英雄になるのを望むのは間違っているだろうか   作:シルヴィ

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新たな仲間を祝して

 気付けば部屋に残っているのは鈴のみになっていた。遠くから自分を観察していたベートとティオネはどこかへ行ってしまったようで、手持ち無沙汰となった鈴は静かに瞑目している。時折刀の柄に触れているのは、刀を振るうかどうか悩んでいるからだ。

 しかし勝手に振る舞うには、ここで過ごした日々が足りなすぎる。だから鈴は、ただシオンが戻るのを待つことしかできない。

 やがて閉じていた扉が開く。瞼を開き、そちらへ目を向ければ、やっと戻ってきたシオンの姿が見えた。その手には少し大きい鞄がある。

 シオンは一度グルリと部屋を見渡し、鈴がどこにいるかを確認すると近付いてきた。後数M、という距離で止まると、その手にあった鞄を投げ渡してくる。

 「っと。……危ない真似するね。取り損なったらどうするつもり?」

 「相手が受け止められる速度で投げれば取り損なうのはまずありえない。それだけ」

 「もうあたいの腕を見極めてるってのか」

 『観察』は得意だから、と特に自慢する様子も見せないまま、シオンが呟く。それに呆れつつも鈴は手渡された、ズッシリ重たい鞄をしげしげと眺める。もっと近くでと思い引き寄せると、チャリン、と何かが擦れる音がした。

 「もしかして、これの中身は」

 「お金だよ。鈴、大した金は持ってないだろ?」

 「まぁ……かなり節約して、一月生きていけるくらいだね」

 鈴は一人旅をしていたために、金を稼げる場所は限られていた。加えてまだ子供の身故に真っ当なところではまず雇ってくれず、仕方なく外のモンスターを討伐していたくらいだ。

 「だけど、それがこの金を渡す理由にはならないだろ? この金の使い道、まさか」

 「ああ。鈴の防具の代金だ。十万ヴァリス入ってる、それで良い物を買ってこい」

 「じゅ――」

 ――十万ヴァリス!?

 鈴は叫びかけたが、何とか口を閉じる。事も無げに言っているシオンだが、そんな大金をポンと投げ出せるのは頭がおかしい。

 この世界では食事を選り好みしなければ一食数十ヴァリス。宿代を考えれば一日で三、四〇〇ヴァリスと考えれば、大体八ヶ月から九ヶ月は何もせずに済む。もちろんそれはかなり赤貧の生活を強いられるが、普通に過ごしたとしても数ヶ月くらいは大丈夫。

 ゴクリ、と鈴の喉が鳴った。

 「……いいのかい? 私がこの金を使わずに奪い取るとか、そう思わないのか?」

 「それならそれで別にいいよ。防具の代金とは言ったが、お前に渡した物だ、どう使おうとケチをつけるつもりはない。ただ」

 「ただ?」

 オウム返しで聞き返すと、シオンの瞳が鋭く細まり、鈴は反射的に身構える。

 だが、その対応は遅すぎる。

 鈴がそれを悟った時には、彼女の喉元にトン、とシオンの指先が置かれていた。

 ――見えなかった!?

 思わず硬直する鈴に、シオンは笑って告げる。

 「それで死んでも、おれは責任なんて取れないぜ」

 「…………………………」

 冷や汗がドッと鈴の背中を伝う。シオンがその気になれば、今、鈴は死んでいた。そうできるだけの力の差がある。

 そして、そんなシオンでも死ぬ可能性があるダンジョン。だからこそ、皆が皆甘えた考えを持とうとしない。

 シオンは鈴の喉から手を離し、言う。

 「鈴の刀――そう言えば、それの銘ってなんだっけ?」

 「……一本目に渡したのが『コテツ』で、二本目が『オロチアギト』だよ」

 「そう。そのコテツとオロチアギトが第一線で通じる武器でも――使い手を殺すくらい、訳無いんだよ」

 喉を、心臓を一突き、それで人間は軽く、あっさり死ぬ。あっさり殺せる。このオラリオでは、鈴を殺せる人間もモンスターも大量なのだ、本当に、甘く見てはいけない。

 「オラリオで【ランクアップ】を果たした人間は冒険者の総数の約半分。でも、逆に言えばその半数が鈴を殺そうと思えば殺せる訳だ。徒党を組めば、もっと増える」

 これは脅しでも何でもない、ただの事実。現実にあるかもしれない可能性だ。

 「自分の腕に絶対の自信があるならそれでいい。だけど、ただ自分の命を安く売るようなバカと一緒に、ダンジョンには行きたくないね」

 この言葉は嘘でも冗談でもありはしない。鈴が傷つけば傷つくだけ、彼女が死なないようシオンは配慮しなきゃいけない。

 皆の命を預かるリーダーだからこそ、誰よりも皆の安全を守る。その為なら、憎まれ役だって買って出よう。

 考え込む鈴に、シオンは思いついたことを伝える。

 「鈴って、名前からして東洋の人間だよな?」

 「え、ああ、そうだけど。それがどうかしたのかい?」

 「いや、防具が嫌なら鎖帷子――だっけ。そういうのでも仕込んでおけばって。ここは世界中の人が集まるから、探せば何でもあるもんだよ」

 言い終えると、シオンは今一度笑って、

 「どんな選択をするかは鈴の自由。まぁ、できれば期待させてくれよ?」

 そんな事を、鈴に言う。

 言うだけ言って去ってしまったシオンに、鈴は思う。

 ――あそこまで言われて何もしなきゃ、私はただの阿呆だよねぇ。

 

 

 

 

 

 「いいのかよ、あんなに金渡して」

 シオンが部屋を出てすぐ、壁に背を預けていたベートが声をかける。シオンは扉を閉めつつベートの顔を見るが、その顔からは何も見て取れない。ただ一つ、『答えろ』と言っている事だけはわかった。

 溜め息をし、仕方なくシオンが答える。

 「別に。最近出費が激しいけど、おれとしては問題ない。そもそもここで過ごすためには生活費と【ファミリア】への献上金がいるんだから、そのための貯金にしたっていいさ。パーティ参加への手前金……いや、何でもない」

 「ハッ、いつも通りのお人好しってか。まぁ足手纏いが増えるにしても、使()()()()使()()()()()()()()は必要って事だろ?」

 「お見通しか。わかってるなら鈴には何も言うなよ、答え合わせは後だ」

 「言われるまでもねぇよ。にしても、随分腹黒くなったもんだ。俺も、お前も」

 「生き残るために必要なものだった。純粋なまま強くなるなんて夢物語だよ。それができるとしたら、そいつはよっぽど甘い現実を生きているんだろうな」

 シオンにはできそうもない生き方だ。

 だって、シオンの物語の始まりは義姉が死んだところだから。開始地点が歪んでいる人間に、純粋さを持ったまま生きろなんて、強制できるわけがない。

 「……仮にそんな奴がいたとしても、俺とお前には関係無い事だろう? 仮定の話なんて無駄な事はやめようぜ」

 「それもそうか。目下のところは鈴の加入で今のパーティをどうするかだしな」

 「俺が何かして掻き回すのもアレだから、高みの見物をさせてもらおうか。要望があれば、ま、手伝ってもいいがな」

 「その時は頼むよ」

 お互いに肩を竦め、別々の道を歩こうとする、その寸前にベートは聞いた。

 「シオン、お前は――どこまで強くなりたいんだ?」

 シオンの抱える目的。それを達成するために、どこまで強くなればいいのかなんて、シオンにわかるわけがない。

 だから、

 「どこまでも――だ」

 終わりの見えない道を、進み続けるだけ。

 答えを知ったベートは一つ、舌打ちをした。

 「バカ野郎が。全部抱えようとしやがって」

 今回の鈴の件だって、シオンは誰かに投げようとはしないだろう。自分で面倒を見て、どうするかを決めるつもりだ。

 何時だってそうだった。ベート達が頑張り続けてやっと他人の意見を聞けるようにしても、最終的に自分で全てを決めるその性根だけは変わらない。

 全ての責任を自分で負おうとする、そこだけは。

 「何時になったら、お前は……俺達にも背負わせてくれるんだよ」

 

 

 

 

 

 ベートがそう言っている事など想像すらしていないシオンが向かったのは、図書館と思える程の蔵書を誇る図書室だ。気になることがあれば調べるために来ているのだが、それでも随分と久しぶりに思える。

 中へ入り、ジャンル別にされた本の棚を見て回ろうとしたとき、

 「あれ、シオン? 珍しいね、ここに来るなんて」

 先客として来ていたティオナが、シオンに気づいた。

 「ティオナか。まぁ、ちょっと探し物があってね。それだけ取りに来たんだ」

 「へぇ、そうなんだ。なら何を探してるのか教えてよ、私、ここにある本なら大抵の場所を知ってるよ」

 流石ティオナ、元本の虫とでも言うべきなのか、あっさりと言ってのける。シオンも中々の読み手だとは思うが、ティオナには及ばない。

 ちなみに何故かシオンとティオナは図書室で顔を合わせる機会は少なかったりする。なのでティオナが珍しいと言ったのは間違っていたりするのだが。

 その点を言うほど、シオンも無粋ではなかった。

 「そうか、それなら何冊か持ってきて貰いたいんだけど……()()()()で」

 「ふーん、料理……料理の本!?」

 手元にある本に視線を落としていたからか、理解が遅れていたらしいティオナが即座に振り向き目を真ん丸に開けながらシオンに詰め寄った。

 「ど、どうして? そんな本を読んで何がしたいの!?」

 「え、あ、は?」

 かつてない剣幕で顔を前に突き出してくるティオナに押され、一歩、二歩とシオンが壁に追いやられていく。

 が、当のティオナは内心かなり焦っていた。

 ――シオンが料理を覚えたら、私が頑張る意味が……っ!?

 とはいえシオンにそれが伝わるはずもなく。

 どこか引いたように両手でストップをかけながら言った。

 「えっと、鈴がパーティに加入した、だろ?」

 「そうだね、それで!?」

 「だから今日くらいは、歓迎パーティ的な物をしようかな、と。で、パーティって言ったらやっぱり料理は欠かせないし……」

 「それなら外でやるとか、料理ができる人に頼むとか!」

 シオンの両手を引っつかみ上下にぶんぶん振り回しながらティオナは更にシオンに詰め寄った。なんでこんなに反対されるんだろう、そう思いながら、シオンは続ける。

 「外でやると余計なちょっかいされそうだし、人に頼むのは、その」

 かなりはっきり言ってしまえば、シオンは一部の人から蜥蜴の如く嫌われているので、頼むという行為ができないのだ。

 女性同士の『友達』付き合いは恐ろしい――シオンはそれを知っていた。

 どちらも選択肢として思い浮かべる事さえできない状況。だから最後の手段として、自分で作るくらいしかシオンに手はなかった。

 そう一部を除いて説明すると、ティオナは顔を伏せ、やがて、自分が読んでいた本を持ってくるとシオンに差し出した。

 それに視線を落とすと、

 「――なら――も、やる」

 「ん、何?」

 ティオナが何かを呟いているのに生返事しながら、シオンはタイトルを読んだ。だから、キッと顔を上げたティオナに気付かない。

 「それなら私も、料理やるから!」

 「……へ?」

 ティオナが、料理を、やる。

 想像さえできない姿に、ついシオンの視線がティオナの頭の天辺からつま先まで上下する。その視線の動きで何となく察したティオナは、

 「私が料理をしようとしたらダメ……なの?」

 シオンの内心を理解しすぎて、地味にダメージを受けていた。それに対して焦ってしまうのはシオンだ。

 「いやそういう訳じゃないよ? うん、大丈夫。一緒に鈴の歓迎パーティの準備、しようか」

 ……言えない、言える訳が無い。

 ――大剣振り回すのとは違うんだよ、なんて……。

 尚、ティオナが読んでいた本のタイトルは。

 『料理入門編 ――モンスター(バカ)でもわかる簡単レシピ――』

 ……これでいいのか、ティオナ。

 色んな意味で不安になるシオンだった。

 

 

 

 

 

 結果から言えば、ティオナはシオンに無理矢理ついてきたことを後悔していた。

 いや、ついてきた事は間違ってはいないと思っている。だが、そこで見た光景に心が折れかけた事実を悔やんだだけだ。

 「皆でつつき易い鍋にするとして材料は……まぁ普遍的な物でいいか」

 とあっさり高難易度な料理を選び、しかもそれを失敗することなく作っている。そもそも材料の切り方からして素人じゃない。

 例にすれば、ティオナが切り分けた物は不揃いで形もバラバラなのに対し、シオンは流石にその道のプロには及ばないが、それなりに慣れたものを感じさせるくらいに綺麗だ。それだけでもかなりクるのに、

 「シオンって、どうしてそんなに上手に切れるの?」

 「ん? ああ、簡単な理由だよ。勝手はちょっと違うけど、おれはいつも短剣使ってるだろ? その時の()り方を応用してるだけだ」

 「……短剣と包丁って、全然違うと思うんだけど」

 「そこはほら、慣れ?」

 おどけて肩を竦めるシオンが、

 「ティオナはもうちょっと力加減を考えたほうがいいな。大剣使ってるんじゃないんだから、力任せに切ったら材料が潰れるだけだよ」

 なんて、苦笑しながらアドバイスをしたのが、一番心に効いた。

 ――私って、暴力的な女だと思われてる……?

 今更過ぎる疑問に、ティオナは今までの自分を思い返すしかなかった。出た結論は、最早言うまでもないだろう。

 ――だ、大丈夫! シオンはそれくらいで人を遠ざけたりしない。力があっても、うん。

 引いたりしない、が。

 ――女の子として、それってどうなの……?

 発育が悪く、家事の腕は全く育っていない。加えて暴力的。性格――についてはどうとも言えないが、先にあげた三つの理由で既に最悪だった。

 なんて考えていたのが悪かったらしい。

 「った!」

 ザックリと、包丁が人差し指を切っていた。かなり深くやったようで、血が止まらない。しかし痛みには慣れているティオナだ、慌てる事なく回復薬を探したところで、

 「何やってるんだ、ティオナ……」

 「っ!?」

 「あーはいはい、動くと溢れるからストップ。ほらステイ!」

 犬じゃないんだから、と抗議したかったが、そうしたらシオンが飲ませている回復薬が溢れてしまう。大人しく従うしかなかった。

 全部飲み干して傷が消えたのを確認すると、シオンが呆れた様子を見せた。

 「本当にさ、何で料理がしたいとか言い出したんだよ? 一応刃物扱ってるんだから、ちゃんと集中しないとダメじゃないか」

 「うぐ……だってぇ」

 不貞腐れたように視線を逸らす。しかしそれを許さないとシオンが正面に回り込んでくるので更に逃げ、回られ、逃げ、そしてシオンが諦めた。

 「今回は指で、すぐに治る怪我だったからよかったものの。痕が残るような怪我はなるべくしない方がいいぜ。ティオナも女の子なんだしさ」

 苦笑するシオンに、ティオナはつい頬を赤くしてしまう。チラとシオンを見やるが、その時には既に料理に戻っていて、何も言えない。

 ティオナは別に傷跡が残ったとしてもあまり気にしない。

 「シオンは、古傷がある女の子を、どう思う?」

 「別にどうも。同情が欲しいならしてあげるし、対等に扱って欲しいならそうする。とりあえず古傷どうこうでその人を決めつけようとは思わないな」

 シオンならそう言うと、わかっているからだ。

 「これだからシオンの隣は安心するんだよね」

 「――何か言ったか?」

 「ううん、何も!」

 例え姿が変わっても、シオンなら、きっと。

 変わらず接し続けてくれると、素直に信じられる。

 それから鍋の追加素材を切ったり、鍋だけではどうかと思ったので、他にも数品作ったシオン。ティオナも手伝いはしたが、それは補佐の領域を出なかった。

 「シオンって、今日が料理作るの初めてだよね?」

 「料理と言えない程度を除けば、そうなるな」

 「それでこのクオリティって、女の子としてちょっと妬けるよ」

 「あはは……そう言われてもな。基本に忠実、レシピ通りに作れば、多少不格好でも美味しい物は作れるよ。もし不味くなったなら余計な一手間を入れたか、分量を間違えたかだな」

 シオンは今回、特別な事は何もしていない。ただ本に書いてあった通りの材料を用意し、切り分けて、順番通り鍋に放り込んだだけだ。

 「ここでひと工夫したいなら、何度も料理を作って、素材の味を学んでいく事だけ。剣術だって何だって、反復練習は基本だろ? 何事も基礎固めは大事ってことさ」

 唇に人差し指を当て、片目を閉じて言うシオン。その所作は、どちらかというと女性がする仕草だと思ったが、言えなかった。

 代わりにティオナは、別の事を聞いた。

 「それよりシオン、鈴のこと、試してるよね」

 「……なーんで皆悟ってるんだろうなぁ」

 「もう四年近いし、自分の命を預けるくらいにシオンの事を信じてれば何となく、ね。どう? 期待に応えてくれそう?」

 んー、とシオンは悩むように頭上を見上げ、すぐに下ろす。見つけた灰汁をサッと取り除いて流しに捨てた。

 「七割くらい? おれの言葉だけなら反発されたかもしれないけど……アイズとティオナ、アドバイスしただろ」

 「え、えへへ……ダメだった?」

 「それは別にいいんだけどな」

 もう灰汁は無さそうだと判断したのか、シオンは鍋に蓋をし、エプロンを取ると椅子に座ってテーブルに肘を付き、手の上に頬を乗せた。

 若干傾いた視界でティオナを見る。

 「ティオナはどうする? 鈴がもし応えなかったら」

 「私はどうもしないよ。でも、そうだね。一度くらい『死にかける』経験をしてもらいたいとは思うかなぁ」

 「……意外と容赦ないな」

 「鈴の命だけで済むなら私は何も言わないけど、そんな訳無いでしょ? だったらこっちに被害が来る前に、痛い目見てもらわないと困るから」

 言ってはなんだが、ティオナの最優先はシオンで、姉であるティオネやアイズ、ベートはそれよりも優先順位が低い。今日仲間になったばかりの鈴は言わずもがなだ。

 シオンは自分自身の優先度が低いから、ティオナくらいはシオンを最優先に考えないと、どこかで死んでしまうが故に、こうなった。

 「……薄情だと、思う?」

 「いや、おれもそう考えてるし、お互い様だ。……五歳の時は、もっと単純だったのにな」

 「ダンジョンに行って、強くなる。強くなって、大切な人を守る。それだけで良かったからね」

 「今が悪いって訳じゃないけど、気楽にいられる時間は過ぎたから。少しだけ、感傷に浸りたい時はあるよ」

 シオンも、ティオナも、既にLv.3になっている。もう九歳の子供だからと侮れないくらいの強さを持っていると、誰からも思われている。

 上半身を倒し、両腕を組むとそこに顔を下ろすシオン。

 「本当の意味でおれ達が『子供』でいられた時間は……短かったな……」

 「……それでも私は、後悔なんてしてないよ」

 だって、

 「そうじゃなきゃ、私達は一緒に日々を過ごせなかったから」

 穏やかな笑みを浮かべ、優しい声で囁くように言うと、シオンは同意するように破顔した。

 「その通り、だな」

 それを最後に、シオンとティオナの間に会話は無くなる。何となく手持ち無沙汰になったティオナは近くにあった料理本を手に取ると、今日作った物を反復するように中身を見直す。そうして気付けば十分程経っていて、

 「あれ、シオン……?」

 突っ伏しているシオンが、スゥスゥと、規則正しい呼吸をして眠っているのがわかった。しげしげと眺めてもシオンが目覚める様子はなく、よっぽど疲れていたのだろうと思わせる。

 ティオナはしばし悩み、そして厨房から出る。急いで戻ってきたティオナの腕には厚みのある毛布があった。それをそっとシオンの肩に乗せておく。多少むずがったシオンだけど、やっぱり起きなかった。

 ティオナは自分の手を見下ろす。特に汚れはない。

 意味もなく周りを見渡す。当然誰もいない。

 何度か深呼吸。それからそっと、シオンの頭に手を乗せて、髪を梳いた。

 「ん……」

 普段のシオンなら、もう飛び起きているだろう。それでも起きないのはとても疲れていて、それから自惚れで無ければ、自分だから寝ていてくれるのだろうとも思う。

 ある程度シオンの髪を整え終えると、ティオナはよし、と握り拳を作った。

 ――後は、私が。

 失敗は絶対にしちゃいけない。それは本来かなりのプレッシャーになるだろう。ティオナは料理経験が皆無なのだから。

 でも、どうしてだろう。

 今のティオナは、何をしても失敗する未来が見えなかった。

 

 

 

 

 

 「っ……ん、あれ……?」

 何か、ゴトンと倒れるような音にシオンの意識が戻る。頭を振り、何があったのかと周りを見渡すと、ティオナが体を投げ出して寝ているのが見えた。

 いや、あれはどちらかというと失神している。何か、精神的に疲れるような作業をして、それが全部終わった後かのような。

 「……?」

 未だに回転が戻らない頭。しかしその目が鍋を捉えると一気に見開かれ、体にかかっていた毛布を払い除けて立ち上がる。急いで近づき鍋の蓋を取り、中身を確かめると、問題なく美味しそうな匂いを醸し出していた。

 台所にはシオンの知らない物もいくつか置いてあり、自分が寝ていた状況でこうなっている事実が示すのは、とても簡単な事。

 「わざわざやってくれたのか……毛布まで……」

 残った全ての作業を、ティオナがやってくれた、それだけだ。わざわざ毛布まで持ってきてくれたという事に、感謝するしかない。

 シオンは落としてしまった毛布を取り、一度叩いて埃が落ちたのを確認すると、ティオナの肩にかけた。

 「ありがと、ティオナ」

 シオンが彼女に言える言葉は、それくらいなものだった。

 ティオナを起こさないよう、一度だけ頭を撫で、そっと部屋を出る。どこにいるとも知れぬベートとティオネを、呼びに行くために。

 

 

 

 

 

 日が沈む頃、シオンはホームの外で鈴を待っていた。もうベートとティオネはあの厨房で待ってくれている。

 暇潰しに周囲の気配を探って探知限界を超えようとしていると、鈴の持つ刀が放つ、わかりやすい気配を捉えた。そちらに目を向けると、ちょうど鈴もシオンに気付いたようで、小走りに近づいてくる。

 シオンの目が動き、鈴が付けている防具を追う。手首から肘までと、足首から膝までを覆うタイプの防具。

 胴体には――何もつけていない。

 「わざわざ、待っていたのかい?」

 「待つといっても十分程度だよ。で、結局どうしたんだ?」

 どんな風にお金を使ったとしても構わないと言い切ったのだから、こうして聞くのはお門違いなのだろう。

 ただ、シオンには何となく予感があった。

 鈴は多分、買っていると。

 「……鎖帷子を、買ったよ」

 「そう、か」

 「流石にサイズの問題があって、今は調整してもらってるんだけどね。明日には取りに行けると思う」

 思わず口元が緩んでしまう。

 「それ、お金は足りたのか?」

 「足りなかったよ。両手足のこれも買ったし。だからまぁ、自前の分も使ったんだ」

 これで本当にスッカラカンさ、と特に気にした様子も見せない鈴は続けて言う。

 「――あたいは、自分の腕に自信がある。当然さ、物心ついた頃から刀を振ってるんだ。自信が無きゃ一人旅にだって出たりしない」

 「ああ、そうだろうな」

 「でもね、だからって自分の命を安く売ってあげるつもりもない。腕に自信があって、その上で自分の命を守る。……そういう事なんだろ?」

 射抜くような視線。それにシオンは、両手を一度、二度と合わせて拍手した。

 「大正解。自信は持ってくれなきゃ困る。でも命をあっさり捨てられるのはもっと困る。両方あってこそ、自分の命を預ける第一歩が踏み出せる。良かったよ、期待して」

 「ふん、あんたのためじゃない。自分のためさ。あたいはまだ死にたくなんてないんだからね」

 「それでいいよ。少なくとも今は、ね。さ、ここで喋ってるのも無意味だろう。中に入って体を休めようか」

 それに否は無かった鈴はシオンの後をついてホームに入る。中に入ればすぐにお別れになるだろうと思っていた鈴だが、意外にもシオンが一言『ついてこい』と言ったので、何だろうと思いつつ素直に従った。

 通った事のない道なので若干不安に思ったが、どちらにしろシオンには勝てない、逃げられないのであっさり吹っ切れた鈴は、楽しむ事にした。

 これから何があるのだろうか、と。

 そして、その楽しみは間違っていなかった。

 ある場所で扉を開けて中に入ったシオンに続いた瞬間、

 「カザミ・鈴のパーティ参加を祝して!」

 「わざわざシオンとティオナが歓迎会を開いたみたいよ?」

 「精々泣いて喜ぶこった。ったく、何でこんな事を……」

 「私の時には、何も無かったのになぁ」

 純粋に祝っているのはティオナだけだったが、全員ここで待ち、準備をしていたという事に変わりはない。

 「シオン、これは……」

 「歓迎会って奴だよ。おれも初めてやるからよくわかんないけど、さ」

 肩越しに振り返り、照れた笑いを鈴に見せる。

 「新しい仲間なんだから、お互い親睦を深めたいと思ったんだ」

 「……!」

 旅していて、ちょっとの間だけしか誰かと行動を共にした事がない鈴は、ただただ驚く事だけしかできない。

 けれど、思った。

 ――この者達なら、もしかしたら……。

 己が真に信ずるに値する仲間になれるかもしれない、と。

 「主役はここ、上座だよ!」

 ティオナに手を引かれて、呆然としたまま鈴が椅子に座るのを確認すると、咳払いを一つしながらシオンが代表して言った。

 「新しく仲間が増えた。その結果としておれ達の戦い方は変化するだろう。おれはその変化を悪い物にしたくない。そして悪い物にしないためには、お互いが信じ合わなければいけないと思っている。……そのための一歩として、まずは一緒に飲んで、騒ごう! いずれ行くダンジョンで戦い抜くために!」

 『応!』

 シオンの言葉は、全員で生き抜くためのもの。

 それを嘘にしないために――鈴を含めた全員が、同意した。

 「ま、今はダンジョンとかそんなの気にせず、楽しもうぜ!」

 ダンジョンに行けば、ふざけたことを言っていられないのだから――と。




歓迎会の中身も書こうとしたけど文字数的な意味で書けなかった。各々の想像におまかせしちゃいます。

最近変な時間に寝て起きてを繰り返してるせいで眠気が取れません。後書き書く気力が湧かないので疑問あれば感想で。

次回は多分ダンジョン行くかも。予定は未定。

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