シオンの意識が途切れた、その事実を認識したベートの目が細まる。その眼光にたじろいだ鈴は一瞬、怒鳴られるのかと身構えたが、予想に反してベートは背を向け歩き出した。
「アイツの意識が途切れたなら、本当に余裕が無くなってきたって事だろ。時間がない、さっさと行くぜ」
「な……」
絶句する鈴を置いてベートは行ってしまう。まだ弱い鈴は、ここで置いてかれては迷い、疲弊したところを襲われてはひとたまりもない。慌てて追いかけた。
一見冷静のように見えるベートだが、少し観察すればそうではないのがすぐにわかる。時折飛び出てきたモンスターを、力任せに切り捨てているのを見てしまえば。
体力の回復しきっていない鈴は、段々と息を荒げていく。元々22層から18層に戻るまでが強行軍過ぎたのだ、たかだか十五分程度の休息でどうにかなるはずがない。しかし、ベートはそれに気づけるだけの余裕が無かった。
体力と精神の疲弊から視野が狭まっていた鈴は、遂に木の根に足を取られ、転んでしまう。咄嗟に受身をしたので大きな怪我はない。彼女が転んだ音によって我に返ったベートは、鈴の事を全く考えていなかったのを思い出し、振り向いた。
既に上半身を起こしていた鈴だが、受身をした両手は地面に擦れて怪我をしていた。普段鍛錬で受ける怪我に比べれば大した事ではないが、鈍い痛みを感じるのは嫌なものだ。つい顔をしかめてしまう鈴に近づくベート。
「……その、悪かった。お前の事を考えていなかった。近くに川がある、そこで土を落としたら回復薬で傷を癒そう」
罰が悪そうに謝れば鈴は意外そうな顔を見せる。それに若干気を悪くしながら、しかしいつもの行いが行いなので何も言えない。
もう知らん、と鈴の腕を引っ張っていき、川に手を突っ込ませる。反射的に冷たいと叫ぶ鈴を放ってポーチから回復薬を取り出すと、洗った手にぶちまけた。
「少しだけ休む。それからさっさと行くぞ」
本当は今すぐにでも地上へ戻りたい。だが鈴の体力を考えると無理だ。ベートは苛立ちを堪えるために一度頭を川の中に突っ込ませて冷やすと、乱雑に髪を拭いた。
そんなベートを眺めていた鈴は、ふと呟く。
「もう、諦めたらどうなんだい?」
「――あん?」
それが地雷を踏み抜くとわかっていても、鈴は言ってしまう。
「シオンは死んだ。ベートにだってわかってる事なんだろう?」
ピシリ、とベートが固まった。それは図星を突かれたが故のもの。
そう、本当はベートだってわかっている。見た事もない25層に、ソロで落ちて、意識を失った人間がどうなるか、なんて。
わかっていてベートは行動していた。フィンに助けを要請しようと。
「無駄なんだよ。今から地上に行って戻ってくるのに丸一日かかるとしたら、もう絶望的だ。諦めて――ッ!?」
敢えて現実を突きつけようとしていた鈴の言葉が止まる。
その原因は、速攻で鈴に接近したベートが鈴の胸ぐらを掴み、持ち上げたからだ。その勢いのままベートは鈴を木に叩きつけると、
「んなこたぁ、誰より俺がわかってんだよ!?」
怒鳴り声――否、これは悲鳴だった。
「今更お前に言われる必要もないっ。シオンが生きてる可能性が万に一つも無いのを、俺が気づいてないとでも思ってたのか!」
「な、なら……何だって、そんなに」
「悪いか!?」
ベートは震えていた。
一見すれば追い詰められているのは鈴なのに、ベートの方が追い詰められている。それは、今まで抑えていた、蓋をしていた感情が噴出したからだ。
「自分の家族が、仲間が――たった一人の親友が死にかけている状況で、よく知りもしない誰かから『あの人は死にました、諦めましょう』なんて言われて」
それは悲しみだった。
「納得できるか、クソったれがぁ!?」
それは、一匹狼を気取っていた少年の本心だった。
確かにベートには他にも仲間がいる。友人がいる。けれど、誰より気の置けない男友達で、ライバルなのは、シオンだけだった。
唸り威嚇する狼の、危険だとわかる相手に臆せず近づいて傍にいる。そんな人間がどれだけ稀有なのか。
「認めねぇ……俺はシオンの死体をこの目で見るまでは、アイツが死んだなんて言われても信じねぇぞ!!」
「ぐっ、現実を、見るんだよ! あたいの背中にあった熱は引いて、それが意味する事なんて一つしかないんだ! シオンは死んだ、それだけって事なのさ!」
胸ぐらを掴まれたせいで呼吸がしにくい鈴だが、それでも止まらない。――諦めろ、と言外に告げてくるのを。
その言葉を理解した瞬間、ベートの奥歯がギリギリと噛み締められる。
「簡単に仲間の命を諦められるほど、浅い関係じゃないんだ……っ」
そして、遂に言ってしまった。
「
「な」
鈴の表情が凍る。
それは理解できない、というものではなく、どうして知っているのかという意味を含んでいる顔だった。その顔を見てやっちまったと思うも、放った言葉は取り消せない。ベートは若干目線を逸らしながら続けて言った。
「世間一般的に、綺麗、あるいは可愛い女がいる。しかも、どう見ても旅慣れていないとわかれば甘い顔して近づく野郎なんざいくらでもいるだろうさ」
付け加えれば、鈴の持つ刀は『オラリオのダンジョンで』通じる、一級品の武器。まさに鴨がネギを背負って歩いているようなものだ。
狙われない理由が、無い。
「先に言っておくが、気付いたのは俺じゃない、シオンだ」
「ど、どうして……あたいはそんな素振り、一度も……」
「アイツに生半可な演技は通用しねぇ。お前の目の奥にある『仲間』ってもんへの不信感を最初から見抜いてたんだよ」
鈴の息が止まる。その目に込められたどうして言わなかったという問いに、ベートは吐き捨てるように言い放つ。
「『刀をおれに渡した時、それをどうするのか、試してる眼をしてた』」
――きっと過去に騙された事があるんだと思う。だから、鈴を待っていてほしい。
「『いつか心の傷が癒えた時。彼女が本当に信じてくれたその時に、お互いの背中を預けられるようになるはずだから』」
「……っ」
それは鈴が知らない出来事。当然だ、シオンは話すつもりなど無かった。ただベート達にはそれを伝えておいて、何も知らないフリして彼女が心を開いてくれるのを待つつもりだったから。
「自分を信じてくれない奴を死ぬ気で守って、来るかもわからない『いつか』を待っていようなんて甘っちょろい言葉を吐ける人間がどれだけいると思う? ――早々いねぇ。それでもお前は見捨てるなんて言えるのかよ!?」
身勝手だ、とわかっている。
鈴にとって、シオンは会って数日の顔見知り程度の他人だ。見捨てる事に躊躇はあっても、そこまで後悔しないだろう。ベートもそうだからだ。
だから、付け加えておく。
「見捨てると決めても、俺は文句を言うつもりはない。だが、そう決めたならせめて邪魔しないでくれ。安心しろ、地上までちゃんと連れて行く」
木に叩きつけていた鈴を下ろす。ケホケホと咳き込む鈴に罰が悪そうな顔をするも、それをすぐに消し去るとベートは鈴を無理矢理おぶった。
「な、何するってのさ……?」
「お前が来るのを待つのは面倒だ。このまま背負ってフィンのところにまで戻る」
体力はかなり消耗するだろうが、マラソンを意識してペース配分を考えれば行けなくはない。脅威なのは上層に戻るまでで、そこまで頑張ればいいだけなのだから。
「速度は考えるが、振り落とされるな。行くぞ」
鈴は答えない。ベートも答えを待つつもりはなかった。
ベートにとってはそれなりの、鈴にとってはかなりの速さで駆けていく。大半のモンスターは置き去りにできたが、速度に秀でたシルバーバックとヘルハウンドの一部は振り抜けず、ところどころで苦労したが、それだけ。
後日、『女を背負った狼がいる』――そんな変な話がしばらく噂として出回ったが、ベートにとってはどうでもよかった。
シオンを助けられるのなら、それでよかった。
地上へ戻り、息も絶え絶えになって、それでも足を止めずにホームへ一直線。鈴が途中降りようかと聞くも、ベートは無視して駆け込んだ。
体は薄汚れ、息も荒い。その上帰ってきたのは背負っている鈴とベートのみ。何かあったと察するのは容易で、門番も簡単に通してくれた。
フィンのいるであろう部屋を見て回り、驚かれたり何があったかと聞かれても全部見なかった、聞こえなかった風に無視。
そうして遂にフィンを見つける。彼がいたのは食堂で、丁度食事をしていたところらしい。
「フィン!」
「ん? ベートか。それに鈴まで。帰ってきたのならまず体を洗うべきだよ。そんな格好で食堂に来るなんて他の人の迷惑に」
「説教なら後でいくらでも聞く!」
フィンにとってはいつも通り『シオン達が帰ってきた』程度の認識なんだろう。
それは本来なら間違った認識じゃなかった。あんな出来事が無ければ単にベートが怒られて、シオンに呆れられるだけで終わるはずだった。
でも――そのシオンはいない。
「シオンが22層から25層に落ちた……っ」
「――詳しく話を教えてくれ」
血を吐き捨てるように言った言葉。それを聞いたフィンの目が細まる。相変わらず察しの速い相手で助かった。
フィンが立ち上がり、移動する中でベートに話を聞く。
時間が勿体無い焦りからか、半ば飛び飛びになる説明にところどころ突っ込んで、的確に状況を把握していくフィン。全てを聞き終えると、フィンは手で目を覆った。
「やってくれたな……
「フィン?」
「いや、なんでもない。すぐに行こう」
何かを察したらしいフィンだが、教えてはくれないらしい。防具を着る手間も惜しいとばかりに槍だけを持ったフィンはベートを振り向くと、
「ベートはここで待っているんだ。鈴も」
「鈴はともかく俺は行ける!」
「その体力でどうやって? どれだけ酷い強行軍をしていたのか、僕がわからないとでも思っているのか?」
「万能薬がもう一本ある。それを飲めば体力くらいっ」
フィンの顔が歪んだが、ベートに引く様子が無いとわかると、大きな溜め息をした。そして諦めたように首を横に振る。
「少なくとも18層までは気絶しないでくれ」
「ああ、根性でついていくさ」
噛み付くように答えると、ベートは鈴の方に振り向く。鈴はかなり複雑そうにしていたが、自分は足手纏いだとわかっているのだろう、頭を振りながら一歩後ろに下がった。
「遅れるなよ」
「わかってる」
多少加減している程度のフィンに全速で追い縋るベート。一瞬で視界から消え失せた二人を見送ると、鈴は空を見上げながら、呟いた。
「仲間……か」
思い出すのは最初に出会った男。旅の仕方を教えてくれた、優しいと思った相手。しばらく一緒にいて、兄のように慕ったけれど、最後は裏切られた。
それ以降、一度も仲間などと呼べる相手を作らなかったが。
もう一度だけ、信じてみるべきなのだろうか――。
「ふむ、ようわからんけど、したい事があるなら手伝うで?」
「ロキ殿、いつの間に」
ボーッとしていた内に近づいていたのか、ニマニマ笑っているロキと、呆れたように額に手を当てるリヴェリア。
「やりたいようにやり。それが間違っていたらうちが何とかする。子供はただ我武者羅に走ってればええんよ」
「それで迷惑を被るのは私達なのだがな」
無理矢理連れてこられたらしいリヴェリアは嘆息すると、
「今から追いかけても彼等を手伝う事はできない。だが結果だけは見れるだろう。どうする、決めるのは鈴、お前だ」
鈴は悩む、一瞬だけ。
「あたい、は――」
答えはもう、決まっていた。
「ふんふん、事情は大体わかったよ」
軽く言いながら、サニアは手元のスパゲティをズルズルと食べる。話半分で聞いているようにも見えるが、一応ちゃんと聞いているらしい。
最初ふざけているのかと冷えた視線を送っていたアイズも、曖昧な部分を的確に突いてくるサニアを頼れそうだと判断し、大人しくしていた。
「それで、サニアはこの頼みを受けてくれるの?」
説明やら何やらを一手に引き受け対応していたティオネが言う。
一番の問題はそこだ。事情を話してもわかったと言ってくれたところはほとんど無い。それこそここが最後の希望。これを断られたら、フィンを呼びに行ったベートを待つしかないだろう。
ティオネ、ティオナ、アイズの視線を集めるサニア。
「んー、答える前にさ、一つ。その落ちた子って『銀髪銀目』の、『女の子みたいな男の子』で合ってるんだよね?」
「え? え、ええ、そうね。本人は嫌そうな顔をするでしょうけど、それで合ってるわ」
「なら受けるよ。その子にはちょっと借りがあるし」
――借り?
そう思ったティオネだが、サニアは答えるつもりがないらしい。勘定を済ませると、アイズの後ろに回って手刀で意識を落とした。
「ちょ、何を」
「この子、限界超えてたよ。君達もそうだけど、少し休むべき。助けに行くのはいいけど、その相手が増えるのは歓迎しないからね」
先程までの快活さが消え去り、鋭い瞳で二人を睥睨する。その重さに、ティオネとティオナの肩が一気に重くなる。
いや、その重みは全く別のところから来ていた。
疲労、という名の重み。アイズ程ではないが、アイズを気にかけていたティオナも、二人を諌めるために意識を割き、その中で聞き続けていたティオネだって。
全員気絶していてもおかしくない程疲れきっている。
いや、実際二人は気絶するように眠った。
時間をかけたくない三人には悪いが、せめて一時間はきちんとした休息を取らないと話にもならない。
流石のサニアもソロで19層以降には行きたくないし、必要な代償だと割り切ってもらうしかないだろう。
店の主人に頼んで出してもらった三つの長椅子に布を被せ、三人を寝かせる。その後毛布を持ってきて体にかけると、相棒が待っていた隣の席に座った。
顔を見られないよう目深にローブを被り、一言も発さなかった彼女が喋る。
「……本当に、いいのですか?」
「ん、何が?」
「あまり疑いたくはありませんが、彼等こそが『奴等』の仲間である可能性も考えられます。下手な同情は自身の命を危険に晒すだけなのですよ」
「私だって同情だけで付いていこうと決めたわけじゃない」
多めにチップを払ったサービスなのか、水を出してくれたマスターに礼を言い、喉を潤す。カランコロンと鳴る氷がどこか面白く、コップを傾けて揺れる水面を眺めた。
「あの子達は気づいてないみたいだけど、普通、3層もぶち抜くような穴は存在しない。なら意図的にそれを作った相手が居る。わかるでしょ」
「だからこそ、です。彼等を狙った罠であれば、手助けをするあなたまで危険な目に合いかねない。行くのなら、せめて私も」
尚も言い募ろうとした彼女の口元に指をやって押し留める。何か言いたそうな雰囲気はあるが、素直に引いてくれたことに笑みを浮かべて、サニアは言った。
「二人で来たら、この事を報告する人がいなくなるでしょ。だからダメ」
【アストレア・ファミリア】は正義と秩序を守り、そのために悪を討つ者達が集う。そんな彼等が最も相手取る事が多い相手は、いつも決まっている。
「『闇派閥が動くかもしれない』――この情報だけは、持って帰らないとダメなんだ」
今までは小規模な小競り合い。だが今回は格が違いすぎる。
【ロキ・ファミリア】で、ある意味『勇者』と同じくらい有名になり始めた『英雄』を殺すような罠。それが、もしかしたら闇派閥が『行動する』ための狼煙なのだとしたら。
「こんな事はあんまり言いたくないけど、もし私が帰ってこなかったら、闇派閥は本格的に動き出したと思って」
「そんな縁起の悪いことを」
「あはは、だって私、自分で言うのもなんだけど結構有名だし? ……例え殺されるとしても、最後まで足掻くつもり」
その言葉を最後に、二人は静かに押し黙る。片方は心配で、片方は覚悟で。
――私はいい。でも、利用する形になるこの子達だけは。
サニアを諭せなかった事実に落ち込みながら、彼女は静かに時が過ぎるのを待った。
一時間が経ち、それでも三人が起きなかったのでゆっくりと揺すって起こす。かなり眠たそうにしながらそれでも起き上がった三人だが、ふと我に返ったアイズが言う。
「な、なんで私達を眠らせたの!?」
何故ここに来たのか――目的を思い出した彼女達は慌てたように立ち上がると、眠らせた張本人であるサニアを睨みつける。が、彼女にはどこ吹く風、効果はなかった。
「半分死んでるみたいに疲れきった人を連れてって倒れられたらこっちが迷惑。せめて行って戻れるくらいの体力はないと。そうでしょ?」
うぐっと言葉に詰まる。何も言い返せなかった。
それでもいち早く再起動したティオネが両手を叩くと、
「過ぎた事にぎゃあぎゃあ騒いでも意味ないわ。アイズ、ティオナ。これ以上時間を無駄にしたくないのなら、速く支度をするべきよ。――当然、サニアは行けるのよね?」
もし準備していなかったら、そう言いたげな眼光にちょっと驚くサニア。自分は彼女達くらいの時はどうしてたか、なんて詮無い事をつい考えてしまいながらも、
「もっちろん。いつでもついていけるからね」
内心を悟らせない笑顔を浮かべて答えた。
暗い。
どこを見ても真っ暗闇。魔道書を読んだ時とは正反対な真っ黒の世界。
一瞬死んだかと思ったけれど、思考できるし五感もある。だからこれは、単に光源が無いだけだと気付いた。
何があったのかはわからない。だが、少なくとも生きてはいる。だから息を殺し、起きたのを悟られないように努めて振舞う。
その一方で意識を集中させて、周囲に何かがいないか探る。けれど、人も、モンスターの気配も何もない。仕方ないので薄目を開けて夜目に慣れさせていく。
しばらくして、ちょっとだけだが周りの景色が見えるようになってきた。どうやら完全な真っ暗闇ではなく、どこかに微かな光源があるようだ。とはいえ、普通なら見えない。シオンがLv.3だからだろう、少しでも見えるのは。
目だけを動かし、けれどやっぱり遠くは見えない。
――罠かもしれないけど。
動かなければどうしようもない。動いた瞬間死ぬかもしれないが、どの道行動を起こす必要はあるだろう。
思い切って上半身を起こす。
何も起こらない。
何かが動いた気配もない。
あまりに不気味で、そこでやっと、自分が冷静になりきれてないのだと気付いた。
――武器がない。ポーチも軽すぎる。
剣はもちろん、服の下に隠しておいた短剣や、ポーチの中に入れていた食料も無い。ただ感覚的に瓶が一つだけ残っているような気がした。
意味がわからず混乱に陥りかけたとき、ふと後ろを振り向いた。
――
モンスター。敵。反射的に数歩後退し、身構えた。
こんなに接近されるまで気付かなかった自分を叱咤し、問題無いとは言え、自分の命を奪えるモンスターが目の前にいる事実に本能が警鐘を鳴らす。
――素手で倒すしかない。
武器が無いけれど、Lv.3の腕力はそれだけで大きな暴力になる。ただのアルミラージなら拳で殺しきれる。
だが油断はしない。腰を落とし、一気に接近して片を付けようとした時に、アルミラージと目が合った。
――あ、れ?
理性が本能を押し留める。
倒せと叫ぶ本能を、何かがおかしいと理性が窘める。
理解できない、わからない事ばかりだけれど、今は理性を信じた。構えを解くと、何故かジッとこちらを見つめ続けるアルミラージに一歩近付く。
ピクリと揺れたアルミラージ。それでもまだ動かないとわかり、もう一歩。
それでも動かない。刺激しないよう、一歩一歩に間隔を開けていく。遂に手を伸ばせばその体に触れる位置まで来ると、シオンは膝をついた。
片手を伸ばす。アルミラージの頬に触れる寸前までやり、止める。
――何が、したいんだろう。
モンスターを撫でようとする、などと。
誰かに言えば正気かとバカにされるような行動だ。それでも何故か、これでいいと思う自分がいるのに驚く。
その体勢のまま固まっていると、顔を見ていたアルミラージが、伸ばした手のひらに自分から頬を擦りつける。毛に覆われた頬はふわふわで、ふさふさで、温かい。
敵であるはずのモンスターが、ただの動物のように懐いてくる。その事実に、今までの『モンスターは全て敵』という常識がガンガンと叩かれ、罅が入るのを感じた。
――そもそも、モンスターって、何――?
ダンジョンから産まれる存在。
人を見つければ襲いかかってくる脅威。
時には同じモンスターであっても殺し合う化物。
――でも、それって。
ふいに、思う。
――人間と、何が違うんだ……?
人は、人から産まれる。
けれど、動物を殺し、食らう。
同族である人間を襲い、犯し、奪う。
――
その答えに辿り付きかけた瞬間だった。
「あつっ!?」
ゴゥ、と勢いよく周囲に火が灯る。それは即座に炎となり、自分達を中心にして取り囲むように炎の壁が出来上がった。
パチパチと爆ぜた炎の粉が皮膚に触れ、軽度の火傷となる。ここではダメだと判断すると、本当の意味での中心に移動する。ある程度炎の壁から離れたとき、ふと目線を降ろした。
まるでアルミラージを庇うかのように両腕で抱きしめ、この体で守っている。
――アリアナに何か意見を……まだ、寝てるか。
シオンとアリアナは五感を共有している。だがそれはシオンが優位であり、例えばシオンが眠るとアリアナも強制的に眠らされる。しかし、シオンが起きてもアリアナの方は起きない。彼女が自分から起きない限りは。
そもそもアリアナの持つ知識はシオンの持つ知識よりも遥かに少ない。産まれてから――シオンが彼女を認識してから――の年数で言えば、彼女はまだ一歳なのだし、仕方ないが。
つまり、この炎で囲まれた状況。
――決めるのか? おれが、一人で?
敵であるはずのモンスターを守るか、否か。
『シオン』という人間が、どう動くのか。
それを見定める瞳に、彼はまだ、気づけない。
ベート&鈴、三人娘、シオンでそれぞれ動いてますが、そのせいかサブタイがどんどん厳しくなっていきます。
三者はフィン、サニア、それともう一人……。
鈴が若干憎まれ役やってますけど、別に嫌いな訳じゃありません。単にタイミングが悪かっただけです。
後鈴が仲間に襲われた云々は作中で説明した通り。
基本的に登場人物に対して現実的でシビアな対応するんで、察してください。
その内彼女も信頼できる仲間になります、きっと。うん。
名前を出さなかったサニアの相棒。原作読んだ方はもうわかってるな? 読んでなくてもわかるべきだ。
ヒント
【アストレア・ファミリア】所属。
『快活な』冒険者の相棒。
ローブで顔を隠す女性。
大丈夫、名前を出してなければ彼女は単なるモブの可能性があるからね!
――ただの詭弁とか言わないで。
(……出したかったんだもの)
シオンがモンスターを倒さなかった理由はちゃんとあります。
が、そこらへん含めて全部次回。
それと今日から大学始まりました。
そこで重要なのが、コマ見てる限りかなり頑張らないとダメそうで、頑張ると結構な時間を持ってかれます。
なので、若干更新頻度下げます。
流石に月一とかはありませんが、週一、最悪十日に一度、とかになりそうです。なるだけ頑張りますが、その辺りご容赦願います。
大学生活に慣れて何とかなりそうな目処ができたら戻す予定ですが、あんまり期待しないでください。
これからもきちんと書き続けますので、どうかお付き合いを!