英雄になりたいと少年は思った   作:DICEK

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ある愛の女神の黄昏⑥

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こんなものか……」

 

 最後に残ったフリュネの鳩尾に石突を叩き込み意識を刈り取ると、リヴェリアはようやく息を吐いた。久しぶりの杖術披露の機会で興が乗ったせいか無駄に時間を食ってしまった。死力を尽くしたアマゾネスたちはリヴェリアの技術をもってしても強敵だったが、戦闘の途中で突然光柱が上がりアマゾネスたちの戦闘力が激減した。

 

 女神イシュタルが天に召されたことは誰の目にも明らかだった。ただでさえ戦闘力で負けていたところを根性で戦っていたのに『恩恵』まで失ったら勝つ可能性など皆無である。

 

 だがそれでも彼女らはアマゾネスだった。もはや己のプライドに寄って立つ彼女らにとって彼我の実力差など問題ではなかった。むしろ『恩恵』を失ってからの戦闘の方が野次馬も盛り上がり周囲のエルフ達も普段見れないリヴェリアを見たせいで観戦気分だったのもいけなかったのだろう。普段であれば誰かがリヴェリアを諫めたのだろうが、この時に至っては皆が手に汗を握っていた。

 

 とは言え野次馬から拍手が出るとリヴェリアも悪い気分ではない。軽く手を振りつつも、本来の目的を思い出す。リヴェリア達の目的はアマゾネスの殲滅ではなくベルの救出だ。目的を忘れて違うことに夢中になるなど、アイナがいれば三時間は説教から解放してはくれまい。

 

『まぁまぁまぁいい年して弱い者いじめなど(ひぃ)様はよほど溜まってらっしゃるのですね。杖を振り回して喜ぶような野蛮エルフだからそのお年まで未通女なのですよ』

 

 旧友は相変わらず想像の中でまでほほほと嫌味を言ってくる。沸き立つ苛立ちを抑えながらリヴェリアは深呼吸をし気持ちを落ち着かせた。これ以上恥の上塗りをしても、イマジナリーアイナの小言が増えるだけだ。さっさとベルを助けて『黄昏の館』に戻ろう。

 

「リヴェリアさまーっ!!」

 

 ベルを救出すべく『女主の神娼殿』に駆けだそうとしたリヴェリアを止めたのは、まさにその助け出そうとしていた少年の声だった。白い髪に赤い瞳。歓楽街の屋根を駆けこちらにやってくるのはまさしくベル・クラネルである。まさか自力でイシュタル・ファミリアのアマゾネスから逃げだしてきたのか。団長を始め主力メンバーはこちらにおり、女神イシュタルが送還された以上、女神と護衛は地下に向かっていたと思われる。いくら大手のファミリアの『本拠地』と言っても戦力は薄くなっていたはずだ。

 

 ベル一人で抜け出すことも、考えてみればそう難しいことではないように思える。何より無事なのであれば、保護者としても言うことはない。だが屋根を駆け目の前に飛び降りたベルの姿を見て、リヴェリアの血の気が引いた。

 

「何があった!?」

 

 血相を変えて詰め寄ってくるリヴェリアに、ベルの腰も引ける。男の子としては激闘があって僕が勝ちましたということを自慢したいのであるが、リヴェリアの雰囲気にベルも鬼気迫るものを感じていた。正直に思っていることを口にしたら更に雷が落ちそうである。ベルが何と言い訳をしようか考えを巡らせている内に、リヴェリアはベルの身体を調べていく。

 

 外傷ゼロ。それは最初から今まで無傷ということを意味しない。ポーションの類は身体の損傷を回復してくれるが、装備品にまでその効果は及ばない。落としきれていない小さな血の塊や何より大量に流血したと一目で解る腹部の血痕が生々しい。

 

 血の量の割に服の損傷が少ない。裂傷ではなく刺傷。ベルが平然としていることから回復薬の使用は間に合ったのだろう。

 

 だが胃腸を損傷した場合、その内容物が臓器に付着していると回復薬の治癒効果を阻害することがあるのだ。そして治癒が遅れると傷そのものは回復しても障害が残ることがある。今は平然としていても後からということもないではない。何よりベルは運命のエルフとの鍛錬の賜物か、痛みに対しては凄まじく耐性がある。平然としているイコール何も問題ないということではないのだ。いずれにしても早急に医者に見せる必要がある。

 

「言いたいことは沢山あるがまずは医者だ。近くに知人のエルフがやっている診療所がある。そこに行くぞ」

「わかりました。あの、心配をかけて申し訳ありませんリヴェリア様」

「なに、冒険者なのだ。この程度では一々小言など言っていられん。お前が痛みや苦しみに耐えねばならないのと同様に、私も耐えねばな。冒険者の身内を持つというのはそういうことだ」

 

 冒険者にとって危険と向き合うことは日常茶飯事である。何がなんでも危険な目にあってほしくないのであれば、そもそも冒険者などさせるべきではない。冒険者であることを許容するのであれば、どこかしらで妥協をしなければならないのだ。

 

 リヴェリアの場合、ファミリアの中でも立場があるから猶更である。自分が危険なことをしておいて他人はダメだというのは中々筋が通るものではないし、若いベルは納得もし難い。ベルが身体を張っても無謀なことをしないのであれば、後は待つ側の問題なのだ。冒険者である自分でこれだけやきもきするのだから、そうでないエイナは大変だろうなと親友の娘の顔を思い浮かべて苦笑する。

 

 そんなリヴェリアを眺めていたベルは視線を彷徨わせ、廃墟になった娼館を見て声をあげた。

 

「野蛮な魔法使いはどうなりましたか? 二回も建物を吹っ飛ばしたみたいですが……」

「お前の方でも聞こえていたか?」

「はい! それはもう凄い爆発でした!」

「そうか。そいつは私が撃退した。残念ながら逃げられてしまった上顔も隠されていたが、声からして男だろう。ベートくらいの体格をしていた、多分人間だな」

「そうだったんですか。でも、リヴェリア様がご無事でよかったです」

「嬉しいことを言ってくれるな」

 

 指で頬をぐりぐりされてベルが照れくさそうに微笑む。穏やかな雰囲気と自然な成り行きから周囲のエルフたちの理解も遅れたが呑気な笑い声が聞こえるくらいになってようやく事態を把握した。

 

 リヴェリアはたった今ベル相手にもの凄く自然に嘘を吐いた。

 

 公的な記録には事実が記載されることだろうが、後からベルがそれを見たとしても何か事情があってリヴェリアが泥をかぶったと思うことだろう。リヴェリアにとって大事なことはベルがリヴェリアの言葉を信じることであり、他人がどう思うとか世間の風聞などは心底どうでも良かったのだ。

 

 そして、リヴェリアがそう口にしたことでロキ・ファミリアのエルフたちにとってもそれが真実になった。後で口裏を合わせておかないと……とアリシアが今後のプランを心中で練っていると、地に這いながらもリヴェリアたちのやり取りを聞いていたフリュネが声をあげた。

 

「騙されんじゃないよ『白兎』! 娼館を吹っ飛ばしたのはそこの年増――」

 

 不要な発言をしようとしたフリュネは瞬く間にエルフたちに猿轡を噛まされ簀巻きにされて運ばれていく。巨大なヒキガエルのようなアマゾネスは少し前までは強力な冒険者だったが、女神イシュタルが天に送還された今となっては身体が大きいだけの一般人でしかない。一般人の中では強力なのだろうが、冒険者と一般人の間にはただそれだけで大きな隔たりがあるのだ。後衛職ばかりとは言え冒険者でさえないアマゾネスが相手ならば、リヴェリアの取り巻きたちの敵ではなかった。

 

 全てのアマゾネスが周囲から消え、不要な発言をする者が皆無になったことをしっかりと見届けてからリヴェリアは口を開いた。

 

「レフィーヤはどうした? そちらに向かっていたと思うが」

「リヴェリア様が心配という話をしたら先に行ってくれと言われました。『女主の神娼殿』で保護した娘も一緒なので少し遅れるかと」

「そうか」

 

 顔色一つ変えずに嘘を吐いたリヴェリアの顔が僅かに曇る。保護した娘。なるほど女か。しかも『女主の神娼殿』で保護した女ということはきっと女神イシュタルの眷属で娼婦かその候補なのだろう。

 

 ハイエルフの王族に生まれた身として、そういう職業の女に思う所がないではない。出来ることならベルの周囲にいてほしくないタイプの女ではあるのだが、それを態度や口に出すのは憚られた。理性と見栄が感情に勝る。ベルの前でそうするのはリヴェリア・リヨス・アールヴとして酷く狭量に思えた。

 

 私もまだまだ修行が足りないなと深く息を吐きだすと、無理やり笑顔を浮かべる。

 

「話が長くなったな。ともかくお前は医者だ。今すぐ行くぞついてこい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オラリオを襲った歓楽街の騒動はロキ・ファミリア、フレイヤ・ファミリアの二大ファミリアの介入によって一晩で収束したということになった。イシュタルがコトを起こす前の介入であったため、対外的にはロキとフレイヤが発端であり、事実目撃者も多数いたのであるが、ギルドの公式記録でそう発表されたこともあり、住民たちはそういうことなんだなと納得した。

 

 共同歩調を取ることになったファミリアの最初の大仕事により別のファミリアが消滅する大騒ぎとなったが、事前に方々に話を通していたこともあり混乱は翌朝にはほぼ完全に収まった。歓楽街も『女主の神娼殿』と謎の魔法使いが吹っ飛ばした二件の娼館以外は通常通り――それどころか、大手がいなくなった今こそ稼ぎ時新規顧客獲得のチャンスだと、騒動前よりも活気にあふれる始末である。

 

 都市としての営みが潰えない限り、色欲の炎が消えるということはないのだ。

 

 三柱の神の会合の通りに今までは女神イシュタルの意向でほぼ全てを決めていた歓楽街の運営については複数柱の合議によって決めることになった。イシュタルが占有していた権益はあらゆる神にとって魅力的なものである。空いた椅子に座りたいと願う神は多くいたが、騒動に関係のない神が詳細を知った頃には既に空いた椅子には座る神があった。

 

 どれくらいの権益が宙ぶらりんになり、それを誰が使うことになるのか。事前に調整を重ねていたヘルメスの功績である。後ろ暗いことに手を出していたイシュタルが送還されたことによりこれで歓楽街も少しは全うになるだろう。ちゃっかり歓楽街の運営の椅子の一つを確保していたヘルメスは左団扇で大笑いである。

 

 今回の騒動で一番得るものが多かったのがこのヘルメスだ。

 

 そもそもの発端はヘルメスがイシュタルの元で悪事の相談を――証拠集めのためにスパイをやりつつ懐を潤わせていた時、何やら反旗を翻したいらしいアイシャを見つけたことだ。殺生石と春姫を使ったイシュタルの悪事については、既にロキやフレイヤにも露見している。

 

 どの段階で介入するかはこの時点ではまだ議論の余地があったものの、介入すること自体は決定していた。早いとこやっちまおうやというロキと肥え太らせてから叩き潰すというフレイヤの間で意見の調整をするのは心がすり減るので何でも良いから早く方針を決めたいと思っていたヘルメスにとって、アイシャの存在は渡に船だった。

 

 アイシャに密かに接触したヘルメスは計画のあらましを遠まわしに伝えた。二大ファミリアによる歓楽街の襲撃。それによる女神イシュタルのオラリオからの逐電に続く天への送還。事態が収束すれば自分も春姫も自由になるというヘルメスの言葉に、アイシャは一も二もなく食いつきヘルメスの要望を全て受け入れることになった。

 

 一歩間違えれば命を落とす計画への参加も躊躇いはない。ロキ・ファミリア介入のため必要とヘルメスが言えば、アイシャはベル用の紹介状も書いてくれたし、ベルと春姫の行動を誘導した上で監視までしてくれた。

 

 その上適当に手を抜いても良かったはずのベルとの決戦でも全力で戦い、ベルがエリクサーを使い切るほどの重傷を負ったそうである。天界でも有数の面の皮の厚さを持つヘルメスも流石に悪いと思ったのだが、レベルで劣るベルに完膚なきまでに敗れたという続報を聞くとその感情も霧散した。

 

 アイシャ・ベルカはアマゾネスだ。他人の描いた絵図に乗ったとはいえそれほどの幸福が舞い降りたというのであれば、他神が気にするようなことはないだろう。

 

「今回一番得したのはアイシャかもしれないね」

「左団扇でよう言うわ。いつにもまして羽振り良さそうやないか。今度何か奢りや?」

「喜んで奢らせてもらうよ。今の俺があるのは、君とフレイヤのおかげだからね」

 

 こっそりと接収した資産でほぼ相殺されるとは言え、対外的にはロキとフレイヤのファミリアにはギルドから制裁が科されることになる。そこにヘルメスは含まれていない。三ファミリアの合同でやった襲撃であるが、ヘルメス・ファミリアの受け持ちはほぼ地下であったため衆目に晒されてはおらず、ロキもフレイヤも聴取では口を割らなかっため記録には残らなかったのだ。

 

 金銭的な収支ではどちらも辛うじてプラスであるものの、制裁を受けたという記録は残る。具体的には次に話を通さずにペナルティを受けた時、従来よりもそれが重くなる。制裁を受けなければ済む話ではあるが、大所帯はそれだけ問題に直面することも多い。トータルで見れば赤字だろうなというのがロキとフレイヤの見解だ。つまりはヘルメスの一人勝ちである。

 

 それでもロキとフレイヤには不満はなかった。基本好き放題やる二柱にとってギルドというものは自らに便宜をはかってくれるものではなく制裁を食らわせてくるものだ。失った金銭はまたためれば良いしどれだけ貢献したかの指標などそれほど気にするものでもない。

 

 それらのために好きにやれない方がストレスが溜まって仕方がない。神というものは生来自由な生き物だ。不自由を楽しむために制限を設けて地上に降りてきていてもそこが変わることはない。イシュタルがオラリオから消えた。目下の問題が片付いたことに比べれば大体のことは些細なことなのである。

 

「ところで、君らの所でイシュタルの眷属はどれくらい引き受けたんだい?」

「私はゼロね。アマゾネスはいまいち趣味ではくて」

「ウチのとこは一人やな。ベルが面倒みてほしい言うから狐人の春姫いう娘だけ引き受けたわ。貴様はどないやねん」

「俺は今日これから面接さ。希望者はできるだけ請け負っていきたいなとは思ってるんだよね。ほら、俺もこれから娼館を経営する訳だしさ。働き手はできるだけ確保しておかないと」

 

 指で輪っかを作るヘルメスに二柱の女神は白けた視線を向ける。ずる賢いこの男神のことだ。既にアマゾネス以外の人員も確保していることは想像に難くない。というよりも、こうなることを見越して予め人員を用意していたとしても不思議ではない。抜け目のなさではオラリオでも一二を争うこの男神はきっと、歓楽街でもそこそこの成功を収めるのだろう。

 

 忌々しく思わなくもないが娼館の利用にも運営にも興味がない二柱の女神には関係のないことだ。

 

 はははと高笑いをしながら去っていくヘルメスを見送ったロキは、冷めた紅茶を一息に飲み干す。給仕として部屋の隅に控えていたオッタルが無言でロキのカップに紅茶を注ぐ。視界に入れば目に入れずにはいられない巨体であるが、オラリオ最強の冒険者はどうやら給仕の才能があるらしく、控えている時の彼は不思議と気にならない。

 

 同じ獣人でもベートやったらこうはいかんやろなと思いつつ、ロキは今思い出したというように口を開いた。

 

「そういえばアレやな。うちのベルがまためでたくランクアップして4になったんやけども」

「お祝いをしなければいけないわね。お茶に招待したいから、招待状を渡しておいてもらえる?」

「ベルも喜ぶで」

 

 ロキも嬉しそうに頷いている。表情と内心が一致しないことの多いロキであるが、ベルとフレイヤの関係にしては最近は概ね肯定的である。ベルが思いの他フレイヤに懐いたのは計算外だったが、美貌に参った様子が全くないというのがロキの自尊心を大いに満足させたのだ。

 

 ベルにとっては美の女神フレイヤも、近所の綺麗なお姉さんくらいのポジションである。これはフレイヤの自尊心を傷つけたかと期待するも、何だかんだフレイヤもそういう扱いも悪くないと思えているようで、たまにロキと一緒にベルをお茶に招待してはベルの話を黙って聞くというイベントを開催している。

 

「ちゅーか、貴様のとこのアレンは何なん? 何がそんなにベルの心を掴んで離さんねん」

「本当に仲良しよね、あの二人……」

 

 フレイヤの口から物憂げなため息が漏れる。

 

 嫉妬の炎がめらめら燃える、ということもない。自分の眷属が自分の推しと良い関係を築いているのだから主神であるフレイヤとしては心が温まりこそすれ非難するようなことでもない。ただロキの言う通りアレンの何がベルに刺さっているのかというのはフレイヤも不思議に思うところだ。

 

 ベルとお茶をする度にアレンとはどうなのと聞いているのだが、彼はその度に興奮気味にアレンさんのここが凄くてかっこいい! という話を力いっぱいにしてくれるのである。主神としてその主張には同意できる所が多いが、それがどうしてうさぎさんにここまで刺さるのかというのはフレイヤの理解の及ぶ所ではなかった。

 

「先週は三度も夕食を共にしたようね」

「そないに顔合わせるはずないんやけどな、どうやって予定合わせとんのやろ」

「有志によれば『次はいつ会えますか?』とうさぎさんの方から聞いているそうよ」

「乙女かい!!」

 

 自分の子供の意外な情報をフレイヤから聞くと思っていなかったロキは力任せに吠えた。空になっていたカップにそっとオッタルが紅茶を注ぎ、フェードアウトする。主神とその友神の会話にも一切興味を示した様子がない。自分は置物ですという雰囲気はまさに執事と言えなくもないが、本心は単に関わり合いになりたくないだけである。

 

「まぁベル童顔やしな、今度試しに女装でもさせてみようかな……しかしようベルのデート現場に都合よく情報回す奴がおったな。どこの誰や?」

「オサカベの眷属よ。先週私の所にオサカベがソーマを持って挨拶に来たの。うちのアレンとうさぎさんの本を出すのに取材したいから、ちょろちょろしますけどごめんなさいって」

「ウチのとこには来とらんぞ?」

「うさぎさんには直接許可を取ったそうよ。二つ返事でOKをもらったと言っていたわ」

「きっとオサカベんとこの本がどんなのか解っとらんのやろな」

 

 仕方のないことではあるとロキは茶菓子と摘まんで小さく息を吐いた。オサカベ・ファミリアはオラリオで事実上唯一の出版物を取り扱うファミリアであり、新聞や様々なジャンルの書籍の出版、販売を行っている。商業規模で言えばヘファイストスやディアンケヒトには大きく水を開けられているが、基本普通の人々には縁のない武器防具やそうそうお世話になることはないポーションの類と比べて、人々の生活に溶け込んでいるファミリアと言える。

 

 事業として自費出版の援助も行っており、年に二度そうして作られた書籍の即売会を彼女の『本拠地』を解放して行っている。その筋の者たちにとって逆さにした四角錐を四つ組み合わせた独特の形をしたオサカベ・ファミリアの『本拠地』はまさに聖地と言えた。

 

 先の本というのはその即売会で出す本なのだろうが、オサカベ本人が態々フレイヤに頭を下げに来たのを見るに本気さが伺える。

 

 オサカベの眷属はファミリアの事業内容の示す通り腕っぷしは全く大したことはないが、冒険者以外の同好の士を巻き込んだ情報収集能力はオラリオでも群を抜いている。アレン・フローメルはレベル6の冒険者で勘も鋭い。その本人に気取られずに取材を続けているというのだから、主神であるフレイヤの目から見てもその一点に限っては優秀であると認めざるを得ない。

 

「情熱の成せる業ね。私の興味の薄い分野だけれど」

「そか? ウチは興味あるけどなベルの出てる本」

「興味があるなら即売会のチケットくらいは手配してあげるけど、気を付けなさいロキ。行く先はおそらく底のない沼よ」

 

 ドハマリした時の彼女の眷属の――ベルとその周辺の冒険者のことを思っての発言だったのだが、どうやら伝わらなかったらしい。わっはっはと笑うロキにフレイヤは物憂げにため息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 歓楽街での騒動を経て、ベルの周囲は微妙に変化した。ベル本人のレベルが1あがり、パーティに春姫が加わった。リーダーとしての経験も積むようにとリヴェリアから指導されたベルは 新加入した春姫との連携の確認などを浅い階層で繰り返している。

 

 正規のパーティメンバーはこれで四人であるが、前衛がベル一人という非常に偏った構成であるので、生存率を上げるためにも連携の確認は急務である、というリヴェリアからの指示だ。

 

 私が行けば良いんじゃないのーとティオナなどはぶーたれていたが、ベルの思考能力の鍛錬の意味もあり、彼女はまだ正規のメンバーではないのだった。実力が開きすぎているというのも理由の一つであったのだが、ベルがレベル4になったことでその開きも狭まりつつある。加入の日は近いとティオナは内心喜んでいた。

 

 そんなティオナの内心を知らず、ベルたちはダンジョン帰りにお疲れ様会だ。いつもの『豊穣の女主人』亭の奥まった四人席。ベルの隣にリリルカが座り、向かいにレフィーヤと春姫が並んで座っている。

 

「レフィ様、どうぞ」

「ありがとう春姫」

 

 レフィーヤを甲斐甲斐しく世話をする春姫に、ベルの頬も緩む。レフィーヤが危うくオラリオで最も性欲の強いエルフという勇名を得ることになりかけた日から数日。主神が天に送還されたイシュタル・ファミリアの面々は就職活動を余儀なくされ、そしてそのほとんどがあっという間に再就職を決めた。

 

 イシュタルの眷属はそのほとんどが娼婦である。首から上が変わっただけで歓楽街そのものは存続する以上、そこを取りしきることになる神の下に付くのは当然の流れと言えた。死闘を繰り広げたアイシャも再就職先は決まり、リヴェリアの近くで倒れていたベルをして表現に困る容姿をした大きなアマゾネスもその戦闘能力を評価されて晴れて別の神の眷属になったという。

 

 本人は歓楽街で働くことを希望していたというが、それは叶わなかったそうな。春姫以外で歓楽街から離れた数少ない例である。

 

 そんな春姫は、ベルの紹介で争奪戦になる前にとその日にうちにロキの眷属となり、ロキの判断でベルのパーティメンバーとなった。主に面倒を見ているのがレフィーヤである。

 

 本当はリリルカにも先輩風を吹かせたかったレフィーヤであるが、リリルカはいつの間かティオナとお互いの部屋を行き来するくらいに仲良しになってしまい、入る隙がなくなってしまったのだ。その雪辱を果たすとばかりにぐいぐいいった甲斐もあり、今ではすっかり春姫もレフィーヤに懐いている。パーティの女性比率が上がったことで、お出かけの際に男であるという理由で敬遠されることが増えてしまったのが少し寂しい。

 

 女性は女性とつるむのが普通なのだと思うことにして、リリルカの注いでくれたジュースを飲む。『豊穣の女主人』亭は今日も盛況だ。給仕姿の女性たちがきびきび働き、威勢のいいおかみさんの声が響く。喧噪はあるが秩序のある喧噪である。場末の酒場ではこうはいかない。

 

 客層はオラリオの住民もいるが冒険者が多い。それでもこれだけ秩序を保っているのはシル以外の従業員が皆そこらの冒険者では歯が立たないほどの手練れである、という噂がまことしやかに冒険者の間に広がっているからだ。

 

 噂を聞き、冒険者であれば少し調べればわかることでもあるので、よほどの命知らずでなければこの店で騒ぎを起こしたりはしない。ここで騒ぎを起こすイコール、その程度もできない木っ端であるかこの店の出資者に明確に喧嘩を売っているか。

 

 前者であれば丁重にぼこぼこにし、後者であれば派手にぼこぼこにする。オラリオでも安心して食事を楽しめる店よ、とはその出資者である女神フレイヤからの太鼓判である。ミアがオッタルの前の団長でレベル6と聞いた時には心底驚いたものだが、リューを始め手練れの冒険者が普通に働いているのだからそういうものなのだろうなとベルは受け入れた。

 

 料理を運んでいたアーニャとたまたま視線が合うと、彼女はその場で華麗にターンを決めてウィンクをしてきた。かわいい、と心も和むがそれで料理を落としたりしないのだろうかという心配の方が勝る。

 

 案の定、カウンターの中からアーニャのことが見えていたのかミアの怒号が飛ぶ。それで驚いたアーニャが料理を落とす――というような大惨事は流石になく、舌を出してべルに向けて悪びれたアーニャはささっと仕事に戻っていた。

 

 ちなみにこの手のアピールは今日で三人目である。最初がリューで、次がシル。その二人もミアからの怒号で仕事に戻っている。

 

「おモテになる殿方は大変ですねベル様」

「囁き声なのに何だか怖いよリリ……」

 

 レフィーヤたちはいちゃこらするのに忙しく、今のやりとりを見ていなかったらしい。リリルカのねっとり絡みつくような視線から逃れるように、ベルは芋フライをかじりながら店内に視線を彷徨わせた。

 

 ちょうど一人、『豊穣の女主人』亭に来客があった。

 

 白いシャツに黒ベストのパンツルック。エイナのようなギルド職員を思わせるコーディネートだが、ギルドの物よりも黒の色が濃く見える。シャツのボタンは一番上まできっちり止められており、凛々しい眼差しにはイメージに反した黒縁フレームの眼鏡が乗っている。

 

 長い黒髪はきっちりみつあみにされ背中に流れ、褐色の肌は腕に抱えた白い薄手のコートとの対比が眩しい。店の雰囲気に微妙に似つかわしくない真面目な美人さんの登場に客の視線も集まるが、ただ美人というだけでは店員が皆美少女のこの店では興味の維持も難しい。

 

 すぐに元の空気に戻った店を見回した美人さんは、その視線をベルの所で止めた。穏やかに微笑む美人さんの顔を見て、ベルの手がとっさに腰に動いた。空振りをした手をこっそりと見下ろす。一度『黄昏の館』に寄ってから来たので今のベルは武装していない。手は『紅椿』の柄を求めて空を切ったのだ。戦闘の気配を感じた故の警戒行動。初めてみる美人さん相手に似つかわしくない自分の行動に首を傾げるベルを他所に、美人さんはずんずんと歩いてくる。

 

 その女性の顔を見て、春姫が驚愕で目を見開く。ただ事ではない様子にレフィーヤが視線を向けるが、春姫が何かを言うよりも早く、女性は春姫に向けて小さくウィンクをした。人差し指を唇に当てる仕草が艶めかしい。春姫ががくがく頷いて肯定の意を返したのを確認すると、女性は改めてベルに向き直った。

 

()()()()()()、ベル・クラネル。レベルアップおめでとうございます」

「あー、ありがとうございます」

 

 近くで顔を見て優しい声音を聞いてもとっさに警戒した理由が掴めてこない。本人が初めましてと言っている以上会ったことはないはずだが、心のどこかで引っ掛かりを覚えていた。何よりレフィーヤの背中に隠れるようにして美人さんから距離を取ろうとしている春姫の態度が尋常ではない。そんなにこの美人さんのことが怖いのかしらと思ったベルは、改めて美人さんの顔をまじまじと見つめてみた。

 

 褐色の肌、長い黒髪、凛々しい目、穏やかな微笑、理知的な雰囲気。そこに怯える春姫を加えてみて、漸くベルの脳裏に閃くものがあった。

 

「アイシャさん?」

「気づいていただけて嬉しいですわ、ベル・クラネル」

「雰囲気が全然違うので驚きました。普段はそういう恰好をされてるんですね」

「たまには、ですね。私もこれまでは『女主の神娼殿』でご覧になったような恰好で過ごしていましたが、人生で最も良い機会を賜りましたので少し自分を変えてみようと思い立ちました」

 

 にこにこ微笑んだままの美人さん改めアイシャを見て、レフィーヤとリリルカがようやくこの女性が先の騒動でベルと戦った人アマゾネスであることに気づいた。アマゾネスとは皆露出が多いものであると少なからず思っていたレフィーヤは、まるでエルフのような装いで丁寧な口調で話すアイシャに目を丸くしている。

 

 対して春姫の挙動不審は続行中だ。これ程恐ろしいものはないという風でレフィーヤの肩に縋り付き、背中に隠れたまま動こうともしない。

 

「私ももうしばらくしたら冒険者として復帰いたします。その時は一度、ご一緒させていただけませんか? 『女主の神娼殿』でのお詫びもかねて、いくらかお手伝いをしたいのです」

「アイシャさんさえ良ければ是非」

 

 ありがとうございます、とアイシャは小さく頭を下げた。所作は洗練されていて、同じ人だと解っていても『女主の神娼殿』で戦ったアマゾネスと認識しにくい。女の人ってこんなに変わるんだと、ベルは人生初めての衝撃を受けていた。

 

「では。私はこれで失礼します」

「良ければ一緒にどうですか?」

「こちらにいらっしゃるという話を聞いて寄ったまで。身内の集まりのお邪魔はいたしませんわ」

「ここはお持ちかえりもできますよ?」

「ご親切にありがとうございます」

 

 暗に『何も頼まずに外に出るのはあまり良くないですよ』と言ったベルの言葉に、正確にその意図を組んだアイシャはたまたま近くにいたリューに持ち帰りの注文を頼む。知り合いらしい新たな女の登場に幾分鋭くなったリューの視線の居心地が実に悪い。

 

 これで注文待ちの時間が長ければ針の筵だったろうけれども、『豊穣の女主人』亭の持ち帰りはお任せでさえあれば出来上がるのは凄まじく速い。アイシャが入店した時点で準備していたのだろう。注文を伝えたその直後に突き出された包を持って戻ってきたリューから品物を受け取ったアイシャは、ベルの仲間たちを見回し、最後にベルを見て微笑んだ。

 

 眼鏡の奥の凛々しい瞳が、『女主の神娼殿』で戦った時の同じ獰猛な光を帯びる。

 

 

 

 

 

 

「私に勝てばロハ。約束は覚えておいでですよね? ベル・クラネル。ご用命は、お好きな時に」

 

 

 

 

 

 

 

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