一ヶ月が長い…
現在の時刻は9:48
櫂は第一層攻ボス攻略部隊の集合場所であるトールバーナの劇場に向かっていた。
昨日の寝つきが悪くて少し寝坊してしまったが、十分間に合うことが出来るだろう。
劇場に到着すると、もう何人ものプレイヤーが集まっている。
キリトとアスナも既に来ており、目立つ二人なので櫂も直ぐに見つけることが出来た。
櫂が二人に近づくと様子がおかしいことに気付いた。
アスナは顔を赤くしてスカートを押さえている。キリトは頭にクエスチョンを出してるかの如く、わけがわからないといった顔をしていた。
「おはよう」
櫂は二人に挨拶をする。
「あっ、おはよう」
キリトは櫂に挨拶を返すが、アスナは黙ったままキリトを睨み付けていた。
櫂は、また何かあったのかと呆れながらアスナを改めて見る。
ふと足元を見ると、昨日とはブーツが違う物になっていた。
アスナは細剣使いだから動きを鈍らす重装備はしないで、軽い物や動きの妨げにならないような物を選んだ方が良い。
櫂も軽装備で、特にブーツは拘って選んでいるのでアスナのブーツが昨日の物より良質で適切な物になっていることがわかった。
「いいブーツだな」
「へっ!? 」
急に櫂に声をかけられたアスナはすっとんきょうな声を出す。
「ブーツが昨日の物と違うだろう。良い物を選んだな」
「えっあ…ありがとう」
アスナはぎこちなく応える。
アスナの様子が変なことを少し気にしながらも櫂はキリトが「俺も褒めたんだけどな…」と呟いたのを聞き逃さなかった。
パーティメンバーが集まった早々気まずい空気になる。
それから出発の時間になってレイド全員で移動するまで三人はこの空気のままだった。
「俺からは以上だ。何か質問は? 」
第一層迷宮区フロアボス部屋の扉の前、ディアベルが最終確認の説明を終える。
レイドメンバーのほとんどが何度も聞き、訓練を繰り返してきたことなので今さら質問をする者などいなかった。
一人を除いては
「どうぞ」
人と人の間から上がった手だけが見えたのでディアベルは促す。
手を上げた人物――キリトに注目が集まる。
「一点だけ。ベータテスト時の…攻略本の情報と異なる状況が発生した場合はどうする? ディアベル。リーダーのアンタから撤退の指示が出ると考えていいか? 」
「もちろん人命が最優先。でも事前のシミュレーションは完璧さ。誰も死なせやしない」
神妙な面持ちで訊くキリトにディアベルは笑顔で返す。
「相手にせんでええで、ディアベルはん。こいつらあんさんの指揮ぶりを知らんから、そないな杞憂が出てくんのや。合同練習にも参加せんと女囲ってた奴らが偉そうに口出すなや」
キリト…ひいてはそのパーティメンバーである櫂やアスナに対して嫌味を言うキバオウ。その嫌味に周りから笑いが起こる。
当の三人はそれぞれ違う反応をしていた。
呆れているのか、気にしていない風を装いたいの小さく溜め息を吐くキリト。
その気性からか、明らかに怒りを含んだ表情をするアスナ。
胸の前で腕を組み、黙して目を閉じている櫂。
緩んだ空気を変えるかのようにディアベルの口が開く。
「信頼ありがとう。でも俺だってこのレイドじゃなかったら不安だったはずだ。望みる最高のメンバーが揃ったと思っている」
ディアベルの言葉に全員の表情が引き締まる。
「みんなで勝とうぜ。さあ行こう…! 」
ディアベルがボス部屋の扉を開ける。
ギギギ、と音を出しながら開く扉。
その中で櫂は傍にいたキリトにキバオウが何かしら呟いていたのがわかったが、櫂はまったく気にしなかった。
ここに至って櫂の頭の中は一つのことで埋め尽くされいた。
ここにクランの手がかりはあるのか。
櫂が期待と不安を感じている間に扉が完全に開ききる。
ボス部屋の中はかなり広い空間になっていた。
部屋の形は見た感じ長方形で高さ5メートル以上、200メートル近くあるだろう。
広々とした部屋は等間隔で並べてある柱以外、特に何もない内装だった。
しかし、レイドパーティ全員同じところに注目していた。
部屋の最奧部、それは静かに座っていた。
遠目から見ても巨体であることがわかる丸みおびた体。
耳が出るようになっている兜を被り、
両腕共に手甲を着け、左手にバックラーを持ち、右手には骨でできた斧が握られ、
腰には装飾のような腰巻きはしている。
頭上のカーソルでわかるモンスターの分類。
「あれが…! 」
自然と誰かが口にした。
「コボルトの王―――第一層ボス《イルファング・ザ・コボルトロード》!! 」
ボスのその姿に驚愕し、恐怖がレイドを支配した。
誰もが言葉を失い、立ち尽くしてしまう。
一瞬ののみの沈黙。それを破ったには一人の声…
「主武装は骨斧、副武装は湾刀! 取り巻きのモンスターが三体! 全て情報通りだ! いけるぞ!! 」
ディアベルだ。
剣を高らかに掲げ、ボスに向かって走り出す。
「俺に続け!!! 」
ディアベルの声で正気に戻ったプレイヤーたちは応えるように叫びながら、ディアベルに続く。
士気が上がったプレイヤーの波の中、二人のプレイヤーだけは立ち尽くしたままだった。
キリトと櫂だ。
櫂は別に恐怖で臆したわけではない。
ただボスモンスターに違和感を感じていたのだ。
その正体はわからない。
だが一番違和感を感じる一点を櫂は呆然と見続けていた。
腰のあたりを…
「取り巻きが動き出したわ! 何してるの? 」
アスナの二人を叱咤する声で櫂も正気に戻る。
「あ、ああ」
剣を抜きながらアスナに応えるキリトに続き、櫂も走り出す。
見落としがないように周りに気を配りながら。
「よし! ボスがCパターンに入った! 攻撃を開始する!! タンクA隊下がれ! 」
戦闘がはじまり、しばらくが経った。
ボスの咆哮、ディアベルの指揮、プレイヤー同士のかけ声。
それらが入り乱れて空間で櫂は今まで生きてきた中では感じたことのない喧騒の中にいた。
雰囲気が運動会や体育祭に似ていなくもないが、明らかに違うのは緊張感だった。
いくらゲームの中とはいえ、現実と変わらないリアルさと実際に命が懸かっているという事実が緊張感となって場を覆っている。
これが本物の戦場の空気か、と思いながら櫂は剣を振るう。
今の状況を表すとしたらたった一言…
順調。それだけだった。
レイドメンバーの誰もが己の役割を全うし、成果を挙げていた。
当然といえば当然である。ここに集った者たちは誰もが今のSAOのトッププレイヤーだ。
油断したり冷静さを欠かなければ、問題なくボスとて倒せるのだ。
それぞれの強さを発揮させるトッププレイヤーの中、別格といえる者がいる。
レイドメンバーに的確な指示で油断や慢心を捨てさせ、冷静さと士気を与え、絶対的な信頼を寄せられ、その期待に応える指揮官、ディアベル。
彼がレイドメンバーの心の支えになって、プレイヤーたちは胸の内の恐怖に打ち勝ち、戦っていられるのだ。
間違いなくディアベルはこの場の別格の存在だった。
そして別格がもう一人…
「スイッチ」
淡々とした声のあと瞬時に取り巻きのモンスター《ルイン・コボルト・センチネル》が切り刻まれた。
その速さと正確さに見ていた周囲のプレイヤーは圧巻され、近くにいたアスナは身震いしたほどだ。
片手剣を振るう剣士、キリト。
実力者揃いのレイドの中でキリトの力がずば抜けていたのは誰の目にも明らかだった。
ディアベルとキリト。
一人は指揮官として、一人は最大戦力としてレイドを支えていた。
「何しているの! 集中して! 」
「っ! すまん! 」
周囲の状況を見ていた櫂にアスナの叱咤が飛ぶ。
実際アスナの指摘通り櫂は戦闘に集中できていない部分があった。
櫂は今、ある焦りによりこのボス部屋の中を探索したい思いで一杯だった。
柱の一本一本から壁の隅々までできることなら今すぐにしたかった。
ボスを倒した後にもう一度ここへ来れるのか?
ボスを倒してしまったら侵入不可能エリアになってしまうのではないか?
そういった負の考えが次々に沸き上がってくる。
そしたら焦る、探索したい思いが強くなる、しかしできなくて負の考えが頭を過る。
悪循環である。
櫂は気持ちの乱れを必死に抑えるので精一杯だった。
しばらくしてボスを相手にしていたパーティから「おおっ」という声が聞こえてきた。
ボスの方を見ると四段あったボスのHPバーが残り1ゲージのみとなっていた。
事前情報によるとここで斧と盾を捨てて、湾刀ータルワールに持ち変え、攻撃パターンが変化らしい。
「副武装のタルワールが来るぞ! スキル変化は憶えているな? 基本は同じ、武器を打ち払って喉元を叩く、だ!! 」
ディアベルが指示を飛ばす中、ボスは斧と盾を捨て、腰にある得物に手をかける。
「次で決めるぞ! C隊前へ!! 」
そこでキリトはあることに気づいた。
「なぁフェンサーさん。タノワールってどんなんだっけ? 」
「え? どんなって確か―――――…イスラム圏の――――」
アスナも言い終わる前に気づいた。ボスが持ち変えたのはタルワールなんかではない。
あの美しさとしなやかさ、それでいて丈夫さを兼ね揃えていることがわかるあの武器は…
日本刀だった。
キリトは攻撃を続けようとするディアベルにそのことを伝えるため、駆け出す。
近くでキリトたちと同じものを見ていた櫂もボスが持っている武器が日本刀だとすぐにわかった。
だが櫂は、櫂だけはその場にいた誰とも違ったものを見ていた。
日本刀が光っていた。
それはソードスキルに伴うエフェクトのものでもなけれな、如何なるゲームのシステムのものでもない。
淡くしかし、ハッキリと日本刀全体を覆うように光っている。
櫂はこの光が何なのか知らない、だが解った。
クランの光だと。
理屈ではない確信。
何らかのクランがボスの日本刀に宿っている。
櫂は日本刀の光に懐かしさを感じながら、喜びで胸が躍った。
「ディアベエエエエエル逃げろぉおおおおお!!!!! 」
キリトの叫びで櫂は現実に戻った。
攻撃を仕掛けるディアベルの部隊にボスが刀のソードスキルを放った。
そのソードスキルは範囲攻撃でディアベルの部隊は想定外の攻撃に誰も反応できず、全員直撃を受けてしまった。
そしてその内の何人かは一時的行動不能状態ースタンに陥ってしまっていた。
それを見たアスナは堪らず、ボスに向かって駆け出す。それに続き、キリトもボスに向かう。
ボスはスタン状態のプレイヤーをターゲットにし、ソードスキルで追撃を行おうとした。
恐怖で顔を歪める狙われたプレイヤー。
ボスの刃がプレイヤーを襲う。
誰もがダメだと思った時、ボスとプレイヤーの間に入る者がいた。
ディアベルだ。
ディアベルは左手に持っている盾でボスの攻撃を捌く。
その姿に誰もが安堵し感動した。
「タンク隊つづけ!! 追撃が来る。ピヨったC隊を頼む! 」
ほぼ全てのプレイヤーが呆けている間、動いていたキリトがアスナと共に走りながら指示を出す。
「オ、オウ! だがあんたらは? そんな軽装で…」
指示を出されたタンク隊は二人に続き、その隊長である、あのスキンヘッドの黒人ーエギルが「大丈夫なのか? 」と言おうとした瞬間、ボスに向かう二人を遮るように立ちはだかる取り巻きモンスターを二人は瞬殺する。
櫂はタンク隊と共に二人を追いながら、二人の速さに驚愕した。
それは櫂だけではなく、見ていた全てのプレイヤーもだ。
そしてその中にはディアベルもいた。
「よし!! 武器の打ち払いを頼む! 俺が喉を撃つ!! これで決めるぞ!!! 」
ディアベルが向かってくるキリトとアスナに指示を出し、ソードスキルを放つ構えをとった。
櫂は気づいた。
危険だと、
まずいと、
取り返しのつかないことになってしまうと、
このままではディアベルにボスが倒されてしまう。
櫂が立ち止まったのとボスの横薙ぎのソードスキルがディアベルに直撃したのは同時だった。
ディアベルに攻撃を止めるよう叫んだキリトはアスナを後ろから押し倒す形で庇い、頭上を通る刃から逃れることができた。勿論アスナも無事だ。
だがディアベルはそうじゃない。
頭の鼻から上が無くなっており、仰け反った体勢になっていた。
それから数秒間、静止したかのように誰も何も動かなかった。
そして最初に動き出したものは
ディアベルの体が砕け散るというものだった。
ボス部屋にいた全てのプレイヤーはその姿を見ていた。
全プレイヤーの表情は絶望一色になった。
ボスの咆哮が絶望を助長させる。
それと同時に取り巻きモンスターの湧出がされた。この湧出は事前情報にない、このことがプレイヤーの大混乱の引き金となった。
今まで通りの対処を行っていれば、何の問題もないのだが、ディアベルの死による絶望と恐怖はプレイヤーたちの戦意を限りなく削いでいた。
多くのプレイヤーが逃げ惑い、恐怖で叫ぶ声がボス部屋に響く。
その混乱の中で櫂は虚空を見たまま微動だにしていない。
それは櫂にとって死の恐怖などより、よっぽど恐ろしいものを見つけてしまった。
いや、自覚してしまったのだ。
死の恐怖? そんなものは自分にはない。
それはそうだろう。自分は命を賭けていないのだから。
全員必死だ。生き残るために本気で戦っている。
だが俺はなんだ? いくら自分の世界の在り方に関わっているとはいえ、自分の安全は保証されている。臆病者。
今、恐怖で逃げる者たちを笑う資格などない。俺はそれ以上の卑怯者なのだから。
俺はディアベルとボスを対峙した時、確かにディアベルの敗北を望んだ。
自分のエゴの為に、人の死を望んだんだ。
俺はかつて人の意思を踏みにじった。許されない罪。
そして今俺は人の命すら踏みにじった。
櫂は自分の恐ろしい考えを自覚した瞬間、今まで目を背けてきたものすべてが櫂の前にさらけ出された。
櫂は自分の世界にいる伊吹のおかげで例えSAOの中で死んだとしても、現実で死ぬことはない。
それが櫂のSAO全プレイヤーに対しての後ろめたさを生んでしまった。
しかも櫂の目的はゲームのクリアではなく、SAO内に隠れているクランを探すこと。
つまり必ずしもゲームをクリアする必要はないのだ。
その事実もまた櫂の後ろめたさに拍車をかけていた。
その為櫂は極力他のプレイヤーと関わらないようにしていた。
情報屋鼠を捜すこともそうだった。無意識下で櫂はプレイヤーとの接触を避けていたがゆえ、本気で鼠を探さなかったのだ。
そしてプレイヤーとの接触を避けていたことが櫂自身を苦しめる結果となった。
プレイヤーと接触してこなかったことで櫂は無意識にNPCと変わらないと感じるようになっていった部分があった。
クランの回収方法が解らず焦りがあったとはいえ、ディアベルの死についてまったく考えなかった自分を櫂は許せず、信じたくはなかった。
今まで世界や自他の運命を賭けてファイトしてきたが、実際に命を賭けて戦ったことはなかった。
そんなファイターいるわけがない!
その時、弾けたように櫂の脳裏に思い出されたはディアベルの死に様と、
かつて本当に命を賭けてファイトしていた親友の姿だった。
櫂は何もない空を見ていた顔を伏せる。
櫂の表情は誰も伺い知れない。
櫂は右手を振り、メニュー画面を開いた。
キリトは何度目かのボスのソードスキルをキャンセルさせることに成功させた。
ソードスキルの発動中にタイミングよく打ち込めれるとそのスキルはキャンセルされる。
それはボスとて例外ではない。
キリトは持てる知識と技量を降る活用し、ボスのソードスキルをキャンセルさせていく。
その隙をつき、瞬速の光がボスを刺す。
アスナよる細剣のソードスキル《リニアー》だ。
キリトがボスのソードスキルをキャンセルさせ、その隙にアスナがソードスキルをボスに繰り出す。
二人はそれを繰り返していた。
その二人の姿を見て期待が高まるプレイヤーもいるが、永くは持たないとわかっているプレイヤーもいた。
アスナのソードスキルが如何に速く的確でもスピード重視の細剣の攻撃だ。ダメージ量はたかが知れている。
キリトもいつまで集中力が続く変わらない。
そして実際に二人の連携の方が破られてしまった。
キリトがボスのソードスキルを予測して攻撃に移ったところ。ボスは刀の軌道を変えるソードスキルを使っていて、キリトの読みは外れ、直撃を受けてしまった。
それによって後方に吹き飛ばされてしまうキリト、これが何を意味しているかというと防ぐ手段のないアスナがボスの前に晒されるということだ。
キリトが吹き飛ばされたことはアスナとっても予想外で、自分に振り上げられた刃に反応する事が出来ない。
アスナがやられると思われた瞬間、凄まじい衝撃音と共にボスの日本刀が弾かれる。
音の種類は最早聞き慣れた剣と剣が弾き合うものだが、大きさは今までの比ではなかった。
アスナの目にはしっかり映っていた。
大剣を両手で握り振りきった櫂の姿が。
ボスは再び日本刀を振り上げてくる。
櫂は動き的に先程と同じように打ち払うつもりなのは誰の目にも明らかだった。だがキリトやアスナとは比べものにならないくらいに遅い。
しかしそれは当然といえば当然なのだ。
キリトやアスナはこのレイドの中でもトップのレベルなのだ。それに比べて櫂は真逆で最低のレベルなのだ。しかも櫂のステータス配分は筋力にかなり重視しており、間違いなくこのレイド中最遅なのは間違いない。
次に櫂の使っている獲物は両手剣なのだ。両手剣の特徴は、攻撃速度は遅いが一撃の攻撃力は高い、というもの。
以上の二つの理由から櫂はメチャクチャ遅いのだ。
当然間に合わないと誰もが思った。
「えっ…? 」
櫂の大剣によってボスの日本刀が弾かれた。
信じられない出来事にアスナは声が出てしまった。
信じられないのはアスナだけではなかった。この状況を見ていたすべてのプレイヤーが不思議な光景に自分の目を疑った。
またボスが日本刀を振るってくる。
櫂は遅い動作でそれをまた弾く。
これで三度目。
アスナは櫂が偶然で起こしたことでないと確信し、日本刀が弾かれた隙を狙ってソードスキルを放った。
周りから見たらまるで櫂の遅い動きにボスが合わせるように、もしくは吸い込まれるように日本刀を振るっているように見えたことだろう。
だが櫂が行っているのは至極単純なことで、相手の行動を読んでそれに合わせて自分の剣を叩き込んでいる、だけである。
それはキリトもやっていたことだが、最大の違いはその密度と意思だ。
櫂は自分の遅さを計算に入れ、早めに相手の動きを読み、早めに動いている。だが櫂とキリトの行動のタイミングに差は大きくはない。もし櫂がキリトより異常に早く攻撃を読んだ行動をしてしまうと、フェイントにまったく対応出来なくなってしまうからだ。
だからといって櫂は別にキリトより読みがずば抜けているわけではない。
ずば抜けているのはアバターの動かし方だ。
櫂はコンマレベルのズレもなく正確に最短距離で剣を振るっているのだ。
最短で剣を振れるのなら速度の差はカバーできる。
そしてそもそもに櫂の目的はボスの攻撃やソードスキルをキャンセルする事ではなかった。
櫂の真の狙いのついでにボスの攻撃を弾いているに過ぎない。
「一旦下がれ!! 」
アスナはキリトの時よりやりづらさを感じながらソードスキルを放った直後、後ろからしたキリトの指示に従った。
後方に下がる時にエギルのタンク隊とすれ違った。
タンク隊が抑えてくれている間に体制を整えるという意図はアスナにはすぐにわかった。
だがアスナにとって少々信じがたいことが起こっていた。
櫂が今だにボスと打ち合っているのだ。
アスナの櫂に対する印象は、無口で何を考えているか解らないが自分よりは素直で真面目、というものだった。
少なからず命が危ない状況で冷静な判断に従わないタイプには思えなかった。
「ここは俺たちに任せろ! 」
ボスの前に到着したエギルたちタンク隊は櫂に一旦退くように言うが、櫂はその言葉を無視して、剣を振り回す。
「おい! 聞いてるのか!? くそっ! 」
櫂に何度も下がるように言うエギルだったが、ボスが忙しなくターゲットを変えて攻撃をしてくるので、エギルは防御することで精一杯だった。
そんなことは露知らずといった櫂はたとえターゲットが自分になっていなくても剣を振る。
ボスの日本刀にむかって。
その後、アスナがずっと被っていた赤マントを脱ぎ捨て、その美しい容姿を明るみにし、ディアベルの最後の指示として、ボスを倒せとキリトの指示に従え、と高らかに宣言し、崩壊しかけていたレイドの士気を取り戻し、まとめあげた。
そしてキリトもアスナに乗っかり、ディアベルに負けず劣らずの正確な指示を出していく。
キリトはアスナの美しさとその未来に見惚れながら、今だに一度としてボスから退かない櫂のことも考える。
何故指示に従わないのか、何故ボスを攻撃しないのか、何故その剣は今だに壊れないのか。
キリトは櫂に対して疑問は尽きないが、それをすべて無視し、レイドに指示を出していく。櫂が指示に従ってくれない以上、櫂を中心としたものにするしかない。
そんなキリトにとって迷惑でしかない櫂に一つだけ感心させられるところがあった。
それはアバターのコントロール。敵が攻撃してきたら正確にギリギリのラインで避け、攻撃は最短コースをゆく。
それは何回かに一度ではなく、ほぼすべて成功させている。
流石のキリトも何年VRにいたとしてもあの領域にいけるかどうかわからないと思うほどだ。
順調に勝利に近づいていくプレイヤーたちだったが、やはりミスというものは起こってくる。
一人のプレイヤーが取り巻きモンスターの攻撃を避けるため、ぎこちないバックステップで避けた瞬間、怒号が響いた。
「アホ!! そこに立ったらアカン! 」
キバオウの声だ。
バックステップしたプレイヤーが立ったところはキリトは勿論、多くのプレイヤーが踏み入れないように気を付けていた危険地帯。ディアベルが殺されたボスのソードスキルコンボの発動条件を満たしてしまう場所だった。
いち速くそれに気付いた櫂はボスの射程外から離れようとしたが、櫂にはわかった。完全回避は不可能だと。
ボスが範囲ソードスキルを発動させ、周囲のプレイヤーを吹き飛ばす。
その直後HPがレッドゾーンのキリトが駆け出す。
「フェンサーさん!! 」
「あなた…っ。そのHPで行くつもり!? 」
声をかけられたアスナはキリトの意図に気付き、当然止めようとするが、
「来いアスナ!! 君とならやれる! 」
キリトの言葉に後押しされ、アスナはキリトと並び走る。
「一瞬でいい! ボスよりも…」
「「速く―――――」」
キリトとアスナは同時にソードスキルを発動させる。そのソードスキルはこの戦い一速いものだった。
二人のソードスキルはソードスキルを発動させようとしていたボスを貫く。
ソードスキルをキャンセルさせることはできたが、ボスのHPは僅かに残っていた。
ソードスキル発動後に必ず起こる硬直のせいで動けないキリトとアスナ。
ボスはアスナをロックオンする。
そしてアスナの命を奪わんと凶刃が迫る。
アスナが覚悟を決めた瞬間、アスナの耳に入ってきたのは聞いたことのある衝撃音。
櫂が両手剣をボスの日本刀を叩きつけた音だ。
櫂は先のソードスキルを完全に避けることが出来ないと判断した櫂はダメージを最小限にするために吹き飛ばされず、直撃をしない位置に調整していた。
スタンになるかは運頼みだったが、櫂はその運を引き寄せた。
櫂の両手剣とボスの日本刀に今までにないことが起こった。
櫂の両手剣バスターソード・ファントムは耐久値が異常に高い武器だ。
今までボスの日本刀と打ち合って無事だったのは、そのおかげだ。
だがついにバスターソード・ファントムの耐久値は0になり、砕け散ってしまった。
しかし、それは櫂の剣はだけではなかった。
バスターソード・ファントムが砕けると同時にボスの日本刀も同じように砕け散った。
共に得物が無くなった櫂とボスは一瞬だけ睨み合う。
何故一瞬だけなのか、それはボスの腹部のキリトが剣を突き刺していたからだ。
ボスは苦しむように吠えるが、キリトはお構いなしに剣を刺したまま切り上げる。
ボスのHPバーは0になり、断末魔の叫び声をあげながら、消滅していった。
ボス部屋に緊張感のある沈黙が支配する。
その沈黙に合わせるように部屋の明かりが消え、一瞬だけ暗闇になる。
暗闇の中、ここにいるすべてのプレイヤーの前にリザルト画面が現れる。
歓喜に満ちた叫びが上がる。
叫びと同時に明かりが戻り、プレイヤーたちはそれぞれ喜びを隠さずにはしゃいでいる。
喜びのあまり涙するプレイヤーもいる。
だが一部のプレイヤーたちは喜びなど一切ないような顔をしている。
その中の一人は櫂だった。
虚ろな目をして生気がまったくない櫂。
そんな櫂に誰も声をかけることはできなかった。
櫂の自分に対する黒い思いだけしかなかった。
命を賭けていない後ろめたさ、クリアを目指していない罪悪感、プレイヤーを人とは思っていなかった申し訳なさ、ディアベルの死を望んだ自己嫌悪…
櫂は自責の念に押し潰されないようにするので背一杯だった。
だからその後にあった騒動のことは全く覚えていない。
そんな櫂の前に虚しく光るリザルト画面。
そこには他のプレイヤーの画面には絶対にない項目があり
こう表示されていた。
獲得クラン
リンクジョーカー
次回はたぶん今まで以上にやらかします。
見限らないでいただけると、嬉しいです。