英雄になるのを望むのは間違っているだろうか   作:シルヴィ

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予想外の縁

 「……それで」

 さっきの言葉の後、俯いて口を開かなくなった鈴。そんな彼女を横目に、ティオネは血で汚れ切った湾短刀に手拭いを置く。それだけで血を吸い、ドス黒く濁った布を嫌そうに見つめると、適当に放り投げた。

 流石にアレを再利用するために持ち帰るつもりにはなれない。

 「結局、どうして皆殺しにしたのよ?」

 そしてもう一つ新しい布を取り出すと、まず自分に付着した物を拭い、余った部分を使って武器を拭く。

 それでもまだ取れない。どれだけ血を吸ったのだろうか。殺し方が悪かったのかもしれない。

 ティオネがそんな事を考えているなど露も知らない鈴は、あぁ、悪いね、と慌てたように続きを説明した。

 「あたいの眼を見てくれ」

 「眼? って、そういえば色も形も大分おかしかったわね」

 そう、ティオネの言う通り、今の鈴の瞳は、金色の瞳孔を宿している。また虹彩も赤色に変化していて、およそ人間が持つ瞳とは言い難い。

 何より大きな変化は、瞳孔の形だ。通常円を描いているはずの瞳孔部分が、どうしてか縦長に変化している。この特徴は猫、またはリザードマン等蛇の要素を持つ者に多い。

 「確かその眼は暗いところでも視えるように発達した結果、だったかしら。つまり今の鈴は暗がりでも関係無く物が視えるの?」

 「まぁ、そうなるね。でもそれは副次結果で、一番の効果は別にある」

 そしてそれは、ティオネが感じた蛇のような瞳、という感想と相違無い。

 「人に説明するのは面倒なんだけど、例えばそこの暗がりとか、後は壁の向こうの物陰とかに隠れていても、熱を探知できるのさ」

 「……それは単純にモノが見える、というのとは別なのよね?」

 「ああ、違う。そうだね、あたいには今、ティオネの顔がわからない。代わりに体温の高い部分が赤く、低い部分は青く見えるのさ」

 そこまで言われて、何となく理解した。

 要するに鈴は、熱源が見られるのだ。熱の中心は赤く、冷えていれば青く。壁の向こうにいても熱探知が可能なのは、人という熱を持つ物体が壁に触れる事で熱が伝わり、色が変わるからなのだろう。

 鈴が唐突に壁へ向けてオロチアギトを伸ばしたのは、壁の中に潜んでいた人間の熱を見ていたからだ。

 「ま、通常の視界が無くなるのは不便でしかないけどね。本当の蛇なら眼じゃなくて別の器官を使うから問題ないんだけど」

 いわゆるピット器官である。目と鼻の間にあるモノなのだが、当然人間には備わっていない。そのため鈴は、ある意味『見えない』視界で戦っていたりする。

 「……なるほどね、大体わかったわ」

 『オロチアギト』という武器の存在を隠していた理由。シオンがそれを容認し、だが今回持ってこいと言った訳。それほどの能力。

 ――そして、この状況。

 「壁に人間が潜んでいたってのは、まぁ奇襲のためしかないでしょうね。鈴が殺すと決めたなら警戒をせずに休んでいたんでしょうし」

 「ああ、その通りだ。物を飲み食いする余裕さえあったようだからね」

 「で、それを隠して、一見武装がバラバラな集団で待機。そこに通りがかった哀れな被害者を良い人ヅラで仲間に引き込んだと見せて――ハッ、反吐が出そう」

 一度でも仲間だと思ってしまえば、警戒心は薄れる。安心感から緊張を解いた瞬間、壁の中にいた人間が襲い掛かり――背を向けたら、そのまま殺す。

 とても有効だからこそ、ティオネは不快だった。それは鈴も同じなようで、鞘に戻したオロチアギトの柄を握り締める。

 「『闇派閥』……話しに聞いてはいたけど、思った以上の外道だったみたいだねぇ」

 「性根の腐った連中の集まりよ? まともさを期待する方がどうかしているわ」

 言って、拳をぶつけ合う。

 「「殲滅戦! 見つけ次第殺す!」」

 物騒な事をのたまい――だがこの状況ではそれが最善手なのが困る――ながら、二人は互いがいつでもカバーできる程度に走り出す。

 気のせいか、鈴はティオネに先程よりも近くを走りながら。

 

 

 

 

 

 「ハ……ハ……運が、いいな」

 『英雄』と名乗った少年と別れてから、ずっと言われた通りに走り続けた。回復薬のお陰もあってか、精神的にはともかく肉体的な疲労は欠片も無いと言っていい。

 だが何より幸運なのは、ここまで人ともモンスターとも遭遇しなかった事だ。普段通りの実力が発揮できればモンスターとの逃走戦も問題無く行えるだろうが、今の精神状況では期待できない。

 人との会話も、あの裏切りの後では無理だ。どうしても疑ってしまう。

 彼の――シオンの言葉を信じられたのは、嘘を言っても仕方がないという状況だったのと、あの真っ直ぐな目になら、騙されてもいいかな、と思えたからだ。

 そう思うと不思議と体が軽くなり、手足が思う以上に動かせる。

 ――今彼が自身の背中を見られたのなら、それが錯覚ではないと気付けただろう。

 ――煌々と輝くその背中に宿る『恩恵』を見れば、原因など一つしかないのだから。

 しかしそれに気付く事無く、彼は開けた広間に到着した。

 「こいつは……ひでぇな」

 怒声と悲鳴が入り混じる戦場。そんな言葉が似合うほど状況は悪かった。だが、よくよく見れば怪我を負う者はいても死者は出ていないようで、最悪とまではいっていないらしい。

 そして気付く。どうやら俺はたまたまモンスターが通っていない道を来ただけらしい、と。恐らく後数分もすればこの道にもモンスターの群れが襲い来るはずだ。悠長に考えていられる時間は無いだろう。

 「隙間……走って通り抜けられる隙間……」

 戦闘を行っていたとしても、必ずどこかには空隙が存在する。そこを見つけて、途中死なないようにすればあそこまで行けるはずだ。

 問題があるとすればひとつだけ。

 ――モンスターと勘違いされて殺されないようにしないと。

 そうなれば目も当てられない。伝言さえ伝えられずに死ぬなど、助けてもらった恩を返せないだけじゃない。彼等に希望を伝えられないということでもある。

 ――落ち着け。途中で声を出して俺が人間だという事を知ってもらえばいい。

 だから震えるな、と手足を抑える。一歩間違えれば死ぬ、という想像ではなく事実を考えて硬直しそうになる体を動かすために。

 行け。

 ――行け。

 「行け!」

 小さく自分を叱咤し、足を前に。後を考えない全力疾走は、自分が考えていた以上の速度となって駆けていく。

 そして、ふいに剣を背中の鞘から抜き放った。

 「セイ、ヤァ!」

 目の前にいたモンスターを、避けるのではなく切り払う。声を掛けるよりも、モンスターを殺した姿を見せる方が絶対に目立つし、わかりやすい。

 刹那の思考がそう判断した結果だった。

 それが功を奏した。一瞬こちらを見たモンスターは、つまり本来相手にしていた者から目を離した事を意味する。

 その数秒の隙は、あまりに致命。ここまで来た冒険者にとって、命を奪うにはあまりにも容易な瞬間だった。

 そしてそれは、彼が安全に移動するための道が作られた事を意味する。剣を鞘に戻すのも惜しいと手に持ったまま――いっそ投げ捨てようかとさえ考えた――走り抜ける。

 「すまん、助かった!」

 「いや、こちらこそ隙を作ってくれて感謝する。……だが、すまない。お前を通す事は、まだできないんだ」

 恐らく【アストレア・ファミリア】の団員であろう女性に感謝の言葉を贈る。だが、返ってきた言葉はある意味予想通りの物で、だからこそ彼は戸惑わなかった。

 「怒らない、のか?」

 「こっちは助けを求めに来た側だからな。そっちの事情も、まぁ何となくわかる。――俺が『闇派閥』の人間かどうか、疑っているんだろ?」

 この言葉に、彼女は顔は逸らさずとも目線がズレた。嘘が吐けないわかりやすい女性だな、と苦笑したくなるも、こちらも急ぎだ。

 「これを見てくれ。見せればわかる、そう()から言われたんだが」

 「ッ!? それは……それをどこで?」

 ずっと手に持っていた白銀の髪を胸元まであげる。それを見た彼女の反応は劇的だった。どうやらシオンの言っていた言葉は正しく、見せるだけでわかるとは、どれだけ近しかったのだろうという疑問もまた同時に湧いてきた。

 「『英雄』シオンからの伝言をそのまま伝えるぞ。『この状況の原因はおれ達で何とかする。だから、26層へ続く階段を塞ぐ瓦礫の撤去と、そこに逃げる冒険者の保護を頼みたい』、だ」

 「なるほど。……彼等も、ここに来たのか」

 昨日リオンと話していたシオンの姿が女性の脳裏に浮かぶ。……一日という時間差がありながらもう追いついてくるとは、相変わらずおかしなパーティだ、と思いながら。

 「信じてくれる、のか?」

 「その髪と、伝言内容を考えればな。……だが、念のためだ。他には何と?」

 「えっと、『リオンとサニア、二人から受けた恩を返しに来た』って、言っていたな」

 確定だ、と女性は後ろを振り返ると、回復薬を管理・運搬の役目を負っていた少女を呼ぶ。

 「はい、なんでしょうか!」

 「リオンとサニアの客人だ、彼は『闇派閥』ではない。シオンの伝言も持ってきてくれた、これについては彼の案内をした後団長に伝えてきてくれ」

 「シオンさんの!? わかりました、必ず報告します!」

 こんな状況でありながら笑顔を忘れず、元気な少女に、我知らず肩から力が抜ける。どうやら思った以上にさっきの状況が負担になっていたらしい。

 内容を聴き終えた少女は、やはり笑顔でこちらを見てきた。

 「それでは案内致します。あ、あまり広くはないので、変な物を踏まないようにお願いします」

 「ああ、わかってるよ」

 基本的に階段のある付近は、大人数の人間が通れるよう、通路の幅が広くなっている。それでもやはり、例えば『ゴライアス』が出現するあの通路ほどではない。

 そのため【アストレア・ファミリア】と、恐らくここに逃げてきた大小のパーティが混在しているここはかなり狭い。特に負傷者を横たわらせている付近は雑魚寝そのものだった。

 「リオンさん、サニアさん! お二人にお客様です!」

 「え、私達に?」

 反面、狭すぎるので案内自体は一分もかからなかった。出迎えてくれた二人の少女――片方は体全てを覆い隠すローブのせいで顔すらわからないが――の片割れが言う。

 「でも、私達ってそんなに知り合いもいないんだけど」

 「シオンさんの言伝を預かった人ですから、お客様で合ってると思いますよ?」

 「シオンから!? まさかここにいるの?」

 「さ、さぁ、それは私からは何とも……では、私は団長への報告があるので。失礼します」

 ペコリ、と頭を下げる少女は、そこで急いで去っていった。先程までの歩みは嘘のような速さである。恐らくかなり忙しいところを、気を遣ってくれたのだと思われる。

 ……だが、この状況で残されるとかなり辛い。

 お互い初対面なのだし。警戒されまくっている。

 「あー、と。まぁ、シオンからの伝言を預かった男だ。名乗りはしない。たまたま彼に助けられただけの男だからな」

 「はぁ……」

 気の無い返事に心折れそうになるも、あくまで伝言、あくまで伝言、と内心で割り切る。

 「――『リオンとサニア、二人から受けた恩を返しに来た』。これが証拠だ」

 「その髪……! それに、恩を返すって」

 どちらも彼彼女しか知らない物だ。渡された髪は、あまりに握り締められたからだろう、解れていたし汗も付着していたが、それでもよく知る彼のものだった。

 「あの、これを受け取った状況は!?」

 「俺も錯乱してたし、よく覚えてない。ただ、そうだな」

 そう、実はこれを受け取った時点で疑問に思っていた事が、一つだけある。

 「周囲にシオン以外の人影が無かった。錯乱した俺を慮ってって訳でもない。……今、彼は一人で行動してる、と思う」

 実際は違うのかもしれないが、何となくそうなんじゃないか、と思っている。

 どうしてこんな危険な場所で一人なのか、とか。

 そんな状況で他人を助けられるなんて、とか。

 色々思わせられることはあるが、助けられた側の人間に文句は言えない。ただ助けられた恩を返す程度だ。

 「……確かに伝えたぜ。伝言役でしかない俺はここまでだ」

 今にも死にそうなくらい精神的に疲弊していた彼は、壁に向けて歩き出す。フラフラと、真っ直ぐ動くのも難しい彼は、壁に背を向けるとそのまま腰を落とし、気絶してしまった。

 それを見守りつつ、サニアは横目でリオンを見る。

 「どうする? リオン」

 恐らく彼の言葉は何一つ間違っていないだろう。サニアの知るシオンなら、そうしていても何ら不思議ではないからだ。

 だが、それを聞いてどうするのか、と言われても、どうしようもない、というのがリオンの本音である。

 当たり前だ、今の彼女達は暇ではない。かつてのように、シオンに雇われただけの冒険者として振舞うのは、あまりに【アストレア・ファミリア】への不義理が過ぎた。

 「……私は」

 だが。

 「シオンを。彼を……助けたいと、思っています」

 行動する事と、思う事は、全くの別物だ。

 基本他人に無関心のリオンが吐露した他者を心配する言葉に、サニアはにっこりと笑顔を浮かべる。

 「じゃ、助けに行けばいいじゃん」

 「え? いや、それは」

 「団長には私から言っておくからさ! リオンの代わりに人一倍働くとでも言えばきっと頷いてくれるよ」

 それはありえない、というのはリオンでなくともわかる。とんでもなく怒られるだろうし、ペナルティも大きいだろう。最悪退団さえ考えられる。

 けれど。

 けれど――!

 「わかり、ました。頼みます、サニア」

 「うんうん、たまにはドーンと私に任せておきなさいな!」

 己が認めた他者でなければ触れることさえ厭うエルフの性。そんな自分にできた、二人目の友達を助けたい――その一心が、リオンを突き動かした。

 武器、回復薬、その他入用な物を入れたポーチ。そしていつも纏うローブ。最低限の必需品を持って、リオンは影を縫うように走り出した。

 それを笑顔で手を振って見送り、その背中が見えなくなると、サニアは顔を強ばらせた。

 「……出てきて構いませんよ、()()

 「……ふむ。私がいると知っていながらあの発言、ですか。覚悟はよろしいので?」

 笑顔のまま固まった顔を振り向かせる。背後に立っていたのは、サニアよりも頭二つ分は高そうな身長を持つ女性だ。

 そんな彼女は、サニアに向けて冷静な口調で、顔は怒りを携えながら、問うていた。

 「ええ、もちろん。リオンが――親友が、友達を助けたいと願ったんです。手助けしない、なんてそれこそありえませんよ。……この件が終われば、退団ですか?」

 だが、サニアはリオンの事を話す時だけは、本心からの笑顔で――退団の時はやはり強ばってしまったが――頷いた。

 それを数秒見つめ、本心からの発言だと理解すると、対面の女性は大きく肩を落とした。

 「……昔の私なら、規律ばかり考えていたのでしょうね」

 「団長?」

 「私は何も見ていませんし、聞いていません」

 敢えて、彼女は大きな声で、はっきりと言った。その真意を掴めず、困惑した様子のサニアを無視して、彼女は()()()を続けた。

 「ああ、でもリオンがいなくなってしまったのはやはり重いですね。……これでは()()()()()()()大きくなってしまいそう。誰か引き受けてくれる人はいないものでしょうか」

 それは。

 その、意味は。

 覚悟はできているのでしょう。そう目線で問われた意味を知ったサニアは、大きく手を上げて己を指差した。

 「はい、はいッ、私が引き受けますよ! 戦闘雑用何でもござれ、パパッとこのサニアちゃんが片付けてみせましょう!」

 「……そうですか。では、リオンがいなくなっても何の問題もありませんね」

 「ええ、もちろんですとも」

 

 

 

 

 

 「そろそろキツくなってきたかも、な!」

 そう言葉に出して乱れそうになる呼吸を整える。頬に付着した血を袖で乱雑に拭うと、壁に背を預けて前を見つめる。

 そこにあったのは、死体だらけ。人と、モンスターの……死体の山だった。生きているモノは一つとして存在しない。

 ついさっきの戦闘を思い出し、シオンは顔を顰めた。

 ――モンスターはまだいいけど、人が、な。

 敵なのか、味方なのか。その判別が非常に難しい。味方のフリをして近づいて来る『闇派閥』は最も危険な存在だ。

 また『闇派閥』でなくとも、『疑わしいからとりあえず殺す』というパーティもいた。彼等からは走って逃げ出したが、あの様子では遠からず……。

 そこまで考えて、シオンは震えそうになる手を、手首を押さえて押し留めた。

 ――例え『闇派閥』だろうと、人を殺すのは……辛いな。やっぱり。

 覚悟はしていた。でも、モンスターを殺すのと、自分と似た形を持ち、言葉を、意思を交わせる相手を殺す負担は全くの別物だ。

 もちろん助けられた相手もいた。自分の居場所がわからず彷徨っていた冒険者達に、階段の大雑把な方向を伝えられた。疑われていたが、自分の所属や二つ名を名乗れば、一定の信用くらいは得られたらしい。そっちに行く素振りは見せてくれた。後は彼等次第だ。

 怪我はしていないが、最も効能の薄い回復薬を取り出して飲む。傾けすぎて微かに脇から零れて頬を伝った。それをまた袖で乱雑に拭い、瓶を投げ捨てた。

 ――数秒だ。数秒休んで、また進もう。

 そう思った時だ。右の通路から、フラリと人影が現れたのが見えた。それに対し、シオンは無意識に警戒し、片手を柄に添える。徐々に近づいて来ると、相手はどうも全身を隠すローブを纏っているらしい。この距離では、身長がとても高い、くらいしかわからなかった。

 男か女かも判別できない。後わかるのは、武器は表に出しているので剣を持っている、という事くらいか。

 そして一定の距離に近づくと――シオンは本能だけで行動した。

 剣を抜刀しつつ突撃し、一撃で殺せるように剣を真っ直ぐに突き刺す。

 それに相手は慌てたように腕を伸ばす。その腕は、人の腕にはありえない、()()をしていた。

 ――コイツ。

 どうしてこんな行動したのかを、シオンは今更ながらに理解する。

 ――人に擬態するモンスター!?

 そんなモンスター、聞いた事がない。腕の色から恐らくリザードマン。確かに奴等なら、ローブでその特徴的な体を隠せば体格の良い人間として誤魔化せるだろうが――そんな知性を持つリザードマンがいるなどという情報、一度も聞いた事がない。

 あるいはこれが特殊個体……いや、とシオンの思考が凍りつく。

 ――まさかこいつ、あの時と同じ『強化個体』か……!?

 同族に近いモンスターを殺し、その魔石を喰らって己を強化したモンスター。その強さを、悍ましさをシオンは覚えている。

 あの時の感覚を、まだ感じないが。

 ――まだ弱い内にコイツを殺さなきゃマズイ!

 一人で殺し切れるほどに弱い事を祈ったシオン。そんな彼を止めたのは、奇しくも目の前にいた()()()()()()だった。

 「ストップだ『シオっち』! 俺は敵じゃねぇ!」

 「――……は?」

 ピタリ、と己の――それもたった一人しか呼ばぬ名前に、シオンの思考と体が完全に止まる。今ならあっさり殺されるだろう、というぐらいに。

 だが、目の前のリザードマンはフードを取ると、妙に親しげな、だが笑顔とわかる笑顔を浮かべてシオンを見ていた。

 「いやぁ、あの殺気にはブルったぞ? まさかもうここまで強くなってるなんて思いもしなかったな」

 「あー、えっと……まさか、リド?」

 「おう! 久しぶりだな、数年ぶりか? 滅多に会わないから仕方ねぇが、こんな状況じゃなきゃアルルにも会わせてやれたんだが」

 勿体ねぇなぁ、としみじみ呟いているが、むしろシオンの方が驚いている。モンスターであるリドがここにいるなど危険過ぎる、と。

 だが、リドはそれを否定した。

 「いやぁ、それがそうでもないんだな、これが。オレっちはモンスターだが、異端だ。本来同族であるリザードマンでさえ殺しに来る。ローブ被ってりゃ、尻尾に気を付けてれば案外人間のフリをするのは訳無いぜ」

 実際この状況だ。相手をよく観察する暇など早々無い。もちろん怪しさ全開なので、助けに入った後数度話せば即別れるのだが。

 それでもリドは、『人を助けられる』という事に、一定の充足感を得ていた。それが何の意味もない自己満足だとわかっていても――。

 「だが、お前さんがいれば話は別だ」

 ただし、シオンがいれば、それは自己満足ではなくなる。

 「お、おれ?」

 「ああ。オレっちだけじゃ階段のある場所を教えても、欠片も信用されない。嘘か罠かと断定されるのがオチだ。というか、された」

 まぁ、わからなくもない。リドが強いのは立ち振る舞いからわかる。そんな強者だとしても、顔体の全てを隠しているのは致命的に怪しすぎた。

 「だけどそりゃ、逆を言えば信用できる相手からの言葉なら別ってこった」

 「……つまり、おれが矢面に立て、と?」

 「おう、その通りだ! 自慢じゃねぇが、オレっちはお前らで言うところのLv.5程度の実力を持ってる。喉から手が出るほど欲しい、信用できる『戦力』だと思わねぇか?」

 ……確かに、その通りだ。

 シオンはあの【ロキ・ファミリア】に所属し、最年少ながらLv.4に到達しかけている『英雄』の二つ名を有する、新進気鋭のパーティリーダー、という肩書きを持っている。

 反面パーティで行動せず、単独で動いた場合、シオンより強い相手などいくらでもいる。本来ならベートがいてやっとここで活動できるほど、今の状況は危うい。

 一手間違えれば死ぬ、という今の状態において、リドのいう戦力は、確かに魅力的だった。それも相手がまず裏切らないと確信できる相手なら、尚更に。

 まぁ、リドの正体がバレれば、一転してヤバくなるが、それも承知の上で動けばいい。

 「……おれに雇われた凄腕冒険者。顔を隠しているのは見せられないほど顔が酷いから。そんな肩書きで行動すれば、行けるか」

 「お、ってことは?」

 シオンは嘘を吐いた事が無い。無いが、それはシオン個人だけの話。リドがする嘘はシオンには関係無い。

 「リドに大きな借りができそうだな」

 「おう、気長に返済待ってるぜ? なんせオレっち、金に興味ねぇからな!」

 そっちの方がむしろ困るんだけど、と思いながら、シオンはリドに手を差し出した。それに口元を緩めると、リドは爪を立てないように気を付けつつ、その力強い手で握り締めてきた。

 「期待はしないでくれ。次いつ会えるのかも謎なんだから」

 「いいさ。あー、友達を助けるのに理由はいらない、だったか? 実はアレに憧れててな、借りなんてのもぶっちゃけいらねぇのが本音だ」

 だからどんどん頼ってくれ、というモンスターの形をした友達に、シオンも気付けば、この場にそぐわない笑みを浮かべてしまっていた。




 久しぶりにリドを出せました。ここのためだけにシオンとリド達を会わせました。じゃないとシオンが単独行動なんていう無理な状況から死亡ルートしかありえなかったので。
 ま、実質今回は場を整える回。ベートとティオナ&アイズはお休みです。

 それはそれとして、忙しくなってきました。研究室配属に、夏休みに行くインターンシップのエントリーなど、準備が多い。
 部活とインターンシップで夏休みの大半が消し飛ぶかも……。もしかすると夏休みの方が書く時間少なくなりそうです、申し訳ない。

 梅雨も過ぎて本格的な夏が始まりますし、お互い体調に気をつけましょう。

 次回もお楽しみに!

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