英雄になるのを望むのは間違っているだろうか   作:シルヴィ

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決壊

 考えるよりも前に、シオンは駆けていた。

 声にならない絶叫が全員の動きを止める。特に怒りから正気に戻った女は、自分がやった事に対し、震えていた。

 それを全部無視して、シオンは今まさに倒れ伏す少女の元へ向かう。速度を上げすぎてついていかない足を前に押し出して、彼女のところへ。

 ティオナに斬られた男の事さえ気にも留めず。

 今この瞬間だけ、シオンはベートよりも速かった。

 「ティオナッ!」

 目を閉じ、真っ青な顔をしているティオナに呼びかける。

 反応がない。

 ――もしかしたら、もう死んでいるんじゃ……。

 その考えた瞬間目の前が真っ暗になりそうになったシオンは、しかし呆けている暇はないと、自分を叱咤した。

 浅く呼吸しているからか、上下している体に少し安堵しつつ、彼女の体を抱き起す。

 そして、

 「……ベチャ?」

 手のひらに感じたヌメりに、ゾッとした。

 恐る恐る手をかざすと、白い肌が染まるほどの血が付着している。ボタボタと零れるそれに、シオンはティオナの体を見た。

 「あ……ああああああああああああああっっ!??」

 肩から脇腹にかけた、真一文字の傷。

 そこから溢れ出す血の量は、致死にまで達するだろう。すぐ傍にあった大剣は一部が欠け、それでシオンは察した。

 湧き上がる激情を何とか押し殺して、シオンは懐を弄った。

 ――無い。

 無い。回復薬の類が、何一つ。

 リヴィラの街に行くときに、シオンはそれを一つとして持っていかなかった。正確には、全部ティオネに預けていたのだ。

 だから、シオンが彼女を癒す術はない。

 「ベート! 万能薬を持ってこっちに来い!!」

 だけど、ティオネはここにいる。

 バックパックを持って、すぐ傍に。だが彼女がここに来るまでティオナが保たない。シオンはティオナの傷口を、汚いとわかっていても両手で押さえ込むしかなかった。

 呼ばれたベートはシオンの意図を理解すると、即座にティオネの背負うバックパックに飛びついた。踏ん張るティオネに悪いと思いつつ、ベートは中に入ってるものを放り出しながら、回復薬のある場所を漁る。

 やっと見つけると、中から万能薬を一本取り出し、念のために高等回復薬も数本取って、シオンのところへ走る。

 鬼のような形相で傷口を押さえているシオンの姿が、深刻さを表している。飲ませる時間さえ惜しいと、ベートは万能薬を後先考えずほとんど全部傷口にぶちまけた。

 「……っ……ァ――!?」

 急速に治っていく体に違和感が生じたのか、ティオナが呻き、体を揺らす。それをシオンが押さえ込むのを見ると、ベートは高等回復薬を無理矢理服用させた。

 むせて大半が吐き出されるが、それでも確かに飲んだ。大量の血液が失われたせいで、顔は未だに真っ青だが、安静にしていればもう大丈夫だろう。

 ホッと一息吐いた、その瞬間だった。

 「ベート」

 ただ、名前を呼ばれただけ。

 なのにどうしてか、ベートは背筋に氷を突っ込まれたかのように動きを止めた。視線をシオンの方に移すと、彼は、完全に表情を抜け落としながらティオナを見下ろしている。

 ベートは安堵した。

 だが、シオンはその真逆。

 「ティオナを、任せるよ」

 立ち上がり、膝当てを外すシオン。そのまま剣を地面に落とし、短剣二本も放り捨てる。武器と防具を捨てたシオンに残ってるのは、篭手とプロテクターのみ。

 そんな状態で、シオンは静観していたシギル達に向き直る。

 「……っ!」

 全員が、一歩、後ずさる。

 「……ごめん、無理。抑えられない」

 正直、先の戦闘は殺し合いというよりも、決闘に近かった。

 もし本当に殺すつもりであれば、とっくに死人が出ていなければおかしい。

 例えばシオンであれば、短剣で心臓を射抜く事など容易だった。逆に相手は、仲間を巻き込む事を厭わなければ、魔法でもってシオンを圧殺できた。

 いいや、そもシギル達は2、3人にすぎないとはいえLv.3も連れてきている。食い下がる事はできるだろうが、いずれ力尽きて殺されるだろう。

 シオンもシギル達も互いが互いを殺す意思を持ち合わせていなかったからこそ、どちらも致命傷へ至らないような戦闘が続いていたのだ。

 その均衡が、崩れた。

 ティオナが斬ったこと。

 そして――ティオナが斬られたこと。

 シオンは一瞬で把握してしまった。

 もし、ティオナが大剣で防御していなかったら。

 もしあの女が、もう一歩でも踏み込んでいたら。

 ティオナは死んでいた。傷を癒す時間もなく、体を真っ二つにされて。

 そんな事実を認識していながら、自分を抑えていられるほどシオンは大人ではなかったし、また抑えるつもりも元から無かった。

 シオンの抱いた感情。

 『敵』を殺すという、殺意。

 それがベートを凍らせ、全員を後ずさらせた物の正体。激情を通り越した、形無き冷たい刃。それを振るうと、決めてしまった。

 シオンはプロテクターに触れ、そこから一本の短剣を取り出した。

 今日この日に至るまで、実戦では一度も使ったことのない武器。

 「『薄刃陽炎(ウスハカゲロウ)』」

 傍目から見れば、それは何の変哲もない一本の短剣だった。違いがあるとすれば、その刀身が黄色だった事くらいだろう。

 それをシオンは逆手に持つと、プロテクターにギャリギャリと擦り付けた。火花を散らかすようなその行為に疑問を持っていると。

 ボッ、と火が灯った。その火が炎となり、刀身を覆い尽くしていく。

 「魔剣……?」

 そんな便利な物ではない。魔剣のように、意思を持って振るえば威力は低くとも無詠唱で放てる魔法なんかじゃないのだ、これは。

 この短剣は『インファント・ドラゴンの爪』から作られた武器の一つ。

 ただ、ティオネやベートの武器とは違い、この短剣にはちょっとした能力がついていた。それがこの、発火能力。

 遠くに放つなんてできないし、短剣がちょっとした小さな剣になる程度でしかない、そんな弱々しい力だ。こんな短剣だけで戦おうなんて、正気を疑われてもおかしくない。

 なのにシオンは、篭手を外してしまう。

 これで完全に、シオンは紅蓮剣以外何も装備していない事になる。急所に食らえば即死、手足を狙われても不利になる、そんな状態だ。

 ――さて、ここで一つ疑問を提示しよう。

 ティオナやベートは未だにインファント・ドラゴンの爪から作られた武器を使い続けている。それだけの性能を持った武器なのだ。だが、シオンは今の今まで、ダンジョン内部で一度もこの短剣を使った事がない。

 単純に言えば、この剣、『使えない』のだ。モンスターは生命力が強く、高々体を燃やされたくらいであっさり死んでくれるような存在じゃない。特に炎に耐性のあるヘルハウンドなんかを燃やした時には、その燃えた体で突っ込んでくる。不用意にモンスターを燃やすと、その体で抱き着かれて自分も燃やされる、なんてバカらしい事態に陥るのだ。

 だが、逆に。

 もし『人』相手に使ったとしたら――どうなるだろう。

 人はモンスター程生命力が強くなく、また、痛みに敏感な生き物だ。体を燃やされれば転げ回って反撃しようなんて思考、まずできない。

 つまりこの剣は。

 ()()()()()()――ただ、それだけのことだ。

 そんな武器を抜く、その真意を今更言う必要はない。

 だが、それでもシオンは負ける。回復薬で体を癒し、魔法を放てる人間が数人待機している。戦力差を考えれば、いや考えるまでもなく、殺されるのは目に見えていた。

 特異なスキルも、魔法もない。

 ――無駄死にするだけだろうな。

 それを誰よりも認識している。

 だからシオンは、『自分にない力』を持っている存在に、願った。

 「『――風よ』」

 その一言が、シオンの体に突風を叩き付けた。巻き起こる風に髪が乱れ、荒れる。運が悪ければ紅蓮剣の火に引火して燃えたかもしれない。

 だがそんな事は起きず、シオンは自身に包む風を、刀身にも纏わせた。

 小さな灯火。今にも消えそうだったそれは、風を浴び、急激に膨れ上がる。チャチな剣にすぎなかったそれが、立派な剣となり、そして大剣へと変貌する。

 どよめく彼等は、ここに来てやっと理解した。

 ――油断すれば、殺される。

 赤熱する剣に原始的な恐怖を刺激され、即座に戦闘態勢に移行する。何とか話し合いで済ませたかったシギルは、もう無理だと思考を投げた。

 ――ありゃもう正気じゃねぇ。

 理性の大部分を放り捨てて、ただ『殺したいから殺す』修羅に成り果てている。厳密に言えば少し違うが、シギル達には何の慰めにもならない。

 「おい、もう手加減なんてしてられねぇぞ! 加減すりゃこっちが()られる、アイツを殺す気で行きやがれ!」

 だからこそ、全員、覚悟を決めた。

 殺される覚悟でもって、殺す気で行く。いつもモンスター相手にしている事が人間相手に変わっただけだと、無理矢理割り切って彼等は進む。

 どうしてこうなったんだ、なんて、心中で呟きながら。

 

 

 

 

 

 今まさに殺しあわんとする雰囲気に呑まれて硬直するアイズの背を、ティオネが優しく触れる。彼女はようやっとベートが巻き散らかした物を回収し終わったが故に、どうしてこんな状況に陥っているのかさっぱりわからない。

 わかったのは、アイズが恐れている事だけ。

 だから、そんな彼女の恐怖心が少しでも薄れるのを願って、彼女の体を抱きしめた。少ししてティオネから離れたアイズは、ベートのところへ向かう。

 「ベート、これ、どういう事なの?」

 開口一番、ティオネが問うた。誰よりも状況を理解していない彼女は、この場で最も理解している人間に単刀直入聞くことにしたのだ。

 ベートは吐き捨てるように口を開く。

 「簡単だよ、シオンがキレた。それもゴライアスんときなんて比べ物にならないくらいの……文字通り怒りで前が見えなくなる状態になるまで」

 「……あの、シオンが?」

 ポツリと、アイズが呟く。

 アイズの中のシオンは、怒る事はあれど、それは誰かのためであるのが多かったし、自分のためであっても後の事を考えられる程度の理性はきちんと残していた。

 あんな姿、一度も見たことなんてない。

 それはベートも、ティオネも。昏睡しているティオナだってそうだろう。

 「だから、やべぇんだよ」

 普段怒らないような人間が、理性が吹っ飛ぶレベルでキレたらどうなるか。多分、シオンは絶対に止まらない。

 「ティオナを斬る原因になった奴等を、全員殺さなきゃ止まれないんだ、アイツは」

 「止めるための方法は、あるの?」

 「言葉は論外だ、そもそもアイツの頭に入らない。殴ったって止まるわけがねぇ。大怪我しようが気絶しないで動き回るような奴だぞ、意識を落とすのも無理だ」

 理性が無い故に理性を必要とする対話は届かず、殴って正気に戻るような怒りならそもそもこうはならない。オッタルと戦った時の大怪我でも走り回れるような精神力を持つシオンが、殺さないよう手加減した攻撃で失神するわけもなく。

 少なくとも正攻法でシオンを止めることはできない。

 「そんなのどうしろってのよ……」

 シオンは、リーダーなのだ。そんな相手を自分達で止める方法が思いつかない事に、ティオネは苛立った。

 わからない。

 確かにティオネだって怒り狂っている。大事な妹が斬られて冷静でいられるような、デキのいい頭は持ち合わせていないのだ。

 それでも彼女にとっての一番は『フィン・ディムナ』という存在で、だから彼女は【ロキ・ファミリア】に不利になるような行動ができない。だから怒りに全てを任せられない。

 理解ができない。

 二年もの付き合いがある相手を止める方法がわからない、そんな自分に苛立つ。リーダーに甘えっぱなしだったのだと再認識されて、更に苛立ちが増す。

 ――私はこんなに、盲目な人間だったの?

 「……私、が。止める」

 「やめろ」

 愕然としているティオネを見かねてか、あるいはあんなシオンを見ていられなくなったのか。剣を持って戦おうとしてアイズを、ベートが一蹴した。

 「行ってどうなる。敵味方の区別くらいはするだろうが、単純な戦闘能力じゃお前よりシオンのが強い。アイツの邪魔する事しかできねぇぞ」

 「……っ、だったら! ここで見ているだけしかできないの?」

 「少なくとも、今はな」

 歯噛みしているのはアイズだけじゃない。誰よりそう感じているのは、ベートだ。犬歯が唇を噛みちぎっているのを見てしまったアイズは、胸中を占める憤りを抑えるしかできなかった。

 シオンが本気の殺し合いをしようとしている姿を、視界におさめながら。

 

 

 

 

 

 理性の大部分を投げ捨てたシオンは、体にかかる負担を無視して行動を開始する。

 Lv.3と錯覚する程の速度で接近。そんなシオンの突貫を防ぎ、後衛の魔道士を守ろうと前衛壁役の冒険者が、盾を構えた。

 全身板金鎧(フルプレートアーマー)と、巨大な大盾(タワーシールド)という堅固な防御。代わりに移動速度を犠牲にしているが、普通に倒そうとすれば、苦戦は免れないだろう。

 ――今のシオンには、関係ないが。

 炎を纏う剣で自身を火傷しないよう、炎剣を腰より下に、加えて剣の切っ先を後ろに下げた、脇構えで気にせず突っ込む。

 「な!?」

 小さな少年が、鎧のせいで更に大きく見える自分に突っ込んできたのに驚いたのか。兜のせいでくぐもった声がシオンの耳に届いたが、関係ない。

 そもそもゴライアスより小さな相手に怯むようなシオンではなかった。大慌てで盾を構え直し、どんな攻撃も防いでみせるという気概を見せた相手に、下から上へ、炎剣を振り上げる。

 当然、シオンの炎は半ばから盾に阻まれて、刀身が真っ二つになった。

 その瞬間、シオンから風が吹き荒れた。

 同時、炎が爆発する。

 「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉっっ!??」

 絶叫。

 ありえない、そんな意思の込められた叫び声をあげながら、鎧をつけた男が倒れた。しかし微かにその体は揺れていて、殺しきれていない。

 鼻につく臭いに顔をしかめ、トドメを刺そうと炎剣を振り上げる。だがその寸前、困惑しながら2人の冒険者が剣をかざして来た。1人は倒れた男を連れて後ろに下がり、もう1人がそのフォローに回る。

 無駄に追いかければこちらがやられると判断し、シオンは素直に下がった。

 「な、何が起きた……?」

 シオン以外は誰も理解していない。

 炎は、気体だ。炎『剣』と言っているものの、その実それっぽい形をしているだけの虚刀でしかない。シオンが風を使って制御しなければ、剣にすらならないだろう。

 その見た目に騙され、防御した男は、半ばで折れた炎の先――切っ先部分を風を使って威力をはね上げた炎で全身を覆われた。

 そして、如何に堅固な鎧とて、継ぎ目や関節部位は存在する。そこから侵入した炎が男の体を侵したのだ。

 まともな方法では『防御不可』という剣。

 『薄刃』すら無い剣。実体を持たない『陽炎』。そんな意味を込めて付けられた、『薄刃陽炎』こそが、シオンの切り札の一つ。

 もしこれを防ぎたいのなら、それこそ炎の侵入する余地のない壁でも持ってくるしかない。

 まぁ、そんな事を教えてあげるつもりはサラサラないが。

 揺れ動く炎に惑わされている相手に突撃。ほとんど反射で剣を盾にしたが、すぐに無駄だと気づいたのだろう、歪ながら回避しようとする。

 それすら無駄ではあったが。

 「え……?」

 回避したはずの炎が膨れ上がり、その体を燃やさんと襲いかかった。それを恐れ、捨て身覚悟で後ろへ体を投げる。完全な死に体を晒す男の足に蹴りを叩き込む。

 ボキボキボキッ! と骨が折れ砕ける音がした。声にならない声を出す相手。そのとき、シオンの左右と後方から同時に3人が襲いかかる。

 蹴りを叩き込んだせいで泳ぐ体では、完全な回避はできない。だから、シオンはまず剣を後ろ手で持ち、一気に炎を噴出。作られた炎の壁が邪魔となり、後方の敵は動きを止められる。その炎を羽のように広げ、左右から来た相手に叩き込む。

 外しはしたが、攻撃は防いだ。一歩間違えればシオンの体が燃える所業だが、どうでもいい。元々の戦力差がありすぎるのだから、多少のリスクには目を瞑る。

 そろそろ鎧の男が回復薬で回復されている頃か。相手の持っている回復薬には限りがあるだろうけど、それを全部消費させる前にこちらが死ぬ。

 だからここまでが、前哨戦。

 ――温度を、上げる。

 燃え上がる火に、更に風をブチ込む。どの程度与えれば、炎が減衰し、あるいは増大するのかはもう大体わかった。後はひたすらに、燃やし尽くすだけ。

 薄刃陽炎が揺らぎ出す。その刀身から先の景色は陽炎に包まれ、距離感を失わせる。下手に近づけば燃やされる、そのせいで30人という数の暴力が活かせない。

 それ故にシオンは、自ら相手のど真ん中に突撃するしかなかった。

 「クソッ、テメェ等、投げられるもん投げて牽制しろ!」

 近づけば燃やされるのなら、燃やされないよう距離を取るしかない。しかし投げられる物の量なんてたかが知れていた。回復薬はまだしも、投げナイフなんかの投擲物は効率が悪い。本当に、持っている者が数本携帯している程度だ。

 それでも牽制程度にはなる。鉄を溶かすなんて事はできないのか、シオンは足を止めて回避に徹するしかなかった。そこを、剣技に自信のある者が狙った。

 反撃に炎をぶつければ、その炎を『斬り捨てて』来る。正確無比な一撃でもって炎の波を突破してきたそいつは、大振りではない、小振りな連撃でシオンの急所を狙う。

 薄刃陽炎は、元々短剣だ。防御には使えない。その上防具を全部捨てて速度に特化したシオンが一度でも急所を穿たれれば、そのまま殺される。

 風の力を使おうにも、こうも接敵され、間断無く責め立てられると制御ができない。制御できなければ炎を噴出する事は不可能。

 「今のうちだ! 魔法の準備をしやがれ!」

 そして、この絶好の機会を見逃すほど、シギルに余裕はない。魔法を使えるメンバーの中でも最高火力を持つ者に指示を出す。

 「【食らう顎。果てない空洞、終わりなき闇の中で餓えし者】」

 魔力が、起こされる。

 その事実を目で捉えるも、目前の剣士は最早火傷すら意に介さんと、全てを賭してシオンに食らいつく。

 「【叫び、泣き、手を伸ばせ。求めし希望が絶望の一助となれ】」

 ――無理だ。

 この詠唱は、止められない。この剣士を倒したところで、また別の誰かが盾になるだけだ。絶対にこの魔法は、発動してしまう。

 ――諦める。

 魔法を止めるのを、諦める。そう決め、剣士だけに視線を固定させる。

 「【手の中に収まるは血濡れの希望。地獄の淵を見せし絶望。汝は全てを否定する獣となれ。終わりを告げる獣の声を上げよ】!」

 タイミングを見ろ。

 相手の攻撃が自分に届く瞬間を見計らえ。

 そして、

 「う、ああああああああぁぁぁぁぁぁっ!?」

 そこに炎を『置いて』いけ。

 例え炎を撒き散らす事はできずとも、既に剣となっている炎を切り離すくらいはできる。自ら炎の中に腕を突っ込んだ剣士に、風を操り蛇となった炎で締め付ける。剣を取り落とした彼は、それに拘泥せず素直に後ろに下がった。

 だが、それでよかった。

 「【ブルート・クライ】!!」

 全霊の魔力を込めた魔法が発動される。

 黒い塊が形を成す。猫、犬、狼、虎、猪、豚、そして竜――乱雑なまでに形を変え、それらがシオンへと大口を開けて飛来する。形は違えどその全てが手を伸ばし、血涙を流し、絶叫するかのように喘いでいた。

 「――炎よ!」

 それをシオンが、受け止める。炎が今まで以上に噴出し、壁となる。黒き獣と猛々しい炎の壁がぶつかり合う。壁を壊さんと獣が手を伸ばし、そして真っ二つに割った。

 涎のような何かを垂れ流しながら、獣がシオンを喰らわんとする。

 これで、押し切れる――そう思ったのは誰だったか。

 ドンッッ! と獣の真上から空気の塊が飛来する。それは獣の頭、その頂点へ突き刺さり、たたきつぶす。ただでさえ炎を突き破るのに疲弊していた獣に受けきるだけの力はなく、弱々しく震えながら消え去った。

 「嘘……だろ?」

 魔法を相手に、魔法を使わず防ぐ。そんな事ができるのは、一体どれだけいるのか。少なくとも彼等は知らない。Lv.2でこんな事をする人間なんて、常識外だ。

 一歩も動いていない――実際は衝撃に押されて数歩下がっているのだが――シオンが、彼等全員を視界に入れる。

 そして、()()()()()

 「あ――あああああああああああああああああ! 俺の腕、腕あああああああああああああああああああああああ!?」

 数十Mあった距離など物ともせず、1人の腕を切り飛ばす。急いで回復薬を振りかけたが――治らない。

 「どうしてだ! ちゃんと効果はあるはずなのに……!」

 「無駄だよ」

 少しずつ歩み寄りながら、小さく呟いた声。それがなぜか耳元で囁かれたかのように感じ、ゾッとした。

 そんな彼等に、シオンは絶望を教えるように言う。

 「回復薬は、あくまで治癒力をかなり高めてくれるだけ。だからこそ失った手足を元に戻す、なんて事はできない。()()()()()()()()()()ってわけだ」

 そして、シオンが彼に負わせたのは火傷。

 今までの軽微な物じゃない――『細胞の死滅』をさせる段階の大火傷だ。そして、死滅した細胞に治癒力なんて物は無い。

 死んだ物は戻らない、そういう事だ。

 「腕の断面図付近の細胞が全部死んじゃったから、その腕、もうくっつかないんじゃない? まあ万能薬でも使えば別かもしれないけど」

 「ふ、ふざけるな! あんな高価な物、ホイホイ買えるわけないだろ!?」

 「関係ないね。そうなったら冒険者、やめたら?」

 言葉は軽いのに、その無表情さが恐ろしい。

 ――本気だ。

 シオンは本当に、そうするつもりでいる。この場にいる全員を再帰不能、どころか息の根を止めようとさえしてくるだろう。

 「ふっ」

 その現実が、

 「ふざけるなっ、ここまで頑張ったんだぞ! 今更こんなところで死ねるか!!」

 彼等に『撤退』という行動を起こさせる。恐怖が、畏怖が伝染し、1人、また1人と背を向ける者が増えていった。

 「クソッ、バカかテメェ等! 逃げられると本気で思ってんのかよ……!」

 思わず悪態を吐いたが、現実は変わらない。逃げていったところで、本当に助かるだなんて思えないのに。

 ――バカみたい。

 本当に助かりたいなら、一気に全員で襲いかかるべきだったのだ。先ほどの剣士のように、炎による火傷を気にせず全員で来られたら、シオンはそのまま圧殺された。

 陽炎によって作り出された幻の剣と盾に騙された彼等は、唯一の勝機を見逃したことに気づかない。

 シオンが剣を真上に掲げる。

 そんな彼の後ろから、風が流れた。それはシオンを超え、その先、シギルがいるよりも更に先へと進んでいく。

 炎が揺らぐ。

 色が変わり、その証左として炎剣の周囲の空間が歪み出す。

 追い風をラッキー程度にしか思わない彼等を放り、シギルは風のない空間へ行こうと走り出す。そんな彼を絶望へ叩き落とすように、風の範囲が増していった。

 範囲、恐らく数百M

 複雑に絡み合う風の舞台。その飾りを完成させるのは――彼等だ。

 腕を引く。

 薄刃陽炎が、その真価を発揮せんと、今まで以上の炎を生み出し、

 「『踊り狂う炎劇場(ブレイジング・ダンス)――』!」

 炎の塊となった人形が哀れにも踊る、狂宴。

 さあ踊れ、叫べ。

 それがティオナに傷を与えた罰なのだから――!

 「それ以上はやめろ、シオン」

 そんな光景を幻視しかけたシオンの腕を、誰かが掴んだ。

 ミシッと鳴る腕に、どこにそんな力があるのかと思いながら、シオンはそいつを見た。

 「……ベート」

 パーティメンバーで、悪友で、好敵手で。――唯一無二の、親友。

 そんな彼が、覚悟を決めたかのような形相で、シオンを見ていた。

 

 

 

 

 

 シオンが風を広範囲に広げだした瞬間から、ベートは決めていた。

 ――アイツを止めるんだ、絶対に。

 一時的に理性を失わせているだけで、冷静さを取り戻せば、気づくはずだ。『やりすぎた』と。そうして心に残るのは後悔だ。

 ベートは、誰かを殺す事に否と言うつもりはない。こんな稼業だ、他人の命を磨り潰すようなことを気づかずやっていてもおかしくはないのだから、今更騒いだところで、だ。

 しかし、殺すのなら後悔したくない。

 だから止める。

 だから――止めた。

 「……何の用?」

 心底不思議そうに言うシオン。それがブラフであるのは、ベートがよくわかっている。

 一瞬でも気を抜けば腕を引っこ抜かれる――そんな状況でこの対応、脱力しかねない。だがベートはシオンを睨む目を止めない。

 「それ以上はやりすぎだ。ティオナは殺されてない。その状況で相手を殺せば、いくつかの【ファミリア】と不和を起こすぞ」

 「……()()()?」

 話はできる。だがそれが通じるとは限らない、その典型例。

 ギリギリと悲鳴をあげる手。『力』はシオンの方が上なのだ、押さえていられる時間はそうなかった。

 ――どうすりゃいい。

 どうすれば、シオンは止まる――!

 「……!」

 一瞬、ベートの脳裏に()()()()が過ぎった。

 しかしそれをやるには勇気がいる。ベートには似合わぬ、どころかやれば後から絶対笑われるような行動だ。

 だが、だがそれでも……!

 ――やらなきゃ、コイツは止まらねぇ。

 未だ無表情のシオン。そんな顔を、見ていたくない、そう思ってしまった。

 ――仕方ねぇ、こうなりゃヤケだ。後なんざ知るかクソったれが!!

 柄じゃない、こんな役目はそれこそティオナ(ヒロイン)の役だろうに。

 そう思いながら、ベートはやった。

 そう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……え?」

 頭を抱えらえれ、ベートの胸元に顔を押し付けられる。あまりに予想外な出来事にシオンの動きが止まり出す。

 「っ、離、せ……!」

 それでもすぐに抜け出そうともがくが――その動きは、あまりにトロい。

 ――シオンは、抱きしめられるのに弱い。

 ベートは知らないが、シオンは物心つく前から親を亡くし、ついてからは義姉を亡くし、ことごとく愛を与えてくれる人を喪ってきた。

 だから、飢えていた。

 人からの抱擁――そこから感じる温かさに、飢えている。

 いつか【英雄】というすぎた名に重圧を感じていた時、ティオナに抱きしめられてどうしようもなく安堵したように。

 トクン、トクンと鳴る心臓の音が、シオンの脳を揺さぶる。氷の思考が溶けていき、温かな、人としての思考が戻ってきた。

 それを示すように、激しく吹き荒れていた炎が揺らめき、小さな灯火となっていく。気づけばシオンは、呆然とベートを見上げていた。

 「あ、れ……ベート……?」

 その声に、先程までの冷たさはもう無い。

 それがわかって、ベートは小さく笑った。

 「余計な手間かけさせんじゃねぇよ、この大バカ野郎が」




本当はティオナに抱きしめさせたかったけど、仕方ないよね、気絶しちゃってるし! ティオネは彼女の都合上論外、アイズは抱きしめるって発想が出ないので無理。
だから彼に出張ってもらうしか無かったんだ……!

って訳で毎度恒例の解説解説!

ガチギレシオン
このお話を作るにあたって最初期からあったシーン。怒る事はあっても、それが敵意や殺意に繋がりにくいシオンがキレるとこうなるってところ。
まぁこんな状態になると、作者でさえ手を焼くんでこんなシーンなるだけ書きたくないってのが本音なんですけど……。

薄刃陽炎
実はこの時のためだけにシオンがインファント・ドラゴンの爪から作られた武器を一度も使っていなかったんです。
プロテクターにこの短剣入れるような描写あるのに誰も反応してくれなかったのが、少しだけ悲しかったり、なんか寂しかったり……なんてしてないんだからねっ!

風と炎の共演
アイズの母由来の風と、インファント・ドラゴンの炎の組み合わせ。どっちか単体だけだったらシオンは今回の戦闘、何もできずに負けてます。
インファント・ドラゴンの戦闘は本当、今回の話のためだけに作られたと言っても過言じゃなかったり。
あの時ティオナの恋心の自覚とか、最初は書くつもりなかったんで仕方がない。

3人の戦慄
ちょっとシオンに頼りすぎな感じが出てきたので一旦リセット。これが理由でもうちょっと自分で考えられるようになるかな、と。

炎の動き
物理なんて知らないんで、理に適ってない動きをしてたらすいません。そういうものだと割り切ってください。

【ブルート・クライ】
さり気なく詠唱から全部書いたのこれが初。まさかモブさんの魔法が初出とは私自身思ってなかった。
ソード・オラトリア5巻にティオネの魔法詠唱があればよかったのに……。
詠唱文の意味が聞きたいなら感想で答えます。
自分から厨二思考で考えた物説明するほど私は勇者になれないんだ……っ!

シオンの弱点
抱きしめられるのに弱い、と書きましたが、当然シオンの身近な人だけです。他人に抱きしめられたら即座に突っぱねます。
逆に言えば、身近な人に抱きしめられると途端に弱くなりますが。

選択肢
→『抱きしめる』
 『抱きしめない』

→『抱きしめる』
上記の√行きます。これがシオンを止める唯一の方法。それ以外だとガン無視して敵全員廃すら残さず焼き尽くして終わり。

→『抱きしめない』
闇堕ち√第一歩。これが原因で心に暗い雫を宿し始めたシオンは、やがてティオナ達と決別しソロでダンジョンへ挑み、闇派閥と殺し合い――。
この√行くと最終的にティオナ達と敵対、凄絶な殺し合い演じる事になるので注意。まぁ特に関係ありませんが。だってこの√行かないし。



と、こんな感じで今回は終わり。私がこのドシリアス続けたくないんで最後にネタ的なのを突っ込んじゃいましたよ。
次回は事後処理。
タイトルは――『眼醒めし者』とかかな? 特に決まってなかったり。

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