英雄になりたいと少年は思った   作:DICEK

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『怪物祭』②

 

 

 

 

 

レベル差は絶対。それが冒険者の常識である。

 

 だからこそ冒険者たちはこぞってレベルを上げようとする。レベルの低い者が高い者に挑むのは無謀と言えるが、自分よりもレベルの低い者とだけ戦っていてはそもそもレベルは非常に上がりにくい。

 

 そのレベルに相応しいだけの知恵、相応の勇気、そこに至るまでの幸運。レベルを上げるために必要なものが多いが、もっと現実的な話として、自分よりもレベルの高い者と戦わなければならない状況というのは、特にダンジョンでの戦闘では往々にしてある。

 

 その厳しい状況を切り抜けるためにはどうしたら良いのか。

 

 最もスタンダードな方法が数を集めて対応するというもの。相手がモンスターであれば取り囲んだり、そうでない時にも役割を分担すれば一人では難しい状況を比較的容易に切り抜けることができるようになり、引いてはそれで個人の、あるいはパーティ全体の生存率を上げることになる。

 

 冒険者がソロを避け、基本的にはパーティを組むのはこのためだ。自分一人ではどうにもならなくても、数を揃えればどうにかなる。非冒険者同士の戦闘において有効な方法は、冒険者とモンスターに組み合わせを変えても有効である。

 

 数が集められない場合は、ベルが魔剣を用いたように外部出力に頼るという方法もあるのだが、絶対とされるレベル差を埋めるに足るアイテムというのはその分値が張るものであり、ほとんどの冒険者がそれを手にすることはない。

 

 モンスターであれば人間ほどに知恵は回らない。運が良ければソロでも倒せるかもしれないし、逃げ切れるということもあるかもしれない。

 

 だが、ダンジョンの中でなく都市部で、それも自分よりも2レベルも高い冒険者と逃げることのできないリングの中で相対するとなれば、両者が全力で戦うという前提だと、レベルの低い者が勝つことは不可能に近い。

 

 更にベルが今挑んでいるのは武器と魔法を含めた遠隔攻撃の禁止。要はアテナ・ファミリアお得意の、殴る蹴るぶん投げるで全てを決する非常にシンプルな戦闘方式である。地力と技術が物を言う方式だ。ますますベルが勝つことは不可能である。

 

 それは観客の理解も同じだ。観戦者には神や冒険者も多いが、トータルで見るとそうでない人間の方が多い。それでもここは冒険者の街オラリオである。レベル差は絶対という冒険者の常識は非冒険者にも浸透している。戦力差を実感できない分、その理解は非冒険者の方が深いかもしれない。

 

 ならばベルがガネーシャ仮面――中身がレベル5のシャクティ・ヴァルマだということは、ガネーシャ・ファミリアの興業を見に来るような人間であれば皆知っている――に勝つことは不可能なのかと言えば、それはそうでもない。真剣勝負であっても、これは興業なのだ。レベルが高い方が必ず勝つような興業であれば、観客は好んで足を運んではくれないのだ。

 

 目にも止まらぬ速さで踏み込んできたガネーシャ仮面の拳を受け、ベルは成す術もなくふっとんだ。拳が重い――が、重すぎない。その瞬間、この興業がどういう流れを想定していて、そこに登場したベル・クラネルにどういった役割が求められているのかをぼんやりと理解した。

 

 この試合形式でどちらも全力で戦った場合、ベルが勝つ可能性は皆無である。レベルが2つも上の、しかも前衛寄りの人間に本気で打ち込まれたらその時点で勝負が決まっていなければならないのだ。

 

 にも関わらず、吹っ飛んだベルは即座に起き上がった。早い話がレベル3のベルに合わせて加減してくれているのだ。レベル3がレベル5にはよほどのことがない限り勝つことはできないが、レベル5がレベル3に合わせることはそれほど難しくはない。

 

 決して器用な方ではないらしいティオナも、普段はベルに合わせて鍛錬をしてくれている。度々力加減を間違えられて意識を持っていかれるが、オラリオ郊外で二週間、美人のエルフに全身の骨を砕かれたベルには大した問題ではない。ポーションを飲まなくても動けるのだから誤差のようなものだ。

 

 殴ったガネーシャ仮面は腕を振り上げて観客に声援を求めている。応じた観客のボルテージはまた一段と上がっていく。前半の理想的な流れだ。

 

 日々受けているティオナの拳に比べて、ガネーシャ仮面の打撃は非常に()()()()だ。想定した通りの力で想定した通りの場所を殴っている。普段からやりなれているのだろう。ティオナとシャクティ。実際に戦えばどちらが上かは解らないが、少なくとも人前で加減して戦う分にはガネーシャ仮面の方に軍配が上がるように思える。

 

 人前でやっているだけでこれも訓練なのだ。そう思うと身も引き締まり冒険者としての血が騒ぐベルだったが、その興奮を遮るようにガネーシャ仮面の視線が向けられる。これは鍛錬ではなく、あくまで興業なのだ。求められる役割を、こなさなければならない。

 

 雄叫びを挙げて、ベルは踏み込んだ。それに合わせてガネーシャ仮面は僅かに立ち位置を変える。右、左の拳を受け、更に右の拳。受けたガネーシャ仮面のガードが何故か跳ね上がる。

 

 もう!? と考えている間に、ベルの身体は動いていた。打ち込んだ拳を引く勢いで身体を反転。格闘に慣れないベルにしては及第点以上の自然さで決まった回し蹴りは、先ほどのベルを再現するかのようにガネーシャ仮面をふっ飛ばした。

 

 ごろごろ転がるガネーシャ仮面に、観客のボルテージがまた一段と上がる。殴り合いの好きな人たちなんだな、と呆れながらもベルは先ほどのガネーシャ仮面を真似て腕を振り上げ、さらなる声援を求めた。

 

 起き上がったガネーシャ仮面が立ち上がり、ゆっくりと構える。先ほど立ち位置を変えたのはここで構えた時に、神様たちのいるVIP席を正面に見るためだったらしい。ベルからするとそれは背後の席になるが、拳を握りしめて熱い声援を送る神アテナが目に見えるようだった。

 

 ガネーシャ仮面がぽんぽんと腹を叩き、軽く指招きをする。効いていないアピールに、打って来いという挑発。それに乗るという形でベルは雄叫びを挙げて踏み込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ひょっとして僕には才能があるのでは。沸きに沸いた観客の歓声に勘違いする間もなく、ベルは腕と足を動かし続け、時には殴り時には蹴り飛ばされていた。地面を転がって立ち上がる度に観客のボルテージは一つ、また一つと上がっていく。

 

 観客の人数ということではこの前の『戦争遊戯』の方が多いものの、直接ベルが目視する人数としては、今回の試合の方が遥かに多い。これだけのヒトに囲まれるのはベルの人生でも初めてのことだ。

 

 会場を埋め尽くす程の人々が、ベルやガネーシャ仮面が拳を繰り出し地面を転がる度、ボルテージを一つ、また一つと上げていくのである。天井知らずのこの熱気は一体どこまで行くのか。ワクワクしつつも恐ろしさを感じる。

 

 それを支えているのは自分の才能……ではなく、偏にガネーシャ仮面の力量である。組み合う度に次にどう動くべきか的確な指示を出しつつ、手も足も決して止めない。打点がズレた時には自分から僅かに動いて軌道修正し、気持ちよく吹っ飛んでは観客から声援を浴びている。

 

 気持ちよく吹っ飛ぶのはベルも同じである。痛みがないではないが見た目ほど大げさでもない。ガネーシャ仮面の拳はアマゾネスであるティオナに言わせると『細く長く相手を痛めつけるための拳』であるが、こういう場合に使うとなるほど、これだけの盛り上がりになるのかと感心した。

 

 傍目には良い勝負に見えているのは観客の声援が物語っていた。ガネーシャ仮面を応援する声もあるにはあるが、観客の大半はベルの名を呼んでいる。送り出してくれたレフィーヤも、喉が裂けんばかりに声援を送ってくれていた。男としてはその声援に応えたいものだが、自分で手を挙げて参加し、シャクティの暗黙の要請に応えてしまった以上、ベルには観客の期待に応える義務があるのだった。

 

 何より、自分で望んでしまっている。大観衆の中、地も割れんばかりの声援を浴びて、勝利に酔う自分の姿。きっとレフィーヤも喜んで、褒めてくれるだろう。そのためには自分の仕事を全うせねば。力が入り過ぎていたのか、ガネーシャ仮面を狙って放った拳が僅かに逸れる。それを見逃す彼女ではない。

 

「あと少しだ。もう少し集中しろ」

 

 すぱん、と小気味の良い音を立ててベルの顔面に拳が炸裂する。観客の、特にレフィーヤから悲鳴が上がるが、音が良いだけで痛みはほとんどない。流れる鼻血を袖で拭い、ベルは照れ臭そうに笑うと拳を返す。

 

「ここからどういう流れで?」

「最終的にお前が私の仮面を取って終了という流れに変更はない。差し当たっていくつか流れを考えてあるが……単刀直入に聞こう。必殺技とかあったりしないか? 勿論、衆目に晒せるという前提ではあるのだが」

「あるにはありますが……盛り上がるか解りません」

「話してみろ」

 

 衆目どころか付き合ってくれたロキ・ファミリアの仲間以外にそれがあるという事実を知っている者はいない。まだまだ未完成、発展途上の技であるが、打ち合いながらのベルの言葉にシャクティは仮面の下で破顔した。

 

「それで行こう。私たちが考えた本よりもずっと良い。確認だが、それは確実に出せるんだな?」

「何とかします」

「その言葉の通りに行くことを祈るとするか。ならば、ベル・クラネル。しばらく殴られ続けて吹っ飛んでもらえるか? 一撃目は避けるから、二撃目で決めろ」

 

 ガネーシャ仮面の姿がブレると、その拳がベルの腹部を捉えていた。息を吐き出す間もあればこそ、的確にガードの間を抜いて拳を打ち込んでくる。始まった一方的な展開に、観客からはベル贔屓の声援が上がる。しめたものだと、内心ほくそ笑みながらシャクティは大きく踏み込み、ベルを吹き飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「頼んだぞ、『白兎』」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 吹っ飛び、ごろごろ転がりながらも、シャクティの声が耳に残る。男が女の人に頼まれたのだ。なら、成し遂げなければ。拳が綺麗に入った分、今までよりも身体は痛むが動けない程ではない。やはり加減が良く解っている。シャクティの手腕を頼もしく思いながら、ベルは静かに呼吸を整えた。

 

 必殺技を作りたい。それは多くの冒険者にとっては普遍的な願望であるが、大抵の場合、その計画は途中で頓挫する。構想こそ多々あれど、それを実用的なレベルにまで昇華できる者はほとんどいないからだ。

 

 後衛の魔法使いが使う魔法が英雄譚の英雄像に最も近いかもしれないが、彼女らが魔法を使えるのは前衛が身体を張って時間的余裕を作っているからだ。自分でそれを作れる冒険者は極めて少ない。前衛で身体を張りながらそれをやれるとなると、また然りだ。

 

 ベル・クラネルは早い段階でそれをクリアすることのできた極めて稀な冒険者である。前衛寄りの中衛であり、速度特化の万能型。この度魔導書を入手したことで魔法まで覚え、リヴェリアやレフィーヤの指導介護のもと、魔力のステイタスもめきめき上昇している所だ。

 

 その魔法は単語一つで発動することができる超短文詠唱。その威力も発動までの短さを考えれば高く、牽制、トドメ、他人の援護などその足の速さもあって遠征でも多くの役割を期待されている。

 

 魔法一つを取っても他の冒険者にとってはまさに必殺技であるが、ベルには他の冒険者にはない、唯一無二の特性があった。

 

 ベル・クラネルはステイタスを意図的に振り替えることができる。

 

 理想は細かな一つの行動を取る度に、一々ステイタスを調整することであるが、今の時点でそこまで器用なことはできそうにないし、最終的にできるようになるかも不明である。

 

 ロキの見立てでは実際に戦闘している時も、細かな変動は既に行われているというが、これは無意識の内の行動であり、それ故に無意識的な安全マージンを取った上での行動であるとのこと。ざっくりとではあるが、これをするのにここまでは安全というのをベルの身体はその主よりも先に理解しているのだ。

 

 身体の理解に任せて後から頭で理解するというのも手ではあるが、それではどれだけ時間がかかるか解らない。意図的に能力を行使し、かつ安全を確保するにはどうすれば良いのか。

 

 魔力というある種の余剰ステイタスが生まれたことで、自由度が格段に増したのは僥倖と言えるだろう。

 

 最初に覚えたのは加速の方法である。ベルの売りである速度を十全に活かすためのそれは、厳密に言えば魔法ではない。起動するのに言葉を要するが、それは一種の安全弁である。呪文を唱えなければそれは発動しない。強く思い込むことで暴発を避ける。

 

 慣れれば戦闘の最中にもスムーズに発動させることができるようになるだろうとフィンは分析しているが、まずは問題なく、十全に効果を発揮できるようになることだ。

 

 最も向いていると思われる加速の方法でも習得に思いの外時間を要したが、先日漸くフィンに合格を貰うことができた。

 

 ここぞという時に使うんだよ、と言われてもいるのだが、まさに今がその時だ。

 

 意識を集中する。自分が纏う神の力を認識し、自分の特性としてそれに干渉する。イメージは万全だ。求めるのは加速。レベルで自分を上回る強者の裏をかくような、圧倒的な加速である。必ず成功する。させてみせる。気息を充実させたベルは、低く身構え、

 

 

 

 

 

 

『我が 双脚は 時空を 超える』

 

 

 

 

 

 

 その文言により、力を解き放った。

 

 一時的なステイタスの再配分による、魔法じみた超加速。呪文は聞こえていたはずだ。人は魔法と勘違いするだろう。反則では勿論ない。禁止されているのは武器と遠隔攻撃の使用のみであり、魔法でも身体強化の類は対象外だ。ましてベルのそれは厳密には魔法でさえないのだから、ルールの埒外である。

 

 一歩。爆発的な踏み込みにより瞬時に加速する。白と赤の残像を残して加速したベルは、二歩目には既にガネーシャ仮面を射程に捉える。仮面の下で驚いているのが見えるが、彼女の身体は既に回避行動に入っていた。想定外の速度ではあるが、レベル5の彼女には対応できない速さではない。

 

 だが驚きの分、回避が僅かに遅れた。一撃目は回避する。その予定ですれ違いざまに放ったベルの拳は、シャクティの仮面を僅かに掠めてしまった。

 

 ベルと、何よりシャクティが慌てる。勝利条件は仮面の奪取であるため、落ちただけで勝利が確定するものではないが、意図せぬ決着では観客も興ざめである。素早く仮面を押さえ、その状態を確認する。

 

 幸い、掠めただけで破損はしていない。続行は可能だ。仮面に気を取られたことで図らずもベルには数瞬の猶予ができた。走り抜け、壁際で反転。これで決着させる。加速中、シャクティからのどんな攻撃も回避する前提で、ベルは走り出した。

 

 直線ではなく、蛇行する。正確な速度で、左右に振れる。正面から見る人間が見れば、いつどこに来るのか読みやすいだろう。ベルなりのアドリブでの配慮だったが、シャクティにはありがたいことだった。

 

 狙うのは正面。首を狩らんとする回し蹴りを、ベルは中空に跳ねて回避する。天地が逆転した。重力に従い、身体が落ちるに任せながら身体を捻る。狙うは神ガネーシャを模した仮面。足を振り抜いた状態のシャクティと視線が交錯する。

 

 理想的な動きはすなわち、シャクティが今見せた動きだ。それを空中で、天地逆になった状態のまま相手の顔面に決め、仮面だけを綺麗に排除する。昨日までのベルならば無理難題と笑っただろう。試合が始まるまでのベルならば難色を示したかもしれない。

 

 今のベルには、できるという確信があった。

 

 足を、振り抜く。落下したまま、下から救い上げるように放った回し蹴りは、仮面を綺麗に跳ね上げた。顔は――大丈夫、傷はついていない。シャクティの怜悧な風貌に傷がないことを確認し、短く安堵の溜息を吐いたベルは、迫る地面に慌てて受け身を取り、地面を転がり跳ね起きる。

 

 狙い澄ましたように、跳ね上げた仮面はベルの前に落ちてきた。受け止め、それを審判役に掲げて見せると、会場は今日一番の大歓声に包まれる。

 

「神ガネーシャが宣言しよう。これで奴も、ガネーシャ仮面だ!!」

 

 どうやらそれが勝利宣言らしい。妙な二つ名がついてしまったものだがそれはともかく。勝った人間にはそれに相応しい振る舞いがあることを『戦争遊戯』で学んだベルは、両手を振り上げ、仮面を掲げ、勝利の雄叫びを挙げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前のおかげで大成功だった。ガネーシャ・ファミリアを代表して礼を言おう」

 

 余興であったガネーシャ仮面との戦闘も終了し、今は再び『怪物祭』の演目に戻っている。忙しそうに動き回っているガネーシャ・ファミリアの団員を他所に、ガネーシャ仮面改めシャクティはベルに小さく頭を下げた。

 

「こちらこそ良い勉強になりました」

「そう言ってもらえると助かる。ああ、その一張羅についてだ。やった私が言うのも何だが、そのくらいならば服飾系のファミリアに声をかければ何とかなるはずだ。かかった費用は私が持つから、後で請求書を回してくれ」

「そこまでしていただく訳には……」

 

 祭の余興とは言え、同意の上での戦いである。最初からそういう契約であったのならばともかく、戦闘で発生した装備の破損を相手に請求するというのは何だかかっこ悪い気がしたのだ。

 

 自分の不始末は自分で何とかする。ベルからすると当然の考えだったが、その物言いを聞いてシャクティは目を丸くした。若い冒険者というのは皆素寒貧だ。ベルのように才能に恵まれていようと、冒険者歴が浅いということは蓄えがなく、必要な出費も多いということでもある。

 

 ガネーシャ・ファミリアの冒険者ならば、『費用はこちらで持つ』というのは相手を喜ばせる魔法の言葉として知られている。ベルのようにプライドを優先させるのは少数派だ。二つ返事で頷かれるものだと思っていたシャクティは、久しぶりの反応に苦笑を浮かべた。

 

「私は主催のファミリアの団長で、お前はゲストだ。損失の補填は、我々の義務のようなものでもある。悪いがここは、私の顔を立ててもらうぞ。どうしてもというのであればそうだな。次にこういうことがあった時、お前に気持ちよくまた参加してもらうための投資とでも思ってくれ」

 

 笑みを浮かべながら言うシャクティを見て、ベルは素直に感心していた。いつの間にやら次も参加することがほぼ内定している。内心どう思っていても、次の時に声をかけられたら断りにくい。交渉とはこうやって進めるものなんだなという勉強代として、ベルはシャクティの提案を受け入れることにした。

 

「『怪物祭』ではいつもこんな興業をしてるんですか?」

「同じ絵ばかりだと客も飽きるからな。毎年合間に余興をやるんだ。演目は毎年違うんだが……何なら来年は企画からお前がやってくれても構わないぞ。何しろお前もガネーシャ仮面だからな」

「それはロキ様に確認してからということで……」

 

 放っておいたらどんどん仕事が増えそうだと、ベルは早々に話を切り上げることにした。その雰囲気を感じたのか。それとも高位の冒険者らしくここが引き際と感じ取ったのか。それ以上乗っかるでもなく、シャクティは視線で出口の方を示すと軽い挨拶をして退散した。

 

 そこには観客席にいたはずのレフィーヤがいた。関係者席を通って、大回りしてきたのだろう。冒険者にとっては長い道のりではないが、よほど急いできたのか少しだけ息があがっている。

 

 つかつか歩くレフィーヤの足音に、ベルは思わず姿勢を正した。顔を見るまでもなく、怒られるのが解ったからだ。

 

「もう……いつも私に心配ばかりさせて」

「これくらいの怪我はいつものこと――」

 

 最後まで言わせずに、レフィーヤはベルの襟を締め上げた。息苦しさの中見返したレフィーヤの顔はいつになく真剣なものだった。茶化すことは許さないという雰囲気に、ベルはさっさと白旗を上げる。

 

「ごめんなさい。僕が悪かったです」

「……いつも怪我をしているなら、貴方の隣にいる誰かさんが心を痛めない訳ではないんですからね。それにいつも怪我をしているからと言って、貴方が怪我をすることを許している訳でもありません。男性の冒険者は特にそうですよね。ベルも身体の傷を勲章みたいに思ってるんじゃありませんか?」

 

 思ってますと素直に答えると拳が飛んできそうなので黙っておいた。口答えしなかったことが功を奏したのか、レフィーヤは満足そうに微笑む。小言を言いつつも、その間にベルの身だしなみを整えるのは終わっていた。

 

「さて……ベル。新しいお洋服、欲しくはありませんか?」

「シャクティさんの紹介でこの服は修繕できそうな目途が立ってるんだよね」

 

 ボロボロになってしまったが思い出の品に違いはないので、シャクティの話はベルにとって渡りに船だった。ロキ・ファミリアは冒険者の数が多いから皆に話を聞いて回ればいつかは同じ場所にたどり着けただろうけれども、こういう話は早ければ早い程良い。

 

 ベルにとっては良いことがあった、というのをささやかに自慢したいと披露したに過ぎないのだが、目論見の外れたレフィーヤはぐぬぬと唸る。この『白兎』は全く、気の回せる時と回せない時の差が極端なのだ。そういう所も可愛いとは思いますが、言うべき所は言わないといつまでも先に進めないと、運命のエルフが白昼堂々と彼の唇を奪ったのを見てレフィーヤは悟ったのである。

 

 深呼吸して、決意を固める。長いエルフ耳は、先まで真っ赤になっていた。

 

「…………言い方を変えます。かっこよく勝ったことを建て前に、今日の記念ということで私が! ベルに!! プレゼントしたいんですっ!!!」

 

 闘技場の通路に、レフィーヤの声が響く。真っ赤な顔で荒い息を吐くレフィーヤを前にすれば、流石の『白兎』も他に解釈のしようがない。むしろ自分が気を回せず、女の子にここまでやらせてしまったことに恐縮するばかりだ。

 

「ごめん、レフィ。僕が――」

「やりなおしです!」

「…………ありがとう。僕じゃセンスが心もとないから、レフィに選んでもらっても良いかな!」

「合格です!!」

 

 物事を進めるには勢いが凄く大事だということを心で理解したベルである。何にせよこの後の予定も無事に決定した。怪物祭の途中であるが、ゲストで戦ったばかりだ。会場に戻ったらそこから出るまでにも難儀するだろう。

 

 田舎者故怪物祭のような派手なイベントに後ろ髪を引かれる思いはあるが、雄叫びを挙げる怪物とレフィーヤのようなかわいい女の子だったら、ノータイムでかわいい女の子を取る覚悟のあるベルだ。男の子だからしょうがないのだ。

 

「それじゃあささっといきましょうか。観客さんに囲まれてもコトですしね」

「服このままでも大丈夫かな」

「そういうと思って移動する間に上着を借りてきました。私はそれでも気にしませんが……一部の人には目に毒ですしね」

 

 手回しの良いことである。借りてきたというだけあって、ベルにはサイズは少し大きい。それに、と上着を目の前で広げてみる。背中の部分には大きくガネーシャ・ファミリアのエンブレムが刺繍されていた。オラリオの街中ではたまに見る、ガネーシャ・ファミリアの団員が警邏の際に着ている揃いの上着である。

 

 僕らは神ロキの眷属(ロキ・ファミリア)な上に警備の仕事をしている訳ではないのだけど、これを着ても大丈夫なんだろうか、と心配になるベルであるが、これを貸してくれたのはガネーシャ・ファミリアの人なのだから、少なくともあちら的には問題ないことのはず。

 

 後はうちの神様の問題であるが、これはへそを曲げてしまったら拝み倒すより他はない。あまり人目に触れるのもコトである。早い所服屋さんに行ってしまうのが無難だろう。

 

 迅速な行動を決意したベルがレフィーヤを見ると、何やら両手を腰に当ててベルの方を見ていた。ぼんやりと真似をしろということだと理解して同じようにすると、レフィーヤは満足そうに頷き、ベルの左腕を取った。

 

 結構ある感じのものがぐいぐい押し付けられてくる。勝ち星を拾ったばかりとは言え、こんな良い目を見ても良いのだろうか。横目にレフィーヤを盗み見ると、視線は返ってこない。自分で始めたことだと言うのに、何というか、見える範囲全部真っ赤になっているくらいに照れている。レフィーヤにとっては大冒険なのだ。

 

 恥ずかしいならやらなければ良いのにと、当たり前のことは言えなかった。

 

 真っ赤になっているのはきっと自分も同じだし、何よりこの柔らかさを失うのはとても惜しかった。女の子と二人で出かけるというのはもっと清く正しいものだと思っていたベルだったが、何だか半分以上は邪な感情でできているんだな、と悟った一日だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ベルかっこよかったねー」

「そうですねー」

 

 怪物祭の会場は大入りだったが、席に関しては高位の冒険者は優遇される。立ち見になるが

スペースだけは冒険者専用に確保されているためだ。VIP席や神々の個室よりも位置は下がるが、当日販売の安い席よりは舞台が良く見える。

 

 冒険者専用の売店もあり、祭らしい食事に舌つづみを打ちながらイベントを観戦できると、このテの催しが好きな冒険者には好評なのだ。金を払ってまで調教されたモンスターを見たくないという冒険者も多いため、下の席よりもスペースに余裕があるのも一部の冒険者に人気の秘密である。

 

 ティオナとリリルカはその立ち見席でベルたちの監視を続けていた。広い舞台はともかく会場全体を、人物の顔まで判別するのは難儀するはずだがそれは一般人の話である。レベル5の冒険者であるティオナならばその程度は造作もなく、まして目当てであるベルは白髪赤目と目立つため、見つけるのは容易だった。

 

 ゲストで参戦して大立ち回り、観客の大喝采を浴びながら退場したベルを追って通路を行き監視を続ける。レフィーヤの大声を肴にお祭りグルメに舌つづみを打ちながら、彼女らに見つからないように世間話を続ける。

 

「それにしても最前列の席なんて良く確保できましたね、ベル様。中々入手困難だと聞きましたが」

「アリシアたちが手を回したんじゃない? 今日のプランは元々考えたのあっちみたいだし。はい、リリ」

「ありがとうございます」

 

 あーんされたイモフライに大きく口を開けてかぶりつく。最初は照れのあったこの作業も、一日に何度も繰り返されると慣れてしまった。

 

 レベル5の冒険者で、アマゾネス。何よりベルに懸想をしている相手で、彼が殴られる原因になったあの騒動の時も、その場にいた人である。二人きりでのイベントだ。上手くやっていけるか不安もあったのだが、実際に過ごして見ると中々良い人なのだと思えるようになった。

 

 身体そのものが小さい小人は、他の種族と歩く時に難儀する。コンパスが小さいために小人の方が合わせるとやたら急ぎ足になるし、あちらに合わせてもらうとペースが遅くなるのだがティオナはリリルカが急ぎ足になるとペースを落としてくれた。直情径行で喧嘩っ早く、色ボケと有名なアマゾネスが負い目のある小人の女のためにだ。 

 

 それにご飯もおやつも食べさせてくれるし飲み物も買ってくれる。他人の後ろを歩いて拳や蹴りを貰ったり金を巻き上げられたことはあっても、その金で飲み食いするという経験のなかったリリルカにとって、ティオナの付き添いは天国だった。そりゃあ口の周りについたソースを拭いてあげたり、衝動買いした物を持ってあげたりとお世話もするのである。

 

「さーて、と。うん、ベルたちはこれから服屋さんに行くみたいだけど、私たちはどうする?」

「最後まで尾行するんじゃないんですか?」

「ベルのかっこいい所も見れたし、これ以上はレフィーヤに悪いかなって」

 

 飽きたのかな、と思ったが口にはしない。元より尾行そのものは乗り気でなかったリリルカである。やめるというのならそれに越したことはない。用事が済んだのならばこれで解散でも良いのだが、祭はまだ催しが沢山あるし、荷物にはまだ余裕がある。女同士とは言えせっかく一緒に外に出たのだ。時間の許す限り遊んでみたいと思ったリリルカは、どこか行きたいところはあるかというティオナの質問に、素直に答えた。

 

「でしたら西の区画の出店で小物が見たいかな、と」

「小物?」

「リリのお部屋は少し寂しいので、一つか二つ彩りになるものが欲しいんですよね」

 

 ソーマ・ファミリアにいた頃は考えもしなかったことである。物に実用性しか求めていなかった自分が、生活に余裕ができた。自分とその周辺を飾ることを覚えた。同年代の普通の少女が、当たり前のようにやっている。それを当たり前のようにできることが、バカみたいに嬉しいのだ。

 

 ティオナはリリルカの幼年時代について、詳しくは知らない。ソーマ・ファミリアの評判は決して芳しくなく、そこで荷物持ちをしていた小人の少女がどういう立場だったのかは、ティオナの立場からしても想像に難くない。

 

 違う旗を仰ぎ見ていた頃は気にもしなかったろうが、今目の前にいる少女はそうではない。同じ主神の眷属として、気に掛けるくらいはしても良いのだろう。幼年時代が暗いのはティオナとて同じである。暗い過去など知らないとばかりに、一緒に歩き、一緒に笑い、一緒に祭を楽しんだのだ。目の前にいるのは、大事な仲間で、友達だ。

 

「じゃ、私が買ってあげるよ。そういうお店詳しくないから、リリが選んでよね」

「そのお気持ち有り難く頂戴しますが、今日はもう沢山良くしてもらっているので、ここから更にというのは恐縮です。なので、リリからもティオナ様に何かプレゼントさせてください」

「交換とか良いね。お揃いの物でも買う?」

「それじゃあ、沢山お店を見て回らないといけませんね」

 

 笑いあう二人は自然と手を握りなおす。何を買うか何が好きか。年頃のカップルらしい話をしながら会場を後にするリリルカたちの背を見送ったシングルの女性冒険者は、両方女であると解っていても、酷い敗北感を覚えた。リリルカの容姿が優れていたこともあって、ひょっとして女でも良いのでは、と思う者まで出る始末である。

 

 結果、朝には男装美少女を連れ回していることが醜聞として広まる予定だったティオナの名誉は少しだけ守られたのだった。

 

 

 

 


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