一日
「…チッ、なんでこんなにとれねぇんだ…」
ロキ・ファミリアとのひと悶着、そしてクラネルとの一件があった日から数日経ったある日。
明朝、裏ボスの住居である酒場、ifの壁にて何やら動きがあった。
「何使ったらこんなんになんだよ…クソッ…」
悪態を吐きながらもゴッシゴッシと壁を雑巾で拭き続ける男が一人。
彼のことを知っている人ならば、誰もが目を疑うであろう。
男、ベート・ローガは本来、自分の家ならともかく他人の家を進んで掃除することなどありえない性格である。
そんな彼が朝早くに起きてホームを抜け出し、掃除。
異様の一言であった。
「…おや、ローガさん?」
そんな異様な光景を前に酒場の主パンドラが、当然といえば当然なのだが至って普通に外に出た。
その手には水が入ったバケツとモップ、雑巾が二枚。
「何故、我が家の壁を…?」
「…昨日、臨時の神会が開かれた」
おもむろにローガが話し出す。
臨時…理由はパンドラにも心当たりがある。
というか、恐らく原因は自分だろうと薄々気づいてはいる。
「裏ボスが挑まれる、それ自体は珍しくはないがよ、肝心なのはソレに対する裏ボスの行動だ」
「…やはり、魔力の使用はよろしくなかったのでしょうか?」
ローガはパンドラに少しだけ視線を移すと、直ぐに壁の方へ視線を戻し雑巾を動かす。
「…下手をすれば神々を巻き込んだ大戦争になりかねなかった。 一部の神はそう言ったそうだ。 ふん、神ってのも案外臆病なもんだ。 それで、そんな事になりかねない原因を作った男には当然厳罰が与えられる、そうなる筈だったんだが…ちょっと可笑しなことになってな」
「…おかしなこと、ですか?」
不思議そうに、しかして白々しくパンドラは尋ねる。
そんな様子を見てローガは鼻で笑うと、そのまま話を続けた。
「主神が少しでも刑を軽くしようとしたんだが、上手くいかなかったみたいでよ。 結局そのまま話が続いた。 そんで追放、牢獄、どんな罰にするか話し合われている最中にな、神会に乱入者が現れたんだ。 神しか参入が許されねぇ筈の神会に、異物が紛れ込んじまったんだよ」
「…なるほど、それでその異物は何を? …あっ、その汚れを落とすのでしたら、この石鹸を」
「…テメェ、妙なトコ手馴れてるんじゃねぇよ。 別に、大したことはねぇ、ただ罰を軽くしねぇとこの場で駄々をこねる…みたいなこと言ったらしい」
悪態を吐きながらちゃっかり石鹸を受け取り、ソレを使って掃除をしながら事の顛末を話す。
ソレを聞いてパンドラは少しキョトンとしたが、直ぐに笑顔に戻りクスクスと笑った。
「フフ…それはそれは、愉快な異物ですね」
「あぁ…ホントに。 どこぞの絵本の主人公みたいだ…なぁ、裏ボス?」
ローガは横目でパンドラを睨み付けた。
対するパンドラは涼しい顔で、満足げにローガを見つめている。
「…それで、罰は軽くなったのでしょうか?」
「あぁ、今やってる事だよ…っと。 これで大分マシになっただろ」
立ち上がると背伸びをし、ゴキゴキと凝り固まった首を鳴らす。
見ると、壁に描かれていた落書きが幾分か無くなっている。
恐らくかなり前から掃除していたのだろう。
「…ありがとうございます、ローガさん」
「礼なんざすんな、コッチは罰でやったんだ」
そう言うと、ローガは踵を返してホームへと帰ろうとする。
しかし、そんな彼の右手をパンドラが掴んだ。
「あん? なんだ」
「…掃除の、駄賃です」
瞬間、ローガは手を振り払いまた歩き続けた。
受け取る気は全くないらしい。
「…言っただろうが、礼なんざいらねぇ。 第一、受け取る理由もねぇよ」
「………」
「何勘違いしてるか知らねぇが、俺はアンタを倒すって言ったんだぞ? そんな奴に礼なんかすんじゃねぇ。 …それこそ、テメェらしくねぇだろうがよ」
吐き捨てるようにそう言うと、そのまま歩き去って行った。
残ったのはパンドラ一人、しかしその顔は満足げであった。
「なるほど、確かに貴方の言う通りです。 …しかし、強引に与えることもまた、強者の特権…そうでしょう、ローガさん?」
フフッ、と楽しげに笑う。
当然返事をする者はいない。
だが、それでも彼は満足げに笑った。
「…さて、そろそろ開店しましょう。 あぁ、そうです。 また壁に悪戯をされる方が出てきたら、今度は直接止めていただくようお願いしましょうか…」
そんなことを呟きながら、彼は開店の準備をする。
不思議の酒場if、本日も変わりなく営業中である。
「………ふぁぁ」
所変わって、ローガはホームへと真っ直ぐ歩いていた。
いつもより早い時間に起床したせいか、少しばかり眠いのである。
「…これでちったぁ変わるか? …いや、望み薄か。 まぁ、ちょっとでも変われば良いとすっか」
はぁ、とため息を吐き、心底疲れたような声を出す。
すれ違う人々には、その独り言は小さすぎて聞くことはできない。
小さく小さく、つい本音を漏らす。
そしてソレに気付くと、首を振ってまた悪態をついた。
「…クソが、絶対倒してやる」
そしてまた決意する。
怨敵を、憧憬を、必ず超えてみせると。
「ハンッ、首を洗って待ってやがれよ…って。 ン?」
そんな時、自分の手を突っ込んでいたポケットに違和感を感じた。
何か、膨らみすぎているというか、重たいというか。
(なんだ? なんか入ってる…?)
そう思い、ポケット探る。
すると、奥の方に手にスッポリ収まるほどのナニカがあった。
ズシリと重い、ただの石ころではないようだ。
(何時の間に入ったんだ…? っつーかコレ、なんだ? やけに重い…)
そう思ったところで、思考が停止した。
ポケットの中身が何だったのか分かり、なぜ入っていたのか分かったのだ。
黒に輝く、魅惑の魔石。
ダンジョンでも町でも、早々にお目にかかれない。
その手の知識が乏しいローガでも一瞬でわかった。
「ファッ!?」
驚きで尻尾がピンとなった。
コレ、アイツのだ。
「あんの…ヤロウッ…!!」
至高の一品、ジャバウォックの爪がその手に入っていた。
額から汗を垂らし、振り返って彼の店の方角を睨み付ける。
全く気付けなかった、自分がいつ、どこで裏ボスからこんなモノを渡されたのか。
今来た道を帰り、押し付けてやろうかと考えたが、恐らく無駄であろうと考えて地団太を踏んだ後、そのまま歩みを進めた。
(アイツ…ぜってぇー倒すッ! こんなもん押し付けやがって…ぜってぇー返してやるッ!)
顔を真っ赤にしてそんなことを考えながら、荒々しくホームに帰還した。
そんな一日があった。
「おはようございます、神様」
「おはようベル君、今日も良い天気だよ」
またまた所変わって、町はずれの小さな廃教会。
そこではヘスティア・ファミリアの主神であるヘスティア、そして唯一のメンバーであるクラネルが互いに挨拶を交わしていた。
朝食をすまし、クラネルはダンジョンに入る準備を、そしてヘスティアは彼の姿を心配そうに見ていた。
「ベル君、何度も言うけどさ。 もうこの前の夜みたいに暴走しちゃダメだよ?」
心配の理由は酒場からクラネルが飛び出した日にあった。
あの夜、ヘスティアはクラネルの帰宅が遅い事を心配しながら待ち続けていた。
そして痺れを切らして探しに行こうかとした瞬間、パンドラの魔を感じ取ったのだ。
帰りが遅いクラネルと、突然の異常事態。
関連付けない方が難しいというモノだ。
結局のところパンドラの一件とクラネル自身は何の関連も無かったのだが、それでも心配した彼女は夜通し友神であるタケミカヅチと共に街を走り続けたのだ。
そして夜が更け、結局見つけることが出来ずに渋々家に帰ったのだった。
それからしばらく経った後、当の本人であるクラネルが帰ったのである。
そこからヘスティアは散々クラネルを怒り倒した。
どれだけ心配したか分かってるのか、こんな時間まで何をしていたんだ。
そんなことを何度も怒鳴った後、「もう、こんなことしないでくれよ。 キミに何かあったら、ボクはどうしたらいいんだよぉ…」と言って泣き崩れてしまったのだ。
そんな主神を見て、クラネルは心底後悔した後、彼女に謝り続けたのだった。
結局、彼女はクラネルを許したが、それでも数日経っただけでは不安が消えるわけでもなく、こうしてダンジョンにもぐろうとするクラネルの姿を見ては心配するのだった。
「大丈夫です。 もうあの時みたいなことはしませんから。 必ず、帰ってきますよ」
「…そうかい? じゃあ、頑張っておいで。 気を付けていくんだよっ!」
しかし、それ以上に唯一のメンバーであるクラネルを信頼しているからこそ、彼女は笑顔で彼を見送る。
心配ばかりしていては彼も成長出来ない。
彼は冒険者なんだ、だからこそもっと強くなって貰わなければ。
そう思うからこそ、彼女は明るくふるまうのだ。
「はい、行ってきます!」
「行ってらっしゃい、ベル君!」
だからこそ、彼女はいつも通り笑顔のまま手を振ったのだった。
「さぁて、今日はバイトの前に部屋の掃除でもしようかな」
クラネルが出発した後、ヘスティアは自分たちの部屋を掃除し始めた。
彼女たちが生活するこの部屋は、ホコリが多い廃教会の隠し部屋だ。
掃除しても、しすぎることは決してない。
故に、彼女は箒と塵取りを持って掃除を開始する。
「ふんふーん」
楽しげに鼻歌を歌いながら、様々なところを掃除していく。
ベッド、机、物置、綺麗にするところは山ほどある。
そのすべてを綺麗にするため、彼女はせっせと動き続ける。
(全部ピカピカにして、綺麗な状態でベル君を迎えるんだ! そうすればベル君だって喜んでくれるハズ!)
ヴァレン某なんかに負けるかァッ!
そう意気込んで掃除を続ける。
と、そんな時だ。
「…あれ、この箱って確か…」
掃除をした棚の奥から、小さな木箱を見つけた。
見慣れない、最近この部屋に置かれるようになった箱だ。
(確か、ベル君が宝物だって言って…大切にしまってたモノだよね、これ…)
「…ハッ!?」
途端、心に邪な気持ちが生まれた。
中を見たい、そんな衝動が怒涛となって彼女の中をうごめいたのだ。
「だ、ダメだッ! これはベル君の宝物! 見ないでほしいって言われたじゃないか!!」
そう言って、首をブンブンと振りながら棚に戻す。
しかし、その手はなかなか箱を離してくれない。
「うぅ…」
そしてまた悩む。
思えば、この箱はあの夜から置かれるようになった。
関連が無いとは思えない。
(そもそも、ベル君は何があったのか聞いても顔を赤くして黙っちゃうし。 無理強いはしたくなかったから問い詰めなかったけど…やっぱり、知るべきだよね)
少しばかり強引だが、思考が箱を開けるよう促してくる。
(い、いや! だけどベル君は見ないで欲しいって…。 それに、時間が経てば教えてくれる筈だ)
今度はクラネルとの約束を守るよう促してくる。
「…クッ…くぅぅ…」
数十分悩み続け、結局彼女は中身を見ることにした。
やはり主神として、あの夜になにがあったのか少しでも知るべきだ。
そう思い、箱を開けることにしたのだ。
「よし…開けようッ!」
そう決心し、その蓋をあけたのだ。
「そぉいッ! ってあれ? 袋?」
彼女が箱を開けると、中身は小さな袋であった。
おもむろに取り出し、確認する。
「なんだろ、ただの麻袋だけど…ん? 中に何か入ってる」
そして、袋に中に何かが入っていることが分かった。
しかし外からではその正体までは分からない。
(形状からして…石かな? でも、普通の石ならこんなに重くないし…ツルツルしてるはずが…。 それになんだろう、何かピリピリするというか、いやぁな感じが…)
「なんだろう、コレ…ええい、取っちゃえ!!」
そう言って、その中身を取り出した。
その魔石に彼女は見覚えがあった、ありすぎた。
「ファッ!?」
廃教会に女神の美声が響いた。
そんな一日。
ご感想、ご指摘がございましたら、よろしくお願いします。