英雄になるのを望むのは間違っているだろうか   作:シルヴィ

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束の間の小休止

 息を整え終えたシオンがやっと起き上がり、木に背を預ける。今日は日差しは強くないが全力運動によって火照った体が冷えて少し気持ちいい。

 ティオナから渡された水を飲み、それを終えるとタオルにぶちまけて濡らし、乱雑に顔を拭う。それだけで顔中の汗が引いていくようだった。その状態でしばらくぬぼーっと意識を散らしていると、土を蹴る音がした。

 「……ベートか」

 足音から即座に誰かを看破するシオン。ベート自身隠す気が無かったのか、シオンの顔からタオルを取ると、使っていない裏面で汗塗れの顔を拭いだした。

 シオンは気にしている余裕が無かったためわからなかったが、ベートもフィンに稽古を付けてもらったようだ。体に付着している土埃から見るに、結果は明らかだが。

 「自分の分くらい自分で持って来いよ」

 「うっせぇ。てめぇだってティオナに用意して貰ってただろうが」

 返されたタオルに思わず顔を顰めると、ご尤もな言い分が帰ってきた。実際ここ数年ティオナに甘えていた身としては耳が痛く、聞こえないと耳を塞いでポーズを取る。

 だが、それを無視してベートは言った。

 「シオン、お前、何に焦っていやがる?」

 シオンなら片耳は絶対に開けている、と見抜いて、あるいは信頼していたベート。実際その通りで、微かにシオンが息を呑んだ音が聞こえた。

 「……わかるもんか?」

 「見りゃわかる。俺だけじゃねぇ、全員気付いていたさ」

 お前だって俺達がおかしそうにしてればわかるだろう、と言われて、違いない、と苦笑を返すしかない。

 言われるまでもない事だった。

 「嫌な予感が、するんだ」

 ポツリと、本音をこぼす。

 今朝リオンと会ってから――あるいは会う前から。脳裏に警鐘が鳴り響いていて、止まらないのだ。気のせいと言われればそうなのだろう。

 だがシオンは確信していた。

 このままこれを放っておけば、きっと後悔すると。

 そして、そんな感覚を覚える原因なんて、一つしか思い浮かばない。

 「ダンジョンで何かが起こる――絶対に。それを見過ごしたくない。見過ごせない」

 そう言い切るシオンは、横に立つベートを見上げた。

 「一人でも行く。そのために、さっきフィンに認めさせたんだから」

 その顔を見て、ベートは説得を諦めた。左腕についてどうこう言っても、きっと笑顔で流されるだけだろう、と。

 ――くっだらねぇ。

 真剣な表情を浮かべるそれに唾を吐きたかった。流石にそれは自重したが、代わりにこのわからずやの頭をぶん殴ってやる。

 「ふんッ」

 「ッ――!? あ、頭がァ!?」

 予想以上に痛そうに頭を押さえるシオン。その悲鳴に、実はベートが戦い終わってからアイズ、ティオネ、鈴と共に戦っていたティオナが意識を逸らしてしまう。

 「ちょ、ベート何シオンの頭を殴って――」

 「戦闘中によそ見してるアンタのが何やってんのよ! 死にたいの!?」

 意識どころか視線を逸らしてベートを睨み付けているティオナに怒鳴るティオネ。

 実際これが本当の戦闘中なら間抜けと思われながら殺されるだろう。実戦さながらの稽古である以上、そういう意識を持って行うべきだ。

 幸いフィンは異変を察して苦笑しながら待っていてくれたが、本来なら隙を狙ってアイズ達を崩し、各個撃破できた。

 それを全員理解しているから、ティオナはつい反応してしまった自分に肩を落として落ち込んでいる。一応反省の念を見せているから、ティオネもそれ以上は自重した。ティオナが過剰に反応したのは、数日前まで痛みに苦しんでいたシオンを見ていたからだと、わかっているからだ。

 くるくると湾短刀を回転させ、ため息を吐いて鞘にしまう。

 「申し訳ありません団長。今回はここまでという事で」

 「ああ、構わないさ。ベートが悪い部分もあるしね」

 「お、俺のせいか!?」

 流れ弾が来たベートがギョッとしたように目を瞬かせる。そんなベートに、シオンは痛みで片目を瞑りながら、揺れる頭を押さえて言った。

 「Lv4になって筋力値と耐久値の釣り合いが変わったんだよッ……!」

 あ、とベートが口を開けて固まった。どうやら完全に忘れていたらしい。それを見て、元からわかっていたが完全に故意ではないとわかったシオンは彼を許した。

 「いつもおれとお前は同時にレベルを上げていたからわからなくもないけどな」

 やっと痛みが引いてきたシオンは立ち上がり、ベートの真正面を見る。何でいきなり頭を殴ってきたのか、と。

 ベートは横目でティオネ達を見る。彼女達はまず汗を拭う事を優先したようで、こちらに近づいてくる様子はない。

 「てめぇがバカ言ったからに決まってんだろうが」

 「バカを言ったから……?」

 完全に覚えがない、といった様子で首を傾げるシオン。自覚症状の無い賢いバカはこれだから困る、そう思いながらベートは、さっきシオンが言った言葉を再度告げた。

 「『一人でも行く』――そう言ってただろうが」

 「何かおかしかったか?」

 「ったりめぇだ。おいシオン。お前の役割はなんだ」

 役割、と言われて、シオンは戸惑った様子を見せる。それでも言葉を振られたからには理由があるのだろうと考え、すぐに答えを出した。

 「パーティの、リーダー、か?」

 「そうだ」

 どうやら忘れていなかったようで安心する。だが、根本的に意味を履き違えているシオンにわからせるよう、額に人差し指を押し当てて、言ってやった。

 「お前は俺達のリーダーだ。俺達の行く先を示す人間だ。いいか、もう一度言うから聞き逃すなよ」

 ――お前は俺達の仲間(リーダー)で、俺達の方針(みち)決める(しめす)人間だ。

 「お前が行くなら、間違って無い限りは着いていく。それを忘れんじゃねぇ」

 「……もし間違ってたら?」

 「さっきみたいにぶん殴って止めるに決まってんだろ。俺はまだ死にたくねぇからな」

 だから一人で黙ってどこかに行くな。そう、ベートは続けた。一人勝手に死にに行くような真似は許さない、という言外の言葉を感じて、シオンは己が間違っていたと素直に認めるしかなかった。

 両手を上げて降参を示す。

 「わかった、ちゃんと皆に言って賛成を貰うさ。それで明日、ダンジョンに潜る。それでいいか?」

 「ああ、それなら俺も何も言わねぇ」

 満足そうに返して、ベートは背を向けた。少なくとも懸念が解消できたようで、ここに留まらず部屋に戻るようだ。

 そんなベートに小さくありがとうと言えば、その鋭利な聴覚によって聞こえたのか、片手をあげてひらひらと振った。

 何というか、素直じゃない奴。そう内心で思いつつ、つい苦笑を作ってしまう。一見すれば誰とも仲良くする気がない、喧嘩腰の気に食わない一匹狼。その実遠くにいるからこそ誰よりも人を良く見て、間違っていれば殴ってでも止めてくれる奴。

 ――何より得がたい友人だ。

 「なーに話してたの、シオン」

 「うぉ!?」

 気が抜けていたところにティオナが飛びかかってきた。全体重を乗せたそれに、完全に不意を突かれて思わず転びかける。

 それに驚いたのは、むしろ飛び掛かった方であるティオナだった。いつものシオンならあっさり受け止めてくれたのに、と。

 「や、病み上がりだし、やっぱりまだキツい……?」

 「いや、完全に気を抜いてただけだから。ちゃんと踏ん張れただろ?」

 ペタペタシオンの体に触れるティオナにそう告げる。それが嘘ではないとわかり、安心したように胸をおろしたティオナ。

 そこに、ティオネがやってきた。

 「アンタのその癖そろそろやめなさいよ。シオンにしかやってないみたいだけど」

 「うぐっ、つ、つい勢いで……」

 まぁそれはわかる。ティオネだって飛びついてないだけで、フィンを見つければ迷わず一直線だからだ。

 好きな人の傍にいたい、なんてのは、人間誰しも持っている物である。

 が、当のシオンは一切気づいていないあたり、報われないというか何というか。ティオネは軽く肩を竦めた。

 「まぁいいわ。それで、ベートと何話してたのよ?」

 「ああ、明日ダンジョンに行きたいんだけど、いいか?」

 「は? ……明日? 明後日じゃなくて?」

 シオン以外の五人は今朝までダンジョンに潜っていて帰ってきたばかり。いくらなんでも明日は早すぎる。

 早くリハビリをして鈍った勘を取り戻したい、というのはわかるが、少し性急過ぎると思うのだが。ティオネとしても、せめて一日は休みたいところだ。疲れは残っているのだし。

 ――けれど。

 「……ハァ、ま、私はいいわ」

 「私もいいよー。シオンのためだしね!」

 そんな、何時にも増して真面目な顔をされてしまうと、否定できないではないか。そんな内心を胸にため息を一つ。渋々肯定した。

 そして未だシオンの首に両腕を回しているティオナも頷いた。元々シオンに甘い妹だからあっさり受け入れるだろうとは思っていたが、軽すぎるというかチョロすぎて心配になる。

 ティオネは横目で辺りを確認しつつ、ティオネの腕を掴んだ。

 「ほら、いつまで引っ付いてんの。行くわよ」

 「ええ!? もうちょっとくらいいいじゃん!」

 うだうだ言うティオナに、ティオネは言う。

 「アイズにこの事を伝えて、明日のダンジョンアタックの準備をするの! それがシオンの為になるんだから」

 「うぅ……しょうがない、かぁ」

 未練タラタラだが、それでも素直に頷いた。

 ……やはりシオンをダシにするとチョロい。思わず半眼になりつつ、恐らく剣の手入れをするために部屋に戻ったアイズのところへ足を向ける。

 その寸前、シオンに振り返った。

 「アイズは私達が言うから、鈴はアンタが言っておきなさいよ」

 「ああ、わかった。二人共、ありがとう」

 ティオネは肩を竦め、ティオナは笑顔でその言葉を返す。

 そして二人は扉を潜ってホームの中へ戻っていく。それを見終えると、シオンはフィンの稽古を終えても一人素振りを続けている鈴のところへ向かった。

 このパーティで一番Lvが低いが、一方で一番体力のある人間、それが鈴だ。恐らく収めている技術の差だろう。剣の振り方、体の動かし方一つとっても、やはり鈴には勝てない、そう思わせられる。

 「鈴」

 「ん? 何だ、シオンかい」

 集中していたのか、かなり薄着でありながら、その額から大量の汗が吹き出ている。それを拭う事もせずにシオンの方を向いたためか、目に入りかけて片目を瞑っていた。それを乱雑に手で弾いているのを、おれより男らしいな、と思いながら見た。

 そんな事を思っているなど欠片も考えていないだろう鈴の手にある刀を見る。彼女が持ってきた刀の二本の内の一本。彼女の家に代々伝わってきた名刀。

 「……久しぶりに打ち合ってから話そうか」

 「別にいいけど……愉快な話って訳じゃあ、無さそうだね」

 その視線の意味。

 それをどことなく察してか、バツの悪そうに顔を顰めながらも、鈴はその提案を受け入れる。今の自分とシオンとの差を、わかりやすく測れるからだ。

 シオンは壁に立て掛けておいた剣を手に取って、鈴の数歩前で止まる。それからお互いが得物を振るに足る距離まで調整し、鈴が構えた。

 一方シオンは構えない。現時点で後一度でもダンジョンに潜ればLv.4に上がる状態であるシオンと、恐らく大きな切っ掛けでも無ければLv.3にはなれない鈴。この【ステイタス】の差は覆しようがない。

 先手を譲った上で反応できるからこそ、シオンは構えないのだ。その事は鈴もわかっているからこそ、何も言わず、鋭く切り込んだ。

 狙うは剣を持つ右腕。シオンから見て右から迫り来るそれを、シオンは剣を()()()()()()()()即座に反撃した。

 ギャリッ、と刃と刃が噛み合う歪な音が二人の中心で鳴り渡る。

 打ち負けたのは鈴。いや、敢えて自分から刀を下げて追撃の準備に利用したのだ。逆に打ち勝ったはずのシオンは、スルリと躱された事によって、腕が泳いでいる。その腕を狙って、鈴は左に回転、その回転の勢いのままに剣を斜めに切り上げた。

 けれど、気付けばシオンは剣を右手に握り直している。その手を使って、剣を鈴と刀に向かって振り下ろした。

 再度の異音。

 振り下ろしと振り上げ、どちら側が不利かを即座に理解した鈴は、刀を両手で握り、刀身を滑らせるように斜めに傾ける。

 叩くでもなく、裂くのでもなく。ただ『斬る』事に特化したそれは、滑らかな紋を波打たせながらシオンの剣を流していく。

 どう足掻いてもその刀を斬る事ができないと知っているシオンは、音すらしない程に静かに受けられているのを、逆に受け入れた。右腕に力を込め、流される速度を加速させる。

 困惑したのは鈴だ。長すぎる刀は、穂先に向かうほど操るのが難しい。『次』の一手に移行しようとした瞬間に、先をブラされれば、どうしても『間』ができてしまう。

 それを知っていたシオンは、流されきる瞬間に剣を手放し、また左手で柄を握る。

 シオンの体が沈み、今にも跳ね上げられそうなのを見抜いた鈴は、刀を顔の横にまで上げ、振り下ろした。

 先程とは正反対に、シオンが振り上げ、鈴が振り下ろす。

 違ったのは力の差だ。鈴は振り下ろしていながらシオンを押し切れず、逆にシオンは問題ないと押し抜ける。

 刀を打ち上げられ、だが手放す事だけはしない。天を向く刀を、逆手に持って地を向けさせる。そして剣の腹に手を添えて、盾にした。そこにシオンの剣がぶつかる。

 ほぼ十字の形でぶつかりあったそれは、当然というべきか、シオンに軍配が上がった。受け止める準備が完全にできなかった鈴は、吹き飛ばされてしまう。

 ――それが決め手だった。

 着地自体は上手く行ったが、それ以上にシオンの動きが素早すぎる。着地とシオンの迎撃、両方を意識した鈴の微かな隙、半呼吸も無いその隙間に、剣を差し込んだ。

 首に剣を添えられた鈴は、大きく息を吐いて、降参を示すように両手を上げる。

 「……いつの間に両手で剣を使えるように?」

 「元からだな。おれは左利きだったんだけど、義姉さんに右利きの方が後々便利だからって矯正されて……だから、両利きなんだ」

 実はこの事を知っている人間は少ない。というか、今知った鈴を除けばフィンしか知らない。だが両利きという大きな利点を活かさない点は無いと、昔彼に相談して、練習したのだ。

 「ダンジョンで片手が使えられなくなる状況なんていくらでも考えられるからな。念の為に、左手も使えるようにしておいた」

 「だからって普段使ってる右手と同程度に使えるってのはねぇ」

 どれだけ練習したんだ、とつい言いたくなった。だがそこは聞かず、剣に手を添えて首元からどかす。

 それからもう一度、大きく息を吐いた。

 鈴はかなりの負けず嫌いだった。負ける事前提で打ち合ったとはいえ、相手は魔法を一切使わず体術も織り交ぜず、それでこれである。もう少し食い下がれると思ったのに、実は両手共使えますという驚きの事実に対応しきれず、負けた。

 だが、シオンの方も方でかなり驚いていた。普通、Lvが一つでも違えば、まず勝てない。食い下がるのだって難しい。対抗するのであれば、人数を揃えるのが一番楽で、確実だ。

 魔法・体術無し、完全に剣のみとはいえ、これは本来凄い事だと言ってもいい。

 恐らくシオンと鈴の【ステイタス】を同程度にして剣を交えれば、恐らく負けるのは――。

 ――それを、シオンは敢えて黙っていた。事実とはいえ慰められていると鈴は思うだろうし、そうでなくとも慢心されては彼女のためにならない。

 負けず嫌い、というのは、自身を成長させる大事な要因の一つなのだから。

 「シオン、今度は軽く打ち合ってもう一回だッ!」

 「ああ、わかった。ただ打ち合いながら話は聞いてもらうからな」

 思惑通り、鈴はもう一度を迫ってきた。それを快く受け入れながら、シオンは頷く。

 そして二人は最初の位置に戻り、お互い軽く得物をぶつけ合う。全力だったさっきとは違い、かなり余裕がある。そもそも二人共打ち合う寸前、すっぽ抜け無い程度に力を抜いているので、反動がほとんどなかった。

 「それで、そもそも何を話したかったんだい?」

 「明日ダンジョンに潜りたいって話だ」

 「……なるほどね。さっきベートやあの姉妹と話してたのはその事、か……。しょうがない、今あたいに話してるなら、あの三人は頷いたんだろう? だったらあたいもオーケーさ」

 「いいのか? 疲れてるなら休んでいていいけど」

 「冗談。実はダンジョンアタック、不完全燃焼でね。明日ソロで行くのも悪くないって思っていたくらいさ。皆で行けるなら、その方がいいね」

 軽く笑みを浮かべる鈴に、気負った様子は見られない。それを理解したシオンは、また鈴の刀に眼を向けた。

 それを察した鈴の腕から勢いが無くなり、止まる。

 「シオン、はっきり言いな。……あたいに、何を求めてる?」

 鈴の目が、鋭く細まる。シオンの言いたい事が何か、その大部分をわかっていながら、しかし鈴は敢えて惚けていた。

 何故なら、今の鈴に()()()を使う気が無いから。

 だが、もし。

 もしも、シオンがそれを願うなら。

 ――鈴は、それを抜き放つのを、躊躇わないだろう。

 鈴の本意の全てを見抜けなかったシオンだが、それでも鈴の想いはわかった。その上で数度躊躇って、やがて、言った。

 「鈴。今度のダンジョンアタック、刀を二本共持ってきてくれ」

 「……わかったよ。ま、使わないで済むならそれに越したこたないけどね」

 一度触れたシオンだからこそ、その危険性をよくわかっているのだろう。それを押し付ける傲慢さも。

 それを、鈴は笑って受け入れた。

 どうか使わないで欲しい。使う状況なんてこないで欲しい。そう願いつつ、シオンは嫌な予感が拭えなかった。

 

 

 

 

 

 日も暮れて、月が頭上の中天に輝く頃。

 一人部屋に籠るシオンは、何をするでもなく、そこにいた。

 立ってはいない。だが、部屋の窓を開け、その淵に座っていた。いつ落ちるともしれない危うい境目。それを怖いとすら思わず、ただ一心にバベルの塔を見据えていた。

 ……嫌な予感が、どんどん強くなっている。

 治ったはずの左腕にも熱があるような気さえした。

 「ううん、気のせいなんかじゃないよ」

 「アリアナ……?」

 シオンの体、その内側から、久しぶりに彼女が現れた。シオンに宿る、アイズの母、アリアから受け継がれた、幼き風の精霊。

 前に見た時よりも、成長したのだろうか。頭身が小さすぎてわかりにくいが、少しだけより女性らしくなっていた気がした。

 そんな彼女は、風を纏って浮き上がると、シオンの肩に座る。微かな風に髪が揺れ、出てきた耳たぶを掴んで、アリアナは自身を固定させた。

 「久しぶり、だな。最近全然出てこなかったけど、どうしたんだ?」

 シオンは真っ先にそれを聞いた。姿どころか、声さえ発さなかったアリアナ。彼女に何か不調でもあったのだろうか、と。

 「それは私じゃなくて、シオンが悪いんだよ!」

 そこを指摘されたアリアナが、何故か怒った。だが原因がさっぱりわからないシオンとしては困惑するしかない。

 その様子を見たアリアナは、やっぱりわかってないんだ、と肩を落とした。

 「いい、シオン。私はシオンの魔力を糧に何とかここにいるの。つまり、シオンの魔力が無かったり、()()()()()()()と、私は表に出てこられない」

 「変、質……?」

 アリアナは、シオン自身の魔力と、アリアが彼に渡した『祝福』による魔力、その二つによって少しずつ成長している。だが、それは逆に言えば、シオンの魔力が存在しなければ、生きるのも難しいという状況下にあった。

 だからこそ、シオンの魔力に異常が起きれば、彼女は休眠する。今はまだある、だが何れ必ず残るアリアの魔力を、少しでも無くさないために。

 「そう。あったはずだよ、そうなった原因が」

 「……『呪い』、か」

 チラリと、左腕を見下ろす。切り落とされ、繋ぎ直し、そして異常を来たした腕を。今はもう治って――いや、おかしい。

 それなら何故、アリアナは『気のせいじゃない』と言ったのか。

 横目でアリアナを見ると、彼女もまた、シオンを真剣に見つめていた。

 「シオン、その腕の呪いは解かれてなんかいない。私と同じ、休眠状態――起動するまで、一時的に機能を停止しているだけ。……停止、っていうのも、ちょっと違うかな」

 精霊であり、シオンの内側にいるアリアナは、休眠していても何となくシオンの肉体情報がわかってしまう。

 この呪いの効果は恐らくとても単純な仕掛けで、だからこそ、どうしようもないのだと。

 「呪いを植え付けた場所を中心に、体中の魔力を奪う。だからシオンは苦しんだ」

 魔力は、生命力に直結する大事な要素だ。これを失えば気絶するし、失いすぎれば、命を落とす危険性がある。

 それを無理矢理奪い続けられるのだ。ポーションで回復するのは体力だけだ。死ぬまでの延命にしかならない。

 「私が表に出られなかったのは、その呪いのせい。呪いによる影響でシオンの魔力が負の方向にあったのと……私まで魔力を吸収してたら、シオンは死んじゃうから」

 ……正直に、言ってしまえば。

 左腕を今すぐ切り落として欲しい、というのが本音だ。呪いは今も宿っている。シオン自身気付いていないだけで、この呪いは()()()()()()()()()()()()()()

 だけど言えない。言えるわけがない。

 シオンの事を、恐らくシオン以上に知っている彼女は……それを言ってしまうのが、それを行うのが、どれだけ致命的な事なのかを、よくわかっていた。

 「だからさ、明日ダンジョンに行くのは止めようよ。危なすぎる!」

 それを押し隠して、ただそれだけを告げる。本心から。彼を心配して。

 「ありがとう、アリアナ。心配してくれて」

 ……ああ。

 「でも大丈夫。おれは一人じゃない、皆がいる」

 ……だけど。

 「だから、何とかなる。きっと死なないさ」

 ――止められない事なんて、はじめから、わかっていた。

 笑うシオンに言いたかった。どうしてシオンが嫌な予感を感じているのか。それは、()()()()()()からなんだって。

 「それに、ここで行かない方が後悔する。リオンや、サニア……恩を受けた人達に何かあったのに、そこに行けたはずなのに、何もできないなんて、嫌だから」

 「そ、っか。そうだね。うん、それじゃあ、仕方ないよね」

 泣いて、叫んで、止められるなら、そうしただろう。でもきっとシオンは受け入れない。彼の根幹が、それを受け入れる選択肢を潰してしまう。

 だからアリアナは笑った。できるだけ大きな花を咲かせるように。心で泣いているのを、悟られないように。

 ――コンコンコン。

 その時、タイミングよくノックがした。部屋の扉からだ。

 「あ、私は消えるね。またね!」

 「おい、アリア――ナ……消えたか」

 それを切っ掛けに、あっさりアリアナは消えてしまった。手を伸ばしても、自分の肩を掴むだけでそこには何も無い。

 ――彼女は、何を隠していたんだろう……?

 シオンは気付いていた。アリアナが、必死に何かを伝えるのを堪えていたのを。その内容はさっぱりわからなかったが。

 ――コンコン、コンコン。

 と、そこでもう一度ノックがする。それにどうぞ、と声を返すと、控えめに扉が開いた。誰だろう、と思いながら見ていると、意外や意外、アイズだった。

 「アイズ……? どうしたんだ?」

 寝巻きを着ているアイズ。既に寝る直前だったのだろうが、どうしてここに来たのか。まだ幼いとは言え、貞操観念がしっかりしている彼女らしくない。

 気になるといえばもう一つ。

 何故、片手を後ろ手に回しているのだろうか。

 そのアイズはというと、部屋に入ってからどこか遠慮気味に左右に揺れていた。だが数分してから、意を決してようにその片手を前に回した。

 「あのね、シオン」

 それは、長方形の、柔らかそうな物体。

 「きょ、今日……一緒に、寝よ?」

 即ち、枕だった。

 

 

 

 

 

 『…………………………』

 断る理由もなかったので、素直に受け入れた。が、枕を左右に並べて、同じシーツに包まって横になると、途端に無言になってしまう。

 アイズは元から口数が少ない方だし、シオンは話さなくていいなら話さない人間だ。二人だけだとほとんど喋らず、身振りで意思疎通をするのも珍しくない。

 そしてそんなシオンは、今回に限ってアイズの本音がわからなかった。

 そもそもアイズとこうして一緒に寝たのも、アイズがここに来て数日の間のみ。両親をほとんど同時に喪って寂しがった彼女を慰めるように寝ていたのだ。

 それこそ、彼女の本当の兄のように。

 だがアイズは、母を探すために己を鍛え、そのためにシオンに甘えるのをやめた。こうして甘えていたら強くなんてなれないと思ったのかもしれない。あるいは、スパルタ過ぎたシオンに嫌気がさしたのかもしれない。

 理由はわからない。

 ただ、こうして一緒に寝ようなんて言ったのには、何かがあるはず。

 「……ねぇ、シオン」

 「なんだ?」

 「私、ね。……ちょっとだけ、怖い」

 『怖い』――彼女がそういうのは、久しぶりだった。怖いと思っても、決して弱音を吐かないのが彼女だから。

 シオンは何となく、腕を出した。アイズの後頭部に差し込むように。それを感じて、アイズはちょっとだけ頭を上げる。そこに、腕が入った。

 即座に頭を下ろし、シオンの方へ向けて横になる。

 ……硬い腕だ。子供らしくない、鍛えた人間特有の感触。

 でもどこか、安心できる腕。

 「ダンジョンに行くって、二人から聞いた。……私は、イヤ」

 「そう、か。じゃあ、アイズはやめておくか?」

 だから、本音を吐き出した。きっとシオンは受け止めてくれると思ったから。そしてシオンは、そんなアイズの想像通り、優しく言ってくれる。

 だけどアイズは、首を振った。その提案を断るように。

 「ううん。イヤだけど、でも、シオンだけ行かせるのは、もっとイヤ、だから」

 ――でも、怖いのは本当だから。

 「ちょっとだけ、甘えたいの」

 そう言って、アイズは珍しく、本当に珍しく、シオンに体を寄せて、その体に抱きついた。そして体から力を抜いていく。

 全身を弛緩させて、すぐに眠ってしまった。

 すぅすぅと微かな寝息を感じる。そんな彼女の髪を数度撫で付け、シオンも目を閉じる。

 ――明日、誰も死にませんように。




 感想で待ってると言われたのと、ちょっと物書きへのモチベが戻ったので投稿。前回に続いて、そして前回以上の息抜き回。

 後確約はできませんが、投稿ペース戻そうと思います。大体週一、忙しい時は週二更新って感じに。

 ……待ってくれる人いるのかな? これ。
 いや自業自得なのでどうしようもありませんが。

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