6
――ツン、と肌を突き刺すような寒さを覚えた。
暖房に包まれたぬるま湯から飛び出して、まずそれを痛いと思った。
この時期はどうしてもまだ肌寒さが残る、だというのに微妙な武装できてしまったものだから、どうにも身体を抑えて凍えざるを得ない。こんなはずではなかったのだけれど、まぁ駅まではさほどじゃないのだし……と、諦めるほかはない。
私は今、普段暮らす街から一つ隣の街に居る。私の街は中規模の地方都市ではあるけれど、ここは大規模な、一つの県の中心地である都市だ。
当然といえば当然か、ここには無数のカードショップがある。中にはぼったくりとしか言いようのないものもあるけれど、中にはねこのみーに勝るとも劣らない優良店や、とにかく品揃えがいい普通の値段の店、なんてものもある。
ここは前者、「ねこのみー」のようなカード専門店で、少しだけ古臭いことを除けば、店舗としては非常に優れている。
と……
「……あ」
「……おろ?」
――そんなカードショップの入り口で、私はキリカちゃんと偶然にも、出会うことになのだった。
キリカちゃんの目的は冷やかしだったらしく、本命は別の所にあったようだ。せっかくショップの目の前まで来たというのに、もう既に帰ろうとしていた私の後をついてくるようだった。
――ガゴン、と自販機がうねりを上げる。中から出てきたココアを暖房代わりに、私たちは帰路につくことにした。
ちなみにキリカちゃんはドクペを持参していた。……何故にドクペ?
「いやぁー、それにしてもアユムセンパイもこんな所に来るなんて、隅に置けませんね」
「隅に置けないって……そういうのじゃないと思うんだけど」
「あっはは、楽しんでるようでなによりでっす」
楽しげに腕を軽く覆ってしまうほどのぶかぶか――に見える――裾を振り回しながら、キリカちゃんはケラケラと笑う。
「今日の目的は、もしかして新しいデッキ?」
ついに来たか、と言わんばかりのキリカちゃんの問いかけ。確かに、私が今使っているデッキも、大分飽きが来ている感はあるけれど……
「違うよ、ちょっと欲しいパーツがあったから、買い足しに来たの」
残念ながら、新しいデッキを組もうという気には、まだならない。
「もう大分慣れてきてるんですし、そろそろ新しいデッキ、作ってみてもいいと思うんですけどねぇ……」
「……何だかんだ言って、やっぱりカードは高いから、どうしても足踏みしちゃうんだよ」
「ま、ですよね! その点私は、ドラゴン以外に興味はないので、あまり費用はかかりません!」
とは言うものの、最近はドラゴンにも<幻龍族>なんていう新しい物が出て――私が始めたのはそれより後だけれど――ドラゴン使いのキリカちゃんとしては、新しい出費に苦しんでいるようだけれど……
「ま、とにかくです。私は今日デッキを持ってきてないのでデュエルできないんですけど、この後アユムセンパイはどうするんです?」
「んー、私も用事は済んだけど、どうしようかな」
バッグから取り出したドクペを飲みながら、キリカちゃんが問いかけてくる。時間はまだ三時を回った所、割りと手早く済ませてでてきてしまったから、別の店を回るなんて事もできる。でも、それにキリカちゃんを突き合わせてしまうのは、少し申し訳ない気がした。
「うーん、私としては、今日の夜にやるアニメまで暇なので、どうにかして時間を潰したいんですが……かと言ってまたあのお店に戻るのもなんですし」
「私は……構わないんだけど」
少し時間を無駄にしてしまったわけだけれど、それもまた良い気がする。……あぁでもそうだ、少し気になったことがある。
……思ってしまえば、溢れ出てくるそれを留めることはできなかった。
「そういえば……疑問なんだけど、どうしてキリカちゃんとアイカさんはTCGをやってるの?」
「私達ですかー?」
そう、高橋くんは、解る。こうなんていうか、運命だったのだろう、そうなることが必然だったというか……なんだかポエミーだな、私。
「まぁアレですよ、私はそもそもこう、アレですし?」
アレというか、かなりディープというか……
ともかく、キリカちゃんは続ける。
「……意外なのはやっぱりアイカセンパイですよね。私も、今まで続いていることが意外と言えば意外です」
「宮女のお嬢様なんだよね……?」
最近はすっかりそんな様子もなくって、大会で正面向き合って戦う時を除けば、そこらでTCGをしている人達と、ほとんど違いがわからない。
「そこに疑問を抱く時点で大分毒されてますよー? 本人的にはそのほうがいいんでしょうけれど」
ともかく、コホンとキリカちゃんは咳払いをした。
「……まぁ、なんというか――腐れ縁? って、いっちゃっていいんですけどねぇ」
「腐れ縁?」
私の問いかけに、キリカちゃんは答えた。
「幼なじみなんですよ、私達」
――幼なじみ。
あぁ、納得だ。
昔からの付き合いがあって、今もそれが続いている。……そんなディープな知り合いは、私には一人としていないわけで。……中学の友達、今は何をしてるのかな。
「小さい頃は男女の境なんてほとんどないんですよね。だから私もカードで遊んだりしたし、結果としてそれが今の趣味にもつながってるんだと思います」
キリカちゃんはなつかしそうに目を細めながら語る。
「アイカセンパイなんて、まさしくそれですよ。当時のアイカセンパイは、言ってしまえばガキ大将でしたから。他人の面白そうなことには首を突っ込まずにはいられなかった……一番しっくり来たのが、カードゲームだったんだと思います」
ただそのかわりに、ガキ大将成分がいつの間にか過分になりすぎて――周囲の勘違いを呼ぶようになって――本人としては嫌気が差したのだという。結果として今の人見知りがちなアイカさんがいるってことなのかな。
人に歴史あり、ということだろう。
「高橋くんは、どうなんだろう」
「センパイはまぁ、TCGをするために生まれてきたって感じですから、小学生になったころにはそっこーハマってましたよ」
「そこまでなんだ……」
あはは……なんかこう、イメージと違う!
でもまぁ、それも既に過去のものと化しているわけで……今の自分は、随分と激変した環境にあるのだな、と思わざるをえない。
「私もアイカセンパイも、そんなセンパイとずーっと腐れ縁だったわけですよ。今じゃ学校が違うってのに、こうして暇があれば集まってるわけで」
「今日は私だけどね」
「アユムセンパイだって同じですよ! 私たち、もう仲間ですから」
……仲間、かぁ。
「なんていうか、さ」
気がつけば、私はこんなところにいる。わりと出不精なほうで、人付き合いも最低限、こうして趣味に奔走するようになっても、誰も何も言わなかったのだから、きっと私に対する興味は、その程度のものだったのだろう。
だからこそ――
「自分でも、思ってもみないくらい、満足してるな、私」
「ほう」
「……憧れたんだ、楽しそうだったんだ。それを私もしてみたいと思った。でも、そういうのってその程度で終わりじゃない? ダイエットだって、しようと思っても、そう長続きはしないし、どれだけ素敵な料理であっても、実際に作ってみようとは思わない」
それは、そこまで。
例えばだけれど、あの日私は、いつもより早く学校に来た。一年にそうなんどもあることじゃなくて、とびっきり珍しいことだったはずだ。
友達はそれに驚いていた、けどそれだけだ。それで終わってしまうことなのである。
――案外、その程度なのかなと、そう思った。
憧れにしても、興味にしても、その程度で終わってしまうのが、私という人物と、それを囲む世界なのかなと、そう思ったのだ。
でも、気がつけばそんな世界は激変していた。私という人間はここにいて、隣にはキリカちゃんという新しい友人がいる。
仲間がいるのだ。
「それは……普通にしていればありえない出会いです。私だって、センパイと一緒に<遊戯王>してなかったら、アユムセンパイとは、同じ学校でも出会えませんでした」
キリカちゃんはいう、しみじみと、私の言葉に同意してくれる。
「私、アユムセンパイのこと、好きです。結構とか、割りととか、そういうんじゃなくて。……でも、それはセンパイがTCGをしているからで、でなければ、私はアユムセンパイを好きにもなれなかった」
むしろ、嫌ってたかもしれませんねと頬を掻いた。
そんなものなのかな、そんなものな気がするな。
「それと――高橋くん」
「…………」
彼が聞いた、これからどういうふうにTCGをプレイしたいか。
もっと言えば、なりたい自分。
そんな自分に持つ感情は、やっぱり憧れなのだろう。――解った。あこがれは、あこがれのままにはしておけない。
どこかで形にしなくちゃいけないもので、どこかで形にできるものなのだ。
それが新たな挑戦であり、それがひとつの答えでもある。私は、つまり。それを、形にしたいと思っているのだろう。
「高橋くんがあそこにいたから、私はTCGを始めたわけで、高橋くんがキリカちゃんたちとTCGをしてくれてたから、すんなりとこうやってTCGができているわけで」
あぁ、そうだ。
私は最初に、高橋くんに出会ったのだ。ただ顔を知っていただけじゃなくて、初めてまともに会話した。それが、出発だった。今の私の原点になっている。
それだけじゃない。もっと言えば、こうして私が考えていることは、高橋くんの問いかけに起因している。
未だに答えは出せていない、出せるようなものじゃない。だから、今も高橋くんの姿は記憶の中にある。あの時――今から少し前の話。私は高橋くんの戦う姿というのを端から感じた。
それを、私はすごいと思ったんだ。これも、ふとなんとなく感じた憧れと同じ、言ってしまえば気の迷いではないかと思うようなこと。
私は、
「……高橋くんのあの姿を、今度は目の前から見たいと思った。戦ってみたいとおもった。なんだかバトルジャンキーみたいだけれど――つまり」
それが、結論なのだ。
何よりも、今の私が思う、ひとつの答え。
「――私は、高橋くんに勝ちたい。真剣勝負で、勝ちたいんだよ」
口にする。それまで、ただ思っているだけだったことを形にする。難しいことではない、けっして難しくはないんだ。
ただ、そうしようと思う気持ちがあるだけでいい。それは、ここに来るまで、こうしてキリカちゃんと隣り合って歩くようになるまで、ずっとしてきたこのなのだから。
何も問題は、ないではないか。
「……センパイは」
キリカちゃんは、ぽそりぽそりと、口を開く。
「センパイ、ヤバイですよ。超レアキャラです」
「うん、知ってる」
<遊戯王>は特に人口が多い、対戦相手には困らない代わりに、数合わせとして高橋くんが入り込むことはそうそうない。普通であれば、そのほうがいいんだ。
でも、目的が、そうなってしまうのだから仕方がない。
「センパイに勝ちたいってことは、本気でやりたいってことなんですよね? つまり、目標は――センパイの参加している大会で、優勝するってことになります」
「……うん」
正直言って、かなり厳しいと思う。今まで私が優勝できたことは一度もない。あと一歩、ならないではないけれど、それでも優勝できないというのであれば、意味が無い。
そしてそうなった場合――同時にそれは、キリカちゃんと戦うということでもあり――
「センパイだけじゃないです。アイカセンパイも、います」
「そうだね」
――アイカさんと、本気でやって勝たなくちゃいけないってことだ。
三枝藍華さん、大会で戦った時に、これほど疲れる相手もいないと思う。真剣なのだ、手を抜いていない。それは、きっとTCGをしていない時の、逆らうべからずというアイカさんと、真正面から相対することと同等のことなのだろう。
それだけ、アイカさんの気配というのは濃密で、だからこそ、強敵だ。
それでも、決して勝てない相手じゃないと、私は思う。
だから頷く、そうだねと、努めてあっけなさそうに。
――そして、キリカちゃんはそこで一度足を止めた。見たこともないほど真剣な表情で、私を覗きこんでる。
「……センパイは、強いですよ」
「――解ってる。それでも私は、高橋くんに勝ちたい」
即答していた。考えるまでもないことだったから、考えてもしかたのないことだったから。――いまさらなのだ。
「……そうですよね、アユムセンパイもそうなっちゃいますよね。――やっぱ、燃えますもんね、打倒センパイ!」
キリカちゃんは、少しだけ先に行ってしまった私に追い付きながら、満面の笑みでこちらを見上げる。……うん、やっぱりキリカちゃんはそういうタイプだよね。
「レア装備とか、レア称号とか、やっぱいいですよね! なんといってもレアカード! コレクターの血が疼きます!」
ふんす、と胸を張ってキリカちゃんは息を荒げる。水を得た魚のよう……だけれども、何故か直ぐに、干からびてしまった。
「――まぁ、お金かかるんですけどね、大抵そういうのって」
……高いカードは、数百万とかするんだっけ。遠い世界だよね。
「……は! そういえばこの間詫び石もらって割りと余ってるんだ! レアガチャ回そう!」
「携帯ゲームの話なの!?」
<遊戯王>じゃないんだ。具体的に言うと初期版の<青眼の白龍>、同じイラストの状態で再録されたとしても、やっぱりアレはすごいカッコイイと思う。
キリカちゃんの場合は、本人の思い出補正もあってか<EX版>というのが一番好きらしい。ルール指南ビデオ付き構築済みデッキのカードなんだとか。昔はそんなものもあったんだなぁ。
遊戯王のゲームが百万以上売れるなんて、考えられないことかもしれない。
「コホン! ともかくですね、それはやはりハードルが高いと思うんです」
「だよね、私もそう思う」
「……だからこそ、こうやって遠くまで足を運んでカードを買ってるんですね?」
うん、さすがにキリカちゃんは鋭い。私はそれなりにTCGにも慣れてきたし、大会でも惜しい所まで行けるようになった。デッキパワーの力はあるにせよ、成長はしていると思うんだ。
けれども、まだ決定的に足りない物がある、カード資産。特に<エクストラデッキ>は一度揃えてしまえば使い回しが聞くけれど、揃えるまではかなりの出費がかさむのだ。コレに限っては、後から始めれば始めるほど、振りになってしまうことだろう。
勿論再録だってされるけれど、常にカードプールは新しくなりつづけているのだから、きりがないといえばきりがない。
「うーん、後チョットってところなんだけどね……こう、もう一つ痒い所に手が届かないといいますか」
「あー、わかります。デッキの内容がいまいちコレじゃない感じがするんですよね。お金かければ解決するんですけど、万年金欠だと辛いです」
「バイトとかしなくちゃねー」
一応、話はしているし、やる気はあるのだけれど、果たして何時始めることになるのやら……キリカちゃんも、それにうんうんと頷いている。
まずは自分にできることをこつこつと、何て思いながら歩いていたら――ふと、足が止まった。
ついてしまったのだ、凍えてしまいそうな曇り空に、溶けこむような白の駅。目的地に到着である。
「っと、到着ー! 案外短かったですね」
「あっという間だったねー」
そんなことを言い合いながら、寒さから逃げるべく、駅の中へと駆け込んでいく私達。今日は休みということもあってか、人の数はそれなりだ。エスカレーターに乗り込む列に並んで、ふぅ、と一つ息をついた。
相変わらず息は白いままだったけれど、とりあえずここで一息である。
「そういえば、明日は大会ですけどどうします?」
「うん? 普通に行くよ?」
「そうなんですか? あー、じゃあもしかしたら優勝しちゃうかもですね。アイカセンパイ来れないみたいなんで」
そうなんだ、と頷きながらぽつりぽつりと語るのは、益体もない雑談程度、なんとはなしに笑いあい、そうして駅の改札を通る。帰り道も、しばらく一緒に歩くようだった。
――そんな時に、
「……あれ?」
「…………なにしてるんだ? こんなところで」
ちょうど止まっていた電車から、高橋くんが下りてきた。
「センパイこそ、一体何の用事です? すごい偶然だと思うんですけど」
「ここはこの辺り一帯の中心地だぞ、それほど珍しいこともないだろう」
確かに、私がキリカちゃんに出会ったことと比べれば、知り合いと人通りの多い駅で鉢合わせになる、なんて珍しいことでもないだろう。それがちょうど高橋くんで、隣にキリカちゃんがいる、なんていう偶然は早々ないと思うけれども。
「私達は、まー時間つぶしの帰りかな、そっちは?」
私が問い返すと、はぁ、と高橋くんは露骨に嘆息めいた吐息を漏らした。白く染まったそれが、高橋くんのマフラーに交わる。
「俺はこれから用事を足しに行くんだ。まさか地元の本屋が全滅とは思わなかった」
「探しものですかー。がんばってくださいね!」
「そっちは、気をつけて帰れよ」
言いながら手を上げて、どうやら高橋くんはこのまま行ってしまうようだ。特に話題もないし、どうせ明日も会うのだし、適当に挨拶だけ済ませてそれで別れようと、通り過ぎた高橋くんを振り返り。
振り、返り。
ふと、
意識に――思いつきがよぎった。
「あ、」
あぁ、あぁああああああ!
思わず叫んでしまいそうになる、けれども人混みの中でそれはあまりにあまりだし、と私は直ぐに口をつぐんで――けれども、高橋くんにはそれは伝わっていたようだった。
「どうした?」
「何があったんです?」
キリカちゃんも一緒になってこっちを見ている。……なんだろう、なんでもないのにこれは恥ずかしい、後ろめたい気持ちになる。
「う、うぅんなんでもないよ。ちょっと個人的に思いついただけ」
そう、なんでもないのだ。
まったくもって何でも。
――高橋くんは結局それ以上突っ込むことはなく。首を傾げながらもその場から立ち去っていった。明日は「ねこのみー」で、と言葉を交わし合い、喧騒へと高橋くんは消えていったのだ。
そして私とキリカちゃんも電車にのって、途中で別れる。
その間、私はなんだか熱に浮かされたような感覚だった。現実感がないというか、思考の中に没頭しすぎているというか、キリカちゃんとの会話も話半分。まぁ、聞き手としてはそれで良かったのかもしれないけれど。
――私は、思いついてしまった。
それは、秘策。大会で高橋くんに勝つために――思いついてしまった、必勝の方策。