「申し訳ありませんベル様……」
「気にしないで。早く元気になってね春姫」
熱いというよりは温かい手を握ると弱々しくもちゃんと握り返してくる。変わらず健気な様子にベルが笑みを浮かべると春姫も笑みを返し小さく咳き込んだ。美少女は咳まで可愛らしいという感想は口にしないでおいた。春姫はかわいい照れた顔を見せてくれるだろうが他の皆は怒るだろうということがベルにも解った。
ここは『黄昏の館』の女子塔、春姫の部屋である。男子塔のベルの部屋よりも一回り広い造りの部屋に東風のインテリアが煩くない程度に並んでいる。寝台と書棚と文机くらいしかないベルの部屋と比べると物の並びは控えめに思えるのにとても華やかだ。
男子塔に女子は入れるがその逆は許可がない限り許されない。ロキ・ファミリアで如何に女性冒険者が多く、かつ優遇されているかが解る取り決めである。
許可を出す寮長は幹部女性冒険者の持ち回りで今の寮長はアリシアである。真面目なエルフらしく誰が相手でも公私混同はしない。夜更かししてお話するというようなことで許可も出ないのだが、風邪の見舞いということで許可を出してくれた。
見舞いにやってきたのはベル他、パーティメンバーであるレフィーヤとリリルカ。ベッドで寝ている春姫以外はダンジョン用の装備で固めている。本来は四人でリヴィラの街まで行って帰ってくる予定だったのだ。春姫が病気なら延期というのも選択肢ではあったのだが、当の春姫の希望で行ってきてくださいませということになった。病気の自分を理由に予定が流れるということが我慢ならなかったらしい。
「それじゃ行ってくるよ。おみやげ楽しみにしててね」
「いってらっしゃいませ、皆さま!」
春姫に見送られたベルたちは『黄昏の館』を出てダンジョンへと向かう。
石を投げれば冒険者に当たると言われる冒険者の街オラリオでも冒険者とそれ以外ではそれ以外の人々の方が多い。ベル自身が目立つ風貌というのもあるが、顔と名前が知れ渡るようになってから向けられる視線の質が変わった気がする。
そもそも前は注目を浴びることさえなかったから違いと言えば0と1くらいに違うのであるが、田舎育ちのベルはそもそも目立つということをオラリオに来るまで経験したことがなかったので、向けられる視線がこそばゆい。
『何でどうでも良い奴のどうでも良い視線なんて気にしなきゃいけねえんだよ』
今週夕食を共にした時のことである。尊敬する先輩冒険者である所のアレンに相談したのであるが、猫人の冒険者は心底どうでも良さそうにそう答えた。言われてみれば尤もであるのだが修行不足のベルはまだそこまで割り切ることができない。
それにベル・クラネルという人間は俗物なのだ。名誉がほしいしかっこいいと思われたい。良い暮らしがしたいとは思わないけれども、値段を理由に食べたいものを我慢しないで済むくらいの暮らしがしたい。
それらは全て結果についてくることだ。名誉もお金も、冒険者として頑張った結果としてついてくるもの。アレンが気にしないでいられるのは、それが目的でも結果でもなくそれらに付属するおまけのようなものだからだ。これは許せないという線の外側になるものであれば、大抵のことは気にならない。ベルから見ても荒っぽい性格であるがその辺りの線引きはきっちりしている。
これはアレン以外の高位の冒険者にも同じことが言える。彼ら彼女らに共通するそれが強者の余裕というものであるのなら、僕なんてまだまだだなとベルは苦笑を浮かべる。
「どうしたんですか?」
「まだまだ頑張らないとなって思ってたところだよ」
「そうですね。私もいつの間にかベルに追い越されてしまいましたし」
つんと澄ました顔でレフィーヤは言う。一緒に過ごすようになってしばらく経つレフィーヤだがどうにも感情が読めないことが多々ある。怒ってくれている時はむしろ分かりやすいくらいだ。こういう風に澄ましている時、何も言わない時、はっきり言ってどうするのが正解なのか解らない。
お茶をした時にフレイヤ様に相談した所、彼女はけらけら笑いながら答えた。
『それは正常なことよ、うさぎさん』
解らないなりに相手のことを考え手段を模索するのがコミュニケーションなのだというありがたい教えをいただいた。それで失敗しても真剣に相手を考えた上でのことなら許してくれるだろうと。
それから世の中には女のことならお任せというような男が散見されるが、そういう輩は例外なく詐欺師なので耳を傾けてはいけないし絶対に真似をしてはいけないという忠告も受けた。
事実モテているのであれば話くらいは聞いてみたいなと思わないでもないのだが、ベルの中でモテそうな男代表であるアレンさんはむしろ女性を遠ざけている節さえあるので、モテ要素というのも一種類ではないのだと改めて実感する。
要は女性に対しては常に真摯であれということだと解釈したベルは、これは正解なのだろうかと不安に思いながらも、自分はそうしたいという思いに従って言葉を口にした。
「なら今度は僕の番だね。レフィは僕のレベルアップに協力してくれたんだから、僕も協力するよ」
「私がいなくてもベルはレベルアップしてたと思いますよ?」
「レフィが協力してくれて僕が凄く助かったことは事実だし、そんなレフィに恩返しをしたいって思うのも本当だよ」
「……ありがとうございます」
「どういたしまして。でも協力って言ってもやり方とかよく解らないから、まずはリヴェリア様に相談かな」
「そうですね!」
下がったトーンがいきなり上がったのを見てベルは目をぱちくりさせる。これでレフィーヤの機嫌が悪く見えたら彼もおろおろしていたのだろうが、すまし顔だった先ほどとは打って変わって機嫌はよく見える。
だからと言って機嫌が良い訳では必ずしもないのであるが、良くも悪くも純朴であるベルは機嫌が良く見える以上はその逆に比べてあまり気を払わないのである。
良かったとにこにこしだしたベルはレフィーヤの世間話に興じる。一連のやり取りをみていたリリルカは仕える人間の中途半端な如才なさを見て安堵のため息を漏らした。人間関係に関して要領はむしろ悪い方であるが、悪意を持って他人を騙すことはないだろうと実感できる。長いこと他人を信用しないで過ごしてきたリリルカにとってはベルの実直さは救いである。この人に落胆されないような冒険者でいようと気持ちを新たにした。
「何か見覚えのある人たちが騒いでますね」
バベルの前。冒険者の往来のある中で厳つい男たちが言い合いをしているのを見て、リリルカがぼそりと言葉を漏らした。ベルの前では基本的に明るい声音で話すリリルカなので、人間関係には鈍いベルでも、如何にも冒険者という手合いが好きではないのだと察しがつく。リリルカは誰にでも下手に出るタイプであるが、だからと言って好き嫌いがない訳ではないのだ。
この辺りの感性はエルフであるレフィーヤに近いのだが、リリルカが仲良しなのはああいうタイプを話が早いという理由で好むティオナであるのだから解らないものである。
「モルドさんどうかしましたか?」
「おう『白兎』か。いやこいつが昨日ダンジョンでヘマして死にかけたんだが……そこで死んだはずの冒険者に助けられたって言うんだよ」
「本当だってモルド! あれは確かにラシェンさんだった!」
モルドに示された男は彼と似たような風貌の厳つい男だったが彼は必死な顔で訴えていた。ベルには嘘を言っているようには見えなかったのだが、周囲の人間はそうではないようでからかい半分で言葉をかけている。
死にそうだった人間の命が助かった。その事実だけを見れば良いことではあるのだろうが、死んだ冒険者がダンジョンに現れたというのは同じ冒険者として看過できないことである。
邪魔したなとまだ騒ぐ男を引きずってギルドを去っていくモルドたちを見送って、ベルは改めてレフィーヤに問うた。
「その、死んだ冒険者がダンジョンに出てくるってことはよくあることなの?」
少なくともベルは見たことがないし、死んだ人間が蘇ることはそうないという一般論を信じている。生き返るというのであれば亡くなったおじいちゃんに会ってはみたいが、それは地上の子供ではなく天上の神々の領分だ。
だがダンジョンの中でなら起こっても不思議ではないかもとレフィーヤを見るが、彼女の顔は渋いものだった。
「ギルドの公式見解としては『そんなことは起こりえない』となってます。私は見たことはありませんしロキ・ファミリア全体でも同様ですが、他のファミリアまで広げてみるとそういう事例に遭遇したという声がちらほらあります。ダンジョンで亡くなった生前とても良くしてくれた方が現れて命の危機を助けてくれる、そういうお話です。平易な言葉を使うのであれば『都市伝説』の類と言えるでしょう」
「レフィはあまり好きじゃないみたいだね」
「助からなかった人があまりに報われないじゃありませんか……」
「そうだね、ごめん」
「いえ。ベルに言っても仕方ありませんし、助からないよりは助かった方が良いに決まっています。助かった人たちは一生ものの幸運を手にしたんです」
「ちなみにその『都市伝説』は『
「それだと僕にはその『救いの導き手』は現れないのかな」
オラリオに来てから良くしてくれた人は沢山いるが、その人たちは幸いなことに皆存命である。件の『救いの導き手』は普通に考えればベテランになる程遭遇する確率が高い類の話であるので、ベルのようなオラリオに来てまだ日の浅い程縁のない話になってくる。
そして最も死亡する割合が高いのがその日が浅い層であることを考えるとレフィーヤがあまり良く思っていないのも解る気がする。自分がそうなる時には何で出てきてくれないんだと思うようなことがないように祈るばかりだ。
「信じられるのは私たちのみということですね。油断しないで行きましょう!」
自分よりの結論で話を結んだレフィーヤに、ベルとリリルカはこっそり顔を見合わせて苦笑する。何やらやる気がみなぎったらしいレフィーヤに背中を押されながら歩いていると、ちょうどこれから仕事に入る所らしいエイナが、彼らの顔を見つけて声をあげた。
「ベルくん!」
喜色溢れる声音に笑みを返すベルとは対照的に、レフィーヤとリリルカの顔に緊張が走った。モテ始めたベルの人間関係の中でも『要警戒』ということで二人の見解が一致したギルド職員である。
ときに冒険者というのは束縛されることを嫌う生き物であるが、同じくらいに束縛することを好む生き物であるというのはオラリオの非冒険者発のジョークである。冒険者全体としては程度の差はあれその傾向はあるという認識であるがジョークの受け取り方には大分個人差が出る。
例えばロキ・ファミリアではフィンやガレスには大ウケであるが、リヴェリアを始めとしたエルフたちには大層受けが悪い。エルフの普遍的なイメージと合致しているため冒険者というよりはエルフの習性なのでは? とからかわれるためだ。
なのでエルフの冒険者というのは全冒険者の中でも男女の別なく良く言えば意思が強く、悪く言えば非常に我が強いと思われる傾向にある。正直その通りであるなと思うレフィーヤであるが、それを認めてしまうと公式にエルフ全体が面倒くさいということになってしまうので断固認める訳にはいかない。
憎からず思っているベルの前ではなるべく物分かりが良い女でいようと努力しているもののベッドで眠りにつく前に『あの時余計なことを言ってしまったような……』と思うことしばしばである。性格気質の問題は特にエルフにとっては割と深刻な問題なのだ。その辺りは系統こそ違っても女給をしている『運命のエルフ』も似たようなものであるのだが、エルフと人間のいいとこどりをしたような、純血のエルフからすると小癪な性質を持っている種族が存在する。
ハーフエルフだ。
エルフの高貴さと人間の親しみやすさを持ったモテ種族である。エルフが眺めるだけで声をかけられないことが多いのに対し、ハーフエルフは積極的に声をかけられる。こころなしかベルの距離も他の女性よりも近いのでは――とここまでは多分にレフィーヤの邪推も入っているが、一生を添い遂げることを考えれば夫婦の片一方が長命というのは良いことばかりではない。関係が深くなればなるほどその問題は深刻さを増してくる。それが翻って友達としては良いけど結婚相手としてはちょっと……という評価に繋がっているのだというのがエルフがいまいちモテないことに対する種族的自己分析であったりするのだが、美の女神フレイヤ曰くそれは『負け犬の遠吠え』である。
相手に合わせて自分が変わることを受け入れるか、自分に合わせて相手を変えるか。目の前の壁は高いとただ口にするだけでは壁の高さは変わらないし都合よく壁が消えるということもない。それこそ何千年も変わることがなかったからこそ面倒くさい種族的特徴が他の種族にまで知れ渡っているのだが、自分の面倒くささを乗りこなすには初恋に浮かれるレフィーヤはまだ若すぎた。
その辺の諸々を抜きにしても、レフィーヤの目から見てギルドの受付嬢エイナの距離感は近い。それが誰にでも発揮されているのであればレフィーヤもここまで目くじらは立てないのだが、自身の目撃情報と風聞を合わせるとこの距離感はベルに対してのみ発揮されているようである。
それにベルは悪い気はしていないようであるが、特別な感情を見てはいないようだ。もしそうだったら戦うことも辞さないレフィーヤであるが変に突いておかしな方向に話が転がっても困る。基本的にはベルの周囲に女性の影があることに良い顔をしないリヴェリアも、親友の娘であるからかエイナにだけはチェックが凄く甘い。戦うとしたら強敵なのだ。
ちらとエイナを見る。エルフらしい怜悧さを感じさせつつも人間らしい愛嬌もある。二つの属性が良いバランスで同居しているとでも言えば良いのだろうか。純粋なエルフのはずなのに童顔なことが密かな悩みの種であるレフィーヤからすると、ギャップを使って攻められるお得な容姿で羨ましい。
「ベル、迷惑ですよ」
世間話に興じ始めたベルに注意という形で言葉をかける。冒険者の姿は周囲に沢山あり、エイナの仕事は受付嬢。これからダンジョンに潜る自分たちと同様、エイナはここに残って仕事である。自分の担当であるとは言え引き留めても良い道理はない。慌てた様子で頭を下げるベルにエイナは苦笑を浮かべて手を振った。世間話は複数でするものだ。一人だけが頭を下げるというのも筋は通らない。
エイナの視線がレフィーヤを捉える。ベルのパーティメンバーであり、リヴェリアの秘蔵っ子。いずれ放浪の旅に出るリヴェリアの後を継ぐと期待されているエルフの魔法使いだ。リヴェリアに比べれば当然粗削りではあるのだが周囲の評価は悪くない。粒揃いのロキ・ファミリアで十代にしてレベル3。圧倒的強者である一軍メンバーの後塵を拝すると言っても冒険者全体で見れば上澄みの部類である。
ベルと年齢が近くお似合いのカップルという声も聞こえる。ギルド内でひっそり開催されている賭けレースでも――服務規程違反のはずなのだが取り締まるはずの管理職まで参加している――『運命のエルフ』に次いでの二番人気だ。これにリリルカとティオナが続き、最近パーティメンバーとなった春姫は五番手である。
そう、ここにエイナ・チュールの名前は入っていない。何しろ職場で開催されているものである。職員は入れないという暗黙の了解が働いているものと思われるが、客観的に見てどの辺りにいるのかはとても気になる所だ。具体的にはエルフ関係者の中でどの辺りにいるのか。
ちらとレフィーヤを見る。淡い色の茶髪に愛嬌があって可愛らしい顔立ち。怜悧な風貌が多いと言われるエルフの中にあってはそれだけで目立つレベルの童顔である。眼鏡をかけてると何か怖いと妹に言われたことがあるエイナからすると、親しみやすい顔立ちというのは実に羨ましいことだ。
そんな愛らしい少女と意中の彼はダンジョンに潜って冒険している。
一緒にいるのはダンジョン中だけではない。レベルで並ばれるまでは戦闘訓練を受け持っていたというし、リヴェリアの座学は机を並べているという。それだけ一緒にいれば情も移るだろう。はっきり言って気が気ではないのだが、冒険者とギルド職員という関係ではこれ以上踏み込む訳にもいかないし、プライベートで距離を詰めるには時期尚早な様に思う。
男相手に尻込みしているらしいと察したらしい母からは『こののろま』『一気呵成に』『孫の顔が見たい』と定期的に手紙が届くのだが、さっくりと人間の伴侶を見つけた母の真似はできそうにない。
是非コツを聞いてみたいものだが、アールヴ領にて『女傑』とまで称えられたあの母のことだ。娘相手でもそこまで甘い顔はしてくれないだろう。自分の道は自分で切り開くしかないのだ。こんなことなら冒険者になっておけば良かったかもという考えを、エイナは頭を振って振り払った。
ライバルと同じ立場では同じようにしか戦うことしかできない。この立場でなければできないことが何かあるはずだ。じっとこちらを見つめているベルの仲間たちに笑みを返す。二人もにこりと笑みを浮かべた。笑顔というのは本来攻撃的な表情だというのがよく解る。
「それじゃエイナさん、僕ら行きますね」
「リヴィラに行って戻ってくるんだよね」
「はい。おみやげ買ってきますから楽しみにしててください」
「楽しみに待ってるよ。気を付けて行ってきてね」
「はい、行ってきます!」
ぶんぶん手を振るベルを、エイナはひらひら小さく手を振って見送った。命を落とす可能性の高いダンジョンに知人を送り出す。もう何度も経験していることであるが、いまだに慣れない。もしかしたらこれが今生の別れになるかも。彼を送り出す時に毎々付きまとう小さな不安を振り払い、職員の顔に戻ったエイナはカウンターに歩き出した。