その日、提督は珍しく暇だった。
兵器にオーバーホールという休養期間があるように、艦娘にも休暇がある。
もちろん不意の攻撃で後方要員を鏖殺されても困るのでシフト制が敷かれている。いわば「半舷休息」といったところだろうか。
しかしながら、その日の基地には艦娘たちの姿が見えなかった。ごく僅かな当直と警備を除けば、ほとんどが資材輸送船たちの誘導支援や施設整備にあたっている。
――深海棲艦は、春夏秋冬それぞれに1度ずつ、行動の活発化する時期がある。
深海棲艦行動推測理論の一部、提督たちの間で「イベント理論」と呼ばれるものの要約は言ってしまえばこの一言につきた。
行動が活発化した結果何が起こるかは場合によるが、僅かな例外を除き、特殊な深海棲艦――慣例的に「姫」と呼び表される――が現れることがわかっている。
ある「イベント」において、深海棲艦は別働隊を使って艦娘たちの策源地を襲撃するという策に出た。
史上初のことである。
前線に近い基地はまだ良かった。戦闘中の艦隊を呼び戻すこともできたし、そもそも敵が近い以上多くの隊を防御に回している。敵もまずは抜けることを優先した。
後方の基地もまあマシだった。なにしろ遠い。特に本土の鎮守府には高練度の隊が多く、戦略予備も十分だった。
被害の多くはその中間で出た。前線と後方を繋ぐ「飛び石」、中間拠点は多くが破壊された。
破壊規模の割に艦娘や後方要員の被害は少なかったが、単に「行き掛けの駄賃」であったが故だろう。
この基地もそうだ。
基地警備にあたっていた艦娘たちは半数以上が大破以上に追い込まれた。高速修復剤は運用の効率化が諦められ、注ぎ込まれた緑の薬液の中へ艦娘たちが浸かる緊急運用が為された。
前線は押し込まれ、空母型艦娘は艦載機射出を中止して補給と整備に専念。これにより基地滑走路から飛んだ航空隊が制空権の完全喪失だけはなんとか防ぎきった。
しかし、あまりにも手が足らなかった。
全員が中破して「出撃するにはあまりにも不安だが戦闘出来なくはない」状態になったとある隊など、「陸上なら沈みはしない」という理由で弾幕を張り続けていた。
基地が助かったのは、遠征に出ていた艦隊が偶然にも敵艦と遭遇せず、偶然にもその中に軽空母が含まれており、偶然にも航法を誤って帰還中の攻撃艦隊と合流したからだ。
偶然の塊であっても、現実としてあまりにもピンポイントに有効な位置にいた彼女らによって別働隊主力は大打撃を受け撤退。
数的優位によって前線を押しこみ、基地戦力を削りとっていた別働隊前衛は挟み撃ちにされて消滅。後には戦闘能力の大半を失いつつもなんとか失陥を免れた基地とボロボロの艦娘たちが残った。
当然だが、これだけの激戦である。交代要員も休息中の要員も訓練中の要員も容赦なく投じられた。艦娘も例外ではない。
この上大半は戦闘能力を喪失した。工作艦「明石」を始め整備要員は早期の戦力回復を宣言したが、提督はここに一計を案じた。
――どうせこれではシフトも維持できん。航路警戒その他は一時他に任せ、完全に戦力回復に傾注しよう。
そういうわけで、提督は珍しく暇だった。
提督の仕事といえば、書類だ。弾薬の補給に係る書類、物資の輸送に係る書類、施設再建に係る書類、書類書類書類。
しかし、基地機能が事実上死んでいる状態で発生する書類は実のところたかが知れている。
修復は妖精たちや方方の担当者たちがとっくに始めているし、演習はする艦娘がいない。早々に復帰した駆逐艦や軽空母たちは早速救援物資を受け取りに行ったが、帰るのはしばらく先だ。
だから、基地内有線の音はひどく響いた。
「私だ」
「明石です! 提督、榛名さんの意識が戻りました!」
「――すぐに行く」
金剛型巡洋戦艦「榛名」は、第一艦隊旗艦として、「イベント」攻略艦隊の一翼に加わっていた。
第一艦隊は、常であればその快速と一定の火力を活かした、深海棲艦の「間引き」を主任務とする艦隊である。
高速で動き回り、適度に蹴散らしてさっさと離脱する。それ故、練度こそ極めて高いものの、主力は軽空母や重巡であった。
つまるところ、榛名がほとんど沈みかけの様相でなんとか帰還することになったのは、その防御力不足が原因だといってよい。
直撃弾は確実なものだけで26。内、戦艦クラスの艦砲弾が7。航空爆弾は最低でも4。魚雷も2発食らっている。
至近弾ともなると総数は検討もつかず、艤装は総質量の62%を喪失。ヘイフリック限界など振り切った完全な致命傷で、フネであれば沈んでいたことは疑いようもない。
基地の防衛が奇跡的に成功した理由のうち、たったひとつだけ偶然でないものがあるとすれば、それは榛名の捨て身の献身だろう。
彼女は帰還時点で既に損傷していた。にも関わらず敵艦隊後方へ陽動と打撃を兼ねて突入し、敵を「自らの」血の海に沈めてみせたのだ。
「あ……司令官! こっちよ!」
「暁」
「明石さんから案内するように言われているの! ついさっき意識が戻ったって!」
提督はそれでも自分を抑えこんだ。ともすれば走り出しそうになる脚を無理矢理に圧して歩いた。
暁が案内役ということは、基地内の軍病院では、猫の手とまではいかずとも駆逐艦級艦娘の手まで借りているということだ。走って余計に手間を掛けさせるわけにはいかない。
「待ってて……明石さん、暁よ。司令官を連れてきたわ!」
暁が体全体で戸を開ける。ぽん、と頭に手を載せてご苦労、と一言かけると、提督は病室へ踏み込んだ。
「榛名ッ」
「あ……ていとく?」
「よかった……榛名」
そして、ボロボロのその姿に思わず感極まってくずおれた。
明石は、まあ無理もないかと頷く。暁は、普段凛々しい提督のそんな姿に思わず固まっている。当の榛名だけが、困ったように笑っていた。
「暁ちゃん、とんぼ返りで悪いけれど、これ提督の業務机においてきてくれない?」
「あ……うん、任せてちょうだい。一人前のレディとして……」
そんなことを言いながら、明石は暁と病室を出る。榛名と提督の関係を知っているから。
*
「榛名……すまない、私は……」
「いいんです、提督。私はこうしたかった。これだけの無理をしてでも、あなたを守り通せた」
「だからって!」
「いいんです。……榛名は、大丈夫です。こんど、デートにでも連れて行ってもらえれば。ね?」
「わかった。絶対だ。だから、それまではしっかりと休んでいろよ、いいな?」
「はい!」
提督CVイメージ: 内山夕実。