「は、早かったわね、お燐。お空はどこに?」
「え、あ、はい。ここにいますよ? 早かったのは、お空はあたいの部屋に置いてきていたので」
「さとりさまー」
お燐が自分の頭の上を指差す。そこには確かに、さとりの知るお空がこいしと同様に手のひらサイズまで小さくなって乗っかっていた。
こいしはそれを見て、真似をしてみたいと思ったのだろう。妖怪としての力を使って浮くと、さとりの頭の上にちょこんと腰をかけた。
それからふんぞり返る。
「ふっふっふ、我が姉よ。私のために存分に働くとよいわー」
「……誰の真似よ、それ」
「知らなーい」
はぁ、とさとりはため息を吐く。こいしが「そんなにため息ついてたら幸せが逃げるよ?」なんて呟いていたが、誰のせいだと言ってやりたかった。
「わぁー。さとりさまおっきいー」
「はいはい、違うわよ。あなたが小さくなっているのよ、お空」
「えっ? そ、そうだったんだーっ!?」
お空の反応を受け、さとりはお燐に視線を向けた。あるいは説明していないのかと思ったが、お燐は苦笑いを返してくるのみ。
お空は地獄鳥と呼ばれる鳥の妖怪――八咫烏という神さまも混じっているが――だけあって、非常に頭が弱い。鳥頭である。それが可愛いところなのだけれど。
「……そうね。お燐、あなたはお空が戻るまで怨霊の管理を休みなさい。その間、代わりにお空の世話をしていてちょうだい。どうやら力も見た目相応まで小さくなってしまうようだから」
「えっ? で、でもあたいが休んだら、管理ができる妖怪がいないんじゃ……」
「私がやるから大丈夫よ」
お燐が目を丸くしていた。当然である。さとりは、
怨霊は言葉を話せないながら、言葉で自身のことを相手に伝えることを望んでいる。お燐は怨霊の言葉を聞くことができる力を持っている。だからお燐に懐くし、その力を持っているお燐だからこそ怨霊の管理ができる。
さとりも一応、怨霊の意思を理解することはできる。嫌われる元凶たるその
お燐がひどくさとりのことを心配しているのが、さとりにはわかった。
言葉を発せぬ動物たち――お燐やお空は今は言葉を持つが、かつてはそれを持たぬただの動物だった――は、自身を理解してくれる存在を望む。だから、他者の心を読む
お空が大変なことになってしまったというのなら、己が身を削ってでもお空が元に戻るまで大切に扱う。それはさとりにとって、ごくごく当然の選択である。
「心配しなくても平気よ。お燐が妖怪化するまで怨霊の管理をしていたのは私なんだから、元に戻るだけ。あなたが気にすることはない」
「で、でも」
「私より、お空の心配をしてあげて。あなたの親友なんでしょう?」
「さ、さとりさま……」
感動したように瞳を震わせたお燐は、袖でごしごしと目元を拭うと、まっすぐにさとりを見つめた。
「いえっ! 怨霊の管理はあたいがしっかりやってみせます! その上で、お空の世話をしっかりやってみせますっ! だよね、お空っ!」
「う、うんっ! よくわからないけど、さとりさまをわずわら……わわずら……わずわわらせ……うん! さとりさまにめーわくかけるようなことはしたくないわ!」
煩わせる、と言いたかったようだ。お燐とお空の気合の入った返事に、さとりは「そう。そこまで言うなら、じゃあ、そのように」と淡々と返しつつ、その実内心ではペットたちの心遣いに喜んでいる。
ちなみにその間、こいしはさとりの頭の上から降りて、さとりの飲んでいたコーヒーを覗き込んだりしていた。さとりの耳に、ぽちゃんっ、となにやら水音が届いた気がした。
「ではお燐、頼みましたよ。大変になったらいつでも私を頼っていいのですからね」
「はい! ありがとうございます!」
「お空、あまりお燐に迷惑をかけてはダメよ。あと、こいしはきちんと私がたしなめておくから」
「うん! でっかいお燐、よくわかんないけど、しばらくよろしくね」
お燐が「でっかいはいらないって」とお空に文句を漏らしたのち、「失礼しました」とさとりの部屋を去っていく。
扉が閉まり、お燐の足音が聞こえなくなった辺りで、さとりは机に上半身を突っ伏した。
「……うぅ。恥ずかしいところ見られた……」
「ねーお姉ちゃん、別にお燐に世話させなくても、他のペットにやらせればよかったんじゃない?」
「それは、そうね。気づかなかったわ。こいしを叱るところを見られて存外冷静さを欠いてたのかも……」
「もしかして私にニートって言われたの気にしてたの? でも結局仕事もらえなかったね」
「だからニートじゃない、って、なんであんたコーヒーまみれになってんのよ」
「えへへー、覗いてたら落ちちゃった」
「えへへじゃない。こら、そんな姿で私の頭の上に乗ろうとしないの。まったくもう……」
さとりはこいしの服の襟を摘むと、イスから立ち上がった。
タンスの中からあれこれと取り出し始めるさとりを眺め、こいしは目を瞬かせる。
「お姉ちゃん、なにしてるの?」
「なにって、あんたを風呂に入れるのよ。ついでに私も。今のあんたをタオルで拭いたって、さすがにコーヒーくささは抜けないからね」
「一緒に入るの? お風呂くらい一人で入れるよー。そのくらいは大人だもん」
「大人って字はあんたの辞書にはないって言ってたでしょうが。いいから黙って来なさい。言ったでしょう? 元に戻るまで、あんたは私の前から消えるの禁止」
「いや、ないのは反省だけど。というかあれほんとに実行するの?」
「ほんともなにも、本気よ。いっつも知らないうちにどっか行っちゃうんだから……たまには、お姉ちゃんの目の留まるところでおとなしくしてなさい」
「大人だけに?」
「やかましい」
さとりはこいしにでこぴんを食らわせる。こいしは「いたぁ!」とのけぞった。
「暴力反対っ。これは間違いなく児童虐待ー。裁判っ、裁判ーっ」
「幻想郷に司法なんてないんだから、裁判もなにもあったもんじゃないでしょうに。それよりあんた、服はどうするのよ。今着てるそれ洗うとすると、着れるものがないんだけど」
「私に聞かれても知らないわよ」
「急に真面目に返さないの」
「えー。理不尽ー」
「えー言わない。そうね、まぁ、適当にハンカチでも巻いておけばいいかしらね……」
あるいは今のこいしに合う小さな服でも縫ってみようか。ついでにお空のものも。あいにくずっと地霊殿の中で暮らしてきただけあって、家庭的なスキルはお手のものだった。
こいしは喜んでくれるだろうか、と。小さく笑みを浮かべるさとりを見て、こいしはなにを感じたのか、「ハンカチなんて嫌だー」と言おうとした口を閉ざす。さとりが黙ったこいしを不思議に感じる頃に、こいしはまた口を開いた。
「まぁ、たまにはいいかもねぇ。お姉ちゃんと一緒にお風呂に入るっていうのも」
「いやに素直ね。なにか企んでるのかしら」
「お姉ちゃんひどいー。私はお姉ちゃんのためを思ってー」
「はいはい。ありがとうねー、こいしー。私のためにー」
「むぅ、その声音、絶対信じてくれてないー……別にいいけど」
頬を膨らませてむくれるこいしの様子に、さとりは耐え切れず笑みを漏らした。
こいしの頭に手を――というより、指を――乗せ、優しく撫でる。
「信じてるわよ。ありがとうね、こいし」
こいしは目をぱちぱちとさせ、呆けた風にこくりと頷いていた。それがまたおかしくて、さとりの笑みは深まった。
たまにはこういう日もいいかもしれない、とさとりは思う。
こいしが心を閉ざしてから、その交流はめっきりと減ってしまった。こいしが地霊殿に帰ってきても、心を閉ざしたゆえに無意識の妖怪と化した彼女は、よほど注意しなければ見つけることはかなわない。あるのはたまにこいしが声をかけてくれる程度の、姉妹だというのに数えるほどしかない邂逅。
片方は地上へ、片方は地底で。かつてのように、互いの心がまっすぐ向き合うことはなくなってしまった。
それでもたまには、こうやって以前のような姉妹の関係に戻るのも悪くはないと思った。さとりには妹の心が読めないけれど、もしかしたら、こいしもさとりと同じようにそう感じてくれたから、たまにはいいなんて言ってくれたのかもしれない。
「えへへー、お姉ちゃーん」
「ちょ、ちょっと。そんなコーヒーまみれの体で私の服に触らないの」
「どうせ洗うんだからいいじゃん」
「シミになっちゃうじゃない」
「細かいなぁ、もう」
「いいから、スカートから手を離しなさい。というかあんたを持ってると着替えとかの準備がしにくいから、ちょっと離れてなさい」
「えー。お姉ちゃんから持ってきたのにー。理不尽ー」
「えー言わない」
しかし風呂に入るにはこいしの体は小さすぎる。でも、まぁ、桶にでもお湯と一緒に入れればいいか。
そんなことを考えつつ、意地でもスカートから手を離そうとしないこいしをたしなめ、さとりはお風呂に入る準備を進めていく。
「あとこいし、いつも言いたかったんだけど、帰ってきた時は『ただいま』を言いなさい。一緒に住んでるんだから、家族にくらいはその帰還を知らせなさい」
「ただいまお持ちしました。あなたの妹の私です」
「違う、そうじゃない」
心を読む妖怪、古明地さとり。そんな彼女が唯一心を読めない無意識の妖怪、古明地こいし。
はてさて、そんな二人の棲まう地霊殿は、今日も平和であった。
なお後日、こいしが地霊殿に帰る前に通りかかる人妖全員に謎の懐中電灯を向けていたことが判明し、博麗の巫女――異変解決屋。悪いことした妖怪を懲らしめる人間――が訪ねてきたり、「てへっ」なんて反省の色の見えない反応したこいしを、さとりが巫女の代わりに懲らしめたりしたのは、また別のお話。
以上でスモールライトのお話を終わります。
・スモールライト
ドラなんとかのひみつ道具の一つ。赤のボタンで光を当てたものを小さくする。青のボタンでは小さくしたものを元の大きさにまで戻すことができる。動力は乾電池二本。