英雄になるのを望むのは間違っているだろうか   作:シルヴィ

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一つの終わりと一つの縁

 自身の名を呼ばれたその瞬間、アイズは全てを忘れて駆け寄ろうとした。その顔を、声を、またこうして見れた事に溢れ出る感情を堪えるだなんてできなかったから。

 だから、アイズは今にも襲いかからん表情で彼女を睨んだ。

 「どうして、邪魔するの?」

 アイズの体を押さえ、険しい表情でシオンを見つめるティオネを。けれど何も答えない彼女に歯噛みするしかないアイズは、ティオネを無視して体に力を入れた。

 だが、その一瞬の隙を逃さずティオネはティオナの目を見ると、妹は何となく察したかのように頷き、代わりにアイズを拘束してくれる。

 ――余計な心配だと思うよ?

 そんな、呆れたような顔を返されたが。

 しかし何もわかっていないアイズは、ティオナでさえ自分の邪魔をするのにショックを受けたような顔をする。このまま動かずにいれば魔法を使って大暴れされそうなので、その前にティオネは一歩、足を前に出した。

 そんな一幕を黙って見ていたシオンは、ティオナと同じくティオネの思考を読みきれていたらしい。小さく苦笑すると剣をしまった。

 「シオン」

 「なんだ、ティオネ」

 呟くように呼ぶと、シオンも同じ声量で自身の名を呼び返す。その仕草と独特の癖は、確かにティオネをして『シオン』のものだとわかる。

 わかる、が。

 「あんたは――本当に、シオン?」

 キッとシオンを睨みつけるティオネは、今目の前に立つシオンを()()()()()

 「な……ティオネ、何言ってるの?」

 苦笑するシオンに代わって答えたのはアイズだった。理解できない、そう言いたげな彼女の顔を一瞥するとすぐシオンの方を向きなおし、答える。

 「私自身の推測と、サニアからの意見を聞いて纏めた結果、今回の一件には何か人為的な物があるとわかったわ」

 小さく息を呑む気配が、二つ分聞こえる。アイズは当然、あまり知識を得ようとせず、考えるという事を丸投げしていたティオナもわかっていなかったようだ。

 「だから、25層に落ちたシオンはモンスターか、あるいはそいつらに殺された可能性が高いと踏んでいたの。――そう、考えていた」

 しかし現実は違う。シオンは今、こうして生きている。24層に行くための階段付近にいるおまけ付きで。

 「それなのに、あんたは今こうして、私達の前にいる。広大な25層を、たった一人で踏破してきて」

 そんな『偶然』を信じ切れるほど、ティオネはお人好しじゃない。

 「もう一度聞くわ。――あんたは、()()()()()()シオン?」

 闇派閥の誰かがシオンに変装したのか。

 あるいは本当にシオンなのか。

 それがわからない限り、ティオネはこれ以上シオンを近づけられない。暫定的にもリーダーを預かっている以上、『最悪』は想定して然るべきだから。

 シオンはしばらく考えていたが、ふと思い立ったように背負っていた剣をアイズ達の方へ軽く滑らせる。それは傷つけるためではなく、武器を無くすための行いだった。

 そして両手をあげて抵抗の意思は無いと示しつつ、ティオネに近寄ってくる。まさかの対応に出遅れたティオネは、しかし、

 ――シオンは、短剣を持っていなかった?

 ふと脳裏に過ぎった思考に、ゾクリと背筋が凍った。もうシオンは目の前にいる。もし短剣を素早く取り出されたら、回避できる暇が無い――!

 加速した時間の中で、ティオネの瞳はシオンの行動を捉える。片手が下げられ、何かを持つように力が緩められる。もう片方の手はティオネの肩に下ろされ、そのまま彼女を押さえつけるように力が込められた。

 逃げられ、ない。

 そう悟ったティオネの体が強ばった瞬間、

 「――――――――――」

 「……え?」

 シオンの口から放たれた言葉に、ティオネの思考は完全に凍りついた。バッと身を離してシオンを見れば、イタズラに成功した子供のような無邪気な笑顔を浮かべている。

 そして、そんな笑顔に毒気を抜かれてしまう。そうやって余裕ができるとさっき言われた言葉に意識を向ける余裕がでてきて、

 「……? ――!? ~~~~~~~~~~~~~~~!!」

 その内容に、ひたすら悶絶した。

 「な、なんであんたがそれ知ってるのよっ!?」

 奇声をあげて悶絶していたティオネにドン引きしたように身を引いている四人に気づかぬままシオンに詰め寄る。

 詰め寄られた当のシオンはまだ笑っていて、

 「いやぁ、ティオネ以外誰も知らないはずの事を知ってれば、証拠になるかなって」

 クスクス笑うシオンに、ティオネは顔を真っ赤にして襟首を掴んで揺する。そのまま脅すように低い声を出した。

 「言うな。誰にも言うな。言ったら」

 「言っちゃったら?」

 「――切り落とす」

 何を!? と思わず固まるシオンの胸に、ティオネは一度、額を押し付けた。

 「お、おい?」

 「……何でもないわ」

 何でもないにしては声が掠れているし、鼻声のような気がする。けれどティオネは顔を俯けたままシオンに背を向けると、ティオナに言ってアイズを解放させてやる。

 アイズは困ったように眉を寄せてティオネを見るから、彼女の頭に手を置いて言った。

 「安心なさい、どうやらアレは本物みたいだから」

 「う、ん。……ごめんね、ティオネ」

 なぜ謝られたのだろう、と首を傾げながらアイズを見送ると、ティオナが近寄ってくる。

 「あんたは行かなくていいの?」

 「あー、私としてもシオンに抱きついて、良かったって言いたいのは山々なんだけど」

 珍しく歯切れ悪い妹の態度に疑問を覚えていると、やがて意を決したように向き直り、

 「泣いてる姉が、心配だから。アイズに遠慮したげる」

 「え?」

 泣いている――そう言われて目元に手をやると、小さな水の粒が付着していた。ああ、アイズが誤ってきたのはそのせいか、と妙に冷静な気分のまま理解する。

 自覚すると、ティオネの胸中に浮かんだのは多大な安堵と、喜びと、そして小さな怒りが綯交ぜになったもの。

 それが溢れたのは、押さえつけていた想いが解消されたからだ。

 ポタポタと頬を伝って落ちていくのを何度も拭って、ティオネは泣く。

 言いたい事は色々あった。けれど、シオンを見た瞬間、本当に彼女が言いたかったのは、疑いの言葉ではなく。

 ――生きてて、よかった。

 たったそれだけの、簡単なものだったのに。

 ティオネはその立場故にそうできなくて、喜びを誤魔化して疑うしかなかった。そうまでしたのは自分の、ではなく後方にいた者達の安全のため。

 それがわかったから、アイズは謝ったのだ。全てを押し付けた事に対して。

 「い、いいのよ、私は別に。それに、私よりもあんたが泣くべきでしょ? だってティオナは」

 「うん、でもいいんだ。私もシオンが落ちた時は心配してたし、生きてるってわかれば安心できたけど」

 信じてた、とティオナは言い切る。

 「シオンは絶対に生きてるって信じてたから、大丈夫」

 だから、

 「私の代わりに、ティオネが泣いて」

 「……わ、私は別に、シオンが好きな訳じゃないのよ。ティオナが泣かないのに、私が泣くなんて意味がわからないわ」

 「あれ、そんな事言っちゃうの? ティオネだって知ってるのに」

 小さく笑うティオナは、本当に気負った様子が無い。

 「――恋する乙女は強いんだって」

 だから大丈夫なのだ。強がりでもなんでもなく、泣かなくたって平気。

 「でもティオネは、シオンと仲の良い友達で、パーティの仲間って関係だから。『生きていて』とは思えても、『生きている』って信じきれなかったんじゃないかな」

 その些細な違いが、ティオナとティオネの差異。

 「だから、ティオネは泣いても不思議じゃないんだよ?」

 意味がわからない。わからない、が――。

 敬愛する団長、フィンがシオンと同じ状況になったら、ティオネも生きていると信じぬけるような気がしたから、その妙な理屈に納得してしまった。

 納得してしまえば後は速い。本格的に泣く前に、ティオネは言う。

 「……泣いてる姿は、見られたくないわ」

 「私の後ろに隠れてたらいいんじゃないかな」

 それに素直に甘えて、ティオネはただ、シオンが生きていた喜びで涙した。

 

 

 

 

 

 「……気まずい」

 ちなみに、遠くから彼等を見ていたサニアは、接近してきたモンスターをひたすら狩っていたりする。

 「いつ近寄ればいいのかなぁ」

 どうにも近くにいける雰囲気じゃないので、彼女はそうボヤいていた。

 

 

 

 

 

 「シオン、だよね」

 「おう。アイズもよく知ってるシオンだが」

 言外に、紫苑の花や他のシオンではないと冗談を口にしていたが、アイズにはそれを気にするだけの余裕がなかった。

 落ちていくシオンに絶望して、誰からも止められて追いかけられない自分の弱さに歯噛みして、焦燥感を抱えながら助けを得て――こうしてシオンの姿を目の前にしても止められて。

 グチャグチャに掻き混ぜられた感情に名前を付けるには、余りにも意味不明にすぎる。だけど今抱えている感情は、とてもわかりやすい。

 アイズは脱兎の如く駆け出して、シオンの体に抱きついた。驚きながらもアイズを受け止めるシオンの体は汚れていたが、そんな些細な事を気にしていられない。

 「……っ」

 シオンだ、とわかる。シオンの内側にある『何か』の力が感じ取れる、だけではない。そこにいるだけでも、アイズにはシオンだとわかるのだ。

 だけど、見るのと触れるのでは大違い。確かにそこに存在している確信を得たアイズは、抑えていた感情を解き、

 「う……ぁ……良か、った」

 ただ静かに、涙を流す。

 大声で泣き叫ぶには、抱えていた感情が多すぎて。震える唇から漏れる声は、意味のなさない音の羅列。けれど、それがアイズの想いを如実に表していて、シオンは困ったように眉を寄せながらアイズの頭を撫でた。

 頭を撫でられると、アイズの体が小さく跳ね上がる。しかしすぐに揺れはおさまり、ただ静かに撫でられ続けた。

 一体どれほど涙し、頭を撫でられたか。泣きすぎてちょっとだけ意識が朦朧としていたアイズはその声に目を覚ます。

 「そろそろ、私も疲れてきたんだけどなー」

 困ったように、けれど微かな疲れを滲ませているその声の主は、

 「……誰だ?」

 「あ、初めまして。君がシオン、でいいんだよね。私はサニア・リベリィ。【アストレア・ファミリア】って言えば、わかりやすいかな」

 「大体わかった。ティオネ達に力を貸してくれてありがとう」

 「あはは、どういたしまして。こっちとしては借りを返すのと、色々思うところがあったからってだけなんだけどね」

 続けてサニアは、本当はもうちょっと時間をあげたかったんだけど、モンスターが近づいて来るから、と前置きして、

 「そろそろ移動しないと、私でも処理できない量になるから、さ。感動の再会は終わりにしてもらえる?」

 「ご、ごめんなさい……」

 思い切り時間を取らせたアイズとしては赤面ものだ。シオンから距離を取って、恥ずかしさに顔を下げてしまう。

 そんなアイズを見て一瞬からかいたそうな顔をしたサニアだが、状況が状況なのですぐにその感情を引っ込める。そして仕草でシオンの剣を返すように伝えると、

 「それは気にしてないからいいよ。ところで、シオンはまだ戦える? 戦えないなら移動のペースは考えるけど」

 その言葉に三人がシオンの体を見つめる。よくよく見ればシオンの体はかなり汚れている。だけじゃなく、かなり傷ついていた。

 服は返り血と、異様に乾ききって乾燥している部分が混在している。顔や体も、まるで水分が抜けきっているかのようにカラカラだ。細かな傷もあって、そこから血が流れてもいる。骨折や手足の切断なんかの重傷を負っていないだけマシだが。

 「問題ないよ。さっきまでこれで戦ってたんだし」

 念のため回復薬を飲んで体力を回復。それでも心配そうにする三人を他所に、シオンはサニアの横に立つと、

 「それじゃ、おれとサニアで前方の敵を処理。三人は後方と左右の警戒、敵が近づいてきたらあしらってくれ」

 『指揮高揚』を使って【ステイタス】を補助(ブースト)

 初めて感じる背中の熱に戸惑ったような目を向けるサニアを置いて、シオンは駆けた。

 流石というべきなのか、シオンとサニアのコンビは目を見張る働きをした。『指揮高揚』の効果もあって、上へと行けば行くほど敵を処理する速度が上がっていく。

 「すっごい便利だね、これ」

 思わずこの『スキル』の詳細を知りたくなったサニアだが、そういうのを聞くのは御法度なので聞くに聞けない。

 もしシオンが【ロキ・ファミリア】に加入したばかりならスカウトどころか無理矢理引き抜いたかもしれないほど強力なスキルだと思うのに。

 モヤモヤとした物を抱えたまま18層に戻る中で、サニアはそういえば、とシオンに聞いた。

 「君を見つけた時に『後少し』とか言ってたように思えるんだけど、アレって何?」

 「え? ああ……そういえば言ってなかったな」

 どうにも慌てっぱなしで言う余裕が無かったのだから仕方ないが。

 「25層でおれが生きてたのは、助けられたからなんだ。それがなかったら、多分死んでたと思うよ」

 「助け……? どんな人?」

 「……かなりの強面? リドって言うんだけど――知らないか」

 「知らないなぁ。そんな名前の人いたっけ」

 なら偽名かもしれないな、とあっさり言うシオンに、ティオナとティオネは疑問を覚えた。けれどそれが形になる前にシオンは続けて、

 「少なくとも嘘を教えられた訳じゃないし、それでいいよ。次にいつ会うかもわからない相手だしな」

 そう言われてしまえば、誰も何も言えなかった。

 サニアなんかは、

 ――闇派閥の人? でもシオンを助ける理由がないし……。

 と考えていたが。

 そう、誰もその疑問を口にしなかった。気づいてすらいなかった。

 シオンはリド、という名前しか告げていない事実。つまり、そのリド某は、ソロでダンジョンに潜っていた可能性が高い、という事に――。

 

 

 

 

 

 25層から18層へ、ありえない速度で戻る。

 Lv.4のサニアと、それに迫るシオンが敵を処理。二人には劣る物の足の速いアイズ、ティオナ、ティオネが追随しきった結果だ。

 途中でアイズの魔力が切れない程度に風の魔法による追い風を使ったのも理由だろう。18層へ戻った瞬間、体がクタクタになっていたが、それでも戻ってこれた。

 「時間にしてみれば一日程度なのに、何十日も経った気がする……」

 18層の大樹を見上げながらそうボヤくシオンに、三人は凄く同意したかった。

 サニアはといえば、まだ体力が余っていたので19層から18層まで自分達を追いかけてくるモンスターの処理をしている。このまま追いかけられると迷惑だからだ。

 そして、モンスターの処理を終えたサニアと、『二人』が彼等を視認したのは同時だった。その二人を、少し遅れてシオンも見つける。

 けれど、二人を見つけても動く気力の無かったシオンと違い、二人は余力があったらしい。片方は最後の気力を振り絞るように走ってきた。

 「シオン、アレって」

 「予想通りだと思うぞ?」

 シオンの近くで座っていたアイズがシオンに問えば、すぐに返される。その顔に浮かんでいるのは何だったのか、アイズにはわからない。

 「――よう。どうやら生きてたみたいだな」

 「何とかな。気絶しそうなのを堪えてる状態だけど」

 「ハッ、死んでないだけマシだろうが。それともどっかで野垂れ死ぬのをお望みか?」

 ただ、シオンとベートはお互いが何を思っていたのか、わかっていたらしい。

 見上げるシオンと見下ろすベートの間には少しの距離がある。横を見たアイズはフィンを見つけたが、フィンはシオンの顔を見て安心すると、すぐにサニアのところへ移動してしまう。

 「いやぁ、まだ死ぬのはゴメンだね。やりたい事は色々とあるし」

 「……そんなら、あんな無茶な真似は自重する事だ」

 何時も通りの掛け合い。

 だが、そんな掛け合いができる事自体が奇跡のような物だと、わかっていた。ベートはシオンの前で片膝を付くと、シオンの胸――心臓のある部分に、拳をぶつけた。

 微かな痛みに片目を閉じて耐え、ベートを見る。しかしベートはその前髪で自身の目元を隠していて、顔を見るのを許さない。

 「…………………………が」

 「え?」

 「なんでもねーよ、バーカ。ったく、無駄に疲れる事させやがって」

 あっさり離れていくベートに、アイズは何がしたかったんだろうと首を傾げてシオンを見る。そのシオンは苦笑を浮かべていた。

 ――心配かけさせんな、クソが。

 本当に素直じゃない、そう思いながらシオンは離れたところで天上を見上げるベートに、ありがと、と口だけで答える。

 聞こえていないその言葉に応えるように、ベートの尻尾がふらりと揺れた。

 

 

 

 

 

 「……生きていた、らしいな」

 そんな光景を、気づかれないように見ていたリヴェリアが言う。

 フィンの後ろを追っていた二人。本来なら追いつけないはずなのだが、ベートが疲弊しきっていた事と、フィンが二人の存在に気付いて速度を抑え気味にしていたから、こうしてここにいるのを許されていた。

 リヴェリアの顔にあったのは安堵。しかし魔道士たるもの『大木の心』持つべきだという自論があるリヴェリアの顔は、傍から見れば全く動いていない。わかるのは近しい者くらいだろう。

 当然鈴にはわからないが、そんな事を気にしている余裕は無かった。

 ――本当に、生きていた。

 生きていると皆が言い、助けるために行動して、そして、シオンは帰ってきた。もし何もしなければ、シオンは生き残れなかったかもしれない。

 実際に状況がわからないから想像するしかない鈴は、羨ましいと素直に思った。

 ――互いが互いを信じ合う。言葉にすれば簡単なそれも、現実にすれば難しい。

 それを容易にしてしまう彼等の関係が、羨ましい。

 人を、仲間を作るのを恐れていた鈴には、縁の無い関係だったから。

 「あの者達を――信じても、いいのだろうか」

 「私には何も言えない。お前の事はフィンから多少、聞いているが……過去の出来事を吹っ切るのは難しい」

 実際、シオンは、そう言いかけて思い留まる。代わりに言ったのは別の事だ。

 「それでも、信じてみたいと思い至った時点で鈴、お前は変わろうとしている。その想いを変えずにいれば、近い未来、心底から信じられるようになるさ」

 「そう……ありたいものだな」

 本当に――そう思う。

 

 

 

 

 

 「やはり、これは人為的な物なのか?」

 「そっちもそう思ってるなら、ほぼ確定だと思うよ。闇派閥がどうしてあの子を狙ったのかは知らないけどね。そっちは知ってるの?」

 「…………………………」

 「……言いたくないなら聞かないでおくね」

 「すまない、ありがとう」

 「ううん、正直私は関係ない事だから。それで、もし闇派閥が本格的に動き出したら、そっちはどうするつもりなのか聞いても?」

 「こちらとしては奴等を倒すのに依存無い。ただ、【ロキ・ファミリアは】僕の私物じゃない。あくまでロキが作り上げたものだ、自由にはできない」

 「……そう。残念」

 「ただし」

 「……?」

 「僕の――『勇者』としての力はいつでも貸そう。今回の出来事は僕も頭にきているからね」

 「それだけで、十分です。あなたの勇気に感謝と、仲間を傷つけられた怒りを察します」

 

 

 

 

 

 ある程度休憩してから地上へ戻る間、シオンは色々言われまくった。そりゃもう散々に言われまくった。

 体力よりも精神的な疲労に肩を落としてホームに帰り、ロキの突進をどうにかやり過ごして体の汚れを洗い流すと、ご飯を食べるのも面倒だとかっ食らって自室に戻り。

 ほぼ死に体で戻ったシオンは、誰にも言わなかった紅色の宝石を取り出した。ヴィーヴルにとって何より大事なその紅色の宝石の輝きに目を細めると、シオンは机の引き出しに入れた。

 「鍵、作らないと」

 それからこの宝石を保管する箱も。

 しかし今は、それをするだけの気力がない。倒れるようにベッドに横になる。そして、眠る寸前にシオンは思い返した。

 リドに出会ったその瞬間を――。

 乾ききった声で呻きながら、シオンは目を覚ました。

 「う、うん……?」

 思い通りに動かない体と、奇妙な視界に疑問を覚える。目の前にあったのは、乾燥させた枝のように荒れ果てた腕。

 誰の――そう思いかけて、これが自分の腕だと気付く。ゾッと背筋を泡立たせ、すぐに立ち上がろうとするも、棒のような手足は動いてくれない。

 そんなシオンの口に何かが突っ込まれる。気配を感じなかったせいで混乱しかけたが、口の中に入ってきたそれがよく知る液体だとわかったら、少しだけ落ち着いた。

 流石は万能薬と言うべきか、酷く荒れていた体がマシになる。完治、というにはまだまだ思うところがあるも、さっきの状態に比べればいい。

 そう言えばこれを飲ませてくれた相手にお礼を、と思い顔を上げると、

 「……。…………………………?」

 ありえない物を見たシオンの目が丸くなり、ゴシゴシと両目を擦る。それからもう一度見直してみるが、やっぱり見えるものは変わらない。

 「――蜥蜴(リザード)(マン)?」

 片手に鉄製の剣を、もう片方の手には万能薬を入れていただろう瓶を。その瓶の存在が、シオンに万能薬を飲ませたのはコイツだと示している。

 「ぁーんー……色々気になるし正直困惑しきりなんだけどさ」

 ガリガリと頭を掻いて、全部を吹っ切るために一度天井を見上げて、リザードマンに視線を戻すと、

 「助けてくれてありがとう」

 手を差し伸べてみる。起き上がらせてくれ、という意味も含めていたが、リザードマンにわかるかな、わかるわけないか、そう思っていたら。

 「おう、どういたしましてって奴だな。ほれ」

 「……え」

 当然のように。

 シオンの意思を汲み、その鋭い爪で手を傷つけないように、なんて気遣いをしながらシオンの手を掴んで引っ張った。

 起き上がるもたたらを踏んでしまうシオンの体を押さえてくれるリザードマンに、シオンは戸惑った目を向けて、

 「……話せんの?」

 「おう、一通りな。あ、でも変な言葉……あー、スラング? とかはわかんねえから」

 ――そもそもモンスターが話せるなんて状況を想定していないんだが。

 ワケワカラン、と顔を強ばらせるシオンにリザードマン、いや彼? は服を放り投げてきた。

 「上半身裸のままってのも寒いだろ。サイズが合わないかもしれんが、それで我慢してくれ」

 「あ、いや、あ、ありがと……」

 服を着てる間に彼は他にも色々持ってきてくれた。

 ポーチ、その中身の物資、剣など。元々シオンが持っていた物に加えて、多少の食料まで持ってきた。

 「腹ごなしって奴だ。腹が減ってる状態で自己紹介とか、気分が乗らないんだよ」

 「それも、そうだな。いただき、ます」

 どうにも慣れない。シオンはこれまで多くのリザードマンを倒してきた。リザードマンにも個体差があるから、恐らく顔にも違いがあるのだろうが。

 見分けのつかないシオンからすると、『殺した相手と同じ顔をした人間が喋っている』という奇怪な状況になっているのだ。

 どうしても口数が減って食事に逃げてしまうシオンに、彼は目を細めると言った。

 「……食うのを、ためわらないんだな」

 「ん?」

 「いや、オレっちの外見は怪物(モンスター)だろ? そんな得体の知れない物が出したもんを、あっさり食べたのに驚いてな」

 「……おれを殺したいなら、もうとっくに殺してるだろ?」

 「油断させたいだけかもしんねえぞ」

 「相手が悪意を持ってるかどうかは見ればわかるよ。ま、頭ん中弄られてたらわからんが、それならもう手遅れだし」

 もう訳わかんないから色々諦めた、と言ってシオンは続きを食べる。とにかく腹が減って仕方がない。食わなきゃ死にそうだ。

 「そういや自己紹介だっけ?」

 「おう、元々はそれが目的だったな。オレっちはリド。種族はもうわかってるだろうが、あっちと違って理性があるし、きちんと話せる。別モンだと思ってくれ」

 「了解。おれはシオン。他に言うべきことは無さそうだから、これだけで」

 短い自己紹介が終わると、リドと名乗ったリザードマンは顎――のと思しき部分――に手を当てて面白そうに笑う? と、

 「シオン、か。なら『シオっち』だな」

 「は?」

 「ま、気楽に行こうぜシオっち!」

 「お、おう……?」

 全くもって理解ができない。が、助けられているのは事実なので、一度肩の力を抜いた。リドはその事に気付いてまた笑うと、シオンに気づかれないよう『彼女』を呼んだ。

 ぴょん、と跳んできたそれは一角兎。それはリドを一度だけ見ると、胡坐をかくシオンの上に飛び乗った。そのまま丸くなって占拠してしまう。

 「お、アルルがそこまで懐くなんて珍しいな」

 「アルル――って、まさかメス!?」

 ユラユラ揺れる長い耳がシオンの体にピスピス突き刺さる。それに対して大笑いすると、シオンは不服そうな色を浮かべ――そこで、一度固まった。

 「なぁ、リド」

 それは、声音にも表れている。

 「ん、なんだシオっち」

 気付いていないはずがない。リドは多分――シオンよりも『強い』のだから。

 だけど、シオンはどうしても聞かなければいけない事があった。それを聞かない事にはどうしようもない。

 「どうして、おれを助けたんだ?」

 そう、その理由を聞かない事には。

 「言葉を話せるモンスターはいない――それがおれ達の常識で、実際おれもそう思っていた。だから、リドみたいな奴は多分、滅多にいないんだと、思う」

 「……それで?」

 「種族的には同じはずのリザードマンと行動を共にしてるわけでもない。だけど、さっき言ってた『別モン』がそのままその通りなら……もしかして」

 基本的にモンスター同士が争う事はまずありえない。時折あるが、それでも余程の事情がなければそうはならない。

 だが――リドが他のモンスターと根本的に『別モン』なら。

 「リドは、人間からも、モンスターからも、疎まれてる、のか?」

 人間からすれば、リドはそこらのモンスターと『同じ』であり。

 モンスターからすれば、自分達とズレているリドは『別モン』なのだ。

 そうやって排斥され続けた者は、周囲に不信感を募らせる。誰も信じられなくなれば、誰かを助けようなんて気力は出てこなくなる。

 リドはシオンの言葉を飲み込み、ああ、と頷いた。

 「確かにオレっちは誰からも疎まれた。人間に近づけば襲われ、同じ見た目なはずのリザードマンからも剣を向けられて――独りぼっちだった」

 「なら、どうしておれを」

 「ま、オレっちが本当の意味で独りじゃなかったってのが一つ目だ」

 リドの視線はアルルという一角兎に向けられている。その目にあるのは仲間、あるいは家族に向ける親愛の情だ。

 「オレっちと同じ『理性のあるモンスター』がいてくれた。だからオレっちは、心が折れずにいれたのさ」

 「守るべきものがあるから?」

 「おう、そこは人間も怪物も変わらないんだぜ」

 そして二つ目、と人差し指と中指を立て、

 「オレっちはさ、外に行きたいんだ」

 「外? つまり、地上?」

 「おう、呼び方はなんでもいいんだ。こんな薄暗い、ジメジメした場所じゃない――青く光り輝く空を、こことは違う安らぐ暗闇を与えてくれる空を、見に行きたい」

 だが、リドの見た目は『これ』だ。外に行こうとした瞬間、数の暴力によって瞬く間に殺されてしまうだろう。

 「だから人間の中で協力してくれる奴が必要だった。だけどな、そんな簡単にオレっち達が信用できる、相手がオレっち達を信用してくれる奇特な奴はいない。これでも探し始めて数年経ってるんだぜ?」

 「それは……」

 何とも言えない。もしかしたら自分が赤子の時からその協力者を探しているという相手の想いの深さには。

 「ん? でもそれとおれを助けた理由は同じじゃないよな?」

 「いや、同じだぜ? 言っただろ、協力者を探してるって」

 「……まさか」

 「おう、そのまさかって事だ」

 リドはピシッとシオンを指差し、

 「――あんたが、オレっち達の協力者第一号になってくれるかもしれない相手ってわけだ」

 驚くような言葉を、放り投げてきた。

 「おれが? 協力者に? どこを見てそう判断したんだよ?」

 「実を言うとな。オレっちはヴィーヴルに謝ってるお前さんを見てたんだよ」

 「ッ!?」

 「いやぁ、あの時は驚いたぜ。まさかモンスター相手に心底から謝るような変人がいるなんて思ってなかったからさ」

 見られていた。

 その事に気恥ずかしさを感じて赤くなってしまう。思わず視線を逸らすと、リドは大きな声で笑った。

 「ハッハッハ、そう照れるな! ま、そんな訳でオレっちは倒れたお前さんに一縷の望みを賭けてここに連れてきたのよ」

 「……それで、協力者になれるかどうかを試すために、アルルを使ってまであんな真似をしでかしたと?」

 「おう、わかっちまうか。そうだぜ」

 「なるほど、そりゃ()()()()()だな」

 ニヤニヤと笑っていたリドの顔が驚きに変わる。その表情の変化はわかりやすく、シオンにも簡単にわかった。

 リドはその表情のまま問うた。

 「なんで、オレっちとアルル以外にも仲間がいるってわかった?」

 「あの炎。アレ、お前が出した訳じゃないだろ。なら他に『炎を出せる』仲間がいるはずだ。お前の様子からすると、結構な人数になりそうだけど……」

 違う? と聞けば、カマかけられた、とリドは顔を手で覆った。その顔の下に隠された目は鋭くなっている。

 ――殺しちまう、か?

 人間の協力者は欲しい。だが仲間、家族の命の方が、彼には大事だった。

 「それで、結局リドはどうして欲しいんだ? 流石に無理な事は請け負えないんだが」

 「……ん?」

 「いや、だから協力して欲しいんだろ? その内容は? って」

 「協力……してくれんのか」

 「最低限、命を助けてくれた恩を返すくらいはするつもりだよ」

 思わずシオンを二度見すると、アルルが呆れたようにリドを見上げていた。

 ――やっぱ、こういう『心の機微』ってのは女のが優れてるのかね。

 やはりというべきか、シオンを完全に信じるのは難しい。だが、家族の事は信じている。

 「そう、だな。正直今してほしい事は無いんだ。将来的には色々してもらうかもしれないが」

 「……おれが途中で死ぬ可能性、考えてくれよ?」

 呆れたように言うシオンに、リドはちょっとだけ、本心から笑った。

 「……で、ここを曲がれば24層に行けるはずだぜ」

 「よし、わかった。わざわざ教えてくれてありがとう」

 「あんたに死なれるのはこっちも困るからな。当然って奴だ」

 腹ごなしを終え、リドに道を教えてもらったシオンは装備を整え、立ち上がる。最後にアルルを一度撫でて背を向けた。

 そんなシオンの背中にリドは声を投げる。

 「次の機会があったら、今度はオレっちの仲間を紹介するぜ」

 「それ、おれがソロで来る事前提だよな? 何年先の話なんだかわかって」

 また呆れたように言いながら振り返ると、思いのほか真剣な瞳はシオンを見ている。押し黙るシオンに、リドは敢えて言った。

 「オレっちは、まだシオっちを信じきれてない」

 「……だ、ろうね」

 「だから、信じさせてくれ」

 リドは真っ直ぐにシオンを見つめ、

 「信じてよかったと――思わせてくれ」

 彼にとって人間を信じるのは、自分の命を懸けるのと同じくらい重い。その重さにシオンは息を呑み、そして笑った。

 「おう、いつか絶対思わせてやる」

 ――今思い返しても、夢のように思える出来事。

 「夢、じゃないんだよな……」

 きっとまた、リド達と出会う事になるだろう。

 その時までに、もっと強く。

 強くなって、今回の恩を返せるように――そう思いながら、シオンは眠った。

 

 

 

 

 

 今回の出来事で大きく変わった点がいくつかある。

 あの大穴を作った事への警戒から『鈴が【ランクアップ】するまでは19層までしか行かない』という事と、もう一つ。

 「あの、もうちょっと離れてくれないと、動きにくいんだけど……」

 「ダメ」

 「だから、少しだけでいいんだ。な?」

 「イヤ」

 「……ハァ」

 アイズがシオンの背中からくっついて離れなくなってしまったことだ。




と、いう訳で今回の一件はここで終了!
色々と面倒なお題を出して次に進むつもりですが……ヤヴァイ。中身が完成してない。実は第一話の構想すら悩んでるとか言えない。

次はいつも通り閑話に走る予定。
今回ティオナの出番少なかったなーと思うんですが、実は前から書きたかったお話があるのでそっち優先する予定です。

何とも言えませんが、次回もお楽しみに!

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