ダンジョンを全力で疾走する。敏捷特化であるベルは同じレベル帯の中でも俊敏で知られる猫人などを差し置いて最速であり、その速度は一つ上のレベルの敏捷特化に迫る勢いである。素早さに自信がないタイプであればレベルが上の冒険者でも置き去りにする。『白兎』の足はそれだけ速いのだ。
故に全力で走る機会というのはそうあるものではなく、また歩調を合わせることも意識的に行わないと難儀する始末だ。パーティメンバーは後衛のレフィーヤと小人であるリリルカ。最近加わった春姫に至ってはダンジョンを歩くことにも慣れていないので自然と歩調は一番遅い春姫に合わせることになる。
気を抜くと自分一人だけ少し先に行ってしまうのだ。それだけならばまだ良い。自分に合わせて他の皆が歩調をあげて無駄に疲れるという事態はリーダーとして避けなければならない。皆に目を配るというのが如何に難しいのか。パーティメンバーが増えて実感する毎日である。
普段がそうであるだけに、全力で走るのがただ気持ち良い。こんな状況でなければこの未整地のダンジョンをただ駆けるのを楽しめたのだろうが今は千草のことだ。走りながら気持ちを切り替えていく。
置いてきたと言うことはその時点ではまだ死んでいない。背負う人間に優先順位があるとして抱えられていた三人の誰かではなく千草が置いて行かれたということは、その三人よりも千草の状態が悪いということ。団員の中には全身無事なところがない者や意識のない命もいた。
その上で途中で運よく他のパーティと合流してポーションの使用ないし治癒の機会が得られたとしても地上までの踏破が容易でないと判断されたのであれば、深刻な怪我をしたのはおそらく足だろう。
友達のナァザのことを思い出す。エリクサーやアミッドの治癒魔法はそれこそ奇跡の様に冒険者を癒してくれるが無から有を作り出すことはできない。ナァザのように怪物に部位を食べられてしまったら、それを補うためには義肢に頼るより他はないのだ。
それでも命があるだけ良かったと今ナァザは笑っているが、腕を失って辛くない人間などいないのだ。命が最も優先されることに代わりはないが、できることなら無事でいてほしい。足がくっついてますようにと祈りながら走り、開けた場所に出る。
十時の方向。崩落した出入口が見える。がりがりどかんとガレキの向こうに無数の何かがいるのが近づかなくても解るし、それがそろそろ限界だということもはっきりと理解できる。時間はない。急いで千草をと辺りを見回すと、痕跡はすぐに見つかった。おびただしい量の血の跡が三時の方向へ続いている。
「千草さん! ロキ・ファミリアのベル・クラネルです! 無事なら返事を!」
意識があるか解らないがあると信じて声をかけながら血痕を追う。血の散り具合から三か所以上から多量に出血している。それでも移動しまだ死体が見えないのはベルにとっては僥倖だった。血痕は洞穴というにも狭い窪みの中に続いていた。
「千草さん!」
窪みに飛び込み果たしてベルが見たのは、無事な所など全くない千草の姿だった。左右の足は腿とふくらはぎを食いちぎられ骨が露出している。足はとりあえずくっ付いているという有様だが、一番日酷かったのは脇腹の怪我だろう。
こちらはかなり大きめの鋭利なもので切り裂かれたようで、そのように着物が切断されている。傷の深さから内臓が飛び出る程の致命傷だったはずだが、こちらは半分くらい塞がりかけていた。近くにポーションの瓶が転がっている。足二つの怪我と脇腹。どちらがより命に関わるか秤にかけて脇腹をできるだけ回復させることを選んだのだ。
傷の深さとポーションの効力の関係から完全に回復とはいかなかったようであるがそのまま放置していたらベルの到着を待たずに死んでいたことは想像に難くない。
痛ましい姿であるがまずは生存を喜び、そして助かったその命をつなぎとめるべくベルは動き出した。リーダーとしてキープしている三本のエリクサーを全て使う。塞がりかけている脇腹は後回しにしてまずは足だ。
『切断された、もしくは千切れかけている手足をエリクサーで繋げる時には注意してください』
最近やけにボディタッチの増えてきたアミッドの言葉を思い出す。曰く、元々繋がっていたもの同士はある程度元に戻ろうとする力を持つ。切断された四肢でもそれは同じことで魔法でも薬品でも切断部位をくっつけてそれを使用すれば繋げることそのものは可能だ。
しかし元に戻ろうとする力も万全ではない。戻す段階での僅かなズレが違和感に繋がり、それが後遺症となったり後に危機を招くことになる。解剖学的な見地があることが望ましいがそうでない時は、きちんと向きに注意すること。手足は正常な向きに固定してからエリクサーを使うように。
向きに気を付けて――本当は添え木を使うか二人以上でやるのが良いらしいのだが背に腹は代えられない。悪いことにはなりませんようにと祈りながら足に一本ずつエリクサーを使い残りの一本の半分を脇腹の傷に使う。
半端に回復していたおかげで元々の度合いに反して見た目は塞がった。流した分の血は戻らないがそれでも動かすのも不味いという事態は避けることができた。後は担いで皆と合流するだけ。中身の半分残ったエリクサーを千草の帯に差し込み、横抱きにするために千草の身体の下に腕を回す――その腕が、弱々しく掴まれた。
荒い息。千草の目がうっすらと開きベルを見つめている。何かを探すように彷徨っていた腕を握り、ベルはじっと千草を見つめ返した。
「もう大丈夫です。後は僕たちに任せてください」
「わ、わた、し、助かる……の? 死な、ない?」
「必ず僕が守ります。安心してください」
「よ、かっ――」
言葉の途中で千草はまた意識を失った。猶予はない。もう一度千草の手を握り返し今度こそと動いたベルの耳に轟音が響いた。弾かれたように横穴を出て広場に戻る。命の魔法で作ったガレキが文字通り粉砕され、広場に怪物がなだれ込む所だった。
大型小型の魔物がひと固まりになったような集団はベルには目もくれずに手近な出口に向かって殺到する。間に合わないと判断したベルの行動は早かった。
「レフィは地上へ! 僕たちはリヴィラに向かう!」
声の限りに叫ぶと出入口に向かってファイアボルトを連発する。破壊力で言えば命の魔法にも勝るそれは狙い違わず出入口を崩落させ、怪物の集団を立ち往生させた。戦力として微妙な桜花たちを抱えたあちらの危機はこれで脱した。
問題は、こちらでこれから発生する危機だ。ダンジョンの怪物は基本的に一度目視した相手は捕捉できなくなるまで追い続ける。ガレキを迂回せずに体当たりし続けていたのはまだ追えると本能で理解していたからだろう。
またガレキで進路を阻まれた。平素であればまたガレキに体当たりするはずであるが、その時点で怪物たちの中で優先順位の変化が起きた。複数の対象が捕捉された場合、怪物は基本的に近い方を優先する。ダンジョン内でトレインが起こる原因となる習性であるが、怪物たちのその習性が今、ベルに一斉に牙をむいていた。
そのド真ん中に問答無用でファイアボルトを叩き込む。次いで魔剣の一撃、その後に更にファイアボルト。尋常な勝負に拘る価値があるのは冒険者の、それも話の解る相手だけだ。怪物相手にそんなことを考える必要はない。先手必勝。まずは何よりも安全を優先すべし。
魔法による飽和攻撃はそれに打ってつけだ、というのがリヴェリアの教えでありベルたちの方針である。全員の能力向上のために行動に意図的に制限をかけることはあるが、生存優先の際には魔法を軸に動く。それで危機を脱することができるならばよし。そうでない時は――
土煙の中飛び出してきた小型の怪物をベルは右の『紅椿』で一閃する。これで最後、という訳ではない。土煙の向こうにはいまだ無数の怪物の気配が感じられた。魔法の連発で相当数を削れたはずだが依然として危機は脱していない。
自分一人で生存を目指すならば怪物の中を全力で突っ切る一択だ。レベル4のベルからするとこの階層の怪物はそれぞれ単独であれば大したことはない。数えるのが億劫になるほどの大群でも走って逃げてしまえば危機は脱することができるし、引き返して倒すにしても相手の足の速い順から対応できるし、ふりだしに戻ってまた魔法の飽和攻撃を始めても良い。
だが今は違う。守らなければならない少女が後ろにいる。この場で動かず、千草を守る。それがベル・クラネルに課せられた使命である。レベル4の冒険者であるベルをして絶体絶命のピンチであるが、そんな状況でもベルは薄く笑みを浮かべていた。
何のために力を求めるのかと言えば、それはきっとこういう時のためだ。自分の命の危険くらい何ということはない。ここで身体を張るのが英雄というもので、ここで心が奮い立たないようでは男ではない。
腹の底からベルは雄たけびをあげた。それは兎と揶揄される平素の彼には似つかわしくない力強いもの。心無い怪物たちさえ一瞬動きを止めたその中で、ベルは一人聞く者のいない啖呵を切った。
「さあ、かかってこい!」
「レフィは地上へ! 僕たちはリヴィラに向かう!」
言葉の意味を理解するよりも早く、それに続いたのは魔法の呪文。立て続けに連発されたそれはダンジョンの壁を崩しガレキで道を塞いだ。断続的に聞こえていた音が遠くなる。耳を澄まさねば何も聞こえないその環境に、レフィーヤの心は凍り付いていた。
血が身体を巡る音と心臓の鼓動が痛いほどに聞こえる。何が起こったのかは理解できるのにそれ以上思考が先に進まない。杖に体重を預けて荒い息を繰り返す。膝を突かなかったのは冒険者としての意地だったが、ずるずると身体から力が抜けていく。
そんなレフィーヤの身体に小さな手が添えられた。
「代わりましょうか?」
リリルカの落ち着いた声音に急速に思考が冷えていく。深く、ゆっくりと呼吸をする。自分は誰で何をすべきか。萎えた己の心に刻み込むようにして思い出し顔をあげる。
「問題ありません。私がやります」
「流石レフィーヤ様です。差し出がましいことで申し訳ありません」
「いえ、よく言ってくれました。リリがいなかったら無様を晒していたと思います」
袖で大汗を拭い、地面を石突で叩く。全員を見回してレフィーヤは声をあげた。
「ベルが別行動となりましたので私が暫定的にリーダーとなります。彼の指示の通り私たちは地上を目指します。リリ、戦利品は全て破棄。最低限のアイテムを持って斥候を務めてください。まずはこの階層を安全に脱出することを考えます。怪物との接触は可能な限り避ける方向で安全を最優先に考えて行動してください」
「任されました。三十秒で支度をします」
「お願いします。さて皆さん、最後尾は私が歩きます。戦闘は可能な限り避ける前提で行きますが、どうしてもという時には私が戦いますので皆さんは身を守ることに専念してください。この階層を抜けるまでは全員徒歩。緊急時は桜花さん以外が女性を担いで移動。桜花さんは私の補佐をお願いします」
「レフィーヤ様、準備できました!」
いつものリュックサックの中には補修道具の他に予備の小さめのザックも入っている。回復アイテムなど緊急時に使う用途の道具だけをそちらに移し、リリルカは後ろ髪を引かれる思いで戦利品は全てその場に放置した。
ザックを背中に背負い、いつものリュックサックは折りたたんで右腕に固定する。大量の荷物を運搬するために頑丈に作られているそれは、中の荷物を抜けば盾になるように作られているのだ。本物の盾に比べると聊か心許ないがないよりはマシであるし、何より軽くて小柄なリリルカにも取り回しがしやすい。
「ボウガンはいいんですか?」
「置いていきます。結構重いですから、いざという時に走れなくなっても困ります」
「了解です。それでは皆さん行きましょう。気を抜かず、何か異常を感じたらすぐに申し出てください」
「あー、少し良いか? 『千の妖精』」
「移動しながらで。リリ、行ってください」
レフィーヤの指示を聞き、リリルカは先に腰を低くして駆けだした。自分はサポーターであるという認識であるが、できることは増やしていこうと他の役割も学んでいる。意外に適性があるということで参謀の役割も学んでいるが、普段の少人数のパーティではあまり活かしきれるものではない。
次点の役割として学んでいるのが斥候である。ベルの方が得意な役割である上、斥候という役割の都合上荷物の大半を放棄することが前提であるが、何が起こるのか解らないのが緊急時というもので、覚えておいて損はないと学んでいたものである。
中々堂に入ったリリルカの背中を見ながら、レフィーヤたちは移動を開始する。周囲を警戒しながらそろそろ歩くタケミカヅチ・ファミリアの面々を代表するように重苦しい口を開こうとした桜花を、レフィーヤが制した。
「謝罪もお礼も必要ありません。私たちは貴方たちを助けると決めました。こういう状況になったのは不運と共に私たちの問題なので、貴方たちが気に病むことは何もありません。黙って私たちに助けられてください。こうなった以上、全員無事に地上に帰る以外の結末を、私は認めませんからね」
取り付く島もないとはこのことである。それでもファミリアの団長として桜花は言葉を重ねようとしたが、杖を握るレフィーヤの手が力の込めすぎで白くなっていることに気づいた。
最初、彼女は千草を助けることに反対したのだ。それを聞いた時に桜花の心には怒りが沸いたものだが、ベルの言葉を受けるとすぐにレフィーヤは彼に従うことを決断した。
その後ああいうことが起こり現在に至る訳だが、あの時抱いた怒りがレフィーヤにとってはどれだけ理不尽なものであったのか理解できる。他のパーティのために自分の仲間が危険を冒そうとしているのだ。メンバーとしては反対するのが当然で、むしろあの状況で即座に助けると決断したベルの方が冒険者の感覚としては異常である。
結果としてレフィーヤの懸念の方が正しく助けに入ったベルにより危機的な状況を押し付けてしまった上、こちらもまだ危機的状況を脱せられた訳ではない。ベルがあちらに行かなければこちらはもっと安全に行動できたはずだし、何よりベルが危険な目に合わないで済んだ。
レフィーヤの怒りはもっともだ。それでも彼女は自分たちを責めるような発言はいっさいせず最善を尽くそうと行動している。内心の怒りを抑えてだ。レベルこそ上であるが自分よりも年下の少女にそのような決断をさせてしまったことで、桜花は口を閉ざすことに決めた。
礼も謝罪も、全員が地上に戻ってからだ。その達成を全て他人に委ねることに冒険者としてファミリアの団長として、桜花の心は己の未熟からの恥辱と激しい後悔に苛まれていた。他の団員たちも同様で、特に責任感の強い命は青い顔をしていた。
重苦しい沈黙が全員を支配する。足音と、レフィーヤの杖を突く音。地上の光はまだ遠い。
覚醒した千草の意識を引き戻したのは、鈍い痛みだった。起き上がろうとして痛みに悶えた千草は、その場をごろごろと転がる。顔に当たる固い地面の感触とダンジョン特有の匂い。自分の荒い呼吸に、段々と自分の置かれた状況を思い出してきた。
「……まだ生きてる?」
それどころか、意識を失う前よりも回復している。ほとんど千切れかけていた足は違和感はあるもののくっ付いているし、とりあえず塞いだだけの脇腹の傷はほぼ完治している。頭痛を始め身体の節々が鈍く痛み疲労も残っているが、八割くらいは死んでいた状態に比べると雲泥の差だった。
幸運が重なり危機を脱したのだろうかと思うけれども、ここがダンジョンの中であることに疑いはなく、周囲にはファミリアの仲間はおろか人影もない。命が助かったという幸運を享受する以前に不可解である。まだここはあの世で自分は死にきれずに彷徨う魂なのだと言われた方が納得できた。
そうでないことを望みながら、千草は身体と装備の点検を始めた。いつも使っている弓はない。意識をなくす前に放り出したことを記憶している。矢筒もその時、一緒に捨ててきた。
千切れかけていた足は本当にくっ付いている。二度三度跳ねてみるが、多少の違和感はあっても痛みはない。高位の回復魔法かエリクサーか。どちらもタケミカヅチ・ファミリアには縁のない代物だ。
誰か別の冒険者が助けてくれた可能性を抑えつつ脇腹に触れる。肉を抉られて時に一緒に布地を持っていかれたため肌が大きく露出している。そこには内臓が露出するほどの傷があったはずだがこれも綺麗に塞がっていた。
帯には護身用の短刀が一つと――覚えのない瓶が千草の指先に触れた。眼前に持ってきて確認する。瓶はポーション、それも高位のもの。瓶の形は一般人が使う薬品と混同しないよう、冒険者用の薬品は開封しなくても解るようにという規定があるのだ。
加えて瓶の刻印はディアンケヒト・ファミリアのものである。零細ファミリアであるタケミカヅチ・ファミリアには縁の薄いお高い商品だ。千草も刻印を知っているというだけで自分で購入したことはない。他の団員も同様のはずであるから仲間たちのものでもない。
自分を治療してくれたのもこのポーションの持ち主だろうが、そうなるとその姿が見えないことがやはり解せない。耳が痛い程に周囲は静かだ。戦闘が行われているような気配はない。短刀を握り締めながら、千草はそろそろと洞穴を出るために歩き出す。
岩陰から顔を出すと、そこは見覚えのある空間だった。自分が力尽き、桜花たちに置いていくように促した場所。自分が倒れたのはこの中央のはずで、と視線を上げるとダンジョンの薄闇の中でもきらきらと光るものが周囲に積みあがっていることに気づいた。
その全てが魔石である。怪物を倒した際にドロップするそれが広大な空間に足の踏み場もないほどに散らばっている。翻って、それだけの怪物がここで殺されたということになるのだがこの空間を支配しているのは沈黙で動いている者は誰もいない。
ここで何がと呆然としたまま踏み出した千草は、低い位置にあったそれに足を取られて動きを止めた。岩にしては柔らかい。妙な感触に目をやると真っ赤に染まった白髪が目に入った。
悲鳴をあげなかったのは奇跡だろう。反射的に死体と思った千草だったが、その死体の方は千草に蹴り飛ばされたことで意識を取り戻した。ゆっくりと死体が顔をあげる。
整っていたはずの顔は酸でも被ったのか半分が爛れていた。残っている方の目は兎のように赤く、その目が千草を捉えると彼はあぁ、と小さく声を漏らした。
「千草さん、起きられたんですね。良かった」
「クラネル……さん?」
「はい。ロキ・ファミリアのベル・クラネルです。桜花さんたちに途中で会って、貴女を助けに来ました」
行きましょうと立ち上がりかけたベルはその場で転がった。触ってみるまでもなく全身無事な所がない。酸で焼かれただけらしい顔はまだマシな方で、左腕は明らかに折れているし左足もおかしな方向に曲がっている。
千草も冒険者としては駆け出しも良い所であるが、この手の怪我は一通りしてきた。その経験から察するにこの状態であれば痛みで動けるはずもないのだが、当事者であるはずのベルは実に軽い様子で自分の身体の状態を確認し、改めて千草を見上げた。
「すいません。まだエリクサー残ってたりしますか?」
「これのことですかっ!」
帯に差し込まれていたディアンケヒト・ファミリアの刻印の入った瓶を掲げると、ベルは破顔した。
「千草さん用に残しておいたものなんですが、すいません、それを使っても良いですか?」
「喜んで!」
自分を助けてくれたと思しき自分よりも酷い状態の人間を前に良いも悪いもない。千草からエリクサーを受け取ったベルは折れた足を無理やりまっすぐにすると一息にそれを飲み干した。全身が無理やり治癒される感覚に顔に似合わない野太い呻き声を漏らしながら、しばらくしてベルは立ち上がった。
そうして瓶にちょっとだけ残った分を顔に振りかける。もくもく煙があがり、それが収まるといつもの童顔が戻ってきた。所々に焼けた後はあるが、目を凝らさなければ解らない程には回復している。見た目が酷かっただけでやけどの程度はそこまではなかったのだろう。
頭をがりがりかくと乾いた血の塊がぼろぼろと落ちていく。それでも被った血は落としきれず白髪は白と赤の斑模様になっていた。時の人。自分とは比べ物にならないほど光の当たる道を歩いている冒険者は、装備をてきぱきと確認していく。
両の腰に業物の小太刀がそれぞれ一本。背中側にはクロッゾ謹製である最新の魔剣。鎧は傷だらけではあったがパーツが欠けている様子はない。武器が良いものとは千草でも聞いているくらい有名な話だが、防具もきっと良いものなのだろう。
「リヴィラに向けて移動します。歩けますか?」
「はい。クラネルさんのおかげです」
「大したことはしてません。千草さんが生き残れたのは、千草さんが必死に生き残ろうとしてたからですよ」
ははは、と小さく笑うベルはどうやら本気でそう思っているらしい。謙遜も度を過ぎれば嫌味に聞こえるというが、本心からそう思っていると伝わってしまう場合、言われた側は一体どうすれば良いのだろうか。
自分一人では間違いなく生き残ることはできなかった。怪物の大群に追われていたのだから当然だ。味方においていかれ一人になってしまった自分を守ってくれたのはこの白髪の少年であり自分はこの少年に命一つの借りがある。
ぼんやりと震える自分を叱咤しながらベルを眺める。お互いに顔と名前くらいは知っているが交流はほとんどない。ベルからすればヒタチ・千草というのは数いる冒険者のうちの一人に過ぎないはずで、断じて命をかけて守らなければならない存在ではないはずなのだ。
何故ここまで、という疑問が口をついて出掛けたが、それが言葉になることはなかった。彼にとってはこれが当然のことなのだ。倒れ残されたのがたまたま自分であっただけで、これが他の人間であっても彼は同じ行動をしたのだろう。
千草がぼんやり眺める中で、ベルは動きの邪魔にならない程度の魔石を拾うとそれを革袋につめた。よし、と小さく声をあげたベルはついさっきまで満身創痍であったことを感じさせない声音で言う。
「リヴィラまで移動しましょう。僕が先導しますのでついてきてもらえますか?」
英雄的な行動なのだろう。尊敬すべき人格なのだろう。最大級の感謝をもって一生接しても良いはずの彼の笑顔を前に、千草が感じていたのはそれらを超越した困惑だった。
この人は何というか、変な人だ。