「織斑先生、入りますよ」
規則正しくドアをノックする音とともに聞きなれた声。
だが、私は返事を返すこともないし、返そうともしない。
そいつはいつもと同じく、私が拒絶したとしてもこの部屋に入ってくるのだから。
ドアが開いた先にあるその姿。
予想通り葵の姿がそこにはあった。
「全く、たまにはご自分で部屋の換気くらいなさったらいかがです?これではお体に悪いですよ」
昼間だというのに真っ暗で淀んだ空気に眉をひそめた彼は、締め切られたカーテンを開き、窓を全開に開けた。
「ほら、見てください今日はこんなに天気が良い。この日和のなかを歩いたらさぞかし気持ち良いでしょうね」
いつまでも引きこもっていないで外に出ろと、遠回し気味に言いたいのは分かるのだが、暗闇に慣れた性で太陽の光が眩しくて今の私には耐えられない。
しかし、それ以上に体が外を拒絶してしまうのだ。
頭では外に行かなければ、仕事があるのだからと理解しているのに、体が思うように動いてくれない。
まるでこの部屋に重い鎖で縛り付けられてしまったかのような感覚すらある。
そんな側から見れば引きこもりとなんら変わりない私なんかのために、三食持ってきてくれたりこうして簡単な掃除をしてくれていた。
とは言え、食欲なんてないので殆ど手もつけず、動く気力もないために部屋が汚れることもないのだが。
「織斑様はとっくに目を覚まされています。お嬢様達とも仲良く過ごされています。お顔くらい見せに行ったらいかがです?」
「今度な」
「今度、ですか。全くその言葉は聞き飽きましたよ」
ようやく絞り出した声はあっけなく一括されてしまった。
それも無理もないかなと思う。
ようやくとは言えその言葉は何度も繰り返し葵に返した。
はっきりと覚えているわけじゃないが、葵に返した返事は殆どこれしかなかったはずだ。
...............聞き飽きたと言われるのも無理はないかな。
「織斑様は左目を失っても、いえ、お兄様との事で吹っ切れたようで今まで以上に前向きに生きていますよ。それに比べて貴方ときたら。9つも下の織斑様の方がよっぽど大人ですね」
「...............分かってる」
「はぁ。分かっているなら何故そうしないのです?今の貴方は口だけ、それじゃあ」
「逃げているだけ。そう言いたいのだろう?分かっているさそれくらい」
「ようするに貴方は理解しているけど体がついてこないと?」
あぁ、と聞こえるかわからない声で返事をする。
ここには私たちの2人しかいないために何かにかき消されるという事はなかった。
言い訳かもしれない。
しかし私をここまで臆病にさせているのは束がトドメを刺したあの言葉だった。
私は知らないうちに一夏の幸せを奪い絶望させ、その上で殺したと。
長引く一方的に殲滅するあの作戦にいつしか私は疲弊しおかしくなっていた。
早く終わらせようとただひたすらに無心になり殺していた。
知らなかったから仕方ないと言われればそれまでだ。
だが、知らなかったからと言い訳して逃げて言い訳ではない。
どんな理由にしろ、私は人を殺し、一夏をその恋人をも殺したのだ。
血の繋がりはないとしても、何度も何度も助けられたかけがえのない家族から容赦なく全てを奪ったという、良心からくる凄まじい罪悪感に押しつぶされてしまいそうになる。
平気で人を殺し殺人罪に問われる人間の神経がわからない。
大量殺人、バラバラ殺人、様々な残虐な行為をする奴らはきっと人ではないのだろう。
そうでもなければ人を殺して平気でいる事なんて出来ない。
少なくとも私は。
「...............やはり貴方は心が未熟なまま世界の頂点に立ってしまっていましたか。実力に心がついていけていない」
「どういう事だ?」
「どういうも何もないです、言葉の通りのままですよ。きっとそうではないかと思いましたが、間違いじゃなかったようですね」
ため息を一つつくと葵は続けた。
「勝手ながら貴方の経歴を調べさせていただきました。貴方は甘えた事がないでしょう?それこそ心の内を完全にさらけ出すような事などは」
「...............あぁ。十夏と一夏を養う必要があったからな。弱音を見せるわけにはいかなかった」
「それが原因なんですよ。弱音を見せない、つまり誰かを頼らないというのがね。誰にも頼らず自力で解決する。側から見れば褒められるべき事がもしれませんが、実際はその逆。出来るだけ避けるべき事なんです。無論頼りすぎるのもいけない事ではありますが」
「確かに誰かに頼った事はない。とは言えそこまで影響するものか?」
「えぇ、今の貴方は典型的に影響した状態です。貴方は必ず疑問は自分自身の中で解決していた。それは言い換えれば人と関わらないというのと同じ。それを続けれは勿論感受性の成長を著しく阻害しますし、人とコミュニケーションをとる事を苦手としてしまう。ですがそれを貴方は弟たちを守るためにと蔑ろにしてしまった。守らなければ、自分しか出来ない。だからやらなければならない。それが意味することは分かりますか?」
唐突に振られた問いに答えることも、むしろその答えを出すこともできず首を横にふるほかなかった。
「簡単です。貴方は弱い本当の自分自身を殻で覆ってしまったんですよ。弱くあってはならないとね。止めてしまったのですよ心の成長を、貴方自身で。ただそこで終わってくれればまだどうにか出来たのですがね。惜しむべきは、貴方に実力と、人を惹きつけるカリスマ性があったことです。弱さを隠すために強くなり、周りの人間は強い貴方を崇拝し求め、それに答えるよう貴方はより強くなり、立ってしまったんです。世界の頂点にね。織斑様と違い、完全に個人としての人格が形成されてしまった時期に」
「...............弱さを捨てるためにただ強くなるために必死になっていた。モンドグロッソで優勝しても、世界最強と言われれるようになっても嬉しくなかったのはそれが原因なのかもしれないな」
「なのかもではなく、原因だですよ。貴方は誰に頼ろうとしない問いうのは前述の通りです。頼るとしてもそれはあくまで仕事上。プライベートでは決してない。きっとなにもかも抱え込みすぎて耐えられなくなる。今の貴方のようにね。一夏氏を殺してしまったという罪悪感に」
「全くもってその通りだ。もう、押しつぶされそうで仕方ない。助けてもらいたいくらいさ。だがな?今更どうやって助けてもらえというんだ?こんな弱い私を周りの連中は求めてなどいない。第一私は人に頼る方法なんて知らないし、この歳になって今更聞けることじゃないか...............!」
本当は誰かに助けて欲しかった。
己自身を押さえつけてまで養って行かなければという感情だけが先走り、私自身の幸せなど二の次三の次。
私が嫌になって逃げ出したら、恋愛ごとにうつを抜かして働かなかったら2人はどうなってしまう?
そう考えると到底そんなことをしようなんて思えなかったし、弱い私は邪魔だった。
学校の目をかいくぐって歳を誤魔化して仕事をこなし、学校で楽しそうに誰がかっこいいだの、あの服は可愛いだのとそんな事を話している暇があれば遅れないために勉学に励み、放課後になれは限りなく自分の時間を削ってまで働き続けた。
それでも私は耐えてきたし、それが当然だと思っていたので疑問に思ったことはない。
だが、私はそれを代償に大切な事を失っていた。
実際問題、失った事は気づいていたが、私はそれを放置し続けた。不要だったからだ。
だが、それのツケが今回ってきたようで。
ただの引きこもりに成り下がった。
底なし沼に沈んでいくように、足掻く事もせず這い上がる事もできず。
「本当に貴方は不器用な人ですよ。自己犠牲すぎて損をしてきた、そんな貴方に助けを求める方法を教えあげます。もう、これ以上辛い思いをする必要はありませんから」
「...............助けを?」
「えぇ。とても簡単な方法ですよ。ただ助けてと言えばいいだけです」
あまりにも拍子抜けしたその方法に間抜けな声しか出てこない。
助けてほしい時には助けてと言うだけ?
悪い冗談にしか聞こえない。
そんなの、あまりにも簡単すぎる。
「そ、そんなの嘘に決まってる。それじゃああまりにも単純すぎるじゃないか」
「いえ、本当です。助けてほしいのだから助けてと言う。そんなの考えればすぐわかるでしょう?助けを求めるのに星が綺麗だとかそんな事は言わないじゃないですか。たったそれだけの事です」
「だが、そんな事通用するはずが...............」
「少なくとも私は貴方を助けます。世界中の誰もが救いの手を伸ばさなくても、私だけは貴方の味方であり続けます」
「どうして、どうしてそこまで私を気にかける?」
「家族をよろしく。そう仰せつかりました故」
誰からとは言わない。
しかし、それが誰だか私はすぐに分かった。
「どうして、あいつはそんな事を!?私はあいつの全てを奪ったんだぞ!」
「いつもおっしゃっていましたよ。家族が心配だと。いつも気にかけていましたんですよ、それこそ忘れた事などないと言わんばかりにね。ですが、会いに行く事はありませんでした。死んだ事にされている人間がひょっこり帰っても混乱させるだけだと言ってね。遠くからいつも見守っているだけでした、彼は」
「...............そんな事があったのか」
「えぇ、会いに行けるほど近くにいるのにその道は果てしなく遠いとつぶやいた事がありました。とても悲しそうな目をしながら」
家の事はずっと一夏がこなしてくれていた。
ある意味では私が唯一頼っていたというのかもしれない。
ずっと私は助けられていたのだろう。
一夏に、最後の最後まで死ぬその直前まで。
全てを奪っても尚。
「正直な事を言ってしまいますと確かに一夏氏に頼まれましたが、それ以前に私個人としても貴方を放っておけない。助けてあげたいのです」
「...............助けてくれ」
気がつけばそうもらしていた。
どうしてなのかは分からなかったが、それでも良かった。
助けてもらえるなら、少しでも楽になれるのならと、私は葵にすがった。
「よく言えましたね。もう、大丈夫、辛い思いをしなくて良いんですよ」
ポンと優しく頭に手が添えられた。
大きくて暖かな、それでいて優しいそれは私の殻を優しく壊していくようで。
ダムが決壊したかのように涙が溢れてきた。
「泣きたければ好きなだけ泣いて良いんです。我慢する必要はどこにもありませんよ」
歯を食いしばって涙をこらえようとしても、優しく投げかけらへる言葉がより一層涙を溢れ出させていく。
「泣けるときに好きなだけ泣くと良いですよ。泣きたいと思ったときにはもう、泣く事もできなくなります。ここには私たち2人だけ、泣いた事は誰にも言いません。だから気の済むまで泣いて、すっきりさせてしまいましょう?」
もう、我慢できなかった。
「...............もう嫌だ」
「はい」
「もう辛い思いをしたくない...............」
「はい」
「助けてくれ...............!」
「はい。私はここにいますよ」
この日、この瞬間。
私は生まれて初めて心の底から泣いた。
「...............約束を守ると言っても、お前はイギリスでの仕事があるだろう?どうするつもりだ?」
あれからしばらく。
泣くだけ泣き、そしてかなりの恥ずかしさに苛まれながら、それをごまかすかのように葵に問う。
本当に恥ずかしくめをあわせられない。
それとは対照的にすっきりと心が軽くなったのは何故だか。
「ふむ。確かに私はお嬢様の執事と言えども、本国の仕事の合間を縫って来日していますから長期滞在は厳しい状況ですね」
「だろう?ここでのお前は来客扱いだ。教職員でもなければ、生徒でもないしな」
「教職員はまだしも、生徒はないですよ。一応私の肉体年齢は20歳です。それにもし、あくまでifですけどここの生徒になったとして私は勉学についていけませんよ」
「どうしてだ?確かにISの学科は厳しいかもしれんが、一般教科はいけるんじゃないか?」
そう私が言うと葵は少しばかり悲しそうな顔をした。
「暗い話になってしまいますが、貴方には話しておかなければ行けませんね。クローン技術。従来不可能とされてきたそれが秘密裏にですが可能となったのはご存知ですね?」
「あぁ、それくらいはな」
ドイツでの教え子が確か人工的に作られた人間だと聞いたから、クローン技術が実用段階に入っているのは知っていたが。
「...............まさか?」
「えぇ、その通りなんですよね。私は5年前、とある人物のDNAを用いて作られたクローンです。生まれたときから裏社会に生きる存在でした。なので肉体年齢こそ20歳ですが、実際は5年程度しか生きていませんし、もちろん学校なんてものに通ったこともありません」
「肉体年齢と称したのはそういうことだったか。...............じゃあDNAを提供したのはだれなんだ?平凡な人間のを使っても大した意味はないだろう?」
「...............これが答えですよ」
そういうと葵はおもむろに首元で縛っていた髪を解き、メガネを外した。
長めだった前髪を額が出るように留めていた髪留めを外し、本当の素顔をあらわに。
「...............嘘だろう?」
「いえ、これが真実です。悲しいことに、ね」
その素顔を見た瞬間私は言葉を失った。
どうして?そう素直に思えてしまうほどに、その素顔は。
ーーーー何故か一夏にそっくりだった。
「私のオリジナルは一夏氏なんです。ですが、彼の記憶は一切入力されていませんので、ある意味DNAだけを共有した別人という感じでしょうか。ただこのことは織斑様たちには話していませんが」
「...............どうしてだ」
「彼らは一夏氏の死を完全に受け止め、前を向くようになりました。なのにそこに私と言うイレギュラーが介入してしまえば、混乱してしまいますしうとめた決心が揺らいでしまうので」
「何故私には話した?私だけを特別扱いする必要は無いだろう?」
「貴方だけには知って欲しかったんですよ。一夏氏の思いは、彼は近くにいて見守ってるということは」
「...............そうか」
正直なことを言ってしまえば、私だってわけがわからない。死んだはずの一夏のクローンなんですと言われてもすぐには信じ難い。
だが、葵は嘘をつくような人間じゃ無いのはよくわかるし、一夏の願いを叶えるためにいる。
私が信じなくてどうするんだ。
「信じるよ。お前が私を助けてくれたように」
「...............ありがとうございます」
「ふん。まぁ、それは私たちの秘密にしておくにしても、結局はどうするつもりだ?もうすぐ本国に戻るのだろう?」
「...............まぁ、方法が無いわけでは無いんですけどね。ただ、あまり使わなくて済むならそうしたかったのですが、仕方ないですね。それじゃあその方法を実践してくるので数日間お待ちくださいね」
そういうと葵は部屋を出て行ってしまう。
仕事サボったらダメですよ?とさいごに言われたが、よけいなおせわだと返す前にいなくなってしまった。
あまり使いたく無いというあたり、いい予感がしない。
むしろすごく嫌な予感がするのは何故だか。
「...............だが、まずは私が変わらなければな」
ここまで勇気を与えてくれたのだ。
もう引きこもるのは終わりだ。
職員にも生徒にも迷惑をかけすぎたのだから、これからはより一層頑張らなければな。
輝く太陽に照らされた清々しい空気を胸いっぱいに吸い込む。
もう、迷いはなかった。
数日後、度肝を抜かれるようなことが起こるとは知らずに。
...............誰があんなことが起きると予想できるものか。
私には無理だな。うん。