英雄になるのを望むのは間違っているだろうか   作:シルヴィ

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閑話 彼の一番でいたい

 私はずっと、あなたの事が大好きです。

 『――大丈夫。もう敵は倒した。よく、頑張ったね』

 どうしようもないくらい弱い私が悪意に飲み込まれかけた時に、誰より速く駆けつけてきてくれた事を、今でも忘れていません。

 『僕の目的はね、一族の復興だ。自分達の信仰していた女神がいないとわかって、衰退してしまったけれど……』

 何度もせがんで、あなたの願いを知りました。

 『確かに女神は存在しない。だが、それで信仰心を無くすのは間違っている。とはいえ、弱者の言葉なんて誰も聞いてくれないからね。だから少し考えを変えた。――僕は、いっその事一族の旗印。希望の象徴になってしまおうと思ったんだ』

 女神という存在に信仰する代わりに、世界に名を馳せる自分を見て、誇りに思って欲しい。

 確かに自分達は弱いが、決して強くなれない訳じゃないんだ、と。そう言って、あの人は女神に言ったのだ。

 『だから、見守っていてくれ。女神よ』

 存在しない『何か』を信じて見守っていてほしいと言い切れる心の強さ。そんな自分の考えを押し付けない理性。

 そして、常人なら諦めるような事をやってのけた決意と覚悟。

 あの時に、私は自覚した。ううん、気付いていなかった想いを理解しただけ。

 私は、この人を好きになってしまったのだと。他の人なんて目に入らないくらい、大好きになったんです。

 だから、本当はわかっていた。

 「大丈夫か? 怪我があるのなら手当しよう、傷が悪化したら不味いからね」

 「い、いえ、大丈夫です。それより、助けてくれてありがとうございます」

 「同族を助けるのに理由はいらない。だから、その謝罪もいらないよ。次からは厄介な相手に絡まれないようにね」

 笑いかけるあの人を、潤んだ瞳で見上げる小人族(パルゥム)の少女。そんな少女の態度に気付いているのかいないのか、手を差し伸べて立ち上げる。

 「今回は助けられたけど、次は助けられるかわからない。その時は、どうか勇気を持って欲しいんだ」

 「勇気、ですか?」

 「ああ。悪意に立ち向かうか、それとも逃げるか。『行動』を起こすには勇気がいる。戦うのも逃げるのも、弱い頃は選びにくい。僕らは、小人族だしね」

 「……ええ。体も小さくて、力も無い。いつも影では馬鹿にされてます」

 「よく知っている。でも、いやだからこそ、勇気を持って。僕らは弱いが、戦えない訳でも逃げられない訳でもない。動くための小さな勇気を、忘れないで」

 嘲られるのを許容し俯き耐えないで、顔を上げて言う。

 ――小さいから何もできないなんて、誰が決めたんだ! と。

 その言葉を聞いて、弱気な彼女の顔が少しだけ変わる。弱気な表情に、ちょっとだけ自信が宿り始めたのだ。

 「できるかどうかは、わかりません。ディムナ様のように、私の心は強くありませんから」

 「そう、か」

 「だけど諦めない。ディムナ様の言う『小さな勇気』を、忘れずにいます」

 そう言った少女に慈愛の宿った顔で見つめ、嬉しそうに笑っている。

 ……私は、それを物陰から見つめていた。いつもならあの人の元へ走っていくのに、今はそんな気分になれない。

 胸が、痛くて痛くて仕方がない。

 わかっているのに。

 わかっていたのに。

 私はアマゾネスで、あの人は小人族。種族が違う。年だって凄い離れている。私はまだまだ弱くて、力の差もある。

 でも、諦めたくなんてない。

 結ばれたい。

 頑張り続けるあの子のように、私も頑張り続けて振り向いてほしい。

 愛しています、だからあなたに愛してほしい。

 だけど――それは、多分……。

 

 

 

 

 

 結局声もかけられず、逃げるようにホームへ帰ってきた私は、とぼとぼと自室へ戻るために足を動かす。両手にある薬は決して落とさないように注意している事が、落ち込んでしまう心を支えてくれた。

 「ティオネ、重いのか? 手伝うよ、半分貸して」

 「あら、シオン。そうね、ならお願い」

 そんな時に現れたシオンが、いつもと変わらぬ優しい顔で私の荷物を持ってくれる。私もLv.3だから、こんな荷物は軽い物なんだけれど、女の子に対する対応としては十分。

 「そういえばアイズはどうしたの? 最近いつも引っ付いてるのに」

 「ああ……いや、ちょっと鍛錬の相手をしてな」

 「まさか、失神させたの?」

 「人聞きの悪いことを。単に頑張りすぎて疲弊しただけだ」

 それでなんでシオンは普通にしているのか。アイズの相手を務めたなら、相応に疲れているはずなのに。色々思うところはあったけど、聞くなと言いたげなシオンを見て聞くのは諦めた。

 さて、と歩き出してから数分後。

 「それで、何か落ち込む出来事でもあったのか」

 シオンは、私の顔も見ずに言った。その言葉は問いかけであったが、同時に断言しきっていた。思わず立ち止まる私に倣うように、シオンも足を止める。

 こちらを見たシオンの顔を見られず、視線を逸らしてしまった。

 「何も、無いわ」

 「……勘違いだったか。変な事を言ってごめん」

 シオンはそう言って引き下がる。私が触れられたくない、そう思ったから、疑問を抱いても聞かないでいてくれたんだろう。

 何も話せない私の代わりに、シオンは色々な事を話しかけてくれる。気まずいだろうに、それを感じさせないくらい明るい声音。

 それで、少しだけ気が紛れた。

 私の部屋にたどり着くと、シオンは入ってもいいかと聞いてくる。シオンなら冗談でも変な事はしないとわかっていたから気にせず部屋に入れて、そのまま荷物を置いてもらう。

 それだけしたらさっさと部屋を出ようとしたシオンが、一度振り返ってくる。少しだけ悩んでいたシオンは、それでも言った。

 「悩み事があるならいつでも言ってくれ。全力で何とかするから、頼って欲しいんだ」

 「……なんで、そこまでするわけ?」

 「仲間だから、じゃ理由にはならないかな」

 当たり前のように、真剣な眼をして私を見るシオン。そこに冗談は見当たらない。いや、言った言葉を嘘にしない人間なのを、私はよく知っている。

 ……本当なら、誰にも言わないつもりだった。

 それでも言ってしまったのは、誰かに言いたかったのと、アドバイスが欲しかったから、なのかもしれない。

 椅子に座って、私は今日見た事を言ってしまう。もちろん客観的な事実のみで、自分の感情を交える事だけは、しなかった。

 それを言うのは、シオン相手でも、嫌だったから。

 聞き終えてしばらく悩んでいたシオンは、

 「都合のいい理想(ユメ)と、現実的で厳しい話。どっちから聞きたい?」

 「え?」

 極々自然に、そう言ってきた。

 私では『恋を諦める』くらいしか思いつかなかったのに。思わず喉を鳴らして、私は前者を選んだ。

 「簡単に言うと、ティオネがフィンの使命を忘れさせてしまうくらいに惚れさせてしまうこと」

 「な、何よそれ」

 「フィンを自分に惚れさせて、『君だけがいればそれでいい』的な状態にする事だよ」

 あの理性の塊のようなフィン・ディムナを惚れさせる。それだけでも難しいのに、使命感を抱き続ける相手をそこまで言わせるなんて。

 それでは余りに都合がいい。……だからシオンは、都合のいい理想と言ったのだろうけど。

 「無理でしょ、それ」

 「物事に絶対はないよ。不可能ではない。限りなく不可能に近いとしてもね」

 誰かが聞けば誤魔化しているようにしか思えないだろうけど、これを本心で言っているのだからどうしようもない。

 「それで、厳しい方は?」

 「いっそ本妻になるのを諦めること」

 苦虫を噛み潰したかのように、苦渋溢れる顔で言うシオン。シオンだって本当は言いたくないのだろう、だから私も冷静に先を促せた。

 「フィンの役目は『小人族の希望の象徴である続ける』って事だ。そして、フィンは実際にその理想をやってのけた」

 では、その先は? とシオンは言った。

 フィンは既に三十代半ば。『恩恵』の効果もあって見た目は少年にしか見えないが、本来なら自分達程度の子供がいてもおかしくないのだ。

 その理由をシオンは知らない。

 知らないが、わかる部分はあると言う。

 「フィンはきっと、自分の子供にもそれを望んでいる。だからこそフィンの連れ合いは自分と同じ小人族しかありえない」

 一代限りの『勇者』では、あっさりと小人族の希望は消え失せる。だからこそ次代へ、更にその先の子孫も『勇者』でいてほしいと考える可能性が高いのだと。

 「フィンにとって何より優先すべきはその使命だ。フィンは、恋や愛を求めない。これは想像だけど、妻にする相手にはフィンなりの基準があるんだろうけど、絶対的な前提がある」

 「……それは?」

 「純粋な小人族であること。人間ではハーフになるし、ハーフの小人族でもダメなんじゃないかと思う。あくまで純潔の小人族。そうじゃなければ希望の象徴にはなりえない……んじゃないかなって」

 シオンは最後だけ、困ったように言う。

 そういえば、シオンも詳しい話はわからないんだった。あまりにもわかりやすくて現実味のある話だから思わず呑み込まれかけたけど。

 ……でも、大部分は合っている気がする。

 だからこそ、シオンの言葉の意味がわかった。

 『本妻にはなれない』――その意味を。

 私はアマゾネスだ。そして、アマゾネスは相手の男性がどの種族であっても、産まれてくる子は例外無くアマゾネスになる。

 女だけしかいない私達が生き残ってきて特異な性質。

 そしてそれは――次代の勇者を求めるフィン・ディムナにとって、意味のない性質なのだ。

 「じゃあ、私は……団長とは、結ばれないって事なの?」

 「そうとは言っていない。おれはあくまで本妻を諦めろ、と言っただけだから」

 「側室とかなら、可能性はある?」

 「あるいは妾とかなら可能性はある。ただ、その場合でも幾つか気をつけるべき点がある」

 そう言ってシオンは問題点をあげだす。

 まず、私という側室を本妻が歓迎する理由はない。ほぼ確実に疎まれる。そうなれば私は耐えるしかない。

 ただの側室でしかない私と、次代の勇者を産める本妻。団長にとってどちらが大事なのかは……その時にしかわからないんだろう。

 ならば妾は、というとこれも微妙だ。何故ならそれは、誰から見ても私は『お遊び』の相手でしかないと認識されるから。当人達の感情は別にしても、世間の目とはそれだけ辛い。

 どちらにしても、私の恋が成就するには茨の道しか存在しない――シオンは、そう言い切った。

 何というか、シオンは損をする性分かもしれない。私から恨まれるだろうに、私が考えもしなかった嫌な部分に目を向けさせたのだから。

 「話はわかったわ。要するに私が頑張るしかないって事でしょ」

 「……?」

 「仮に側室になれて本妻に邪魔に思われたとしても。私がその本妻とやらと和解すればいい。妾になってしまったのなら、私と団長がどれだけ愛し合っているのか、その世間とやらに知らしめてやればいい。……ほら、シオンの言う『問題』なんてあっさり無くなるわよ」

 自信満々に告げてやれば、シオンは驚いたような顔をする。

 ふん、私はあんたを恨んでやったりなんかしないわよ。そんなあっさりとてのひらを返すくらい浅ましい女だとでも思われてるんだとしたら、心外なんだから。

 もちろん私が今言った解決方法は、何年もかかるとわかっている。でもね、『物事に絶対は無いんだ』と言い切ったあんたは、この言葉を否定できないでしょう。

 「何というか、強いんだな、ティオネは」

 「今更気付いたの? 遅すぎ。そんなあっさり色々割り切れるくらいなら、私は何年も団長を好きでいないんだから」

 シオンのくれた言葉は将来起こる可能性を示唆している。未来の事は少しわかった。後は、私がどれだけ頑張れるか、それだけだろう。

 だけど。

 そんな決意をしている私を、シオンが申し訳なさそうに見つめていた事に。

 私は最後まで気付けなかった。

 

 

 

 

 

 その次の日。

 ティオナが私に妙な目を向けていたのを不思議に思いながら、私は朝食を取りに行く。その時向かいから来た人達が、やっぱり変な顔をしてきたので不快な気分になった。

 ……何なのよ。どいつもこいつも『ありえない物を見た』とでも言いたげにして。

 だけど、そんな事を気にしてなんていられない。

 私はこれから頑張ると決めたのだ。些細な事を気にしてイラついていたら、その決意が鈍ってしまう。

 よし、と気合を入れ直し、私はそれまでの事を忘れる。思い返すだけ無駄だ。

 そして止めていた足を動かそうと、一歩前に踏み出した瞬間。

 思い切り、片腕を掴まれた。

 「――!?」

 反射的に相手を叩きのめそうと動いた体が、完璧に押さえ込まれる。そのまま不審者は私を空き部屋に連れ込んでしまう。

 私が急いで悲鳴をあげる前に、そいつは慌てたように目の前に移動した。

 「ちょ、ちょっと待ってティオネ! おれ! おれだから!」

 「……は? シオン?」

 焦りまくったその顔を見て、私の心に宿った恐怖が一気に冷め、次いで怒りに染まった。本気で殴りだそうとする腕を押さえつけてシオンに、一応、聞く。

 「弁明の機会をあげる。納得できなかったら……」

 「あー、いや、そのぅ」

 妙に視線が泳いでいるシオンに、ますます私の目は疑惑に染まっていく。そしてシオンは、気になる事を言った。

 「見てられなかったから、かな」

 「はい?」

 それだけ言うとシオンは背を向け、深皿に水を入れると指を一本突っ込み、魔法を使った。即座に終わった魔法だが、冷えていたはずの水が熱湯になっている。

 そこに取り出したハンカチを入れて濡らすと、絞ってから私のところに戻ってきた。

 「目が腫れてる。……泣いてたんだろ」

 「何言ってるのかわからないんだけど。私、泣いてないわ」

 「自覚なしってのが一番悪いんだぜ。ほれ、目にこれでも被せておけ」

 「わぷっ」

 目に押し付けられたハンカチ。十分に温められていたそれは、私の目を覆った。その時ふと思った事を口にする。

 「どうやってあの水を沸騰させたの」

 「よくわからないんだが、電気は物に熱を宿すみたい? なんだ。だからきちんと魔力を制御すれば、水に電気を宿さないで熱する事だけできる……?」

 何故か疑問符だらけの解答。まぁシオンもよくわかってないのかもしれない。その後しばらく会話は無くなり、沈黙してしまう。

 そうしていると思い出すのはさっきのシオンの言葉。

 『目が腫れてる。……泣いてたんだろ』

 アレがもし事実なんだとしたら、いや事実なんだ。シオンは嘘を言わない。だから、私はきっと泣いていた。

 朝、ティオナを始め皆が変な顔をしていたのは、『私が泣いていた』という事に気づいたからなのだとわかれば納得がいく。

 もしかしたら、私は寝ている間に泣いてたのだろうか。そうなら私に自覚が無いのも納得できてしまう。

 そして私は、いつしか眠ってしまった。

 耳に残ったのは【マジカルメイクアップ】という言葉――。

 

 

 

 

 

 ふと目が覚めたとき、私はベッドの上で眠らされていた。どうみても自室じゃないし、眠る前に立っていたから確実にそうだろう。運んだのはシオンだろうか。

 「ハンカチも無くなってる、し……?」

 呟いた言葉に私は固まる。

 ――何、これ。

 どう聞いても、()()

 私の――声の高さが、変わっていた。

 自分の口から漏れる、自分の声じゃない声。それは途方もない違和感を呼び、私に恐怖を植え付ける。それに耐えられず、私は飛ぶように立ち上がると部屋を出た。

 少なくとも、シオンがいた時の私は正常だった。

 ――シオンを、探さないと!

 そうして慌てていたから、私はもっとわかりやすい事実に気付けていなかった。

 窓にはめ込まれたガラス、それが映していた『白金』の髪を靡かせる見覚えのない少女の姿があった事を。

 外に誰がいるのかも確認しなかったため、誰かとぶつかりかけた。言葉少なに謝ると、私はシオンの姿を探してホームを走り回る。ところどころで人を見つけるが、それは私の探し人である彼じゃない。

 というか、私を見る人の目がおかしい。さっきの私以上にだ。

 意味がわからない。

 だけど愚痴を吐いている暇もなく、私はただ駆けていく。走り出してから、多分三十分くらい。ようやっと見つけたシオンの服を引っ張ると、無理矢理振り向かせた。

 「シオンッ、これどういう事なの? なんで私の声が変わってるのよ!」

 「……は?」

 不可解な事象に苛立つ感情に身を任せて叫べば、シオンは顔を変える。それは『誰だこいつ』と言いたげだった。

 なんで、答えてくれないのよ。それどころか赤の他人を見るような目をして。

 「小人族(パルゥム)がおれに何の用だ?」

 「――――――――――」

 今度は私が絶句してしまう番だった。

 私が、小人族? そんな訳無いじゃない、だって私はアマゾネスなのよ。だけど、私は本当は気付いていた、でも目を逸らしていた事実に目を向ける。

 窓ガラス。そこに映っていたのは、私とは似ても似つかぬ少女の姿。

 白金の髪は膝よりも下に届き、空色の瞳は垂れていて優しく見える。体つきも随分違った。ダンジョンで冒険してできた筋肉が無くなっていた。

 顔の個々のパーツの配置が私とは違っていて、この私が『ティオネ・ヒリュテ』だと一目で見抜ける相手はいないだろう。

 それは、シオンだって当てはまるはず。

 私はふらふらと揺れながらシオンから離れる。そのまま背を向けて、理解したくない現実から逃げようとしたとき、シオンが私の肩を掴んで止めた。

 「よくわかんないけど混乱してるんだろ? だったら一人にならない方がいい。そうだな、ついてきてくれ」

 「……わかった」

 ……初対面の相手にもシオンが優しいというのは、知っていた。

 だけど、今はその優しさが心に染みる。だから、拒否は、できなかった。そう、そのせいで私はこの後の展開を予測できなかったのだ。

 小人族である私を相手にするのであれば、最も適任なのは同族。

 そして、この【ロキ・ファミリア】でシオンが誰より付き合いのある小人族。それが誰なのかなんて、少し考えればわかるはずなのに。

 「フィン、後は任せた」

 「流石にそれだけじゃ意味がわからないから、もう少し詳しい説明が欲しいかな」

 「見覚えのない小人族がいた。混乱してるっぽいから放っておけなくて、でも人間であるおれが対処するのも不味いんじゃないかと思ったからフィンに任せたい」

 「なるほど。まぁ、僕も今日は暇だから、別にいいよ」

 そんな会話を、私は固まったまま聞いていた。

 ――え? 団長? この姿の私を、世話してくれる?

 降ってわいたご褒美に、私の心ははしゃぎ出すのと同時に、慌ててもいた。二人っきりなんて絶対に疑われる。何せ見知らぬ相手がホームにいたのだ。警戒しない理由がない。

 顔には出さないようにしていたから大丈夫だと思う。そう自己暗示をかけていた私に、団長が声をかけた。

 「まずは自己紹介からかな。僕はフィン・ディムナ。君の名前は?」

 私の体が、固まった。

 名前なんて、一つだけしかない。でもそれは言えない。言っても信じてもらえるかわからない。そう考えて怯えた私は、

 「ティ、リア。です」

 逃げた。

 本当の事を告げず、全くの別人の名前を出す。だけど勇気が出なかった。偽名を言っても改善しないとわかっていたのに。

 「ティリアか。いい名前だね。それじゃ、行こうか」

 「え……?」

 「何か混乱する出来事があったんだろう。だったら外の空気でも吸って落ち着くべきだ」

 立ち上がった団長が私の手を握る。こんな状態なのに、それでもドキンと跳ね上がる心臓が、私の本音を表していた。

 「任せたよ、フィン」

 「ああ。シオンも頑張ってくれ」

 短い応答。

 その言葉の意味を、今の私は知らない。

 ホームの外へと連れ出されながら、私はどうしようと思い悩む。こうして団長に連れてかれてる訳だけど、本質的に私は小人族じゃない。きっとどこかでボロが出る。

 それでも団長の好意で朝食を貰い、お腹を満足させていると、少し肩の力が抜けた。

 「――緊張は解れたかな?」

 「え……わかってたのですか? その、申し訳ありません」

 「混乱してる状況で見知らぬ相手がいれば、そうなるのも無理はないさ」

 実際はそれ以外の理由なのだけれど、その勘違いに乗って頷いてしまう。団長はそんな私を優しい顔で見やると、大通りから逸れて横道へと入った。

 そこからどんどん曲がりくねっていく道を進んでいき、どれくらい経っただろう。

 やがて見えてきたのは、市壁。通ってきた道から考えて西南西の壁だ。

 「なんで、ここまで?」

 「あそこが、目的地だからさ」

 団長の目的は街の端っことも言えるところに建っているのは『小人の隠れ家亭』という酒場。この店の名前から何となく察せられるが、恐らく小人族専用の店。

 看板にも共通語で『小人族以外入店お断り!』と書かれているので、私の想像はきっと合っているはずだ。

 団長に促されて入ってみたこの店の第一印象は、小さい、それに尽きる。

 元々店の外観からして小さかったのだが、店の中もそれに応じて小さくなっている。それはきっと看板にあった通り『小人族のための酒場』だからだ。

 だからなのか、ここにいるのは全員小人族。働く側も、お客も、誰一人例外なく。思わず目を丸くして団長を見れば、私の驚きを見てか、くすくす笑った。

 「いや、すまない。サプライズが成功したのが楽しくてね。趣味が悪いと言われればそれまでなんだが」

 「……悪趣味じゃなく、相手を喜ばせるためなら、いいと思いますよ」

 私が否定せずにそう言うと、団長はありがとうと言ってまた笑う。そこでふと入口で立ち止まっていたら迷惑になるかな、と思って店内に視線を戻せば、異様に注目を浴びていて、一歩後ろに下がってしまう。

 ところどころから聞こえる言葉に耳を傾ければ、ほぼ全て『あのフィン・ディムナが女連れで店に来た!?』というような物だった。

 そういえば、今の私は外見上小人族だ。気付いた瞬間、思ってしまう。

 ――今の私なら、もしかしたら……。

 そこまで考えて、私は思考を打ち切った。そんな事を考えても意味はない。何より団長を騙して得た物に意味があるのか。

 今はいい。でも、いつかの将来できっとバレる。その時の団長の顔を想像するだけでも、気分が落ち込んだ。

 そこでまた意識を周りに戻すと、一部の人――主に女性――が私を見ているのに気付く。その視線の先は私の顔、というより体。

 思い出してみれば、私の服装は普段より露出が少ない――気分を入れ替えるために新品の服にしていたのだ――とはいえ、小人族から見れば露出過多。嫌悪感を抱いてもおかしくない。

 まぁ、今更恥ずかしいとは思わないけど、団長にどう思われているのかだけは、気になった。

 「座ろうか」

 しかし団長は、嫌悪感など微塵も感じさせない笑顔を見せるだけたった。

 恐る恐る来た店員に案内されて、席に座る。でも私はさっき色々と食べてしまったから、あんまりお腹は空いていない。それがわかっている団長は、料理は自分の分だけ注文すると、私にはジュースとデザートを頼んでくれた。

 「さて、これからどうしたものか。そもそもどうして君はうちのホームにいたのかな」

 「それが、私にもよく……気づいたらああなっていて」

 「ふむ。となると、ティリアは誰かに連れられた可能性が高いな。それなら話は速い。親元のところへ連れて行こう」

 親のところ――そんなのいない。

 アマゾネスの母はいるが、ここ何年ずっと会った事がない。もしかしたら死んでいるかもしれないと思ってしまう程に。

 ティオネでそうなのだ、架空の存在であるティリアにも親がいるはずない。

 「ご、ごめんなさい。私には、親が」

 騙している、という実感がある。誰より敬愛する団長を騙す罪悪感で俯くと、団長は殊更明るく言った。

 「なら、適当に街を見てまわろう。そしたら解決策が見えるかもしれないからね」

 その提案は渡りに船だった。何度も小さく頷くと、その間に料理が置かれていた。団長がそれに口をつけているのを見ながら、私もデザートを口にした。

 食べ終えて代金を払うと、私達はさっさと店を出た。本当ならもっと談笑するのが正しい使い方なのかもしれないが、話す事が無い私達はそうできない。

 出るときも異様に注目されているのに気付いていたが、振り返らずに大通りへ戻ろうとする。

 ――これから、どうしよう。

 団長に言われてやっと理解した。今の私には、誰も頼る相手がいない。

 何せ『ティリア』には過去が無い。誰一人として『ティリア』を知らないのだ。それが、私の心を冷え込ませる。孤独感を感じさせてしまう。

 ただ生き残るだけなら簡単だ。ダンジョンに行けばいい。姿は変わっても【ステイタス】に刻まれたものは変わらないらしく、ソロでも中層までは問題なく戦える。

 だけど――それはもう、シオン達と笑い合えないという事で。

 当然、団長とも……。

 胸が痛む。心臓が締め付けられる。思わず胸元を握り締めた。こんな、泣きそうな顔を見られたくなくて顔を逸らすと、その先で一瞬、小さな子供が追いかけられているのが見えた。

 その後ろを追っているのは大の大人だ。ただ、その動きにはかなりの余裕がある。私の予想だと多分、Lv.2。わざと追いつかないように走っているのは、あの子をいたぶるためだ。

 胸糞悪い。反射的に足が動こうとして――私を縫い止める手の感覚を思い出す。

 ――追いかけて、どうするの?

 『ティリア』が『恩恵』を受けていると知られれば、それは厄介事を生む。一番は親がいないと思っている団長を騙していたと悟られること。それは嫌だ。

 なら、見捨てるしかない。どれだけ気分が悪くても、目を逸らして、見なかった事にして日常を歩めばいい。一番賢い選択だ。

 それでも目を逸らせずにいると、泣きながら走るあの子の口元が動いたのがわかった。

 ――おかあ、さん。

 「――ッ!!」

 助けて――そう言っているのかわかった瞬間、私はもう自分を騙せない。

 「ごめんなさい!」

 「ティリア!?」

 一言謝ると、駆け出す。団長を置いて走り出した私は、すぐに横道へ入って二人を追う。けれどどうやら曲がった先は行き止まりのようで、すぐに目視できた。

 一方的に男が何かを話していて、あの子の顔が恐怖に歪んでいるのを楽しんでいるのがわかる。イラつく感情が私の四肢に力を入れた。

 「こんの、悪趣味男!」

 飛び上がり、膝を曲げる。その膝の先を男の頭にぶち当てようとしたが、流石にLv.2になれた程度の才能のおかげか、避けられた。まぁ無様に転がるハメになっていたので良しとしよう。

 私は勢いそのままにその子の前に着地すると、肩越しに振り返って笑顔を見せた。

 「――もう、大丈夫よ。お姉さんに任せなさい!」

 「あ……」

 さて、安堵してくれたみたいだし、これ以上振り向いている暇はない。守りながら戦う可能性が高いのだし、隙を見せる暇は無い方がいい。

 男は血走った目で私に脅しの言葉をかけてくる。ただ奇声に近いその罵声、意味が通じないのよね。そもそも、

 「自分よりも弱い相手に怯える必要なんて無いわよ」

 「あ……?」

 「あら、通じてない? あんたは、私より弱い。わざわざ二度も言わせないで。お猿さんでも一度言えばわかってくれるんじゃないかしら」

 そう挑発してみれば、額に血管を浮かび上がらせた男が突貫してくる。相応に体術を修めているのか、中々ハマっているみたいだけど。

 「遅すぎ」

 シオンの方が、もっと上手い。

 無手でも戦えるように、私達と戦っていたシオン。フィンとの戦いのために暗殺術を覚えたせいかもっと面倒になったシオンを相手にしてたの。

 もう片方の手に針を持ってるみたいだけど、

 「透けて見えるわ」

 敢えて懐に飛び込んで、向けられた拳を握って破壊する。悲鳴をあげかけたその口を、掴みっぱなしの拳を引っ張って上体を倒させると、膝を真上にはね上げて相手の顎に打ち付ける。何か嫌な音がしたし、最悪歯が欠けたか抜けたかしたかもしれない。

 それでもまだ意識があるっぽいから、はね上げていた膝を伸ばして、男の鳩尾に蹴りを叩き込んで終了。

 名乗る必要もない、しようとも思わない雑魚だったわ。

 んー、と背筋を伸ばす。なんかスッキリした、そう思いながら振り返ると、あの子がポカーンと口を開けて呆然としていた。

 「ほら、もう大丈夫。言ったでしょ? お姉さんに任せなさいって」

 そう言うと、やっと現実を認識できたのか、瞳に涙を浮かべて私に抱きついてきた。反射的に抱きしめ返して、そこで気付く。

 ――女の子だったの。

 じっくり見てる暇が無かったからわからなかったけど。そりゃ怖いはずだわ。

 「ティリア、これは一体……」

 「ッ!」

 遅れて到着した団長の声に、私の肩が跳ね上がる。首を回して顔だけ振り返ると、団長は男を見下ろして、訝しげに私を見つめていた。

 どうしよう――そう思って、私は腹を括って事実を言う事にした。

 「この子が、追いかけられていたんです。それを見たら放っておけなくて、助けに」

 「そうか、二人共無事で良かったよ。できれば僕に言ってからにしてほしかったけどね」

 ごめんなさい、と私が謝れば、私に抱きしめられていた女の子がムッとした顔で団長を睨みつけていた。今にも何か言いそうだったので頭を撫でれば、やっぱりムッとしてから、それでも私の意を汲んで黙ってくれる。

 「これから、どうしましょうか」

 「まずはこの男の処遇かな。これについては僕が対処しよう。それが終わったら、次はその子を親のところへ連れて行かないと」

 その指示に従い、まずは男を兵に連れ行ってもらう。その時団長が何か言っていて、兵は頷き敬礼した。

 それを終えると、女の子の親探し。オラリオは広く、親を探すのには苦労したけど、

 「――エリンッ!」

 「おかーさん!」

 陽が傾く前に見つけられたし、お互い泣きながら抱きしめ合う様子を見れば、苦労をした甲斐があったと思える。

 頭を下げてお礼をしたいと申し出るのを断り、名残惜しそうなエリンにまた会えると告げて、見守ってくれていた団長のところに戻る。

 「いいのかい? もしかしたら家に泊めてくれたり、上手くやれば働き口を探してくれたかもしれないのに」

 「いいんです。私は私がしたい事をしただけなんですから」

 団長は私がそう言った事に、ちょっと嬉しそうにしてた気がする。

 なら代わりにと、【ロキ・ファミリア】に泊めてくれると団長は言った。元々自分の家に泊められるというのは変な気分だけど、素直にその申し出を受けた。

 「ティリア、もう今朝の混乱は落ち着いたのか?」

 「ええ。余計なお節介をしてくれた人のお陰で」

 本当に、大きなお世話だったわよ。

 でもそれがあったから、私は気づけたんだろう。全くもう、恋愛事には疎いクセに、なんで他人の事になると誰より速く察せられるんだか。

 そう呆れながら、星が見えだした空を見て、思う。

 ――側室や妾なんて、嫌だ。やっぱり私は。

 

 

 ――団長の一番でいたい。

 

 

 どれだけ気丈に振舞っていても、私の無意識はそんなのイヤだと叫んでいた。その事を側室や妾の話を終えた瞬間にシオンは気付いてて、申し訳なさそうにしていた。

 でも私はそれに気付かず、だから眠っている間に泣いていたのだ。

 諦めようと思った。一番は無理でも、二番でいいんだと。そうするしか、結ばれる事は絶対にないんだと。

 抑圧して、耐えて、それが無難な選択だと思い込もうとして、できない。

 自覚している。私は人一倍、独占欲が強い。だから、仮に団長に他の女ができてしまったのだとしても、『一番』は譲れない。

 なら――そう、とても簡単だ。

 そもそもシオンは言っていたではないか。

 『フィンが使命をどうでもよく思えるくらい、惚れさせてしまえばいい』

 それをしてしまえばいい。どれだけ茨の道であろうと、『不可能ではない』んだから。そう思えてしまえば、気持ちは楽になった。

 夢物語だと思いたければ笑え。

 私はその嘲笑を力に変える。そしていつか、結ばれる。

 恋する乙女は、強いのよ!

 

 

 

 

 

 とはいえまず元の姿に戻らなければ始まらないのだが、次の日には元に戻っていた。どうしてかティリアは『やる事がある』と言ってどこかに行ったという話になっている。

 「――それで、弁明は?」

 「何もないよ。殴りたければいくらでも殴れ」

 あんたならそう言うと思ってたわよ。

 そもそも、私が小人族になっていた原因がこいつ以外にいるとは考えられない。私がティリアになっているのに気付いていたから、シオンは簡単に団長のところへ連れて行こうとしたのだ。

 感謝はしている。シオンがいなければ、私はきっとこの恋を諦めていただろうから。一番じゃなければ耐えられない私が、一番を目指さないなんてありえないんだし。

 だから、

 「ていっ」

 「アダッ!」

 デコピン一発で勘弁してあげるわ。

 「ありがと、シオン」

 小さな声。それこそ聞こえたかどうかもわからない声量で、感謝する。答えは求めてない。だから私は、照れを誤魔化すように外に出た。

 ああもう、顔が熱い。

 こんな風になるのはやっぱりシオンが原因よ。私だけが照れてるのに、シオンはきっと苦笑しているだけに違いない。

 同じ目に、合わせてやる。

 「ねえシオン」

 「どうしたティオネ」

 私が部屋を出て行かない事を不思議に思っているシオンに、私は言ってやる。

 「もし団長がいなかったら――私はあなたを好きになっていたかもね」

 「……? ――は!?」

 思いっきり目を丸くして、ちょっとだけ赤くなっていた。それを見て目を細めれば、からかわれたとわかったのか抗議しようとしてきたのを、部屋を出て逃げる。

 それから急いで走れば、部屋を出たシオンが私を追いかけてきた。

 ――ま、そっちにはいないんだけどね。

 もうちょっと周りを見なさい。物陰とか。

 私はシオンがいなくなったのを確認すると、立ち上がって反対側に行く。すると、丁度向こうから団長が歩いてきた。

 何時も通りに挨拶をして横を通った瞬間、

 「やっぱり、そっちの方が『らしい』よ、ティオネ」

 「え……」

 偶然か、と思いながら振り返ったけど、団長はおはようと手をあげて、そのまま一度も私を見ずに行ってしまう。

 団長に、バレていた?

 かもしれない。その可能性が高いと思う。

 あーもう、やっぱりデコピンじゃ足りなかった。恥ずかしいったらありゃしない。

 でも、ですよ団長。

 姿が変わった私に気づいてくれたこと。

 とっても、嬉しかったです。




今回は割かし現実的な話。原作でのフィンの目的からしたら、ティオネって実はかなり辛い立場にいるよなとか思ってたので。

ちなみにティオネを見た人達が驚いていたのは『普段泣かないティオネが泣いていた』のがわかったから。
ティオネが泣いた原因は『シオンに言われた一番になれない』という事実のせい。
そのせいで抑圧された想いだけど、追われいた女の子を助けるかどうかで悩んで、でも助けあ事で抑圧されていた感情を解放。一番でいたいと自覚し、決意する。
後は諸々の原因がシオンであると、全部終わってから推測して突貫。見た通りです。

女の子の感情変化なんて私にはさっぱりわからないので、どこかしら違和感があったら教えてくれると嬉しいなーなんて。
男の恋愛感情の変化もわかんないのに、それが異性とかハードル高すぎぃ。

次回は普通に本編戻ります。
タイトル? 考えてない。そもそも序盤からどうしようか悩んでるくらいですしね!
割と本気でどうしよう……。

最後にUAアクセス40万突破ありがとうございます。
お気に入りも3000件超えそうだし、何かやろうかな。無理の無い範囲で。

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