英雄になりたいと少年は思った   作:DICEK

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閑話 とある女神の慕情と憂鬱

 

 フレイヤ・ファミリア本拠(ホーム)戦いの野(フォールクヴァンク)その執務室にて。

 

 その主神たるフレイヤは、己の子供たちと協力者からのベル・クラネルに関する報告書を読みながら、穏やかな笑みを浮かべていた。それは子供の成長を喜んでいる母親のようであり、離れた恋人に思いを馳せる少女のようにも見える。

 

 いずれにせよ、眷属ではない少年に対し己が女神が思いを馳せているのを見るのは、彼女の眷属として複雑な気分ではあったものの、そのもやもやとした気持ちを押しのける程に、オラリオ最強の冒険者たる『猛者』オッタルも、件の少年のことが気になっていた。

 

「あの子、凄い速度で成長してるようね」

 

 全ての報告書を読み終えたフレイヤは、それをオッタルに差し出した。一礼し、それに目を通したオッタルは。彼にしては珍しくその顔に驚きの表情を浮かべる。

 

「貴方でも驚くことがあるのね」

 

 フレイヤのからかいの声にも、興が乗っていた。それくらいに、ベル・クラネルの成長ぶりはできすぎている。

 

 ステイタスの正確な数値はそれこそ、背中に刻まれた神聖文字を見ることでしか把握することはできないのだが、それを推測する方法はいくつか存在する。その中で最も原始的なものが多くの人員を投入した対象の観察である。とにかく観察しその動きから現在のステイタスを予測するという方法は、精度こそ劣るものの人員さえ確保でき、かつ対象を観察できる環境にあればそこそこの成果が出せるというものだった。

 

 ベル・クラネルは最大手ファミリアの一つ、ロキ・ファミリアに所属している期待の新人ではあるが、存在そのものはガードされていない。常にベルを監督しているのはレフィーヤというエルフの少女一人で、かの『九魔姫』リヴェリア・リヨス・アールヴはたまにしか彼と行動を共にしない。

 

 仮に彼女が一緒に行動をしていればベルの観察もここまで上手くはいかなかっただろう。高レベルの魔法使いで、かつハイエルフであるリヴェリアは、とにもかくにも勘が鋭いのだ。レフィーヤも決して鈍い訳ではないようだが、リヴェリアに比べるとやはり脇が甘かった。

 

 ダンジョンでのベルの行動から、ギルドや酒場でのレフィーヤとの会話から、とにかく情報を吸い上げた結果完成した、現在のベルのステイタスの推測値がフレイヤの手の中にあった。

 

 あくまで推定の域は出ないものの、現段階では確認の方法がなかった魔力を除いて、全てのステイタスがAランクに到達していると思われると、複数の報告書が同様の結論を出していた。本来ならばここまで時間はかからなかっただろうが、調査している彼らも、自分の推測が信じられなかったのだろう。各々が各々の方法で裏を取り、報告書の裏付けをした。そのせいで提出が遅れたが、その分、報告書の信頼度は格段に上がっていた。

 

 その上で、全ての報告書が似たような報告をしているのだから、ベルのステイタスがこれを下回るということはないはずである。

 

 ともすれば、Sランクに至っているステイタスがあってもおかしくはない。彼が冒険者になって、そろそろ一月というくらいなのだから、前代未聞の成長速度である。この域までに達するともういつランクアップしてもおかしくはない。彼と同じファミリアのアイズ=ヴァレンシュタインが持つ一年という最短記録を、大幅に塗り替える最速レコードだ。

 

 だがランクアップは、ただ漫然と経験を積んでいるだけでは達成することはできない。分不相応な壁に挑み、それを乗り越えてこそ天へと至る階を登ることができるのだ。ステイタスがそのレベルにおける限界近くまで上がっているということは、ランクアップに必要な条件であっても、それだけで達成できるという訳ではないのだ。

 

 ほぅ、とフレイヤは熱の籠った溜息を洩らした。

 

 『豊穣の女主人亭』で、シルの目の前でロキが彼をかっさらっていた時から、フレイヤはベルに興味を持っていた。彼を観察する程にその興味は強くなり、今では自分の物にしたいと強く思うまでになった。

 

 フレイヤのこういう行動は、珍しいものではない。現在、フレイヤ・ファミリアに所属する冒険者の中にも、そういう経緯で入団した者は多くいる。この冒険者を調査せよ、というフレイヤの行動も子供たちにも、調査を請け負う外部の者たちにも、いつものことだった。

 

 そうして、いつものようにフレイヤは子供を腕に抱きしめるのだろう。その未来を彼女の周囲にいる者たちは疑っていなかったが、フレイヤ本人はベルに対し、かつてない程の高さの壁を感じていた。運命が自分を阻もうとしているのを、肌に感じる。おそらく彼を籠絡するのは、一筋縄ではいかないだろう。

 

 その恋い焦がれる感情を、フレイヤは面白いと思っていた。自分の生み出す試練に対し、彼はどういう行動を見せるのか。乗り越えて強くなるもよし、志半ばに果ててしまうのも構わない。その時はきっと、その魂を抱きしめて、未来永劫共にいる。フレイヤにとって、子供の生死はあまり重要ではないのだ。

 

「……うさぎさんの壁は、どういうものが良いかしら。やっぱり獅子?」

「私見ですが、人型のモンスターが良いのではないかと」

「それなら、ミノタウロスかしら……でも、ただミノタウロスを仕掛けるのではつまらないわ。オッタル、お願いできる?」

「御心のままに」

 

 フレイヤの『お願い』は具体性を欠いていたが、オッタルの返事に躊躇いはなかった。

 

 その日の内に、オッタルは自分で装備を整えると、フレイヤの身の回りの世話をアレン・フローメルに引き継ぎ、ダンジョンへと潜っていった。


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