この数十分後のことである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダンジョンから早めに戻り、身繕いをしてからの道程である。前回訪れた時にはロキの同道があったが、今回ベルについているのは謎の体調不良から復帰したリヴェリアである。

 

 ベル本人は正確にはあずかり知らぬことであるが、元々ベルの武器はリヴェリアが神ヘファイストスに自費で依頼するということで企画を持ち出したのだ。

 

 それがヘファイストスのスケジュールが合わないということでベルの主神であるロキがヘファイストスの眷属の中では最も腕利きの椿に依頼を出すに至った。その予算も勿論ロキのポケットマネーから支払われている。

 

 基本、冒険者の装備というのはその冒険者本人が稼いだ金によって賄われる。神にもお気に入りはいるが金銭的な面で大いに贔屓していては、他の眷属に対する面目が立たないからだ。神がいくら自由な生き物であるといってもそのファミリアを構成するのは地上の子供たちであるため、その信頼が損なわれては組織そのものが立ち行かない。

 

 あくまで神の基準であるが神も加減はしているのである。

 

 その基準で考えると、主神自らヘファイストスブランド、それも団長謹製の武器を与えるというのは聊か度が過ぎていると言えなくもないのだが、『戦争遊戯』勝利におけるお祝いの前払いと思えば、内外の視線も納得するというものだった。

 

 主神と仲間に勝利の栄誉を齎すというのは、冒険者にとってそれだけ誉高いことなのである。

 

 同様にファミリアの副団長がいくらお気に入りの団員のためとは言え身銭を切るというのもあまり推奨されることではないのだが、普段は自分がする側であるので神はあまり目くじらを立てることはない。後は仲間の眷属たちが納得すれば済む話だ。

 

 あれもこれもお祝いということで通すのは聊か無理があるものの、リヴェリアがベルのことを大層可愛がっているのは先日の姫ムーヴの件も含めて内外に知れ渡っている。神ロキの眷属たちに聞けば『まぁリヴェリア様のすることだから……』と苦笑と共に納得されることだろう。

 

 無論、贔屓されることに思うところがないではないが、神対子供と違ってこれは子供と子供の話である。神と比較すればその立場は非常に近しいものであり、そして特に冒険者となればレベルと実績が物を言う。

 

 早い話、レベル6『九魔姫』たるリヴェリアに直接文句を言う子供も、そのお気に入りであるベルにやっかみを言う子供も存在しないのだ。

 

 ベルを伴って歩くリヴェリアは視線を大いに集めていたが、目立つのはリヴェリアにとってはいつものこと。その歩みは堂々としている。逆にいまだに目立つことに慣れていないベルはそんな視線を受けて身を小さくしていた。

 

 視線から逃れるように足を速めると自然にリヴェリアとの距離が近くなる。ふわりと、長く綺麗な翡翠色の髪から香りが感じられるような距離まで近づくと、無言でリヴェリアは足を速めた。

 

 実の所まだ例の件から完全には回復できていないのであるが、それを誰に話す訳にもいかず、またこういう方面にはとんと鈍いベルはリヴェリアが足を速めていることにも気づいていなかった。

 

 ベルが足を速めてはリヴェリアも足を速める。そんな珍妙な追いかけっこを繰り返したことで、予定の時間よりも大分早めにヘファイストス・ファミリアの『本拠地』へと到着した。

 

 まだ見ぬ新しい武器を前にわくわくしているベルを他所に、待ち合わせの時間よりも早く到着していることと、その原因に思い当たったリヴェリアは心中で密かに溜息を吐いた。

 

 リヴェリアには立場がある。例の件をこの世でただ一人を除いてリヴェリアに直接言って来たりはしないのだが、その数少ない一人から先日文が届いた。

 

 感情が高ぶり筆圧がコントロールできていないその文字は、全エルフの中で最も流麗と言われた美しさなど見る影もない。途中で派手にインクが散っているのは筆圧に負けてペン先が折れたのだろう。そこからは(ここからは私が代筆します)という注釈と共に彼女の夫の筆跡へと変わっていた。

 

 曰く、『年端もいかない人間の少年を前に姫ムーヴ? どうしてそんな面白そうなことをやる前に私に相談してくださらなかったのでしょうか。未通女の姫様(ひいさま)が浅知恵を働かせて大失敗する様が目に浮かぶようです。次に黙ってこんなことをしたら病身を押して文句を申し上げに行きますからね。大勢の部下の前で大恥をかきたくなかったら、次からはアイナにちゃんと相談してください』

 

 手紙は『お子の乳母を他のエルフに任せたら呪う』といういつもの文言で締めくくられ、中にはアイナお手製の香水が同封されていた。長老たちよりも古典に通じている癖に誰よりも流行に敏感で『姫様が私に勝っているのはお顔だけです』と素面で豪語するだけあって多才な彼女は香水くらいならば病床の身でも自作する。

 

 調香を売りにしているファミリアの最高級品もかくやという香りは身繕いにはそこまで身を入れないリヴェリアすらも感嘆の溜息を漏らすほどで、今日も早速使用している。

 

 お洒落の方向性は種族によってまちまちであるが、エルフは特に華美に着飾るということをしないため、自己主張は必然的に他の方法でということになる。香水は知識と道具さえあれば家庭でも自作できることから、エルフの中でも上流階級に属する者のお洒落の定番でありリヴェリアも十を超える数を常備している。

 

 その常備している香水も全てアイナが精油してくれたもので、使い方さえアイナから教わった。今でも定期的にこうして送ってくれる。香水と言っても歓楽街の娼婦がするような香りの強いものではなく、自然にさりとて主張はするという――その娼婦の言葉を借りると『これを香ると表現するのは香水に対する冒涜である』というくらい薄いらしいのだが、リヴェリアはこういう派手すぎない香りを好んでおり、例のダンスの時に使っていたのは特にお気に入りのものだった。

 

 今日の香水にしても目ざといアリシアなどはすぐに気づいたものだが……香りについてあれだけ辱めを受けたにも関わらず、しかもその時の相手であるベルと並んで歩くのに新しい香水をつけてきたという事実に、リヴェリアは密かに自分の浮かれっぷりを痛感していた。

 

 アイナにああ書かれる訳だな、と気持ちを引き締めロキ・ファミリアの副団長の顔に戻ったリヴェリアは守衛に用向きを伝え、その後主神室に通された。

 

 それは主神用の執務室であり、神が訪ねてきた時の応接室を兼ねることも多いが、神に対して使われることは実の所あまり多くはない。大抵の神は他神の本拠地に足を踏み入れることを倦厭する傾向にあり、ロキもその例に漏れない。

 

 単純にお家にまで遊びに行く友達がいないだけかもしれないが、元より神の趣向など地上の子供に推し量れるはずもない。

 

 ともあれ今はベルのことだ。

 

 正面中央にはヘファイストス。彼女の右手には団長である椿・コルブランドが控えており、更に少し離れた後方に赤毛の青年が控えていた。東方の装束に身を包んだ年若い男性でありベルと視線が合うと軽く片手を挙げる。

 

 リヴェリアが直接顔を合わせるのは初めてのことであるが、彼がヴェルフ・クロッゾ……一部のエルフには忌み嫌われる『魔剣貴族』の末裔である。ベルの『不滅の炎』を打ったのも彼であり、ついにクロッゾの末裔が主義主張を曲げたのかと鍛冶の界隈では衝撃が走ったと言うが、どういう訳か彼はベルの()()()専属鍛冶師として付き合いを続けているという。

 

 主義主張など人それぞれその時々である。かくいうリヴェリアも、高貴な生まれではあるがそれらしい生き方などしていない。『魔剣貴族』が防具を打ったって構わないのだろう。本人がそれを由とし、彼の主神がそれを認めているのであれば他の神の眷属が口を挟むこともない。

 

 一方でベルの視線を受けた椿であるが、こちらは胸を張ったまま微動だにしない。普段の砕けた様子とは異なり余所行きの雰囲気である。主神の部屋で主神と共に他神の眷属と相対しているのだから、主神であるヘファイストスが良いというまでは仕事モードなのだろう。

 

 律儀なことであるが、ロキ・ファミリアならばその手の振る舞いはむしろリヴェリアの役目であるため椿の態度には妙な親近感を覚えるのだが、その無駄に張り出した胸を見ると忌々しさを覚えた。

 

 自分の胸と見比べそうになる視線はどうにか堪える。小さくはない、というのはあの質量の暴力を目の前にすると言い訳に過ぎなかった。

 

 アマゾネスや一部の獣人に比べるとエルフの女性というのは所謂、女性的な体格には恵まれないことが多い。

 

 リヴェリアも決して貧相ではないが、それはエルフにしてはという枕詞がつく。その体格的に劣るとされるエルフの中でもさして大きくないリヴェリアが、種族のるつぼとされるオラリオの中でも特に大きいと分類される椿と比較するのが土台として無理な話なのだ。

 

 個人として諦めはついても目をかけているベルが動く度に無遠慮に揺れる椿の胸に視線を奪われているのを見ると言いようのない苛立ちを覚える。私も修行が足りないなと深々と溜息を漏らしながら、隣に立つベルのつま先を躊躇いなく思いきり踏みつけた。

 

 奇声をあげるベルを見なかったことにし、リヴェリアは一歩進み出るとエルフの古典作法に乗っ取って一礼する。

 

「神ヘファイストスにおかれましてはご機嫌麗しく。神ロキが眷属『九魔姫』リヴェリア・リヨス・アールヴ。御意を得て罷り越しました」

「……椿、ごらんなさい。これがかつて私たちに取られていた態度よ? 私オラリオにいると自分が神だってこと忘れそうになるわ」

「主神様がそうしてほしいというのであればするが……違うのだろう?」

「そうね。まぁ、そうなのよね……あぁ、リヴェリアもそこまで固くならなくて結構よ。ロキにするように、というのも私が嫌だから努力して普通にしててちょうだい」

「ご配慮に感謝します」

「さて、気を取り直して武器だったわね。図らずも貴方にうちの子たちが武器を打ったと聞いたものだから私も大神気なくいつも以上に気合を入れたわ。ヴェルフに合わせて魔剣にするか椿に合わせて刀を打つか悩んだんだけど、そろそろ壁にぶち当たっても良いだろうって親心で刀にしてみたの」

 

 ヘファイストスの後ろでは椿とヴェルフが揃って複雑な表情を浮かべている。同じ武器を打ってほしかったという思いもあれば、比較されるのは嫌だという思いもある。どちらも鍛冶師としての本音であり、地上の子供としての本音でもある。

 

 何につけても自信たっぷりな椿が妙に後ろ向きな気配を出していることにベルは新鮮さを感じつつも、ヘファイストスが差し出した袱紗からそれを取り出した。

 

 椿に打ってもらい今もベルの腰に下げられている『紅椿』よりも僅かに長い。東の刀剣については詳しくないベルであるが、ともすれば小太刀という分類ではないのかもしれないと思った。

 

 恐る恐る鞘から引き抜くと、ベルの目に飛び込んできたのは淡く蒼い光だった。美しい波紋に磨き抜かれた刀身。紛れもなく戦うための刃であるはずなのに女神のような調和のとれた美しさがあった。薄い蒼色の刀身は屋内であっても光り輝いているようにも見える。

 

 その刀の完成度を見た椿とヴェルフは鍛冶師としての感性から絶句していた。へファイストスが打った武器は今まで何度も見たことがあるが、気合を入れたというだけあってその完成度は今まで見た武器の中でも群を抜いていた。

 

 美しく、そして力強い。地上の子供の感性ではまさに神の御業と言って良い出来であるが、椿とヴェルフの主神であるヘファイストスはこの武器を打つのに神力など使っていないのだ。地上の子供の持ちうる力のみでここに至ることができるという証明でもあるのだが、果たして自分たちがこの高みに至るまで一体どれほどの修練と試行錯誤が必要となるのだろう。

 

 呆然としている椿に、ヘファイストスが笑みを浮かべながら無慈悲に告げる。

 

「二年待つわ。椿、この刀に匹敵するものを完成させ私の前に持ってきなさい」

 

 二年!? という言葉が口を出そうになるのを止めたのは、椿の鍛冶師としての矜持だった。普通に考えれば無理難題であるが、達成できないことをこの主神は言わない。それこそ死にもの狂いの研鑽が必要となるだろうがそれでも、できると信じたからこそ主神はその言葉を口にしたのだ。

 

 これは試練だ。乗り越えるべき試練なのだ。今の自分では到達しえない領域に、自分が到達している光景を胸に、萎えそうになる気持ちを椿は自分で奮い立たせる。何より今は、自分の武器を振るい命をかける男が目の前にいるのだ。

 

 気弱な鍛冶師の作品では、剣も鈍ると言うもの。鍛冶師は傲岸不遜なくらいでなければ冒険者の前に立つことなどできまい。

 

「この刀の名は?」

「椿に対する試練だけれど名前についてはヴェルフの方を参考にしたわ。古典に則りその子のことを『果てしなき蒼(ウィスタリアス)』と名付けます」

「『果てしなき蒼』……あ、ということは僕もついに二刀流を?」

「最終的にはそれでも構わんだろうがまずは両方の腕で武器を振るえるようになれ」

「同じことでは?」

「すまん言い方が悪かったな。まずは左手でも武器を振るえるようになれ。利き腕とは違う腕で同じことをしろと言われても理解が追いつかないものだ。手前が教えられるようなことはないが……まずはリューに話を聞いておかしな癖がつかないようにしておけ」

 

 随分と親しみの込められた呼び方に、思わずベルの頬も緩んだ。

 

 椿は『戦争遊戯』が終わってからリューと友人付き合いを続けているようで、たまにふらっと仕事終わりの『豊穣の女主人』亭に現れては、リューを引きずって夜街に繰り出しているという。といっても如何わしい店に出入りしているのではなく、がばがば酒を飲む椿に付き合ってもそもそ食事をしているだけらしい。

 

 たまに晩酌もするそうだが特に酒には興味がなく酒飲みの癖にぐでんぐでんになるまで飲んだ椿に肩を貸しているリューの姿も目撃されている。全く性格の異なる二人であるが存外に馬は合うようでリューの方も邪険にしている様子はないらしい。

 

 ほっこりしているベルとは逆にリヴェリアはまた『運命のエルフ』かと内心で溜息を吐く。二刀流はどういう訳か人間の男性冒険者が特に憧れを持つ戦闘体系であるが、習熟の難易度が高く実際の戦闘でそれを使っている冒険者は極少数だ。

 

 ロキ・ファミリアでもそれを主体に使っている者はほとんどおらず、準幹部以上では辛うじてティオネとベートがそれに近い技術を持っているが、ティオネの武器はククリナイフであり武器の重量に任せて叩き切るという風である。ベートに至っては格闘が主体であり二剣はあくまでその補助と、二人ともベルの目指す所とは大きく異なっている。

 

 技術があるということであればなるほど、ベルに独学で学ばせるよりはマシだろうが、アマゾネスであるティオネと狼人であるベートでは、人間のベルと根本的な身体能力が異なっている。ベルに向いている、あるいは彼が望んでいる技術の習得を目指すのであれば椿の提案の通り『運命のエルフ』を頼るか、もしくは別に師を探すのが良いだろう。

 

 東の刀を使った技であればリヴェリアの脳裏に思い浮かぶのはゴジョウノ・輝夜の艶やかな姿であるが、残念なことに彼女はもういない。同じ東の技術であれば、そちらの神……オラリオであればタケミカヅチなどを頼るのも良いかもしれない。交流はほとんどないがロキを仲介して頼めば断りはしないだろう。

 

 主神の人間性に反してあちらのファミリアは主神が自ら働かねばならないほど財政的に困窮していると聞いている。下世話な話だが金子をいくらか積めば二つ返事で了解してくれるだろう。むしろ困窮する財政事情を考えれば、金子は受け取らせなければならないくらいだ。

 

 主神に労働をさせているようでは眷属の沽券に関わる。働きたくてそうしているのならばまだしもそうでないのであれば神には好きにさせておくべきだ……という主張は主に神の側から見られる主張であるが、見方を変えれば好きにさせておくべきと子供が言うのも不遜と言えば不遜である。

 

 自由にさせておくべきと子供の判断が入るのもどうかと言う訳だ。子供の追認などなくとも神とは元来自由な生き物である。好きにやった結果が今なのだとしたら子供が口を挟む所などなく、また自由にさせるべきという見解も子供の中で統一されている訳でもない。

 

 ある程度までは子供が律するべきという考えも特に神に振り回される眷属の間には根強く、リヴェリアに近い所ではアスフィなどがその筆頭である。

 

 タケミカヅチ本神やその眷属がどういう考えかは知らないが、ベルのためである。ロキを介して繋ぎを取るということでリヴェリアの内心はまとまった。誰かタケミカヅチ・ファミリアと付き合いのある者がいれば良いのだが、比較的古参で大手であるロキ・ファミリアと異なりタケミカヅチ・ファミリアは同じ探索系のファミリアとは言え零細な上に新参で弱小で、眷属の数も確か一桁だったように記憶している。

 

 数字だけ見ていると任せて良いものか不安になるが、眷属の数が神の力を示す物ではないし元より子供が神を推し量るなど不遜である。その辺りもロキが調整してくれることだろう。普段はふざけ通しであるが対神の交渉事においては本当に頼りになる。

 

「さて、鍛冶師としてはまだまだ言いたいこともあるけど貴方のその顔に免じてまた今度にします。今日は思う存分その子との関係を楽しみなさい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ベルは腰に新たにつられた『果てしなき蒼』を歩きながら何度も嬉しそうに見つめている。新しいおもちゃをかってもらった子供のような彼の姿に心洗われつつも、リヴェリアは実用的なことを考え始めていた。

 

 毎回全てを持っていく必要はないが、ベルの武器もこれで三本目だ。これからも増える見込みである以上、そろそろ武器の取捨選択の必要が出てくるし、あるいは本格的にサポーターの同行を検討する必要も出てくる。

 

 本当であればもう少し時間をかけて検討すべき事柄も、ベルの急成長で前倒しを余儀なくされている。このままのペースで進んでいけば二年もすれば自分に肩を並べ、三年もすれば追い越しているのではと――聊か精悍な顔だちへと成長したベルについて歩く自分の姿を夢想していたリヴェリアの耳に、ベルの何気ない言葉が届く。

 

「それはそうとリヴェリア様」

「――ああすまん。考え事をしていた。なんだベル?」

「今日はいつもと違う香水なんですね」

 

 何気ない一言にリヴェリアの歩みは完全に止まった。リヴェリアの後ろを歩いていたベルはそれで追い越してしまい、どうしました? と振り向く。赤い円らな瞳を見た瞬間、リヴェリアの顔に血が上った。

 

「待て、来るな近寄るな。今私の顔を見たらお前に何をするか解らないぞ!」

 

 顔を背けたリヴェリアに腕を向けられベルは反射的に足を止めた。杖こそ持っていないが魔法を発動する直前のような姿勢に冒険者として身の危険を覚えたのだ。元々視線を集めていた二人である。リヴェリアのただならない様子に周囲もゆっくりと二人に影響を与えないように距離を取り始めていく。

 

 周囲のじんわりとした変化をリヴェリアはベルよりも遥かに敏感に感じ取っていた。羞恥から頭に上った血は、常に冷静であれと心がけているリヴェリアからほとんどの理性を奪い取っていた。ぐるぐると回った頭では何も考えがまとまらず、アイナ、助けてくれアイナと心中で親友へと助けを求めていた。

 

 しかし病床にある彼女から援軍が来ることなどなく、代わりに脳内にいる小さなアイナからは盛大に溜息を吐かれてしまう。如何にもあの親友がやりそうな仕草にムカっときたことで逆にリヴェリアは僅かな冷静さを取り戻したが、それは事態を立て直すには程遠いものだった。

 

「今日は寄り道――いや、個人的な使いを頼む。『青の薬舗』と……そうだな、アミッドの所に行ってマジックポーションをそれぞれ一本ずつ買ってきてくれ」

 

 それが長大な時間稼ぎというのはベルにも解った。魔法使いとしてオラリオでもトップクラスの実力を持つリヴェリアが、まさか今さらポーションの飲み比べやら品質のチェックをするでもない。

 

 良く解らないが一人になりたいのだろう。自分を無下にしている訳ではないのだし、リヴェリア様も難しい立場なのだからそういう時だってあると、言いたいことを全て飲み込んだベルはそのまま『青の薬舗』に向かって歩き出した。

 

 あ、と手を伸ばした時には既にベルの背中はオラリオの雑踏の中へと消えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しょんぼり肩を落として歩き出すリヴェリアの姿を物陰からたまたま見てしまったエイナは、見るんじゃなかったと心底後悔していた。

 

 オラリオ中で噂になった姫ムーヴの件を耳に入れなかったことからエイナは母から気合を入った手紙を貰ってしまった。

 

 どうせ耳には入るだろうからと態々教えることなどしなかったのだが、大好きなリヴェリアのことであるから、とにかく早く知りたかったのだろう。次に何かあったら速達で知らせなさいという怨念の籠った母の字がエイナの脳裏で踊っていた。

 

 今見たことをそのまま母に伝えたら、母は喜々としてリヴェリアに手紙を送りつけるのだろう。同じ女としてそういうからかわれ方をする女性を見るのは心苦しく、またその相手は敬愛の対象であるリヴェリアだ。

 

 できることなら心穏やかに過ごしてほしいものだが……エイナとて身の安全を考える年頃である。いくら敬愛するリヴェリアが相手でも、母親にウザ絡みをされるのは嫌なのだ。

 

 せめて可能な限り控えめに描写しようと、無駄な抵抗をすることをエイナは決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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