英雄になりたいと少年は思った   作:DICEK

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『荷物持ち』

 

 

 

 

 日々の糧を得るために生きてきたリリルカにとって何もしなくても良いという環境に放り込まれることは生まれて初めてのことだった。それがロキ・ファミリアの『本拠地』黄昏の館地下にある座敷牢の中だったとしても、飢えることも凍えることもなく命の危険もないそれは事実だけを見れば天国である。

 

 座敷牢に入れられた際に最初に目に入ったのは隅にうず高く積み上げられた食料だ。ダンジョン遠征の際にはお馴染みの水なしでは到底食べられないパサパサした保存食は一日三食ならば一月少々、二食ならばざっくり二ヶ月分が用意されていた。一日一食に切り詰めれば四か月は持つ計算である。

 

 これから追加の食糧の配付がないとして、想定される拘束期間は一か月から四か月の間ということになる。それまでに何もなければ餓死するより他はないが、それを今考えても仕方がない。

 

 水は蛇口をひねれば出てくるし牢の隅にはトイレもある。寝具は質素ではあるものの清潔なものが揃えられていた。地下にあるので窓はないが軽めの運動をできるくらいのスペースはあった。正直に言ってこの時点でリリルカの下宿よりも環境が良いくらいだ。

 

 元より窓から外の風景を眺めるなんて高尚な趣味は持っていないので窓のあるなしは関係ない。日の光が当たらないのが窮屈と言えば窮屈であるが、雨露が凌げて寒くもなく飢えもせず加えて盗人の心配をするでもなく命の危険も感じない生活は、一人で気を張った生活を続けていたリリルカにとっては非常に穏やかな時間だった。

 

 そんな穏やかな時間も終わりを迎える。釈放を言い渡されたのは座敷牢に放り込まれてから三週間の後のことだった――というのを外に出てから知らされた。食事をとるのも惰性になっていたために時間の感覚が曖昧になっていたのだ。

 

 身なりを整えさせられてから――湯の出るシャワーを使わせてくれた! ――主神であるロキの前に連れ出される。傍らには団長である小人族の『勇者』フィン・ディムナと副団長であるハイエルフ『九魔姫』リヴェリア・リヨス・アールヴがいた。

 

 これから沙汰が伝えられるのだろう。冒険者同士の私闘が基本的には禁じられているように、冒険者同士の私刑も同様に禁じられている。リリルカのしたことは何の落ち度もないベル・クラネルを巻き込んだ大事とは言えギルドの規則に照らし合わせるならば、如何に当事者の一団とは言えロキ・ファミリアにリリルカに危害を加える権利はないが、それが建前というのはリリルカも良く分かっている。

 

 自分の身が安全とは全く考えていない。そもそもここは『黄昏の館』である。ロキ・ファミリアのホームであり、周囲には当然神ロキの眷属しかいない。知らぬ存ぜぬを押し通せばギルドも深く立ち入って来たりはしないだろう。一般人に被害が出たのであればともかく、リリルカのしたことはほぼ冒険者相手で完結している。

 

 加えてリリルカ本人がレベル1の『小人族』のサポーターだ。彼我の立場の差を考えたら私刑の目こぼしは十分にあり得る。流石に命を取られるということはあるまいが、今までよりもずっと厳しい立場に置かれることは覚悟せねばならない。

 

 まったく、ロクなことのない一生だった。無表情に世をはかなんでいたリリルカの耳に届いたのは、ロキからの全く埒外の言葉だった。

 

「結果から伝えるなー。座敷牢に放り込まれる前に嬢ちゃんから聴取して分かっとった連中の主神に話はつけてきたわ。大雑把に被害額を算出してその二倍で手を打って債権として一本化したわ。ギルド仲介で公的な借金として記録されとる。今後は月々無理のない範囲でウチに返済するっちゅーことになったから、無理のない範囲で払ってな」

 

 世間一般の基準としては『冒険者』は定職とはみなされない。それ故に大体の所で借金はやりにくく冒険者の扶助を目的としたギルドでさえ基本的には金を貸さない。装備を支給してくれることもあるがそれは本当に本当の駆け出しの人間に対してであり、それも一回こっきりだ。

 

 故に駆け出しの冒険者は常に資金繰りが苦しい。生存率を上げるためには訓練をし装備を整えるしかない訳であるが、まず装備を整えるには金がかかる。

 

 そして冒険者にとっての金策というのはダンジョンに潜って怪物と戦うことだ。せめてある程度まとまった金を用意してから冒険者になれば違うのだが、リヴェリアのような生まれに恵まれた者を除き大抵の冒険者志望の子供は素寒貧である。

 

 一度冒険者になると本人の矜持の問題も勿論あるが、他の業種を圧迫することにもなるということで一般の事業者から歓迎されないため、所謂アルバイトというのはし難しく、結果として金銭を起因とする様々な問題が常に駆け出しの冒険者の死亡率の高さに繋がっている訳である。

 

 とは言え死ぬのは自己責任と突き放してばかりでは冒険者の総数は減る一方だ。現状希望者が後を絶たないとは言えそれもいつまで続くか解らない。冒険者としての力量を磨く一方、駆け出しの生存率を上げることはどのファミリアとしても無視はできない課題なのである。

 

 最大手の一角である探索系ファミリアであるロキ・ファミリアはこの手の問題では最先端を行っている。それは『黄昏の館』に存在する武器防具の倉庫であったり、レベルの高い者が低い者を引率するパーティの取り決めや、徹底した訓練の実施など、現団長であるフィンの発案で実行されていることは、駆け出しの冒険者の生存率を大きく高め、ロキ・ファミリアの実力を底上げすることにも繋がった。

 

 反面、ファミリアが団員に課す上納金も他のファミリアよりも割高という話であるが、それも冒険者としての生活を圧迫する程ではない。『黄昏の館』は部屋が余っている程であるし、そもそもここにいれば最低限の生活は保障される。食べるにも困って早まった行動をするという選択肢が、ロキの眷属にはそもそも存在しない訳だ。

 

 大変な額面の借金をしている眷属もいるが、それは本人が生存しちゃんとダンジョンに潜れば返済できる範囲のものである。基本的にはロキの眷属は金には困っておらずその主神であるロキも同様だ。リリルカの過去の行為を債権として一本化してローンとして縛ることの目的は金銭の回収が目的なのではない。

 

 勝者として寛大な所を見せる必要があるのは解るのだが、それでもロキのリリルカへの対応はどうにも甘いように思えた。

 

「寛大な処置に感謝致します神ロキ」

 

 とは言え処分が甘くなることに文句などあるはずもない。それに裏があると疑うこともできるが、それで表まできな臭くなっては困るのはリリルカ本人である。内心の懊悩を顔に出さないようにしながら頭を下げるリリルカに、ロキは続けた。

 

「それからソーマにも話をつけて来て改宗の許可は取ってきた。嬢ちゃんは今日からウチの眷属やから逃がさへんで。今晩にでもソーマ呼びつけたるからちょっと待っとってな」

 

 頭を下げたままリリルカは僅かに眉をひそめた。願ってもないことである。ことであるのだが……あまりに話が上手過ぎはしないかと気にしないと決めた心が現実を疑い始める。

 

 座敷牢に放り込まれていた間の出来事は想像するしかない。周囲の雰囲気とロキの態度からしてあの後に起こったであろう『戦争遊戯』にロキ・ファミリアは勝利したのだろう。でなければここまでリリルカに寛大である理由がない。

 

 それ自体には驚くことでもなかった。ファミリアの規模を考えればロキ・ファミリアが勝つのが当然である。それはオラリオに住んでいる者ならば誰でも理解できる当然の帰結だった。あらゆる勝負事で適用される訳ではないものの、基本的にファミリア同士が戦えば規模の大きい方が勝つ。

 

 ましてロキ・ファミリアは探索系最大手の一角だ。贔屓目に見ても中堅の域を出ないアポロン・ファミリアではそもそも勝負になるはずがない。

 

 にも関わらず、あそこまで好戦的に振る舞っていたのだから某かの手回しが済んでいたのだろうと思われる。ロキ・ファミリアに喧嘩を売ってまでアポロン・ファミリアの味方をする理由が見いだせないが、土台神々の考えることが子供に理解できるはずもない。

 

 神々には神々の事情があるのだ。悠久の時を生きる彼らと地上の子供たちは根本的に価値観が異なるが、現状地上に存在する神々はある程度、地上の常識に合わせて行動する。本来どれほどの力を持っているのかは別にして、地上においての彼らの力のバロメータは眷属の質と量であり、それを体現するのが各々が抱えるファミリアだ。

 

 冒険者は名誉と体面を気にする生き物だ。それは上位に行く程その傾向が強く早い話彼ら彼女らは個人として集団として格好悪い真似をすることはできない。『戦争遊戯』が発生した経緯はどうあれ勝った側としては、少なくとも表向きは小人族の一人や二人は見逃してやらなければならない。些事に拘って勝利に傷がつくようなことなどあってはならないからだ。

 

 無論のことそれは表向きの話で、裏ではひっそりと殺されている……なんて展開もないではないが、長期的な返済の計画を語った後でそんな短絡的なことはするまい。迂遠な復讐であると疑うこともできるが、そこまで疑っていてはキリがない。

 

 神ロキとその眷属は勝者の責務として寛容なところを示す必要がある。その一つがリリルカの扱いなのであるとしても、リリルカが理解できるのは債権の一本化とローンの返済までである。改宗まで面倒を見るのは勝者の寛容を通り越して不可解だ。

 

 一つか二つ。何か別の要因があるのだろう。神ロキや団長フィン・ディムナとは別の意思がここには働いているように感じる。

 

「お仕事やけど今まで荷物持ちやっとったんやよな?」

 

 それを仕事とは言いたくないリリルカであったが、ロキの問いに頷く。

 

 リリルカだってできることなら武器を振り回して自分で稼ぎたい。それができないのは他の種族に比べて体格的に恵まれない小人であったこと、何かあった時にそれをフォローしてくれる仲間に恵まれなかったことなど、冒険者としてのスタートダッシュに失敗したことが挙げられる。

 

 両親は神ソーマの眷属であり小人族だ。今日に至るハンデの大半は生まれる前から決まっていたと言っても良い。生まれで全てが決まる訳ではないと言うものの、その日暮らしのリリルカでは逆境を覆すための鍛錬の時間など取れないし、装備を買うようなお金も中々貯まらない。

 

 何より必要なのは仲間であるが、誰だってダンジョンに潜るのは命がけである。仲間にするなら強い冒険者の方が良いに決まっており、武器を持った荷物持ちなど敬遠される。

 

 ならば荷物持ちだけでパーティを組めないかと考えるも、逆境を抜け出したいと思っているのは全員が一緒であるが、そのために行動を起こそうという者は皆無と言っても良かった。ロキ・ファミリアのような大手で有望な若手が上位の冒険者を見て勉強するためにやっているケースを除けば、荷物持ちというのはそれしかできない者がやることだ。

 

 一発逆転の目がない以上、日銭をためて足抜けし、真っ当な生活に戻るより他はない。とは言え荷物持ちは稼ぎそのものが少ないため、実現するにしてもいつになるか見通しが立たない。それなのに命の危険はそれなりだ。

 

 とにもかくにも金である。それがリリルカが真っ当とは言えない手段に手を染めた理由の一つであったのだが……ここに来て小人生の雲行きが思ってもいない方向に向かおうとしていた。

 

「なら、まずはベルの荷物持ちやってや。しばらくは針のむしろや思うけど我慢してな」

 

 仕事は同じく荷物持ちであるが、ソーマ・ファミリアとロキ・ファミリアでは雲泥の差である。取り分が今までと同じだったとしてもリリルカには不満はなかった。看板が変わるというのはそれに依存する子供にとってはとても大きなことなのだ。

 

 ここまで至れり尽くせりで良いんだろうか。今回ベル・クラネルがトラブルに巻き込まれたのはリリルカが原因と言っても良い。自分を庇ったことでアポロン・ファミリアの団員に殴られ、矢面に立つことになった。

 

 結果として『戦争遊戯』には勝利し栄誉を勝ち取ることになったようだがそれは結果論だ。負わなくても良い怪我を負いしなくても良い戦いを強いられた。そこに至るまでにも粗相があったことを考えれば、間違えて殺してしまいましたと落とし前のために命を取られていてもおかしくはない。

 

 相手は最大手のファミリアの一角。ロキ・ファミリアの期待の新人『白兎』のベル・クラネルだ。よくよく考えるまでもなくカモにするには相手が悪い。彼個人は人格者、というかお人よしであるという話がリリルカの耳にも届くくらいだったが、面倒ごとに巻き込まれたとなったらその周囲が放ってはおかないだろう。

 

 神ロキの眷属と解った上で狼藉を働いたのであれば、それはファミリアに対して喧嘩を売っているに等しい。リリルカが今許されているのは偏にベルが『戦争遊戯』で勝利したという結果ありきのことである。負けていたらこの身があったかどうかも怪しいが、それにしても現状については温情が深すぎるように思えた。

 

 最低でも袋叩きくらいは覚悟していたし当然だと思っていたリリルカは、面食らう以前に神特有の悪質な冗談なのではと半ば本気で考えていた。何しろ相手は『あの』神ロキである。どのような冗談を仕掛けてくるか見当もつかない相手だ。

 

「……ロキ。お前の日頃の行いが悪いせいかな。言葉を全く信じられていないようだぞ」

「勝者のベルの頼みやからなぁ……叶えられる範囲なら何でも、って言われてあの子、お嬢ちゃんのこと頼むんやもん。こりゃあ叶えてやらんと主神の名が廃るってもんや」

 

 この待遇が『白兎』の要望であることがほぼ確定した瞬間だった。

 

 頭を捻って考えてみるが、過去に彼と接点があったことはないはずである。人間種族にしても目立つ風貌だ。白髪赤目とウサギのような人間種族となれば、流石にリリルカの記憶にも残っているはずである。

 

 良くない待遇にある女に同情しているというのが自然な線ではあるのだろう。何とも甘っちょろいことだと思うが、その甘さで自分の身が助かろうとしているのだから文句も言えない。

 

 まさか身体を求められたりするのだろうか。

 

 行動の対価に身体を求めるという発想には反吐がでるものの、それにしても限度というものが存在する。今のリリルカの現状を聞けばほとんどの冒険者は『身体で済むなら安いものだ』と取り合ってくれないだろう。

 

 ちなみにリリルカ・アーデというのは何だかんだで処女であるし、その最初の相手として考えた場合、ベル・クラネルというのはそんなに悪い相手ではないように思えた。

 

 自分は女であちらは男。実は面構えにはそれなりに自信があるリリルカだったが、小人族という種族そのものが多くの種族の男性から性的対象としては微妙に敬遠されていることは理解していた。

 

 年齢的には同年代だとしても、例えば猪人の男性が小人族の女性に手を出している様は、他の種族的には犯罪的に見えるらしい。

 

 そういう事情は男性の方でも解っているから、例え一時の相手だったとしても小人族に手を出すのは――穴があるなら誰でも良いという状態だったとしても――最後の方という風潮があるのだそうだ。

 

 イシュタル・ファミリアが取り仕切っている歓楽街でも小人族の娼婦は数が少なく、買いにくる男性も主に小人族とも聞いている。需要が少ない故に供給も少ないのである。

 

 だがあくまで少ないというだけだ。かの有名な『白兎』に特殊な性癖がないとは言えないしまして彼は人間の思春期の男性だ。断れるような立場ではないとリリルカも理解していたし、単純に男性として外見を見た場合、ベル・クラネルという少年は悪いものではなかった。

 

 どうせいつかその辺の野蛮人に無理やり奪われると思っていた初めてである。自分を悪い環境から救ってくれた人物が相手であるなら、そう悪いものでもないだろう。多少――いや、多大な被虐趣味があったとしても受け入れる覚悟を固めたリリルカを見て、やり取りを眺めていたフィンが深々と溜息を吐いた。

 

「全てを環境のせいにするのはどうかとも思うけど、全てを己で何とかすべしという考えにも同調できない。若い時には僕も自分一人が頑張れば全てが上手く行くと本気で思っていたものだけど、思い上がりだったと気付かされた。どんなに才能や環境に恵まれていたとしても、一人では限界が見えてくるのも早いものだ」

 

 励まされているのだ、とリリルカはそこまで聞いて気づいた。小人族の英雄、『勇者』のフィン・ディムナが、たかが荷物持ちの小人の小娘にだ。戸惑いと苛立ちの混じったリリルカの視線を受けて、フィンは構わずに続ける。

 

「だからと言って周囲に頼り切ってもいけない。僕と違ってまだ若いんだ。自分の限界が見えている訳でもないだろうし、これからは頼れる仲間もいる。腐って卑屈になるよりはとりあえず挑戦してみるのが良いんじゃないかな?」

 

 同じ小人族であるリリルカには解る。フィンとて非才ではないのだろう。才能に恵まれたからこそ彼の今があるのだというのは、彼本人にだって否定できるものではない。

 

 けれども多才の身であっても逆境を跳ねのけるには、他人には語りつくせない程の苦労があったに違いないのだ。同じ小人族であるリリルカにはそれが良く解った。

 

「悲観するのはまだ早いよ。頑張って」

「さ、励ましの言葉もあったところで、今日からびしばし働いてもらおか。リヴェリア、ベルはどないなっとる?」

「外で待つように言ってある。レフィーヤには別の用事を言いつけてあるから、奴一人だ」

「ということはベルが一人で引率か……早いものだね」

「それくらいはして良い時期……ではないと思うがレベルだろう。普通はレベル3ともなれば十分に経験を積んで他人に指示を出せねば話にならんのだが、その辺は追々だな」

「せやな。じゃ、とりあえず後は頼んだでリヴェリア」

 

 ああ、と短く返事をしたリヴェリアは視線でリリルカを促すと同意も何も待たずに歩き出した。ついてこいと言っているのだとは解ったが対応はそっけない。自分のしたことを考えれば無理からぬことではあるが、確かに神ロキの言った通り針の筵である。

 

 リリルカはロキとフィンに小さく頭を下げると、リヴェリアの後を追って歩き出した。

 

 目的地の解らない道程。その間に幾人かの団員とすれ違った。全ての団員はリヴェリアを見ると足を止め、深々と頭を下げるが、その後ろにリリルカがいるのを見とがめると何とも微妙な視線を送ってくる。

 

 ロキの言葉を受けたばかりだが、意外にも彼ら彼女らの視線に殺気のようなものは少ないように思えた。全くないという訳ではないが視線や態度に色濃く出ているのは困惑である。何故こうなったという戸惑いが男女どの種族の団員からも強く感じられた。

 

 それを聞きたいのはリリルカも同じである。ともあれ、強い敵意の中で生きていかなくても良い可能性が出てきたのは僥倖である。

 

 無言でリヴェリアに付き従い、たどり着いたのはとある塔の前だった。

 

 ロキ・ファミリアの本拠地は『黄昏の館』という名前であるが、その実は背の高い塔の集合体である。建築物の異様さでは神々の集まるオラリオの中でも屈指であり、リリルカも遠目にではあるが何度も眺めたことがあった。

 

 高い場所から見下ろす風景は一体どんなものなのだろうと夢想したこともないではない。まさかその塔の一つに足を踏み入れることになるとは思いもしなかったが、実際に足を踏み入れてみて抱いた感想は、塔だな、という無味乾燥なものだった。外見ほど中は特殊ではない。

 

 女子塔、という看板が見えたことから居住塔であると推察される。塔の中央に屋上まで続く螺旋階段があり、階層ごとに外周に沿った部屋があった。部屋割りに規則性があるかまでは階段を上っただけでは判断がつかなかったものの、リヴェリアの足取りから彼女の部屋は高層にあるのだと察せられた。

 

 おそらく上に行くほどレベルなり立場なりが上になるのだろう。ありえる話ですと内心で納得するリリルカを他所に、リヴェリアの足は止まらない。

 

 漸く足を止めたのは階層を七つ跨いでのことだった。この階層は八階。昇る前に見た窓の数から最上階の一つ下。上に行くほど立場が上、というリリルカの予想が正しいのならばこの階層にいるのは二級冒険者など、ファミリアの中でも準幹部クラスだと思うのだが、

 

 戸惑うリリルカに、足を止めたリヴェリアが視線を向ける。

 

 近くで見ると冗談のような美しさだった。女神も嫉妬する美貌とは良く言ったものだと思う。今まで出会った中で間違いなく一番の美貌のエルフは視線で扉を示した。『扉を開け』と仰せなのだと解釈したリリルカは、一応一言断りを入れてから扉を開いた。

 

 簡易寝台と文机のみのこじんまりとした部屋だ。地下の座敷牢よりも狭いがやはりこちらも清潔で、窓からはオラリオの市街の風景が見える。塔が円形で部屋が外周にそって配置されている以上、窓の向きには当たり外れがあるはずであるが、市街が見えるというのが当たりなのかは判断の付きかねる所だった。

 

 部屋の中央にはリリルカのものであるザックがぽつんと置かれていた。あの日リリルカが身に着けていた服と少ない装備も、きっちり洗濯とメンテナンスがされた上で寝台の上に置かれていた。

 

「ここが今日からお前の部屋だ。ファミリアとしての指示がない時は基本好きにしていてくれて構わない。下宿は早めに引き払って荷物を運びこんでおくように。細かいことはダンジョンから戻ってきてからにすると良いだろう。適当な団員を臨時の指導係につけておくから分からないことはそいつから聞いてくれ。聞きにくいようであれば私の部屋を訪ねてくれても構わない。私の部屋はここのちょうど真上にある」

「お、恐れ多くもお聞きしたいことが――」

「慣れぬなら無理な言葉使いはしないでも良い。立場もあるから敬意は払ってもらわねばならんが過度なそれはあまり耳障りも良くないしな。話を止めて悪かった。なんだ?」

「神ロキは何をお考えなのでしょうか……」

「さあな。あいつの考えることなど理解できた試しがない。昔も今も煙に巻かれてばかりなんだが、今回に限っては『ベルの希望を叶える』ということのみだろう。裏はないだろうから安心してくれ」

 

 それで安心できる冒険者はいないだろうとリリルカは心中で苦笑した。神ロキと言えば軽いノリと見た目で誤魔化されがちであるが、権謀術数で有名な神である。眷属の強さもさることながら、神としての彼女の手腕は、神を中心に回っているオラリオにあっても一目置かれる程のものだった。

 

「逆に言えば、ベルがお前を害することを望めばロキは躊躇いなくそれを実行しただろう。正直に言って奴はそれほどお前のことを好いても気にかけてもいない。眷属としたのもベルの望みを叶えたに過ぎない。お前にとってはまさに針の筵である訳だが……神ソーマの風聞を聞くに、お前から見た主神としては現時点での差はあまり感じられんだろう」

 

「信頼は行動によって勝ち取るものだ。頑張れ。私から言えるのはそれだけだな」

 

 言葉にトゲはあるが敵意はない。フィンと同じようにこの方もこの方なりに励ましてくれているのだと理解できた。何故ここまで、という疑問は消えないが敵意のない言葉をくれた相手に、敵意を向けるような感性はリリルカにはない。

 

 万感の思いを込めて、リリルカは頭を下げた。その後ろ頭にリヴェリアの戸惑ったような言葉が降ってくる。

 

「もっとも、私は私で執念深い。私はお前発のいざこざでベルが殴られたことは忘れていないからそのつもりでいろ」

 

 顔を伏せた状態のまま、リリルカは心底、顔を見られていないことに安堵していた。意外と可愛い方なのだなと思っていると、かの『九魔姫』に悟られては何かと面倒だからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 肌着も含めた衣類はきちんと洗濯されて寝台の上に置かれていたが、悲しいことに座敷牢に入れられてから身に着けていた囚人服……のようなものの方が上等であったので、装備はそれの上から身に着けることにした。

 

 荷物持ちであるリリルカの手持ちの装備は少なく、ダンジョン踏破用の頑丈なブーツと護身用の小さな短剣。後は服の上から羽織る耐刃織の白いコートとドロップ品を沢山詰め込める大きなザック。ちょろまかした装備は換金した物以外は下宿に置いてあるため、これがリリルカの装備の全てである。

 

 冒険者としては貧弱なことこの上ないが、荷物持ちとしては標準の範囲である。酷い扱いを受けることも少なくないので、置いて行かれた時のために最低限走れるだけの履物を、とブーツだけは冒険者と比べてもあまり遜色はない品だ。

 

 そのブーツの感触を確かめながら、指定された場所に向かっている途中である。装備の上には小さなメモ書きが残されており、装備を整え次第すぐに向かえと場所が記されていた。

 

 そこにベルが待っており、今日からすぐにダンジョンで荷物持ちだそうだ。小人使いが荒いのではありませんか神ロキ、という文句は出てこない。気持ちの上ではどうあれ、日銭を稼ぐために危ない橋を渡る生活を続けていたリリルカにとって、この三週間は長い休暇のようなものだった。

 

 本音を言えば身体を動かしたくて仕方がない。あれだけ行くのが億劫だったダンジョンが今は少し懐かしいくらいだった。

 

 果たして。指定された場所にはメモに書かれた通りの人がいた。

 

 おさまりの悪い白い髪に赤い目。人間の男性にしては小柄な体格だが、聞いた話では年齢はリリルカの一つ下である。年齢を考えればそんなものだろう。

 

 神ロキの眷属。レベル3。今をときめく冒険者の一人、『白兎』ベル・クラネル。風聞だけを聞けばそれだけ才気に満ち溢れ、冒険者然とした男なのだろうと想像するのだろうが、現実の彼は待ち合わせ場所で所在なさげにぼーっとしていた。

 

 顔立ちは悪くないのだが、威厳とかは感じられない。あの日、リリルカのせいで殴られた時に感じていた印象そのままだった。

 

「お待たせして申し訳ありません!」

「僕が早く来過ぎただけだから気にしないで」

 

 へにゃりと笑う笑顔には愛嬌があるがやはり威厳は感じられない。近くで見てもレベルの高い冒険者特有の威圧感のようなものは感じられなかった。今日からこの人とダンジョンに行くのかとぼんやりと考えながら、リリルカは頭を下げた。

 

「改めて自己紹介を。ベル様同様、本日より神ロキの眷属となる予定です。小人族のリリルカ・アーデと申します。レベルは1。職業は……荷物持ちです」

「僕は『白兎』ベル・クラネル。これからよろしくね、リリルカさん」

 

 

 

 

 


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