英雄になるのを望むのは間違っているだろうか   作:シルヴィ

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仲間の裏切り

 「なんだ、この瓦礫……?」

 26層から27層へ続く階段の手前。本来ならさっさと進むべきその場所で、シオン達は想定外の事態に陥っていた。

 土と石の山。

 単純な質量の壁。

 「シオン、これ魔法で壊すって訳にはいかねぇのか?」

 「壊すだけなら、できる」

 だけど、と何やら続きがありそうなところで言葉を止める。シオンの意図を読めなかったのか、ベートが顔を顰めて続きを促した。

 「魔法で壊す。それはいい。……でも、()()()()()()()()()()()?」

 「あ? んなもん適当に――いや、ダメだな。それはやばい」

 「何がやばいって?」

 シオンの考えている事を理解したベートが、息を吐き出す。代わりに二人のすぐ傍で乱雑に瓦礫を叩いていた鈴はわからなかったのか、小さく首を傾げた。

 「今おれ達は26層に続く階段の手前でうろついてるよな? 逆に言えば、27層側もそうなってる可能性が高いんだよ」

 「無作為に魔法をぶっぱなして向こう側まで貫けば、瓦礫の山の代わりに死体の山ができあがりって訳だ」

 だから考えなしに動くとロクな事にならない。敵意と殺意を向けられて反撃するならまだしも、そうでない相手を殺すのはごめんだ。

 たかが瓦礫を積み上げる。たったそれだけのこと。

 捻ったものではない、単純なモノに過ぎないが、だからこそシオンは動けない。

 そうやって止まっているシオン達に、ふと違和感を覚えたアイズが尋ねる。

 「……それって、ここにいる私達が向こう側から殺されちゃうんじゃ……」

 その発言に、シオンを除いた全員がアイズを振り返る。一斉に視線を浴びたアイズが肩をビクリと震わせた。

 「えっと、シオン。大丈夫、だよね?」

 恐る恐る振り返ってきたティオナが代表してシオンに聞く。聞かれたシオンは、特に気にした様子もなく壁に耳を当てていた。

 「壊すならさっさと壊すと思う。【アストレア・ファミリア】もいるんだし」

 シオンが気にしていないのは、そのせいだ。これがいつからあるのかは不明だが、それでも数時間は経っているはず。

 シオン達がここに来るまでの間に壊す時間は、十分にあったはずなのだ。だが、確かにこれは存在している。

 で、あれば。

 「27層側で階段に戻ってきた人間がいない。あるいは――あちら側に何か問題が起こって、これを壊せるような状況じゃない」

 瓦礫にくっつけていた耳からは何の情報も得られなかったシオンは、数歩下がる。

 ――少なくとも振動が通る程度に薄い物じゃない、か。

 「どちらにしろ、これがあるって事は人為的に起こされた事だろうな。この先で何が起こっているのか、想像もできない」

 基本的に、ダンジョン内部では様々な罠が存在する。だが、それはあくまで冒険をする上で厄介なモノばかりというだけであって、こういった必ず進行するルートに瓦礫の山が出来上がる事はありえない。

 こういった物が出来上がるには、それこそ人が手をかけるしかないのだ。

 「どうするのよシオン。下手に壊す訳には行かない以上、手詰まりよ」

 じっと瓦礫を見上げているシオンに、ティオネが指摘する。だがそれに、シオンは小さな笑みを作ってしまう。

 そう、誰も『戻ろう』とも、『帰ろう』とも口にしない事に。

 「いや、一つ手はある。『穴』を使う」

 だからシオンも、それを言わずに現実的な手段を提案した。

 彼等がここに来るまでの時間を大幅に短縮したショートカットである落とし穴。これを使って27層へ降りる、と。

 「それなら瓦礫を壊さねぇでもいけるが……道がわからん」

 だが、また別の問題が出てくる。

 正直に言ってしまうと、シオンを除いてダンジョン内部の地図をある程度覚えているのは、ティオネだけだ。その彼女もシオン程詳しく覚えているわけではない。正規ルートから外れれば、すぐに迷う程度だ。

 「ああ。だから、()()()()()()()

 『……え』

 ニッコリ笑ってそんな事を言い切ったシオンに、ティオネ以外の全員が固まった。シオンの言葉が理解できない、と言わんばかりに。

 「む――ムリ! 私にはムリだからね!? 私、バカだからね!」

 真っ先に再起動、そして拒否したのはティオナだった。直情径行、猪突猛進、とにかく大剣を叩きつければ敵は死ぬ、ととかく頭を使わない私には、あまりに辛い。

 そんな感じでぶんぶん首を振るティオナに続くように、他三人の反応も悪かった。全員覚える気が無い、というより、覚えられる気がしない、という拒否なだけまだマシだろうが。

 「シオンが言ってるのは、現在地と行く方向を覚えろって事よ」

 そんな四人をジト目で見つつ、シオンの足りない言葉を埋めるようにティオネがフォローした。それくらいわからないのかと、頭痛を堪えるように額を押さえてもいたが。

 「下に降りても、この階段の位置、方向を大雑把に覚えていれば、戻ってくるのは不可能じゃないわ。歩いている最中はある程度頭の中で地図を作る必要があるけど、全体図を覚えるのに比べれば楽でしょ」

 「ま、まぁ、それくらいなら……?」

 「アンタに地図が作れるとは思えないから、方向だけ覚えておきなさい」

 「酷い! でも確かに!」

 やっぱり一番怪しいティオナであった。

 瞳が泳いでいる彼女を一瞥して、ティオネはシオンを見直す。シオンは任せると頷いて、采配を預けた。

 そして地面に座ると短剣を持ち、ガリガリと地面を引っ掻いて簡易地図を描き始める。

 それを見ていた四人の視線を引き寄せるように、ティオネが柏手を打つ。

 「最初の提案の時点でわかった人はわかったでしょうけど、人数を分けて穴を探すわよ。二人一組で、編成は私と鈴、ティオナとアイズ、そして、ベートとシオン。組み分けについて質問は?」

 「俺とシオンが一緒なのは?」

 「無茶ができるからよ。うちで一番強いのはアンタとシオンの二人だからね。場合によるけど、かなりの無理を押し通して行動し続けてもらう必要があると思うから」

 実際は少し違う。シオンが仮に暴走した場合、腕力で止められるのがベートしかいないのだ。つまるところ、シオンのお目付け役と言っていい。

 暴走前提で説明するのもどうかと思ったので建前を口にしたが、幸いベートはわかってくれたのか、素直に引いてくれた。

 ついでにと、ティオネは他二つの分け方についても説明する。

 「後は単純に役割の問題ね。言っちゃ悪いけど、このパーティで一番弱いのは鈴、アンタよ」

 「承知してるさ。【ステイタス】とLvの差が覆し難いってのは、よくわかってるよ」

 「だから鈴をフォローできる人間を組ませなきゃいけないんだけど、それができるのはシオンと私、次点でベートとアイズかしらね。……ティオナ、アンタは論外だからね」

 「うっ……」

 我が妹ながら情けない、そんな声音の姉に、しかし反論できない。ティオナもフォローするよりフォローされる立場になる事が多いからだ。

 「ま、シオンと組めない以上、私が適任でしょ。組み分けの理由はこんなもんよ」

 とはいえ単純な戦闘能力ならかなりのポテンシャルを持っていると、ティオナの事は信じているティオネ。魔法を使えば近・中距離で戦えるアイズがある程度フォローしてくれれば、戦い抜けるだろう。

 「……悪いけど、脳内地図はアイズ、任せたからね」

 「任せて。ティオナの代わりに、ちゃんと覚える」

 とはいえそちら方面では一切役に立たないので、アイズに念押しするティオネだった。

 そんな説明の間にシオンが書いていた簡易地図も出来上がった。その地図は本当に簡素な物で、精々が26層の最端外縁部、つまり26層の範囲。階段のある現在地と、その周辺経路のみ。後は東西南北を示す記号くらいか。

 「地図を見れば何となくわかるだろうけど、あの通路が東な。で、あっちが西。階段は北。最悪この方向だけ覚えてれば、この瓦礫の山のある場所がある程度絞れる」

 だから方向感覚だけは切らすなと言って、シオンは説明を終える。元より多く言う必要はないからだ。後は個人の記憶力に任せるしかない。

 もういいと判断した者から立ち上がり、地図の内容を頭の中で再現、確認する。相変わらずティオナは怪しそうだったが、方向を確認すると慌てながらも正解を答えたので、割り切った。

 そうやって全員が確認を終えると、それぞれのペアと隣立つ。

 「じゃあ、各自穴を探してそこから27層に降りる。ただし27層じゃなくて28層、あるいは29層に落ちる可能性もあるから、事前確認は忘れるな」

 何よりも、

 「――死ぬなよ。他の誰を見捨てても、必ず生き残れ」

 それが一番重要な事だと、シオンは言い切った。生き残れれば勝ちだから、という認識を全員が違えていないのを再確認して、笑った。

 「散開!」

 そうして各自が背を向ける、その瞬間。

 シオンと鈴の目線が交わり、互いが互いに頷きあっているのを見た者は、誰もいなかった。

 

 

 

 

 

 誰よりも速く移動できるベートと、それに追従できるシオンの二人は、当然ながら他の二組と比べ物にならない速度で移動できる。

 けれど、それでも落とし穴はそう簡単に見つけられない。追い詰められた時ほどあっさり踏み抜くのに、余裕がありすぎるとき程見つからないのだ。こういうのは。

 そして数分して、見つけられないのに業を煮やしたベートが足を止めて振り返った。

 「ん、どうしたベート。何か見つかったのか?」

 「いや……一つ提案があってな」

 提案? と不思議そうにするシオンに、ベートは首肯した。一体何をと思いつつ、身振りで先を促す。

 「ここで二手に別れねぇか?」

 「は? ……いや、それは流石にリスクが高すぎるだろ」

 確かにベートとシオンなら、一日二日程度ならこの階層でも戦い抜けるだろう。だがそれはあくまで通常時の話であって、何が起きているのかわからない状況でするものではない。

 「問題ねぇだろ。俺とお前がそこらへんの奴に負ける訳がないんだからな」

 「そりゃそうそう負けないだろうけどさ」

 ベートはLv.4に上がり、シオンはその目前。一般的な目安なら、お互いに一流の冒険者と言い切っていい。

 だが、そこで調子に乗って痛い目どころか死に目に合えば冗談にもならない。

 「……はぁ、最悪お互いローブ被って壁面捕まってりゃ何とかなるか」

 けれどシオンは受け入れた。お互いの強さをよく理解していて、フィンクラスの敵でも無ければ一瞬で負ける事は無いとわかっているからだ。

 「下手こいて死ぬなよ。死んだらテメェの墓の前で笑ってやる」

 「いや、笑えないんだが」

 流石にそれはない、そんな意思を宿した目に、ベート自身無いと思ったのか、冷や汗を流しながらそっぽを向いた。

 「じゃ、先行くぜ」

 「ああ」

 シオンの返事を待たず、ベートは走り去ってしまう。その背中を、シオンは納得いかないと言いたげな顔を浮かべながら見ていた。

 ――ベートは何を焦ってたんだ?

 負けないという言葉が真実で、それを信じているのは本当だろう。だがそれとは別に、らしくなく焦っている。恐らくその焦りが原因で、あんな提案をしたのだろう。

 その焦りをシオンは理解できない。そして同時に、ベートもまた、ティオネの真意を理解できていなかった。

 「……行くか」

 シオンを止める鎖は、何も無い。

 

 

 

 

 

 「――見つけた。予想通りなら、ここから27層に降りれるはずなんだが」

 落とし穴を真っ先に見つけたのは、やはりというべきか、シオンだった。これは偶然でも何でもない、ただの予測によるものである。

 ダンジョン内部には様々な罠が存在するが、それは大枠として三つに分けられる。

 何らかの形になって擬態し、冒険者を騙す事で奇襲、殺しに来るモンスター。

 希少な素材、それらに類似したモノ――主に花、薬草――となり、猛毒を宿す劇物。

 最後に、ダンジョンそのものが用意したとしか思えないモノ。落とし穴がその一つだ。

 ダンジョンは凶悪だが、理不尽で無ければ不条理でもない。たまにそんな事を言う輩がいるが、それはそいつらに抜けている点があっただけ。情報を集めれば、どんな事でも対策自体は立てられるのだ。

 擬態するモンスターなら、何に擬態し、どう見抜くのか。希少な素材に類似した毒物は、どんな特徴があるのか。

 そしてこれら落とし穴は――どういった傾向で出現し、また消えるのか。

 こういった落とし穴は罠として凶悪な部類に入るので、発見次第ギルドに報告される。また消えた場合も報告される。それらの報告から大雑把に推測すれば、正確性に欠けるが予想できる。

 ただそういった事を組み立てて考えられる人間は極めて少ない。そもそも『傾向がある』と考える人間自体がほぼいない。

 「よし、大丈夫だ」

 それに気付かぬまま、シオンは怪我をしないよう、また着地をモンスターに狙われないように意識して、縁から飛び降りた。

 飛び降りてすぐ、壁に背を向けるように移動する。壁自体がモンスターの擬態の可能性も考慮に入れて観察するのを忘れない。周囲を見渡すが、人も、モンスターも誰もいない。

 ――違う、()()

 どこの通路からも死角になる隅っこ。そこでうずくまり、ガタガタと震えた人間がいた。どうしてそんなに震えているのか、訝しみつつもそれに近づいていく。

 「おい、どうした。何が――」

 「く、くく来るなァ!?」

 肩を叩こうか叩くまいか。そんな風に悩みつつも声をかければ、気が狂ったかのような声を上げて、抱いていた剣を振ってきた。

 だが座って、腰の入っていない、子供よりも酷い太刀筋が当たる訳が無い。シオンは一度避けると、剣の腹を掴んだ。

 そこでやっと相手の顔を見れた。

 男、なのだろう。だが恐怖に歪み、涙と鼻水に塗れた顔は、子供のようにしか見えない。

 「落ち着け、おれは敵じゃない」

 「う、嘘だ! 殺すんだろ、俺を! あ、あいつらみたいに!?」

 目の焦点が合わない男は、そもそもシオンを見ていない。

 多分、この男が見ているものは……それを予測して、シオンは一度目を瞑った。そして眼を開けると、

 「おれは『英雄(ブレイバー)』のシオン! 【ロキ・ファミリア】の人間だ。主神ロキと二つ名に誓って、おれはお前を不当に殺さない!」

 手が涙と鼻水と泥で汚れるのを厭わず、男の両手に添えて、眼を覗き込むように言い切った。その微かな痛みが重要だったのだろう、男の目の焦点が合わさり、息が落ち着いていく。

 それでもシオンは手を離さなかった。彼が縋るように手を握り締めてきたのもあるが、何よりも心細い時、他人の体温が冷たい心を癒してくれると知っていたからだ。

 「……すまない。助かったよ」

 早く事情を聞きたい己の心を抑え込むのに苦心しつつ、だが、その苦労は実った。己を取り戻した彼に苦笑を一つ返して、言う。

 「気にするな。事情は何となく察した。……だが、だからこそ聞きたい。一体ここで、何があったんだ?」

 まっすぐ射抜くように、彼を見据える。男はそんなシオンの体格と、幼い相貌から大体の年齢を察した。

 同時にこうも思った。

 ――幼くとも『英雄』か。

 そんな彼に多量の罪悪感と、少しの期待を込めて、彼は思い出したくもない記憶を、ポツポツと語り始めた。

 「最初はただ、この辺りに良い物があるって聞いて来たんだ」

 彼等のパーティは、彼自身が言うように、良くも無ければ悪くも無いモノだったそうだ。数日に一度ダンジョンに足を向け、30層付近まで行き、モンスターを倒して得た魔石やドロップアイテムを手にする。それを換金し、『経験値(エクセリア)』を手に入れて、【ランクアップ】していく。

 大多数の冒険者と同じような平凡な日常。もちろん彼等とてここまでこれるほどだ、凄腕の冒険者と言っていい。

 だが、伝え聞く【ロキ・ファミリア】の団長フィンや、オラリオ最強の冒険者であるオッタルに比べれば、平々凡々だった。

 もちろんそれでも十二分に幸せだった。気心知れた仲間、命を預けあえる家族。それこそが何より大事だと、神も仲間も、よく知っていたから。

 ――そんなある時、仲間の一人からある情報が寄せられた。

 30層付近にお宝が出たらしい、行ってみないか、と。

 もちろんその情報に正確性など欠片もない。行っても無駄足になるだけだろうと、全員がわかっていた。

 ただ飽いた日常、繰り返される平凡に、少しのスパイスがあればいい――そう、誰もが思っていた。

 思っていた、のに。

 「裏切、られたんだ……! そいつに」

 情報を持ち込んだのも、27層で一旦休憩しようと行ったのも、そいつだった。休憩してしばらくすると辺りが騒がしくなり、不安になりつつ武器を構えた。

 そして押し寄せてきたモンスターを相手に必死になって応戦して。し続けて。

 「前で戦う奴らの背中に、剣を突き立てやがったんだ」

 唐突な裏切りだった。考えもしていなかった。それくらい長い間、一緒に戦い続けてきたのだから。

 裏切りと、戦線を支えていた一人の死。重なった衝撃は、モンスターを抑えきれなくなり、蹂躙された。

 自分以外の全員。――裏切った人間さえも。

 「俺だけが必死に逃げて、逃げて……他の奴らは、全員死んだってのに!」

 ありえないと眼を見開いた彼を。死にたくないと震えて泣き叫んだ彼女を。死ぬのをわかっていて囮になった者達を。

 満足そうに笑って、モンスターに食われた裏切り者を。

 「俺達だけのパーティじゃない。他にも罠にハメられたんだ。身内に、仲間だと、家族だと思ってた奴に裏切られて」

 やまないモンスターの群れと、仲間の裏切り。それによる疑心暗鬼が辺りを覆い、自分以外誰も信じられない状況にさせられた。

 ある意味で俺は幸いだった、と彼は言う。自分以外全員死んだから、無理に信じる者がいなくなったから、と。

 「ここは、たまたま安全なだけだ。すぐに奴らが来る。そして、俺も……!」

 気を取り戻したからこそ、辛い状況を鮮明に思い出してしまう。再度恐怖に震え出す体を、だが口だけは止めずに、彼は告げる。

 「止めて、くれ」

 自分の命ではなく。

 「この、クソったれな状況を。罠にハメた奴らに、目に物見せてやってくれ。そうすりゃ、まだ助かる奴らが大勢いるんだ」

 仲間の命を奪った奴等を止めること。

 そして、まだ命のある者達の救援を、望んでいた。

 「……26層に続く階段への道はわかるか?」

 「え? いや、わからない、けど」

 それを聞いて、シオンは敢えて答えず、質問を返した。思っていた答えが帰ってこなかった彼は戸惑いつつも、素直に答えてくれる。

 「ならおおまかな方向を教える。多分、右の壁伝いに移動すれば、その内瓦礫の山が見えるはずだ」

 「瓦礫の山、って?」

 「――26層と27層を繋ぐ階段に置かれた瓦礫だ。多分あの近辺は、モンスターと人が入り混じった状況にあると思う」

 彼の話と、未だに存在する瓦礫の山を考えれば、その付近がどうなっているのかなんて簡単に想像できる。

 そして、そこに何の【ファミリア】がいるのかも。

 シオンは懐から短剣を取り出す。その輝きに一瞬体を硬直させるも、敵意が無いのはわかるのだろう。すぐに落ち着いてくれた。

 それをありがたく思いつつ、シオンは長い髪をひと房掴み、それを切った。

 「これを」

 後で怒られるかな、と内心で苦笑を浮かべつつ、髪を彼の手に押し付ける。ギュッと握っていないと今にも零れおちそうなくらい滑らかな髪質に驚きつつ、彼は目線で問いかけた。

 「おれの髪色は結構変だからな。……途中である【ファミリア】を見かけたら、伝言を頼みたいんだ」

 「伝言? どんな?」

 「『この状況の原因はおれ達で何とかする。だから、26層へ続く階段を塞ぐ瓦礫の撤去と、そこに逃げる冒険者の保護を頼みたい』って」

 「……その【ファミリア】って?」

 若干の不信感を偲ばせつつ、彼は言う。身内にすら裏切られたのだ、その反応も仕方ない。けれどやはり、彼女達を信じるしかない。

 「【アストレア・ファミリア】だ」

 「【正義(アストレア)のファミリア】、か。なるほど、彼女達なら、確かに。だけど、ここにいるのか?」

 「彼女達が昨日、ダンジョンに潜っていったのを見送った。途中で会わなかったし、まずこの階層にいるのは間違いない、と思う」

 実際に確認した訳ではない。だが、いるだろう、という奇妙な確信があった。そんなシオンの自信を感じ取ったのか、最後には彼も、頷いてくれた。

 「わかった。後、それを見せても疑われたら、リオンかサニアがいるか聞いて、これを伝えてくれ」

 ――『リオンとサニア、二人から受けた恩を返しに来た』と。

 多分それで、【アストレア・ファミリア】は彼を信用するだろう。

 ……彼自身が裏切り者だ、という線を、シオンは考えている。だが、敢えてそこには触れなかった。彼の後悔は本物だし、死への恐怖も本物だ。それよりも、この伝言を伝えてもらうという事の方が上回った。

 それら全ての思惑をおくびにも出さず、シオンは告げた。

 「必ず伝えてくれ。だから、死ぬな」

 その言葉を聞いて、彼は悟った。

 『助かる人が大勢いる』、その『大勢』には、俺自身も含まれているのだと。

 若干疑われている事を知らぬまま、先程とは真逆の意味で涙を浮かべつつ、絶対に死なないと告げて、彼は去っていった。

 ……この状況を作り上げた者達の名を、最後に告げて。

 正直、顔を歪めなかったのは奇跡に近い。それほどにシオンは彼等と因縁があり、同時に個人的な恨みもあった。

 「『闇派閥(イヴィルス)』。……義姉さんを殺した男が、いる組織」

 ギリギリと拳が唸りを上げる。内心で爆発しそうな怒りと憎しみを、けれど抑えて、シオンは冷静になるよう深呼吸した。

 「大事なのはこの状況の解決だ。見誤るなよ、おれ」

 敢えて口に出さなければ抑えきれない。

 それほどの激情を自覚することなく、シオンは戦闘音がする方へと走り出した。


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