正直ヴァンガード知っている人は見なくてもいいと思います。
「ーであるからして」
櫂トシキは今、学校の授業を受けている。
しかし、教師の声は櫂の耳には入っていても頭には届いていなかった。
厚く曇った空を見上げながら、普段は割と真面目に授業を受けている彼にしては珍しく考え事をしていた。
今は午後の授業だが櫂の考え事は朝の最初の授業からずっとだった。
そのため朝のホームルーム前と昼休みの時によく喋る友人が話かけてきても「ああ」の一言でしか答えていない。というか今日一日櫂は「ああ」しか言っていない。
ここまで櫂が思考の深みに嵌まっている理由は一つ。
今朝の夢のことだ。
あの場所は間違いなく『惑星クレイ』だ。
惑星クレイとは、今や世界で一番流行っていると言っても過言ではない『ヴァンガード』というカードゲームの舞台となる星のことである。
ヴァンガードは対戦型のカードゲームで、カードにはクレイで生きている者たちが描かれており、ゲーム中では『ユニット』と呼ばれている。
そのユニットたちは6つの国家に分かれ、その中で更に23種類ある『クラン』と呼ぶ組織や部隊、集団に所属しており、プレイヤーたちはクランごとにカードを組んで一つのデッキにして対戦する。
そしてヴァンガードのプレイヤーのことを『ヴァンガードファイター』と呼ぶ。
櫂トシキもヴァンガードファイターである。それもただのファイターでなく、世界トップクラスのファイターなのだ。
クランの一つである『かげろう』の使い手として日本でヴァンガードをやっていて知らぬ者はいないほどだ。
ここまでの情報だけで今の現状を考えると、一つのゲームに打ち込むゲーマーがそのゲームの夢を見て真剣に悩んでいる、という痛い状況なのだが、櫂には真剣に考える必要があると確信できた。
それは今までの経験から、ヴァンガードはただのカードゲームではないという事実だ。
実は惑星クレイは実在し、カードのユニットたちもクレイで本当に生きていて、ヴァンガードを通じて地球と少なからずリンクしている。
実際に櫂はクレイに行ったことがある上、クレイが邪悪なる存在に脅かされた時に地球にも影響があることを目のあたりにした。
何よりその邪悪なる存在と戦ったことも、櫂自身その力に呑み込まれてしまったこともあった。
そして櫂を含む一部のヴァンガードファイターは、クレイに何かしらの異変がある時は、それを感じとることがある。
今回は夢という形で自身に警告があったのだと櫂は確信している。
夢に出てきたよく知るユニットたち。そのユニットたちを倒していく赤いローブの人物。
櫂はあの夢の意味とこれから何が起こるのか、という答えの出ないことに頭を悩ませていた。
学校の最後のホームルームが終わり、生徒たちが各々教室から出ていく。
櫂も反射的に部活に向かうために席を立つ。
櫂は『ヴァンガード部』に所属している。ヴァンガード部はその名の通り、ヴァンガードをする部活動である。部活で態々やらなくてもよいのではないかと思うかもしれないが、『ヴァンガード甲子園』という高校の大会があり、高校生のヴァンガードファイターにとっては夢の舞台なのである。
櫂もその舞台の頂点を目指しているファイターの一人である。
「お~い櫂、一緒に帰ろうぜ~」
陽気な雰囲気の金髪の男子生徒が人懐っこい笑顔で櫂に声をかけてくる。
彼の名前は『三和タイシ』。
櫂の通う『後江高校』の同級生であり、同級生の中では一番の友人といっていい存在だ。
櫂は人と接するのが苦手であった為、他人との間によく誤解が生じてしまうことが多かったが、いつも三和がフォローをしてくれるので少なからず学校では人とのトラブルがなく過ごせている。そんな三和に感謝の気持ちが大いにあるのだが、本人には言うつもりはない。
ただ今彼はありえないことを言った。
「部活があるだろう」
櫂は当然の疑問を口にする。
三和も櫂と同じくヴァンガードファイターであり、ヴァンガード部活に所属し、部長をつとめている。軽薄そうな外見とは違い、責任感がある三和が部活のある日に「帰ろう」などと言うはずがなかった。
「部活? なんの? 」
「ヴァンガード部に決まってるだろう」
三和はまるで何のことかわからない、といった顔をして聞いてくるので櫂は少し怒気を含んだ声で答える。
「ヴァンガード? 何だそりゃ? 」
「ふざけたこというなっ」
それでも知らないという三和に櫂は完全に怒りをあらわにする。
「って言われてもなぁ…」
珍しく怒鳴るように声を発する櫂に三和は頬を掻きながら、思い出そうとする。
「ダメだ、何のことだかサッパリだ」
「このカードのことに決まっ…! 」
わからないと言う三和に実物のカードを見せようと自分の鞄に手を入れるが、鞄の中をいくら探してもいつも持ち歩いているデッキが入っていなかった。
櫂にとってデッキは魂そのものだ。常に持ち歩いている。それを忘れたことなど一度もなかった。
そして櫂はある違和感に気がついた。
今日櫂は一度もカードに触れていない。それどころか見もしなかった。
昨日はテーブルの上にカードを置いたまま寝たはずなのに、今日の朝には無かったことを思い出す。
更に愕然となる事実に気づく。
それはカードが無かったことに何の違和感を感じなかった自分だった。
脳裏に大切な親友がいなくなった事件を過る。
「あっ! おい櫂! 」
櫂は呼び止める三和を無視し、教室から飛び出した。
飛び出した櫂の目的地は、自分が常連客となっているカードショップ『カードキャピタル』だ。
カードキャピタルは櫂にとって大切な居場所であり、思いでの場所である。
数年前、たまたま偶然出会った年下の少年が落ち込んでいたんで、元気付けてやろうとヴァンガードではじめて勝ったファイトでキーとなってくれた思い入れのあるカードを渡したことがある。
その少年と数年ぶりに再会した場所がカードキャピタルである。
それからというものカードキャピタルで集まるようになり、ヴァンガードを通じて櫂やその少年や仲間たちが絆を深める場所となった。
櫂がヴァンガードの存在を確かめるのはそこしかなかった。
「…よかった。ある」
櫂は無事カードキャピタルに到着した。
正直、櫂はもしかしたらカードキャピタルも無くなっているのではないかという不安があったが、それがなかったことに安堵する。
しかし、それはすぐに小さな絶望に変わった。
いつものように自動ドアを潜ると、そこは櫂の知っている店内とほど遠かった。
カードキャピタルはヴァンガード専門店といってもよいほどヴァンガードをプッシュした店なのだが、壁のショーケースには見知らぬカードが並び、貼ってあるポスターは様々だが、ヴァンガードだけ無く、店長がお手製で作ったヴァンガードファイト用のテーブルも無くなっていた。
客はいないわけではなかったが、放課後のこの時間にしては少なく、何よりいつもの活気がない。
「いらっしゃい」
櫂の耳に聞き慣れた女性の声が入ってくる。
声がした方に目を向けると、レジに灰色の髪をした綺麗な女性が本を読みながら座っていた。
「…戸倉」
櫂の口からその女性の名前が自然と出た。
女性の名前は『戸倉ミサキ』
ミサキはカードキャピタルの店長である『新田シン』の姪で、店員である。
だが櫂にとってはそれ以上に大切な仲間である。
櫂とミサキはヴァンガードのカードキャピタル代表チーム・クワドリフォリオ、通称『Q4』のメンバーだった。チームQ4は櫂とミサキともう二人の4人チームで、ヴァンガードの全国大会に優勝したこともある。
ただ全国大会を勝ち抜いたチームメンバーというだけでなく、数ヶ月前にチームメンバーの一人が櫂とミサキを含む数人以外、世界のすべての人間から忘れられるという事件があり、その解決のために共に戦った仲間なのだ。
「……? 」
しかし、櫂に名前を呼ばれたミサキは訝しげに櫂をみるだけだった。
櫂は嫌な予感がした。
「戸倉、俺が誰だかわかるか? 」
ミサキと向かい合い、そう訊ねる櫂。
「……いや、初対面のはずだけど」
櫂の予感通りの答えが返ってきた。
その答えで櫂は確信する、戸倉は俺のことを忘れている、と。
櫂はそれからすぐにカードキャピタルから立ち去った。ミサキが最後まで怪訝な目で見ていたことが忘れられない。
ミサキのあの反応に傷ついた櫂であったが、どうしても確かめたいことがあった。落ち込むのはそのあとでいい。
気になることとは、櫂にとって親友であり、ライバルであり、先導者であるかけがえのない仲間…『先導アイチ』のことだ。
先導アイチとは、櫂がカードキャピタルで再会した少年のことであり、Q4のメンバーの一人であり、数ヶ月に世界に忘れ去られた人物その人だ。
気弱でオドオドしていた少年だったが、ヴァンガードでいろんなファイターたちと戦い、成長し、全国大会やアジアサーキットという東洋圏の大会をチームのリーダーとしては
優勝に導き、クレイと地球を狙うヴォイドという邪悪なる存在やそのヴォイドの化身のリンクジョーカーを倒し、今では英雄と呼ばれるほど逞しくなった。
そしてリンクジョーカーに魂を売った櫂を受け止め、救ってくれたのはアイチだった。そんなアイチを櫂は誰よりも認めている。
今ままで櫂以上にこのような異変に立ち向かってきたアイチが今どのような状況にあるのか、それだけがどうしても気になった。
もしアイチもが、という不安と、アイチもこの異変に戸惑いながらも手掛かりをさがそうと動いている、という期待が櫂の中でせめぎあっている。
櫂は今にも降りだしてきそうな空の下、アイチの家に向かう。
櫂は何度か来たことのある家の前に立つ。
玄関のネームプレートには先導と書いてある。
櫂はインターホンに手を伸ばす、
「あの…うちに何かご用ですか? 」
と、押す前に声をかけられた。
聞き覚えのある女の子の声。
櫂は声の方を見ると、予想通りの人物がいた。
声の主の名前は『先導エミ』。アイチの妹だ。
櫂とは交流は少ないが、ハッキリとものが言える明るい女の子だ。しかし、今のエミはいつもの元気がない。そのことは櫂にもわかった。
「…俺は櫂トシキ。アイチの友人で、会いに来たんだが…」
エミの反応から自分のことを忘れていることがわかったので、あくまでアイチの知り合いとして櫂は対応する。
「アイチの…? 」
櫂はエミの表情に影がさした気がした。
「……本当にアイチの…友達なんですか? 」
少し考えるような素振りをしてからエミは訊ねてきた。
「ああ」
「………わかりました。入ってください」
櫂の答えに嘘はないと感じたエミは少し笑顔になり、取り出した鍵でドアを開け、櫂を家に招き入れた。
「お母さんは今出かねてて、今はいないんです」
家に入ると、前に来たときと同じ様相だが、雰囲気が暗く、綺麗な家の中が変に無機質に櫂は感じた。
「櫂さん、アイチの部屋に案内しますね」
そうエミに言われ、櫂はエミに着いていく。
アイチの部屋は変わっていなかった。
エミはアイチの部屋のドアをノックする。
「アイチ、お客さんが来たよ。櫂トシキさんって人」
しかし、部屋からは何の反応もない。
「アイチのお友だちなんでしょ? 出てきてよ」
ノックとともに何度か声をかけるが、答えは返ってこないままだった。
「お願いだから…出てきてよ…」
エミの声は段々と小さくなっていき、瞳には涙が滲んでいた。
「アイチ居るのか? 俺だ。櫂トシキだ」
見ていられなくなった櫂はアイチの部屋の前に立ち、声をかける。
…
部屋の中から気配を感じた。
そしてゆっくりと部屋のドアが開く。
「…っ」
僅かに開いたドアの隙間から見知った、しかし、まったく知らない顔がのぞかせる。
その顔を見たとき櫂は息をのんだ。
肌の色は悪く、少しやつれていて、何より瞳に何の意志も感じられない。
その顔の人物は他でもない、櫂トシキの親友であり、かけがえのない存在、先導アイチだった。
「…アイチ」
櫂は戸惑いながら名前を呼ぶ。
「………」
櫂が名前を呼んで一秒あったかどうかという間にドアが閉まった。
「アイチ! 」
それは先導アイチが櫂トシキを拒絶した何よりの証だった。
「アイチ! 開けてくれアイチ! 」
櫂は何度もドアを叩き、アイチの名前を呼ぶが、返事が返ってくることはなかった。
降りだした雨の中、櫂は傘も差さずに歩いている。
冷たい雨が容赦なく櫂を濡らしていく。
しかし、櫂は気にしなかった。
それは櫂の心が完全に折れてしまったからだ。
アイチの部屋の前で声をかけ続けたあと、どうやってここまで来たのか櫂にもわからない。
ただ櫂もあのまま声をかけ続けても意味がないと、櫂自身が認めてしまったのだ。
それも仕方がなかった。櫂の心は限界だった。
自分の一部となっていたヴァンガードが消え、ヴァンガードで繋いできた仲間との絆と記憶が消え、しまいには一番の親友があんな状態になっていた。
今までの櫂ならこの状況打開しようと奔走しただろう。
事実、数ヶ月前の事件でも櫂は諦めることなく、アイチを求め続け、アイチを取り戻すことが出来たのだ。
だが、それができたのはヴァンガードがあり、アイチの分身のカードが自分の手元に来てくれたという手掛かりがあったからだ。
今の櫂には何もない。
しいて言えば今朝の夢だが、あの夢からどうしていいのかわからない。
ヴァンガードがないと俺はこんなに弱いのか…
櫂は自分の弱さと不甲斐なさに心が蝕まれていた時、不意に雨が止んだ。
それと同時にパラパラという傘が雨にあたる時の特有の音が耳に入る。
櫂が振り替えるとそこには、櫂の一番最初の先導者、
伊吹コウジが立っていた。
記憶が消えて、人格が変わることはヴァンガードではよくあること。