英雄になるのを望むのは間違っているだろうか   作:シルヴィ

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醜悪な闇

 仕切り直した最初にベートが行ったのは、双剣の回収だった。どちらか片方でも回収しなければ武器が無い。このウォーウルフ相手に素手は、流石に遠慮したかった。

 一応、牽制程度の短剣は投げておいたが、投げなくても結果は変わらなかったかもしれない。相手はその場から動かず、ベートが剣をそれぞれ回収するまで待ってくれたのだから。

 ――こいつの思考が理解できねぇ。

 時間稼ぎ。それはわかった。だが、それにしたって自分をさっさと殺せば、そんな真似をする必要など無いのだ。援軍が来る、という様子でもない。

 わからない。わからないから、不安になってくる。

 「……チッ」

 一つ舌打ちし、脳裏を過ぎったそれを捨てた。回収した双剣の内片方を鞘にしまう。久しぶりの片手剣。この戦い方は、本当に最初の頃、それこそシオンとティオネ、二人と喧嘩したすぐ後くらいだろうか。

 扱い方を忘れていなければいいのだが。そう思いつつ、ベートは剣を構えた。剣を握っていない方の手は自然体で何もしない。というか、下手に力を入れると更に血が噴出して、貧血になってしまう。

 相手も回復までは許してくれないだろう。このままやるしかない。

 ――行くぜ。

 トン、と軽く地面を蹴る。今度は最初から全力では戦わない。一応、両肘と両足にある火薬はまだ残っているが、それももう織り込み済みで対応される。

 それでも警戒心は植え付けられる。まずは、ジャブ。ストレートは入れない。

 ウォーウルフの目の前で一瞬止まる。それは相手の剣のギリギリ外。……相手は来ない。怪我をした足を押して動くほどでもない、ということか。

 ならば、とベートは間合いに入る。まだ動かない、そこをすかさず、腕を伸ばしきらない、勢いもない突きを叩き込む。

 それを、怪我をしていない足の先を軽く動かし、体勢を変えるだけで避けた。だがベートの突きは軽い物、剣の真ん中辺りが相手の体の横を通り過ぎた瞬間、ピタリと止まる。それから一気に真横へ振り抜いた。

 ガキンッ、という音と共に剣が受け止められる。十字のように交差した剣によって、軽々とベートの剣は止まった。

 受け止められたのなら、とベートは思い切り剣を引く。それを剣を握る柄を握り締め、ウォーウルフは耐えた。

 ギャリギャリギャリ、と歪な音と火花を散らし、お互いの耳と目を責め立てる。それでも相手の全てを見据え、次の展開へ移行した。

 エンジンを暖めるように、お互いの本当の力量を確かめるように剣を振る。本来の戦い方である双剣には及ばないが、それでもやはり、ベートの剣はそれなりの技術があった。

 しかしベートの剣は全て受け止められる。元々手数を用いて戦うベートは、一撃一撃が軽い。剣速を速める物の、片手では限度がある。尽く無効化された。

 一方ウォーウルフの方は受け止めながら反撃するも、全て回避されてしまう。ベートは無理に攻め込もうとせず、不利と見るや体勢を立て直すため間合いの外へ出てしまうのだ。片足を怪我している以上、無理矢理追い立てればウォーウルフの方が危うくなる。

 お互いがお互いに決定打を入れられない。受け入れない。だから、戦闘にも大きな推移が起きることはない。双方相手にとって最も嫌な展開を脳裏に描いているため、それをさせないように注意しているからだ。

 ――このまま戦っても、勝ち目は薄い。

 ただでさえ激しく動いているのだ。体力は消耗し、酸素を運ぶ血液と、それを送る心臓は激しく脈打つ。その結果、出血している手からダラダラと血が零れおちていく。相手もベートとそう変わらない。

 ただ、ここで一つ大きな差があった。

 ――体格差である。

 未だ子供であるベートと、平均的な成人男性よりも大きな体格を持つウォーウルフ。先に失血死するのは目に見えている。

 血が無くなれば思考に淀みが出る。淀みが出れば、戦闘に支障が出る。そうなれば、その一瞬の隙を突かれて負けてしまう。

 ――そうなる前に、勝負に出るしかない。

 ベートはそう考え、一旦大きく距離を取った。相手に背を向けず、対峙したままバックステップで一歩、二歩と下がる。感覚で壁が近くなったと悟るや否や、全力でジャンプ。壁に足を付けてもう一度跳ぶ。それから一気に天井付近に行くと、逆様になって()()した。

 そのまま、天井を走る。長時間は無理だが、短時間であれば問題はない。そのまま相手の真上にまで移動し、そのまま飛び降りた。

 当然相手も動いていたが、織り込み済みだ。ほぼ真上からかなりの速度で落ちていくベートを、回避できないとわかったのか、ウォーウルフは構える。

 ――迎撃、いや受け止めるつもりか。

 恐らくベートの四肢に取り付けられたギミック。それを警戒したのだろう。まぁ、その考えは間違っていない。これがあれば、ベートは空中でも動けるし、その気になれば二段ジャンプさえ可能である。反動が酷いし、体勢を保つなんてできるわけもないが。

 まず、ベートは足裏の火薬を爆発させた。それによって一気に加速し、お互いの距離が勢いよく縮まった。それでも、ウォーウルフに焦りはない。多少速度が変わった。ならばそれを入れて対応すればいいのだ、と。

 ――それくらいできるのは、俺だって知ってるよ。

 シオンにだって、できるのだから。

 ドン! という音が響く。それはベートがもう一度火薬を爆発させた音だ。ただし、それは加速のためではない――()()()()()だ。

 より正確には、()()()()()()()()()()()()()()()ために減速した、のだが。

 ――だから、対策だってあるに決まってんだろうが!

 ウォーウルフは受け止めるつもりだった。だから、ベートが剣を振るタイミングに必ず合わせてくる。そこに、眼前で肘に仕込んだ火薬を破裂させればどうなるか。

 ただでさえベートの一挙一足を見逃さぬよう注視していたのだ。そこを襲う視界の暴力。

 ――一瞬だ。一瞬でいい。相手の動きを止められれば――!

 ベートは内心で吠えながら、もう片方の足の火薬を起動した。それによって再加速したベートは剣を振り被る。そうしながら念のため、血みどろに染まったもう片方の手で、小さな短剣を取り出しておく。

 ――持ってくれよ、俺の体。

 急加速、急停止、急加速を繰り返したベートの片手と両足、体全体に負荷が伸し掛かる。それを歯を噛み締めて耐え、頭に剣を突き刺そうとし、

 「ガッ……!?」

 煙の中から、腕が生えてきた。

 その腕がベートの肩を押さえ、動きを止める。更に間髪入れず、剣が飛び出てくる。そのままでは心臓一直線のそれを、体を動かして避けようとし、肩に突き刺さった。その痛みのせいで、血みどろの手に握っていた短剣が地面に落ちる。

 「ガアアアアァァァァァァァッ!??」

 堪らず悲鳴を上げるベート。それからすぐに煙が晴れ、そこから見えたのは両の瞳から血涙を流すウォーウルフの姿。

 ――こいつ、目をやられながら……!?

 耐えた。耐えやがった。普通なら目を閉じる場面で、痛みに耐えながら、タイミングを見極めて反撃してきた。

 だが、まだベートは死んでいない。

 肩に剣が突き刺さり、剣を持つ手に力が入りにくい。

 ――()()()()()()

 「舐めんじゃねぇぞ、俺をォ!!」

 剣を持つ手が跳ね上がる。その剣は狙い違わず己の肩を掴む腕に突き刺さる。だがウォーウルフも刺さりきった瞬間腕に力を込めて、抜けないようにした。

 しかし逆に握っていた手からは力が抜け、ベートの体を支えるのは、逆の肩に刺さった剣のみになった。当然自重には耐え切れず、ブチブチという音と共に肉が千切れ、ベートの体は地面に落ちた。

 「――――――ッ!!?」

 新たな痛みに体が悲鳴を上げようとする。だが叫ぼうとする体を押さえ、すぐに起き上がろうとして顔を上げた時に見えたのは、黒。

 「――ごっ!?」

 ガン、と顔に走る激痛。それによって、蹴られたのだと理解した。脳を揺らされ、一瞬ベートの意識がトんだ。

 そのままウォーウルフはベートの頭を足裏で押さえつける。そのまま全体重を込めて、ベートの頭を潰そうとして、しかしできなかった。そこまで柔らかい頭ではないらしい。

 仕方なしに剣で心臓を抉ろうとする。自分の心臓が抉られる――そうなるのを、意識を取り戻したベートは理解した。

 理解したから、すぐに行動した。完全な回避はできない。どこかしら怪我をする。そして、それがこの後の戦闘において致命的な怪我になる、というのもわかっていた。

 だからこそ、

 ――悪いが。

 ベートは、確信した。

 ――()()()()()

 この後の戦闘などありえない。ここで、終わらせる!

 その思いと共に、ベートは両腕の火薬を爆発させた。それによってベートを踏んでいた足が、一気に持ち上げられる。

 ベート自身の力だけなら押さえられただろうが、爆発の勢いがプラスされれば不可能だ。それがわかっていたから、ベートはボロボロの体を立ち上がらせる。

 ウォーウルフの体は泳いでいた。しかし、それでも確かにその剣はベートの体を貫いた。

 「どぉでもいいんだよ、そんなのは!」

 痛みで、言葉がおかしくなる。視界が霞む。

 ――その全てを、切り捨てる。

 ベートは足を振り上げた。というか、両腕に力が入らないせいで、もう足しか動かす事ができないのだ。

 それがただの悪足掻きに見えたのなら、そう思った奴の目は節穴だ。

 振り上げた足は、ベートが絶好の体調の時と変わらない。凄まじい速度で蹴り上げられたそれはしかし、避けられた。

 ――と思ってるのか? あめぇよ!

 ズバン! とウォーウルフの身体に裂傷ができる。それは深く、深く、深く――一目で致命傷だと、わかってしまう。

 ベートの切り札。フロスヴィルトの効果によって、ウォーウルフの身体に避け得ない死を刻み込んだ。

 どうしてか、倒れゆくウォーウルフの目に浮かぶ『何故?』という感情が、ベートには手に取るようにわかった。

 「椿特製のフロスヴィルト。効果は単純、魔法の効果を吸収し、その特性を上乗せした攻撃に変換する」

 教えるのは、それだけだ。それ以上は教えない。教えないまま――ベートは血だらけの手にもう一仕事だと、鞘から剣を抜き放ち、ウォーウルフの首を、落とした。

 「もう一度言うぜ」

 その体が完全に崩れ落ちるのを横目に、

 「俺の、勝ちだ……!」

 ベートはそう、言い切った。

 そこから一気に緊張が抜けたベートは崩れ落ちながら、ぼやく。

 「ッ、ア……ったく、こんな強いとか聞いてないっての!」

 体はボロボロ。これ以上ない辛勝だ。それでも勝ちは勝ちである。苦戦を強いられたが、勝てずに負けて殺されるよりはマシだと割り切ろう。

 ベートはそんな体を引きずって、ウォーウルフの死体のすぐ傍に落ちていた短剣を拾った。だがその短剣は拾って手に持った瞬間罅が入り、呆気無く壊れた。

 「……この大きさじゃ、一度が限度、か」

 この短剣は、一見するとただの武器にしか見えない。だがその実態は、魔剣である。魔法の力を込められた、特殊な製法によって作られた武器。

 そもそもベートは魔法を覚えていない。そんな人間にフロスヴィルトなんていう、魔法を扱うこと前提の武器を与えるのなら、相応の対策を講じていない訳が無いのだ。

 つまり、フロスヴィルトは魔剣を対価としてその真価を発揮する、相当な()()()()

 「このちっせーので確か一〇〇万だったか? ぼったくりすぎんだろ」

 ハァ、と溜め息を吐いて、また買い直すのかと思い憂鬱になる。今回の冒険は完全な赤字だ、フロスヴィルトも魔剣の製作もベートの個人的な資産から出ているため、しばらくは赤貧生活を強いられる事になるだろう。

 それでも後悔はない。これでシオンの腕の異変が止まるなら、安い出費だろう。そう思って気を取り直し、ウォーウルフの死体を見る。

 ――そういや、魔石を取ってなかったか。

 このウォーウルフはまず間違いなく強化種だ。それなら魔石にも期待できるかもしれない。と、そこまで考えて、奇妙な違和感がベートを襲った。

 ――何だ、この感じ。

 よくわからない。ただこの感覚は、捨て置いてはならない物だと、勘が囁く。そこでベートはジロジロとウォーウルフの死体を見て、触れて――気づいた。

 ――……皮膚に触れている、感覚?

 おかしい。ありえない。だってウォーウルフは()()()()()()()()()()()モンスターなのだ。それが直接皮膚に触っているなんておかしいにも程がある。

 そこで、さっきの違和感を理解した。

 ――首を切った時の感覚。アレのせいか!

 首に毛があるか否かで、切る感覚は大分違う。つまりこいつは、ウォーウルフじゃない。それに擬態させたもの。

 「……そんなもの、一つだけしかねぇだろうが」

 気付きたくないから、こんな遠回りしているだけで。答えはとっくにわかっている。

 種族はわからない。だが、つまり、こいつは――人間だ。なんらかの手段によって、外見だけを偽装させている、人間なのだ。

 「ッ……クソったれが……!」

 そこに思い至った時、ベートは吐き気に襲われた。人間を切った――その事実が、ベートの身体に嫌な汗を浮かび上がらせる。

 ――人を殺した経験が、無いって訳じゃない。

 シオンも、アイズも、ティオネも、ティオナも。鈴だって。必ず一度は人を斬って、人を殺した事がある。

 けれど、そこには覚悟があった。人を殺すという覚悟を持ち、その意味を理解して、相手を殺めたのだ。

 だが、だからこそ、これは不意打ちだった。『殺した相手が実は人間でした』という事実が、怪我による思考力の低下が、ベートの心を苛んだ。

 その一瞬が、この一幕における最大の隙を生む。

 気付いた時には全て遅い。ベートが正気に戻り、顔を上げた瞬間には、『口』が見えた。

 ――コイツは――。

 その口の形と、微かに見えた、皮膚の色は。

 ――ブラッド、サウルス……!?

 想定しておくべきだったのだ。そもそもあのウォーウルフは、こいつに乗って現れたのに。それを忘れて、回復を怠り、動揺したベートには躱す術などあるわけもなく。

 その口に、呑まれた。

 

 

 

 

 

 「……? 生きて、んのか?」

 自分の体が噛み潰された、という事もなく、未だに意識があった。というか臭い。凄まじい口臭が鼻をねじ曲げようとしてくる。付け加えると唾液のせいで凄絶に気持ち悪い。

 それに色んな意味で吐き気を感じると、ふと光が見えたのに気付いた。それが一瞬途切れたかと思うと、ブチブチブチ、と肉を引きちぎる音が届く。

 「ふぅ、ギリギリ間に合った!」

 「……ティオナ?」

 辛うじて繋がっていたブラッドサウルスの首を手で完全に切断すると、ティオナは全身血に塗れながら笑った。……少し怖い。

 なんでここに、という意味を込めながら睨むと、ティオナはあっけらかんと答えた。

 「ロキからの置き手紙を見たんだ。それで武器を持って飛び出して追ってきたんだよ」

 「置き、手紙。そういうことか」

 つまりベートとした考察を記した紙を、唯一手が空いていたティオナの部屋に置いたのだろう。それを見たティオナのことだ、『シオンのためになるなら』と、それこそ武器だけ持って出てきたに違いない。

 まぁ、そんな彼女に助けられたのは事実だ。感謝しよう。

 何とも締まらない終わりに微妙な表情を浮かべつつ、ふと辺りを見回した。……そこに、ウォーウルフの死体は存在しない。綺麗さっぱり消えていた。

 「……なぁ、ティオナ」

 「ん、何?」

 「……いや、やっぱ何でもねぇ」

 「???」

 ベートの言いたいことがわからず、首を傾げるティオナ。結局ベートはその言葉を己の中に飲み込み、傷を回復薬で癒した後、地上を目指した。

 それから一日か二日かけて、二人は18層へ着いた。回復薬はほぼ切れかけ、四肢に仕込んだ火薬は品切れ、その上武器も摩耗して壊れかけ、と本気でやばい状態である。

 しかしこれでやっと休める、と一息吐きながら足を踏み入れると、ベートの体に決して小さくない衝撃が走った。

 「ッ、てぇな……おい誰だ、前くらい見てある――」

 「ベート、ベートだよな! 実はもう死んでます、なんて事無いよな!」

 「……シオン?」

 思い切り文句を言ってやろうとして、その相手が見慣れた相手と気付く。同時に、そいつがとんでもなく焦っているのも。

 何せベート・ローガを本物か偽物か判別できていない。というか、今にも泣きそうなのは一体どうしてなのか。さっぱりわからない。

 まぁ、と、とりあえず言った。

 「生きてるに決まってんだろ。……ティオナがいなかったら死んでたが」

 その言葉にシオンの動きが止まる。

 「そう、か。……そうか」

 それから力が抜けたのか、ズルズルと座り込んだ。そしてコテンと横になり、寝息を立てた。つまり、寝やがった。

 「一体コイツは何がしたいってんだ?」

 「あなたが帰ってくるまで一睡もしていなかっただけですよ。ベート・ローガ」

 答えはないだろうと思っていた疑問に、意外にも答えが返ってきた。声のした方を見ると、フードを被った女と、その横で寝ているもう一人の女。

 「……お前は……そうか、久しぶりだな」

 「ええ、お久しぶりです。それと、生きていてくれて感謝します」

 「その言い方はつまり、俺は本来死んで、いや殺されてたって感じだな」

 「あながち間違いではありません。そちらも気付いていたのですね」

 気付いたのは偶然だが。ティオナは倒れたシオンの介護に夢中でこちらの話にほとんど意識を向けていない。

 「そっちは何があったんだ? シオンが取り乱すなんて、相当なはずだが」

 「……私から言うべきではないでしょう。私は所詮、部外者です。これは、シオンか、あるいはあなた達自身の手によって解決させるべきことだと思います」

 つまり何も言う気はない、と。味方よりの中立、という考えでいいだろうか。

 「まぁ、いいさ。そもそも他所の【ファミリア】なんだしな、そう不自然でもねぇ」

 「……申し訳ありません」

 その言葉に、ひらひらと手を振って返答にした。そしてベートは樹に寄りかかると、そっと目を閉じる。色々あって疲れたのだ。しばらく寝ていたい。

 一先ずの解決。今はそれでいいだろう。

 

 

 

 

 

 29層、その通路の一つに、その女――実際は男――はいた。

 「ありえねぇ、ありえねぇだろテメェ」

 その女の近くに有るのは、男の死体が一つのみ。そして、その女は男の死体に愚痴を零しているらしく、ガリガリと頭を掻きながら言った。

 「ベート・ローガとテメェの戦闘力を考えれば、どう考えても負けはなかった。どうやったって殺せたはずなんだよ。例え『呪詛』の反動で【ステイタス】が低下していたとしても、だ」

 この言葉に意味はない。ただ遣る瀬無い想いを吐き出すための行為でしかない。それでも、やらずにはいられなかった。

 「……テメェ、()()()()()?」

 ああ、そうだ。よくよく思い返せば、それで問題はない。この女がこの男に望んだ対価は一つのみ。

 ――シオンに呪詛を込めた剣を叩きつけて、それを解くな。最低でも一日はな。その邪魔をした奴は殺せ。何であってもだ。

 そしてその望みは、ベート・ローガがあそこにたどり着いた時点で果たされている。何故ならあの時点で一日経っているからだ。しかし『最低でも』という保険と、『邪魔をした奴は殺せ』という条件によって、ベート・ローガは殺されるはずだった。

 ――この男が、本当に殺す気であったのなら。

 ああ、契約を逆手に取られた。こいつのかけた『呪詛』の反動は【ステイタス】に記されたレベルの減少。付与する効果は『切った場所へ、与えた痛みを発動中は永続的に与える』もの。

 ――つまり、こいつは自分の意思で弱体化し続け、殺されることを選んだ。

 弱体化した状態で出せる戦闘能力で全力を出し――()()()()殺されると確信していた。

 「……手駒が一つ減った、か」

 厄介なことにこの契約は絶対だ。これでこの女と、その周辺の人間、更に指示した人間は、この男の妹に手出しはできない。更に難病とどの医者も匙を投げたそれを癒すために人手を使う必要ができた。

 高潔な男だった。それ故に強かった。それ故に利用できた。……だからこそ、ここで思わぬ反撃を貰った。

 ああ、最悪だ。これでシオンにちょっかいをかけられなくなった。失敗した――。

 「――なぁんて、そんな甘っちょろい思考で動くわけないだろう?」

 手駒が一つ減った。それはそれで利用価値がある。

 女は立ち上がり、男の死体に近寄った。それから軽く袖を捲ると、その手を死体の心臓へ差し込んだ。ビチャビチャと血が跳ねたが、無視。何かを探すように手を動かし、目当ての物を見つけると一気に引き抜いた。

 「んー……及第点、か。後はあっちの出来次第、と」

 それは、黒かった。

 それは、心臓だった。

 それは――何かと呼応するように、動いていた。

 「ま、しばらくはこっちも動かない。少しくらいは楽しめばいいさ。その方が、より深く絶望してくれるだろうからな」

 もう男の死体になど目もくれず、背を向けて去ろうとし、ふと言い忘れていた事を思い出した。そして嘲るように笑い、

 「そういえばお前の妹の病気なんだけどよ。()()()()()

 この女だけは知っている。この男の妹は初めから病気などにかかっていない、と。ただ放っておけば死ぬという部分だけが本当だった、と。

 「ああ、治すってのは嘘じゃねぇ」

 その部分も本当である。ただし、

 「あの女の病気。あれ、俺が『呪い』かけてただけなんだわ」

 それが真実。

 「お、そうだ。お前の妹にお前が死んだ理由でも色々吹き込んだら面白そうだな。俺自身は手を出さないが、言葉を交わすのは制限されてないし?」

 闇は蠢く。

 「……ま、その結果殺されたらそれはそれだな。むしろ感謝してくれよ? 兄妹が仲良く同じところで過ごせるようにしてやるんだし、な」

 醜悪に笑いながら、何かを成すために――。




とりあえずここで一区切り。ぶっちゃけ長い幕間です。色々楔撃ってるだけ。

実はベートの【ステイタス】更新でも入れようかと思ったんですが、そこまで行くと長くなりすぎるので切っちゃいました。

まぁ一区切りなので毎度恒例閑話入れます(多分)。そこに入るかと。

というわけで次回をお楽しみにノシノシ

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